论说文的翻译

第三单元第三节 论说文的翻译
 论说文日语称作“論説文”,包括评论、社论、宣言、声明、纪要、演
讲、杂文、报告、论文等;主要运用概念、判断和推理,来表明作者
对社会现象、社会问题的观念和主张。要正确无误地译好论说文,翻
译工作者平时必须努力提高自己的理论水平,要熟悉日本的,乃至国
际上的社会、政治情况——包括政治、经济制度、社会团体以及主要
的政界人物等等。
 在语言运用上,论说文兼有科技文章和文学作品的特点,即为了使读
者信服论文中所阐述的思想和观点,论说文的作者总是严格地选用词
语,力求赋予作品以严谨的逻辑力量。同时为了达到一定的宣传效果,
即为了把抽象的道理说得更加具体,更便于理解,又往往运用某些修
辞手段。因此翻译论说文时必须针对这些特点
(一)正确地理解并如实地译出
原作的立场、观点
 论说文正面阐述作者的观点,主体意识比较强,译文在转
达作者观点上不能打折扣,更不能以译者一方的观点代替
作者的观点。为了做到这一点,在动笔翻译前要反复读原
作,掌握全文的思想内容,理解作者的立场、观点,对于
具有重大意义的文件(如经典著作、政府声明等)更应慎
重,必要时还应阅读与原作有关的文件、资料,调查有关
政治、历史背景以至作者的一贯思想、立场、观点、政治
倾向。
 作者的思想、观点反映在文中的每一个词句之中,因此翻
译时必须一词一句仔细推敲,认真选词,否则往往会因一
字之差而造成严重的错误。
(二)爱憎要分明,语气轻重要恰当
 文学作品对喜怒哀乐的描写方式是多种多样的,
或用直接的,或用迂回含蓄的方式。与之比较,
论说文一般是直接地运用清楚的语言表达作者的
感情的。不同立场的人,对待客观事物的态度也
截然不同,这种态度在论说文中反映得尤为明显。
因此翻译论说文的时候,要正确掌握原作者的爱
憎态度,然后用确切的语言把它再现于译文中。
选词要特别注意褒贬意义,要看语气轻重是否恰
如其分。
(三)注意保持原作的语言特色
 论说文多用书面语,而且常常插入文言,因为书面语言和文言具有结
构简练,语气庄重的特点,能给读者以严肃,雄劲的感觉。为了修辞
上的需要,论说文有时也故意插入口语,因为口语可以使语言生动、
具体,所以在书面语中插入口语便于使某些抽象的概念形象化,或给
人以幽默的感觉,从而给文章带上感情色彩,增强感染力。
 翻译时要充分注意这些文体色彩和修辞色彩上的特点,恰如其分地或
用“文”的或用“野”的词语把原文的用语特色复现出来。日语的书面
语和口语,无论在用词上还是在语法上都有比较明显的差异,所以汉
译日的时候应留意语体上的差别。
 简言之,论说文为追求宣传效果、增强说服力,往往采用各种不同
的修辞手段,文章因而呈现各种不同的风格,翻译时需应采用既能体
现原文风格又不影响译文流畅的表现手法,以求达到原作者希望的宣
传效果。
例文一、口は災いの……
訳文
祸从口出
首相の発言がきっかけとなって、
コューヨーク市場の株価が一時、
首相的发言引发了纽约股价
急落した。
一时暴跌。
背景には、通貨政策をめぐる日
米の複雑な駆け引きがある。頭から
「失言」と決め付けるのは酷だろう。
其背景,有日美间围绕货币
政策的复杂交涉。然而一开头就
定位为“失言”,也许很过分吧。
ただ、「ここに連番準備制度理
事会やニューヨーク連銀の関係者
はいないでしょうね」と冗談を飛ば
したぐらいだから、首相自身は発言
の余波をまったく計算していなかっ
たようだ。不用意だった、と指摘
されても仕方がない。
不过,首相信口开玩笑说“这
儿没有美联储理事会或纽约银联
的人员在场吧”,就足以说明他
没有估计到自己发言将会产生的
影响。因此,他被指摘为说话不
慎也是没有办法的。
気がなるのは、首相
の記者会見などでの応答
に近ごろ、ちょっとした
「くせ」がめたつように
なったことだ。質問者の
知識や見解を試すような
言葉を発するのである。
令人担心的事,首相在记
者招待会等的应答中,最近,
有一个小小的“习惯”引人注
目。即其所言所谈像是要考考
提问者的知识及见解似的。
在参加丹佛首脑会议前的
记者招待会上,一个记者为了
デンバー・サミット 提高大众对税金用途的关心,
に出発する前の記者会見。 问及是否有重新考虑税金征收
一人の記者が、税の使途 制度的想法。
への関心を高めるため、
源泉徴収制度を見直す考
えはないかと聞いた。
首相は「コスト計算をしてみ
たことはありますか」と答え、
重ねて問われると、源泉徴収を
やめるといかにコストがかかる
かを延々と説明した。問題をす
りかえた感は否めない。
郵政三事業の民営化について
の質問にも、「郵政というと、
なぜ三事業の話しか出ないの
か」と問い返し、通信や放送を
含めて論議する必要性を説いた。
それ自体は正しく手も、はぐら
かされた印象が残った。
首相回答道:“你做过成本
计算吗?”当再次被记者追问时,
他却喋喋不休地解释起取消源泉
征收税需要多少成本。毫无疑问
他转移了提问中心。
在回答有关邮政三大项目民
营化的问题上,他也反问对方
“说到邮政,你为什么只提三大
项目?”并提出有必要就包括通
信、广播问题进行讨论。尽管这
是正确的,但却给人一种话题被
岔开了的感觉。
首相はどうやら、会見場にいる記者
首相似乎只把会场上的记者作
だけを相手に議論している気分らしい。为辩论对象。然而记者的身后有着
記者のうしろに多くの人々がいること 众多的大中,忘记这一点是不行的。
を忘れては困る。ニューヨークの講演 在纽约的演讲上,不就是这种心情
でも、その気持ちがつい警戒を緩めさ 使他无意中放松了警惕吗?
せたのではないか。
首相上任快一年半了。可以看出
まもなく就任一年半。どんな質問に 他对任何提问都有应答自如的自信。
も、うまく答えてみせるという自信が
但是,从容和疏忽只是一纸之隔。
うかがえる。
说不定什么地方就有陷阱在等着他。
けれども、余裕と油断は紙一重であ 千万当心,千万当心!
る。どこに「落とし穴」が待ち受けて
いるかわからない。ご用心、ご用心。
(1997、6、27
朝日新聞より)
二、「やっぱりねえ」
原文
“果不其然”
作家崛田善卫曾说过:“日本人,包
「日本の人は、私も含めてそうで 括 我 也 是 这 样 , 老 爱 说 ‘ 果 不 其
す け ど ね 、 し き り に 『 や っ ぱ 然’。”(教育电视)
り』っていいますね」と作家の崛 在欧洲生活的时候,被用“这是因为”
田善衛さんがいっている(教育テ 来连贯下去的会话弄得够呛。然而回
レビ)。
国后发现“果不其然”用得很多。
ヨーロッパで暮らしていた時 “这是因为”里强调自己意见的成分。
は「なぜならば」でつないでいく “果不其然”里存在着想在与人相通
会話に苦しめられた。しかし帰国 那一部分中间找到某种意味的心理活
したら「やっぱり」が多いことに 动。——崛田先生说,这个分析很有
気づいた。なぜならばには自己主 趣。
張があるが、やっぱりには、人と
重なる部分に意味を見いたずとい
う心の働きがある、と崛田さんは
やはり・やっぱりには、思った通り、
案の定の意味がある。政治のこととなる
と、この言葉は始末が悪い。防衛費が三
兆円を超えても、やっぱりねえ思った通
りさ、と割り切って驚かない。都心の地
価が高騰を続けても、がほごになっても、
やっぱりねえ、である。ものわかりがよ
すぎて怒りがひっこむきらいがある。
“果不其然”,“果然如此‘有’正如
自己想的那样”、“不出所料”的意思。
当牵涉到政治的时候,这个词就不好处
理了。防卫费超过三兆日元,“果然不
出所料”,轻描淡写,并不惊诧;市中
心地价持续高涨,减税公约成为一纸空
文,也是一句“果不其然”。过分显得
知情晓理,反而不无硬压着怒气之嫌。
経企庁の平原渉長官が「マルコス疑惑
は第一義的にはフィリピンの国内問題だ。
こちらからとやかくいうことは内政干渉
になる」と発言した。「亭主が女房に渡
した金で女房が何を買ったかは女房の責
任だ」ともいった。この発言をきいた大
方の感想は「やっぱりねえ」だったので
はないか。
经企厅平泉涉长官发言说:“马克斯疑
案,从根本上来说,是菲律宾的内政问
题。我们如果说三道四,很可能成为干
涉内政。”并说:“丈夫把钱交给妻子,
妻子用这钱 买 了什么东西 , 由妻子负
责。”听次发言后,一般的感情不正是
“果不其然”吗?
徹底究明だと政府はかっこうの
いいことをいっているが、本音は
その実態をいかに巧妙に隠し通す
か、にあるだろう。正直な閣僚の
だれかが本音をもらすだろう、と
思っていたところ案の定礎れがで
た。やっぱりねえ、である。
しかし「亭主が女房に渡した
金」とはなんという極楽とんぼだ
ろう。近在の人たちが援助のため
に集めてくれた金であれば、その
使い方を公開する責任がある。
政府表面上冠冕堂皇的说要“彻底
查究”,而其真意恐怕是“怎样才能
巧妙地掩盖事实真相”吧。我预料准
会有某个正直的阁僚泄露真意的,不
出所料,真意泄露出来了。这才叫
“果不其然”。
“丈夫把钱交给妻子”,说得多
么轻巧阿。钱是周围的人们出于援助
的目的而凑集起来的,其使用情况完
全有公布的义务。
円借款の事業費に水増し
がある、その水増しの一部
がりべートとしてマルコス
政権に流れていたとすれば、
私たちの税金がむだに使わ
れていためことになる。援
助政策の欠陥を政府を自ら
の手で暴くとは思えないだ
けに、今こそ野党の力量が
問われている。いい加減な
追求では、やっぱりだめか、
ということになる。
日元借款的事业费中有
虚报现象,如果虚报的部分
作为手续费流入了马科斯政
权的私囊,那就等于把我们
交纳的税金毫无价值地用掉
了。不能设想政府会用自己
的手来揭露援助政策的缺陷。
正因如此,现在就要看在野
党的力量了。敷衍赛责的追
究,只会使人们产生“果然
不行”的想法。
三、考えよう『国際居住年』
——長寿時代の曲がり角に求めら
れる良質住宅
原文
今年は、国連が定めた「国際居住
年」である。英語では「インタナ
ショナル・イヤー・オブ・シェル
ター・フォー・ザ・ホームレス」
という。その活動の主要な柱は、
開発途中国における貧困層の住居
と居住環境の改善にあるが、同時
に国連加盟国がそれぞれの国内で
住居と居住環境の改善に努力する
ことも求められている。ここでは
国内の住居事情にとって「国際居
住年」のもつ意味を考えてみたい。
“国际居住年”的思索
—— 长 寿 时 代 需 要 优
质住宅
今年是联合国定的“国际居住
年 ” 。 英 语 称 作
“ INTERNATIONAL YEAR OF
SHELTER
FOR
THE
HOMELESS” 。 这 次 活 动 的 主 旨
在于改善发展中国家贫困层的居
住条件和居住环境,但联合国同
时也要求各成员国努力改善各自
国内的居住条件和居住环境。在
此,想探讨一下“国际居住年”
对日本国内住宅现状所具的意义。
昨年の暮れ、阪神間の老人ホームをつくか訪
ねた。そこで生活している人々の入所理由を
聞くと、「前の住宅が狭かった」、「家賃高
かった」、「立ち退きを求められた」などが
大半を占め、日本の住宅事情の縮図をみる思
いがした。
最大の理由は、住宅の狭さである。三世
代同居で暮らしていたか、孫たちが成長した
ので、男女を別にしたい、独立した勉強部屋
を与えたい、というときに、老人が家から出
ざるを得なくなったケースが多いという。ま
た、家族関係がうまくいかなかったことを理
由とする場合も多いが、これもその大半は住
宅が狭く、各人が気分転換するだけの余裕を
もてなかったことに起因するようである。住
宅が広ければ、子や孫と一緒に安心して暮ら
せたであろうケースが少なくない。
去年年末,笔者走访了大阪神户的几
家“老人之家”,问在那里生活的人
住“老人之家”的理由,作“原来的
住房太窄”“房租太贵”“被撵出来
了”等回答的占了大半,闻之颇有看
到了日本住宅情况的缩影的感受。
最大的理由是住房太小。三世同堂
一块儿生活的家庭,孙子孙女长大了,
要让它们分开住,或要给他们单独的
学习房间,这时老人就不得不离家而
去,据说这种情况较多。另外,以家
庭关系处理不好为理由的情况也不少,
其中大部分也是由于住房小,家庭成
员没有转换心绪的余地而造成的。如
果住房宽敞,往往也就可以安安心心
的和儿孙们一起生活了。
独り暮らしの老人や老人夫婦のみ
の世帯では、家賃の高いことが大き
な理由となっている。更新の度似値
上がりする家賃をわずかな年金の中
から支払うのは困難な場合も多い。
单身老人以及只有老年夫妇的
家庭,其最大理由是房租过高。每
更新一次合同,房租就跟着上涨,
从仅少的一点养老金里拿出钱来支
付房租,多有困难。
最近では、老人に限らず立ち退きを
求められるケースが増えている。都
市での大規模な建て替えが盛んだが、
建て替え前の家賃より後の家賃がは
るかに高いために住み続けられなく
なったり、中には暴力的に追い立て
られるようなことも出てきている。
最近,不局限于老人,被要求
迁出去住的情况有所增加。城市里
到处都在搞大规模的翻盖,由于翻
盖后的房租比翻盖前的房租高得多,
因而无法继续住下去,其中甚至出
现了被强暴地赶出来的事情。
念願のマイホームを購入しても、そ
れが欠陥住宅であったり、その後、環
境が悪化したりでは庶民はまらない。
遠距離通勤が様々な悪影響をもたらす
こともよく指摘されるところだ。また、
無理をしたため高額のローンを計画通
りに返済できず、大切な住宅を手放し
たり、さらに借金を重ねるというケー
スがこのところ増えていることを報告
されている。
即便买朝思暮想的私人房子,
不是建房质量有问题,就是后来环
境恶化,这样叫平民百姓怎么受得
了。远距离上班会带来各种不良影
响的情况也是常有人指出的。另外,
还有这样的报告:由于没有量力而
行,无法按计划环分期付款的较高
的金额,或只好放弃宝贵的房子或
再进一步借钱的情形开始多起来了。
こしてみてくると、今多くの人々
が「住」のために悪戦苦闘し、不安な
生活を強いられていることがわかる。
統計上では、全国の住宅戸数は世帯数
を10%上まわり、住宅不足は解消さ
れた、住宅の質も欧米なみに近づいた
とされているが、これは庶民の実感と
は程遠い。
这样一看就很清楚,现在许多
人正在为“住”的问题艰苦奋战,
不得不过着不稳定的生活。在统计
上,日本全国的住房数超过住户数
10%,住房不足已经解决,而且住
房质量也已接近欧美。然而,这与
百姓的实际感觉相差甚远。
文字通りのホームレス(家なき人々)は
少ないまでも、人間らしい生活を実現する
住居はまだまだ不足している。そういう意
味では、日本の状況も一種のホームレスと
いえるのではないだろうか。
わが国にとって、経済の高度成長は過
去のものとなり、やがて長寿会を迎えよう
としている。もうこれまでのように一部で
みられた低質な住宅を大量に建てたり、取
り壊したりする方法は改められるべき時期
にきている。いまや良質の資産としての住
居と居住環境を、私たちは自分たちの老後
と次代のために準備しなければならず、し
かも、そのために残された時間は決して長
くはない。「国際居住年」は、私たち一人
が「住」に問題に取り組むよい機会だと思
う。
(1987.1.1朝日新聞より)
真正无家可归的人虽然不多,不过
能让人像像祥样样地生活的居住条件
还远远不够。在此意义上,恐怕可以
说日本的现状也处于一种“无家可归”
的情况。
对我国来说,经济的高度发展已成
为过去,不久将迎来长寿社会。必须
改变以往那种(尽管是局部现象)大
量建造低质住宅然后再讲其拆掉的做
法的时候已经到来。为了我们自己以
后的老年时代,为了下一代,现在必
须准备好作为优质资产的住房和居住
条件,而留给我们做此工作的时间决
不多了。我觉得,“国际居住年”是
我们每个人着手解决“住”的问题的
良好机会。
「新時代の日中関係--対話と協力の新たな発展」
橋本竜太郎1997年5月より(讲演文的翻译)选自
高级日语口译教材
 時は9月、北京に美しい秋が巡っ
てまいりました。今を去る25年前、
日中国交正常化という偉大な事
業が行われたのも、時まさに豊穣
の秋、9月の候でありました。この
記念すべき年に貴国を訪問し、本
日、ここ国家行政学院において、
中国各界を代表する方々や将来
の中国政府の指導層となられる
方々を前に、日中関係について
の私の思いを述べさせていただく
ことは、大変な喜びであり、また
光栄であります。
 时值9月,北京迎来了美丽的秋
天。25 年前,日中两国邦交正
常化这一伟大事业的实现也正是
在9月,这样一个丰收的秋天。
能够在这个值得纪念的日子里访
问贵国,并来到国家行政学院,
在诸位中国各界代表及未来的中
国政府领导人面前,发表我个人
对日中关系的看法,我感到非常
欣喜和莫大的荣幸。
 国交正常化以降の25年間は、両
国国民に豊かな善隣友好の果実
を産んでまいりました。この成果
を基礎として、将来にわたり、両
国関係に大きな果実をもたらす重
要な仕事は本日ここにおられる次
代を担う方々の双肩にかかって
おります。その意味で、このような
場でお話する貴重な機会を与え
ていただいた関係者の方々に厚く
お礼申し上げます。
 邦交正常化以来25年间,
两国人民之间的睦邻友好
交流取得了丰硕的成果。
以此为基础,进一步促进
两国关系向前发展并取得
更大成果,这一重任已经
落在在座的各位新一代领
导人肩上。因此,我非常
感谢各位给我这样一个宝
贵的机会在此发言。
 わが国にとり、極めて重要な貴国との
関係を如何に発展させていくか。これ
は私自身常に考え続けている課題で
あります。1979年に初めて貴国を訪
問した際、私は厚生大臣でした。私が
一政治家として或いは閣僚として
度々帰国を訪れて参りましたのも、そ
うした課題に取り組むためであります。
また、1991年私が大蔵大臣の任にあ
りました時、西側先進国が閣僚レベ
ルの訪問をストップしていた中で、先
進国の閣僚として最初に貴国を公式
に訪問したのも、国際社会における
貴国の重要性についての私の信念
に基づくものであります。
 对于我国来说,与贵国的关系极为
重要。如何将这一极为重要的关系
发展下去也是我个人经常思考的问
题。1979年我初次访问贵国时,担
任内阁的厚生大臣。作为一名政治
家或者内阁成员屡次访问贵国,也
正是为了深入研究这一课题。之后,
1991年我担任大藏大臣时,西方发
达国家中止了对华部长级访问,而
我率先作为发达国家的内阁成员对
贵国进行了正式访问,这也是因为
我已经意识到并确信中国在国际社
会上的重要地位以及日中关系的重
要性。
 私は去る8月28日東京で、「新た
な対中外交を目指して」と題する
講演を行いました。その中で私は、
「ポスト冷戦」の時代の中で、各国
が新たな国際秩序形成へ向けて
大変な努力を重ねていることに触
れながら、アジアの安定と発展の
ために4つの視点から、即ち、ア
ジア各国の多様性に対する認識、
対話の機会拡大、具体的な協力
関係の創造、共通の秩序形成の
必要性について述べました。
 8月28号我在东京作了题为“旨
在发展新型对华外交”的演讲。
其中提到在“后冷战”时期,各
国正在为促进新的国际秩序的形
成而努力,同时,谈到了为实现
亚洲稳定与发展必要的四个方面,
即:增强对亚洲各国多样性的认
识;扩大对话机会;创造具体的
合作关系;实现共同的国际新秩
序的必要性。
 新たな国際関係秩序の構築が着実
に進む中、両国が存在するアジア太
平洋地域は、世界の成長センターと
して大きな経済発展を遂げ、域内各
国間の相互依存関係が急速に深まっ
ています。同時に、アジア太平洋経済
協力(APEC)、アセアン地域フォーラ
ム(ARF)などを中心として域内の対話
が進展しておろます。私はここで、こう
いした発展を歓迎するとともに、この
趨勢を継続しながら発展していくため
には、平和こそが何にもまして大切で
あること、そして、その平和は発展を
通じて更に強化されるものであること
を強調したいと思います。
 新的国际关系秩序正在稳步构筑
过程中,两国所在的亚太地区,
作为世界经济增长中心取得了巨
大发展,区域内各国间的互相依
存关系也迅速加深。同时,以亚
太经合组织( APEC ),东盟地
区论坛(ARF)等为中心的区域内对
话也在不断取得发展。我在对这样
的发展表示欢迎的同时,也想强调,
为保证这种趋势的持续发展,和平
尤为重要,而且和平也会通过发展
进一步得到加强。
 振り返ってみますと、これまで、こ
うした平和と発展の相互関係の
最大の受益国の一つは、他なら
ぬ我々日本でありました。戦後、
過去への厳しい反省の上に、軍
事大国への道を完全に否定し、
平和国家を目指してきたことがわ
が国の今日までの発展をもたらし
てきたと申せましょう。平和な国際
環境を確保し、地域、世界の発展
を促すことが、自国の今後の発展
の基礎であるーーこれは、わが国
民の明確な総意であります。
 回首往事,到今天为止这种和平
与发展相互关系的最大受益国之
一,正是我们日本。战后,我们
在对过去深刻反省的基础上,完
全否定了走军事大国的路线,以
建设和平国家为目标才 给我们
带来今天的发展。确保和平的国
际环境,促进地区乃至世界经济
的发展是本国今后发展的基础—
—这也是我国人民明确的共同意
愿。