伊勢﨑賢治さんについて

伊勢﨑賢治さんについて
発表者:金田瑞希
伊勢崎 賢治(いせざき けんじ)
• 1957年7月東京生まれ。
• 建築家を志して早稲田大学理工学部建築学科に入学するも途中で
「建築学」に失望。
・インド国立ボンベイ大学大学院に入学
「世の中を変えるんだ!」
1983.4~1987.6 インドで住民運動を指揮
• 大学院で学んだコミュニティ組織論、交渉術などを駆使し、スラム
街に住みながらプロのソーシャルワーカーとして40万人の住民運動
を指揮。
・ボンベイ市当局路壮絶な争いを繰り広げる。大学院は中退。
・あまりの苛烈さからボンベイ市
公安局から国外退去命令を受
けて帰国。
1983.4~1987.6 インドで住民運動を指揮
• 伊勢﨑さんのとった方法
• 大きな目標を達成するには、宗教の壁を乗り越えて一つにまとまら
なくてはならない。
• どちらもWINの状態に導くためにはひとつの運動の中で両方の問題
を解決していくようにしなければならない。
• 共通の目的を作ってまとめていく。
1988.1~1997.2 PLAN INTERNATIONAL時代
• 世界最大規模の国際NGO「PLAN INTERNATIONAL」に就職。
・シエラレオネ共和国の現地事務所所長として農村総合開発を計画・
実施。国のインフラを整える。
・ケニア・エチオピアでも同様の事業に従事。
1997.3~1998.9
財団法人日本フォスター・プラン協会に転職。
国際援助部長として予算管理・広告戦略を担当。
1998.10~2000.2
財団法人笹川平和財団に転職。
主任研究員として中東和平にかかわる。
1990.10
• 伊勢﨑さんのもとに一本の電話が
「ご存知のことと思いますが、国連安全保障理事会が今月中に
東ティモールのPKOミッションを創設いたします。
ご興味はございませんか?
2000.3~2001.5 東ティモールの県知事に
国連東ティモール暫定統治機構の上級民政官としてコバリマ県の
県政を指揮。
DDR,治安維持、開発インフラの復興を手掛ける。
2001.6~2002・3 シエラレオネでのDDR
• 国連シエラレオネ派遣団。
• 国連事務総長副特別代表上級顧問兼DDR部長として、内戦後のシ
• エラレオネでDDRを総合的に指揮。
2003.2~2004.3 アフガニスタンDDR
• 日本主導で行われたアフガニスタンDDRを指揮。
• 軍閥の解体・国軍の再構築を実現。
2002.⒋~2006.3
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の教授に就任
2006.4~2009,3
東京外国語大学大学院地域文化研究科平和構築・紛争予防学講座(PCS)教授。
2009.4~現在
東京外国語大学大学院総合国際学研究科国際協力先行平和構築・紛争予防専修コー
ス教授
DDR の問題点
D=Disarmament(武装解除)
D=Demobilization(動員解除)
R=Reintegration(元兵士の社会復帰/社会再統合)
Rのおかげで現状ではほとんどの兵士が罪に問われていない。
でも、理想はどこまで許してどこまで許さないかを線引きすること
・・・・どこまでの人間を「司令官」とする?
「未成年」はどう扱う?