三 浦 雄 一 郎 氏 8 0 才 エ ベ レ ス ト 登 頂 の 歴 史 で 最 高

現在、当自治会はネット上にホームページがないこ
皆様の子弟で自治会活動をご支援できる方を募集して
とが残念です。制作費用や管理費の予算がなくホーム
います。趣味、特技を活かして自己啓発と地域貢献を
ページ実現に至っていません。つきましては、会員の
宜しくお願い致します。
三 浦 雄 一 郎 氏 8 0 才 エ ベ レ
ス ト 登 頂 の 歴 史 で 最 高 齢 登
頂 者 と な る 。
渡 嘉 敷 光 助 氏 8 0 才 単 独 の
パ ラ グ ラ イ ダ ー で 空 の 散 歩
を 楽 し む !
1年前に1人で始めて、いとも簡単に空を鳥の如く自
由に舞っている、誰しも鳥のように空を舞いたいが危
険度や体力が持たない、ましては飛ぶ勇気が無い。
光助さんの目は子供のように輝き、好奇心がいっぱい
感じられます。
生老会会長を務めており、当会員の高齢者は「近いの
沖縄クトゥバで御祭りのこと。旧暦の 2 月、 3 月、 5
月、 6 月の 15 日を前後に行われます。二月ウマチーは
麦の穂祭り、三月ウマチーは麦の収穫祭、五月ウマチー
は稲や栗の穂祭り、六月ウマチーは稲や栗の収穫祭とな
る。国場自治会では根ムートゥ(国場地域の現在のJA
国場辺りに始めて住んだ方々)の城間門中のうがみを役
員がお手伝いをする風習となっていて、神酒(ウンサク)
を自治会のキッチンで作りました。米の粉砕を水に入れ、
シンメーナービで沸騰させながら会計の嘉数さんが二時
間余り掻き混ぜて出来上がりました。
城間門中のムートゥ屋・六ヶ所と自治会が七つのビンシ
ーを携えての大移動、拝所回りとなりました。
①朝かん②カーウガミ場所
→ウガンジュの順序
④夕かん
グスクマ→アムル→ムラガー
③昼かん
昼ご飯をお供える
夕ご飯をお供える
暑い中、皆さんのご協力を頂きウマチーを行うことが
できました。
で予算を多くするように」とよく話されます。危険な
パラグライダーに挑戦する姿は、私達に生き方を教え
ているようである。
6/13 ~ 14 宮 古 島 研 修 に 参 加
自 治 会 長 就 任 後 、 始 め て の 研 修 会 で あ る 。 宮 古 島 は 初 め
て 行 く が 現 在 も 交 流 が あ る 高 校 時 代 の 同 級 生 か ら 、 宮 古
島 の 話 を よ く 聞 い て い た の で 、 と て も 興 味 を も っ て い た 。
島 の 人 の イ メ ー ジ は 人 間 力 豊 か 。 ト ラ イ ア ス ロ ン 大 会 の
大 成 功 は 島 人 の 力 の 賜 物 で あ ろ う 。
6 月 13 日
研修会一日目。早朝に那覇空港を発ち
6 月 14 日
二日目は「うえのドイツ村」に立ち寄
宮古空港へ到着後、「宮古島博物館」にて研修会が行
った。1873年・ドイツの商船ロベルトソン号が旧宮
われた。
古郡上野村宮国沖で台風のため座礁した。懸命な救助
研修会では、行政OBの講話で宮古の歴史や生活習慣
活動を行った島の人々とドイツは、沖縄サミットで大
を学んだ。御嶽が1000箇所を越す多さには驚いた。
統領が歴訪するなど、今なお交流が続いている。バス
王府、集落、門中、家族単位の御嶽が存在するようで、
ガイドの与那覇さんがとても印象的であった。全身で
信仰心の深さを表している。島は山が無く、干ばつや
表現する漫才師顔負けの話し方には皆大笑いで、誰も
台風の厳しい自然と共存するために、自然を敬う崇拝
居眠りをしなかった。民謡の「くいちゃ節」を歌いな
に繫がったことが伺える。地下ダムが全国の最先端を
がら飛び跳ねる姿には度肝を抜かした。とても元気を
進んでいることも、その表れだろう。
もらい疲れが吹き飛んだ。宮古に生まれ住む人の郷土
数ヶ所の自治会会長が自治会活動の発表を行った。
を愛する心。人間力の強さを感じた旅であった。
ご時世で若者の参加が少ない事と財源が乏しいが宮古
島の叡智にあやかり活性化に繫がることでしょう。
親睦会は地元の自治会関係者を迎えて行われた。各自
治会長は話上手な方ばかりで、余りに楽しくて時間制
限されるほどであった。当日はトライアスロン大会も
重なり、スポーツアスリート達で街はごった返してお
り、今後の宮古島の躍動と発展を感じた。
沖縄大学の波平ゼミによる国場門中の根屋(ニーヤ
ー)の聞き取り調査がグスクマ門中屋号グスクマ(城
に始めて住んだ場所はウガン(現在のJA国場)の場
所で七代まで住んでいたとのことである。
間)で波平先生のもと、学生二十数名で門中承継者の
城間鉄男さんに学生からの質問を受けて行われた。
約 15 坪の広さで約 8 メートルの長い仏壇に一段にウ
コールが数十個、横列に整然と並べられている。年期
の入ったもので歴史の重さを感じ取られる。
学生達は講義で前知識をえているようで鋭い質問が
多かった。七番目のウコールのトウーウフーヌシ(唐
渡嘉敷三郎家)のウコールは王府の政策で中国から瓦
の教授職人として来琉、結婚後に渡嘉敷ナカムートゥ
に養子と成る事や庭の大樹サバキーが 200 年代、沖
縄で一番古くて一番大きいのではとのお話や、国場地
波平先生と沖縄大学の生徒達