解答用別紙 要 不要 担当者 田嶋 信雄 科目名 国際政治史 成 城 大 法 点 クラス番 学籍番号 学部 配当 評 学 試験用紙 学部 2-4 年 号 組 年 氏名 - 1. 参照不可 【設問 A】以下の文章を読み、設問に答えよ(各3点×10問=20点) 。 1)日独戦争で日本海軍がドイツ海軍と交戦した場所を1カ所選び、記号で答えよ。 あ)アメリカ東海岸 い)地中海 う)喜望峰沖 え)インド洋 お)マゼラン海峡 か)北大西洋 2)パリ講和会議で「5大国」とされた国の組み合わせで正しいものはどれか。記号で答えよ。 あ)イギリス ドイツ い)イギリス フランス フランス ソ連 ソ連 アメリカ う)イギリス ドイツ アメリカ 日本 え)イギリス ドイツ ソ連 アメリカ 日本 アメリカ イタリア 日本 お)イギリス フランス イタリア アメリカ か)イギリス フランス アメリカ ソ連 日本 中国 3)アメリカ太平洋艦隊司令長官クーンツはオーストラリアへの大航海演習を行ったが、この訓練は太平洋渡洋作戦を実証するためであった。 太平洋渡洋作戦が本来目指していた場所はどこか。記号で答えよ。 あ)台湾 い)グアム う)沖縄 え)フィリピン お)サイパン 4)「革命いまだ成らず」は誰の遺書に書かれていたものか。以下の人名から選び、記号で答えよ。 あ)袁世凱 い)孫文 う)蒋介石 え)毛沢東 お)周恩来 5)「関東軍」とはどのような軍隊か。以下のうち正しいものを1つ選び、記号で答えよ。 あ)日清戦争の結果として得た権益を守るために生まれた軍隊である。 い)満洲国の皇位継承問題に介入した軍隊である。 う)盧溝橋事件を引き起こした軍隊である。 え)南京事件を引き起こした軍隊である。 お)主として群馬県、栃木県など関東地方から召集された軍隊である。 6)「226事件」の記述で正しいものはどれか。以下の中から一つ選び、記号で答えよ。 あ)1935年2月26日に発生した大規模なクーデター計画であった。 い)昭和天皇は決起した青年将校たちに激しい怒りを覚え、クーデターの鎮圧を命じた。 う)陸軍内部ではそれまで対立していた皇道派と統制派が一致して決起部隊の鎮圧にあたった。 え)軍法会議は荒木貞夫、真崎甚三郎ら決起部隊の首謀者に死刑を含む厳しい判決を下した。 お)香椎浩平東京警備司令官は決起部隊を陰に支持したとして起訴され、有罪の判決を受けた。 7)日独防共協定について、以下のうち誤っているものを一つ選び、記号で答えよ。 あ)ドイツ側でこの協定構想を推進したのはヒトラーとドイツ外務省だった。 い)日中戦争の起こる前に締結された。 う)ソ連のスパイに交渉過程が漏れていた。 え)ドイツは当初「日独ポーランド」同盟を提案した。 お)イギリスは当時反共産主義の立場を取っていたにもかかわらず、イギリス外務省は日独防共協定に批判的であった。 8)1936年12月の西安事件で、スターリンと毛沢東はどのような態度を取ったか。以下の中から正しいものを選び、記号で答えよ。 あ) 「大長征」という軍事的敗北を強いられていた毛沢東は、張学良による蔣介石逮捕を奇貨として、蔣介石の処刑を主張し、ソ連のスターリ ンも、国際共産主義運における連帯の立場からこれを支持した。 い)毛沢東は1935年8月1日に発した「八・一宣言」での「一致抗日」の方針から蔣介石の釈放を主張したが、スターリンは国際共産主 義運動を推進する立場から蔣介石の処刑を求めた。 う)毛沢東は蔣介石の逮捕を「大長征」での敗北を政治的に挽回するチャンスと見なし、蔣介石の処刑を主張したが、スターリンは蔣介石の 抗日戦争での指導性を重視する立場からこれに反対した。 え)毛沢東もスターリンも、コミンテルン第7回大会および「八・一宣言」の立場および抗日戦争における蔣介石の指導性を重視する立場か ら蔣介石の釈放を一致して主張した。 お)スターリンは蔣介石の抗日戦争での指導性を重視する立場から蔣介石の釈放を支持する立場を表明したが、当時の毛沢東は中国奥地であ る延安で国際的にも孤立していたため、明確な方針を出すことが出来なかった。 9)日中戦争が勃発したとき、ドイツ側ではどのような反応があったか。以下の中から正しいものを選び、記号で答えよ。 あ)ドイツ側では、ヒトラーも外務省も国防省も、1936年11月に締結した日独防共協定の立場から日本を支持し、日本に外交的な支援 を与えた。 い)日中戦争が結果的に中国での国共合作を促進したことから、ドイツ側では、ヒトラーも外務省も国防省も、 「日中戦争は日独防共協定の精 神に反する」として日本を非難した。 う)ドイツ側ではヒトラーが日独防共協定の立場から日本の中国における軍事行動を支持したが、外務省と国防省は、ドイツの中国における 権益を擁護する立場から中立の立場を取った。 え)ドイツ側ではヒトラーと外務省が日独防共協定の立場から日本の中国における軍事行動を支持したが、国防省は蔣介石政権を支持する立 場を取った。 お)ドイツ側では外務省が「防共協定の精神に反する」として日本の中国における軍事行動を非難したが、ヒトラーは中立政策を模索し、国 防軍は蔣介石政権への武器輸出を継続する立場を取った。 10)日中戦争に関し、以下の記述の中から誤ったものを選び、記号で答えよ。 あ)日本政府は中国に対し宣戦布告をしたものの、短期間の戦いで中国政府および軍は屈服すると考えていた。 い)上海戦で戦った中国軍は、ドイツ式ヘルメットをかぶり、ドイツ軍事顧問団長ファルケンハウゼンが育成した軍隊であった。 う)日本の参謀本部は当初政令線により戦場を上海周辺に厳しく限定し、それ以上の拡大を許さなかった。 え)日中の間ではトラウトマン工作と呼ばれる和平工作が進展していたが、失敗し、1938年1月には近衛内閣が「国民政府を対手とせず」 という声明を発した。 お)日本政府(外務省)は、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないとの立場 を取っている。 【設問 B】 以下の問いのうち、4つを選び、それぞれ3行程度で説明しなさい(10点×4=40点) 1)日本の「伊号潜水艦」とドイツの「U ボート」の関係について、簡単に述べなさい。 2)タングステンの軍事的・戦略的価値について、簡単に述べなさい。 3)青島ビールについて、簡単に述べなさい。 4)日本で最初にベートーベンの「第9」を演奏した人たちはどういう人たちか。簡単に述べなさい。 5)ヒトラーは『我が闘争』で日本(人)をどう見ていたか。簡単に述べなさい。 6)コミンテルン第7回大会について、簡単に述べなさい。 7)「月月火水木金金」について、簡単に述べなさい。 8)「大長征」について、簡単に述べなさい。
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