「新指定・新登録・新選定」答申物件 《史跡名勝天然記念物の新指定》 1

「新指定・新登録・新選定」答申物件
《史跡名勝天然記念物の新指定》
【 史 跡 】 12 件
1
し ら か わ じょうあと
白川 城 跡 【福島県白河市】
しらかわ ゆ う き
鎌倉時代から戦国時代にかけて,陸奥南部一帯に勢力を有した白河結城氏の
居城跡である。発掘調査によって,南北朝から戦国期までの遺構が良好に遺存
することを確認した。中世陸奥南部の政治・軍事の歴史を知る上で重要。
(鎌倉時代から戦国時代にかけて,陸奥南部一帯に勢力を有した白河結城氏の
居 城 跡 。)
2
やまもと い せ き
山元遺跡【新潟県村上市】
か ん ご う しゅうらく
新潟県北部の弥生時代後期の日本海側最北の高地性環濠 集 落 。居住域と墓域
から成る。ガラス小玉・筒形銅製品・土器から北海道・東北北部,東海,北陸
地域等と交流があったことを示す。北陸文化圏と東北文化圏の接点に位置し,
東日本における弥生時代後期の社会及び文化のあり方を知る上で重要。
( 北 陸 文 化 圏 と 東 北 文 化 圏 の 接 点 に 所 在 す る 弥 生 時 代 後 期 の 高 地 性 環 濠 集 落 。)
3
い い だ こふんぐん
飯田古墳群【長野県飯田市】
5世紀後半から6世紀末まで,長野県南部,飯田盆地に営まれた古墳群。
大和政権と深い関係があり,古墳築造の背景には馬の生産があったと考えられ
る。東国経営のあり方を知る上で重要。
( 飯 田 盆 地 に 馬 の 文 化 を 基 盤 に し て 展 開 し た 古 墳 時 代 中 ・ 後 期 の 古 墳 群 。)
4
な り あ い じ きゅうけいだい
成相寺旧境 内【京都府宮津市】
なり あいさん
特別名勝天橋立を見下ろす成相山の中腹に位置する奈良時代に創建されたと
さ れ る 山 林 寺 院 。平 安 時 代 以 降 は 我 が 国 を 代 表 す る 山 岳 霊 場 と し て 信 仰 を 集 め ,
その法灯を今に伝える。旧境内に伴う遺構が良好な状態で保存され,山林寺院
の空間利用や展開を知る上で重要。
( 平 安 時 代 以 降 に 我 が 国 を 代 表 す る 山 岳 霊 場 と し て 信 仰 を 集 め た 寺 院 。)
3
5
だ い せ ん じ きゅうけいだい
大山寺旧境 内【鳥取県西伯郡大山町】
み せ ん
古くからの信仰の山である中国山地最高峰,大山(弥山)の北面中腹に位置
すいじゃく
だ い ち みょう ご ん げ ん
す る 山 林 寺 院 。地 蔵 菩 薩 の 垂 迹 ,大 智 明 権 現 を 信 仰 の 中 心 と し ,中 世 に 最 大 と
なった。近世には三院四十二坊の体制をとり,中・近世の建造物が遺存すると
ともに,子院(僧坊)には石垣,土塁などが残る。我が国を代表する山林寺院
のひとつとして重要。
(古くからの信仰の山である大山の中腹に位置する我が国を代表する山林寺
院 。)
6
び ん ご こ く ふ あと
備後国府跡【広島県府中市】
広島県南東部に位置する古代備後国の国府跡。ほぼ方一町の区画溝に囲まれ
ほったてばしらたてもの
そ せ き たてもの
えん ち
た大型掘立柱建物群や礎石建物群,苑池,古代寺院など国府の多様な機能を示
か ん が
す 遺 構 群 と と も に ,国 産 施 釉 陶 器 や 貿 易 陶 磁 器 ,官 衙 関 連 遺 物 が 多 数 出 土 す る 。
8~12世紀の国府の様相を知る上で重要。
( 国 府 を 構 成 す る 諸 施 設 の 存 在 が 判 明 し た 古 代 備 後 国 の 国 府 跡 。)
7
な る と い た の こふんぐん
鳴門板野古墳群【徳島県鳴門市】
つみ いしづか
弥生時代終末期の四国東部に特徴的な積石塚及び古墳時代前期の円墳・前方
後円墳から成る古墳群。東部瀬戸内海南岸地域における古墳出現期の様相を示
すとともに,大和政権からの影響を受け変容していく過程を知る上で重要。
あ さ ん
( 阿 讃 山 脈 東 南 麓 の 弥 生 時 代 終 末 期 か ら 古 墳 時 代 前 期 に 営 ま れ た 古 墳 群 。)
8
い
よ へん ろ みち
伊予遍路道
ぶつ も く じ みち
仏木寺道
よこ み ね じ みち
横峰寺道
【愛媛県宇和島市・西条市】
空 海 ゆ か り の 寺 社 を 巡 る 全 長 1 ,4 0 0 k m に も 及 ぶ 霊 場 巡 拝 の 道 の 一 部 。
いよのくに
伊予国分を伊予遍路道と呼び,そのうち,第41番札所から第42番札所,第
59番札所から第60番札所に至る遍路道の,遺存状況の良好な道筋を指定。
( 民 間 に 広 く 普 及 し た 信 仰 の 道 で , 伊 予 国 の 遺 存 状 況 の 良 好 な 遍 路 道 。)
4
と
9
さ へ ん ろ みち
土佐遍路道
しょう り ゅ う じ み ち
青 龍寺道
【高知県土佐市】
空海ゆかりの寺社を巡る全長1,400kmにも及ぶ霊場巡拝の道の一部。
とさのくに
土佐国分を土佐遍路道と呼び,そのうち,第35番札所から第36番札所に至
る遍路道の,遺存状況の良好な道筋を指定。
( 民 間 に 広 く 普 及 し た 信 仰 の 道 で , 土 佐 国 の 遺 存 状 況 の 良 好 な 遍 路 道 。)
ふな ば る こ ふ ん
10
船原古墳【福岡県古賀市】
6世紀末~7世紀初頭の九州北部における前方後円墳の終焉状況,当該地に
おける朝鮮半島や大和政権との関係性と重要性,葬送儀礼の実態解明など,日
本列島の当該期社会を考える上で重要。
( 質 ・ 量 と も 傑 出 し た 遺 物 を 有 す る 九 州 北 部 最 終 末 期 の 前 方 後 円 墳 。)
ひがしみょう い せ き
11
東 名 遺跡【佐賀県佐賀市】
1か所にまとまる居住域・貝塚・貯蔵穴群からは縄文時代早期末葉(約
7,000年前)の集落構造が明らかとなり,遺存状態が極めて良好な生活用
具や食料残滓からは,当該期の詳細な生活内容の復元が可能となった全国的に
も稀有な遺跡。
( 縄 文 時 代 早 期 末 葉 の 詳 細 な 集 落 構 造 が わ か る 全 国 で も 稀 有 な 遺 跡 。)
ながさきげんばく い せ き
12
長崎原爆遺跡【長崎県長崎市】
昭和20年(1945)8月9日に長崎に投下された原子爆弾の被害を伝え
しろやま
る遺跡。爆心地,被爆校舎である旧城山国民学校校舎,崖下の小川に滑落した
うらかみ
浦上天主堂旧鐘楼,爆風により傾いた旧長崎医科大学門柱,爆風で一本柱とな
った山王神社二の鳥居から成る。
( 第 二 次 世 界 大 戦 の 末 期 , 長 崎 に 投 下 さ れ た 原 子 爆 弾 の 被 害 を 伝 え る 遺 跡 。)
5
【名勝】
1
2件
よ な こ ばくふぐん
米子瀑布群【長野県須坂市】
よ な こ がわ
長 野 県 の 北 東 部 を 流 れ る 米 子 川 上 流 の 標 高 1 ,6 0 0 m 付 近 に 位 置 し ,落 差 8
ごんげん だき
ふ ど う だき
0 m 余 り の 権 現 滝 と 不 動 滝 を は じ め ,十 数 条 の 滝 か ら 成 る 。古 く か ら 信 仰 の 対 象
ともなってきた風致景観が優れている。
( 長 野 県 の 北 東 部 を 流 れ る 米 子 川 上 流 に 位 置 す る 壮 観 な 複 数 の 滝 。)
2
きゅうぬまづ ご よ う てい え ん ち
旧沼津御用邸苑地【静岡県沼津市】
沼 津 の 保 養 地 に 明 治 か ら 大 正 に 造 営 さ れ た 旧 御 用 邸 の 風 光 明 媚 な 苑 地 で ,旧 本
邸・東附属邸・西附属邸の3つの区域から成り,クロマツ林と芝生地,そして,
うしぶせやま
海浜に臨み,富士山・牛臥山を望む風致景観をよく保持している。
( 沼 津 の 保 養 地 に 近 代 に 造 営 さ れ た 旧 御 用 邸 の 風 光 明 媚 な 苑 地 。)
【天然記念物】
1
み や こ じま ぼ
1件
ら
せ っ か い か だんきゅう
宮古島保良の石灰華 段 丘 【沖縄県宮古島市】
棚 田 の よ う な 形 状 の カ ル ス ト 地 形 の 一 種 。長 さ 約 7 0 m ,幅 約 3 0 m の 範 囲 に ,
石灰沈殿物(石灰華)によって縁取られた小さな池が300個以上も分布する。
野外の石灰華段丘として国内最大の規模であり,学術上貴重 。
( 棚 田 の よ う な 形 状 の カ ル ス ト 地 形 で , 野 外 の 石 灰 華 段 丘 と し て 国 内 最 大 規 模 。)
6
《登録記念物の新登録》
【名勝地関係】
1
そ
ね
し ていえん
3件
じ そ う あんていえん
曽 根 氏 庭 園 (磁 叟 庵 庭 園 )【 岐 阜 県 瑞 浪 市 】
製 陶 業 を 営 ん だ 曽 根 氏 の 本 邸 に ,昭 和 2 年( 1 9 2 7 )に 造 ら れ た 庭 園 。石 橋
かれなが
えんさき
とびいし
の 架 か る 枯 流 れ や ,縁 先 を 結 ん で 縦 横 に 打 た れ た 飛 石 の 構 成 に 特 徴 が あ り ,岐 阜
県における造園文化の発展に寄与した意義深い事例。
( 岐 阜 県 瑞 浪 市 の 製 陶 業 者 の 本 邸 に 昭 和 初 期 に 造 ら れ た 庭 園 。)
2
ま に さ ん
摩尼山【鳥取県鳥取市】
だいせん
み とくさん
きょがん
鳥取県東部に位置し,大山や三徳山と並ぶ天台宗の拠点的霊山で,特に巨巌・
わし
みね
岩窟等から成る奥の院の奇景に優れ,日本海・鳥取砂丘等を一望する鷲が峰
たていわ
( 立 岩 )は 展 望 地 点 と し て 親 し ま れ ,山 内 の 石 仏 群 も 風 致 を 添 え る 意 義 深 い 事 例 。
( 奥 の 院 の 奇 景 と 立 岩 か ら の 眺 望 に 優 れ た 天 台 宗 の 古 刹 。)
3
きゅう な か そ ね し て い え ん
旧 仲宗根氏庭園【沖縄県宮古島市】
宮 古 島 の 頭 職 を 輩 出 し た 仲 宗 根 氏 の 邸 宅 に ,昭 和 4 年( 1 9 2 9 )に 造 ら れ た
ていせん
庭 園 。琉 球 石 灰 岩 を 基 調 と し ,入 り 組 ん だ 汀 線 を 有 す る 園 池 に 5 つ の 岩 島 を 配 す
る 構 成 は ,沖 縄 本 島 の 伝 統 的 庭 園 の 特 徴 に も 通 じ ,離 島 地 域 に お け る 近 代 の 造 園
文化の発展に寄与した意義深い事例。
( 宮 古 島 の 旧 士 族 の 邸 宅 に 昭 和 初 期 に 造 ら れ た 庭 園 。)
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