日本語非母語話者の日本語教育実習生は 授業観察を通してどのように

口頭発表
日本語非母語話者の日本語教育実習生は
授業観察を通してどのように成長するか?
大和 祐子
大阪大学
要旨
本研究では、日本語非母語話者を対象とした日本語教育実習における授業見学の効果を
検討した。日本語教授経験を持たない日本語非母語話者の実習生が授業見学を通してどの
ように成長できるか、実習生の授業見学でのコメントの内容分析を通して明らかにした。
その結果、授業見学前半の実習生のコメントからは、日本語学習者の 1 人として授業に参
与している点が特徴的であったが、授業見学後半の実習生のコメントからは、日本語の授
業を客観的に観察し、実習生自身の教壇実習に生かそうとする日本語教師としての視点が
加わっていることが分かった。つまり、授業見学を継続的に行うことにより、授業を客観
的に見るという視点が養われることが明らかになった。本研究は、上級日本語学習者が授
業見学を通して日本語教師へと成長することができること、特に経験のない日本語非母語
話者にとって授業見学が成長の重要なステップとなりうることを示した。
【キーワード】 日本語非母語話者、日本語教育実習、授業見学、教師の成長
1 研究目的
国際交流基金(2008)によると、現在海外で働く日本語教師(約 45,000 人)のうち、約 7 割
が日本語を母語としない日本語教師である。言語教師に要求されるのが、外国語習得の経
験があり、それに成功していること、学習者の母語と文化に詳しい知識があること
(Phillipson,1992)なのだとすれば、日本語非母語話者の日本語教師に対する期待は今後ます
ます高まっていくことが予想される。
しかし、日本語非母語話者の日本語教師が日本語教師教育を受けられる機会は限られて
いる。近年では、経験の浅い日本語教師に対する再教育も行われるようになったが、これ
から日本語教師を目指そうという日本語非母語話者向けの教師教育はほとんどない。
現在、日本国内の日本語教師養成系科目の多くは、日本語母語話者を念頭において考え
られたものである(堀,2007)。しかし、日本語非母語話者向けの教師養成系科目のシラバ
ス構築には、母語話者を念頭においた従来の教師養成系科目をそのまま援用することはで
きず、非母語話者の日本語教師ならではのメリットを生かすシラバスを構築することが必
要となる。そこで本研究では、日本語非母語話者向けの「日本語教育実習」のシラバス構
築のために、
教壇実習の準備として行った授業見学を中心に、
授業見学の効果を検討する。
授業見学が日本語を母語としない教育実習生にどのような変化をもたらすか、特に教授経
験のない実習生にとって授業見学のどのような点が「教師の成長」(Wallance, 1991)につな
がりうるか、検討する。
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2 分析の対象と方法
2.1 「日本語教育実習」における授業見学
本研究の分析の対象とするのは、文部科学省の日本語日本文化研修留学生向けに開講さ
れた研究科目の 1 つである「日本語教育実習」で行った授業見学である。
「日本語教育実習」
は週 1 コマ・1 学期間(15 週間)で実施される授業である。授業は、週 1 コマの演習形式の
授業と初級レベルの日本語の授業見学からなる。演習形式の授業では、教案を作成する演
習や模擬授業などを経て、直接法による教壇実習を行った。一方、初級レベルの日本語の
授業見学は、この演習形式の授業とは別の 1 コマを利用して、1 学期間継続して初級クラ
スの日本語の授業を見学するというものである。授業見学は教壇実習への準備の一環とし
て計画されたもので、
直接法で行われる初級レベルの授業の様子を知ることを目的とした。
実習生はこのような授業見学を少なくとも 10 回は経験するよう指示された。また、実習生
によっては、担当の日本語教師の指示により、文型や漢字の導入の補助を行ったり、小テ
ストの採点補助を行ったりした。
2.2 授業見学レポート
実習生には、毎回の授業見学後、授業見学レポートを作成し提出するよう指示した。授
業見学レポートには、見学した授業の簡単な流れの他、授業を見学した感想や気づきを自
由に記述してもらった。この見学した授業への自由記述のコメントを今回の分析対象とし
た。授業見学を行った実習生は、計 13 名(2013 年度~2015 年度)で、国籍はブルガリア・
中国・インド・韓国・トルコ・ベルギー・ミャンマー・ルーマニア・ベトナムと様々であ
った。実習生は全員、授業履修時点で日本語教授経験はなかった。
2.3 分析方法
本研究で分析の対象とするのは、2013 年度から 2015 年度の実習生 13 名の授業見学にお
けるレポートの内容である。各実習生の 10 回分のレポートのコメントは、延べ 340 回答で
あった。
回答は大谷(2008) の SCAT 法を用いてコメントをコーディングした。
SCAT 法は、
質的なデータを 4 ステップでコーディングしていく方法で、比較的小規模な質的データの
処理に適しているとされている。本研究では、SCAT 法でコーディングを行った後、 KJ
法を用いてその内容をグループ分けした。本研究では、実習生のコメントが授業見学を通
してどのように変化したか明らかにするために、各実習生のコメントを前半 5 回分と後半
5 回分に分け、コメントの種類とその割合、コメントの内容を量的・質的に分析した。
3 結果
3.1 実習生のコメントの内容
実習生13 名から得られた340 回答についてSCAT 法を用いてコーディングしたところ、
延べ 427 のコードが得られた。これらを KJ 法でグループ分けしたところ、10 のカテゴリ
ーに分けることができた。10 回分のコメントの 23.9%は「学生の様子」に着目したコメン
トで、この種のコメントが最も多かった。次に「教授法」についてのコメント(20.4%)、
「教
師のふるまい」についてのコメント(15.7%)が多く、以上の 3 カテゴリーのみで全てのコメ
ントの半数以上を占めていた。
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3.2 実習生のコメントの量的な変化
実習生のコメントは、授業見学前半と後半では量的にどのように変化したのだろうか。
図1は、実習生のコメントを授業見学前半 5 回分のコメント(延べ 221 コード)と後半 5 回
分のコメント(延べ 206 コード)を上記のカテゴリーごとに比較したものである。
図1 授業見学前半と後半の実習生によるコメントの量的変化
前半と後半ではコード数が異なるため、単純にコード数のみで比較することはできない
が、授業見学の前半と後半で大きくコメントの量が変化した点のみ取り上げる。まず、後
半より前半で多くコメントされていたこととして、
「教授法」と「授業全体への感想」が挙
げられる。これらは、授業を見学する際に比較的気づきやすい授業の大きな流れに関わる
ようなコメントである。本研究における実習生は授業見学するのが初めてであり、中には
日本へ留学するまでは直接法の授業を受けたことがない実習生もいた。そのため、授業の
大きな流れに目が向けられやすかったことが考えられる。一方、前半より後半で多くコメ
ントされていたこととして「学生の様子」と「実習への応用」が挙げられる。教壇実習が
近づき、具体的に実習のための教案を作成していく過程で、自分の実習において授業見学
で得た情報や気づきをどのように応用させていくか考える機会が増えていたと考えられる。
また、前半に比べ「学生の様子」へのコメントが増えていることも注目すべき変化だと言
える。見学している授業内の学生の様子に気づくには、授業の進め方と比較して、実習生
が授業の詳細にまで目をむける必要がある。以上のように、実習生のコメントの種類の量
的な変化を見ただけでも、実習生の授業見学の視点が授業の大きな流れだけでなく、授業
内で起こるやりとりや学生の様子に注目するものへと変化していることがうかがえる。
3.3 実習生のコメントの質的な変化
実習生のコメントは、授業見学前半と後半では質的にどのように変化したのだろうか。
実習生のコメントの内容をより詳細に分析する。
3.3.1 コメントの内容の精緻化
ここでは、前半・後半それぞれに見られた「学生の様子」と「教師のふるまい」を中心
とした実習生の記述を取り上げ、同じカテゴリーに分類されるコメントの内容に、どのよ
うな変化が見られるか質的に検討する。まず、授業見学の前半のコメントでは、次のよう
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なコメントが見られた。
【前半】
自動詞と他動詞を長く説明しないで、英語で説明するだけで、たくさん練習しました。
でも後で学生たちはいろいろ質問して、いろいろ大変でした。先生はそれでも笑顔で、動
詞を態度で見せながら説明してくれました。
前半のコメントには、例のように、教師や学生の様子をそのまま描写するような記述が目
立った。一方、授業見学の後半のコメントでは、次のようなコメントが見られた。
【後半】
学生の中で、少しレベルに差がある人がいるのに気付いた。それで、練習がちょっと難
しい学生には「先生役」をしてもらって、他の学生にいろいろ質問することがあった。そ
れはとてもいい考えだと思った。なぜかというと、そうしたらその学生にもっと話す機会
を与え、自分が遅れているという思いをさせない。
後半のコメントでは、授業で起こっている表面的なことを見ているだけでは気づくことが
できない、クラスでのレベル差にも言及されている。また、それに対する教師の対応とそ
の対応を実習生自身がどう考えるか、なぜそう思うのか、ということも詳細に記述されて
いる。このことからも、実習生の授業を見学する視点は精緻化していることが分かる。
3.3.2 授業見学の前半で見られた特徴的なコメント
実習生のコメントの中には、授業見学の前半で特徴的だと思われるコメントもあった。
【前半】
今回の授業見学では、ただ見るだけでなく、自分自身も教わりました。敬語の文法を具
体的に説明してくれたので、日本語の勉強にも役立ちました。
このコメントは、実習生が「日本語学習者」の 1 人として授業に参加しているかのようで
ある。全ての実習生が見学の前半でこのようにコメントしているわけではないが、他にも
「今日の授業では自分の中であいまいだった違いが分かってよかった」というコメントや
かつて受けていた日本語の初級の授業を再び受けることができ「懐かしかった」というコ
メントも見られた。このようなコメントが見られた要因としては、実習生が日本語非母語
話者であるというだけではなく、この日本語教育実習以外の場では日本語をブラッシュア
ップするために日本へ留学している日本語学習者であるということが影響していると考え
られる。また、次の例のように日本語を教えるために高い日本語能力が必要だとするコメ
ントも前半でみられた特徴的なコメントであった。
【前半】
片言でもすぐ意味を理解できることは、つまり、先生自身が相当な日本語能力を持たな
ければならないということだと思いました。母語話者じゃない先生だったら、もっと日本
語を完ぺきにさせないとなかなかできないと思いました。
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授業を見学することにより、非母語話者である実習生が日本語を教えるために必要なもの
は高い日本語能力であると認識していることが分かる。実習生の多くの日本語能力は上級
レベルであり、
実習に支障がない程度の日本語能力を持っていると言えるが、
実習生には、
母語話者教師の日本語の授業を見学することで、日本語能力を高める必要性を感じたと推
察される。しかし、このような教師に期待される日本語能力についてのコメントは、授業
見学前半では見られたが、授業見学後半では見られなくなった。
3.3.3 授業見学の後半で見られた特徴的なコメント
授業見学後半では、前半と比較して次の例のような特徴的なコメントをしていた。
【後半】
自分が初級の時を思い出した。私も皆さんのように間違えたことがある。
このコメントは、授業中に見られる学習者の練習問題での誤用から感じたことだという。
日本語非母語話者である実習生は日本語を学習した経験があるが、自分の習得過程での誤
用が一般的なものであるか、など意識する機会がなかったようである。今回授業見学を実
施したことで、数回の授業見学を通して次第に学習者の誤用と自分自身の学習経験を結び
付けて考えられるようになったと考えられる。この他に、授業見学後半で見られた特徴的
なコメントとして次のようなものがあった。
【後半】
「もう」
「まだ」と「もうありません/まだあります」の 2 つの文型は学生を困らせる
と思います。練習を繰り返しても、まだまだ上手に使えません。なんでだろう??多分、
みんなの母語ではこんな文型はないだろうと思う。英語で考えてみれば、確かに、以前の
2 つの文型と同じ意味を表す英語の文型がありますが、2 つの文型の形は全く違います。
このコメントから、学習者が混乱しやすい表現について、なぜそれが難しいか、その理由
を学習者の学習経験のある言語(英語)と比較して考えようとしている様子がうかがえる。
学習者の誤用が多いことのみを指摘したコメントは授業見学の前半でも見られたが、その
理由を実習生なりに解釈したり、学習者の誤用から類似する表現の違いを考えたりするコ
メントは授業見学後半になって見られるようになった。
4 総合考察
本研究では、実習生の授業見学レポートの内容分析を通して、実習生が授業見学でどの
ように変化し、成長したかを明らかにした。授業見学に関するコメントは、量的にも質的
にも授業見学前半と後半では変化していることが分かった。これらの実習生によるコメン
トの変化は、実習生の授業への視点の変化であると捉えることができる。
実習生の授業見学の視点は、前半では授業の大きな流れに目が向けられていることが特
徴的であった。コメントの内容も、授業で起こったことが順番に記述されていることが多
く、そこに実習生自身の解釈が加えられることはほとんどなかった。中には、日本語学習
者と同じような視点で授業を観察していると思われる部分もあった。一方、授業見学の後
半では、授業で起こったことの理由を考え、それに対する評価を加えたコメントが目立っ
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た。さらに、学習者の誤用を通して実習生自身の学習経験を振り返る機会を得たり、学習
者の誤用が起こる原因から日本語を客観的に見たりするコメントが見られるようになった。
以上のような実習生のコメントの変化から、授業見学を通して、実習生には授業を客観的
に見て分析する視点が加わったと言える。これは、教壇実習の準備の一環として授業見学
が有益であっただけではなく、実習生の日本語教師としての成長の第一歩と捉えることが
できる。
さらに、本研究で対象とした実習生のように、日本語を母語としない日本語教師養成に
は、授業を客観的に観察する視点を養うというステップは重要なものである。阿部・横山
(1991)では、ノンネイティブ日本語教師は自身の日本語教育を行う上での長所を「学習者
の母語ができること」であり、短所を「日本語能力の不足」であると考えていると報告し
ている。本研究で対象とした実習生も、授業見学の前半では、非母語話者である実習生が
日本語を教えるために必要なものは高い日本語能力であると認識し、教師の日本語能力に
目が向けられる傾向にあった。しかし、授業見学を継続的に行っていくうちに、自分の日
本語学習経験を振り返り、学習者の誤用の傾向から、どのような点が学習者に難しいのか
を分析できるようになった。このように自分の日本語学習経験と学習者の誤用や習得状況
を関連付けて考えることができることは、日本語を母語としない日本語教師の教育上のメ
リットであると言える。日本語非母語話者で、特に日本語教授経験がない本研究における
実習生は、
そのような非母語話者ならではの教育上のメリットを持ち合わせていながらも、
それらに気づきにくかったと考えられる。このように授業見学は、実習生にとって、ノン
ネイティブ日本語教師としての自分自身の長所への気づきを促進するものでもあったと言
える。
しかし,本研究で対象とした実習生はわずか 13 名であった。彼らの授業見学を通じて得
た気づきが、すべての非母語話者の実習生に対して一般化できるわけではない。また、コ
メントの内容には個人差もあるため、今後もデータを増やし検討を続けることは今後の課
題である。さらに、実習生にとって授業見学がより有益なものになるために、実習担当の
教師が授業見学にあたって実習生の気づきをどう促進すべきか、検討する必要がある。
<参考文献>
Phillipson, R. (1992) Linguistic imperialism. Oxford University Press.
Wallace, M. J. (1991) Training foreign language teacher: A reflective approach. Cambridge:
Cambridge University Press.
阿部洋子・横山紀子(1991)「海外日本語教師長期研修の課題-外国人日本語教師の利点を
生かした教授法を求めて-」
『日本語国際センター紀要』1, pp.53-74.
大谷尚(2008)「4 ステップコーディングによる質的データ分析手法 SCAT の提案-着手しや
すく小規模データにも適用可能な理論化の手続き」
『名古屋大学大学院教育発達科学研
究科紀要(教育科学)』54(2), pp.27-44.
国際交流基金(2008)『海外の日本語教育機関調査』
< http://www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/result/index.html. >
堀恵子(2007)「日本語母語話者と非母語話者とが共存する教育実習のあり方を探る-麗澤
大学大学院における教育実習受講者に対する調査から-」藤原雅憲・堀恵子・西村よ
しみ・才田いずみ・内山潤編『大学における日本語教育の構築と展開』pp.199-219,ひ
つじ書房.
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