私とノーマライゼーション 「無知による悲しさ」

私とノーマライゼーション
「無知による悲しさ」
私が「人権問題」について考えるようになったのは、ある視覚障がい者(盲人)ランナーの
言葉からでした。
「参加したいマラソン大会があるけれど、盲人は参加できない」
「自分の故郷の秋田 100 キロウルトラマラソンに出たいけれど、参加を認めてくれない」
2000 年 視覚障がい者(盲人)と健常者(伴走者)等が登録している Banso(伴走)メーリ
ングリストにこんな投稿がありました
「サロマ湖 100 キロウルトラマラソンに出たいので、どなたか伴走してくれる人はいませ
んか?目標は制限時間内完走です」
このころ、近くの障がい者スポーツセンターで毎週視覚障がい者ランナーの伴走をしてい
た私は「私もエントリーしているので、私でよかったら、
、
」と伴走を引受ました。
それから、何回か一緒に練習をしているうちに、視覚障がいを理由に参加を断られた大会が
あり、盲人であることで社会から隔離されているように感じている事を知りました。
「秋田 100 キロウルトラマラソン 身体障がい者の大会参加を認めて下さい」
全国のランナーに呼び掛けて署名運動が始まりました。
そして多くの署名が集まり、そのことを誠実に受けてくれた秋田 100 キロウルトラマラソ
ン事務局の努力で試走会が開催され、実際に 100 キロの試走する事で問題なしとされ、参
加が認められました。
「秋田県で育った彼は、中学校の頃から視力がおとろえ、その後全盲となりましたが、自分
が杖をついている姿を知人に見られたくない。でも 100 キロウルトラマラソンを完走でき
たら自信が持てる」との思いもあったようです。
その思いはさらに前向きとなり、アテネパラリンピックフルマラソン出場が次の目標とな
りました。
東京の社会人ランニングクラブに所属、その仲間たちと練習を重ね、一歩一歩パラリンピッ
クへ向けて努力する姿に、ランナーの誰もが協力してくれました。
社会人のランニングクラブは週に一度のため、平日もランニングマシンで練習する事を望
んだ彼は、私が所属して、サポートできる仲間のいる東京のスポーツクラブへ入会に行きま
した。
しかし、視覚障がいを理由に入会することができませんでした。
「またか、
」
彼の脳裏にはこれまでの障がい者の壁、社会の壁、人権侵害がありました。
他のスポーツクラブにも行きましたが、視覚障がいを理由に即答がありません。
全国の視覚障がい者がスポーツクラブへ入会できない事例がたくさんある事を知り、障が
い者に対する人権侵害として、そのスポーツクラブを法務省人権擁護局へ訴えました。
さらに練習に励み盲人 B1 クラスフルマラソン世界新記録を樹立、アテネパラリンピックに
出場が決まり、世間から注目を受けると状況は一変、視覚障がい者の人権問題として大きく
新聞にとりあげられるようになりました。
私たちが視覚障がい者の人権問題を訴えてから気が付いた事があります。
それは社会的弱者(視覚障がい者)に対し健常者とは別に生活させる事があたりまえだと勘
違いしている社会です。
人権侵害をしている本人や会社がその事自体に全く気が付いていない、
「無知による人権侵
害」が多いという事です。
これまで、日本の人権教育があまりにも未熟であり、人権に対する意識の低さ、無知による
悲しい現実でした。
多くの場合、人権侵害をしている本人あるいは企業が自覚していていません。
教育を受けていない大人たちが考えていた「障がい者は健常者とは別に生活する事が安全
で最善の方法」と誤解しているのです。
教育を受けていない事による無知では済まされないのが人権侵害です。
相模原の障がい者施設事件が改めて社会にこの問題を問いかけていると思います。
今では、大手企業のホームページにあたりまえのように CSR、人権の尊重が掲載されてい
ますが、単なる対外的な会社の PR であるかのようです。社員に内容が伴った人権教育をし
ているか疑問です。日本企業の狭い社会常識は先進諸国からみると非常識とさえ思える事
例があります。人権問題では日本は後進国であると言わざるを得ません。
真の人権、特に障がい者への人権侵害は社会のノーマライゼーションが進んでいない日本
の現実です。
全盲のランナーは努力を重ね「アテネパラリンピックフルマラソン全盲クラス」で優勝、ゴ
ールドメダリストとなりました。
世間から注目を浴びる事が多くなった彼は好んで小学校の講演を引き受けています。
「小さなころからノーマライゼーション」
これからの障がい者が自分と同じ悲しい思いをしないように、
障がい者と健常者が区別する事がなく一緒に暮らしていける社会を目指して
二階堂 隆