playing_and_creativity_for_web

D.W.Winnicott
1896年-1971年
遊びと創造性
妙木浩之
*この資料(文字のみ)は「フロイト以後100年」ブログサイトに掲載。
http://winnicott.cocolog-nifty.com/psychoanalysis3/
『北山理論の発見』から考える
北山理論は、日本の精神分析のなかで独自の発展をし
ている領域である。
1. 見るなの禁止⇒タブー研究の発展
2. 心身両義性の体験⇒強迫の研究
3. 橋渡し機能の言語技法⇒あいまいさの言語論やメタ
ファーの技法論
4. 覆いの技法論:精神分析設定と退行の理論
5. 共視論と治療同盟のプロセス
6. 遊びと創造性
⇒ウィニコットの理論的発展

動物と人間の間、移行的存在
動物
人間
さまざまな異形たち
身体の境界線のなかで性感帯でもある場
所は、心と体のあいまいな領域
体
外
内
心
間としての心身両義性
心身両義性
身体語を用いる
ことで、心身的
な体験を比喩と
して用いること
ができる
⇒
言葉のあいまい
機能やメタ
ファーの橋渡し
機能の発見
1984両義的な言葉の橋渡し機能
1983年「国語発想論的解釈」
解釈はあくまで日常語である
→『日常臨床語辞典』
1984年
ハコとかカベ
比喩の発生
1985年「妄想患者の治療における比喩の発生」
1985年「文字通りの体験が比喩になる過程」
1986「冗談と比ゆ」
1986年「開業精神療法:治療の最小単位として」
比喩の相互作用機能(Black)
おおかみ
男
男は狼である(AはBである)によって、AとBとが相互作
用を受ける。
北山理論のウィニコット的背景

『錯覚と脱錯覚』(1985)はウィニコット研究の本とし
ておそらく、最も優れた業績のひとつである⇒北山理論
の発想の基盤に「遊ぶことと現実」の理論がある。

ウィニコットは、おそらく精神分析の現在を考える上で
重要な三人の精神分析かのひとりである(ラカン、ビオ
ンと並んで)。

ウィニコットの理論は、精神分析の理論を拡張する。た
だしそれは、精神分析全体を刷新するので、さまざまな
齟齬を他の理論との間で起こす⇒北山理論はその点で革
新的な部分を引き受けている。
遊びの理論1
Huizinga(1872-1945)
オランダの文化論・歴史学者:『中世の
秋』という代表作で、文化論的な発想を革
新した。彼によって、中世からルネッサン
スの文化史は、ブルクハルトのルネッサン
ス期観に対して一石を投じたものになった。
その後国連で働くなどしながら、『ホモ・
ルーデンス』(1938)で文化の本質に「遊
び」があるという主張を行った。オランダ
へのナチス侵攻によって大学職を失い、一
時期強制収容所に、その後軟禁状態のまま、
亡くなった。
遊び=ホモ・ルーデンス

「文化は遊びの形式の中で発生し、はじめのうち、文化は
遊ばれた、とうことだ」「文化は遊びとして、もしくは遊
びから始まったのではない。言うなれば遊びの中で始まっ
たのだ」「形式について考察したところをまとめて述べて
みれば、遊びは自由な行為であり、『本当のことではな
い』としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。
にもかかわらずそれは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だ
からといってそれが物質的な利益と結びつくわけでは全く
なく、また他面何の効用を織り込まれているものでもない。
それは自ら進んで限定した時間と空間の中で遂行され、一
定の法則にしたがって秩序正しく進行し、しかも共同体的
規範を作り出す。それは自らを好んで秘密で取り囲み、あ
るいは仮装をもってありきたりの世界とは別のものである
ことを強調する」
遊びの理論2
Roger Caillois 1913–1978

フランスの文芸批評家・社会学者
高等研究実習院でディジメルやコジューヴ、そしてマル
セル・モースなどに学んだ。そのころ、初期においてはア
ンドレ・ブルトンやラカンといったシュールリアリズム運
動に関係していたが、すぐにわかれ、そのごバタイユを発
起人とする社会学研究会に参加した。第二次世界大戦の間
はナチスを逃れてアルゼンチンで過ごし、戦後1948年から
ユネスコで働きながら、フランスの社会学的な研究を推進
した。社会学的な研究では『聖なるもの』についての著作
が有名。『ホモ・ルーデンス』に啓発されて書いた『遊び
と人間』(1958)は、遊び論の金字塔と言われている。
遊びはさまざまな側面をもつ
聖なるものの出現と遊びとの関連性について研究しつつ、遊びとはルドゥス
に起源を持ちつつ、そこにさまざまな発展をもつが、それは
意志
1. 自由な活動
2. 隔離された活動
3. 未確定の活動
4. 非生産的活動
5. 規則を持った活動
6. 虚構の活動
アゴン(競争:文字通り徒競走など)
アレア(偶然:ルーレットなど)
ミミクリー(模倣:演劇やRPGなど)
イリンクス(眩暈:絶叫マシーンなど)
競争
模擬
(アゴン)
(ミミクリ)
混沌
(脱自我)
計算
(脱所属)
偶然
眩暈
(アレア)
(イリンクス)
脱意志
遊びの理論3
Gregory Bateson(1904-1980)
イギリス出身で、第二次世界大戦後、アメリカに
移住。コミュニケーションの研究を行い、文化人類
学者マーガレット・ミードの公私にわたるパート
ナーであった。集団や個人のダイナミックスを分析
する中で、「ダブルバインド」という概念を生みだ
し、統合失調症をコミュニケーション論から分析し
た。彼はパラドクスの概念を「遊び」に応用して、
メタコミュニケーションにおけるフレームに対する
パラドクスの導入と言う視点から、生物における遊
びを定式化した。
遊びとはメタコミュニケーション
Mental research institute
 ベイトソンを中心として、統合失調症の原因論についてのモ
デルを、家族のコミュニケーションから再構成しようとした。

その結果、システム論的な家族療法が登場した。⇒ブリーフ
セラピーに。
Weakland
Batson
Haley
分裂生成的コミュニケーション

「好き」という言葉(メッセージ)に対しては好
きという態度(メタ・メッセージ)があることが
一貫性がある。 例外:社交辞令

遊びはフレームの真偽についてのパラドクスであ
る。
言葉「好き」
どっち??????
A
態度:嫌い
B
拘束関係
あら
るれこ
。るの
言枠
葉の
は中
偽で
で語
つまり遊びには定義上、以下のような条件が必要だ。
 遊びの空間と時間には場=枠組み=規則がある
 枠や規則があれば、そのなかでは、あれもこれもありえる、
なんでもいろいろなこと、つまり自由な活動ができる
 そこには心理的に空想的な側面や夢中な気持ちがある
 不確実さや未決定がありそれを楽しむことができる(興奮が
ある)
 非生産的、まじめではない世界であり、その意味で労働とは
異なる
 パラドクスがあり、うそか本当かについての逆説を生きる
 それがうそやあり得ないことを可能にしてくれる
⇒「創造性creativity」につながっている(Winnicott)
遊びの理論の周辺:精神分析

Freudはフォートーダ遊びを記述したが、それは対象と欲望の説明のためで、
遊びそのものを理論化しなかった。文化的な活動を精神の基本に据えたが現
実的な発展のなかには空想や夢想はむしろ前文化的なものとみなした。

その後M.KleinとA.Freudの論争が起きて、Klein学は空想や夢想が理論の中心
と捕らえるようになった。ただそこでは遊びはそのなかで二次的な議論で
あった。

Anna Freudは遊びを重要な道具と捕らえたが、それを理論の中心にはおか
ず、退行論と昇華の理論が中心だった。自我心理学が述べたのは「創造性」
との関連で、「治療的退行regression」、「自我のための自我の退行A
Regression in the service of ego」(Kris)あるいは「創造的退行」
(Schafer)の理論であった。

D.W.Winnicottが登場して、「遊ぶこと」をすることとして積極的に捕らえな
おして、精神分析の中心にすえた。
児童分析の出発点

Freudの周辺にいたHug-Helmuthは、児童養施設で、
児童分析をはじめた。

精神分析の祖、Freudの娘Anna Freudは保母だったが、
その仕事を延長として、児童の分析を始めた。

でもFreudが倒れる事件が1923年、Hug-Helmuth事件
が1924年に起きた。

M.Kleinは自分のうつ病を治している間に、精神分析
家になる決意をして、特に子どもの分析を始めた。
⇒この二人の論争は、児童分析の大論争になり、そこか
ら新しいWinnicottの視点が生み出された。
Hellmuth事件
Freudは、娘が問題を持っていることを1918年代、
つまり思春期に発見する。そして彼女を治療的な
理由で分析した。Freudは、孤立しやすいAnnaを
心配して、いろいろな女性の分析家を紹介したが、
その後1923年にFreud自身が倒れ、死にかける。
そしてAnnaは彼の秘書のような役割をし始める
が、その折、1924年9月にHug-Helmuth事件がお
きる。Helmuthは甥のRudolfによって殺害されて
いることが発見される。Helmuthは養護施設を作
り、子供たちの治療をそこで行っていたので、子
供への精神分析への懐疑的な雰囲気がそこで出来
上がった。Annaはイギリスに留学して、保母の
資格を持っていたが、それに対して慎重な立場を
とる。
Anna Freud(1895-1982)
1914年にイギリス留学して保母の資格を取り、ウィーンで
戻ってから教鞭を取り、1918年に思春期以降の問題が明らか
になってきたので、父親から分析を受ける。23年以後、
Freudのがんが発覚した後は、彼女が精神分析の秘書になっ
ていく。父親から二度目の分析を受けることで、分析家にな
る。
 1925年ごろより分析の秘書:児童分析のセミナー25年に
出版
 1936年『自我と防衛』を出版
 1938年にロンドン亡命して、ハムステッドクリニックにお
ける研究
→発達ライン
 ハムステッド孤児院における愛着研究⇒今日のAnna・Freud
センターにつながる。
論争の始まり:
1927年英国精神分析協会における児童分析セミナー

1925年にAnna・Freudがその本でKleinを批判⇒児
童分析は特別な配慮(導入が必要)
ベルリンから英国に招聘されていたKlein

1927年英国協会のセミナーで、Kleinが児童分析につ
いて、Anna・Freudを批判
→ロンドン学派対ウィーン学派の対立が生まれる。遊
びについては、双方とも詳しい議論をしていなかったが、
実際にAnnaの技法には子供と一緒に遊ぶことが含まれ
ていた。Kleinは、小さなおもちゃを用いて、それを分
析に用いた。
発達ライン
Anna Freudの研究の中でもっとも重要なのは児
童の異常についての発達心理学的な精神分析で
あった。そのときに彼女が用いた概念として「発
達ラインdevelopmental lines」がある。
 依存から成熟へのリビドー発達のライン
 絶対的依存状態から自立のライン
 対象世界における自己中心性から仲間の獲得
 移行対象を通じて、遊びや仕事に向かうライン
Melanie・Kleinの仕事
子どもの治療、児童分析の
ための基本的な技法を開発
した。小さなおもちゃを通
して展開する遊びを通して、
それを解釈していくことで、
子どもに無意識的な表現の
場所とした。彼女の技法は、
今日の児童分析の標準的な
技法になっている。
『Melanie Klein著作集』が
刊行されている。
Melanie Klein
1882-1960
1882年ウィーンに四人兄弟の末っ子として生まれる。
4歳時、二姉のシドニー(四歳上)が死去
18歳時、父親モーリス肺炎で死去
19歳時に婚約
20歳時、兄のエマニュエル、心臓発作で死去
22歳時、長女メリッサを出産
24歳時、第二子(長男ハンス)妊娠時に抑うつ状態
27歳時、抑うつでスイスのサナトリウムに二ヶ月静養
32歳時、次男エーリッヒを出産、母親リブッサ死去。ハンガ
リーで分析家フェレンチィを尋ねる、精神分析を受ける。
36歳、国際精神分析会議でFreudの発表を聞く。
37歳「誕生における家族ロマンス」を提出。
38歳、アブラハムに出会い、39歳、夫のスウェーデン移住を
契機にベルリンに移住。メリッタはベルリン大学に入学。
41歳、ベルリン精神分析研究所の会員
⇒small toy technique
42歳(1924) アブラハムとの教育分析開始。メリッタが
シュミドバーグと結婚。
43歳、アブラハムの死。妻子あるジャーナリストとの交際、
児童分析のセミナーをロンドンで開く。
これを契機にイギリス移住。クラインの仕事を紹介し続ける
ロンドンへの移住によるKleinの発展
44歳(1926)、夫と正式に離婚。恋人との破局。ロンドン
に招聘移住。Anna・Freudによる早期分析批判に対して
ショックを受けるが、すぐさまその反論をイギリスで展開
する。彼女の発想は基本的に精神分析を進歩させたという
指摘をFreud自身が行っている。
おもちゃ=対象
アブラハムの指摘した対象関係
早期の不安を解釈すること
⇒ロンドンのブルームズベリー・グループ
Small toys
Kleinの発展:抑うつポジション
46歳 「エディプス葛藤の早期段階」
50歳(1932)『児童の精神分析』を発表
51歳(1933)メリッタとグラウバーとの対立
52歳(1934)長男ハンス、タトラ山登山中に転落死
「躁鬱状態の心因論に関する寄与」
→抑うつポジションの発見
早期のエディプス・コンプレックス
Kleinによる
1934(1935)年の「躁鬱状態の心因論」論文
抑うつポジションー抑うつ不安
内的対象internal object
1938年にフロイト家の亡命:移住と対立の激化
57歳(1939)戦争のためケンブリッジに転居、元夫アーサー、スイスで死去。
58歳、姉エミリー、ロンドンで死去。スコットランドに疎開。
59歳、症例リチャードを治療。
1941年 Anna Freud-Klein論争がはじまる。
⇒感情的な対立が激化していく。
症例リチャード
イギリスにおけるクラインの仕事は、多くの人たちに注目されるようになった。
なかでも「症例リチャード」は精神分析の有効性を世の中に示した。
4,5歳から興味と能力の抑制、心気症的、抑うつ傾向が強まる。他の子たちを
怖がり、外出できなくなった。8歳以降不登校。 1941年4月28日から8月23
日までの期間。週六回(時に七回)のペースで行われた、全93セッションの
事例である。当初、きわめて前性器的な表現から、Kleinの原光景や早期不安
の分析を通じて、次第に統合されていく姿が描かれている。
Freudたちが亡命してくる危機的な状況で
戦火のなかで亡命先でKleinが行った精神分析⇒
⇒クライン学派の形成
抑うつポジションといった独自の概念
投影と摂取、分裂と否認などの原始的な防衛

症例リチャードによる良い対象の取り入れ

抑うつの痛みを耐えるためのメカニズム
悪いものを取り入れることの反対が治療であり、それは統
合を意味している。
ここで分析の技法は飛躍的に進歩した。部分対象と象徴形成
というモデル
⇒おもちゃ
その分析
原始的な取り入れ
原始的は排出
Klein派の技法的発想
転移のプロセスを取り扱うときに、大人の分析手法が、おも
ちゃと遊びを通して子供にも応用可能であり、その技法を拡張
するには、乳児水準でのプロセスに注目する。
1.解釈は食物=良い授乳で、治療者は良い乳房である
2.治療者は投影を引き受ける悪い乳房でもある。
Freud-Klein論争の初期の論点
1)児童分析における導入期の必要性
A.Freud(以下A)=児童は自発的な決心で治療に訪れないし、
病気に対して洞察を持たず、治療への意志を持たない。患者
の気分に適応して、分析者を興味ある人物と思わせて、患者
にその有用性を伝え、現実的な利益を確認させる「導入期」
の必要性
M.Klein(以下M)=その必要性はない。子どもの治療は原理的
に大人と一緒である。
2)児童分析における家族の参加
A=情報の収集や状態を把握するために、そして教育的な面で
も有用
M=家族の葛藤を巻き込むためにマイナス
3)児童の感情転移
A=児童分析では治療者は鏡というよりも、積極的に働きかけている
ことが多い。しかも子どもは起源的な対象関係の神経症的な関係を
発展させている途上にあるのであって、まだそれは実際の両親との
間で現在進行中で、古い版になっていない。そのため感情転移は起
こりにくい。
M=3才までに対象関係の原型は作られているので、それ以後におい
てはすべて起源の神経症を大人の神経症と同様に形成している。感
情転移、特に陰性の感情転移こそ治療において重要である。
4)エディプス・コンプレックス
A=3-6才の間に形成される。超自我はエディプス葛藤の解決に
よって形成される(攻撃者との同一化)
M=早期エディプスコンプレックスの形成。3才までに完成している。
これ以後の子どもは処罰不安を持っている理由はそのためである
5)児童分析での教育
A=教育的要素の必要性。児童は現在も自分のモデルを取り入れ
中で、治療者が教育的な視点から「自我理想」であることが重
要。
M=分析と教育は違う。早期から形成されている罪悪感や対象関
係を深く扱うのが精神分析である。
6)死の本能
A=死の本能よりも自我と精神装置を重視
M=死の本能を理論の根幹に据える
7)解釈
A=自我から本能へ。防衛の解釈からイド解釈へ
M=超自我を緩めるための深層解釈。象徴解釈を多用する。
論争の果実:遊びの視点から

Kleinは独自の分析手法を開発する方向に行った。それはおもちゃを部分対象とし
て扱う可能性にある=遊びの中での象徴や対象の取り扱いを分析できるように
なった。その結果空想とは異なる幻想phantasyの分析が可能になり、理論が進化
して、「抑うつポジション」「妄想分裂ポジション」といった精神病理解が進歩
した。

Anna Freudは初期の導入は不要だと考えたので、遊びは少なくなっていった、た
だ遊びを観察に使うようにはなり、より診断や査定を重視するようになり、一般
心理学の発達に関する知見を増やしていった。その結果「発達ライン」概念が明
確になり、精神分析が発達心理や乳幼児精神医学の中心を占めるようになった。

この論争は家族をイギリスに場を移してからは、訓練の問題になり、さらにKlein
の家族が周囲を巻き込む感情的な対立になっていったので、Anna Freudは英国協
会を脱退して、スイス精神分析協会に所属した。イギリスではこうした対立を納
める形で、間に立ち、中間学派が作られるようになった。こうして小児科医であ
り、精神分析を学んだWinnicottが登場してくる。
Winnicottの理論

彼は小児科医であったために、精神分析治療の利点を知ってい
たが、それがつねにどんな子供にも提供できるわけではないと
いう現実的な視点をもった。

第二次世界大戦の疎開計画の中で、子供の心をどう守るかとい
うことを独自に考えるようになった。

もともと内的幻想中心のKlein学派から出発したが、そこから環
境を含めた子供の全体的なあり方を考えるようになった。その
ため晩年の技法はより短期の「精神療法的コンサルテーショ
ン」に特化しはじめた。

遊べること、夢見れることができる可能性空間を重視するよう
になった。
ウィニコットの理論的発展
1.
ストレイチーの分析(1923-33)
古典的なFreud的解釈
2. Klein派の時代(1935-46)
「躁的防衛」(35)「設定状況」(41)
3. 母性的環境仮説の着想(41-46)
定型的な治療構造から疎開計画の体験
4. 理論的な進歩(46-51)
環境としての母親、Kleinから離脱
5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)
治療的な技法の定式化
→リトル(49-)、カーン(51-66)
治療相談therapeutic consultation
精神療法面接とは異なる技法
二三回あえば治る症例に対するもので
転移と抵抗を扱うよりも
間の体験のなかでクライアントのニードに合わせ
た体験を提供する。
スクィグル技法
オンディマンド法
在宅などの環境の活用
症例ルース
8歳
 父親が相談に来た。相談は二つ。ーっは,三人の子ども
のうち真ん中の娘が学校で盗みをするようになり.これに
伴って彼女の性格が変わり隠しごとをしたり,こそこそ
するようになったことである。そして学業成績はさがり,
学校は彼女の転校を求めてきた。もう一つは,仕事をや
りながら家族の世話もしてきたこの人が,妻の病気の管
理に混乱するようになったことである。彼の妻は三つの
病気をもっていて,そのため彼は三つの病院状況にかか
わっていたが,どういうわけかその3病院のソーシャル
ワーク部門聞のコミュニケーションが欠如していた。
1.主観的対象としての医師
2.オンディマンドの対象として治療者
3.枠組みとして面接室を使う
⇒ルースはすぐにくつろいだ。彼女は,姉のことや,学校
に通っている妹のことを話してくれた。彼女は私のところ
に来るために学校を休んだことを,それほど気にしていな
いと言った。学校に出ていたとしたら国語の授業を受けて
いるはずだった。彼女はゲームをやろうという私の提案を
受け入れた。そこで,私はスクイグルを描いた。
遊びは交流の枠組みを作ることから
場を作る⇒
 子供は自分の問題(痛みや苦しみ)をもってくる。
 治療者はそれを一緒に見る(共視論)という関係の中
で、子供の情報を聞き、アセスメントする(兄弟)
 治療者との間に交流を生み出す。
 彼女は自分の問題を象徴的に語る(乳母車=母子一
体)
 場を作るためには、環境に配慮する(ゼラニウム)
交流にはズレと一致とが生まれる

コミュニケーションにおける一致とズレは最近の
関係的精神分析で発見されたことだが、ウィニ
コットははやくから、ここに交流する側面と交流
しない側面があることを知っていた。
⇒一人でいられる能力
capacity to be alone
無慈悲から思いやりの段階への発達
偽りの自己の形成
環境からの侵襲に対して組織される自己
交流する領域と一人の領域:交流と内省
関係の指標(交流の領域と言語化の領域)
ウィニコットは「信頼の確立」と解説している。
 治療関係での同調tuning inによって、主題が一致していく、それは同
時に内側で起きていることにアクセスするための機会
 信頼という枠組みと攻撃的な関係性という内容は一種のパラドクスだ
が、それが遊びのなかで可能になっていく。
⇒この結果私は大胆になり,作為的にメチヤメチャのスクイグルを描い
た。彼女はその周囲に桶を描き加えて.それが桶に入っている水となるよ
うにした。ここにはパーソナルな空想がみられ,私はルースの夢の世界
に近づくことができるようになった。彼女が夢を見る時これと似たもの
の夢を見たことがあるかどうか尋ねた。彼女はテレピでなら見たことが
あると言ったが,その時見たのは穴の聞いた桶に入っている魚だった。
私は夢というアイデイアを諦めないで「おかしな夢とか,恐ろしい夢は
どうかなJと訊いた。ここで,彼女の話題は夢生活に切り替わった。「私
の夢ほほとんど同じなの。毎晩夢をみるわ。Jこの夢を図にして説明する
ために,彼女は大きい紙を1枚取った。

混乱=カオスから夢の入り口
15)
大昔の船が水とともにやってくる。「妹が腕に抱かれている赤ちゃん
だった時,私は走っていたの。それはお母さんが脚を悪くする前だっ
たの。水が押し寄せて来ているの。私はいろいろな品物や,赤ちゃん
のベビーフードを持っているの。赤ちゃんのために,ベビーフードを
他の品物と一緒にしておいたのね。夢は良い終わり方をしたのよ。お
父さんが自動車で帰って来て,車庫にバックで入れたの。お父さんが
船に体当たりして,船を粉々に壊したの。すると,水が全部引いて
いったの。こんなふうに夢は良い終わり方をしたの。」
父親が帰って来てその状況を救ってくれるまでの。この夢の中間の部
分の叙述には,かなりの不安がみられた。
⇒夢のなかで繰り返される「外傷」
夢の悪いヴァージョン
この夢は楽観的で,結末はすべてうまくいっていた。だ
から,同じ夢の悲観的な表現形がどこかにあるはずだっ
た。私にはこれが必要だ、ったので,ルースに最悪の場
合を描くように頼んだ。
(16)
再びルースの描いた絵。この絵には,赤ん坊を抱いた母親が現わ
れているが,ルースは描きながら自分で驚いていた。「あれ,すご
く小さいチピだ。」彼女は,自分の後ろにある海には,赤ん坊を縮
ませる毒が入っている,と言った。母親も縮んでしまうのだろう。
「あっ見て.私,どんどんお母さんから離れていくわ。」この絵は,
ルースの分離の最も深刻な領域と,絶望感の出現を直接的に見せて
くれているとウィニコットは言う。
遊びの交流の場:スクィグルの特徴






治療者のほうが子供たちよりもなぐりがきが上手で、子供のほうがたい
てい絵を描くのが上手である。
スクィグルには衝動的な動きが含まれている。
スクィグルは、正気の者が描いたのでない場合には狂気じみている。そ
のためスクィグルが怖いと思う子供もいる。
スクィグルは制約をつけることはできるが、それ自体は制約のないもの
である。だからそれがいたずら描きだと思う子供もいる。これは形式と
内容という主題に関係している。用紙の大きさと形がひとつの決め手と
なる。
それぞれのスクイグルにはある統合が見られるが、それは「私」の側に
ある統合から生じるものである。これはよくある強迫的統合ではない。
よくある強迫的統合には混沌の否認が含まれていると思われるからであ
る。
ひとつのスクィグルのできばえは、それ自体が満足のいくものであるこ
とが多い。そういうのは例えば、彫刻家が石や古い木片をひとつ見つけ
て、手を加えずに一種の表現としてそれを置いたような「見出されたオ
ブジェ」のようなものとなる。
遊びの理論4
Donald Winnicott(1896-1971)
 遊ぶことにひとつの場所を与えるために,私は赤ちゃんと母親のあいだ
の可能性空間を仮定した。この可能性空間は,母親あるいは母親的人物
との関係における赤ちゃんの生活体験によつて実に大きく違ってくる。
そして私は,この可能性空間を以下の二つと対比した。(a)内的世界(心
―身のあいだのパートナーシップに関連している)と,(b)実際のあるい
は外的な現実(それ自体の諸側面を持ち,客観的に研究することができ,
どんなに観察する側の個人の状態によって変化するように見えても実
際に恒常的に存在し続ける)である。
 心理療法は二つの遊ぶことの領域、つまり、患者の領域と治療者の領
域が重なりあうことで成立する。心理療法は一緒に遊んでいる二人に
関係するものである。以上のことの当然の帰結として、遊ぶことがあ
り得ない場合に、治療者のなすべき作業は、患者を遊べない状態から
遊べる状態へ導くように努力することである。(ウィニコット『遊ぶ
ことと現実』)
「遊び」と創造性
 間にある遊びの空間
主体
対象
「強迫症」を生み出すもの
 対象aと主体の世界
対象a
主体
強迫の穴
「あい間」を生み出すもの
主体
対象
「ヒステリー」を生み出すもの
対象a
ヒステリーの穴
対象
「移行対象」を生み出すもの
 間にあるsmotherやattachmentの空間
可能性空間
(対象a)
主体
対象
移行対象
スクリーン・モデル(共視論)
⇒見るなの禁止から一貫した交わりのモデル
主体
対象
Th
(x)
Cl
自生モデル:生き生きとした接触
Th
Cl
『北山理論の発見』補遺


北山理論のように、文化のなかで遊ぶことが交わりの部分に新しい文化を生み
出す。北山修ときたやまおさむにおいては、二重の世界が下敷きにある。
遊ぶために場、規則などの枠組みが必要である
にもかかわらずそこに夢や空想が守られている必要がある(錯覚)
 遊びは一致とズレの間にあるので、しばしば覚めることと遊びを行き来する
(脱錯覚)
 遊ぶことには、自発的な活動であり、そこに興奮や夢中を伴う
 対話によって交流が生み出されるが、同時にズレによって外に目が向く、そし
て外に目を向けるためには、混乱や混沌が必要になる
 破壊や破滅として遊びが使われることもある
 混乱や混沌から創造的なものが自生されるときに対象が新しく生き残る
