37. 災害経験を風化させないには? 今回の東日本大震災から 4 年経過しているわけであるが、メデイアなどでは風化が進行 しているといわれている。本当だろうか、風化とは何だろうか? 簡単に風化するのだろ うか?風化とは、記憶が徐々に薄れていくことの意味であるが、あの日を経験したものに とっては、特に、犠牲になった友人、知人、家族の記憶が薄れることはなく、より鮮明に なることすらある。ただ、街並みや景観が、時間とともに変化はしているので、いかにも 復興が進んで、何事もなかったかのような気がしてくるような妄想があり、夢であってほ しいということかもしれない。 この大震災では、人も物を失い、生活環境が激変したが、災害復旧的なことは津波被害を 中心として進行はしてきたものの、原子力発電所の事故に関しては、めどがつかないよう な状況である。それでも、被害区域外の人にとっては相当に進んでいるという印象を受け ているようである。実情を知らせると、大方の人が驚く。これには、新聞やテレビ等での 報道の取り上げ率、濃密差などが影響していることにもよると思われる。その内容は、仮 設住宅の問題、生活再建、子供たちの教育環境、先が見えない復興もどき事業など、モノ ではない人に問題が残されているばかりではなく、望ましくない財産がつみあがっていく という現実である。このような災害経験と実情が正しく伝達されないのか、伝え続けるこ とができないのを懸念する。 これ等の背景には、日常が自分のことに忙しいことなのかもしれない。しかし、この災害 列島にいる限り、同じような災害に遭遇する機会は確実であり、いつ、いかなるものが発 生するのかは不明という中で生活しているという運命にある。災害は出会って、はじめて その恐ろしさを知るのでは遅いわけで、対岸の火事から学習しておくべきことがある。し かし、われわれには、慣れ、軽視、無関心、自信、おごり、近視眼、正常化への偏見など という性を有している。これを打破するには、何といっても自然災害についての情報の伝 達が必要であり、回避できない災害への意識の向上を図る必要がある。時には、知りたく ないものも知り、理解し、伝えていかなければならないものもある。 そのためには、学校教育での防災につながる学習が必要で、教科書で学ぶことも重要であ るが、地域を題材にして、フィールドの見方、観察の仕方、応用力、関心を高めるように 導くことが必要である。防災教育という名を冠しなくても、防犯、防災に関係することは いくらでもあり、メインデイシュでなくてもよく、むしろ脇役で不可欠な調味料として役 立たせることが必要である。理科教育支援でも感じることであるが、いわゆる学習強化に ついては関心が高い割に、地域のことや社会のことに関しては、与えられた情報が知識化 しているだけある。そこにどのような課題があって、それをどう解決するのか、調べるツ ールがあるのかというとこにまで昇華されていない印象を持つ。教育に携わる先生などが、 防災は国民学であるというくらいに考えて、プログラムを構想してほしい。このような学 習経験は、国内外へ出かけても応用が効くし、国民的災害文化となり、この列島での生き 方にもつながることではないかと思われる。
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