Page 1 Page 2 [文書の伝来]本文書は、信濃国諏訪郡有賀村(現上諏訪

【文書 1
8
J
有賀村名主文書目録
請求記号・文書 1
8
6
1
有賀村名主文書解題
日日蔵者] 未詳
〔文書数] 53点 (
5
3通)
〔本館収蔵]
昭和 4
8
年金井典美氏寄贈
C
文書の伝来]本文書は、信濃国諏訪郡有賀村(現上諏訪市有賀)の名主役を勤めた某家 l
乙伝わっ
たものであるが、現地調査していないので詳細は不明である。本館への収蔵の経過は、校友の金井
典美氏からの寄贈であり、金井氏によると諏訪市内の古書庖で購入したものの一部であるとの乙と
3
点と名主文書としてはごく少量のものでしかなく、しかも村方の基本帳簿類はまっ
だった。全部で 5
たく存在せず、わずかに関連した証文類が残っているにすぎない。有賀村は幕領であったので、奉
行所や代官所から名主宛 l
乙届けられた通達書や、逆に村方から役所へ提出した書類の控書などが中
心である。しかも本文書中には原本は一通も存在せず、すべて写本で残っている。原蔵者は不明で
あるが、何らかの必要があって、名主文書を誰かがまとめて写し取っておいたものの一部であろう。
lは乙れらのもとになった文書の原本が現在でも残っているのではないかと推定さ
おそらく、現地ζ
れる。本文書はすべて写ではあるが、丁寧に写し取られたものであって、原本の趣をよく残してお
り、利用するのには何ら支障は感じられない。
[
文書の内容]点数が少なく、しかも名主文書の中心となるべきような帳簿類が一冊もふくまれ
ていないが、証文類の中からいくつか特徴的なものを紹介しておきたい。まず、巨立って多いのは
村方から代官所へ提出した年貢納入に際しての年賦証文であって、凶作・水損などを理由に年賞の
延納を願い出た関係のものが多い。ついで、隣村との山堺争論に関する訴状がいくつかあり、入会
梢場の利用についてど ζ でも問題になるような山論が ζ ζ でも起 ζ っている。他には、鉄砲打渡世
の許可を願い出たものと、宗内人別帳の転記を願い出たもの、村囲い米を申請したもの、水車の新
設を願い出たものなと、が目立つたものである。いずれの場合も関連文書は少なく、単独に存在する
だけで、前後の経過を知る ζ とはむずかしい。しかも年代的には文化から天保期ものに限られてお
り、どうして乙のような残り方をしたのか、その理由ははっきりしない。有賀村は石高 378石余の
小村であり、しかも天領支配であって、隣接する諏訪藩領でーはなかった。従って内容上にも奉行所
や代官所との交渉を示すものに限られており、その点で他の名主文書にはみられない一つの特色を
もっている。点数は少ないが、 他の同類文書と比較するととによって、その利用範囲が広げられる
であろう。
有賀村名主文書
6
3
口上書 [四ツ手水車仕立願]
0
有 賀 村 年 寄 才 兵 衛 → 郡 奉 行 所 文 化 3年 1
月 中 紙 1通
一札 [山論出入誓詞案文請取]
文出村百姓代又左衛門他→平出村役人中他
0月 1日 中紙 1通
明和元年 1
口上書 〔凶作年賦拝借金願]
有 賀 村 名 主 他 → 郡 奉 行 所 文化 5年 3月
中紙 1通
2
西筋禾進年貢分納年賦証文
代 官 塩 原 代 右 衛 門 → 勘 定 所 文 化1
0
年 7月
中紙 1通
3
口上書 【
安沢峠草苅場争論]
文 出 村 名 主 他 → 奉 行 所 文 政 4年 8月
中紙 1通
東筋禾進年貢金納取延証文
3
年1
2月
今井水野衛門→勘定所文化1
中紙 l通
4
口上書 [鉄砲打渡世願]
0月
有 賀 村 利 助 → 大 目 付 文 政 4年 1
1通
5
東筋未進年貢新組取延証文
今井小弥太→勘 定 所 文 政 元 年 1
2
月
l通
中紙
証文手形 【
無尽金請取]
金治郎→江 音 寺 納 所 文 政 3年 6月
l通
中紙
一札 〔猪鹿威筒使用請書〕
有 賀 村 兵 助 他 → 志 賀 武 左 衛 門 他 文 政 4年
6月 中 紙 2通
1
5
1
6
(1・2)
1
7
1
8
中紙
口上書 〔御蔵囲籾子積替減少願]
文 出 村 佳 右 衛 門 他 → 代 官 所 文 政 4年 1
0月
中紙 2通
1
9
(1・2)
6
口上書 〔沢入山論追訴願]
文 出 村 名 主 他 → 奉 行 所 文 政 4年 1
2月
中紙 1通
2
0
口上書 C
船役人足御用免除願]
有賀村名主兵左衛門他→郡奉行所文政 3
年 8月 中 紙 1通
7
〔山論追訴願]
文 出 村 名 主 他 → 奉 行 所 文 政 4年 1
2
月
中紙 l通
2
1
一札 [
村高書上]
有 賀 村 年 寄 勝 五 郎 → 代 官 所 文 政 3年 8月
中紙 1通
8
[拝借金証文]
留 治 → 文 政 4年 1
2月
2
2
目録 [
年貢書立]
両角市郎右衛門他→
中紙 1通
9
口上書 [鉄砲打渡世願]
有賀村上野新田多兵衛他→大目付
年間正月 中紙 1通
1
0
一札 [宗門人別帳除願]
有 賀 村 名 主 五 左 衛 門 → 岩 本 俊 蔵 文 政 5年
2月1
5日 中 紙 1通
2
4
一札 〔
有賀村より越高願]
有 賀 村 年 寄 勝 五 郎 他 → 奉 行 所 文 政 3年 9
月 中 紙 l通
1
1
借用金子証文
有賀村名主兵左衛門他→小平俊左衛門
文政 5年 3月 中 紙 1通
25
一札 〔
水損書上]
0
有 賀 村 年 寄 勝 五 郎 他 → 代 官 所 文 政 3年 1
月 中 紙 l通
1
2
売i
度申畑証文
儀 兵 衛 → 民 之 丞 文 政 5年 4月
2
6
一札 [
未進金上納]
2月
村 役 人 → 貸 方 御 催 促 方 文 政 3年 1
中紙 l通
文 政 3年 9月 5日
中紙 l通
2
3
文政 5
中紙 l通
2
7
一札
未進金年賦願]
口上書 f
有 賀 村 年 寄 勝 五 郎 他 → 代 官 所 文 政 4年 3
月 中 紙 l通
1
3
有 賀 村 年 寄 他 → 小 平 清 左 衛 門 文 政 5年 9
月 中 紙 1通
売渡申屋敷手形
有賀村小右衛門→有賀村兵左衛門他
4年 3月 中 紙 l通
1
4
一札 [人相書配布属]
有 賀 村 年 寄 重 兵 衛 他 → 奉 行 所 文 政 6年 正
月 中 紙 1通
文政
28
有賀村名主文容
6
4
一札 [宗門人別帳転記]
有賀村名主五左衛他→大熊村名主吉弥他
文政 6年 2月 5日 中紙 1通
2
9
一札 [宗門人別帳転記]
有賀村名主→平林太右衛門
5日 中紙 l通
3
0
蔦木宿人馬立払覚
吉田鉄之進→
小紙 l通
4
3
(年不詳)亥 6月2
5日
一本L[
借用金願]
(年月日不詳) 中紙 l通(後欠)
4
4
請書【葬式入用割合]
有賀村他→ (年月日不詳) 中紙 l通
4
5
3
1
4
6
口上書 [貸付金年賦願]
有 賀 村 政 之 助 → 代 官 所 文 政 6年1
1月
中紙 1通
3
2
証 [代金請取]
宮下縫之助→宮下半治郎
中紙 l通
口上書 C
精進規式引替願]
有賀村年寄他→頭屋役人衆中
月 中 紙 l通
3
3
[連印譜証文]
有賀村名主他→櫓脇様役人中
月 中 紙 l通(前欠)
文政 6年 2月
文政 6年 6
〔拝借金覚]
(年月日不詳) 中紙 1通
文政 7年 2
〔借用証文] (断片)
(年月日不詳) 中紙 3通
請書 [
桑畑開発]
文政 8年 9月 中 紙 1通
3
4
人馬立払ー礼
金 沢 宿 問 屋 兵 助 → 代 官 所 文 政1
1年 5月 1
6
日 中 紙 l通
3
5
口上書 【未進金新組年賦願]
文出村佐左衛門他 → 代 官 所 文 政1
1年 8月
中紙 1通
3
6
一札[蔵方高書上]
有 賀 村 年 寄 惣 七 他 → 代 官 所 文 政1
1年1
2
月
中紙 l通
TI
口上書 〔借用金年賦返済願]
有賀村繁三郎他→ 代 官 所 文 政1
3
年1
2月
中紙 l通
3
8
口上書 [
勝手方拝借金年賦返済願]
有 賀 村 留 之 丞 → 代 官 所 天 保 2年 中 紙
1通
3
9
口上書 [村囲米願]
有 賀 村 → 郡 奉 行 所 天 保 5年 9月
1通
40
中紙
口上書 〔名主役退役]
有 賀 村 名 主 麻 之 丞 → 代 官 所 天 保 7年1
0月
中紙 1通
4
1
係目〔代官村廻 リ]
(年不詳)酉 9月
42
中紙 l通
[仮名手習書]
(年月日不詳) 中紙 l通
明治1
9
年1
2月
4
7
4
8
(1-3)
4
9