211 平 和研 究 と価値 志 向 山 崎 純 一 は じめに 今 目,平 和研 究 は大 きな転換 期 を迎 えつつ あ る。 これ まで平 和研 究 は多 くの 理 論 的 蓄積 を行 ない,さ ま ざまな形 でそ れ を世 に問 うて きた。 しか し,そ れ ら の成 果 に対 して,政 策 決 定者 か らは理 想 論 で あ る との批 判 が,平 和 運 動 や民 衆 の側 か らは抽 象 的 す ぎ る との評 価 が され て きた 。現 在維 持 と自 らの既 得権 の擁 護 を目的 とす る政 策決 定 者 は ともか く,平 和研 究 が本 来 そ の担 い手 と見 なす運 動 や民 衆 か らの批 判 には謙 虚 に耳 を傾 けね ば な らな い。 ところで,こ の よ うに さま ざま な批 判 が投 げか け られ るのは,平 和 研 究 が他 の社 会科 学 に比 べ て,平 和 とい う普 遍 的 な価 値 を よ り強 く志 向す るか らで あ る。 他 の社 会 科 学 も何 らか の価値 を志 向す るが,平 和研 究 が 目的 とす る平和 とい う価 値 は,全 人 類 の生 存 と幸 福 とい う不 可欠 で緊急 かっ 普 遍 的 な もの で あ る。 そ れ だ けに,平 和 研 究 は 他 の社会 科 学 よ りも強 い 実践 との結 びつ き を要 請 され るので あ る。 こ こに,科 学 と して の客 観性 を保 ちつ つ,価 値 を現 実化 す る とい う社 会 科 学 す べ て に共 通 す るア ポ リア が,最 も先鋭 的 に平 和研 究 に課 せ られ るゆ えん が あ る ので あ る。 本 稿 の 目的 は,平 和 憲 法 と被 爆体 験 に よ る反核 意識 とい う強 力 な価 値 志 向 を も つ 日本 の平 和研 究 が,こ の ア ポ リア をい か に克服 すべ き か を,そ の歴 史 的歩 み の 中で検 討 す る こ とで あ る。 1.「 平 和 問 題 談 話 会 」 1948年7月,ユ 草創期 ネ ス コ か ら 「平 和 の た め に社 会 科 学 者 は か く訴 え る」 との 声 212 明 が出 され た。 日本 の平 和 研 究 は この声 明 に触 発 され て始 まっ た。 ユ ネ ス コの 呼 び か け に応 じて 「鉄 の カー テ ン」 の両 側 か ら集 った8人 の社 会科 学者1)が ・ 思 想的 ・政 治 的 立場 を こえて 「戦 争 をひ きお こす 緊迫 の原 因 に関 して」 共 通 の 了解 に達 した とい う意 味 で,こ の声 明 は画期 的 な もので あ った 。声 明 の内容 は 12項 目か らな ってい る2)。 そ れ に よれ ば,戦 争 は 「人 間性 」 そ の もの に内在 す る もので は ない こ と,そ れ故 に,平 和 の 問題 は,緊 迫 や侵 略 を統 御 可 能 な範 囲 に抑 え,最 大 限 の社 会 的正 義 が行 なわれ る よ うに近 代 的生 産 力 や 資源 の利 用 を 計 画 し調 整 す る こ とで あ り,人 々 の思 想 か ら国家的 自負 の神 話 ・伝統 ・象 徴 を 取 り除 くこ とで あ る とされ た。 そ の手段 として,正 しい教 育,大 量的 通 信手 段 の善 用 に よ る他 の諸 国民 に対 す る正 しい理 解 の促進 ・植 民 地的 搾 取や 少 数畏 族 圧 迫 の排 除 が挙 げ られ てい る。 ま た,政 治指 導 者 が 自 らの 目的 の た め に利用 す る似 而 非科 学 的理 論 に対 して,社 会 科 学者 が国家 や イ デ オ ロギーや 階級 の相 違 を こえ て連 帯 す べ き こ とが強 調 され,そ の具 体 案 と して,国 際的 規模 で の社 会 科 学 者 の協 力 に よ る国際 大学 や 世界 的 社 会 科学 研 究所 の創 立 が提 唱 され て い る・ 最後 に,今 日の科 学 的成 果 を善 用 す るた め に,「 人 間 の学 」 た る社 会諸 科 学 が 重 要 な役割 を もつ こ と,そ の頼 も しい 兆候 の一 つ と して ・諸 科 学 問 の障 壁 が ・ そ の直面 す る共 通 の問題 に出合 って崩 れ つっ あ る こ とが指 摘 され て い る。 この声 明 は,戦 争抑 止 と社会 的 正義 実現 に向 か って学 際 的研 究 を進 め る とい う,今 日の平和 研 究 のあ り方 を見 事 に先 取 りして い る とい え よ う・ また・社 会 科 学者 が,第2次 世 界大 戦 とい う人類 未 曽有 の試 練 を経 て・ そ の専 門別 閉 塞性 へ深 刻 な反省 の 目を向 けた こ とは注 目され ね ば な らな い。 この声 明 は ・専 門化 に よる閉塞 性 を特徴 とす る西 欧 的科 学 の あ り方 へ の反省 か ら生 まれ た と もい え る。 ユ ネ ス コの声 明 は 日本 の知 識 人 へ強力 な刺 激 を与 え た。1948年 秋 『世 界 』編 1)当 時 の 日本 で は,オ だ け で,他 の5名 ー ル ポ ー ト,ギ ュ ル ヴ ィ ッ チ,ホ は未 知 で あ っ た 。 専 門 別 で は,社 ル ク ハ イ マ ー が 知 られ て い る 会 学 関 係4名,心 理 学精神 医学 関 係3名,哲 学1名 で あ り,国 籍 別 で は,東 欧 の ハ ン ガ リー1名,第3世 界 の ブ ラ ジル 1名 を の ぞ い て,他 の6名 は す べ て 西 側 諸 国 で あ り,こ れ ら の 人 々 が 全 世 界 の 社 会 科 学 者 の 代 表 と は い え な い 。 し か し,こ れ は 今 日 の 時 点 で の 評 価 で あ っ て,1948年 と して の 歴 史 的 意 義 を 損 な う も の で は な い 。 2)「 平 和 の た め に 社 会 科 学 者 は か く訴 え る 」,『世 界 』,1949年1月 号。 当時 平和研究 と価値志向2ヱ3 集 部 の仲 介 に よ り,安 倍 能 成,大 内兵 衛,仁 科 芳雄 の3名 が発起 人 とな り,59 名 の科 学者 が この声 明 を検 討 す べ く7部 会 か らな る研 究 を数 度 開催 した 。 この 研 究 会 に は,志 賀 直哉,山 本 有 三,河 盛 好蔵 等 の文学 者 も傍 聴者 と して出席 し た とい う。 ユ ネ ス コの声 明 が社 会科 学者 だ けで起 草 され た の に対 して,日 本 の 反 応 は 自然科 学 者 や文 学者 も含 ん だ全知 識 人 の運 動 と して起 こ った ので あ る。 この研 究 会 の成 果 は,1943年3月 号 の 『世界 」 に 「戦 争 と平 和 に関 す る 日本 の科 学 者 の声 明」 と して発 表 され た。 この声 明 は10項 目か らな って お り,大 筋 で は ユ ネ ス コの声 明 に沿 ってい るが,よ り具 体 的 で あ る とい え る。 つ ま り,日 本 国憲 法 が戦 争権 を放 棄 してい る こ と,ユ ネ ス コ声 明 が娩 曲 に か あ るい は全 く 触 れ て い なか っ た米 ソを頂 点 とす る 「二 つ の世 界 」 の存 在,将 来 の戦 争 は必 然 的 に原 子力 戦 で あ るか ら 「もはや 戦争 は完 全 に 時代 に取 り残 され た方法 と化 し てい る」 こ とが明記 され てい るので あ る。 日本 の平 和研 究 は,そ の出発 に際 し て,平 和 憲 法 と核 戦 争反 対 とい う原 点 を確 立 して い た ので あ る。 こ の声 明 が 出 され た直 後,こ の研 究会 は 「平 和 問題 談 話 会」 に発 展 した。 そ の頃 か ら,講 和 と講 和後 の保 障 が大 きな政 治 問題 とな って いた。 「談 話 会 」 は これ に応 え る形 で,50年1月,「 講 和 問題 につ い て の平 和 問題 談話 会声 明3)」を 出 した。 この声 明 に は,「 講 和 は必 然的 に全 面 講 和 た るべ き」 こ と,安 全 保 障 につ い て は 中立不 可侵,国 連加 盟 を希 望 す る こ と,そ して 「い かな る国 に対 し て も軍 事基 地 を与 え る こ とに は,絶 対 に反 対 す る」 とい う主 張 が述 べ られ てい る。 その主 張 の背 景 と して,国 際政 治 の動 向 に翻弄 され るので は な く,憲 法 の 平 和 精神 に基 づ い て 「二 つ の世 界 の調 和 をは か る とい う積 極 的 態 度」 の必 要 が 強 調 され て い る。 この声 明 は,「 二 つ の世 界 」 の 中 で の中立 とい う 「談 話 会 」 の原 理 的 態度 を明確 に した もの で あ るが,そ の他 に,講 和 問題 を二 つ の世 界 の 平 和 共 存 とい う広 い視 野 か ら論 じて い るこ と,ま た,平 和 を志 向す る構 想力 に よ って具体 案 を提 示 してい る こ とが注 目されね ば な らない 。先 の声 明 にお け る 平 和 憲 法 と核 戦 争反 対 が 「談話 会 」 の価値 レヴ ェル の原 点 とす れ ば,国 際 的視 野 と構 想 力 の駆 使 は方 法 レヴ ェル の原 点 とい え よ う。 1950年6月,朝 鮮 半 島 に戦 い が勃 発 し,国 際 政 治 が緊 張 の度 を高 め る と・ 同 3)「 講i和問 題 に つ い て の 平 和 問 題 談 話 会 声 明 」,r世 界 』,1950年3、 月号 。 2ヱ4 年9月 ・「談話 会 」 は研 究報 告 「三 た び平 和 につ い て4)」を世 に問 うた 。事 実 上, この報 告 の草 案 を執筆 した のは丸 山真 男 だ った とい う5)。 こ の報 告 は4つ の章 か らな る長 文 の もの で ・第1章 と2章 で は,「 二 つ の世 界 」 の観 念 の不 当 な 単 純 化 を批判 し・ 「談話 会 」 の基本 的 理念 で あ る両者 の平和 的 共存 の可 能性 を 探 り・ わ が国 の 中立 につ いて述 べ てい る。 第3章 で は,日 本 国憲 法 の永 久 平 和 主 義 が論 じ られ ・再 軍 備 論 が批 判 され,国 連 に よる 日本 の安全 保 障 の 問題 が解 明 され てい る・ 第4章 で は・平 和 の確 立 が国 内 の社 会 的 経 済的 諸 問題 の合理 的解 決 と関連 す る こ とが論 じられ て い る。 この声 明 で注 目す べ き点 は,第1に,近 代 化 に よ る国家 間 の相 互依 存性 の強 化 と核 時代 の到 来 に よ って戦 争 が手 陵 と し て の意 味 を失 な った とい うよ うに,戦 争批 判 を極 めて科学 的 原理 的 に行 な って い る こ とで あ る・ 第2に ・東 西共 存 の可能性 を論 証 す る際 に,イ デ オ ロギー次 元 の対 立 ・ 国家利 害 の対 立,社 会 体制 の対 立 を明確 に区別 して分 析 す る とい う 視 点 を打 ち出 してい る こ とで あ る。 この区別 に よって,現 実 へ の柔 軟 な認 識 が 可 能 とな り・平 和 を創 造 す る メカ ニ ズム を発 見 す る こ とがで きた ので あ る。 第 3に ・認Rは 多 様 な現 実 の動 向 の一部 に光 をあ て,そ れ を伸 張 させ る こ とにカ を籍 す もの で あ る こ とを明確 に した こ とで あ る。 した が って,戦 争 と軍 拡 を必 然 とす るい わ ゆ る現 実 主義 者 の見解 は,一 部 の現 実 を誇 張 した ものにす ぎな い。 重 要 なの は・平 和 へ の動 向 を伸 張 させ る よ うな認 識 を行 な うこ とで あ る。 この よ うに,こ の声 明 は,平 和研 究 が平 和 とい う普遍 的 価値 に基 づ い て豊 か な構 想 力 で・現 実 を柔 軟 に認 識 しな けれ ばな らない こ と を示 してい る とい え る。 また, この報 告 は,中 国 が ソ連 の影 響 を脱 して独 自の途 を歩 むで あ ろ うこ と ,ア ジァ が 中心 とな って米 ソに対 抗 す る第3勢 力 を形 成 す るであ ろ う等,鋭 い歴 史 的 予 言 を行 な って い る。 三 度 にわ た る 「談話 会」 の声 明 は,国 民 各 層 の 内 に広範 な影 響 を及 ぼ し,50 年 末 か ら51年 にか け て 「全 面 講和 運 動」 と して展 開 して い った。社 会 党 の平 和 三 原則 ・総 評 の平 和 四原 則 な どは そ の所 産 で あ った。 この時期 の平 和運 動 は , 4)「 三 た び 平 和 に つ い て 」,『 世 界 』,1950年12月 5)関 寛 治 「平 和 の 政 治 学 」,目 本 政 治 学 会 編r行 1976』,岩 波 書 店,1977年,所 収。 号。 動 論 以 後 の政 治 学 一 年 報 政 治 学 平和研究 と価値志向2ヱ5 ま さ に知識 人 の思 想 と現 実 との 白熱 した ぶっ か りあ い の中 で生 まれ た極 めて稀 な例 で あ った とい え よ う。 そ の後,「 談 話 会」 は活動 を続 けた が,55年 頃 を さ かい にそ の活動 は衰 退 し,59年 の12月 に東京 と関西 の 「談 話 会 」 が 「安 保改 定 問題 につ い て の声 明6)」 を出 した の を最 後 に解 散 した 。 その他 の平 和研 究 と し て は,「 談話 会 」 と会 員外 の社会 科 学 者 が共 同 で行 な った 「政 府 の安保 改 定 構 想 を批 判 す る7)」と 「ふ た たび安保 改 定 につ い て8)」との2つ の研 究 報 告 があ っ た。 これ らは政 治 運動 に対 して平 和 思 想 としての原 点 を回復 させ るの に0定 の 役割 を もっ た。 しか し,50年 代 に次 第 に活 力 を失 ないつ つ あ った 「談 話 会 」 の 役 割 を回復 す る こ とに は失敗 し,日 本 の平 和研 究 は60年 代 の到 来 と と もに,制 度 と して は解 体 し,個 々 の研 究者 の 内 で行 な われ る にす ぎ な くな った。 「談話 会 」 の活動 は,前 述 の よ うに,50年 末 か ら51年 にか けて の 「全面 講 和i運 動 」 に おい て最 も充 実 してお り,現 実 に学 びそ の成 果 を運動 に還 元 す る とい う 思 想 運 動 と して は理 想 的 な形 を とった。r談 話 会 」 の活 動 が思 想 運動 とし て 成 功 した要 因 を解 明す る こ とは,今 後 の平 和研 究 の あ り方 に大 きな示 唆 を与 え る こ とにな るで あ ろ う。要 因 の第1は,「 談話 会 」 に集 った科 学者 一 人 一 人 の 意 識 に あ る。彼 らの 内 に は,大 戦 中 の経 験 か ら,知 識 人 の あ り方 へ の 自己批 判 が 強 く支 配 してい た。 後年,丸 山真 男 は この こ とを 「そ れ はた だ平 和,結 構 で ご ざい ます,万 万歳 とい うの と,ち ょっ と違 うの で はな い か。 そ の意 味 で は,は じめ か ら,あ s の る緊 張 し た雰 囲 気 が あ っ た の で す(傍 点 筆 者)9)」 と 回 想 して い る。 苛 酷 な経 験 に 基 づ く痛 烈 な 自己 批 判 とそ れ に伴 な う真 摯 な 時 代 社 会 へ の責 任 感 に よ っ て 始 め て,理 論 ・思 想 は力 と な りえ た の で あ る。 付 言 す れ ば,世 想 的 立 揚 ま た 専 門 を異 に す る人 々 が,時 代 と思 に は対 立 しな が ら10)も 団 結 し え た の も, こ う した 姿 勢 が あ っ た か らで あ る とい え よ う。 鶴 見 俊 輔 の言 に よれ ば,己 6)「 安 保 改 定 問 題 に つ い て の 声 明 」,r世 界 』,1960年2月 号。 7)「 政 府 の 安 保 改 定 構 想 を 批 判 す る 」,r世 界 』,1959年10月 8)「 ふ た た び 安 保 改 定 に つ い て 」,『世 界 』,1960年2月 9)丸 れの 号。 号。 山 真 男 ・吉 野 源 三 郎 「〈対 談 〉 安 倍 先 生 と平 和 問 題 談 話 会 」,r世 界 』,1966年8月 号。 10)久 野 収 に よ れ ば,京 都 の 「平 和 問 題 談 話 会 」 は,朝 鮮 戦 争 で の侵 略 者 が ア メ リカか 中 国 か を め ぐ っ て 一 時 分 裂 状 態 に あ っ た と い う。 久 野 収 ・蝋 山道 雄 ・高 畠 通 敏 会 ・平 和 運 動 の 原 点 」,『朝 日 ジ ャ ー ナ ル 』,1972年3月24日 号。 「 座談 2ヱ6 経 験 とい う私 情 を抜 きに した平 和 の理 論 は 「戦 争 と平 和 に両天 秤 をか け た学 問 とは な り得 て も,平 和 の思 想 と して は な りた ち得 な い11)」 とい うこ とで あ る。 第2の 要 因 は,r談 話 会 」 が民 衆 の内 に あ っ た不 定形 な感 情 を原 理 的 な 形 で 理 論 化 した こ とで あ る。 もち ろ ん,当 時 の民 衆 の中 に は ア メ リカや ソ連 を含 め てす べ て の国 に対 立 しな い講 湘条 約 を望 む感 情 や,ア メ リカの 占領 支 配 か ら解 放 され るな ら単 独 講 和 で もや む をえ ない とす る気 持 ち,あ るい は朝 鮮 戦 争 の 中 で非武 装 な ど とい うのは理 想論 で は ない か とい う意 見 が混 沌 と して い た。 しか し,「 談 話 会 」 は 「戦 争 は も うこ りご りだ」 とい う国民 の大 多数 が もって い た 実感 か ら出発 し,平 和 憲 法 とヒ ロシマ ・ナ ガサ キ の体 験 を原 点 に,全 面 講 和 に よ る中立政 策 とい う原則 的立 場 を確 立 した ので あ る。r談 話 会 」 の有 力 メ ン バ 一 に は ,日 本 の近 代 化 とそ の主 体 としての近 代 的 人間 確 立 に関心 を もつ 良い意 ・ ・O 味 で の近 代 主義 者12)が多 か った。彼 らが社 会 現 象 と人 間 精神 との関係 に対 して 強 い関心 を もって い た こ とが 「談 話 会 」 を して民 衆 の心理 を理 論化 す る こ とに 成 功 させ た とい え るので は なか ろ うか。 第3の 要 因 は,「 談話 会 」 が,現 代 で は戦 争 は手 段 として も正 当化 し え ず, 人 類生 存 の道 は 「二 つ の世界 」 の平和 共 存 以外 にない とい う核 時代 の国 際政 治 に対 す る真 の意 味 で の現 実 主義 的 認識 を有 して い た こ とで あ り,そ れ を豊 か な 構 想力 に よ って具 体 案 と して提 示 した こ とで あ る。 この時期 の平 和研 究 は,平 和 へ の強 烈 な志 向,目 本 の具 体 的現 実 へ の 関心, 柔 軟 な認識 と豊 かな構 想力 に よ る政策 提 言 とに よって特 徴 づ け る こ とが で き る。 関寛 治 の医学 とのア レゴ リー に よれ ば13),こ の時期 の 日本 の平 和研 究 は臨床 平 和 研 究 とも呼 ぶ べ き もので あ った。 しか し,こ の こ とが 日本 の平 和研 究 を衰 退 させ る原 因 で もあ った。 「談話 会 」 11)鶴 見俊輔 「解 説 1968年,6ペ 12)丸 山 真 男,川 平 和 の 思 想 」,r平 和 の 思 想 』(戦 後 日本 思 想 体 系4),筑 摩 書 房, ー ジ。 島 武 宜,都 近 代 主 義 者 と は,通 例,国 留 重 人s桑 原 武 夫,清 水 幾 太 郎 な ど が そ れ で あ る 。 な お, 家 政 府 に よ る上 か ら の 近 代 化 を支 持 ・補 完 す る人 々 を い う 意 味 で 用 い ら れ る マ イ ナ ス ・イ メ ー ジ で あ る 。 現 在 の 清 水 は こ の 意 味 で の 近 代 主 義 者 で あ る。 13)関 寛 治 「ミ ッ シ ョ ン志 向 科 学 と して の 平 和 研 究 」,口 本 国 際 政 治 学 会 編r国 際 政 治 』54,有 医 学 と の 比 較 を手 が か り に し て 斐 閣,1976年,所 収。 平和研究 と価値志 向217 が推 進 した 「全面 講 和 運動 」 が政治 的 戦 い と して は単 独講 和 に よって敗 北 した こ とで,そ の原理 的 立 場 まで が破 綻 した と見 な され た こ と。 ま た,「 談 話 会 」 が共 闘 した のが既 成 政 党 と労働組 合 レヴ ェル の運 動 で あ っ たた めに,原 理 が単 純 に繰 返 され るだ けで,こ うした組 織 に特有 な官僚 主義 や 政治 主義 に よ って, 原理 を理 論 的 に展 開 す るエ ネル ギ ー の供 給 を運 動 それ 自体 に も期 待 出来 な くな って い た。 そ れ と と もに,60年 代 の高度 成 長政 策 と政 府 の平 和 問題 を意 図的 に 回避 す る姿 勢 は,目 本 の平 和研 究 の最後 の拠 り所 と もい うべ き 「戦 争 は も うこ りご りだ」 とい う民 衆 の実感 も風 化 させ てい った の で あ る。60年 代 を迎 えて 日 本 の平 和研 究 は冬 の時 代 に入 った の で あ る。 2.「 1950年 日本 平 和 研 究 懇 談 会 」 の 安 保 改 定 後,日 再 出 発 一 一一 本 の 平 和 研 究 は 一 時 的 な 沈 滞 期 を 迎 え た が,世 界 の 平 和 研 究 は 制 度 化 と研 究 の 内 実 に お い て 飛 躍 的 な 進 歩 を 示 し て い た 。 数 例 を挙 げ る と,1959年 に は ア ナ ト ー ル ・ラ バ ポ ー ト と ケ ネ ス ・ボ ー ル デ ィ ン グ を 中 心 と し て ミ シ ガ ン 大 学 に 「紛 争 解 決 研 究 セ ン タ ー 」(CenterforResearchonConflict Resolution)が,同 年 に ノ ル ウ ェ ー の オ ス ロ に ヨ ノ・ン ・ ガ ル ト ウ ン グ ら に よ り 「国 際 平 和 研 究 所 」(lnternationalPeaceResearchInstitute,Oslo)が,61年 に は 「カ ナ ダ 平 和 研 究 所 」(CanadianPeaceResearchInstiitute)が,63年 タ ー一・ア イ サ ー ド を 中 心 と し た 111ternationa1)が,そ 「国 際 平 和 研 究 協 会 」(PeaceResearchSociety, し て,65年 に は 国 際 的 学 会 と して (lnternationalPeaceResearchAssociation一 設 立 さ れ,独 に は ウ ォル 「国 際 平 和 研 究 学 会 」 略 称IPPA)が,あ い つ いで 創 的 な研 究 成 果 が 発 表 され て い た 。 平 和 研 究 に 対 す る 関 心 の 国 際 的 高 ま り は 日 本 に も 波 及 し た 。1964年9月,「 メ リ カ ・フ レ ン ズ 奉 仕 団 」(ク ェ ー カ ー)の ア ノ ー マ ン ・ウ ィ ル ソ ン や 当 時 国 際 キ リ ス ト教 大 学 に 客 員 教 授 と し て 来 日 し て い た ケ ネ ス ・ ボ ー ル デ ィ ン グ 夫 妻 の イ ニ シア テ ィブ に よって Group),正 式名 称 「東 京 平 和 研 究 グ ル ー プ 」(TheTokyoPeaceResearch 「平 和 と 軍 縮 の 研 究 グ ル ー プ 」(TheJapanPeaceResearch andDisarmamentStudyGroup)が 設 立 さ れ た 。 こ の 会 は,翌65年 のIPRA 2ヱ8 創 設 を受 け て 自主 的 に再 編 成 され 「日本 平 和 研 究 懇 談 会 」(TheJapanPeace ResearchGroup)と 長),坂 な っ た 。 主 要 メ ンバ ー は,石 本 義 和,関 寛 治,田 中 靖 政,細 田雄,浮 谷 千 博,武 田久 子,川 者 小 路 公 秀,蝋 あ っ た 。 そ して こ の 会 は 芙 文 年 報PeaceResearchinJapanを 和 学 会 」 が 創 設 され る73年 ま で,実 田 侃(会 山道 雄 ら で 中心 に 「日本 平 質 的 に 日本 の 平 和 研 究 を推 進 す る こ と に な っ た14)。 「懇 談 会 」 に集 っ た メ ンバ ー は,前 が 大 半 で あ り,若 述 の 「平 和 問 題 談 話 会 」 よ り も若 い 研 究 者 干 の 例 外 を 除 い て,平 は異 な って い た 。 そ れ は,こ 和 研 究 に 対 す る考 え方 も 「談 話 会 」 と の 会 が非 常 に イ ン フ ォ ー マ ル な知 的 集 団 とい う形 態 を と り,現 実 の政 治 動 向 や 平 和 運 動 か ら孤 立 し て い た こ と に象 徴 され て い る。 もち ろ ん,個 々 の研 究 者 が運 動 に何 らか の形 で 参 加 した り,政 す る こ とは あ っ た が,そ 策 提 言 を した り れ は 「懇 談 会 」 を代 表 した 行 動 や 提 言 と見 な され る こ と は な か っ た 。 彼 ら は,こ の 会 を あ くま で 平 和 を科 学 的 に探 究 す る場 と して 考 え た の で あ る 。 こ の こ とは,平 和 研 究 を ま ず は 政 治 や 運 動 と異 な っ た レ ヴ ェ ル で 客 観 的 な科 学 と し て確 立 せ ね ば な ら ぬ とい う,彼 出 され た も の で あ る。 そ れ は,会 ら の主 張 か ら必 然 的 に導 き 長 で あ っ た川 田 侃 が,当 的 動 向 と平 和 研 究 の性 格 に つ い て 概 観 した67年 て の 平 和 研 究 の 主 体 性 を認 め な が ら も,平 主 体 性 を一 旦 背 後 に 押 し と ど め,学 時 の 平 和 研 究 の世 界 と68年 の論 文15)で 政 策 科 学 と し 和 研 究 の 第 一 義 の 目的 を 「そ う した 問 の極 印 と もい うべ き と こ ろ の 客 観 的 分 析 」 に あ る と した こ とか ら も窺 え る で あ ろ う。 科 学 で あ る以 上 そ の科 学 的 客 観 性 を重 視 す る の は 当 然 で あ る が,他 要 求 され る平 和 研 究 に お い て,そ の社 会 諸 科 学 に 比 べ て よ り強 い 価 値 志 向 を の価 値 志 向 を あ る意 味 で 犠 牲 に して ま で科 学 的 客 観 性 が 要 請 され た の は 何 故 な の で あ ろ うか 。 そ こ に は 「平 和 問 題 談 話 会 」 へ の彼 らな りの反 省 が 作 用 して い た と思 わ れ る。 同 時 代 人 と して 「談 話 会 」 の盛 衰 を 目 の あ た りに し た 彼 ら に は,平 和研 究 が あ 14)「 東 京 平 和 研 究 グ ル ー プ 」 か ら 「日本 平 和 研 究 懇 談 会 」 設 立 ま で の 事 情 に つ い て は, 「〈座 談 会>r東 京 平 和 研 究 グ ル ー プ 』(1964∼65年)に つ い て 」,日 本 平 和 学 会 編r平 和 研 究 』 第3号,1978年5月,に 詳 しい 。 15)川 田 侃 「 平 和 研 究 の 動 向 と発 展 」,「社 会 科 学 と平 和 研 究 」,r軍 事 経 済 と平 和 研 究 』, 東 大 出 版 会,1969年 所 収。 平和研究 と価値志向219 ま りに政 策 科学 と しての性 格 を強 くし,運 動 に コ ミッ トしす ぎ る こ とは,運 動 が必 然 的 に伴 な う政 治 の論理 に よって,そ の理 論 的 自己革 新 の エネ ル ギー と科 学 的 客 観 性 を奪 われ る こ とにな る と思 われ た の で あ る。再 び川 田 の言 を聞 こ う。 「平 和 運動 に もた くさん のセ ク シ ョナ リズム が あ るわ けです か ら,平 和 運 動 に 直結 した場 合 に も… … …学 問 が客 観性 を失 うお そ れ は少 くと もあ る と思 うんで す16)」 。 こ うして 「懇 談 会」 で は政 策 科 学 として の平 和研 究 は背 景 に 退 き,前 述 の関寛 治 に よ る医学 との アナ ロギー に よれ ば,臨 床 平 和 研 究 に対 す る基礎 平 和研 究 が前 面 に押 し出 され て きた の で あ る。 そ して,こ の よ うな平 和 研究 の性 格 は,彼 らの政 治 か らの一 層 の孤 立 を生 ん だ。何 故 な ら,基 礎 平和 研 究 は臨床 平 和研 究 に比 べ て平 和 へ の具 体的 な志 向性 が弱 い た めに,よ り容 易 に戦争 勢 力 に利 用 され易 い とい う判断 が あ った ので あ る。 この こ とは,「 懇 談 会 」 を し て, 政 策 決定 者 だ けで は な く研 究者 の問 に も,平 和研 究 を拡 大す るの に極 め て消 極 的 な姿勢 を と らせ る こ とにな った の で あ る。 この よ うな 「懇 談 会」 の主 体 的姿 勢 に加 えて,60年 代 の高 度 成 長政 策 に よ る経 済 的 繁栄 と,政 府 が意 識 的 に平 和 問 題 を争 点 と して取 り上 げ るこ とを回避 した こ とが,平 和問 題 へ の一 般 的 関心 を低調 な もの と した。 こ うして,メ ンバ ー の主 体 的意 識 と環 境 的 要 因 が 「懇談 会 」 の知 的 閉鎖集 団 と して の あ り方 を決 定 した とい え る。 この こ と は 「懇 談 会 」 が発 展 させ た平 和研 究 の理 論 内容 に も反 映 して い た。 60年 代 の世界 の平 和研 究 の最 大 の関心 事 は核 戦 争 防 止 で あ り核 戦 略批 判 で あ った。平 和研 究 は この反 核 意識 に起源 を もっ ともい え るの で あ る。 この種 の研 究 が最 も盛 んで あ ったの が,核 戦 争 の潜 在 的担 い手 の一 方 で あ るア メ リカに お い てで あ った。 そ の代 表者 が ミシ ガ ン大学 に あ った 「紛 争解 決研 究 セ ンター」 を拠 点 に活 動 して い たボ ー一ルデ ィ ング とラバ ポー トで あ った。彼 らは紛争 の一 般 理 論 を展 開 し,戦 略理 論 家 に よ るゲ ー ム理 論 の誤 用 を批 判 し平 和 研 究 と して のゲ ー ム理 論 の構築 な どに よって,行 動 科 学的 平 和研 究 を志 向 して いた。 ヒ ロ シマ ・ナ ガサ キ を一 つ の原 点 にす る 目本 の平 和 研 究 に とって も,核 戦争 の脅威 は焦眉 の問題 で あ った 。そ こで,こ 16)川 田侃 の時期 の 日本 の平 和研 究 はア メ リカ流 の行 「 対 談 〈平 和 研 究 〉=松 岡 英 夫 氏 と」,r毎 r自 立 す る 第3世 日新 聞 』1973年9月7日 界 と 日本 』,日 本 経 営 出 版 会,1977年,所 収。 ∼21日 号 , 220 動 科 学 的平 和研 究 を積極 的 に摂 取 し,核 武 装 の理 論 的背 景 で あ る勢 力 均衡 論 と 核 抑 止 論 を批 判 した ので あ る。 そ の代 表者 が関 寛治 と武者 小 路 公 秀 で あ った 。 また,ア メ リカ の平 和研 究 が戦 略研 究 家 の用 い てい た行動 科 学 的手 法 を逆用 す る こ とで始 ま った とい う事 情 か ら も判 る よ うに,行 動科 学的 平 和研 究 は基礎 平 和研 究 に属 す る もの で あ り,そ の意 味 で も当時 の 日本 の平和 研 究者 の志 向 に適 ってい た とい え よ う。 とこ ろで,行 動 科 学 は広 義 の実証 主義 的伝 統 に立つ もので あ り,人 間 行動 を 始 め とす る社会 的 な諸 要 素 を数 量化 ・法則 化 す る こ とで そ れ ら諸 要 素 間 の関係 を解 明 ・操 作 し,望 ま しい社 会 を作 りあ げ る とい う一種 の社 会 工学 で あ る。 そ の特徴 は数 量 化 ・法 則 化 ・操 作 主義 に あ るが,こ の こ とは平 和 研 究 の あ り方 に とって い くつ かの功 罪 を もた らす もので あ った 。 当時,行 動 科 学 を導 入 した 目 本 の平 和研 究 が,こ の点 につ いて どの よ うな認識 を もって い た のか 。 この こ と を武 者 小路 公 秀 の66年 の論 文 か ら見 てみ よ う17)。 武者 小路 に よれ ば,行 動 科 学 の長所 はそ の数 量化 の傾 向 に あ る。っ ま り,行 動 科 学 は,伝 統 的社 会科 学 の直観 的 把握 や傾 向性 の概 念 化 とい う方 法 で は とら え られ ない関係,す なわ ち数 量化 を媒 介 として しか把握 で きない微 妙 な要素 間 の関係 を解 明 す る とい う問題 発 見的 な利 点 を もつ 。 ま た,行 動 科学 の数 量化 的 方 法 は,数 量 に よ る客観 的 な資料 を提 供 す る こ とで,文 化 的 背 景 や イデ オ ロギ ー の異 な る研 究者 の問 に コ ミュニケ ー シ ョン を可能 にす る。 それ は 国際 的共 同 研 究 に まで高 め られ る こ とが可 能 で あ ろ う。つ ぎに,行 動 科 学 は,伝 統 的 な手 法 が比較 的軽 視 して い た人 間行 動 に まつ わ る諸 要 因 を ク ロー ズ ァ ップす る とい う利 点 を もつ 。 これ は伝統 的 な方 法 が社 会 的構 造 と して しか と らえて い な か っ た もの を,人 間 の い となみ として把握 し,そ の社 会心 理 的 要 因 に注 目す る とい うこ とで あ る。例 え ば,核 戦 争 に直面 した場 合 の政策 決定者 の心 理 的 メ カニ ズ ム の研 究 な どが そ れで あ る。行 動 科 学 的平 和研 究 の長所 は この よ うな もの で あ るが,そ れ は あ る意 味 で両 刃 の剣 で もあ る。 っ ぎにそ の欠 点 をみ てみ よ う。 第1の 発 見 的機 能 につ いて は,数 量化 に よ って合理 的 に と らえた認 識 を絶対 17)武 者 小 路 公 秀 「行 動 科 学 と平 和 」,r思 想 』1966年11月 東 大 出 版 会,1972年,所 収。 号,r行 動 科 学 と 国 際 政 治 』, 平和研究 と価値志向22ヱ 化 な い し全体 化 す る こ とで生 じる危 険 が あ る。 つ ま り,数 量 化 に基 づ く合 理 的 認 識 をす る場 合 には,認 識 対 象 そ れ 自体 が合 理 的 に構 成 され て い る とい う暗 黙 の前 提 が あ る。 しか し,国 際体 系 には非 合理 的 な要 素 も内包 して お り,こ の こ と を意識 しない で,均 衡 理 論 や ゲ ー ム論 をあや つ るな らば,平 和 実現 に必 要 な 国家 間 の柔軟 な相 互適 応 の努力 を過 少評 価 し,各 国間 の誤 算 の き っか け をつ く りだす こ とに な るので あ る。 これ は,方 法 と して の合理 主義 をイ デ オ ロギ ー と して の合 理 主義 と取 り違 え る こ とか ら起 こる欠 点 で あ る。第2の コ ミュニ ケー シ ョンの問題 につ い て は,行 動 科 学 は研 究者 問 の コ ミュニケ ー シ ョンに は有 用 で あ るが,そ の専 門家 的 な方 法 が,研 究者 と一般 民衆 ・世論 との コ ミュニケ ー シ ョンを困難 に しが ちで あ る。 第3の 人 間 の心理 的 メ カニ ズムへ の注 目は,巨 視 的 な政 治 ・経 済構 造 を軽視 す る とい う幣害 を生 み や す い。 武者 小 路 は以上 の よ うに行 動 科 学的 平 和研 究 の功 罪 をあ げ,そ の欠 点 を伝統 的 方 法 との併 用 や 民 衆 の教 育水 準 の 向上 に よ って補 なわ ね ばな らない としてい る。 しか し,そ の提 案 に もか かわ らず,当 時 の 日本 の平和研 究 には彼 の危 惧 し た行動 科 学 のマ イ ナ ス面 が強 くあ らわれ た こ とは否 め ない。 多 くの研 究 は,い たず らに行 動 科学 の方法 と して の合理 主義 にふ り回 され て,自 身 の平和 へ の志 向 を明確 にす る こ とは出来 なか った。 そ の こ とは,民 衆や 運動 の間 に,平 和研 究 とは一 一部 知 的 エ リー トの独 占物 で あ る との評価 さえ生 んだ ので あ る。 以 上,「 日本 平 和研 究 懇 談会 」 時 点 で の 日本 の平 和研 究 の特徴 を検討 し た。 再 言 す れ ば,そ れ は,「 平 和 問題 談話 会 」 へ の反省 と60年 代 の時 代 状 況 か ら, 科 学 的 客観 性 の確 立 を第1の 目的 として,平 和研 究 の基礎 理 論,具 体 的 には ア メ リカ流 の行 動科 学 的 平 和研 究 の導 入 と検討 に重 点 を置 き,そ の結 果 と して, 運動 や民 衆 か ら0定 の距 離 を置 くこ とに な った。 「懇 談会 」 が既 成 政 党 や 労 働 組 合 に よる平 和運 動 の混 乱や硬 直化,平 和 問題0般 へ の無 関心 の 中で,平 和 へ の問題 関心 を堅持 し,そ れ を科 学 と して高 め よ う と した こ とは評価 されね ばな らな い。 しか し,そ の あ り方 や研 究 の方 法 と内 容 が 日本 の現 実 と遊 離 したた め に,将 来 の平 和研 究 と運 動 の連繋 を準 備 す る方 向 へ と必 ず し も向 って い なか っ た こ とは,反 省 されね ばな らない で あ ろ う。 もち ろん,石 田雄 や坂 本 義 和 の よ 222 うに18)・ 目本 的風 土 を視 野 に入 れ た発 想 と具体 的 構成 力 とい う 「平和 問題 談 話 会 」 の良質 の伝統 を継承 した人 々 も存 在 した が,そ れ は この時 点 の大 勢 とは な りえ な か った ので あ る。 3.「 日本 平 和 学 会 」 1960年 代 後 半,日 転換期 本 の 平 和 運 動 は 大 き な 変 質 を経 験 した 。 そ の象 徴 が,ア メ リカ の北 爆 強 化 に触 発 さ れ て65年 に結 成 され た 「べ 平 連 」(「ベ トナ ム に 平 和 を!市 民 連 合 」)で あ っ た 。 こ の 組 織 の独 自性 は,そ 働 組 合 の よ うな 既 成 の支 配 系 列 と は無 関 係 に,自 い う と こ ろ に あ っ た 。 そ れ は,既 動 を,民 の メ ンバ ー が 政 党 や 労 発 的 に集 っ た 市 民 で あ っ た と 成 団 体 の官 僚 主 義 や 政 治 主 義 に 歪 め られ た 運 衆 の 手 に取 り戻 そ う とす る動 きで あ っ た とい え る 。 そ し て,彼 らは 自 らの 生 活 実 感 に 根 ざ した形 で 独 自 の運 動 論 を展 開 して い っ た の で あ る 。 ま た, 60年 代 末 か ら激 化 した 学 生 闘 争 は ア カ デ ミズ ム の 権 威 主 義 を破 壊 し,心 あ る研 究 者 に 象 牙 の 塔 に 閉 籠 る こ と を許 さな い状 況 を作 り出 した 。 こ の よ うな 平 和 問 題 へ の 関 心 の 高 ま り とア カ デ ミズ ム批 判 は,知 従 来 の あ り方 へ の反 省 を生 み 出 し,よ 的 少 数 者 に よ る平 和 研 究 とい う り広 か れ た形 を と る 「日本 平 和 学 会 」 を 73年 に誕 生 させ た 。 こ の学 会 が 推 進 した 平 和 研 究 は 従 来 の も の よ り多 様 で あ っ た 。 そ れ は,第3世 界 の 国 々 の 自 己 主 張 に よ る南 北 問 題 の 顕 在 化 を うけ た 平 和 研 究 の 世 界 的 変 質 に 呼 応 した も の で あ っ た 。 世 界 の 平 和 研 究 の 変 質 は,1969年 で 顕 在 化 した19)。 こ の 総 会 で,ヘ 究 者 は,ア 秋,チ ェ コで 開 か れ たIPRAの 第3回 ル マ ン ・シ ュ ミ ッ トらの 北 欧 の若 い世 代 の研 イ サ ー ドや ガ ル ト ゥ ン グ ら の既 成 の 平 和 研 究 を米 ソ2大 国支配 に よ る 国 際 秩 序 に 奉 仕 す る も の と して 批 判 した 。 彼 らの 主 張 に よれ ば,既 18)石 田 雄r平 書 店,1967年(同 れ て い る)。 和 の 政 治 学 』,岩 波 書 店,1968年 書 の 新 版 は1982年 。 坂 本 義 和r核 「国 際 政 治 の 変 化 とr平 高 柳 先 男rr平 存 の平 和 時 代 の 国 際 政 治 』,岩 波 に 刊 行 さ れ て お り,旧 版21篇 の う ち4篇 ユ9)こ の 総 会 で 提 起 さ れ た 問 題 と そ の 後 の 展 開 に つ い て は,次 男 和 研 究 』 の新 展 開 オ ス ロ=フ 号。 が再録 さ の論 文 が詳 しい 。 高 柳 先 和 研 究 』 の 争 点 」,r経 済 評 論 』 臨 時 増 刊,1973年6月 」,r国 際 問 題 』,1974年12月 総会 号。 ラ ン ク フ ル ト ・ラ イ ン を 中 心 と し て 平和研究 と価値志向223 研 究 は冷 戦 に よ る核 戦 争 の防止 を主 な課 題 と して きたが,第3世 界 の貧 しい 人 々 は核 戦 争 に よ らず と も政 治 的抑 圧 や飢 餓 のた め に生 命 の危 機 に さ らされ て い る。 こ う した人 々の こ とを無視 して,大 国 の問題 の み を扱 うの は,仮 りそ の意 図 は善 意 で あ る として も,結 果 的 には大 国 に よる国際 的支 配 に手 をかす こ とに な る。彼 らの批 判 の根 底 にあ っ た のは,世 界 の問題 は,冷 戦 か らデ タ ン トへ と い う現 実的 情 勢 変化 に伴 な って,核 戦 争 の脅 威 に象 徴 され る東 西 問題 か ら南 北 問 題 へ と移 行 した とい う認 識 で あ った。 シ ュ ミッ トらの問題 意識 を積 極 的 に摂 取 し,平 和 研 究 に大 きな貢 献 を した の は,批 判 され た ガル トゥングで あ った。彼 は,そ れ を平和 概 念 の再定 義 か ら始 め た。彼 は直 接的 物理 的暴 力 の欠 如 態 を消極 的 平 和 とし,間 接 的構 造 的暴 力 の 欠 如 態 を積 極 的 平和 と した 。 この構i造的 暴力 の概念 の導 入20)によ って,平 和研 究 は戦争 防止 だ けで は な く,貧 困 や飢餓 とい った社会 的不 正 義 や 不 平等 の問題 に まで そ の領域 を拡 大 す る こ とが で きたの で あ る。 さ らに,彼 は,構 造 へ の視 角 を国家 間紛 争 に適 用 し,ラ ンクの理 論21)を生 み 出 した。彼 は,国 国 力 に応 じて大 国=ト (Underdo9)に ップ ・ドッ グ(Topdo9)と 家 をそ の 小 国 ・=ア ン ダ ー ・ドッ グ ラ ンクづ け し,そ れ に よって紛 争 を分 類 し,現 代 の不 均質 な 国 際 社 会 の 中 では,国 の ラ ン クの相 違 が紛 争 の構 造 的 な原 因 にな って きてい る と した。 ま た,彼 は,大 国 に よる小 国 の支 配 を構 造 的 暴力 の観 点 か らと りあ げ, そ の支 配 シ ステ ム を 「帝 国主義22)」 と名 づ け,そ の支 配 の メ カ ニズ ム を 「中心 一周 辺 モ デル」(「C-Pモ デ ル」)に よって解 明 した 。彼 のい う 「 帝 国主義 」は レー ニ ンのそれ とは異 な り,中 心 国家 の 中心 部 が周 辺 国家 の中心 部 に橋 頭 墾 を 作 って両者 の利 益 のた め に設立 す る支 配 関係 とい う意味 で あ る。 っ ま り,大 国 の支 配 層 が小 国 の支 配 層 と結 んで,両 国 の支 配 関係 を維 持 す るシ ステ ムで あ る。 彼 は,こ の モデ ル に よって,国 家 間 と国 内の集 団間 にあ る搾 取 の あ り様 を明確 にす る こ とに貢 献 した。 ガル ト ゥング は,こ の よ うな理 論 的 営 為 に よって,世 界 の平 和 研 究 の新 た な転 換 に寄 与 したが,も 20)Galtung,Johan,璽 聖Violence,Peace,andPeaceResearch', ResearchNo.3,1969,pp.167--191. 21)Galtung,J.,"PeaceThinking",in:Lepawsky,A.(ed.),TheSearchfor WorzdO2翅 θr,A-C-C.,1971,p.120. ち ろん,彼 の他 に も多 くの人 々が ,Journalげ 」R診α`θ 224 独 自 の研 究 を 開始 して い た 。 ガ ル ト ゥ ン グ の 「C-Pモ デ ル 」 に して も,そ の 原 型 は ラ テ ン ・ア メ リカ の 研 究 者 達 が 自 国 の 低 開 発 性 を克 服 す る た め に発 展 さ せ た モ デ ル で あ っ た 。ま た,イ ン ドの 平 和 研 究 者 で あ る ダ ス グ プ タ が,不 良開発 に よ っ て お こ る飢 餓 と貧 困 と病 気 の 状 態 を 「平 和 の な い 状 態 」(peacelessness)23) と定 義 した こ と な ど も,ガ ル ト ゥ ン グ の 「構 造 的 暴 力 」 の概 念 に対 応 す る もの で あ った。 日本 の 平 和 研 究 も,東 西 問 題 か ら南 北 問 題 へ,消 とい う世 界 の 平 和 研 究 の 問 題 関心 の転 換 に,敏 極 的 平 和 か ら積 極 的 平 和 へ 感 に反 応 した 。1973年9.月 な わ れ た 「目本 平 和 学 会 」 の 設 立 総 会 と研 究 会 で も,こ な っ た 。 そ こ で は,構 大 ・分 散 さ れ,未 の こ と が 第1に 造 的 暴 力 の概 念 の 導 入 に よ っ て,平 に行 問題 と 和研 究 の 対 象 が 拡 だ に重 要 性 を失 な っ て い な い 国 家 問 の 紛 争 や 国家 権 力 の 問 題 が 看 過 され る の で は ない か との 疑 念 が 表 明 さ れ た24)。 東 西 問 題 は政 治 問 題 で あ り,南 北 問 題 は 経 済 問 題 で あ る とい っ た類 い の 単 純 な 規 定 は否 定 され ね ば な ら な い 。 し か し,こ の 両 者 の 関 係 を ど う見 る か とい う疑 問 は 残 る で あ ろ う。 高 柳 先男 が言 うよ うに 「r消極 的 平 和 』 と 『積 極 的 平和 』 の共 存 を可能 にす る 知 識 と戦 略 の探 究 に,平 和 研 究 の根 本 的 な オ リエ ンテー シ ョンが設 定 され ね ば な ら ない25)」ので あ る。 ところで,構 造 的暴 力 とい う概 念 の導 入 に伴 な う問題 を検 討 す るitに,避 けて通 れ ない のが価値 の 問題 で あ る。何 故 な ら,構 造 的暴 力 を 視 角 と して研 究 され る第3世 界 の 国 々 には,研 究 主 体 とは異 な った価 値 体 系 が 存 在 して い るか らで あ る。 ま た,そ の第3世 界 の国 々で発 生 して い る問題 は, 研 究 主体 が共 有 して い る西 欧 的価 値体 系 に よって 引 き起 こ され た とい う側 面 が 強 い た めに,そ の解 決 は異 な った価値 体 系 に よ らざる を えな いか らで あ る。 こ うした事情 を反 映 して,日 本 の平和研 究 は価 値 の問題 に積 極 的 に触 れ る よ うに 22)Galtung,J.,"AStructuralTheoryofImperialism",Jb多'r襯 ♂ofpeaceRθ ∫ω ノTh, No.2,1971,pp.81-118. 23)Dasgupta,Sugata,"PeacelessnessandMaldevelopment:Anewthemefor Peaceresearchindevelopingnations",ProceedingsoftheinternationalPeace ResearchAssociation2ndCoη 24)こ ゾヒ7℃η68,Vo1.II,Assen,1968,pp.19-42. の 種 の 問 題 提 起 は 石 田 雄 が 行 な っ た 。 「第1回 日本 平 和 学 会 シ ン ポ ジ ウ に お け る 平 和 研 究 の 方 向 と そ の 展 望 」,『 世 界 』,1974年3月 25)高 柳 先 男 「国 際 政 治 の 変 化 とr平 和 研 究 』 の 争 点 」。 号 。 ム ・日 本 平和研究 と価値志向225 な った。 次 に,そ の代 表 的 な労 作 を検 討 して み よ う。 西 川潤26)は・飢 えに代 表 され る第3世 界 の諸 問題 を解 決 す るの は如 何 な る理 論 ・価 値 で ある の か とい う視 角 か ら価 値 の問題 に接近 す る。西 川 に よれ ば,第 3世 界 の国 々の社 会 経 済 的構 造 は,前 近 代 的伝 統 的 なそれ で は な く,18世 紀 以 来 の西 欧諸 国 の植 民 地 政 策 に よって奇 形 化 され た もの で あ る。 そ して,こ の植 民 地政 策 のイ デ オ ロギー は西 欧優 位 の進 歩 主義 史 観 で あ り,近 代 化 思想 で あ っ た 。第3世 界 の飢 えの根本 原 因 は,こ の奇形 化 され た構 造 にあ り,異 常 気象 や 人 口増 加 はそ の契機 にす ぎ ない。 そ して,植 民 地 か らの解 放 後,支 配層 が西 欧 的 近 代 化 政策 を とって い る こ とが,事 態 をさ らに悪化 させ て い る。 そ れ ゆ え に, 飢 えか らの脱 却 は西 欧的近 代化 思 想 で は果 しえず,新 請 され る・彼 は・ そ の可 能性 の0つ た な大衆 倫理 の創 造 が 要 を,自 力 更 生 と大 衆 参加 と現 場 主義 を特徴 とす る中国 にみ て い る。西 川 の試 み は,西 欧 の近 代化 思 想 と前 近 代 的伝統 思想 に代 わ る第3の 道 を,民 衆 の エネ ル ギ ー の中 に探 ろ うと した点 で,評 価 され る。 しか し・彼 の問題 設定 で は,視 点 が第3世 界 に のみ 限定 され る傾 向が あ り,そ の 問題 が原 理 的 に どの よ うに西 欧諸 国等 の北 の国 々 に跳 ね返 って くるの かが 明 らか に な らな か った。 そ れ に答 えた の が坂本 義 和 で あ った。 坂本 は・ 「南北 問題 と取 り組 む とい うこ とは,南 の問題 の解 決 を探 る こ と の な か で・北 自身 の現 実 や思 想 に挑 戦 し,そ の問題 性 を と らえ なお す 作 業 を 指 す27)」 こ とであ る とい う視 点 か ら出発 す る。 そ して,彼 は そ の北 の思 想 へ の挑 戦 を・研 究 者 自身 が 自明 と して い る 「平和 」 「紛 争」 「民 主主義 」 「 価 値」 と い った基本 概 念 の再 検討 に よ って果 そ うと してい る28)。 坂本 に よれ ば,従 来 の平 和研 究 は ・世 界 的政 治問題 として顕在 化 した 「 紛 争 」 の解 決 と して 「平和 」 を と らえ て きた。 しか し・今 日の南 北問題 はそ うした 「紛争 」 を引 き 起 こ す 経 済 ・政 治力 もない た め に,世 界 的 に黙殺 され て きた国 々で発 生 して い る現象 で 26)西 川 潤,「 飢 え の 構i造」,r中 央 公 論 』,1973年9月 発 地 域 の形 成 」,堀 米 庸 三 編r歴 潮 出 版 社,1973年 。 両 論 文 と も,西 号 。 「近 代 と非 西 欧 世 界 低 開 史 と し て の 現 代 』(講 座 ・人 問 の 世 紀 第2巻), 川 潤,r飢 え の 構 造 一 近 代 と非 ヨ ー ロ ッパ 世 界 一 』 ダ イ ヤ モ ン ド社,1974年 に所 収 。 27)坂 本 義 和 『平 和 そ の 現 実 と認 識 』,毎 日新 聞 社 ,1976年,ivペ ー ジ。 28)坂 本 義 和 「 平 和 の研 究 一 学 徒 の 自省 」,r朝 日新 聞 』,1974年1月17日 21日 号 。 『平 和 一 そ の 現 実 と認 識 』 所 収 。 号 ∼ 226 あ る。 大 国 に よ る秩 序 維 持 を 中心 と した 「平 和 」 や 「紛 争 」 とい う従 来 の枠 組 で は,こ の 問題 に対 処 で き な い 。 そ こで,「 平 和 」 を現 状 維 持 で は な く,価 値 を平 和 的 に配 分 し な お して い く過 程 と して と ら え る必 要 が 出 て くる 。 こ の価 値 の 再 配 分 とい うこ とは 「民 主 主 義 」 に 関 わ る問 題 で あ る。 「民 主 主 義 」 の 今 日 ま で の 課 題 は,特 権 的 な少 数 者 と差 別 さ れ た 多 数 者 との 間 の価 値 配 分 の 不 均 等 を是 正 す る こ と で あ った 。 し か し,先 進 国 の 多 くが 「福 祉 国家 」 の体 制 を と っ た 今 日,「 民 主 主 義 」 は と り残 さ れ た少 数 者 を ど うす る か とい う極 め て 困 難 な 課 題 に直 面 して い る 。 つ ま り,現 え て,い 代 の民 主 主 義 の 問 題 は,多 数者 の特権 化 をこ か に全 員 の民 主 主 義 に い た る か とい う こ とで あ る。 こ れ は先 進 国 だ け の こ とで は な く,遠 る 。 そ して,こ か らず 世 界 が全 体 と して 当 面 しな け れ ば な らな い 課 題 で あ こ で 問 わ れ て い る の は,そ の 民 主 主 義 を支 え て い る 「価 値 」 の 問 題 で あ る。 今 目,「 価 値 」 とい うの は,あ る物 や 状 態 が 多 くの 人 に望 ま れ な が ら希 少 で あ る場 合 で あ る 。 これ に つ い て は,「 民 主 主 義 」 は 古 代 以 来 の 価 値 観 を継 承 して い る。 しか し,こ う した価 値 観 は,価 値 の配 分 に あ ず か れ な い 人 々 の 存 在 を前 提 と し て成 り立 つ も の で あ る か ら,全 員 の 民 主 主 義 を支 え る理 念 とは な りえ な い 。 そ こ に 新 しい 価 値 観 創 出 の必 要 が あ る。 そ こ で,坂 状 態 が 「有 限 ・希 少 で あ れ ば こ そ,そ れ が 平 等 ・公 正 に 配 分 され て 始 めて 価 値 を生 ず る29)」 とい う考 え 方 を提 唱 す る 。 そ して,こ 条 件 を究 明 す る の が 「平 和 研 究 の本 来 の,そ よ うに,坂 本 に よ れ ば,南 本 は物 や う した 「価 値 」 観 の 変 革 の して 緊 要 な 課 題 」 で あ る 。 以 上 の 北 問 題 に代 表 され る不 平 等 を是 正 す る前 提 は 「民 主 主 義 」 の基 底 をな す 「価 値 」 観 の変 革 に あ る の で あ る 。 これ は,研 究者 ・政策 決 定 者,民 衆 を含 む 南 北 の 国 々 の す べ て の 人 々 に わ た る価 値 観 の 変 革 で あ る。 そ して,次 に 問 題 とな る の は,上 記 の 目的 を達 成 す る に は,研 究 主 体 は如 何 な る視 点 に 立 つ べ き か とい う こ とで あ る。 坂 本 は核 軍 縮 を論 じる 中 で ・ 次 の よ う に,そ れ に答 え て い る30)。 坂 本 に よ れ ば,従 29)坂 本,前 30)坂 本義和 信 社,1976年 掲 書,62ペ 来 の 日本 の 平 和 研 究 者 は被 爆 体 験 に よ る核 戦 争 の絶 対 的 否 ー ジ。 「核 軍 縮 と平 和 研 究 の 課 題 」,日 本 平 和 学 会 編r核 所 収 。 な お,こ の 書 物 は,1975年9月 和 」 の シ ンポ ジ ウ ム の記 録 で あ る。 時 代 の 平 和 学 』,時 事 通 に 広 島 大 学 で 開 催 さ れ た 「核 と平 平和研究 と価値 志 向227 定 とい うナ シ ョナ ル な視 点 か ら,核 兵 器 や 核 戦 略 とい う 「グ ロ ー バ ル 」 な 問 題 を扱 っ て き た 。 しか し グ ロー バ ル な 問 題 に対 処 す る に は,そ の よ うな ナ シ ョナ ル な視 点 を グ ロ,___.バ ル な視 点 で 一 度 は相 対 化 す る こ とが 必 要 で あ る。 そ の グ ロ ー バ ル な視 点 とは ,世 界 全 体 を一 つ の 社 会 シ ス テ ム と して と らえ る こ とで あ り, 具 体 的 に は ・ 世 界 全 体 に展 開 さ れ て い る 「巨 大 な 暴 力 装 置 を 第3世 界 の人 民 と い う・ 世 界 の 底 辺 の 視 点 か ら見 上 げ る31)」 作 業 で あ る 。 そ の よ うな視 点 に 立 っ と,世 界 の 暴 力 体 系 は,11)自 国 の 抑 圧 的 暴 力 装 置,(2洗 進 国 の軍 産官 複 合 体 , (3)南北 格 差 の 受 益 者 で あ る先 進 国 の 民 衆 や 中小 国 も含 め た先 進 国優 位 の メ カ ニ ズ ム ・ 〔4)核兵 器 体 系 を 中心 と した超 大 国 優 位 の メ カ ニ ズ ム の4つ 現 わ れ て く る。 そ して,こ れ ら4つ な構 造 を形 成 す る と と も に,相 の レヴェル で の レ ヴ ェル で の 暴 力 の メ カ ニ ズ ム は重 畳 的 互 に 連 関 しな が ら,第3世 か か っ て い る の で あ る 。 坂 本 に よれ ば,こ 界 の 民 衆 の上 に の し れ ら各 レ ヴ ェ ル に お け る暴 力 の メ カ ニ ズ ム の あ り方 とそ れ らの相 互 連 関 を解 明 す る こ とが 平 和 研 究 の課 題 で あ り そ こ か ら・ 東 西 閥 題 と南 北 問 題,消 , 極 的 平 和 と積 極 的 平 和 を総 合 的 に と らえ る 新 たな展 望 が開 けて くるので あ る。 平 和 問 題 に対 す る従 来 の 日本 の 関 心 は,平 易 に依 存 ・惑 溺 しが ち で あ り,そ 和 憲 法 と被 爆 体 験 に と もす る と安 の た め に運 動 や 研 究 が硬 直 化 す る傾 向 が あ っ た 。 そ の 意 味 で ・ 世 界 の 最 底 辺 に位 置 す る人 々 の視 点 に 立 つ とい う坂 本 の試 み は ・ 日本 の平 和 研 究 の 価 値 前 提 を一 度,相 対 化 す る こ とで 鍛 え 直 そ う とす る も の と して ・ 評 価 す る こ とが で き る 。 ま た 第3世 界 の 人 々 の 視 点 を共 有 す る とい う方 法 は ・ 研 究 対 象 を外 面 か ら客 観 的 に分 析 し よ う とす る因 果 分 析 的 方 法 に対 して ・ 対 象 の価 値 被 拘 束 性 に注 目 して,そ ぶ べ き もの で あ る。 と こ ろ で,第3世 の 意 味 を解 釈 す る理 解 的 方 法 と も呼 界 の 民 衆 は世 界 的 矛 盾 の 最 大 の 被 害 者 で あ る が ・ 中 小 国 や 先 進 国 の 中 に もそ う し た矛 盾 の被 害 者 は存 在 す る。 そ う し た 人 々 の視 点 に立 っ 時 ・世 界 的 矛 盾 は 第3世 界 の人 々 に 現 わ れ る とは 異 な っ た様 相 を呈 す る で あ ろ う し・ そ の 人 々 に と っ て の 平 和 は 第3世 異 な った も の で あ ろ う。 ま た ・ 第3世 界 と い っ て もそ の 中 は 非 常 に 多 様 で あ る 。 そ うい う意 味 で ・ グ ロー バ ル な 視 点 とは,そ 31)坂 本,r核 時 代 の 平 和 学 』277∼278ペ 界 の 人 々 の そ れ とは ー ジ。 れ ら さ ま ざ ま な社 会 に あ る人 々 の 228 視 点 をも包 含 した もので な けれ ば な らない 。換 言 す れ ば,平 和 研究 に要請 され る グ ローバ ル な視 点 とは,多 様 な社会 に あ る価 値 観 とそれ に基 づい て構 想 され る多様 な平 和状 態 を包 摂 す る もの で あ る。 この よ うな多=様な価 値 と平 和 の包 摂 とい う課 題 に,平 和 研究 は如何 に対応 すべ きか 。 この課 題 に取 り組 んで い るの が武 者 小路 公 秀 で あ る。 武 者 小路 は,「 構 造 的 暴力 」 「 平 和 で ない状 態 」 な どの概 念 の登場 に よ って, そ れ までの平 和研 究 が価 値 として 定立 して い た核戦 争 の防止 とい う 「平和 」価 値 の一 元性 が崩 壊 した とす る。「平 和」 とは,一 元 的 な もので は な く・世 界 各 地 の さま ざまな集 団 がそ れ ぞ れ の環 境 の 中で考 え る状 態 で あ る。 そ れ故 に,平 和 研 究 の課 題 は,そ れ ら多様 な価 値 観 に基 づ く 「平和 」 の あ り様 を認 め・ そ れ らの共 存 の可 能性 を探 る こ とで あ る。 そ の た めに,平 和研 究 は3つ の原則 を守 らね ばな らない,第1は,多 様 な平和 価 値 問 の連 関性 を探 究 す るた めに・平 和 研 究 は共 同作業 で な けれ ば な らない 。第2に ・ この共 同作業 は価値 ・理 論 ・実 践 の3つ の領 域 を関連 づ け る もので な けれ ばな らな い。従 来 の平和 研 究 は・戦 争 防 止 とい う単一 の価 値 と,政 府 レヴ ェル の政 策 決定 へ の影 響 とい う単0の 実 践 を結 びつ け る理 論 で あ った 。 しか し9新 しい平 和研 究 は多様 な価 値 ・理 論 ・ 実 践 の問 の関係 を明確 に しな けれ ば な らず ・そ の た め に・社 会科 学 だ けで は な く人 文科 学 や 実践 家 とも交 流 しな けれ ばな らない。 第3は9平 根 」 レヴ ェル,国 内地 方 ・全 国 ・地 域 レヴ ェル(こ の3つ 和 研 究 は 「草 の をま とめて 「連 繋 」 レヴ ェル),「 地 球 」 レヴェル の各 レヴ ェル にお け る諸 研 究 を関 連 づ け て推 進 し な けれ ば な らな い。武 者 小 路 は,こ れ らの原 則 に基 づ いて ・価 値 ・理 論0実 践 の3領 域 と,草 の根 ・連 繋 ・地 球 の3レ ヴ ェル とを組 み 合 わせ て・新 しい平 和 研 究 の メ タ ・パ ラ ダイ ム を構 想 して い る。 そ の際 に・彼 は西 欧 中心 のい わ ゆる グ ローバ リズ ムの立 揚 を批 判 して,草 の根 レヴ ェル の共 同社会 に住 ん でい る人 間 の価 値 観 に基 づい て研 究 を進 めるべ きで あ る と・主 張 して い る・ そ の意 味 で 平 和 研 究 は共 同作業 に よ る多 様 な価 値観 の相 互学 習 で あ り・「国際的 学 習過 程 」 として体 系 化 されね ばな らない の で あ る32)。 32)武 者小路 公秀 所収。 「国 際 学 習 過 程 と し て の 平 和 研 究 」,r国 際 政 治 』54,有 斐 閣,1976年, 平和研究 と価値志向229 また,武 者 小 路 は,こ れ ら多様 な価 値 の出現 を,西 欧 的近 代 化 を至 上 とす る 価 値 の一 元 化 に対 す る反 抗 として位 置 づ け る。 そ れ故 に新 しい平 和研 究 は・認 識 論 的 には複 眼 的 で あ り,価 値 論 的 に は諸価 値 間 の対抗 的相補 性 を認 め る立揚 に立つ 。 つ ま り,西 欧的合 理 主義 の よ うに,真 理 は一 定 の概 念枠 組 下 で の み現 われ るの で はな く,さ ま ざまな角度 か ら接近 で きる とし,方 法 論 的 に も最 先 端 の数 学 モ デ ル ばか りで はな く,多 様 な伝 統 的方 法 も用 い る とい う意味 で ・複 眼 的 な ので あ る。 また,価 値 の対 抗 的 相補 性 とは,世 界 が諸価 値 とそれ を奉 じる 社 会 勢 力 問 の活発 な対 抗 と提 携,相 互批 判 と相 互修 正 に よ って形 成 され る とい う もの で あ る。 もち ろん,そ れ が 善悪 す べ て の価 値 観 を容認 す る とい う悪 しき 相 対 主義 に陥 らない た め に,人 間性 にか かわ る最 も基 本 的 な価 値 を共 有 す る こ と9特 定 の価 値 を実現 す るた めに他 の価 値 を完 全 否 定 して はな らない こ と・社 会 勢 力 間 の よ り平 等 な関係 を確 立 す るた めの価 値 変 容 を容 認 す る こ とな どの条 件 がつ け られて い る33)。武 者 小路 の この よ うな試 み は・平 和価 値 の多様 化 とい う事態 に直面 して,そ れ らの多様 性 を尊 重 しつ つ,対 抗 的相 補 性 とい う形 で創 造 的 に共存 させ る こ とで,地 球的 規 模 の平 和 に貢 献 しよ うとす る もの とい え よ う。 70年 代 中期 以 降,日 本 の平和 研 究 は平和 を単 な る現象 と して で は な く・そ れ を支 え る価 値観 にま で踏 み込 んで平 和 を構想 しよ うと して い る点 で ・大 きな進 歩 をみ せ た とい って よい 。 また,そ れ ら多様 な価 値 を西 欧的 グ ローバ リズ ム に り む0 よって上 か ら一 元化 す るので は な く,多 様 な価値 観 とそれ に基 づ く多様 な平 和 む の あ り方 か ら出発 して,そ れ ら相 互 の連 関 を問 うこ とで,下 か ら世界 の平 和 を 構 想 しよ うと して い るこ とは高 く評価 されね ば な らない。 また ・武者 小 路 が言 うよ うに,「 日本 が南北 問題 の 中で完 全 にみず か らを先 進 欧米 諸 国 の側 に お く こ とので きない特 異 な 中間的 な地 位 を 占 めてい る34)」とい うこ とは・ 目本 の平 和研 究 が北 と南 の両者 の立場 を媒 介 して世 界 の平和 を構想 す る の に有利 な位 置 にあ る こ とを示 してい る。 しか し,こ こ に大 きな陥 穽 が あ る。 つ ま り・ さま ざ まな 国や民 衆 の視 点 を共有 す る の に急 な あま り・ 自身 の視 点 を失 な いが ち な ご 33)武 者 小路 公秀 「平 和 と価 値 の多元化 」,r平 和研 究』,第2号,1977年 。 34)武 者小路 公秀 「第 三世界 の政治学IIと くに南北 関係 の国 際政治学 的認識 を中心 と して」,r行 動論以 降 の政 治学 年 報政 治学1976』,岩 波書 店,1977年 所収 。 230 とが そ れ で あ る。 世 界 平 和 とい う グ ロー バ ル な 問 題 を志 向 す る以 上,そ な け れ ば な ら な い 。 そ の た め に は,自 身 の ナ シ ョナ ル な 立 場 に 固 執 す る こ とな く・ さ ま ざ ま な 視 点 を共 有 す る こ とで,自 に 立 た な け れ ば な らな い 。 しか し,そ 身 の そ れ を相 対 化 し,よ り高 い 立 場 れ は 自身 の ナ シ ョナ ル な視 点 を否 定 す る こ とで は な く・ さ ま ざ ま な 視 点 を媒 介 に して,そ あ る・ 具 体 的 に は,平 の 視 点 もグ ロー バ ル で れ 自体 を高 み に上 げ る こ と で 和 憲 法 と被 爆 体,,,に 基 づ く反 核 意 識 とい う 目本 固 有 の ナ シ ョナ ル な視 点 を普 遍 化 す る こ とで あ る。 今 日の 第3世 治 的 抑 圧 や 飢 え か ら逃 れ る た め に,と 界 の民 衆 の 中 に は,政 もす る と戦 争 や 核 武 装 を正 当化 す る傾 向 が あ る。 ま た ・経 済 的 不 況 を打 開 す るた め に,軍 需 産 業 の 拡 大 を望 む声 も世 界 各 地 で 聞 か れ る 。 こ う した 多 様 な 価 値 観 に 出 会 うご とに,日 本 の平 和 研 究 は 自 身 の価 値 前 提 を鍛 え 直 さ な くて は な らな い 。 そ うで な け れ ば,平 西 問 題 か ら南 北 問 題 へ,さ 和 研 究 は,東 らに は新 冷 戦 へ と い う現 実 の 国 際 政 治 の 変 動 を後 か ら追 い か け て い る だ け に終 って しま う。 あ る い は,第3世 界 の研 究 者 が 時 に は 命 を か け て 生 み 出 し た研 究 成 果 の 上 澄 み だ け をす くい と っ て,知 識社会学的 に 理 路 整 然 と整 理 し た だ け の もの に な っ て し ま うで あ ろ う。 そ うな らな い た め に は,海 外 か らの 学 説 の輸 入 に重 点 を 置 い て き た 目本 の 平 和 研 究 の方 向性 が質 的 に転 換 され,ナ シ ョナ ル で あ る と と も に グ ロ ー バ ル な 要 素 を 内包 し て い る 目本 の平 和 研 究 の 原 点 を鍛 え 直 す こ とが 要 請 さ れ る の で あ る 。 む す び 日本 の平和 研 究 は9平 和 を志 向す る民 衆 の共 有財 産 と して平 和運 動 に明確 な 展 望 と方 向性 を与 え るべ く,そ の歩 み を開始 して い る。 しか し,従 来 の平 和研 究 の歩 み を振 り返 る時,そ れ が真 の民 衆 の共 有財 産 とな るに は,い くつ か の反 省 すべ き点 が あ る よ うに思 われ る。 そ の第1は,日 本 の平和研 究 で用 い られ る概 念 等 が外 国 か ら輸 入 され た もの で あ るこ と もあ って,そ れ が 目本 の現 実 あ るい は世界 にお け る 日本 の位 置 を適 確 に見極 め うる もの と して,十 分 に鍛 え直 され て い ない とい うこ とであ る。 も 平和研究 と価値志向23ヱ ち うん,日 本 の研 究者 も概 念 だ けで は な く,そ れ を生 み出 した現 実 や そ の背 景 にあ る価値 観 も視 野 に入 れ て,そ の概 念 の意味 を問 うて きた。 しか し,そ れ が 日本 的 風 土 の 中で もつ 意義 につ い て は十分 な解 明 が な され て い る とは いい が た い。 例 え ば,構 造 的暴 力 は,日 本 国 内 に も沖縄 問題,在 目韓 国人 差別 等 々 の形 で存 在 して い る。 これ らを単 に構 造 的暴 力 の具 体 例 とす るだ けで は な く,そ れ らに取 り組 む こ とで この概i念を創 造 的 に変 容 させ て い くこ とが必 要 で あ る。 さ らに は,そ うした作業 を通 じて,日 本 独 自の概 念 や 方 法 を発 展 させ るこ とで あ る。 日本 の平 和研 究 は平和 憲 法 と被 爆 体験 とい う貴 重 な財 産 を もって お り,そ の普 遍 化 が繰 返 しい われ て きた。 しか し,研 究 の実 際 におい て は,外 国志 向 が 強力 で あ り,目 本 の現 実 に取 り組 み,そ で は な い か。 もち ろん,グ こか ら学 ぶ とい う方 向性 が弱 か った の ロー バ ル な視 野 に立 つ こ とは大前 提 で あ るが,そ れ は 日本 的 現 実 を踏 まえ て始 めて意 味 あ る もの で あ ろ う。 また,日 本 は歴史 的文 化 的政 治 的 に南 の国 々 と北 の国 々 との接 点 に位 置 す る とい う特 殊 な立場 に あ る が,そ うした位 置 の独 自性 を科 学 的 に究 明す る こ とは,南 北 問題 の解 決 さ らに は世 界 の平 和 に貢 献 す る こ とに もな るで あ ろ う。 この よ うに,日 本 の特殊 性 ・ 独 自性 を踏 ま えた平 和研 究 を発 展 させ る こ とは,日 本 の現 実 か ら発 想 す る平 和 運動 との連 繋 に不 可 欠 な作 業 で あ る。 第2に,日 本 の平 和研 究 は国際 政 治 や 国際経 済 とい った ア プ ロー チ のみ が重 視 され て きた とい うこ とで あ る。 平和 研 究 は科 学 的 客観 性 を重 視 す る とと もに, 平 和価 値 を強力 に志 向 す る科 学 で あ る。 この価 値 志 向 は,単 に価 値 の類 型 学 と して扱 われ るば か りで は な く,一一人0人 の心 に くい込 ん だ思 想 と して考 え られ ね ばな らない。 そ うい うア プ ロー チ が あ って こそ,平 和研 究 は科 学 が必 然 的 に 背負 う 目的 合理 性 に と らわれ て,技 術 主義,官 僚 主 義,現 状支 配 是認 に傾 くこ とを阻止 す る こ とが で き るので あ る。 また,研 究者 が そ の研 究 の背後 に押 し止 め てい る平 和 へ の志 向 を,相 互 に認識 す る こ とで活 性化 す る こ とが で き る。 さ らに,科 学 的知 識 を もた な い民 衆 や運 動 を平 和 研 究 に引 きつ け,研 究 者 が民衆 の豊 か な発 想 に学 ぶ こ とも可能 に な るの で あ る。 そ の思 想 的 アプ ローチ を とる 平 和研 究 に不 可欠 な のは,世 界 の さま ざまな思 想 に学ぶ こ とは 当然 と して,日 本 の思 想 を研 究対象 とす る こ とで あ る。研 究者 が 自 らの基盤 で あ る 日本 の思想 232 に学 んで始 めて,世 界 の多様 な思 想 を平 和 に 向 けて再 構 成 す る こ とが で きる。 そ れ は,前 述 した 目本 の平 和 憲 法 と被 爆 体 験,ま た 日本 の マー ジナル な国際 的 位 置 が,特 殊 で あ る と ともに極 めて普遍 的 な要 素 を内包 して い る こ とか らも言 え るので あ る。従 来 の 目本 の平 和研 究 は,こ れ ら 日本 の思 想 に学 ぶ こ とが少 な か った た めに,新 しい発 展 へ の道 をふ さい で きた ともい え る。1968年 に鶴 見 後 輔 は次 の よ うに述 べて い る。 「平 和 を,た だ戦 争 な しの状 態 と規 定 して,こ れ を他 の あ らゆ る価 値 の上 にお くな らば… …今 の社 会 にお け る富 の不 均等 と権力 の不 均 等 を正 当化 す る こ とに な り,平 和 の下 で進 行 す る飢 え と搾 取 と差 別 とを 見過 す こ とにな る。 田 中慎 次郎 の着想 をか りるな らば,そ の よ うな静 的 な平和 観 を排 して,今 の社 会 にた い して力 つ よ くは た らきか け る車 輪 の軸 とな る よ う な動 的 な平 和 観 が必 要 なの だ35)」 。彼 は これ を平 和思 想 の問題 として述 べ て い るが,こ の発 想 は そ の まま ガル トゥングの構 造的 暴力 や積 極 的 平和 の概 念 に繋 が って い る。1968年 の時 点 で,日 本 の平 和研 究 が それ を科 学 的概 念 とす る こ と は十分 可能 だ った ので あ る。 そ れ が出来 な か った の は,さ ま ざまな環 境 的 要 因 が あ った とはい え,平 和 研 究 に 目本 の現 実 と思 想 か ら学 ぶ とい う発 想 が弱 か っ た た めで あ る。 こ こ数 年来,世 界 は新 冷戦 とも呼 ぶ べ き事 態 に突 入 してい る。民 衆 は そ うし た危機 に敏感 に反 応 して独 自 な 「草 の根 」 の運動 を展 開 してい る。 しか し,そ れ らの運 動 は具 体 的争 点 に個 別 的 に取 り組 んで い るた めに,大 きな平 和 勢力 と な りに くい の が現状 で あ る。 この時 に,平 和研 究 へ の民 衆 の期 待 は大 きい。 日 本 の平 和研 究 が,こ うした期 待 に答 え るた めに は,平 和 憲 法 の精神 と被 爆 体験 に よ る反核 意 識 を普 遍 化 す る こ とで あ り,そ れ を民衆 の実感 に沿 った形 で展 開 す る こ とで あ る。 そ のた めに は,「平和 問題 談 話 会 」の特色 で あ った民 衆 の平和 へ の願 い を豊 か な構 想 力 で具 体 化 す る とい う臨床 平和 研 究 の側 面 と,「東 京 平 和 研 究 グル ー プ」 か ら 「目本 平 和 学 会」 にい た る科 学 的客 観性 に鍛 え られ た基礎 平 和研 究 の成 果 が結 びつ け られ ね ばな らない。 そ うして こそ,目 本 の平 和研 究 は民 衆 の共 有財 産 に な りうるので あ る。 (平 和 問題 研 究 所 助手 ・社 会 学) 35)鶴 見 俊 輔,前 掲=書,8ペ ー ジ。
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