Page 1 Page 2 [文書の伝来]本文書は、相模国津久井郡名倉村(現

[文書 25J
名倉村文書目録
請求記号・文書2
5
1
2
9
名倉村文書解題
〔旧蔵者] 禾詳
[文書数] 54点 (46冊
・ 8通)
〔
本館収蔵〕 昭和 53年久保田好雄氏寄贈
[
文書の伝来]本文書は、相模国津久井郡名重
量村(現神奈川県津久井郡藤野町名倉)の某家 ζ
l伝
3
年に、校友の久保田好雄氏より、本館へ寄贈されたものであり、それ以
来したものである。昭和 5
前の伝来状況については不明である 。名倉村は、相模湖の南側にある小山村で、山梨県境に近い僻
石で、天保年聞に
村である。江戸期は天領であって、江川代官所の支配をうけている。村高は 359
1
6戸であった。現地調査をしていないので、名倉村のうちのどの家で所蔵していたものか明ら
は1
かではないが、本文書の内容をみると、名倉村のうちの葛原組に関するものが多いので、多分支郷
である葛原の某家の旧蔵文書と推定される。姓氏や家格などはっきりしたととはわからないが、文
書内容からみて、村役人層に属するものであって、名主ではないが、それに準ず、る位置にあった家
4点と極めて少なく、どうして、
柄のものと思われる 。総点数が 5
ζ の部分だけがとうしたかたちで
伝来したのかは不明である 。
E
文書の内容】
総点数 5
4点のうち、江戸期に属するものは 1
8点のみであり、他はいずれも明治初
年のものである。本文書中でとくに目立つているのは、山林関係のものであって、京塚山 ・高倉山
の山林調査に関するものが多い。ついで自につくのは、いわゆる村方基本帳簿類で田畑反取書上帳
3・18) 、牧野村明細帳(同 1
7
) 、検地改帳(同 2
3
) などであ
(文書番号 1)宗門人別書上帳(同 1
る。 ζ うした帳簿は村役人宅にあるべきものなので、本文書も基本的には名主文書といってよいで
あろう 。明治以降のものについても、名主から戸長に名前が変っただけで、ひきつづいて行政を担
当していた乙とを証明するものばかりである 。
5
) が 2冊あって、代官所からの通達書などが写しとられているが、その
文久年間の御用留(同 1
中には新徴組の取締りに関するものなどが収録されている 。また、名倉村は甲州街道上野原宿の助
郷村であったと乙ろから、鶴川橋の故障訴訟に関するもの(同 8)などもみられる 。明治以降のも
1
) などの行政文書が多い。いずれにしても、
のでは、村内寺社の除地書上や、宮林地の村請願(同 3
Cく断片的なものでしかなく、乙の文書だけでは名倉村の概要さえもはっきりしない。現地に残っ
ているものと対比させて利用すれば、山村文書としての特色が一層はっきりするであろう 。
名倉村文書
田畑反取書上帳
名倉村名主甚左衛門→
竪帳 1冊
1
3
1
奏聞書写〔王政復古]
(慶応 3年 )
1
0
月1
3日 竪 帳 1冊
天明 2年 3月
1
6
f
牧野村明細帳控1
京塚山高倉山林木数反別改帳
名 倉 村 甚 左 衛 門 → 文 化 元 年 2月
1冊
竪帳
口達[代官関東向取締掛]
佐 右 衛 門 他 連 名 → 文 化 9年正月
l冊
竪帳
2
[稗話戻届]
1
8
3
宗門人別書上帳
名倉村名姓代藤左衛門他→神奈川県御役所
明治 3年 3月 竪 帳 1冊
1
9
4
米穀異国渡禁止の献言書
小原宿名主木老→ 明治 3年 4月 2
8日
竪帳 l冊
2
0
5
誤り一札[小鉄不沙汰]
萩山村熊市→多里宿花屋仲五郎
5月 中 紙 1通
名倉村→江川太郎左衛門御役所天保 3年
1
0月 竪 帳 1冊
御取締被仰渡御請書
名倉村之内葛原組→
竪帳 2冊
1
7
(1-2)
(年月日不詳) 竪帳 2冊
明治 3年
天保 1
3
年 4一 7月
御林書上帳
津 久 井 県 名 倉 村 → 弘 化 3年 8月
1冊
明治 3年12月
竪帳
6
l付書上]
[明王院取調ζ
名倉村之内葛原村→
1冊
明治
7
〔宮有地除地書上〕
名倉村之内葛原組→神奈川県御役所
4年 正 月 竪 帳 1冊
2
1
竪帳
[松木等書上]
牧野村名主他→江戸太郎左衛門手代弘化
3年 8月 中 紙 1通
2
2
2
3
訴訟申上候[鶴川橋保方故障]
甲州道中上野原宿助郷他→谷村御役所
嘉永 3年 6月 竪 帳 1冊
8
石楯尾神社除地検地改帳
名倉村氏子惣代他連名→神奈川県御出役
明治 4年 3月 竪 帳 1冊
2
4
高倉山御林摺痛木書上帳
相州津久井県名倉村→
竪帳 l冊
9
願上書[荒地除地書上]
名倉村神主野崎謹吾他→神奈川県高橋少属
他 明 治 4年 5月 1
6日 中 紙 1通
2
5
1
0
欠引]
願上書[JlI
名倉村御獄大神神主他→
1
7日 中 紙 l通
嘉永 4年1
2月
漆木植付方仕法帳
嘉永 6年 竪 帳 2冊
(1-2
)
漆木植付場所見積り書上帳
(嘉永 6年) 竪帳 l冊
1
1
由桂りの巻
1
2
万延 2年 笠 帳 1冊
宗門人別書上帳
名 盆 村 名 主 源 十 郎 組 → 安 政 2年 3月
l冊
京塚山高倉山林雪折木書上帳
津久井県名倉村→ 安政 5年 2月
堅帳 1冊
御用留
葛 原 組 → 文 久 2-3年 竪 帳 2冊
願上書[村役人人選]
葛原組百姓惣代和智定平→
月 8日 竪 帳 1冊
明治 4年 5月
26
明治 5年 6
記〔編籍拝承]
葛原組旧神主和智保章→戸長和智源十郎
明治 6年 4月 竪 帳 1冊
2
7
1
3
[袋毛村出張失火検査]
第 2大区小 4区副区長水上道高→
6年 1
1月 1
2日 竪 帳 1冊
竪帳
2
8
明治
1
4
記[月給割当評決]
副区長日連村山崎清右衛門他→戸長
明治 6年 1
1月 竪 帳 1冊
1
5
(1-2)
2
9
名倉村文書
1
3
2
〔寺社領上知定免書上]
名倉村戸長和智源十郎→
1冊
明治 6年
書上〔宮林地村請地願〕
名倉村戸長野崎所左衛門→足柄県権令柏木
忠 俊 明 治 7年正月 2
5日 竪 帳 1冊
[
寺社見捨地境内地書上]
牧 野 村 → 明 治 7年正月
30
書付届箆〔素鉄教授裁判]
小俣源右衛門→足柄県椛倉松木忠俊
(年月日不詳) 中紙 1通
3
1
記
竪帳
[教導職選挙]
[寺社除地書上]
(年月日不詳) 竪帳 1冊(前後欠)
4
7
32
[村方人足勤方]
(年月日不詳) 竪帳 1冊
4
8
33
[文書断簡]
(年月日不詳) 中紙 2通
34
明治 7年 9月
官有地[書上]
名倉村戸長野崎所左衛門→足柄県令柏木儀
俊 明 治 8年 2月 竪 帳 l冊
35
変死人御検使願
日連村崎権之丞→検視御出張巡査
9年 12月 9日 竪 帳 1冊
36
明治
3
7
休泊簿
第 6小区戸籍掛→
帳 1冊
明治 9年 1
2月 一 横 半
休泊簿
第 3区小区戸籍掛→
竪帳 l冊
3
8
明治 1
0
年正月一
規定書 [頼母子講]
名倉村名主所左衛門→葛原組小前佐右衛門
他 ( 年 不 詳 ) 寅 竪 帳 l冊
御尋』ζ付始末申上候
牧野村副区長→
竪帳 1冊
C
山内憲氏遺物]
39
40
(年不詳)9月 4日
[人口旧高調書]
(年月日不詳) 竪帳 l冊(前後欠)
風折雪折御見分 [京塚山林]
(年月日不詳) 竪帳 1冊
f
堂ケ尾山林書上]
4
1
42
43
(年月日不詳) 竪帳 1冊(前後欠)
御積書 [松木板数]
(年月日不詳) 竪 帳 l冊
4
6
(年月日不詳) 中紙 1通
竪帳 1冊
御届書 [陸軍生徒出願取調]
第 3大区 6小区副区長→足柄県権令柏木忠
俊 明 治 7年 8月 30日 竪 帳 1冊
第 3大区 6小区副区長→
27日 竪 帳 1冊
C
入賞受取〕
4
5
<
<
4
9
(1-2)