「新羅見登」 の活動について - J

印度學 佛教學 研 究第50巻 第2号
平 成14年3月
(225)
「
新 羅見 登 」の活 動 につ い て
崔鈆
植
1.問 題 の 所 在
見 登 は 日本 の 仏 教 文 献 に は 「
新 羅見 登」(『 東域伝 灯 目録』『起信論本疏聴 集記』)と
記 さ れ,ま た 日本 の華 厳 宗 の 祖 師 を記 す 系 譜 図 に は,「 元 暁 ・太 賢 ・表 員 ・見 登 」
と次 第 す る新 羅 系 の華 厳 宗 の 祖 師 の 一 人 に数 え られ て い る.ま た,彼 の著 作 と伝
わる 『
華 厳 一 乗 成 仏 妙 義 』 と 『大 乗 起 信 論 同 異 略集 』 に も著 者 を 「
青丘沙門見登」
と して い る.た だ,彼
の活 動 状 況 につ いて は,韓 国 と日本 の どち らに も彼 の 具体
的 な行 蹟 に 関 す る資 料 が 発 見 され て い な い た め に知 られ て い な い.
見 登 に 関 す る従 来 見 解 は お お む ね彼 を8世 紀 こ ろに 活 動 した人 物 と見 て,思 想
的 に は元 暁 の思 想 を継 承 した 人 物 と して 位 置 づ け た り1),あ るい は元 暁 と法 蔵 の 思
想 を総 合 した一 連 の新 羅 の僧 侶 の 中 の 一 人 と評 価 して い る.2)
本 稿 で は,彼 の 著 作 と伝 わ る文 献 を 具 体 的 に検 討 した 結 果 と して,著 作 の真 偽
問 題 を は じめ,彼
の行 跡 と思想 傾 向 な どにっ い て従 来 とは異 な っ た見 解 を提 示 す
る.加 えて それ は,資 料 の不 足 か ら不 明 な 点 が 多 い8世 紀 か ら10世 紀 もか けて の
新 羅 と 日本 の 仏 教 の解 明 に重 要 な 視 点 を提 示 し,従 来 説 を少 なか らず 変 更 す る も
の とな ろ う.
2.著
作 の再 検討
見 登 の著 作 と確 認 で き るの は,①
集 』,③
『華 厳 一乗 成 仏 妙 義 』,② 『
大乗起信論 同異略
『大 乗 起 信 論 同 玄 章 』,④ 『(香象大 師)真 影 銘 』 で あ り,こ の 中 で現 存 す
る の は① 『華 厳 一 乗 成 仏 妙 義 』 と② 『大 乗 起 信 論 同 異略 集 』 で あ る.
この 中,②
『大 乗 起 信 論 同 異 略 集 』 は実 際 に は見 登 の 著 作 で は な く,8世
紀後
半 の奈 良華 厳 学 の代 表 的 な 人物 の 中 の一 人 智 憬 の著 述 で あ る こ とが確 認 され て い
る.日 本 の 初 期 の仏 典 目録 で あ る 『華 厳 宗 章 疏 井 因 明録 』 と 『
東 域 伝 灯 目録 』,お
よび凝 然 『五教 章 通 路 記 』 で は智 憬 を本 書 の著 作 として い る ほか,『 大 乗起 信 論 同
812
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「
新 羅 見 登 」の 活 動 に つ い て(崔)
異 略 集 』 自体 に 「
憬 」 とい う著 者 の名 前 が 明 示 て い るた めで あ る.併 せ て,序
に
著 者 の 師 匠 として 言 及 され て い る 「
鐘 山 僧 統 」 も 「(金)鐘 山 寺 の 僧 統 」 と して い
る点 か ら,こ れ が 東 大 寺 の 前 身 で あ る金 鐘 山寺 の 開創 者 の 良 弁 と見 られ る.こ れ
は古 文 書 資 料 に智 憬 が 良 弁 の 沙 弥 で あ っ た とい う記 録 と も附 合 す る.
ま た,本 書 の 成 立 を め ぐ る智 憬 と見 登 との関 係 に つ い て は,智 憬 の原 著 に見 登
が一 部 分 内容 を補 っ た とい う見 解 も あ るが3),実 際 に本 文 を分 析 した結 果,後 代 の
補 と見 られ る部 分 は確 認 さ れ な い た め,現 在 伝 わ る 『大 乗 起 信 論 同 異 略 集 』 は智
憬 の著 作 が そ の ま ま伝 わ っ て い る と見 るの が 妥 当 と思 わ れ る.4)
したが っ て,現 在,見 登 の 著 作 と して 確 実 な も の は① 『華 厳 一 乗 成 仏 妙 義 』(以
下 『
成仏 妙義』)だ けで あ り,こ の ほ か に は 『(香象大師)真 影 銘 』 の 逸 文 が 後 代 の
書 籍 に 引用 され て い る にす ぎ な い.以 下 で は 『成 仏 妙 義 』 を 中 心 と して,見 登 の
行 跡 と思 想 傾 向 に対 して検 討 を加 え る.
3.『 華 厳 一 乗 成 仏 妙 義 』 の 著 述 地 域
見登 は 「
新 羅 見 登 」,「青 丘 沙 門見 登」と
呼 ぼれ て い る が,活 動 範 囲 が 新 羅 に の
み 限定 さ れ る もの で は な い よ うで あ る.『成 仏 妙 義 』の 内容 を分 析 した結 果,以 下
の三 点 か ら 日本 で著 述 され た可 能 性 が 高 い.
第 一 に,『 成 仏 妙 義 』 で は奈 良 時 代 の 日本 の華 厳 学 者 で あ る寿 霊 の 『五 教 章 指
事 』 を 引用 して い るが,新 羅 僧 侶 の 著 述 に 日本 人 の著 述 が 引 用 され る とい う この
よ うな事 例 は,他 に は発 見 さ れ て い な い.も
新 羅 に 留学 した 事 実 が 確 認 さ れ るの で,彼
ち ろ ん奈 良 時代 に 日本 の 僧 侶 た ち が
ら に よ り 『五 教 章 指 事 』 を は じめ とす
る 日本 の華 厳 学 の 著 述 が 新 羅 に受 用 され た可 能 性 も あ るが,寿 霊 の 著 述 を 国や 著
者 を 明 示 せ ず 単 純 に 「指 事 」 と表 現 し な が ら,一.方 で は 新 羅 人 に よ る 『孔 目章 』
の註 釈 書 を 「
新 羅 記 」 あ るい は 「
青 丘 記 」 と呼 ん で お り,こ れ に よ り 『成 仏 妙 義 』
が 新 羅 で は な く日本 で著 述 され た 可 能 性 が 高 い と考 え られ る.
第 二 に,『 成 仏 妙 義』 で は法 蔵 を 「
香 象 」 と呼 ん で い る.こ れ は 日本 だ け に見 ら
れ,中 国 や韓 国 に は 見 え な い 表 現 で あ る.「香 象 」 を使 っ て い る文 献 は見 登 の著 述
を除 け ば全 て 日本 の撰 述 で あ り,日 本 以 外 の 文 献 で は1箇 所 も見 え な い.
第 三 に,『 成 仏 妙 義 』 で は 『華 厳 経 問答 』 が 法 蔵 の 著 述 と して 引用 され て い る
が,こ
の書 物 は義 相 の弟 子 で あ る智 通 が 師 の講 義 を記 録 した 『智 通 問 答 』 と同 じ
内容 が 多 く,従 って 智 通 の著 作,或
容 を記 録 した 義 相 の講 義 録 か,そ
い は,智 通 と異 な る義相 の 弟 子 が 類 似 した 内
れ を更 に編 集 した も の5)と 推 定 され て い る.こ
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の書 物 を 法 蔵 の著 述 と して 引 用 す る こ とが で き るの は,こ れ と似 た 内 容 を有 す る
義 相 の講 義 録 の存 在 を知 らな い 地 域 で は可 能 で あ ろ うが,義 相 系 の僧 侶 た ち が 活
躍 して い た 新 羅 で そ う した見 解 を出 す の は 困難 と考 え られ る.加 え て現 行 の 『華
厳 経 問答 』 が新 羅 や 中 国 の 仏 教 界 に知 られ て い た痕 跡 は見 つ か っ て い な い.
以上 の こ とか ら 『成 仏 妙 義 』 が 日本 で 著 述 さ れ た とす る な らば,著 者 の 見 登 が
日本 で も活 躍 した 人物 と見 るの は必 定 で あ ろ う.「新 羅 見 登 」 あ るい は 「
青丘沙門
見 登 」 と呼 ぼ れ る よ うに,彼 が 新 羅 と関 係 を有 して い た こ とは確 実 で あ り,彼 は
両 国 と緊 密 な 関係 を持 っ て い た 人 物,す な わ ち,新 羅 出 身 で 日本 に渡 り活 躍 した 渡
来 僧 で あ る可 能 性 が高 い と考 え られ る.た だ,日 本 古代 の 僧 侶 の 中 で 「新 羅 学 生 」,
「新 羅 学 問(僧)」
と呼 ぼ れ る人 達 が,日 本 の 出 身 と考 え られ るケ ー ス も有 る こ と
を考 慮 す るな ら ば,日 本 出身 で あ り新 羅 に留 学 した僧 侶 の 可 能 性 も考 慮 す るべ き
で あ ろ う.
4.『 華 厳 一 乗 成 仏 妙 義 』 と義 相 系 華 厳 思 想
『成 仏 妙 義 』 は,華 厳 の 立場 か ら成 仏 間題 を論 じた書 物 で あ り,そ こに は義相 系
の華 厳 思 想 の影 響 が 強 く現 れ て い る.『成 仏 妙 義 』の 引用 文 献 の 中 で 重 要 な もの と
して,法 蔵 の 『探 玄 記 』 『五 教 章 』,智 儼 の 『孔 目章 』 『五 十 要 問 答 』 な どが あ げ ら
れ る が,そ れ に劣 らず 重 要 な役 割 を も って 引用 さ れ る文 献 と して,義 相 系 の華 厳
学 と深 く関連 す る 『華 厳 経 問答 』 と 『新 羅 記 』(或 い は 『青 丘 記 』)を 指 摘 す る こ
とが で き る.
この 中 『新 羅 記 』 は,智 儼 『孔 目章 』 の解 説 書 で あ る 『孔 目章 記 』 と見 られ,
『
成 仏 妙 義 』 全 体 の論 理 の 流 れ を主 導 す る重要 な 書 と して 引用 され て い る.『 成 仏
妙義』 には 『
新 羅 記 』 の著 者 は 明 示 され な い が,『 新 羅 記 』 の 中 で 義相 を 「
相徳」
と呼 ん だ り,義 相 の 『法 界 図文 』 を 引 用 して い る こ とか ら,義 相 系 の人 物 の著 作
と考 え られ る.『 孔 目章 』 に対 す る新 羅 人 の 注 釈 書 と して は,日 本 の仏 典 目録 に 記
録 され た新 羅 僧 侶 の 珍 嵩 の 『孔 目章 記 』 が 唯 一 で あ り,彼 に は他 に 『法 界 図 』 の
注 釈 書 が あ る点 か ら,『 成 仏 妙 義 』 に 引用 さ れ た 『新 羅 記 』 は珍 嵩 の 『孔 目章 記 』
の 可 能 性 が 高 い.
一 方 ,『 華 厳 経 問 答 』 は,前 述 した よ うに,義 相 の弟 子 智 通 が 師 匠 の講 義 を記 録
した 『智 通 問 答 』 と同 じ内容 が 多 く,全 体 的 に義 相 系華 厳 思 想 を反 映 した著 作 と
評 価 され て い る.以 上 の よ う に,『成 仏 妙 義 』 の 中で は義 相 系 の文 献 が重 要 な役 割
を果 た して い る.そ れ に 対 し,8世
紀 の 日本 の 仏 教 界 に重 要 な 影 響 を与 え た元 暁
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「新 羅 見 登 」の 活 動 に つ い て(崔)
は,そ れ ほ ど重 要 な もの と して 引用 さ れ て お らず ,わ ず か に 『劫 義 』 が2度 引用
され る に止 ま る.そ れ に引 用 す る際 の 呼称 も 「
元 暁 和 尚」,「 暁 」 な どで あ り,法
蔵 と義 相 を それ ぞ れ 「
香 象 」,「相 徳 」 と呼 ぶ の に比 べ る と,ど う して も尊 敬 を表
す度 合 い が低 い よ う に考 え られ る.
5.結
び:日
本 華 厳 学 に お け る見 登 の 位 置 付 け
日本 の華 厳 学 は,新 羅 に学 ん だ 審 祥 に よ りそ の基 礎 が 樹 立 さ れ る が,彼 の 華 厳
思 想 は 法 蔵 と元 暁 の思 想 に基 づ くも の で あ っ た.奈 良 時 代 の代 表 的 な華 厳 学 者 で
あ る智 憬 と寿 霊 の思 想 傾 向 も これ と同様 で あ る.こ れ に対 して 義 相 系 の 思 想 の 影
響 は微 々 た る も の で あ り,8世
紀 中 葉 ま で に 日本 に伝 来 した 新 羅 華 厳 学 に 関連 す
る著 作 の 中 で 義 相 系 の も の は 『法 界 図 』 以 外 に は な く,そ れ さ え も奈 良 時代 の 華
厳 学 者 た ち の著 作 に は 引 用 され て い ない.
この よ うな 点 か ら,見 登 は 日本 に義 相 系 の華 厳 思想 を最 初 に本 格 的 に伝 え た 人
物 で あ る とい う意 味 を有 して い る と言 え る.彼 が 『
成 仏 妙 義 』 に 引用 す る 『華 厳
経 問 答 』 と 『新 羅 記 』 な どは,義 相 系 の華 厳 思想 の 内 容 を含 ん で お り,そ れ 以 後
の 日本 の 仏 教 界 に少 なか らず 影 響 を及 ぼ した.以 後 の 日本 に お け る義 相 系華 厳 思
想 は見 澄 の著 述 に 言及 され た 範 囲 を出 て い な い の で あ る.
1)高
翊晋 『
韓 国 古 代 仏 教 思 想 史 』(ソ ウル,一 九 八 九 年),金
究 』(ソ ウ ル,一 九 九 一 年)2)吉
相鉱 『
新 羅華厳思想史研
津宜英 「
新 羅 の華 厳 教 学 へ の一 視 点一 元 暁 ・
法蔵 融合
形 態 を め ぐっ て一 」(『韓 国 仏 教 学SEMINAR』
第2号,一
乗 起 信 論 之研 究 』(金 尾 文 淵 堂,一 一九 三 五 年)4)崔鈆
者 にっ い て」(『駒 沢 短 期 大 学 仏 教 論 集 』第7号,二
ユ異本 『
華 厳 経 問 答 』」(『韓 国 学 報 』84,ソ
九 八 六 年)3)望
植
月信 亨 『
大
「
『大 乗 起 信 論 同異 略 集 』 の著
〇 〇 一 年)5)金
ウル,一 九 九 六 年),石
相鉱 「
『錐 洞 記 』
井公 成 『
華 厳 思 想 の研
究 』(春 秋 社,一 九 九 六 年)
(本稿 は,平 成12年
度 及 び13年
度 科 学 研 究 費特 別 研 究 員 奨 励 費 に よ る研 究 成 果 の一
一部 で
あ る.)
〈キ ー ワ ー ド〉 見 登,珍 嵩,智 憬,『 華 厳 一 乗 成 仏 妙 義 』,『華 厳 経 問 答 』,『大 乗 起 信 論 同
異 略集 』
(ソ ウル大 学 文 博,日 本 学 術 振 興 会 外 国人 特 別 研 究 員)
809