思想と行為 第5回 アウグスチヌス 「神への告白」 吉田寛 アウグスチヌス 北アフリカ、現在のチュ ニジア付近(当時は ローマ帝国領)出身 AD354年(イエスの死 後354年後 教会) 386年(ア:32歳)回心 宗教者(教父)として生 きる(「聖アウグスチヌ ス」) アウグスチヌスの時代 AD2Cごろの ローマ帝国 ポンペイ ローマ水道 Wikipedia チュニジア http://www.mks.or.jp/~genki/roman-empire/map.html http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/car d/cards084.html キリスト教発展史 キリスト教 wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99 発展史 – ユダヤ教()キリストの死(AD30ごろ) – 使途たちの活躍と原始キリスト教の成立 エルサレム教 会と『新約聖書』 AD1Cごろ – 迫害と発展 教会組織、修道院の展開(1C-3C) – ローマ帝国での公認と国教化(4C) – ローマ・カトリックと東方正教会に分裂(11C) – 十字軍(11C-14C)、宗教改革と宗教戦争(16C-17C) イエス・キリスト(BC2ごろ-AD30ごろ) 磔刑図(テンペラ画、1459年) 「神の愛」の教えを説いて、ユダヤ教 の律法主義を批判+信者の増大 ローマ&ユダヤ教により処刑 ジョルジュ・ルオー「見捨てられ た十字架のイエスの下で」 http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/rouault.html アウグスチヌス時代のキリスト教 数次にわたる迫害にもかかわらずキリスト教の広ま りは衰えることなく、4世紀にはキリスト教を公認する 国が現れるようになった。301年にはアルメニア王国 が初めてキリスト教を国教と定め、次いで350年にア クスム王国(現在のエチオピア)でも国教化された。 311年ガレリウス帝が大迫害の後に寛容令を出し、 313年コンスタンティヌス1世とリキニウス帝によるミ ラノ勅令によって、他の全ての宗教と共に公認され た。その後もユリアヌス帝などの抑圧を受けたが、 テオドシウス帝は380年にキリスト教をローマ帝国の 国教と宣言した。さらに392年には帝国内の異教信 仰が禁止された。 Wikipedia「キリスト教の歴史」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3% 81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E5.8E.9F.E5.A7.8B.E3.82.AD.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88.E6.95. 99.E3.81.AE.E6.B7.B7.E6.B2.8C アウグスチヌスの『告白』 『告白』(岩波文庫上/下) – 今日はひたすらこれに沿って話を進めます。 神への自分の罪の告白 – 「わたしの魂の家は、あなたが魂のもとへ入ってこられる ためには狭いので、あなたのみ手でそれを広げてください。 それは、荒れはてているので、それをつくり直してください。 あなたの目ざわりになるものがある。私は告白し、知って いる。しかし、だれがわたしの家を清めるであろうか。また あなた以外の誰に向かって、私は叫ぶだろうか。「主よ、 わたしのかくれた罪からわたしを清め、他人の罪からあな たのしもべを守ってください」と。」p.12 誕生と家庭 誕生「あなたはわたしを、父から、母のうちに、時間 において造られたのである」p.14 父「(遊学の準備は)タガステの貧しい市民にすぎな かった父の資力によるよりも、むしろ野心によるもの であった。(子どものための配慮はあった)」p.48 母「あなたの忠実な婢女である母を通して繰り返し、 わたしの耳にひびかせたあの言葉(戒めの言葉)は、 あなたの御言葉でなければ誰の言葉であっただろう か」p.49 幼年時代 原罪「何人も、あなたのみ前で、罪なく清らかである ものはないのであって、地上に生きること一日の幼 児でさえも清くはないからである。」「泣き叫びながら、 はげしく乳房を求めたことであるか。わたしは、もし いま、乳房ではなく私の年齢にふさわしい食物を、 そのようにはげしく求めるなら、嘲笑され非難される のもまったく当然だろう。それゆえ、わたしは当時、 非難されるべきことをなしたわけであるが、云々」 「わたし自身、幼児がねたむのを見て、知っている。 その幼児はまだものを言うことさえできないのに、自 分の乳兄弟を、あお白い顔で、うらめしそうにながめ ていた。云々」pp.18-19 少年時代(~15歳 学校生活) 娯楽「主よ、じっさいにわたしたちは、記憶力も知能 もなかったわけではなく、わたしたちはそれらの能力 をあなたの望みどおりにわれわれの年齢のわりに 十分もっていた。しかし、わたしたちは、遊ぶことに 熱中して、われわれと同じことをしている人によって 罰せられた。」p.24 教師「わたしは言葉を責めない。言葉はいわば選り 抜きの高価な器である。わたしが責めるのは、酔っ 払った教師たちがそれらの器に盛ってわたしに飲ま せた誤謬の酒である。わたしたちはそれを飲まなけ れば笞で打たれ、云々」p.36 放蕩生活(16歳) 情欲「性欲のいばらがわたしの頭上においしげって、 誰も手で抜き取ってくれるものはなかった。」p.49 共謀、誘惑「かえって罪を重ねた。(中略)。それは わたしが無垢なだけ軽んじられ、純潔なだけさげす まれないためであった。」「まあ、なんという連中と共 に、バビロンの街路を歩きまわって、その泥沼のうち に、あたかも肉桂や香油の中であるかのように、こ ろげまわっていたことであろう。そしてこのバビロン のまんなかに、わたしを固く付着させようと目に見え ない敵がわたしを踏みつけ、わたしを誘惑した。わ たしは誘惑に落ち入りやすい人間であった。云々。」 p.50 情愛のとりこに(17-19歳) 愛への憧れ「わたしはカルタゴに来た。すると、わた しのまわりの到るところに、恥ずべき情事の大釜が ふつふつと音をたてていた。わたしはまだ愛しては いなかったが、愛することを愛して、心ひそかに欲し がり、云々。」p.64 ドラマの影響「演劇がわたしの悲惨の象徴とわたし の情欲を燃やすほくちにみちて、わたしを引きずり 去っていた。」p.66 愛の苦しみ「わたしは愛されて、享楽の鎖につなが れるようになり、そして嫉妬、猜疑、恐怖、怒り、争い などの燃える鉄の杖で打ち倒されるために喜んでく 苦しい縄目にかかっていたのである」p.65 学問 懐疑主義に陥る(19歳 知への愛「キケロの書物は哲学へのすすめであり、 (中略)。この書物こそ、じっさいに、わたしの情念を 一変し、わたしの祈りをあなた自身にむけ、わたし の願いと望みをまったく新しいものとしてしまった」 p.71 聖書とすれ違い「わたしの傲慢は聖書の謙遜を受 け入れず、わたしの鋭敏もその内奥を見抜くことは できなかった。」p.73 懐疑論「わたしは、あの派の奇怪で異端な邪説でふ くれあがっていて、すでに多くの未熟なものを惑わし ていた。」p.90 青年時代のまとめ(19-28歳) 迷いの青年時代「こうしてこの9年間、わたしの19歳から28歳 まで、わたしはさまざまな欲望に、みずから惑わされ、人を惑 わし、みずから欺かれ、ひとを欺いた。そしておおやけには 自由学科(文法、修辞学、論理学、数学、幾何学、天文学、 音楽)と呼ばれる学問を鼻にかけ、ひそかに宗教の名をか たって、一方ではうぬぼれが強く、他方では迷信が深く、いず れにおいても空虚であった。」 虚栄と不安「わたしたちは一方では、世間の虚しい名誉を劇 場の喝采、詩作の競争、乾草の冠を得る競技、演劇の戯れ、 情欲の放縦にまで求め、他方では選ばれた聖徒とよばれる 人たちに食物を運んで、これらの汚れたふるまいから清めら れることを願った。」p.91 就職と友の死 魂 友人との交遊「その年月の間に、わたしははじめてわたしの 生まれたタガステの町で、弁論術を教えるようになっていた が、学問の交わりによって、わたしと同じ年頃で、ともに青春 の花の咲きほこる一人の非常に親愛な友を得た」p.98 友人の死「かれの健康が回復してわたしと思う存分議論を戦 わす体力がつくまで待とうとした。ところが、(中略)それから 数日後、わたしのいない間に再び熱を出してその一生を終 わった」p.100 魂「この悲しみのために、わたしの心は、まったく暗黒になり、 (中略)。わたし自身、わたしにとって大きな謎となり、わたし は自分の魂に「なぜ悲しむのか、なぜわたしを、ひどく苦しめ るのか」とたずねたが、わたしの魂は何も答えることができな かった。」p.100 ローマ、ミラノでの教師生活(30歳-) 教員の悩み?「わたしはもう30歳にもなりながら、あ いかわらず同じ泥沼の中にはまり込んで、気を散ら すはかない現世の享楽を求めて、こういったのであ る。「わたしは明日こそそれを見つけるであろう。中 略。アカデミア派の人びとはすぐれているよ。生活が よるべき何も確実なものが得られないのではないか。 むしろ、わたしたちはもっと熱心に探求して絶望しな いようにしよう。云々」。わたしが、このようなことを 語り、そして風向きがさまざまに変わって、わたしの 心をかなたこなたへ追いやっている間に、時は過ぎ 去った。」p.189-190 思想的な深まり 存在=善「もし、朽ちるものが善をすべて失うなら、 まったく存在しなくなるだろう。それゆえ、それらは存 在するかぎり善である。それゆえ、存在するものは すべて善である。わたしがその起源を探究していた 悪というものは実体ではない。」p.227 虚偽は人間の迷い「すべてのものは存在するかぎり 真であり、虚偽は、存在しないものを存在すると考 えないかぎり、決して存在することはない。」p.230 時間論「過ぎ去る時間も、これから過ぎ去ろうとする 時間も、すべての時間は、あなたがそこにとどまる のでなければ、過ぎ去ることもなく来ることもないだ ろう」p.231 回心前夜 「わたしは、わたしたちの密室、すなわちわたしの心の内で 自分の魂のために全力をあげて挑んだわたしの内的な家の このような大争闘の最中に、心も形も乱れて、アピリウスのと ころに押しかけてこう叫んだ。「僕らは学問がありながら、 云々かんぬん!」」p268 「このようにわたしは病み、苦しみ、いつもよりきびしくわたし 自身を責めながら、完全に鎖がたちきられるまで縛られた状 態のままでのたうちまわっていた。」p.276 「わたしは心の中で、「いまこそ、いまこそ」とひとりごとをいっ ていた。そういいながらももう決心しかけていた。わたしは決 心しかけていたが、しかし実は決心しなかったのである。」 p.277 「わたしの古い情人たちがわたしを引きとめ、わたしの肉の 衣の袖を引いてひそかにこうささやいた。「わたしたちを捨て るのか」「そのときからもう永久にあなたといっしょになれない のか」云々。」 回心(32歳) 「激しい嵐がおこって、激しい涙のにわか雨をもたら した。」(中略)。とある無花果の木の下に身を投げ て、涙の溢れ出るのにまかせた。」p.280 「わたしの心は(自分のこれまで犯した罪に)ひどく 苦しい悔恨のうちに泣いていた。すると、どうだろう、 隣の家から、男の子か女の子かは知らないが、子 どもの声が聞こえた。そして歌うように「取って読め、 取って読め」と何度も繰り返していた。(わたしは聖 書を)手に取ってみて、最初に目に触れた章を黙っ て読んだ。「宴楽と泥酔、好色と淫乱、争いと嫉みを 捨てても、主イエス・キリストを着るとよい。肉の欲望 を充たすことに心を向けてはならない」。わたしはそ れから先を読もうとはせず、また読むにはおよばな かった。」p.281 回心後のアウグスチヌス 翌年、洗礼を受ける キリスト者である母の 死(35歳) 37歳で北アフリカヒッポの教会の司祭となる (本就職) 説教 論戦と理論的、思想的研究 45歳ごろ『告白』 を書く 76歳 ヴァンダル族に囲まれたヒッポの中で 熱病のため没。 宗教と世俗 日本人は宗教が好き? 嫌い? – 七五三、結婚式、占い、葬式 「隠れた宗教」? 宗教法人の税制上の優遇措置はなぜ? – 公益事業と宗教 カルト宗教とちゃんとした宗教の区別ってある の? – 初期キリストはカルト集団? – 原罪のキリスト教は? 信仰や宗教の個人的意味、社会的功罪につ いて 参考文献 『告白(上/下)』岩波文庫、アウグスチ ヌス (著), 服部英次郎(翻訳) アウグスチヌスの肉声による人生の告 白。キリスト教の基本文献 (授業での引用はすべて上巻より)
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