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なぜ人は働くか -「虚妄の成果主義」 高橋伸夫著 から-
1.科学的管理法の発想(テイラー 1911)
当時の工場は出来高払いであった。しかし人間はだんだん習熟してくるので、生産性はどんどん向上し、給料がたくさ
ん欲しければ、一生懸命働く。つまり、工員が精を出して働いて出来高がどんどん増加してくると、人件費がどんどん膨
らんできてしまう。
それを嫌った経営者側が、人件費を抑えるため工賃単価の切り下げを何度か行ったが、工員側は「それだったら、こ
んなにせっせと働かず、工賃単価を維持して、ゆっくり働いた方がいい」と考えた。ただ問題は、自分だけがゆっくり働
けば、自分だけがひどい目に遭うと言うこと。なぜなら周りの工員が精を出して働いてしまうと、他の人よりずっと低賃
金に甘んじなければならなくなる。そこで、サボるなら皆で一緒にサボらないとということで、組織的怠業となった。
【組織的怠業への対処のためテイラーが提案した方法】
①
「科学的に」目標となる課業を設定する。その際、目分量式の非効率な動作をやめて、科学をもってして、
最も速くて最も良い方法へと代えていくことが目指される。
②
この「科学的に」設定された課業を指図通りの時間内に正しくなし終えた時には、普通の賃金より30%
から100%の割増賃金をもらうようにして、精を出して働いて出来高を増したばっかりに工賃単価が引
き下げられたりするような事態を防ぐ。
①は手法的には成功を収めた。こうした手法としての「テイラー・システム」はフォード・システムと並んで大量生産方
式を支えてきたもので、まさに偉大な足跡といえる。
ところが、対照的に②はうまく機能しなかった。常識的に考えても、このような賃金制度では、作業者がベストを尽くさ
なくなることは、ちょっと考えればすぐにわかる。標準の設定をいかに巧みに行ったとしても、標準を与えられた作業者
の側としては、要は、「事前に設定された標準」以上に働けばいいのである。
2.性悪説のX理論 VS. 性善説のY理論(マクレガー 1960)
1960年当時、組織に関するたいていの文献や経営施策で暗黙のうちに了解されているものとして
①
普通の人間は将来仕事が嫌いで、出来ることなら仕事はしたくないものだ。
②
仕事が嫌いだというこの人間の特性があるために、企業目標を達成に向けて十分な努力をさせるため
には、たいていの人間は強制されたり、統制されたり、命令されたり、処罰するぞと脅されたりしなけれ
ばならない。
③
普通の人間は命令される方が好きで、責任を回避することを望み、余り野心を持たず、特に安全を望ん
でいる。
を挙げ、こうした一連の考えを「X理論」と名付けた。X理論はまさにテイラーを意識した分類である。
それに対して、当時、人事管理の新理論が生まれてきていた。人間構造に関する知識が蓄積されてきたことがその
背景にある。マクレガーはこの考えを「Y理論」と呼んだ。
①
仕事で心身を使うのは、娯楽や休息の場合と同じように自然なことである。普通の人間は将来仕事が
嫌いというわけではない。条件次第で、仕事は満足の源にも、処罰の源にもなる。
②
外的な統制や処罰による脅しだけが、組織目的に向けて努力させる手段ではない。人は自らを委ねた
目的に役立つためには自ら命令し、自ら統制するものだ。
③
目的に身を委ねるかどうかは、その目的の達成により得る報酬の関数である。最も重要な報酬は、例
えば自我の欲求や自己実現の欲求の満足といったもので、これらは組織目的に向けて努力すれば直
接得られるものである。
④
固有の条件下では、普通の人間は責任を引き受けるだけでなく、自ら進んで責任を取ることも学習する。
責任の回避や野心のなさ、安全の強調は、一般的に体験に基づくもので、生来の人間の固有の特性と
いうわけではない。
⑤
組織的問題の解決に際して、比較的高度の想像力、工夫力、創造力を働かせる能力は多くの人に備
わっているものであり、一部の人だけのものではない。
⑥
現在の企業のような条件下では、普通の人間の知的潜在能力のほんの一部しか生かされていない。
マクレガーはテイラーに代表されるX理論から導かれた命令、統制による経営に反対し、Y理論に基づいた経営を主
張することとなった。
3.ホーソン実験
ホーソン実験は、1924年の照明実験を持って開始された。作業者を、
① さまざまな照明度の下で作業させる試験群と ②できる限り一定の照明度の下で作業を続けさせた統制群
の2群に分け、作業効率を比較することで、照明の質と量が作業能率にどのように影響するかを調べようとした。ところ
が、照明度を変化させてもどちらも生産率は上昇した。照明度と作業能率には何の相関関係もないことになった。さす
がに研究者たちはこの段階で結論を下すことを潔しとせず、作業能率に影響する他の変数をもっとよく統制した状態で
新たな実験を計画すべきということになった。
1927年から1932年にかけて、ホーソン実験のメインイベント、継電器組み立て作業実験が行われた。この実験で
は、まず5人の女子作業者を他の作業者から隔離された作業室に移した。そして、適当な期間を置いて、彼女たちの作
業条件に様々な変化を導入し、これらの変化が生産高にどのような影響を及ぼすのかが調べられた。この実験は、5
年間23期にわたって行われたが、物理的環境上の変化を生産高と関係づけようとするあらゆる試みは、統計的に意
味のある関係を一つも見いだすことが出来ず、ものの見事に失敗に終わった。主要な事実関係は、次の通り。
〈作業条件を改善し続けた1年半〉
休憩時間の取り方や作業時間の短縮、特別な軽食の提供といった作業条件
の改善を行った。この間、作業条件の改善につれて、生産能率が徐々に上昇していった。
〈作業条件を振り出しに戻した12週間〉 これらの優遇条件を廃止し、作業条件を調査当初の状態に戻した。ところが、
こうやって条件を悪化させたにもかかわらず、生産高は依然として極めて高い水準を保ち続け、それまでのいかなる期
間の生産高をも超えた。
〈作業条件を復活させた31週間〉
その後、休憩および茶菓を復活させると、生産量はこれまでの最高となった。
つまり、生産高は継続的に上昇傾向を示し、それは休憩についての変化とも全く無関係であった。その間、女子作業
者の満足感は注目に値するほど高まったし、欠勤率は実に約80%も減少した。
これに対するレスリーバーガーの説明(1941)は、テイラー的な発想からするとともて意外なものだった。つまり、研究
者達が実験に対する被験者達の完全な協力を得ようと努めた結果、工場で通常行われていた作業習慣はすべて変え
られてしまったほどで、例えば、
①彼女達は、導入されるべき変化についていちいち意見を求められ、そして、実験計画の中のいくつかは、彼女たちの
同意を得られなかったために、放棄されたことさえあった。
②彼女達は、加えられた変化に対する自分達の考えについての質問を受けたが、それらの話し合いの場所としては、
重役室が多く使用された。
③彼女達は、監督者も置かれず、作業中のおしゃべりも許されていた。
つまり、それまで作業室で行われていたテイラー流の監督方法は、実験の名を借りて、根本的に改変されてしまって
いたのである。それはテイラー流の「管理」を真っ向から否定したような監督方法であったわけだが、女子作業者の協
力的態度、および生産能率向上の原因は、実はここに求めねばならないと研究者たちは考えたのである。
4.「職務満足」と生産性
こうして誕生した人間関係論の影響は絶大であった。第二次世界大戦が終わると、海を越えて日本でもカウンセリン
グや人間関係訓練、提案制度に職場懇談制度、さらには福利厚生施設、レクリエーション活動などの導入・充実が人
間関係論の影響の下で行われた。人間関係論自体が、従業員の欲求の満足化による生産性増大運動の様相を呈し
始めたのである。
確かに、ホーソン実験では、満足感の高揚の中で生産性は向上し、欠勤率は低下を見せていた。そこで、多くの研究
者が、生産性や欠勤率といった職務遂行(job performance)と職務満足との関係をより特定しようと研究を始めることに
なる。こうした研究領域は「ワーク・モチベーション」と呼ばれる。それでは、こうして始められた多数の後続研究では、人
間関係論が示したように、高い職務満足が高い生産性に結び付くという実験・調査結果が得られたのであろうか。驚い
たことに、その答えは「ノー」だったのである。
欠勤・離職(参加の意思決定)と職務満足との間には関係があったが、肝心の生産性(生産の意志決定)と職務満足
との間には関係がないことがわかった。
注:ホーソン実験は、実験中に作業者が入れ替わっており、その影響が大きかった。
5.期待理論の登場とその限界
科学的管理法に人間関係論、こうした刺激を受けながらワーク・モチベーションと呼ばれる分野が確立したわけだが、
1964年になると画期的なワーク・モチベーションの理論が登場する。最も精緻な理論といわれる期待理論である。期
待理論では、基本的には打算的で合理的な人間が仮定され、そのような人間に対して、外的報酬によって、ある特定
の行為を行わせようとする動機づけがモデル化される。ミクロ経済学で習う期待効用理論とほとんど同じだと思えばわ
かりやすい。
しかし、期待理論は検証不能なのである。期待理論の提唱者ブルームも、「期待理論は、欠勤・離職(参加の意思決
定)と職務満足との間の関係を説明するには有効だが、生産性(生産の意志決定)と職務満足との間の関係を説明す
るには向いていない」と自ら期待理論の限界を明言していた。
それどころか、ブルームの「仕事とモチベーション」(1964)で広範な調査研究のサーベイの結果を次のように発見と
してまとめている。
①
遂行レベルは個人の達成欲求の強度に直接対応して変動する。特に、タスクが困難で挑戦的である時
には、その度合いは高い。
②
個人は自分が価値をおいている能力や、自分が保有していると信じる能力がタスクには必要であると
信じるよう誘導されるなら、より高いレベルで遂行を行う。
③
将来自分にかかわってくる意志決定に参加する機会が与えられている人は、そういった機会を与えら
れていない人よりも高いレベルで遂行を行う。
つまり、生産性向上は、達成動機づけによって説明できる可能性があるとしたのだ。
そして大学院生としてブルームの指導を受けて、この方向性で内発的動機づけの研究を進めたのが、デシであった。
6.職務不満足を予防する「衛生要因」
1950年代末に登場するハーズバーグは、先ほどの「ブルームの予想」を動機づけの要因面から示唆していた。
ハーズバーグの研究は、動機づけ衛生理論として知られるものである。ハーズバーグらは、ピッツバーグ市の企業9
社の技術者と会計担当者、約200人を対象にした横断的調査を行い、その面接調査の結果得られた事実発見に基づ
いて、この理論を提唱している。この面接調査では、彼らの職務について、例外的によい感じを持ったとき、あるいは例
外的に悪い感じを持ったときを思い出してもらい、そのときにどんな事象が起こったのかを詳細に話してもらうという方
法がとられた。その結果、
①
職務満足事象に、達成、達成に対する承認、仕事そのもの、責任、昇進が要因として現れる頻度は顕
著に高く、特に、後の三つは態度変化の持続性の点でより重要である。しかし、これらの要因が、職務
不満足感を述べる時に、事象として現れることは非常にまれであった。
②
職務不満足事象には、これとは全く異なる要因が出てきた。つまり、会社の方針と管理、監督、給与、
対人関係、作業条件である。これらは、今度は職務不満足をもたらすように作用するだけで、その逆は
ほとんどなかった。
つまり、職務満足をもたらす①の満足要因は自分の行っている職務そのものと関係していると考えられるが、職務不
満足をもたらす②の不満足要因は自分の職務ではなく、それを遂行する際の環境、条件と関係しているというのである。
そして①を「動機づけ要因」と呼び、②を「衛生要因」と呼んだ。これが動機づけ衛生理論の概要である。 この動機づ
け衛生理論は、ハーズバーグ自身も含め、多くの追試が行われ、同様な結果が繰り返し確認されている。
ハーズバーグは、動機づけ要因は、仕事において自らの先天的潜在能力に応じて、現実の制限の内で、創造的でユ
ニークな個人として自分の資質を十分に発揮したいという自己実現の個人的欲求を満たすからこそ満足要因になるの
だと解釈している。
こうしたことをより明快に理論化したものがデシの内発的動機付けの理論なのである。
7.内発的動機づけの理論
内発的に動機づけられた活動とは、当該の活動以外には明白な報酬が全くないような活動のことである。見た目には、
つまり外的には何も報酬がないのに、仕事をしていることがある。そのとき、その人はその活動それ自体から喜びを引
き出していると考えられる。こうした状況の時、「内発的に動機づけられている」と呼ばれるのである。
デシはこの内発的動機づけを考察し、「内発的動機づけられた行動は、人がそれに従事することにより、自己を有能
で自己決定的であると関知することの出来るような行動」であると定義した。デシはこのような内発的動機づけを次のよ
うな命題の形にまとめている。
命題1:もし、ある人の有能さと自己決定の感覚が高くなれば、その人の満足感は増加する。逆に、もし、有能さと
自己決定の感覚が低くなれば、その人の満足感は低下する。
高橋は、この命題を検証するため、自己決定の感覚を測定するのに次の質問を用いている。
(1)トップの経営方針と自分の仕事との関係を考えながら仕事をしている。
(2)上司からの権限委譲がなされている。
(3)自分の意見が尊重されていると思う。
(4)21世紀の自分の会社のあるべき姿を認識している。
(5)よいと思ったことは、周囲を説得する自信がある。
「自己決定」の解説を読んで、マズローの唱えた有名な「自己実現」を連想する読者も多いことだろう。「自己実現」と
は、人が自己の到達しうる限りのものを実現し、自分の潜在能力を遺憾なく発揮していることを意味している(マズロー
1943)。確認しておくとマズローは人間の欲求を、①生理的欲求、②安全欲求、③愛情欲求、④尊敬欲求、⑤自己実現
欲求と5段階にカテゴリー化し、①から⑤まで階層的に配列されていると仮定した上で、低次の欲求は満足されると強
度が減少し、欲求階層上の1段階上位の欲求の強度が増加するというように、欲求の満足化が低次欲求から高じ欲求
へと逐次的・段階的に移行していくという、いわゆる欲求段階説を主張したのであった。
このマズローの考え方は、「衣食足りて礼節を知る」的な趣もあり、日本でもウケた。しかし、実際のところは、何か実
証的な根拠があって主張されたわけではない。いわば「思想」「アイデア」あるいは「仮説」とでも呼ぶべきものであった。
この「仮説」としてはこれまで数多くのさまざまな検証が試みられてきた。しかし、その試みはことごとく失敗している。1
970年代には、マズローの欲求段階説には科学的根拠はないとの結論が出されている。(Wahba & Bridwell 1976)
したがって、マズローによる「自己実現」とは位置づけが異なるということを気にする必要はないが、あえてその違いを
指摘しておくと、デシの言う有能さと自己決定に対する内発的欲求は、出生時から既に存在していると考えられている。
この有能さと自己決定の感覚への欲求が、後に自己とその環境との相互作用の結果として、特定のいくつかの欲求へ
と分化していくことになる。
このうち、「有能さ」(competence)あるいはそのままカタカナで「コンピタンス」の概念はもともとホワイトによるもので、日
常的用法よりも広義に、生物学的意味で有機体がその環境と効果的に相互に作用する能力を指している。ホワイトは
広範な文献サーベイを行い、見る、つかむ、はう、歩く、考える、目新しいものや場所を探求する、環境に効果的な変化
を生み出すといった行動は、それによって、動物や子供がその環境との間に効果的に相互作用することを学習するプ
ロセスを構成すると考えた。これらの共通の性質を指すために、「有能さ」という用語が選ばれたのである。
つまり、人は自己の環境を自分で処理し、効果的な「変化」を生み出すことが出来るときに、有能であると感じるので
あり、それはまさに自己決定的であると感じていることに他ならない。こうして、人には有能で自己決定的であるという
感覚に対する一般的な欲求があるために、内発的な動機づけられた行動を取り、その結果、有能さと自己決定の感覚
が高められれば、満足感を得ることになると考えられたのである。
8.外的報酬の負のインパクト
ブルームの期待理論の解説がそうであったように、普通、動機づけというと、給与等の外的報酬にのみ目が行きがち
である。しかし、実は内発的動機づけと外的報酬による動機づけとは付加的関係にはないということが、多数の実験研
究から実証されている。多くの場合、外的報酬は内発的動機づけを低下させているのである。デシは内発的動機づけ
に及ぼすこうした外的報酬の効果を次の命題2のように要約している。
命題2:あらゆる外的報酬は2つの面を持っている。①それを提供することで、受け手の行動を統制し、特定の活
動に従事させ続けることを狙いとしている統制的側面と、②報酬の受け手に彼もしくは彼女が自己決定的
で有能であることを伝える情報的側面である。(a)もし受け手にとって統制的側面がより顕現的であれば、
自己決定の感覚が弱まり、外的報酬を獲得するために活動に従事していると知覚し始める。(b)もし情報
的側面がより顕現的であれば、自己決定と有能さの感覚が強まる。
この命題2は、外的報酬がまさに「外的」存在であるということを指摘している点が重要なのである。金銭や称賛のよ
うな外的報酬のケースでは、たとえ満足をもたらすとしても、満足は外的報酬の後にくることになる。命題2の(a)は、そ
のように満足を後に押しやってしまうために、外的報酬が内発的動機づけを制約する大きなインパクトを持っていると言
うことを主張しているのだ。
したがって、この命題2によれば、業績を条件として与えられる外的報酬は、確かに個人の動機づけに「影響を与え
る」という意味では重要ではある。金銭的報酬のインパクトはそれだけ強いのだ。しかし、テイラーの差別的出来高給制
度や成果主義のように、金銭的報酬とパフォーマンスが連動していれば、その統制的側面が機能することになり、仕事
は金銭的報酬を得るための手段と化してしまう。人間は、外的報酬の獲得のために働くようになってしまうのだ。つまり、
内発的動機づけは低下するのである。しかも金のために働くということは、ある一定の基準をクリアできるように働くと
いうことであり、ベストを尽くすことはなくなる。基本的に目の前の目標だけが気になり、周囲との競争には本質的に無
縁になる。だから成果主義のやっていることは最悪なのである。その中でも罪が重いのは、成果主義が、仕事それ自
体のおもしろさや、楽しさをも奪ってしまうということだろう。
それでは、金銭のような外的報酬の情報的側面を機能させるにはどうしたらいいのか。わかりやすく言うと、金銭的な
報酬でやる気を引き出すにはどうしたらいいのか。いくつもの実験結果から、デシの出したその答えはあまりに逆説的
である。すなわち、金銭的報酬がパフォーマンスによって直接決まらないようにすればいい。つまり、「日本型年功制」
が最適解の一つだったのである。
9.見通しが与える活力
私が「見通し」の研究を始めたのは、バブルが崩壊した直後の1992年である。当時、既に日本企業の中には、「見通
し」のようなものを求める空気が見え始めていた。先行きの不透明感、時代の閉塞感、経営者の無策ぶり。それじゃ社
員の「見通し」を測定してみようじゃないかという話になった。
まず「見通し」を測定する指数の作り方。見通しに関係していると思われる5つの質問項目を挙げる。
P1:21世紀の自分の会社のあるべき姿を認識している。
P2:日々の仕事を消化するだけになっている。
P3:上司から仕事上の目標をはっきり示されている。
P4:長期的展望に立った仕事というより、短期的な数字あわせてなりがちである。
P5:この会社にいて、自分の10年後の未来の姿にある程度期待がもてる。
各質問について、P1,P3,P5はYesなら1点、Noなら0点、P2,P4逆にし、その合計点を「見通し指数」とした。この
指数を使って、回答者を分類し、
Q1:現在の職務に満足感を感じる。
Q2:チャンスがあれば転職または独立したいと思う。
に対するYes比率をそれぞれ「満足比率」「退出願望比率」と定義し、関係を調べた。その結果、見通しがあれば、従業
員の職務満足は向上し、退出願望は弱まるということがわかったのである。
そして実は、ここに更に興味深くかつ決定的に重要な事実発見がある。見通し指数と職務満足、退出願望のクロス表
を作って比較すると、見通し指数の小さいときの各クロス表は強い相関が見られるが、見通し指数が大きくなると、相関
が弱まる傾向のあることがわかった。見通し指数が高くなるにつれて、職務に満足していない人の退出願望比率が小
さくなる。つまり、将来の見通しさえ立てば、もはや現在の職務への満足すら必要なくなるのである。
実は、企業人相手のセミナーなどで、職務満足の話をすると、話の後の質問の時間やパーティーの時に、必ずといっ
ていいほど出くわす感想がある。いわく、「でもね、先生、仕事に取り組むものが現状に満足してしまっていいんですか
ね。やっぱり、現状に満足せずに、常にハングリーだからこそ、チャレンジする気持ちもわいてくるんじゃありません
か。」
実はわたしもそう思うのだ。本当は、私自身が何か後ろめたさを感じながら職務満足の話をしているのである。米国
流の理論には申し訳ないが、どうも職務満足というものを全面的には肯定評価できないのだ。だからこうして案の定、
見通し指数が高ければ、もはや職務満足は退出願望に影響しないという事実が出てくると、正直言って「やっぱりね」と
うなずいてしまう。妙なリアリティーと納得性があるのである。
そして何より、長期雇用を前提とする日本の会社では、「今」満足している必要なないのであって、将来の見通しさえ
立っていれば、人は現時点の苦しいことや、つらいことにも耐えられるものなのである。見通しさえたっていれば、今の
仕事に対して決して満足しないような人でも、会社を辞めたりせずに、チャレンジを続けられるのだ。
確かに私の調査経験でも、もともと日本の大手企業で満足比率が5割を超える会社はあまりない。平均して40数%と
いったところである。日本では他の国と比べても満足比率が低いというのは昔から比較的よく知られた事実でもある。
だからといって日本人が不幸かといえば、それは全然違う問題であり、加えて日本では、今の仕事に満足してしまって
いていいのかという「美学」の問題も絡んでくる。
現状に満足していてはチャレンジなどしないというのであるならば、チャレンジを確保するためには見通しこそが重要
ということになる。当たり前といえば当たり前のことだが、こうしてデータで裏付けされて、あらためて論理的に理解でき
る。