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INTERNATIONAL AFFAIRS
6月
2016年6月 No.652
電子版
焦点:TPP合意とアジア太平洋
通商秩序の新展開
◎巻頭エッセイ◎
TPP合意とアジア太平洋通商秩序 大江 博─1
ポストTPPとアジア太平洋の新秩序:日本の役割 馬田啓一─ 5
TPPの政治経済学:米国の視点 グレン・S・フクシマ─ 16
TPPと中国の「一帯一路」構想 大橋英夫─ 29
韓国のTPP参加表明 その背景と見通し 奥田 聡─ 40
●国際問題月表
2016年4月1日−30日─ 51
公益財団法人
http://www.jiia.or.jp/
◎ 巻頭エッセイ ◎
Oe Hiroshi
2015 年 10 月、TPP(環太平洋パートナーシップ)は大筋合意をし、2016 年 2 月 4 日、
署名に至った。日本は、シンガポールとの経済連携協定(EPA)を皮切りに他国に遅
れてEPAへと舵を切ったが、TPPは日本国内で、これまでわが国が締結したEPAとは
別次元の国民的関心事となった。安倍晋三総理もアベノミクス成長戦略の柱のひとつ
にTPP を挙げ、TPP は国家百年の計として位置づけられた。
*
TPP の重要性はどこにあるのだろうか。この問いについて考える前に、現在の通
商・貿易体制がどうなっているのかをみる必要がある。言うまでもなく、戦後の貿易
はGATT/WTO(関税貿易一般協定/世界貿易機関)体制を軸にここまで発展・拡大して
きた。しかし、1999年のシアトルにおけるWTO閣僚会議以降、WTOの交渉が停滞し
てすでに20年近くになる。ドーハ・ラウンド(多角的貿易交渉)の状況をみて、WTO
は死んだと言う者さえいる。そのような状況のなか、多くの国がFTA(自由貿易協定)
に軸足を変えてきた。わが国が、シンガポールを皮切りに他国とEPAを締結し始めた
のは、他国に比べ最も遅いタイミングであったが、それは戦後 GATT/WTO を貿易政
策の中心においてきたわが国としては、EPAに軸足を移すことには、それなりの抵抗
があったということがある。また、わが国における農業のセンシティビティーに鑑
み、EPAに大きな抵抗があったのも事実である。それにもかかわらずEPA政策に正面
から取り組むことにしたのは、WTO が停滞するなか、貿易における新たなルール作
りがFTAにおいてなされ、わが国がそれにそっぽを向くということはわが国が世界の
新しい貿易ルールの策定に参加できなくなるという問題意識からであった。
そのような意識に基づけば、世界に数多くあるFTAのなかでも、いわゆるメガFTA
は特に重要である。そのなかでも、TPP は最も重要なメガ FTA であると言えよう。
原加盟国になることが想定されている12ヵ国で、世界の約4割のGDP(国内総生産)
をカバーしていると言われるが、そのなかに、世界第 1 と第 3 の経済大国の米国と日
本が含まれていることが非常に重要である。日米FTAというのは、過去何十年にわた
り多くの人の口に上り、しかしながら、誰もそれができるとは考えなかった。TPPは
日米だけではなく、オーストラリア、カナダ、メキシコ、ベトナムといった国を含む
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 1
◎ 巻頭エッセイ◎ TPP 合意とアジア太平洋通商秩序
12ヵ国の協定であるという時点で、すでに日米 FTA をはるかに超える意義がある。
さらに重要なことは、TPPは、ほかの多くのFTAと違って、加盟国が固定されてお
らず、今後、拡大していくことが想定されているFTAであるということである。大筋
合意後、韓国、台湾、タイ、インドネシア、フィリピンといった国および地域が、す
でにTPP参加に強い関心を示している。これらの国および地域が参加すると、TPPは
さらに世界の約 5%のGDP が追加された地域をカバーすることとなる。
*
これらの国が実際にTPPに参加するようになると、中国もTPPへの参加を真剣に考
えるようになると私は考えている。多分、中国は今、TPPが本当に発効しさらに多く
の国が参加していくようになるのか、じっと見守っているのではないか。中国は、も
ともとはTPPではなく、米国の参加していない、そしてTPPより野心レベルの低いこ
とが想定される RCEP(東アジア地域包括的経済連携)を、アジア太平洋地域の貿易の
軸としたかったであろう。しかし、TPP が実質合意した今、RCEP に対する期待は正
直なところ下がってきていると言わざるをえない。もちろん、RCEP が TPP に匹敵す
るような野心水準のものを目指すならば、大きな意味がある。しかし、現時点で中
国、インドと、TPPに参加している国が共に交渉し、高いレベルの合意に達するのは
容易ではない。もちろん、現在の中国がTPPに参加するのはハードルが高すぎるであ
ろう。国有企業等、今の中国にとっては困難な問題が多すぎるからである。しかし中
国も今後、自己改革をしていかないと、中国自身の成長を維持していくことは困難で
あろう。中国が TPP に参加するということになると、さらに世界の約 15% の GDP が
追加された地域がTPPによりカバーされることになる。そうなれば、インドもTPP参
加を真剣に検討するような状況が生まれるかもしれない。このように、TPPは今でも
世界最大のメガFTAであるが、潜在的には、さらにもっと大きな、世界のほとんどの
経済を内包するような FTA になる可能性を秘めていると言えよう。
そして、そのプロセスで世界の新たな貿易のルールがTPPで作られることになると、
それがベースになって WTO が再生する可能性があるのである。TPP が成功裏に成長
していくことが、WTO 再生に繋がる唯一の道かもしれない。実際 TPP では、WTO で
決められなかったルール、または既存の WTO を超える水準のルールが決められてい
る。伝統的な分野だけではなく、Eコマース(電子商取引)、国有企業、労働、環境と
いった分野まで、TPP はカバーしているのである。
また、TPP の意義を考えるにあたって忘れてはならないのは、TPP は、単なる貿易
協定であるというだけではなく、アジア太平洋地域における米国のプレゼンスを確保
するという、より広い意味での安全保障上の意義も有するものであるということであ
る。このように言うと、すぐTPPは中国封じ込めのための協定ではないかと言う人が
いるが、そういうことではない。オバマ米大統領は、中国にルールを書かせてはなら
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 2
◎ 巻頭エッセイ◎ TPP 合意とアジア太平洋通商秩序
ないと言ったが、その意味するところは、現在の中国がルールを書こうとすると野心
水準の低いものにならざるをえない。たとえばTPPでは、国有企業についても規定が
設けられたが、中国の国有企業がいろいろなところで大きな問題となっているのは周
知の事実であり、今、中国がルール作りに深く関与すれば、とても国有企業を規律し
ようという話にはならず、それでは意味あるルール作りはできないということであ
る。中国が自己改革をするなかでTPPに加盟できるような状況になり、中国がTPPに
将来加盟することは皆望んでいるし、そのような状態になることは中長期的には中国
にとっても必要なことであろう。
*
さて、このようなシナリオが現実になっていくためには、何よりTPPが一日も早く
発効することが必要である。私は、TPPがいずれ発効することについては確信してい
るが、早急に、という点については不透明な点がある。たとえば、米政府は当初は本
年夏にも、ということを言っていたが、3 月 1 日のスーパー・テューズデーまでに民
主・共和両党の大統領選挙候補が実質的に決まるというシナリオが崩れたことによ
り、このシナリオはなくなったと言われている。現在では、本年末のいわゆるレーム
ダック・セッション(米大統領選挙後から会期末までの間、改選前の議員構成で開催され
るセッション)に議会を通すか、そうでなければ次の大統領に委ねるか、のいずれか
ということになる。オバマ政権は、前者を追求し本年中の議会通過につき意志表明し
ている。しかし、仮にそうではなく後者になった場合、少なくとも来年は米国では何
も動かない可能性が高いと言われている。なぜなら、大統領選挙という文脈のなか
で、本心はどうであれ、すべての有力候補はTPPに対して否定的な発言をしているか
らである。誰が大統領になろうとも、あれは選挙戦での発言だったとして、すぐに
TPP を通すという行動には出にくいであろう。少なくとも、1 年、場合によってはさ
らに長い期間、米国内でのTPP承認に向けての動きは期待できない可能性がある、と
いう見立てである。そうであればこそ、オバマ政権の意図どおり、本年中にどうにか
通すという米国政府の努力に期待している。
そして、そのような状況をみて、米国の状態をみて国内の手続きを進めようという
国もある。米国からの再交渉要求を恐れて、米国の状況をみないと進めないと感じて
いる国もある。過去、米国との間で、合意後、実質的な再交渉を求められ、それに抗
しきるのが困難であったという歴史があるからである。そんななか、TPPにおいては、
わが国が、いったん合意したものを再交渉することはありえないという毅然とした態
度をとり続け、それをバックにすべての交渉参加国が同様の立場を堅持してきた。
USTR(米通商代表部)もそれを理解し、種々の場で、TPPにおいては再交渉はありえ
ないということを公言している。そのなかで、わが国が率先して国会承認を得ること
は、再交渉がないということを対外的に明確に示すうえでも非常に大きな意味があ
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 3
◎ 巻頭エッセイ◎ TPP 合意とアジア太平洋通商秩序
る。先の国会でTPPの承認にまで至らなかったのは、きわめて残念であるが、なるべ
く早期に国会で是非とも承認をいただけるよう、引き続き国民の理解を得る努力をし
ていきたい。
(注:本稿において意見等にわたる部分は筆者の個人的見解である。
)
おおえ・ひろし TPP 首席交渉官
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 4
Umada Keiichi
はじめに
2016 年2月、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定の調印が参加 12ヵ国の間で行なわれ、
各国の批准に向けた動きが始まった。これによって、アジア太平洋の新たな通商秩序の構築
は今後、TPP を軸に進展しそうである。しかしその一方で、米主導の TPP に警戒を強める中
国がTPPへの対抗策として、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)とその梃子となる日中韓
自由貿易協定(FTA)の実現を急ぐ姿勢をみせている。
アジア太平洋におけるメガFTAの潮流をどう読み解くか。米中の角逐が強まるなか、果た
して TPP と RCEP の関係はどうなるのか。両者が将来、より広範なアジア太平洋自由貿易圏
(FTAAP)に収斂する可能性はあるのだろうか。あるとすれば、それはどのような道筋をたど
るのか。中国が打ち出した「一帯一路」構想は、TPP の拡大にどう影響するだろうか。
FTAAPの実現に向けた米中の主導権争いもみられるなか、日本はどのような役割を果たすべ
きか。
本稿では、ポストTPPをにらみ、アジア太平洋の新秩序の構築に向けた動きに焦点を当て、
対立が深まる米中関係と日本の役割について鳥瞰したい。
1 メガ FTA の潮流と TPP
メガ FTA 締結が世界の潮流となった。世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンド(多角的
貿易交渉)が停滞するなか、主要国の通商政策の軸足は広域で多国間のメガ FTA に加速度的
にシフトしている。WTO 離れは止まりそうもない。
TPP をはじめとするメガ FTA 締結に向けた動きの背景には、加速するサプライチェーン
(供給網)のグローバル化がある。企業による生産拠点の海外移転が進むなか、今や原材料の
調達から生産と販売まで、グローバル・サプライチェーンの効率化が企業の競争力を左右す
る。これが 21 世紀型貿易の特徴である(1)。企業の国際生産ネットワークの結びつきを妨げる
政策や制度は、すべて貿易障壁となった。ルールの重点は、関税のような国境措置(on the
border)から国内措置(behind the border)へシフトしている。
他方、サプライチェーンのグローバル化に伴い、二国間FTAの限界も明らかとなった。二
国間FTAでは、サプライチェーンが展開される国の一部しかカバーされない。サプライチェ
ーンをカバーするために複数の二国間FTAを締結しても、FTAごとにルール(例えば、原産地
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 5
ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
規則)が異なれば、企業にとっては煩雑で使い勝手が悪いものとなる。
サプライチェーン全体をカバーするには、メガFTAが必要だ。域内産と認定し関税をゼロ
にする条件を定めた「原産地規則」が、メガFTAによって統一され、かつ、現地調達比率に
おいて域内での「累積方式」が認められれば、原産地証明がかなり容易となる。グローバル
なサプライチェーンの効率化という点からみると、メガFTAによって「地域主義のマルチ化」
が進み、ルールが収斂・統一されていくことのメリットは大きい。
このように、企業による国際生産ネットワークの拡大とそのサプライチェーンのグローバ
ル化に伴い、これまでの枠を超えた21世紀型の貿易ルールが求められている。そのルールづ
くりの主役はWTOでなく、メガFTAである。新通商秩序の力学は、TPP、RCEP、日中韓FTA、
日欧 FTA、さらに米欧間の環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)などのメガ FTA を中
心に動き始めている。本格的なメガ FTA 時代に突入したと言ってよい。
そうしたなか、メガFTAのうち最も先行しているのがTPPである。交渉を主導した米国は、
TPPを「21世紀型のFTA」と位置付けて、高いレベルの包括的なFTAを目指した。TPPは、関
税撤廃よりも、非関税障壁の撤廃につながる「WTOプラス」のルールづくりに大きな意義を
見出すことができる。
TPP 交渉の対象となった 21 分野(条文は全 30 章から成る)には、米国がとくに重視した投
資、知的財産権、国有企業、政府調達、環境、労働などのほか、従来のFTAにはない分野横
断的事項(中小企業、規制の整合性など)も盛り込まれた。
2 土壇場の TPP 交渉妥結
妥結か漂流か、その行方が注目されたTPP交渉が、2015年10月、米アトランタでの閣僚会
合で大筋合意に達した。5 年半ぶりの決着である。もし決裂すれば、年単位で漂流しかねな
いという時間切れ寸前の際どい決着だった。最後まで難航した分野は、物品市場アクセス
(関税撤廃)
、知的財産権、国有企業、投資など、各国の国内事情で譲歩が難しいセンシティ
ブなものばかりであった。
停滞していたTPP交渉の潮目が変わったのは、2014年11月の米議会中間選挙後である。上
下両院とも自由貿易に前向きな野党の共和党が勝利したことで、オバマ政権が皮肉にも、
TPP に後ろ向きな与党民主党に代わって共和党の協力を取り付けた。
TPP 交渉に不可欠とされた通商交渉の権限を大統領に委ねる貿易促進権限(TPA)法案を、
2015 年 6 月下旬に上下両院とも薄氷の採決であったが可決、成立させた。これによって TPP
交渉の合意内容が米議会によって修正される恐れがなくなり、交渉参加国は最後のカードを
切ることができるようになった。
TPA法案の成立を追い風に、農産物5項目(コメ、麦、砂糖、牛・豚肉、乳製品)と自動車で
難航した日米関税協議も決着の見通しがつき、TPP 交渉妥結への機運が高まるなか、2015 年
7 月下旬、参加 12 ヵ国はハワイで閣僚会合を開き、大筋合意を目指した。しかし、想定外の
「伏兵」の登場で、医薬品のデータ保護期間や乳製品の関税撤廃などをめぐり参加国間の溝は
埋まらず、交渉は物別れに終わった(2)。
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ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
しかし、米国の政治日程を考えれば、2016 年の米大統領選の予備選が本格化する前に、
TPP交渉を決着させる必要があった。レガシー(政治的業績)を欲するオバマ大統領にとって
は、アトランタ閣僚会合が最後のチャンスであった。
漂流の懸念も高まるなか、TPP 交渉は、医薬品データの保護と乳製品の関税に加え、自動
車・自動車部品の原産地規則をめぐって縺れに縺れたが、度重なる日程延長の末、土壇場で
大筋合意にこぎつけた。TPP 交渉が漂流すれば、中国が一帯一路構想とアジアインフラ投資
銀行(AIIB)を梃子にアジア太平洋地域の覇権争いで勢い付いてしまうとの警戒心が、米国
を大筋合意へと突き動かした。
参加国は大筋合意を受けて、TPP 協定の発効に向けた国内手続きに入ったが、米議会の対
応に焦点が集まっている(3)。大統領選の影響で、民主、共和両党の有力候補がそろって TPP
反対を表明するなか、オバマ大統領は TPP 法案を早期に議会に提出したい考えだ。しかし、
民主党だけでなく、共和党の一部からも米政府が譲歩しすぎたとの不満が出ており、協定の
見直しを求める声も上がるなど、TPP 法案成立のめどは立っていない。このため、法案の審
議入りを選挙後に先延ばしする案も浮上するなど、TPP 法案の議会審議の行方は予断を許さ
ない状況だ(4)。
3 日本の成長戦略と TPP の意義
ところで、TPP交渉の合意は、アベノミクスの成長戦略にとって喫緊の課題であった。TPP
はアジア太平洋の活力を取り込み、日本経済を持続的な成長軌道に乗せる重要な手段とされ
ているからだ。成長戦略の重要な柱とされたTPP がつまずけば、アベノミクスへの期待が一
気に失望に変わる恐れもあった。
TPP合意に基づき、日本は95.1%の関税を撤廃するが、第1表が示すように、参加国のなか
で最低である。その理由は、工業品の関税撤廃率は 100% でも、農産品が 81% にとどまった
からだ。非撤廃の割合を 19% にした日本の交渉力を褒めるべきか、それとも頑張りすぎて、
アジア太平洋における自由貿易のリーダーを目指す国としては恥ずかしい数字だとみるべき
か、評価は分かれる(5)。
いずれにせよ、聖域とされた農産物5項目は、586品目のうち3割が撤廃される。聖域が完
全に守れなかったと責め立てる野党の批判は論外だが、たとえ「無傷」で済んでも、もはや
日本農業はジリ貧である。TPP 参加を好機と捉え、これまで先送りしてきた農業の構造改革
を断行すべきだ。
ポストTPPの重要な視点は、
「守り」ではなく「攻め」の姿勢である。関税撤廃のマイナス
面ばかりを問題にすべきでない。TPPによって参加11ヵ国に輸出する工業品のほぼ100%、農
産品についても大半の関税が撤廃され、市場拡大につながることが期待される。
ただし、米国向け自動車のように関税の完全撤廃までの猶予期間が長い品目が多いとか、
日本企業の多くがすでに海外へ生産拠点を移しているため、関税撤廃の恩恵はさほど大きく
ないといった冷めた見方もある。
しかし、21 世紀型 FTA である TPP の本当の意義は、関税撤廃だけでなく、第 2 表に示すと
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ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
第 1 表 TPP12ヵ国の経済規模と関税撤廃率(品目数ベース)
関税撤廃率(%)
国内総生産(GDP)
(10億ドル)
全体
米 国
16,663
100
(55.5)
98.8
(90.9)
100.0
日 本
4,920
95
(51.3)
81.0
(95.3)
100.0
カ ナ ダ
1,839
99
(86.2)
94.1
(96.9)
100.0
オーストラリア
1,497
100
(99.5)
100.0
(91.8)
99.8
メキシコ
1,262
99
(74.1)
96.4
(77.0)
99.6
マレーシア
323
100
(96.7)
99.6
(78.8)
100.0
シンガポール
302
100
(100)
100
(100)
100.0
チ リ
277
100
(96.3)
99.5
(94.7)
100.0
ペ ル ー
202
99
(82.1)
96.0
(80.2)
100.0
ニュージーランド
185
100
(97.7)
100.0
(93.9)
100.0
ベトナム
171
100
(42.6)
99.4
(70.2)
100.0
ブルネイ
18
100
(98.6)
100.0
(90.6)
100.0
農産品
工業品
(注) カッコ内の数字は、即時撤廃率。
(出所)
内閣官房TPP政府対策本部資料より筆者作成。
第 2 表 TPP協定の主な内容
分 野
TPPのルールによる恩恵
原産地規則
現地調達比率に「累積方式」が採用され、域内であればどこで生産された部品であろうと一定の
基準を満たせば関税撤廃を享受
貿易円滑化
1つの窓口で電子的に完了できるよう、通関手続きを簡素化・短縮化
投 資
不当な扱い(政府の収用など)をされた外国企業が現地政府を国際仲裁機関に訴えることができ
る「紛争解決(ISDS)条項」を設定
サービス
コンビニなどの小売業や銀行などへの出資・出店規制を大幅に緩和
電子商取引
外国企業に対する技術移転(例えば、ソースコードの開示)の強要を禁止
政府調達
一定額以上の公共事業などの政府調達には、外資も参加できるよう公開入札
国有企業
国有企業優遇策を制限し、外国企業との対等な競争関係を確保
知的財産
模造品・海賊版の取り締まりを強化。告訴なしで司法当局が捜査・起訴できる「非親告罪」を導入。
著作権保護は作者の死後70年、医薬品のデータ保護期間は実質8年間
(出所)
内閣官房TPP政府対策本部資料、『日本経済新聞』などにより筆者作成。
おり、知的財産権の保護、国有企業に対する優遇撤廃、電子商取引やサービスの規制緩和、
投資をめぐる紛争処理など、既存のFTAにない新たなルールが盛り込まれた点にある。これ
によって、日本企業が海外に進出したときのリスクも大幅に減る。
中長期的には人口減少により国内市場が縮小傾向にあるなかで、日本企業は海外市場の獲
得に活路を見出すしかない。TPP によってアジア太平洋に新たな貿易ルールが確立すれば、
日本を拠点とした国際生産ネットワークの拡大とサプライチェーンの効率化が一段と進むだ
ろう。TPP は、グローバル化する日本企業にとって大きなビジネス・チャンスである(6)。
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ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
4 TPP と中国の国家資本主義
TPP 交渉が妥結したことに中国が焦らないはずはない。米国はポスト TPP を睨み、将来的
には中国も含めてTPP参加国をアジア太平洋経済協力会議(APEC)全体に広げ、FTAAPを実
現しようとしている。投資や競争政策、知的財産権、政府調達などで問題の多い中国に対し
(7)
て、TPP への参加条件として、政府が国有企業を通じて市場に介入する「国家資本主義」
からの転換とルール遵守を迫るというのが、米国の描くシナリオである。
TPP による中国包囲網の形成に警戒を強める中国は、対抗策として RCEP の実現に動いて
いる。RCEP は TPP に比べると自由化のレベルは低いが、中国やインドを含むルールづくり
の枠組みとして大きな意義をもつ。東南アジア諸国連合(ASEAN)経済共同体(AEC)や日
中韓 FTA の交渉とも連動しながら、RCEP の交渉が行なわれている。
2011 年 11 月の ASEAN 首脳会議で ASEAN が打ち出したのが、RCEP 構想である。ASEAN
は、同年8月の日中共同提案を受けて、膠着状態にあったASEAN+3(日中韓)とASEAN+
6(日中韓、オーストラリア、ニュージーランド、インド)の2構想をRCEPに収斂させ、ASEAN
主導で東アジア広域 FTA の交渉を進めようとしている。
中国は、そうした ASEAN の野心(ASEAN Centrality と呼ぶ)を承知のうえで、ASEAN を
RCEP の議長に据え、ASEAN + 6 の枠組みにも柔軟な姿勢をみせた。米国が「アジア回帰」
を打ち出し、安全保障と経済の両面でアジア太平洋への関与を強めるなかで、米国に対抗す
るには ASEAN を自陣営につなぎ留めておく必要があると考えたからだ。ただし、ASEAN を
運転席に座らせても、中国は黒子として RCEP の操縦桿を握るつもりかもしれない。
2012 年 11 月の東アジアサミット(EAS)で、RCEP の交渉開始が合意された。これを受け
第 1 図 アジア太平洋における経済連携の重層関係
APEC(FTAAP)
ASEAN+6(RCEP)
ASEAN(AEC)
カンボジア
ラオス
ミャンマー
インドネシア
フィリピン
タイ
シンガポール
マレーシア
ベトナム
ブルネイ
インド
中国
韓国
ロシア
香港
台湾
パプアニューギニア
日本
米国
カナダ
メキシコ
ペルー
チリ
オーストラリア
ニュージーランド
TPP
(出所)
筆者作成。
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ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
て、RCEP交渉は2013年5月に開始、2015年末までの妥結を目指した。しかし、RCEPは同床
異夢の感が拭えず、関税撤廃も自由化率の目標設定という入り口でつまずくなど、交渉はま
だまだ紆余曲折がありそうだ(8)。
米中の角逐が強まるなかで、TPP と RCEP の動きが同時並行的に進行しつつあるが、注意
しなければならない点は、その背景に「市場経済対国家資本主義」という対立の構図が存在
していることである。中国は、TPP の動きを横目で見ながら、国家資本主義の体制を維持し
ながら RCEP の交渉を進めようとしている。
5 APEC の新たな争点― FTAAP への道筋
ところで興味深いのは、第 3 表が示すように、FTAAP の実現によって最も大きな利益を受
けるのは、皮肉にもこれを APEC に提案した米国ではなく、中国なのである。このため、中
国は TPP を警戒しつつも、FTAAP の実現には積極的であり、その道筋をめぐって APEC の場
で米国と激しい主導権争いを繰り広げている。
APECは、2010年の首脳宣言「横浜ビジョン」によって将来的に FTAAPの実現を目指すこ
とで一致しているが、TPP ルートかそれとも RCEP ルートか、さらに、両ルートが融合する
可能性があるのか否か、FTAAP への具体的な道筋についてはいまだ明らかでない。
そうしたなか、2014 年11 月のAPEC北京会合では、FTAAP実現に向けた APECの貢献のた
めの「北京ロードマップ」策定が主要課題となった(9)。議長国の中国は、FTAAP 構想に関し
てAPECでの主導権を握ろうと、首脳宣言にFTAAP実現の目標時期を2025年と明記し、その
具体化に向けて作業部会の設置を盛り込むよう主張した。
しかし、FTAAPをTPPの延長線上に捉えている日米などが TPP交渉への影響を懸念し強く
反対したため、FTAAPの「可能な限り早期」の実現を目指すと明記するにとどまり、具体的
な目標時期の設定は見送られた。
他方、作業部会については、TPP や RCEP など複数の経済連携を踏まえ、FTAAP への望ま
しい道筋についてフィージビリティー・スタディー(実現可能性の研究)を行ない、その成果
第 3 表 TPP、RCEP、FTAAPの経済効果
(2025年のGDP増加額、カッコ内は増加率、単位:10億ドル、%、2007年基準)
TPP12
TPP16
RCEP
FTAAP
米 国
76.6(0.38)
108.2(0.53)
−0.1(0.00)
295.2(1.46)
日 本
104.6(1.96)
128.8(2.41)
95.8(1.79)
227.9(4.27)
中 国
−34.8(−0.20)
−82.4(−0.48)
249.7(1.45)
699.9(4.06)
韓 国
−2.8(−0.13)
50.2(2.37)
82.0(3.87)
131.8(6.23)
ASEAN
62.2(1.67)
217.8(5.86)
77.5(2.08)
230.7(6.20)
オーストラリア
6.6(0.46)
9.8(0.68)
19.8(1.38)
30.1(2.10)
ニュージーランド
4.1(2.02)
4.7(2.36)
1.9(0.92)
6.4(3.16)
−2.7(−0.05)
−6.9(−0.13)
91.3(1.74)
226.2(4.32)
インド
(注) TPP12は現在の交渉参加国、TPP16は韓国、タイ、フィリピン、インドネシアが参加。
(出所)
P. A. Petri, M. G. Plummer, ASEAN Centrality and the ASEAN-US Economic Relationship, East-West
Center, 2014より筆者作成。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 10
ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
を 2016 年末までに報告することとなった(10)。ただし、研究報告の後すぐに APEC 加盟国が
FTAAP交渉(もしくは政府間の協議)に入るわけではない。研究とその後の交渉は別というの
が、日米の立場である。
習近平中国国家主席は、北京ロードマップを「歴史的一歩」と自賛した。しかし、米国の
横車によって、ロードマップはすっかり骨抜きにされた感は否めない。FTAAPのロードマッ
プ策定についての提案は、中国の焦りの裏返しとみることができる。TPP 交渉に揺さぶりを
かけるのが真の狙いだったようだ。TPP交渉が妥結すれば、FTAAP実現の主導権を米国に握
られ、中国は孤立する恐れもある。そこで、TPP 参加が難しい中国は、TPP 以外の選択肢も
あることを示し、ASEAN の「TPP 離れ」を誘うなど、TPP を牽制した。
FTAAP への具体的な道筋について、中国としては米国が参加していない RCEP ルートを
FTAAP実現のベースにしたいのが本音だ。もともと自由貿易の推進に強いこだわりがあるわ
けでなく、例外を認めたFTAを「お仲間づくり」の手段と位置付けているのが中国だ。RCEP
についてもそうした考え方が基本にある。したがって、どのルートかでFTAAPのあり方も変
わってくる。中国がFTAAP実現を主導するかぎり、国家資本主義と相容れない高いレベルの
包括的なメガ FTAは望めそうもない。
6 一帯一路構想と AIIB ―中国のもうひとつの狙い
APEC 北京会合以降の中国の動きをみると、対外戦略の重点は、FTAAP 実現の主導権確保
よりも一帯一路構想に移っている。だが、気を付けなければならない点は、一帯一路構想を
打ち出したからといって、中国が TPP 参加を否定しているわけではない。TPP 参加は中国の
選択肢のひとつであることに変わりはない。むしろ、少しでも中国が有利に TPP に参加でき
るようにするための手段、米国に対する牽制球と位置付けている面も否定できない。
中国が提唱する一帯一路の構想とは、現代版シルクロードと呼ばれ、中国から中央アジア
を経由して欧州につながる「シルクロード経済ベルト」と、東南アジアやインド洋を経由す
、後者を「一路
る「21世紀海上シルクロード」の 2つで構成され、前者を「一帯(one belt)」
(one road)
」と呼ぶ。
中国の目的は、アジアから欧州に至る広大な地域の覇権を握ることにあるが、一帯一路構
想は、少なくとも現時点では、TPP のように明確なルールや規定をもった経済連携とは異な
り、具体性を欠いた「曖昧なビジョン」にとどまっている。
しかし、米国は、中国がこの構想を TPP に対抗する新たな手段に位置付けていることに警
戒を強めている。なぜなら、一帯一路の東方拡大、すなわち、RCEP をベースにアジア太平
洋にまで拡がる可能性があるからだ。実際、習近平国家主席は APEC 北京会合で「亜太夢
(Asia-Pacific Dream)
」を掲げ、APEC の加盟国と協力して一帯一路の建設を推進していきたい
と呼びかけた。
さらには、2013 年 6 月の米中首脳会談で、習近平国家主席が「太平洋は米中を収納するの
に十分な大きさだ」と語り、アジア太平洋を米中両国で分割統治しようと暗にもちかけたこ
とも、オバマ大統領は忘れていない。だからこそ、オバマ大統領は TPP 大筋合意直後の声明
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 11
ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
で、
「中国にはルールをつくらせない」と、アジア太平洋のルールづくりを主導した意義を強
調し、中国を強く牽制したのである。中国にはアジア太平洋の主導権を譲るつもりも、分か
ち合うつもりも毛頭ない。
一方、一帯一路構想の資金源として、目下注目を集めているのがAIIBである。創設メンバ
ーに 57 ヵ国が参加、2015 年 6 月に設立協定を結び、2016 年 1 月、本格的に業務を開始した。
AIIB については、「中国による中国のための中国の銀行」だとして懐疑論も多い。米国が
AIIBの問題点として批判しているのは、組織の運営に関わるガバナンスの問題である。世界
銀行やアジア開発銀行(ADB)とは異なり、本部に常駐の理事を置くことなく運営するとし
ている。常設理事会なしで運営のチェックができるのか。インフラ融資の優先度に関して合
理的な判断ができるかは怪しい。
FTAAPの実現をにらみながら、アジア太平洋における経済連携の動きは、米中による陣取
り合戦の様相を呈している。FTAAP への道筋については、21 世紀型の FTA とされる TPP に
RCEPが吸収されるかたちが最も合理的かつ現実的だろう。TPPとRCEPの両方に参加してい
る国は日本を含め7ヵ国だが、RCEPのなかからTPPにも参加する国は今後さらに増える見通
しである。そのカギを握るのが RCEP の議長である ASEAN だ。
米国による TPP への ASEAN の取り込みが活発化するなか(11)、中国は一帯一路構想と AIIB
によるインフラ開発を餌にして、ASEANを引き留めようとしている。
「ASEAN来い、TPPの
水は辛いぞ、RCEPの水は甘いぞ」
、そんな童謡の替え歌が中国から聞こえてきそうだ。中国
の出方次第では、米国による AIIB のガバナンス批判は再び強まるかもしれない。
7 日米中トライアングルと中国の TPP ジレンマ
中国がハードルの高い TPP に今すぐ参加する可能性は低い。しかし、韓国、台湾、タイ、
フィリピン、インドネシアなど、APEC 加盟国が次々と TPP に参加し、中国の孤立が現実味
を帯びるようになれば、中国は参加を決断せざるをえないだろう。TPP への不参加が中国に
及ぼす不利益(貿易転換効果と呼ぶ)を無視できないからだ。
TPP の成立が、アジア太平洋における日米中トライアングルの構造に大きな影響を及ぼそ
うとしている(12)。日米中トライアングルには、次のような特徴がみられる。
第1に、中国の貿易はもともと加工貿易型であり、日本やASEANから中間財(部品)を輸
入し、中国で加工・組み立てを行ない、最終財(完成品)をアジアのみならず、米国や欧州
連合(EU)にも輸出している。
第 2 に、日本も含め、東アジアにおける中国の周辺国は中間財輸出を通じて対中依存度を
高める一方、中国は米国や EU への輸出を伸ばしており、東アジアへの依存度はさほど高く
ない。中国の貿易構造については、輸入と輸出の間で「集中と分散の非対称性」がみられる。
第 3 に、中国の貿易の主たる担い手は外資系企業であり、中国は、日本企業などの国際生
産ネットワークに組み込まれることにより WTO 加盟後の貿易を急増させることができた。
このような日米中トライアングルの貿易と直接投資が中国の経済成長の原動力となったと
言っても過言ではない。日本から中国への直接投資が活発となり、それに伴って日本の中国
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 12
ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
向け中間財輸出が急増した。つまり、日本が中国に対して中間財の供給を担い、それによっ
て、中国は米国向けの最終財の輸出を増大させていった。
だが、メガFTAの時代に入り、日米中トライアングルは新たな局面を迎えている。国際生
産ネットワークの拡大とサプライチェーンのグローバル化の波が、日米中トライアングルの
構造を大きく変えようとしている。もし中国が TPP に参加しなければ、日米中トライアング
ルは崩壊するだろう。なぜならば、日本から中国に中間財を輸出し、中国で加工組み立てし
た最終財を米国に輸出するという貿易パターンの優位性が失われるからだ。
TPP によってカバーされる国際生産ネットワークから中国がはみ出すことになれば、グロ
ーバルなサプライチェーンの効率化を目指す日本企業などは、対米輸出のための生産拠点を、
中国から、TPP 参加国のベトナムやマレーシアなどに移す可能性が高い。中国リスクの高ま
りがそれに拍車をかけるであろう。タイ、フィリピン、インドネシアなども TPP に参加すれ
ば、その流れはもっと加速するに違いない。
日米中トライアングルの構造が中国の経済成長に寄与していることを考えれば、中国の本
音は TPP に参加したいであろう。しかし、高い自由化率と米国が重視している TPP ルール
(知的財産権、国有企業改革、政府調達、環境、労働など)は中国にとっては受け入れがたい。
これが、中国の TPP ジレンマである。
中国がこの TPP ジレンマを克服するためには、国家資本主義からの体質改善を図るか、
TPP参加のハードルを下げさせるしかない。2013年9月上海に設立された「中国(上海)自由
貿易試験区」は、中国が選択肢のひとつとして将来のTPP 参加の可能性を意識し始めている
ことの表われだろう(13)。
さらに、2008 年から交渉中で最終合意が近いとされる米中の二国間投資協定(BIT: Bilateral Investment Treaty)も、中国にとっては TPP 参加のための布石と言える。米国がどこまで
ハードルを下げるのか、BIT を通じて探りを入れている。
TPP 交渉の土壇場で、米国がベトナムやマレーシアなど新興国に対して譲歩し、国有企業
や政府調達、知的財産などのルール面でハードルを大幅に下げたことを、中国はチャンスと
みているだろう。いわばソフトランディング(軟着陸)を視野に入れて、中国は TPP 拡大の
勢いを止め、TPP参加の準備(構造改革など)のための時間稼ぎをする一方で、例外扱いを求
める条件闘争に入ろうとしているようにみえる。
8 日本の役割―アジア太平洋の懸け橋
2015 年 11 月、マニラで APEC 首脳会議が開催された。
「北京ロードマップ」の採択から 1
年、TPP かRCEP か、FTAAP への道筋をめぐる米中の主導権争いが再び繰り広げられた。
首脳宣言ではFTAAP実現に向けた取り組みの強化が確認されたものの、TPP大筋合意によ
る TPP 参加の流れを食い止めたい中国が、TPP の文言を盛り込むことに強く反対、その是非
をめぐり激しい応酬があった。結局、TPP と RCEP の双方に言及するかたちで、
「TPP 交渉の
大筋合意を含む域内 FTA の進展と、RCEP 交渉の早期妥結を促す」という表現で決着した。
FTAAP の実現を視野に入れながら、当面は TPP と RCEP の 2 つのメガ FTA がしのぎを削る
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 13
ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
かたちとなろう(14)。FTAAP 構想をめぐり米中が対立するなかで、日本はどう対応すべきか。
まず、中国を TPP から締め出すことのないように気をつけなければならない。中国が TPP
に参加しない場合には、米中の間に緊張が生まれ、安全保障上のリスクも高まることが懸念
される。アジア太平洋が米中の対立によって二分されるような事態を招いてはならない。
したがって、中国をいかにしてTPPに取り込むかが大きな課題である。ASEANなど中国の
周辺国に働きかけ、TPP 参加のドミノ効果で外堀を埋めることだ。また、TPP を梃子に、
RCEPや日中韓FTAの交渉を通じて、中国の国家資本主義の色を薄める努力も必要である。中
国が TPP に参加すれば、TPP と RCEP の融合は決して難しい話ではない。
また、地政学的なリスクだけでなく、グローバルなサプライチェーンの効率化を進める日
本企業にとっても、TPP と RCEP との間で各分野のルールが異なるというのでは困る。太め
の麺が絡むような「スパゲティ・ボウル」と呼ばれる貿易システムの分極化は放置できない。
TPP と RCEP の間でルールの調和が不可欠である。
FTAAP のインキュベーター(孵卵器)である APEC をその調整の場として活用することは
可能である(15)。日本は、アジア太平洋において重層的な経済連携を展開している。APEC に
おいて TPP をひな型にして分野ごとにルールの調和を図り、それを通じて TPP と RCEP を
FTAAPに収斂させることができる立場にある。日本は「アジア太平洋の懸け橋」としての役
割を目指すべきだ。
TPP と RCEP が融合して FTAAP が実現すれば、サプライチェーンの効率化と国際生産ネッ
トワークの拡大が進み、アジア太平洋に新たな成長力が生まれる。日本に求められているの
は、アジア太平洋における新秩序の構築に向けてイニシアティブを発揮することである。
( 1 ) Baldwin(2011)
.
( 2 ) 誤算は、ニュージーランドが医薬品での譲歩と引き換えに、日米やカナダに乳製品の大幅な輸入
拡大を要求し、強硬姿勢を崩さなかったことだ。
( 3 ) TPP は、すべての参加国の国内手続きが完了すれば、60 日後に発効する。しかし、署名後 2 年が
経過しても批准できない国があった場合には、6 ヵ国以上が批准し、かつ、それらの国の国内総生
産(GDP)合計が12ヵ国全体の85%以上を占めれば発効する。ただし、米国が60.5%、日本が17.7%
を占めるため、両国が批准しないかぎりTPPは発効しない。
( 4 ) 上院共和党のマコネル院内総務は、
『ワシントン・ポスト』紙とのインタビューで、米大統領選前
に TPP 法案の承認はしないとの考えを示した(
『日本経済新聞』2015年 12 月 12 日)
。これを受けて、
米政界では現在、いわゆる「レームダック(死に体)
・セッション」
(11月の大統領選・連邦議会選
後から翌年 1 月に招集される新議会までの空白期間)に法案が提出されるとの見方が有力だ。再選
不出馬や落選した議員は、利害団体からの影響を気にせずに「最後っ屁」の投票ができる。
( 5 ) 畠山(2016)
。
( 6 ) 浦田(2016)
。
( 7 ) 市場原理を導入しつつも、政府が国有企業を通じて積極的に市場に介入するのが国家資本主義。
米国は、中国政府が自国の国有企業に民間企業よりも有利な競争条件を与え、公正な競争を阻害し
ていると厳しく批判している。
( 8 ) 一時、自由化に消極的なインドを外す先行合意案も浮上した。
( 9 ) APEC(2014)
。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 14
ポスト TPP とアジア太平洋の新秩序:日本の役割
(10) 2016年のAPECペルー会合でFTAAPに関する研究成果が報告されるが、米中が共同議長を務める
ような会議の報告書に、明確な道筋の提示は期待できないだろう。
(11) 2016 年 2 月に米国カリフォルニアで米 ASEAN 首脳会議が開催されたが、オバマ政権には TPP に
ASEANの非参加組を取り込む狙いもあった。
(12) 馬田(2016)
。
(13) 自由貿易試験区は 2015年には広東省、福建省、天津市など 4 ヵ所に拡大している。
(14) Petri and Plummer(2012)は、今後、FTAAPのひな型となるルールをめぐる TPP と RCEPの競争
(contest of templates)が激しくなるとみている。
(15) 山澤(2012)は、FTAAP へのロードマップにおいて TPP と RCEP を収斂させるために APEC が果
たしうる役割を強調している。
■参考文献
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、文眞堂。
、石川幸一・馬田啓一・高橋俊樹
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、文眞堂。
編著『メガFTA時代の新通商戦略―現状と課題』
馬田啓一(2015b)
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、国際貿易投資研究所『フラッシュ』
No. 253。
、国際貿易投資研究
馬田啓一(2015c)
「アジア太平洋のメガFTA の将来― FTAAP へのロードマップ」
所『季刊国際貿易と投資』100号記念増刊号。
馬田啓一(2016)
「アジア太平洋の通商秩序と日米中関係の行方」
、馬田啓一・大川昌利編著『現代日本
、文眞堂。
経済の論点―岐路に立つニッポン』
浦田秀次郎(2016)
「メガFTAと日本経済再興」
、国際貿易投資研究所『世界経済評論』1・ 2 月号。
木村福成(2012)
「TPP と 21 世紀型地域主義」
、馬田啓一・浦田秀次郎・木村福成編著『日本の TPP 戦略
―課題と展望』
、文眞堂。
菅原淳一(2013)
「アジア太平洋の経済統合とTPP」
、山澤逸平・馬田啓一・国際貿易投資研究会編著『ア
、勁草書房。
ジア太平洋の新通商秩序― TPPと東アジアの経済連携』
畠山襄(2016)
「TPP交渉の成果と評価」
、国際貿易投資研究所『世界経済評論』5 ・6 月号。
渡邊頼純(2014)
「メガFTAsの潮流と日本の対応」
、石川幸一・馬田啓一・渡邊頼純編著『TPP交渉の論
、文眞堂。
点と日本―国益をめぐる攻防』
山澤逸平(2012)
「APEC の新自由化プログラムと FTAAP」
、山澤逸平・馬田啓一・国際貿易投資研究会
、勁草書房。
編著『通商政策の潮流と日本― FTA戦略とTPP』
APEC(2010)Pathways to FTAAP, 14 November 2010(外務省「FTAAP への道筋」2010年 11月14 日)
。
APEC(2014)The Beijing Roadmap for APEC’s Contribution to the Realization of the FTAAP(外務省「FTAAPの
実現に向けたAPECの貢献のための北京ロードマップ」
、2014年11 月11 日)
.
Baldwin, R.(2011)“21st Century Regionalism: Filling the Gap between 21st Century Trade and 20th Century Trade
Rules,” Centre for Economic Policy Research, Policy Insight, No. 56.
Petri, P. A., and M. G. Plummer(2012)“The Trans-Pacific Partnership and Asia-Pacific Integration: Policy Implications,” Peterson Institute for International Economics, Policy Brief, No. PB12-16, June.
うまだ・けいいち 杏林大学名誉教授
[email protected]
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 15
Glen S. Fukushima
はじめに
環太平洋パートナーシップ(TPP)協定は、環太平洋12ヵ国の7年に及ぶ交渉の末、2016年
2月4日、ニュージーランドのオークランドで署名された。推進派から「戦後の最も野心的な
(1)
自由貿易協定〔FTA〕」
ともてはやされるこの大型協定は全 30 章、5544 ページから成り、署
名国にはオーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュー
ジーランド、ペルー、シンガポール、米国、ベトナムが名を連ねる。TPP参加12ヵ国の総人
口は7億9200万人に上り、世界国内総生産(GDP)の約40%を占める。米国にとって、TPP諸
国は米国の二国間貿易(財・サービス)の36% を占める(2)。
参加国間の交渉妥結を受け、協定は関係各国の国内手続きに従って批准される必要がある。
米国の場合、上下両院双方の過半数がこの協定を承認しなければならない。TPP は、全署名
国が2年以内に批准すれば発効する。2018年2月4日までに全署名国の批准がならなかった場
合は、合計して全署名国の GDP の85% 以上を占める 6 ヵ国以上の批准により、発効する(3)。
本稿は米国の視点から TPP を分析し、批准の賛否両論を検討する。以下、
(1)歴史的文脈、
(2)経済論議、
(3)政治論議、
(4)批准の見通し、
(5)結論、の順に議論する。
1 歴史的文脈
TPPは、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールにより2005年に署名された環
太平洋戦略的経済連携協定(TPSEP または P4)の拡大版である。2008 年以降、新たな国々が
協定拡大に向けた議論に参加し、オーストラリア、カナダ、日本、マレーシア、メキシコ、
ペルー、米国、ベトナムを加えた全12ヵ国による交渉は、2015年10月5日、米国ジョージア
州アトランタで合意に達し、2016 年 2 月 4 日、ニュージーランドのオークランドで正式に協
定に署名した(4)。
ジョージ・ W ・ブッシュ政権下の米国が交渉に参加したのは 2008 年 2 月である。1 年後の
2009 年 1 月に大統領に就任したバラク・オバマは、交渉を継続し、志を同じくする他国の交
渉参加を歓迎する決定をした。TPP は、オバマ政権が 1 期目に打ち出したアジア回帰政策
(
「ピボット政策」や「リバランス政策」と呼ばれる)と符合したものである。これは、次の6つ
の要素から成る。
1. 二国間安全保障同盟の強化
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 16
TPP の政治経済学:米国の視点
2. 新興諸国との協力関係の深化
3. 地域的な多国間機構への関与
4. 貿易と投資の拡大
5. 広範な軍事的プレゼンスの強化
6. 民主主義と人権の促進(5)
TPP は次第にオバマ政権の新たなアジア重視政策の最も重要な経済的要素となった。オバ
マ政権のTPPに対する見方は、米国通商代表部(USTR)のウェブサイトから知ることができる。
「環太平洋パートナーシップ(TPP)は、米国の労働者と企業に競争条件の平等化をもたらす
新たな高水準の貿易協定であり、米国産品の輸出拡大と米国の賃金増加を下支えする。TPP によ
って、さまざまな国々が米国産品に課している 1 万 8000 以上の関税が撤廃され、米国の農家、
酪農家、製造業者、中小企業が世界で最も急成長している市場のいくつかにおいて、競争に参
入し、勝利を収めることができるようになる。世界の消費者の 95% 以上は米国の外にいるので、
(6)
TPP は米国のモノやサービスの輸出を大幅に増やし、米国の雇用を下支えする。
」
USTRのウェブサイトは、TPPが米国の「グローバル・リーダーシップ」を行動で示すとい
う点も強調している。
「アジアにおいて貿易ルール作りの競争が起きている。米国がこの協定
を結ばず、貿易ルールを作らなければ、競争相手が貧弱な貿易ルールを定め、米国の雇用と
(7)
のである。
労働者を脅かし、アジアにおける米国のリーダーシップを損なう」
中国を名指しこそしていないものの、オバマ政権が TPP を米国のアジア関与―経済的、
政治的、軍事的な―を強化する手段とみているのは明らかである。TPP 交渉の妥結を歓迎
する 2015 年 10 月 5 日の声明では、オバマ大統領はより明確に語っていた。
「米国の潜在的な
顧客の95%以上が米国の外にいる以上、中国のような国々に世界経済のルール作りを任せる
ことはできない。米国がこれらのルールを作り、高い労働者保護基準の設定と環境保全を確
(8)
保しつつ、米国産品の新市場を開拓すべきである」
。
2015 年 4 月 6 日、アシュトン・カーター米国防長官は、アリゾナ州立大学で米国のアジア
回帰の「新局面」に関する講演を行なった。国防問題について論じた後、カーター長官は講
演のなかでTPPの重要性も力説した。米国の輸出を増やし、アジア主要国との関係を強化し、
より広範なアジア地域へコミットする米国の姿勢を発信し、米国の価値観を促進することの
重要性を強調し、TPP は自分にとって新たな空母と同じくらい重要だ、とまで述べた。
「実
際、国防長官の発言としては意外かもしれないが、最も幅広い意味におけるリバランスの観
点から、TPP の締結は私にとって新たな空母と同じくらい重要だ。…… TPP は、海外におけ
る米国の同盟やパートナーシップを深化させ、アジア太平洋への米国の持続的なコミットメ
(9)
ントを強化する。米国の利益と価値観を反映した世界秩序を促進する助けにもなる」
。
上述の TPP 推進論に加えて、オバマ政権が TPP の批准を強力に唱えるようになった別の要
因が 2 つある。1 つ目は、世界貿易機関(WTO)多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)の失敗
である(10)。2001年にカタールのドーハでスタートした数次の交渉にもかかわらず、農業、鉱
工業品の関税・非関税障壁、サービス、貿易救済措置に関する意見の不一致をめぐり、協議
は2008年7 月に決裂した。2008年以降、協議再開の動きが何度かみられたが、いずれも頓挫
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 17
TPP の政治経済学:米国の視点
し、その結果、オバマ政権は志を同じくする国々の間の大型の、しかし地域的な貿易協定の
締結に力を注ぐようになった。TPP は、そうした大型の地域貿易協定の第 1 弾である。
TPPの重要性を高めている第2の要因は、TPPが、米国と欧州連合(EU)の間で現在交渉さ
れている環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)と対をなす協定とみなされていること
である(11)。米国と EU を合わせると、世界 GDP の 60%、財の世界貿易の 33%、サービスの世
界貿易の 42% を占める。TTIP が実現すれば、世界 GDP の 46% をカバーする史上最大の地域
的自由貿易協定となる。2016年2月現在、12回の交渉が行なわれている(12)。交渉は2014年末
までの合意を目指していたが、妥結するのは 2019 年か 2020 年との見方も出ている。
米国の世界戦略の観点から、この 2 つの自由貿易協定を締結することは、アジアと欧州に
対する米国の関与を強化し、グローバルな問題における米国のリーダーシップを維持するう
えできわめて重要である。冷戦が終結し、
「対外経済政策上の取り組みは、米国の経済利益を
促進するか、少なくとも毀損することを回避し、主要な国内グループの支持を得られるもの
(13)
でなくてはならない」
との認識が高まっている現在、その重要性は特に大きくなっている。
2 経済論議
オバマ政権は、TPPの批准によって米国にもたらされる恩恵として以下の点を挙げている。
・米国の輸出品に課されている 1 万8000 以上の関税の撤廃
・これまでのいかなる貿易協定よりも強力な労働者保護規定の盛り込み
・これまでのいかなる貿易協定よりも強力な環境保護規定の盛り込み
・中小企業が世界貿易の恩恵を受けられるような支援
・電子商取引の促進、デジタルフリーダム(自由なアクセス、表現の自由、プライバシー)の
保護、オープンインターネット(ネットワーク中立性)の保護
・国有企業(SOE)に規律を課すことによる米国労働者の競争条件の平等化
・良い統治(グッド・ガバナンス)への重点的取り組みと腐敗の撲滅
・史上初となる開発に関する章の盛り込み
・サービス輸出の世界的リーダーとしての米国の地位の活用(14)
主な主張は、TPP は、労働者の権利と環境を保護し、米国のリーダーシップを通じてアジ
ア太平洋地域において良い統治を拡大しつつ、輸出の拡大を通じてアメリカ人に雇用の増加
と賃金の上昇をもたらす、というものである。
米国は TPP からどの程度の経済的恩恵を受けるかという問題に関しては、エコノミストが
激しい議論を戦わせている。一方では、ピーターソン国際経済研究所(PIIE)が 2016 年 1 月、
TPP は 2030 年のベースライン(長期)予測より米国の年間実質所得を 1310 億ドル(GDP の
、年間輸出額を3570億ドル(輸出額の9.1%)増加させると試算したピーター・A・ペト
0.5%)
リとマイケル・ G ・プラマーの研究を発表した。この試算によれば、批准と実施が 1 年遅れ
ると米国経済は 940 億ドルの損失を被る(15)。
他方、タフツ大学の世界開発環境研究所(GDAE)も2016年1月、TPPは米国の所得を0.5%
減少させ、雇用者数を約50万人減らし、所得格差を拡大させると予測したジェロニム・カパ
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 18
TPP の政治経済学:米国の視点
ルドらの研究を発表した(16)。GDAEの研究は、
「より現実的なモデル」を用いて分析したと主
張し、TPP の経済的恩恵を試算したこれまでの報告は「完全雇用」や恒常的な所得分布など
の「非現実的な前提に基づいている」と述べている。GDAE の研究は、
「他の(米国以外の)
参加国にとって経済的利益はないに等しい―先進国の場合は10年間で 1%未満、開発途上
国の場合は3%未満である」とまで述べている。また、TPPに参加しない中国などの国に悪影
響も及ぼす。
「われわれの予測によれば、TPP は非参加国の成長と雇用に悪影響をもたらす。
この結果、世界が不安定化するリスクが強まるとともに、底辺への競争(a race to the bottom)
(17)
が増し、労働所得に対する圧力が強まる」
。
こうした動きを受けて、PIIE の研究員であるロバート・ローレンスとタイラー・モランは
2016年3月、この2つの研究を比較した『TPPによる調整と所得分布への影響』と題する論文
を発表した。2人の分析は、
「ペトリとプラマーのモデルのほうがすべての点において(GDAE
、TPPの恩恵は調整コストをはるかに凌駕する、と
に用いられているモデルより)優れており」
の結論を下している(18)。これに対し、2016 年 3 月、GDAE のティモシー・ワイズとジョモ・
クワメ・サンダラムが『失業と貿易赤字を無視した TPP の前提』と題する反論を発表した。
この結論によれば、
「ローレンスとモランがTPPの恩恵は調整コストをはるかに凌駕すると考
えたのは驚くに値しない。……その結果得られる費用便益計算は誤解を招きやすい。第1に、
コストが上述のとおり最小化されている。第2に、便益が過大評価されている。……最後に、
最近のペトリとプラマーの利益に関する試算すら、
〔TPPの貢献は〕2030年の米国のGDPのわ
ずか0.55%、すなわち、15年にわたり毎年ほぼゼロに近い 0.029%と、信じられないくらい小
(19)
。
さい数字を出しているのに、単に利益は大きいと主張されているだけである」
サンダー・レビン下院議員(民主党ミシガン州選出)は、PIIEが用いているモデリング手法
の問題点を指摘し、国際貿易委員会(ITC)に対し、5 月に予定されている米国政府向けの
TPP 評価を行なうにあたり、問題を無視したモデルの使用をやめるよう求めた。貿易情報誌
の『インサイド US トレード』が報じたように、
「レビンは、TPP の経済的影響に関する米国
際貿易委員会の 2 月の公聴会で、その分析には TPP が賃金や所得格差にどのような影響を及
ぼすかの調査、ITC の経済モデルは完全雇用を想定すべきかどうかの精査、TPP その他の要
因の結果として誰が得をし、誰が損をするかの分析などが含まれていなければならない、と
(20)
述べた」
。
5 月 18 日、ITC は TPP が米国経済と特定の産業に与える経済的影響を分析したレポートを
ついに公表した。この調査によれば、TPPに参加した場合、米国のGDPは2032年にはそうで
ない場合に比べ 427 億ドル、つまり約 0.15% 高くなることが予想される。これは 2032 年まで
に約12万8000人という非常に控えめな増加分の雇用が生まれることを意味する。さらに同レ
ポートは、TPP に参加した場合、2032 年には米国の年間実質所得が 573 億ドル増加し、そう
でない場合と比べて約 0.23% 高くなるであろうと予測している。これは前述の PIIE のレポー
トが示す 2030 年までに年間実質所得が 1310 億ドル増加するという予測の半分以下の値であ
る。ITCのレポートは、政治的にセンシティブな製造業においては、雇用が0.2%減少し、実
質所得は 112 億ドル減少すると TPP 参加の影響を予測している(21)。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 19
TPP の政治経済学:米国の視点
3 政治論議
2015 年 10 月に 12 ヵ国の貿易担当者が交渉を妥結し、2016 年 2 月に協定は正式に署名され、
現在は各国が発効に向けて協定を批准する最終段階にある。米国の場合、これは 2 段階のプ
ロセスをたどる。まず、米国議会が大統領に貿易交渉権限を付与し、次に、米国議会が交渉
されている協定を批准する、という流れである。
1974 年通商法により定められ、2002 年通商法により更新された貿易促進権限(TPA)に基
づき、議会は大統領に「法制化法案において上下両院により承認され、その他の法定条件が
(22)
満たされる場合、……自由貿易協定」
の交渉権限を付与したが、この権限は 2007 年にすで
に失効していた。2012 年初頭、オバマ政権は、TPP 交渉の妥結には TPA の更新が必要だと認
識した。TPAとは、米国議会に対し、最小の審議と修正なしでTPP実施法案を導入・採決し、
全体のプロセスを 90 日以内に終えることを義務付け、一括審議を可能にしたものである。
2015 年 4 月 16 日、複数の上院議員が TPA(ファストトラック)法案(23)を提出した。この法
案は 2015 年 5 月 21 日、上院で賛成 62、反対 38(民主 31、共和 5、無所属 2)で可決された。法
案は下院に送られ、賛成218、反対208の僅差で可決されたが、上院法案に盛り込まれていた
貿易調整支援(TAA)は除かれた。TPA は 2015 年 6 月 24 日、TAA 条項のないかたちで、上院
で可決され、法制化まで大統領の署名を待つのみとなった(24)。オバマ大統領はTPAとTAAの
両方に署名したい意向を表明し、TAA が別の法案として議会を通過できたのを受けて、6 月
29日、両法案に署名し、法制化した。この法律の承認はオバマ政権に「アジアおよび欧州と
大型貿易協定交渉を行なう拡大権限」を付与した(25)。議会から付与されたこの権限に基づき、
米国の貿易担当者は 2015 年 10月に交渉を妥結させることができたのである。
交渉の妥結を受けて、議会は2016年に協定を批准するものと期待された。しかし、いくつ
かの要因により、TPP を批准するための議会審議に遅れが出ている。
1 つ目の要因として、当初から米国議会には TPP に対する懐疑派や批判者がいたことが挙
げられる。例えば、2016年11月に行なわれる米国大統領選の民主党指名候補争いをしている
残り 2 人のうちの 1 人、バーモント州選出のバーニー・サンダース上院議員は 2014 年 12 月、
次のように TPP を非難した。
「はっきり言って、TPP は『自由貿易協定』をはるかに超えたものである。TPP は、雇用をア
ウトソーシングし、労働者の権利を損ない、労働や環境、医療、食の安全、金融などに関する
法律を壊し、企業が米国内の裁判所ではなく国際法廷で米国の法律に異議申し立てできるよう
にすることによって大企業とウォール・ストリートの利益の押し上げを図る、グローバルな底
辺への競争の一部である。TPP が米国にとって良い協定だと言うのなら、政権は TPP の内容をひ
(26)
た隠しにするのではなく、勇気をもって米国市民に協定の具体的な中身を示すべきである。
」
批准を遅らせている第 2 の要因は、TPP に対する批判が労働組合、非政府組織(NGO)、非
営利組織(NPO)の間に広がっていることである。有力 NPO のパブリック・シティズンは
TPP について次のように述べている。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 20
TPP の政治経済学:米国の視点
「2015 年 11 月初め、市民、マスコミ、政策決定者を締め出した 7 年に及ぶ密室の交渉の末、
TPP の最終文書が公表された。どの章をみても、最終文書は予想していた以上にひどい内容であ
り、企業利益を代表する 500 人の正式な米国貿易アドバイザーの要求を、公益を犠牲にして満足
させたものである。文書によれば、この協定は、雇用のオフショアリングを助長し、米国の賃
金を押し下げる過去の協定の最も物議を醸した項目の多くを再現している。TPPが可決されれば、
大企業が雇用を海外に移転しやすくなり、米国の賃金引き下げと所得格差の拡大がもたらされ、
安全ではない輸入食品が米国に押し寄せ、安価な後発医薬品を市場から締め出すために大手医
薬品会社に新たな独占権を与えることで医薬品コストが跳ね上がり、米国の環境と健康のセー
フガードを攻撃する権限が企業に与えられ、グリーン雇用の創出に必要な〔米国産品の優先使
用を義務づける〕バイアメリカン政策は禁止され、ウォール・ストリート改革は後戻りし、イ
ンターネットの自由に対するオンライン海賊行為防止法(SOPA)のような脅威が忍び寄り、人
(27)
権が損なわれる。
」
批准を遅らせている第 3 の要因は、米国大統領選挙である。共和党候補のドナルド・トラ
ンプも民主党候補のバーニー・サンダースも、北米自由貿易協定(NAFTA)、米韓自由貿易協
定(KORUS)、TPPなどの自由貿易協定を米国の利益を損なうものとして非難している。サン
ダース上院議員については上に引用した。トランプは、2015 年 11 月 9 日のインタビューで、
TPPについて次のように語っている、
「この協定は狂っている。支持すべきではないし、結ぶ
べきではない」
。約6000ページにも及ぶ協定は長過ぎて理解できない、とトランプは言った。
「誰も理解していない」
、
「為替操作が取り上げられていないなんてこの協定はあまりにもひど
い」と言い、
「外国が米国を傷つけ、雇用を奪うのにもってこいの武器になっている」と付け
加えた。また、中国へのプレゼントだとしてTPPを非難した、
「最終的に中国が入るための裏
口になるものをくれてやろうとしている」
。
「中国はどこの国よりもその弱点を上手く利用す
るだろう」と、かつて中国の為替操作を批判したことのあるトランプは言った(28)。中国は
TPP に入っていないが、向こう 2、3年のうちに加盟を申請するとの見方が広がっている(29)。
ドナルド・トランプは共和党の、バーニー・サンダースは民主党の候補として指名争いを
しているが、米国の利益を損なうとして貿易協定に強く反対している点では一致している。2
人は、貿易協定の恩恵は米国ではなく外国にとってのほうが大きいとの懸念を表明している。
しかし、バーニー・サンダースにとって、悪いのは主に「破壊的な貿易協定」の恩恵を受け
ている「億万長者とウォール・ストリート」である。トランプの場合は、
「本当に頭がいい」
外国の貿易交渉担当者にだまされている「無能な米国の貿易交渉担当者」である(30)。
大統領選の民主党指名争いでトップを走るヒラリー・クリントン前国務長官は、自分がTPP
を支持するには3つの基準をクリアしなければならないと述べている。①雇用を創出するか、
②賃金の増加をもたらすか、③米国の国家安全保障の強化につながるか、である。2015年10
月、彼女は、TPPはこの3つの基準を満たしていないので支持できない、との結論を下した(31)。
失業率が高いミシガン州の予備選でサンダース上院議員に予想外の敗北を喫すると、クリ
ントンは 3 月 12 日、オハイオ州で「米国は貿易協定を(相手国に約束どおり実行することを)
強請する。もうこれ以上、米国市場に付け込もうとする外国のなすがままにはさせない」と
述べた(32)。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 21
TPP の政治経済学:米国の視点
サンダース上院議員は次のように答えた。
「彼女は今になって破壊的なTPPの下で自動車が
この国に輸入される基準を厳しくしたいなどと言っているが、TPP は彼女が国務長官時代に
『黄金律』と呼んでいたものである。クリントン〔元〕長官には、TPPの再交渉はするなと言
いたい。米国から50万近い雇用を奪うことになるこの何物にも縛られない自由貿易協定は葬
り去るべきなのである。この協定をあれこれ手直しする必要はない。やめてしまえばいいの
である。われわれに必要なのは、外国の低賃金労働を増やすのではなく、この国で雇用を創
(33)
。
出するまったく新しい貿易政策である」
TPPの批准を遅らせている第4の要因は、自由貿易や貿易協定に対する懐疑論や批判が、議
員、労働組合、NGO、NPO、失業者、就職できない学生ばかりでなく、ますます多くのエコ
ノミストの支持も受けるようになっていることである。
例えば、3人のエコノミスト―マサチューセッツ工科大学(MIT)のデイビッド・オータ
ー、チューリッヒ大学のデイビッド・ドーン、カリフォルニア大学サンディエゴ校のゴード
ン・ハンソン―は、景気はすぐに貿易ショックから立ち直るという立場のエコノミストに
重大な異議申し立てを行なった(34)。理論的には、米国のような先進国は、労働者をグローバ
ル市場で競争に勝てる先端産業へと移転させることによって、輸入品との競争に適応する。
3 人は、中国が 20 年前に世界市場に参入してからの米国労働者の経験を精査した。その結
論によれば、想定されていた調整(適応)は起きなかった。あるいは、少なくともまだ起き
ていない。最も大きな打撃を受けた地方の労働市場では、賃金は低水準にとどまり、失業率
は高止まりしている。全米レベルで、雇用の減少を打ち消すような雇用増の兆しは経済のど
こにもみられない。3 人によれば、中国との競争に晒された地方の労働市場における賃金の
低迷により、成人 1 人当たりの所得は年間 213 ドル減少している。
3 人が MIT のダロン・アシモグル、ブレンダン・プライスと共同で執筆した別の研究によ
れば、1999 ― 2011 年の中国からの輸入品増加により米国では 240 万の雇用が失われたと推計
される。
「これらの結果は、貿易から得られる短期的および中期的な利益について再考を迫る
ものである」と著者らは述べている。
「貿易による混乱がどれくらい大きくなるか予測しえな
かった以上、自由貿易への支持が理論の影響力にのみ基づいたものではなく、誰が、どのく
らい、どのような条件の下で、得をし、損をするのかを明らかにする実証的なデータに基づ
いたものになるよう、もっと納得がいくかたちで貿易から得られる利益を推計するのはエコ
(35)
ノミストの義務である」
。
全米経済研究所(NBER)のエコノミスト、J ・ブラッドフォード・ジェンセン、デニス・
クイン、スティーブン・ウェイマウスによる別の研究は、自由貿易協定への反対は賢明な選
挙キャンペーン戦略であることを示唆している。米国は高技能分野では比較優位を有してい
るが、低技能分野は輸入品との競争に弱い。この脆弱性は、自由貿易協定の締結と、新興市
場国のグローバル経済への参入強化をもたらしているグローバル化の広がりを通じて高まっ
ている。著者らによれば、こうしたトレンドは大統領選の投票に現実的な影響を及ぼす。
著者らによると、全米レベルにおいては、貿易収支の対 GDP 比が 1 単位上昇すると、現職
大統領の得票率は 4% 上昇する。そして、貿易収支の対 GDP 比が 1 単位低下すると、現職大
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 22
TPP の政治経済学:米国の視点
統領の得票率は4%低下する。郡レベルにおいては、高賃金の輸出型製造業の雇用が1標準偏
差上昇しても、現職大統領の得票率はわずか0.5%しか上昇しない。しかし、一方で、同じよ
うに低賃金の製造業の雇用が1標準偏差上昇した場合、現職大統領の得票率が1.3%低下する
という大きな影響を及ぼした。著者らは、きわめて重要なスイングステート(大統領選の帰趨
を決する激戦州)を調査した結果、製造業における雇用の増加あるいは減少が低賃金労働者の
投票に及ぼす影響が、スイングステートではない州の低賃金労働者に及ぼす影響と比べて 2
倍近く大きいことを発見した。これは、6 つの激戦州―アイオワ、ニューハンプシャー、
ノースカロライナ、オハイオ、ペンシルベニア、ウィスコンシン―は製造業雇用の比率が
平均より高いためである。この研究は、大統領(および大統領候補)が貿易自由化を是認する
には勇気がいることを示唆している。裏目に出た場合の損失のほうが、上手くいった場合の
恩恵より、大きいからである(36)。
4 批准の見通し
米国の複雑な国内情勢を考えると、TPP の批准審議がどうなるか予測するのは難しい。
2016年春現在、いくつかのシナリオが考えられる。
(1)議会がレームダック会期中(11月8日
の大統領選挙から2017年1月20日の新大統領就任まで)にTPPについて審議し、批准するか否決
する。
(2)議会が現在の第114会期中にはTPPについて審議しないことを決め、次期の大統領
と議会に批准するか否決するかの審議を任せる。
TPP 交渉が 2015 年 10 月に妥結した際には、オバマ政権下で批准されるとの観測が多かっ
た。しかし、その後、こうした期待を削ぐような予想外の要因が 2 つ生じた。第 1 の要因は、
共和党のドナルド・トランプと民主党のバーニー・サンダースが共に米国内に失業をもたら
すとして自由貿易協定を批判したことで、貿易が大統領予備選で非常にホットな争点になっ
たことである。この結果、いかなる米国の政治指導者も堂々とTPP の早期批准を言い出せな
い雰囲気が生まれている。2015 年 4 月27 日付の『ワシントン・ポスト』紙に強力な TPP 推進
論を寄せたポール・ライアン下院議長すら例外ではない(37)。
第 2 の予想外の要因は、アントニン・スカリア最高裁判所判事が2016年 2 月 13 日に急死し
たことである。この結果、オバマ政権と共和党主導の上院が全面的に対立する様相になって
いる。オバマ大統領はスカリア判事の後任としてコロンビア特別区連邦控訴裁判所のメリッ
ク・ガーランド首席判事を指名したが、共和党主導の上院がその指名に関する公聴会の開催
を拒否しているからである(38)。11 月 8 日の大統領選の結果、クリントンが勝利し、民主党が
上院の過半数となった場合、共和党の上院議員は、新政権がより進歩的な判事を指名・承認
するよりも、穏健派であるガーランドを承認したほうがよいと計算する可能性があり、上院
はレームダック会期中は最高裁判所判事の公聴会に時間をとられ、TPP に関する審議が「先
送り」されてしまうという事態が起こりうる。
TPP が現在の議会会期中に批准されなければ、決定は 2017 年 1 月からスタートする次期の
第115議会へと持ち越される。次期の議会がTPPを批准するかどうかは、11月8日に誰が大統
領に選ばれるか、新議会(上下両院)の構成がどうなるかによる。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 23
TPP の政治経済学:米国の視点
ドナルド・トランプかバーニー・サンダースが大統領に選ばれた場合、政権から議会への
TPP 批准要請を撤回し、米国はもはや TPP に加盟するつもりはないと宣言するのはほぼ確実
だろう。
ヒラリー・クリントンが大統領に選ばれた場合は、TPP を撤回するか、支持するか、一定
の条件の下で支持するか、そのいずれかに態度を決めるだろう。予備選の最中に、彼女は現
状のままでは TPP を支持できないと繰り返し述べているので、政権から議会への TPP 批准要
請を撤回する可能性がある。他方、彼女は第 1 期オバマ政権の国務長官時代に TPP を支持し
ていたし、自分が国務長官時代に発表したアジア回帰政策を大統領として追求したいと考え
るのもほぼ確実だろう(39)。
したがって、問題は、ヒラリー・クリントン政権下の米国は、米国のアジア太平洋地域への
積極的な関与を確保するためのTPP のような枠組みがなくても、この地域の重要性の高まり
を重視する政策を追求できるのか、ということになる。できないとしたら、クリントン政権
は米国のアジア太平洋地域への関与を促進する別の枠組みやメカニズムを案出する必要に迫
られる。TPP の合意に至るまでの 7 年にも及ぶ交渉を放り出すのは明らかに時間と資源の無
駄だろう。ということは、クリントン政権が誕生した場合の最も可能性が高いシナリオは、米
国が他の11のTPP加盟諸国にTPPのある種の条項の修正を求める、ということである。これ
らの修正の性格次第で、他の国々は同意する可能性もあれば同意しない可能性もあり、いず
れ同意するとしても、いろいろと物議を醸す、時間のかかるプロセスになる可能性が高い(40)。
5 結 論
米国内の TPP をめぐる論議は、大多数の米国市民の間に広がっているグローバル化とその
影響―特に貿易とアウトソーシングによる失業、賃金の停滞や減少、外国の競合他社に対
する知的財産権の保護など―に関する不安と憂慮を反映している。世論調査によれば、米
国市民はおおむね貿易を支持しているにもかかわらず、である。最近のギャラップ調査によ
れば、アメリカ人の58%は貿易を好機と捉えており、脅威とみているのは34%にすぎない(41)。
貿易は必然的に勝ち組と負け組を生み出す。問題は、負け組はすぐに自分が負け組だとわ
かり、強烈な不満を抱えるようになるのに対し、勝ち組のほうは、勝ち組になるまでに時間
がかかり、受ける恩恵もより広く拡散している場合が多い、ということである。その解決策
は、TPP のような貿易協定を拒絶するのではなく、グローバル化の影響に効果的に対処する
方策を見出すことである。例えば、労働者に、より質の高い教育や訓練を提供したり、貿易
の悪影響を緩和するためのセーフティーネットとなる貿易調整支援を提供したりすることで
ある。米国はこうした点に関して一部の他の国々ほど効果的な施策を打ち出せていない。米
国は、大半の他の社会よりも容易に経済的成果の格差を受け入れたり、経済面で政府の果た
す役割を最小化しようとしたりする強力な自由市場イデオロギーにとらわれているからであ
る(42)。
民主党は共和党よりはるかに、市場は時には不完全なものであり、政府は市場の失敗の悪
影響を軽減するうえで建設的な役割を果たしうるということを認めようとする姿勢が強い。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 24
TPP の政治経済学:米国の視点
民主党は共和党より資産格差や経済的差別の問題に対する懸念も強い。したがって、いった
ん TPP が批准・実施されれば、クリントン政権は共和党政権より TPP の国内的悪影響の緩和
策を見出す可能性が高い。
TPPは、アジア太平洋地域の12ヵ国が連携して貿易、投資、さらに、モノ、サービス、資
金、人、アイディアのより自由な流れを促進し、地域の社会的安定、平和、繁栄に寄与する
重要な好機である。12ヵ国がそれぞれ国内で TPPの批准に成功し、この協定が加盟国に恩恵
をもたらすことがわかれば、他の国々も間違いなく加盟したいと思うだろう。TPP に対する
関心はすでに韓国(43)、台湾(44)、フィリピン(45)、コロンビア(46)、タイ(47)、ラオス(48)、インドネ
シア(49)、カンボジア(50)、バングラデシュ(51)、インド(52)により表明されている。
TPP に参加していないアジア太平洋地域の最大の経済大国は、中国である。一部の中国人
は TPP を米国その他の国々が中国を経済的に「封じ込める」手段とみなし、それ故に中国の
利益を損なうものとみている。他方、中国には、2001年12月に加盟を果たした世界貿易機関
(WTO)と同じように、TPPを中国の世界的なプレゼンスと影響力を強めるためのもう1つの
多国間枠組みに参加する好機と捉えている人々もいる。中国の改革派もTPP を外部の圧力を
利用して国有企業など中国の国内経済の一部を効率化し、その競争力を強化する好機と捉え
ている(53)。
これらの理由から、中国が近い将来に TPP に加盟したいと考える可能性はきわめて高い。
中国が加盟すれば、TPP は世界の三大経済大国―米国、中国、日本―が加盟しているこ
とになり、その重要性を大幅に高める。TPP は、米国の EU に対する経済的関与を強化する
TTIP の重要なカウンターパートとなる。WTO ドーハ・ラウンドがグローバル・レベルでの
進展に失敗しているだけに、TPPとTTIPは、米国とアジア間および米国と欧州間の経済活動
を強化する主要な焦点となる可能性が高い。向こう数ヵ月間のTPPをめぐる米国内の動きは、
21 世紀における世界通商システムの行方に重大な影響を及ぼすだろう。
( 1 ) Assessing the Trans-Pacific Partnership, Volume I: Market Access and Sectoral Issues, PIIE Briefing 16–1
(Washington, D.C.: Peterson Institute for International Economics)
, Feb. 2016, p. 3〈https://piie.com/publications/
briefings/piieb16-1.pdf〉
.
( 2 ) Ibid., p. 3; Robert B. Reich, “Why the Trans-Pacific Partnership Agreement is a Pending Disaster,” Jan. 5, 2015
〈http://robertreich.org/post/107257859130〉
.
( 3 ) “Trans-Pacific Partnership”〈https://en.wikipedia.org/wiki/Trans-Pacific_Partnership〉
.
( 4 ) Ibid.
( 5 ) Hillary Clinton, “America’s Pacific Century,” Foreign Policy, Oct.11, 2011〈http://foreignpolicy.com/2011/
10/11/americas-pacific-century/〉
.
( 6 ) “the Trans-Pacific Partnership”〈https://ustr.gov/tpp〉
.
( 7 ) Ibid.
( 8 ) “Statement by the President on the Trans-Pacific Partnership,” Oct. 5, 2015〈https://www.whitehouse.gov/thepress-office/2015/10/05/statement-president-trans-pacific-partnership〉
.
( 9 ) Secretary of Defense Ash Carter Speech, “Remarks on the Next Phase of the U.S. Rebalance to the AsiaPacific(McCain Institute, Arizona State University)
, April 6, 2015〈http://www.defense.gov/News/Speeches/
Speech-View/Article/606660/remarks-on-the-next-phase-of-the-us-rebalance-to-the-asia-pacific-mccain-institute〉
.
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 25
TPP の政治経済学:米国の視点
(10) “Doha Development Round”〈https://en.wikipedia.org/wiki/Doha_Development_Round〉
.
(11) “Transatlantic Trade and Investment Partnership”〈https://en.wikipedia.org/wiki/Transatlantic_Trade_and_
Investment_Partnership〉
.
(12) Ibid.
(13) C. Fred Bergsten, “We Are All Geoeconomists Now,” Letter to the Editor, Foreign Affairs, Vol. 95, No. 3,
May/June 2016, p. 191〈https://www.foreignaffairs.com/articles/2016-04-06/we-are-all-geoeconomists-now〉
.
(14) “Trans-Pacific Partnership,” supra note 3.
(15) Assessing the Trans-Pacific Partnership, Volume I: Market Access and Sectoral Issues, supra note 1.
(16) Jeronim Capaldo and Alex Izurieta, Trading Down: Unemployment, Inequality and Other Risks of the TransPacific Partnership Agreement, Tufts University, Jan. 2016〈http://www.ase.tufts.edu/gdae/Pubs/wp/16-01
Capaldo-IzurietaTPP.pdf〉
.
(17) Ibid.
(18) Robert Z. Lawrence and Tyler Moran, “Adjustment and Income Distribution Impacts of the Trans-Pacific Partnership,” PIIE Working Paper, WP 16–5, March 2016〈https://piie.com/publications/working-papers/adjustmentand-income-distribution-impacts-trans-pacific-partnership〉
.
(19) Timothy A. Wise and Jomo Kwame Sundaram, “Assuming Away Unemployment and Trade Deficits from the
TPP”〈http://triplecrisis.com/assuming-away-unemployment-and-trade-deficits-from-the-tpp/〉; See also Jackie
Calmes, “Economists Sharply Split Over Trade Deal Effects,” New York Times, Feb. 1, 2016.
(20) Inside U.S. Trade, May 11, 2016, cited in Wise and Sundaram, op. cit.
(21) Trans-Pacific Partnership Agreement: Likely Impact on the U.S. Economy and on Specific Industry Sectors,
Investigation No. TPA-105-001, USITC Publication 4607, May 2016, available at〈https://www.usitc.gov/
publications/332/pub4607.pdf〉; Reported in “U.S. Trade Panel Says TPP Would Have Small Positive Effect on
Growth,” The New York Times, May 18, 2016.
(22) H. R. 3009(107th)
: Trade Act of 2002〈https://www.gpo.gov/fdsys/pkg/BILLS-107hr3009enr/pdf/BILLS107hr3009enr.pdf〉
.
(23) Jonathan Weisman, “Deal Reached on Fast-Track Authority for Obama on Trade Accord,” New York Times,
April 16, 2015〈http://www.nytimes.com/2015/04/17/business/obama-trade-legislation-fast-track-authoritytrans-pacific-partnership.html〉
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(24) Jonathan Weisman, “Trade Authority Bill Wins Final Approval in Senate,” New York Times, June 24, 2015
〈http://www.nytimes.com/2015/06/25/business/trade-pact-senate-vote-obama.html〉
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(25) Bipartisan Congressional Trade Priorities and Accountability Act of 2015〈https://www.govtrack.us/congress/
bills/114/s995/text/is〉
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(26) Bernie Sanders, “The Trans-Pacific Partnership(TPP)Agreement Must Be Defeated,” speech of Dec. 29,
2014〈http://www.sanders.senate.gov/download/the-trans-pacific-trade-tpp-agreement-must-be-defeated?inline=
file〉
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(27) “Trans-Pacific Partnership(TPP)
: More Job Offshoring, Lower Wages, Unsafe Food Imports”〈http://
www.citizen.org/TPP〉
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(28) Matthew Boyle, “Exclusive—Donald Trump: Obama’s Trans-Pacific Free-Trade Deal Is ‘Insanity’,” Breitbart
〈http://www.breitbart.com/big-government/2015/11/09/exclusive-donald-trump-obamas-trans-pacific-free-tradedeal-insanity/〉
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(29) Kevin Granville, “The Trans-Pacific Partnership Trade Deal Explained,” New York Times, May 11, 2015
〈http://www.nytimes.com/2015/05/12/business/unpacking-the-trans-pacific-partnership-trade-deal.html?_r=0〉
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(30) Bernie Sanders, supra note 25; Donald Trump, “LIVE Donald Trump Birmingham Alabama Rally at the Birmingham-Jefferson Convention Complex” Nov. 21, 2015〈https://www.youtube.com/watch?v=4p14xqPjKNA〉
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国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 26
TPP の政治経済学:米国の視点
(31) Kathryn Robinson, “Hillary Clinton Addresses Trans-Pacific Partnership in Iowa,” NBC News, June 14, 2015
〈http://www.nbcnews.com/politics/2016-election/hillary-addresses-trans-pacific-partnership-her-first-major-rallyn375196〉
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(32) Abby Phillip, “In Ohio, Hillary Clinton Strengthens Opposition to Trans-Pacific Partnership,” Washington
Post, March 12, 2016〈https://www.washingtonpost.com/news/post-politics/wp/2016/03/12/in-ohio-hillary-clintonwill-voice-support-for-tougher-trade-rules/〉
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(33) Ibid.
(34) David H. Autor, David Dorn, and Gordon H. Hanson, “The China Shock: Learning from Labor Market Adjustment to Large Changes in Trade,” NBER Working Paper, No. 21906, Jan. 2016〈http://www.nber.org/papers/w2
1906〉
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(35) Daron Acemoglu, David Autor, David Dorn, Gordon H. Hanson, and Brendan Price, “Import Competition and the
Great US Employment Sag of the 2000s,” Journal of Labor Economics, Vol. 34, No. 1, pt. 2, 2016〈http://www.
ddorn.net/papers/AADHP-GreatSag.pdf〉
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(36) J. Bradford Jensen, Dennis P. Quinn, and Stephen J. Weymouth, “Winners and Losers in International Trade: The
Effects on U.S. Presidential Voting,” NBER Working Paper, No. 21899, Jan. 2016〈http://www.nber.org/papers/
w21899〉
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(37) Paul Ryan, “Japan’s Massive Trade Opportunity,” Washington Post, April 27, 2015〈https://www.washington
post.com/opinions/paul-ryan-japans-massive-trade-opportunity/2015/04/27/cea46022-ecf0-11e4-8abc-d6aa3bad
79dd_story.html〉
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(38) Michael D. Shear, Julie Hirschfeld Davis, and Gardiner Harris, “Obama Chooses Merrick Garland for Supreme
Court,” New York Times, March 16, 2016〈http://www.nytimes.com/live/obama-supreme-court-nomination/scotusnominee-merrick-garland/〉
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(39) Hillary Clinton, supra note 5.
(40) Matt Sharp, “US Trade Rep Says TPP Agreement Not Up For Renegotiation,” Law 360〈http://www.law360.
com/articles/715132/us-trade-rep-says-tpp-agreement-not-up-for-renegotiation〉
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(41) “America and the World: Trade, At What Price?” The Economist, April 2, 2016〈http://www.economist.com/
news/united-states/21695855-americas-economy-benefits-hugely-trade-its-costs-have-been-amplified-policy〉
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(42) Alberto Alesina, Edward Glaeser, and Bruce Sacerdote, “Why Doesn’t the US Have a European-Style Welfare
State?” Harvard Institute of Economic Research, Discussion Paper, No. 1933, Sep. 2001〈http://scholar.harvard.
edu/files/glaeser/files/why_doesnt_the_u.s._have_a_european-style_welfare_state.pdf〉
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(43) “Seoul Appears Set to Join Trans-Pacific Partnership Negotiations,” The Hankyoreh, Oct. 4, 2013〈http://
www.hani.co.kr/arti/english_edition/e_international/605796.html〉
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(44) “Taiwan Aims to Join Trans-Pacific Partnership: Minister,” Focus Taiwan, Nov. 10, 2010.
(45) “Speech of President Aquino at the Council on Foreign Relations, New York City, Sept. 23, 2010〈http://
www.gov.ph/2010/09/24/speech-of-president-aquino-at-the-council-on-foreign-relations-new-york-city/〉
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(46) Karina Meier, “Colombian President Addresses Executives During Washington Visit,” Scripps Howard Foundation Wire News, Feb. 3, 2016〈http://www.shfwire.com/colombian-president-addresses-executives-washingtonvisit/〉
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(47) Jane Kelsey, “Thailand’s Quest to Join the TPPA Will Strengthen Opposition,” Scoop World, Nov. 20, 2012
〈http://www.scoop.co.nz/stories/WO1211/S00295/thailands-quest-to-join-the-tppa-will-strengthen-opposition.htm〉
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(48) “Current Status of the TPP Negotiations,” Canon Institute for Global Studies, July 10, 2012〈http://www.
canon-igs.org/en/column/macroeconomics/20120710_1414.html〉
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(49) “US-ASEAN Businessmen Lobby Indonesia on TPP,” The Jakarta Post, June 25, 2013〈http://www.
thejakartapost.com/news/2013/06/25/us-asean-businessmen-lobby-indonesia-tpp.html〉
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国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 27
TPP の政治経済学:米国の視点
(50) Theara Khoun, “No Rush for Cambodia on Trans-Pacific Trade Agreement, Experts Say,” Voice of America
Khmer, Nov. 22, 2013〈http://www.voacambodia.com/a/no-rush-for-cambodia-on-trans-pacific-trade-agreementexperts-say-cambodia/1794961.html〉
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(51) Abus Sobhan, “Trans-Pacific Partnership the Way Forward,” Dhaka Tribune, Sept. 15, 2013〈http://www.
dhakatribune.com/op-ed/2013/sep/15/trans-pacific-partnership-way-forward〉
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(52) Arun Kumar, “India’s Admission to TPP Would Be an Economic Coup,” Business Standard, Aug. 2, 2013
〈http://www.business-standard.com/article/news-ians/india-s-admission-to-tpp-would-be-an-economic-coup-1130802
00419_1.html〉
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(53) Peter K. Yu, “How China’s Exclusion from the TPP Could Hurt Its Economic Growth,” Fortune, Oct. 19,
2015〈http://fortune.com/2015/10/19/china-exclusion-tpp-economic-growth/〉
.
Glen S. Fukushima 米国先端政策研究所上席研究員
*原題= The Political Economy of the TPP: A U.S. Perspective
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 28
Ohashi Hideo
はじめに
環太平洋パートナーシップ(TPP)は、アジア太平洋地域の通商秩序にとどまらず、グロー
バルガバナンス全般にも影響を及ぼしうる新たな枠組みである。そのため TPP のあり方をめ
ぐっては、その交渉過程において多種多様な利益の調整がなされ、メンバー以外の国々もそ
の行方に対して多大な関心を寄せてきた。
2015年10月に懸案のTPPの大筋合意がなされると、オバマ米大統領は「われわれは中国の
ような国にグローバル経済のルールを書かせることはできない」と述べた(1)。また同大統領
は、2016年1月の「一般教書演説」でも、
「TPPに関して言えば、われわれがこの地域のルー
ルを定めるのであり、中国ではない」と言明している(2)。TPP の旗揚げに際して、その主導
者である米大統領が、TPP のメンバーでもない中国の存在に繰り返し言及していることから
も明らかなように、TPP の「影の主役」は、実はアジア太平洋地域においてそのプレゼンス
を急速に高めている中国なのではなかろうか。
それでは、その中国は TPP をどのように認識してきたのか。また、中国は TPP にいかに対
応しようとしているのか。そして、中国の対外戦略や自由貿易協定(FTA)戦略のなかで、
TPP はどのように位置づけられているのか。本論では、このような疑問に対して初歩的な分
析を加えることとする。
1 TPP に対する認識
(1) 警戒・批判的認識
もともと中国は、2005年6月にTPPの原加盟国4ヵ国(シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュ
ージーランド)が締結したP4協定にはほとんど関心を示さなかった。ところが、2009年11月
のオバマ大統領による米国のTPP への参加表明は、東アジア中心の対外戦略やFTA 戦略を展
開させてきた中国にとって大きな衝撃となった。
当初、中国は米国主導の TPP に対して懸念を募らせた。一般に中国は、対外経済関係であ
っても、それを地政学的に捉えようとする傾向がある。そのような見方に基づいて、当初
TPPは「中国包囲網」の一環として認識された。たとえば、米国のTPPへの参加は、第 1に、
米国のリバランス戦略の一環をなし、アジア太平洋地域における主導的地位の回復を狙った
戦略である。第 2 は、オバマ政権の輸出拡大戦略、成長著しいアジア太平洋市場の開拓を目
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 29
TPP と中国の「一帯一路」構想
的としているという見方である。第 3 に、中国の影響力の拡大に対する牽制、中国主導の東
アジア FTA 戦略の弱体化を狙ったものであるという(3)。また、より具体的には、米国企業が
アジア太平洋地域の成長市場で利益を享受できるように、域内通商レジームのルール・メー
カーとして米国の地位を確保することにあるとの指摘もみられた(4)。
同時に中国では、TPPに関して、次のような認識も共有されていた(5)。第1に、TPPはきわ
めて高水準の自由化を求めているために、中国としてはなかなか受け入れ難い枠組みである。
第2に、TPPの交渉分野は広範囲に及び、かつ交渉参加国は異なる発展段階にあることから、
交渉の長期化は必至である。第 3 に、一部の東アジア諸国が TPP 交渉に参加しているのは、
中国依存度を軽減する一種のリスク分散的な手段である。
いずれにせよ、TPPは中国が追求している東アジアの経済統合に衝撃と混乱をもたらした。
東アジアには TPP 交渉参加国と非参加国が併存するために、TPP は東アジアの既存の経済統
合の枠組みを分断することになった。また TPP の登場により、経済統合に向けてのこれまで
の努力や資源が分散されることとなり、東アジアの経済統合はさらに先送りされる結果とな
った。しかも TPP が高水準の自由化を求めている以上、既存の東アジアの経済統合も水準を
引き上げていかざるをえず、経済統合の実現はさらに困難となった(6)。
(2) TPP への接近
2013年5月に来日したサンチェス米商務次官は、
「先行の加盟国と同じ高水準の自由化の義
務を負う」との条件付きながら、中国の TPP 参加を歓迎すると表明した(7)。これに対して、
中国商務部の沈丹陽報道官は「中国側は自由貿易地域の建設に際して、各当事者が開放、寛
容、透明性の原則を掲げ、とくに発展水準の異なる経済に対しては、柔軟性を体現し、各経
済が一体化過程でさらに多くの選択肢を有することが必要である」と主張したうえで、
「中国
側は一貫してTPP 交渉の進展状況を重視し見守っており、また常に国内各部門や産業界から
TPP に関する見方を聴取している。われわれは真摯な研究を基礎として、平等互恵の原則に
基づき、TPP 加入の利害と可能性を分析しており、TPP メンバーと情報・資料の相互交流・
(8)
と述べて注目された。
協議を希望している」
中国の TPP に対する姿勢に微妙な変化が生じた要因としては、第 1 に、TPP 交渉のペース
が加速化したこと、第 2 に、2013 年 3 月に安倍晋三首相が日本の TPP 交渉への参加を表明し
たこと、第 3 に、2013 年 6 月のオバマ大統領と習近平中国国家主席の米中首脳会談を契機と
して、中国の対米アプローチに変化がみられるようになったことが指摘できよう。
これに伴い、中国の TPP 認識にも微妙な変化がみられるようになった。第 1 に、日米両国
を含む TPP を想定すれば、当然のことながら、TPP 不参加による不利益も増大するために、
中国がTPP認識を修正した可能性は少なくない。第2に、しかし世界第2位の経済大国・中国
が含まれないとすれば、TPP の魅力は大幅に低下する。ここから、米国の関心は中国の排除
ではなく、中国市場の開放にあると中国側が認識を修正した可能性もある。そして何よりも、
中国の TPP 接近は「中国包囲網」の一角を打破することを意味する。第 3 に、中国は上記の
米中首脳会談で提起した「新型大国関係」に TPP を位置づけようとしている。米国主導の
TPP を是認することは、アジアにおける米国の既得権益と中国の「核心利益」との相互尊重
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 30
TPP と中国の「一帯一路」構想
に繋がる可能性が期待できる。また現行の国際通商レジームでは、欧州連合(EU)や北米自
由貿易協定(NAFTA)など、先行する関税同盟やFTAで運営された実績のある地域ルールが、
グローバル・ルールとして採用されることが多い。中国の TPP 参加は、国際通商レジームの
ルール策定に米国とともに関与することを意味する。
2016年2月のTPP調印に際して、中国の高虎城商務部長は、2015年10月のTPP大筋合意時
と同様に、
「TPPの内容は広範にわたり、現在中国側はその研究・評価工作を進めている」と
述べ、
「中国は中国共産党第18期3中全会〔中央委員会第3回全体会議〕で確定した『グローバ
ルな高水準のFTAネットワークの形成』の要求に基づき、高度に透明で、開放・包括的な自
由貿易に積極的に参加・推進しており、アジア太平洋地域の各種自由貿易措置が相互に促進
され、ともに同地域の貿易・投資と経済発展に貢献することを希望する」との談話を発表し
ている(9)。この談話からも明らかなように、中国にとって TPP は迅速に対応すべき問題領域
ではないのかもしれないが、常々留意せざるをえない検討対象であることに間違いなかろう。
2 TPP と米中投資協定
2013年5月の米中戦略経済対話(S&ED)では、2008年に合意されながら、その後の経済危
機で棚上げされていた米中二国間投資協定(BIT)交渉をさらに前進させるとの合意がなされ
「高水準」のBITであり、具体的には「投資前の内国民待
た(10)。ここで求められているのが、
遇」(Pre-establishment National Treatment)と「ネガティブリスト方式」が原則とされており、
これは TPP の基本方針と相通じるものがある。2014 年 1 月のダボス会議で米通商代表部
(USTR)のフロマン代表は、中国の TPP 参加には、米中 BIT 交渉がまず進展する必要がある
と言明しており(11)、当面は米中 BIT 交渉が中国の TPP 参加の可能性を規定しているものと考
えられる。
そこでTPPと米中BIT の重要条項を比較検討してみよう。第1表(次ページ参照)は、秘密
交渉中であったTPP条文を貿易関連の非政府組織(NGO)がリークしたテキストと、USTRが
モデルとして公表している BIT のテキストとを比較したものである。いずれも実際の TPP と
BIT のオリジナル・テキストを比較しているわけではないが、大きな流れとして両者の間に
はかなりの類似性がみられる。もっとも、この分析は TPP 参加を想定した台湾の研究機関が
行なったものであるが、同様の議論は中国の学界でもみられることから(12)、中国でも TPP 参
加の検討が幅広くなされていたことがうかがえる。実際に、BIT で掲げられた「実験」は、
2013 年 9 月に設立された中国(上海)自由貿易試験区において部分的かつ段階的に進められ
ている(13)。
3 中国の FTA 戦略
(1) 自由貿易の利益
世界貿易機関(WTO)加盟により、中国は自由貿易の多大なメリットを享受した。しかし
WTO ではドーハ・ラウンド(多角的貿易交渉)が決裂状態にあり(14)、折から中国製品に対し
てアンチダンピング課税や相殺関税が多用されるなか(15)、中国はFTAに対する関心を高めて
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 31
TPP と中国の「一帯一路」構想
第 1 表 TPPリーク条文と米国2012年BITモデルの重要条項の比較
(1)TPPリーク条文
(2)米国2012年BITモデル
比較結果
第4条:内国民待遇
第3条:内国民待遇
類似
第5条:最恵国待遇
第4条:最恵国待遇
類似
第6条:最低待遇標準
第5条:最低待遇標準
類似
第6-1条:武装衝突・国内動乱待遇
(2)には「武装衝突・国内動乱待遇」条
項はないが、実質的な内容は「最低待遇
標準」に含まれる。
第7条:実績要求
第8条:実績要求
類似:(1)の規定はより詳細。
第8条:高級管理・取締役会
第9条:高級管理・取締役会
類似
第9条:不適合措置
第14条:不適合措置
類似
第11条:外貨移転
第7条:外貨移転
類似
第12条:収用・補償
第6条:収用・補償
類似
第12-1条:代位権
×
第13条:特別手続き・情報要求
第15条:特別手続き・情報要求
類似
第14条:利益否定
第17条:利益否定
類似
第15条:健康安全・環境保護措置 第12条:投資・環境
(2)には規定なし。
(1)は(2)と比べて、やや簡略化。
第16条:企業の社会的責任
第13条:投資・労働
(1)は締結国に企業の社会責任の基準を
入れることを要求している。(2)は「投
資・労働」を明記し、内容も詳細である
が、(1)の基本精神と類似している。
×
第11条:透明性
第16条:非特定
第10条:投資法規・決定の開示
第18条:基本的安全
第19条:情報開示
第20条:金融サービス
第21条:租税
(1)にはこれらの規定がない。
セクションB:投資家と締結国の
投資紛争解決条項
セクションB:投資家と締結国の
投資紛争解決条項
(1)と(2)の一部細則に差異がある。
×
セクションC:締結国双方の紛争
解決条項
(1)にはセクションCの規定はない。
(注) 1.「類似」とは、一部の用語に若干の相違があるが、条文の実質的な内容がほぼ同様であることを意味する。
2.「TPPリーク条文」〈http://www.citizenstrade.org/ctc/blog/2012/06/13/newly-leaked-tpp-investment-chapter-containsspecial-rights-for-corporations〉.
3.「米国2012年BITモデル」〈http://www.ustr.gov/sites/default/files/BIT%20text%20for%20ACIEP%20Meeting.pdf〉.
(出所)
陳孟君「『創造條件,參與TPP』系列專題(四)跨太平洋夥伴協定(TPP)投資議題之解析」、中華經濟研究院台灣
WTO中心『WTO電子報』第335期、2012年10月19日。
いった。
1990 年代末まで、中国を含む東アジアは、東南アジア諸国連合(ASEAN)自由貿易協定
(AFTA)を唯一の例外として、FTA の空白地帯であった。その東アジアにおいて、FTA が一
躍注目されるようになった背景としては、多角主義の担い手である WTO の機能不全に加え
て、この地域を包摂する生産ネットワークの形成が挙げられる。近年の東アジアの工業化で
は、IT機器に代表されるモジュラー型製品が重要な役割を果たしており、その普及は世界の
製造業の産業立地を一変させた(16)。部品・パーツが標準化され、インターフェースがきわめ
て単純化されたモジュラー型製品は、必ずしも同一地点での一貫生産の必要性はなく、生産
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 32
TPP と中国の「一帯一路」構想
工程を分割して、各工程に最もふさわしい場所での生産(fragmentation)が可能となる。生産
工程に適合した産業集積が東アジア各地に形成され、しかも通信・物流革命により、これら
生産拠点間を結ぶサービス・リンク・コストは最小化された。こうして東アジアでは、工程
間分業に基づく生産ネットワークが形成された(17)。そして中国は、この生産ネットワークの
最終組み立て・加工地として位置づけられている。したがって、FTA の前提となるモノ・ヒ
ト・カネのシームレスな動きは、中国経済にとっても死活的に重要な意味をもっている。
(2) 外交的考慮の優先
もとより中国のFTA戦略は、このように純粋に経済的な要因だけに立脚しているわけでは
なく、より包括的な外交戦略を前提としている。中国の発効済み、あるいは交渉・共同研究
中のFTAは、おおよそ次のように分類することができる。①香港、マカオとの経済貿易緊密
化協定(CEPA)や台湾との経済協力枠組み協定(ECFA)は「両岸四地」の統一戦略、②
ASEAN、日中韓、パキスタンなどの近隣諸国とは「中国脅威論」の払拭や相互信頼関係の構
築、③湾岸協力会議(GCC)諸国、ラテンアメリカ、南部アフリカ関税同盟(SACU)諸国、
上海協力機構(SCO)、オーストラリアとは資源外交、④アイスランドやスイスとは EU 市場
への参入、を主たる目的としていると言えよう。
中国最初の FTA は、2002 年 11 月に ASEAN との間で締結された FTA(ACFTA)枠組み協定
である。この時期に中国が ACFTA に着手した狙いとしては、次の点が指摘できよう(18)。第1
は、近隣諸国との相互信頼関係の醸成である。
「中国脅威論」が高まるなか、中国は同時期に
「南シナ海行動宣言」に調印し、また ASEAN 市場における中国製品の浸透や外資が ASEAN
に向かわず中国に集中するなど、経済的な「脅威」に対しては、アジア通貨危機の時期を通
して人民元を切り下げないことを宣言し、近隣諸国との信頼関係の醸成に努めた。第 2 は、
地域協力への積極的関与である。通貨危機のように、伝統的な二国間関係で対応できない問
題が増加するに伴い、中国はマルチの地域協力に積極的に参加するようになった。もちろん、
その背景には台湾の「南向政策」を牽制する狙いもあった。第 3 は、輸出・投資市場の多角
化である。欧米諸国の保護主義、貿易摩擦に直面する中国にとって、成長著しい ASEAN 市
場は市場多角化の格好の標的となった。第 4 は、国内地域開発への取り組みである。地域格
差の是正という観点から、中国は西部大開発を大メコン流域国(GMS)会議とリンクさせる
方針を採った。この方針は、その後、広西チワン族自治区南寧市で毎年開催されている中国
ASEAN 博覧会に継承されている。第 5 に、ポスト WTO 期の中国では、経済改革と市場経済
化の勢いを持続させるための「外圧」としての役割が FTA に期待された。
このような目的・優先順位に基づき、中国の FTA戦略は展開されてきた。
(3) 漸進主義的な自由化
中国を含む発展途上国のFTAでは、関税貿易一般協定(GATT)24条の各条項、つまり、①
域内における関税その他の貿易障壁は実質的にすべて廃止すること、②域外諸国に対する関
税その他の貿易障壁は設立以前より増大してはならないこと、③合理的な期間内に合理的な
スケジュールに従って設立すること、これら3点を厳格に適用することが猶予されている(19)。
そのため、AFTA などと同様に、特定産品・産業の例外化、特別スケジュールの作成、また
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 33
TPP と中国の「一帯一路」構想
恣意的な原産地規則の設定など、かなり緩やかな FTA が形成される傾向がある。
換言すると、中国のFTAは、基本的にWTOを上回る自由化=「WTOプラス」
(市場アクセ
ス、金融サービス、電気通信、政府調達、知的財産など)、あるいは WTO にない新ルール=
「WTO エクストラ」
(貿易円滑化、投資、ビジネス関係者の一時的入国、電子商取引、競争政策、
国有企業、労働、環境、規制の整合性、透明性・腐敗防止など)を目指すものではなく、その経
済改革のアプローチと同様に、漸進主義に特徴づけられる。
また中国のFTAは、ACFTAに典型的にみられるように、まず大枠を定めた枠組み協定を締
結して、その後、段階的により高度なFTAを目指す積み上げ型に特徴づけられる。これとは
対照的に、たとえば、日本のFTA交渉では、仔細にわたる包括的な協議を繰り返し、一括し
て合意を取り付けるアプローチが採られている。中国の FTA戦略は、それぞれの「国情」に
あわせて、発展途上国として例外事項を「特権」的に行使し、弾力的に交渉を進めていくと
いう意味でも漸進主義的である。もちろん、中国がこのように相対的に低い自由化率や例外
品目を設定しながら、FTA 交渉を優位に進めていけるのは、やはり巨大な国内市場を擁して
いるからにほかならない。
中国固有のFTAアプローチに基づくと、中国のFTA戦略ではACFTAを中心に据えた東アジ
アの FTA が優先事項となる。具体的には、中国が 2004 年に提唱した ASEAN と日中韓の
ASEAN + 3、また日本が 2006 年に提案した ASEAN + 3 にオーストラリア、ニュージーラン
ド、インドを加えたASEAN+6、つまり、2012年11月の東アジア首脳会議(EAS)で合意さ
れた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)である。同時に、中国は最大の経済効果が見込め
る日中韓の FTA(CJKFTA)にも大きな期待を寄せている。もっとも CJKFTA 交渉は 2013 年 3
月に開始されたが、その後の日中・日韓関係の悪化により、その行方は楽観視できる状況に
はない(20)。
4 中国の FTA 戦略からみた TPP 評価
(1) 限定的な経済的インパクト
短期的には、中国経済に及ぼす TPP の影響は限定的である(21)。もちろん、TPP に関する各
種シミュレーション結果をみても明らかなように、中国を含むTPP の非メンバーに貿易転換
効果が生じることは不可避である(22)。中国の輸出の 35%は TPP メンバー向けであり、しかも
大幅な黒字を抱えていることから、貿易転換に直面する可能性は高い。直接投資の受け入れ
でも、後発国・地域との誘致競争は激化しており、とくに労働集約型製品の投資でも転換効
果を被る可能性は高い(23)。しかし貿易・投資転換が生じる産業分野の多くは、すでに中国で
は産業調整の対象となっている。また TPP の貿易の半分はメンバー間で行なわれているため
に、貿易転換効果の影響はかなり限定的であり、非メンバーの国内総生産(GDP)損失は
2030 年までに 0.1% 程度のきわめて軽微な水準にとどまるとの見方もある(24)。
たしかに、中国の TPP 参加は、中国と米国消費市場との経済連携を深化させ、米中間の外
交・安全保障上の競争・衝突を回避する方向に機能するかもしれない。ただ中国はすでに
TPP メンバーの多くと FTA を結んでおり、東アジアの生産ネットワークの強化という観点か
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 34
TPP と中国の「一帯一路」構想
らすれば、TPP参加の利益はASEAN+3に及びそうにない。また中国が重視するCJKFTAは、
ACFTA の昇級版として、中国の FTA の高度化にも繋がる可能性がある。しかも ASEAN + 3
や CJKFTA は、何よりも東アジアの地域協力における中国の地位上昇・役割拡大に有利に働
く可能性が高い。
(2) 高水準の自由化
世界の主要な FTA と比較しても、第 2 表のとおり、TPP の自由化はきわめて高い水準にあ
る。貿易・投資の自由化・円滑化に関して、TPP が求める高水準の要求は、中国の経済改革
への圧力となり、長期的には国際通商レジームの新ルールを先取りできる可能性もある。し
かし現状では、TPP の新たな規定は、中国経済・企業にとって多大なコスト負担を求めるも
のである。たとえば、知財権条項は、中国企業による先進技術の導入コストを高め、後発国
としての模倣型イノベーションを通したキャッチアップにはきわめて不利に働く。また厳格
な労働・環境条項の適用は、先進国から途上国に対する貿易救済・制裁措置の契機にもなり
第 2 表 各種FTAにおける財貨貿易を超える包括範囲
FTA
日本・
米国・
オーストラリア シンガポール
(2014)
(2004)
米韓
(2012)
NAFTA
(1994)
○
○
○
○
×
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
×
投 資
○
×
○
○
○
○
サービス
○
○
○
○
○
○
金融サービス
○
×
○
○
○
○
ビジネスパーソンの一時入国
○
○
○
○
○
○
電気通信
○
×
○
○
○
○
電子商取引
○
×
○
○
○
×
政府調達
○
○
○
○
○
○
競争政策
○
○
○
○
○
○
知的財産権
○
○
○
○
○
○
労 働
○
×
×
○
○
×
環 境
○
×
×
○
○
×
キャパシティビルディング支援
○
○
○
×
×
×
競争力・ビジネス円滑化
○
×
×
×
×
×
開 発
○
×
×
×
×
×
中小企業
○
×
×
×
×
×
規制の内外調和
○
×
×
×
×
×
透明性・反腐敗
○
○
○
○
○
○
紛争解決
○
○
○
○
○
○
TPP
(2015)
P4
(2005)
関税・円滑化
○
○
○
衛生・植物防疫措置
○
○
貿易に対する技術障壁
○
貿易救済措置
包括範囲
(出所)
Asian Development Bank, Asian Economic Integration Report 2015: How can Special Economic Zones Catalyze
Economic Development?, December 2015, p. 45.
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 35
TPP と中国の「一帯一路」構想
かねない。政府調達条項は、すべての企業に無差別原則が適用されるために、国内重点産業
を育成する手段として政府調達の機会が活用できなくなり、戦略的新興産業などに影響する
可能性が高い。さらに国有企業条項では、国有企業に対する優遇措置が撤廃されるために、
これまで中国の国有企業が享受してきた多大な利益の喪失が想定される。
しかも TPP は、今後、国際通商レジームの新たなルールとなりうる可能性が高い。とりわ
け上述したようなTPP の新たな規定に関しては、グローバルガバナンスのルール・メーカー
として、米国がきわめて有利な立場をとることが予想される。
(3)「対中包囲網」の認識
中国側からみると、TPP はアジア太平洋の経済統合のあり方を複雑化し、長期的には米国
のリバランス戦略を強化して、中国の行動を牽制するものとなる。過去十数年間、中国は東
アジアの地域協力に積極的に参加し、実質的な成果を得てきたが、米国のアジア回帰は東ア
ジアにおける中国の地位・役割に影響を及ぼす。なかでも米国と東アジア諸国の同盟関係は
さらに強化され、中国周辺の地政学的な環境を一変させる可能性がある。それは中国が長期
にわたって追求してきた平和な発展環境にとっても脅威となる。具体的には、TPP と米国の
アジア回帰がなければ、日中関係やCJKFTAの動きはここまで混迷を深めることはなかった。
またTPPと南シナ海情勢により、中国とASEANの関係も複雑化する可能性が高い。いずれに
せよ、TPP や南シナ海情勢などの懸案事項が尖鋭化すると、中国の周辺外交はますます大き
な外交・安全保障圧力に直面することになる。
とはいえ、短期的にはTPP不参加の影響は限定的であり、ASEAN+3から得られる利益に
も及びそうにない。しかし長期的には、国際通商レジームのルールがTPP 中心に変化してい
くことが予想される。東アジアにおける中国の影響力という観点から言えば、TPP はやはり
中国外交にとってプラスの要因にはなりえない(25)。恐らくこのような見方が、中国で広く共
有されている TPP 認識であろう。
5 「一帯一路」構想の提起
TPP 交渉が進展するなか、2013 年秋、上述した中国のFTA 戦略と TPP 認識に合致するよう
な対外構想が提起された。同年 9 ― 10 月に習近平国家主席が訪問先のカザフスタンとインド
ネシアで発表した「シルクロード経済圏」と「21世紀海上シルクロード」からなる「一帯一
路」構想である(26)。
「一帯一路」構想の基本文書によると(27)、第1に、その基本原則は、①主権尊重、相互不可
侵、内政不干渉、平和共存、平等互恵の維持、②開放的枠組みの維持、③協調関係の維持、
④市場メカニズムの維持、⑤ウィン・ウィン関係の維持であり、外交文書としての色彩がか
なり強い。第 2 に、東アジアと欧州の両経済圏を結ぶ構想として、両者の中間に位置する広
大な内陸地帯が主たる対象となる。第 3 に、重点分野としては、① 政策協調、②インフラ
(交通、エネルギー、通信)整備、③貿易・投資協力(円滑化、障壁削減、投資環境改善、FTA)
、
④資金融通(通貨交換の拡大、アジア債券市場の育成、アジアインフラ投資銀行〔AIIB〕、BRICS
、⑤人的交流が掲げられる。第4に、協力メカニズムと
銀行の推進、シルクロード基金の運営)
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 36
TPP と中国の「一帯一路」構想
して、SCO、ASEAN + 1(中国)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、アジア欧州会合
(ASEM)から、GMS経済協力、中央アジア地域経済協力(CAREC)に至るまで、既存の多国
間・地域枠組みが活用される。第 5 に、中国国内の各地域が「一帯一路」建設を推進するた
めの態勢が示されている。
もちろん、
「一帯一路」構想には、国外新規市場の開拓や対外投資の展開を通した中国国
内の過剰生産能力の整理・解消、人民元の国際化、周辺外交の強化などの基本的な狙いが込
められている。しかし、
「一帯一路」構想には、すでに進行中のさまざまな国内政策、多国間
枠組み、既存プロジェクトが含まれており、同構想はグランドデザインというよりは、
「寄せ
集め」の印象は拭えない(28)。ここでも、大筋の最終目標だけが設定され、その達成・実現に
向けての方法論は、各部門・地方の現場のイニシアチブに任される中国特有の課題実現型ア
プローチが採られていることがうかがえる。
「一帯一路」構想は、その後、中共中央・国務院の「開放型経済新体制の構築に関する若
干の意見」にも明記された(29)。この「若干の意見」は、第13 次5 ヵ年計画の対外開放戦略の
基本構想と言えるものであり、こうして「一帯一路」構想は第 13 次 5 ヵ年計画に組み込まれ
た(30)。2016 年 3 月の全国人民代表大会で採択された第 13 次 5 ヵ年計画の「要綱」では、第 11
篇「全方位開放新構造の構築」の冒頭において、
「
『一帯一路』建設の先導のもとに、対外開
放の内容を豊かにし、対外開放の水準を高める」とされており、
「一帯一路」構想は第 13 次
5 ヵ年計画における対外開放戦略のキー・コンセプトとして位置づけられた(31)。
おわりに
当面、中国は「一帯一路」構想を軸に経済外交、周辺外交を進めていくことになろう。
「一
帯一路」構想は、TPPと比べると、まず中国の外交、安全保障、地政学的な考慮に合致する。
また漸進的な貿易・投資の自由化・円滑化も、中国の「国情」に適ったものである。
「一帯一
路」構想に関係する国・地域のなかでは、中国の自由化水準は必ずしも低水準とは言えない。
しかも「一帯一路」構想で示された自由化は、
「市場に決定的な役割を果たさせる」とした中
国共産党中央委員会第3回全体会議(18期3中全会)で採択された「改革の全面的深化に関す
る決定」が示す方向性にも一致する。さらにグローバルガバナンスの観点からすれば、
「一帯
一路」構想は、人民元の国際化を含めて、少なくとも中国が主導するリージョナルな通商・
金融レジームのルール形成にも寄与しうる。
ここから「一帯一路」構想は、TPP 対抗策、あるいは米国主導の国際秩序に対する中国の
新たな挑戦という見方もできよう。しかし李克強中国首相が繰り返し強調しているように、
中国の TPP に対する態度は一貫して「開放的」である(32)。少なくとも米中間で交渉進展が合
意された米中 BIT 交渉が動き出せば、中国の TPP へのハードルはさらに低くなる。そのとき
には高水準の自由化に向けての取り組みも本格化し、国内改革も加速化することになる。
実際に、2015年末に採択された中国のFTAに関する基本文書では、高水準のFTA建設の加
速化が提起されている。ここでは、FTA の重点地区が「一帯一路」構想に関係する国々であ
ることが明記されてはいるものの、やはり財貨貿易の開放水準の上昇、サービス業の対外開
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 37
TPP と中国の「一帯一路」構想
放の拡大、投資認可の緩和、ルール交渉の推進(知財権、環境保護、電子商取引、競争政策、政
府調達)
、貿易円滑化水準の上昇、規制協力の推進(技術性貿易障壁、衛生、検疫)、ヒトの移
動の推進など、高水準の自由化・円滑化措置が強調されている(33)。
このようにTPPに対する中国の対応は、
「一帯一路」建設に邁進しつつも、国内改革にも寄
与しうる高水準の自由化との「両睨み」の姿勢に特徴づけられよう。単純な二分法の座標軸
に基づくと、外交が内政の延長線である限り、TPP、あるいは「一帯一路」構想への傾斜の
程度から、中国の国内改革の方向性も占えるのではなかろうか。
( 1 ) “Statement by the President on the Trans-Pacific Partnership”〈https://www.whitehouse.gov/the-press-office/
2015/10/05/statement-president-trans-pacificpartnership〉
, the White House, October 5, 2015.
( 2 ) “Remarks of President Barack Obama — State of Union Address As Delivered”〈https://www.whitehouse.
gov/the-press-office/2016/01/12/remarks-president-barack-obama%E2%80%93prepared-delivery-state-unionaddress〉
, the White House, January 13, 2016.
( 3 ) 杜蘭「美国力推跨太平洋
伴関係戦略分析」
『国際問題研究』2011年1 期、45―51ページ。
( 4 ) 魏磊・張漢林「美国主導跨太平洋
伴関係協議談判的意図及中国対策」
『国際貿易』2010 年 9 期、
54―58 ページ。
、上海社会科学院出版
( 5 ) 張幼分・徐明棋編『開放昇級的国際環境―国際格局変化与全球化新趨勢』
社、2013年、第 6 章などを参照。
( 6 ) 趙進軍編『中国経済外交年度報告』
、北京:経済科学出版社、2013年、32 ページ。
( 7 )『日本経済新聞』2013年 5月 17日。
( 8 ) 商務部新聞弁公室「商務部新聞発言人沈丹陽就若干経貿熱点問題接受媒体聯合採訪」
〈http://www.
mofcom.gov.cn/article/ae/ag/201305/20130500146218.shtml〉
、2013年5 月30 日。
( 9 ) 商務部新聞弁公室「商務部国際司負責人就《跨太平洋
伴関係協定》正式簽署表態」
〈http://www.
mofcom.gov.cn/article/ae/ai/201602/20160201251518.shtml〉
、2016年 2月 4日。
(10) U.S. Department of the Treasury, “Joint U.S.-China Economic Track Fact Sheet of the Fifth Meeting of the
U.S.-China Strategic and Economic Dialogue”〈http://www.treasury.gov/press-center/press-releases/Pages/
jl2010.aspx〉
, July 12, 2013.
(11) Reuters, January 23, 2014〈http://uk.reuters.com/article/2014/01/23/us-usa-china-trade-idUSBREA0M1LV20
140123〉
.
(12) 朱文暉・王玉清「中美双辺投資協定談判与TPP対中国進一歩開放的影響」
、樊綱・馬蔚華編『中国
新一輪対外開放』
、中国経済出版社、2015年、55―56ページ。
(13) 詳しくは、China(Shanghai)Pilot Free Trade Zone and the Future of Asia, IDE-JETRO and Shanghai
Academy of Social Sciences(SASS)
, March 2015 ;『自由貿易試験区』、日中投資促進機構、2015年 7
月、などを参照。
(14) たとえば、WTO加盟国の増加、交渉分野の飛躍的な拡大は、コンセンサス方式を基本とするWTO
の意思決定に多大な困難をもたらしている。大橋英夫「中国の経済外交― WTO ドーハ・ラウン
ドの事例」
『中国外交の問題領域別分析研究会』
、日本国際問題研究所、2011 年、31―34 ページなど
を参照。
(15) 詳しくは、大橋英夫「対外的脆弱性の克服:摩擦と協調」
、朱炎編『中国経済の成長持続性』
、勁
草書房、2011年、145―167ページを参照。
(16) モジュラー型製品の台頭を可能にした製品アーキテクチャーの革命的な変化については、藤本隆
宏『日本のもの造り哲学』
、日本経済新聞社、2004年を参照。
(17) このような観点からの東アジアの国際分業については、Mitsuyo Ando and Fukunari Kimura, “The
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 38
TPP と中国の「一帯一路」構想
Spatial Pattern of Production and Distribution Networks in East Asia,” in Prema-chandra Athukorala ed., The
Rise of Asia: Trade and Investment in Global Perspective, London and New York: Routledge, 2010, pp. 61–88な
どを参照。
(18) 大橋英夫「東アジア経済の再編における日中の役割」
『東亜』427号、2003年、32―41ページ。
(19) 発展途上国の地域貿易協定(RTA)といわゆる「授権条項」については、津久井茂充『ガットの
全貌』
、日本関税協会、1993年、21、184―186ページを参照。
(20) ただし、中韓FTAは2015年末に発効した。
(21)「TPP と一帯一路の関係は 李向陽・中国社会科学院博士」
『朝日新聞』2015年 11月11 日。
(22) 本件に関する継続的な研究としては、Peter A. Petri and Michael G. Plummer, “The Economic Effects of the
Trans-Pacific Partnership: New Estimates,” Working Paper Series, WP 16-2, Peterson Institute for International Economics, January 2016 を、また中国側の研究として、張燕生「対“跨太平洋戦略経済
伴関係協定”
(TPP)的幾個判断」
『研討実録』
(上海発展基金会)2012年 29期などを参照。
(23) Asian Development Bank, Asian Economic Integration Report 2015: How can Special Economic Zones Catalyze
Economic Development?, December 2015, p. 51.
(24) World Bank, Global Economic Prospects, January 2016, p. 227.
(25) 呉澗生・曲鳳杰「跨太平洋伴侶
伴関係協定(TPP)
:趨勢、影響及戦略対策」
『国際経済評論』
2014年1 期、65―74ページを参照。
(26) 詳しくは、渡辺紫乃「中国のシルクロード経済圏構想の実態と背景」
『東亜』573号、2015年、30―
38 ページ、伊藤亜聖「中国『一帯一路』の構想と実態―グランドデザインか寄せ集めか?」
『東
亜』579号、2015年、30―40 ページなどを参照。
(27) 国家発展改革委員会・外交部・商務部「推動共建絲綢之路経済帯和21世紀海上絲綢之路的愿景与
行動」
〈http://www.ndrc.gov.cn/gzdt/201503/t20150328_669091.html〉
、2015年3 月28 日。
(28) 前掲、伊藤亜聖「中国『一帯一路』の構想と実態」
、31 ページ。
(29) 中共中央・国務院「関於構建開放型経済新体制的若干意見」
〈http://news.xinhuanet.com/politics/201509/17/c_1116598050.htm〉
、2015年5 月5 日(新華社電発表は 2015年9 月 17日)
。
(30) 中共中央「関於制定国民経済和社会発展第十三個五年規画的建議」〈http://news.xinhuanet.com/
fortune/2015-11/03/c_1117027676.htm〉
、2015年11月 3日。
(31)「中華人民共和国国民経済和社会発展第十三個五年規画綱要」
〈http://www.miit.gov.cn/n1146290/n1146
392/c4676365/content.html〉
、2016年 3月 17日。
(32)「李克強在第十八次東盟与中日韓(10+3)領導人会議上的講話」
『新華網』2015年11月 22日。
(33) 国務院「関於加快実施自由貿易区戦略的若干意見」
〈http://www.gov.cn/zhengce/content/201512/17/
content_10424.htm〉
、2015年12月 17日。
おおはし・ひでお 専修大学教授
[email protected]
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 39
Okuda Satoru
はじめに
韓国ではアジア通貨危機後の長期にわたって内需の不振が続いた。このような成長下押し
要因に対し、韓国は輸出を伸ばすことによって景気の底割れを防いできた。この結果、近年
では輸出の対国内総生産(GDP)比は5割近くにまで達し、輸出依存的な成長構造がより鮮明
になっている。この間韓国は、自由貿易協定(FTA)をはじめとする対外経済政策上のツー
ルを活用しながら輸出増大に努めてきた。日本が市場開放の痛みを恐れてFTA推進に二の足
を踏む間にも韓国は積極的にFTAを推進していった。こうした努力の甲斐あって、現在まで
に韓国の輸出の約 7 割が FTA によってカバーされるようになり、東アジア随一の FTA 国家を
自認するに至っている。
しかし、FTA をめぐる韓国の自信はここにきて揺らいでいるようにみえる。高度の自由化
と包括性などに特徴づけられ、今後の世界の貿易ルールを先導するとみられる環太平洋パー
トナーシップ(TPP)が 2015 年 10 月に基本合意をみたが、その過程でそれまで FTA の推進に
消極的であった日本のリーダーシップが際立った。一方、韓国は TPP 協定加入のタイミング
を計っていたが、結局時機を逸してしまった。本格的FTA国家を自認してきた韓国は、アジ
ア太平洋地域に誕生したメガFTAの誕生過程に参画することができず、地域における新たな
貿易ルールの策定に加われなかったという厳しい現実に向き合わざるをえなくなった。さら
に、韓国が「FTA 後進国」とみていた日本が TPP 基本合意に向けた大詰めの局面における立
役者となったのも韓国にとって心地の良いものではなかった。それでも、TPP の基本合意の
直後から韓国は TPP への参加の意向を表明し、関係国との調整を急いでいるところである。
本稿では、これまでの韓国の TPP への対応を振り返るとともに、TPP 基本合意が韓国の外
交・通商政策全般に与えた影響を検討していきたい。あわせて、韓国のTPP 参加に関する今
後の見通しについてもみてみたい。
1 韓国の FTA 政策のあゆみ
(1) 日本を上回る積極的な FTA 展開
韓国 FTA の歴史は 1998 年に着手された日韓経済連携協定(EPA)、韓国・チリ FTA に始ま
る。それまで、韓国の対外経済政策は世界大での自由化を図る関税貿易一般協定(GATT)/
世界貿易機関(WTO)体制への信認に基礎を置くものであった。しかし、当時すでに合意導
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 40
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
出のペースが鈍っていたWTOには機能不全の兆しがみえており、他の主要国と同様にFTAの
積極的推進を通じた自前の自由貿易ネットワーク構築の必要性が認識され始めていた。内需
の不振とともに輸出依存度が漸増するなか、2003年に出されたFTAロードマップでは複数の
FTA 案件を同時進行させる「同時多発的推進」が提唱され、これ以降韓国の歴代政権はその
政治信条にかかわりなく FTA推進の姿勢を維持した。
2004年には韓国初のFTAとなる韓国・チリFTAが発効し、2007年には韓米FTAが妥結に至
った。2011年には韓国・欧州連合(EU)FTAが発効、2012年には紆余曲折の末に韓米FTAが
発効した。最大の貿易相手である中国との間でも FTA が推進され、2015 年 12 月 20 日に発効
(1)
した。世界経済に占める FTA締結先の GDP 総額の比(経済領土比)
は韓国が主要貿易相手
とのFTAをまとめるたびに上昇していった。これとともに、輸出入総額のなかでのFTAカバ
ー率も伸びていった(第1 図)。
この間、韓国は大統領が強いリーダーシップでFTA交渉をリードするとともに、国内世論
が敏感なコメについては韓米FTAを含む全案件で除外を勝ち取っている。このほか、農林・
酪農を中心とする FTA 関連の国内被害に対しては早い段階で補償の大枠を示すなど、FTA 推
進のブレーキとなりかねない要因を巧みに取り去る努力をしてきた(2)。また、政府関係機関
や業界団体によるFTA活用支援サービス(3)も手厚く行なわれてきた。これまでの積極的な努
力の結果、韓国のFTAは主要な貿易相手を広く網羅するに至り、韓国の長年の念願であった
自前での自由貿易ネットワークを手中にしつつある。第 1 表は韓国の FTA 推進現況をまとめ
たものである。2016年4月現在、発効したFTAは14案件で、締約国数は51ヵ国(重複を除く)
に上る。輸出カバー率は71.0%(2015年通年値基準)に達し、経済領土比も74.7%(2014年値基
準)にまで高まっている。2015 年に最大の貿易・投資相手である中国との FTA が発効し、韓
国経済における FTA の存在感は急速に大きくなった。発効案件のほか、署名済み、交渉中、
交渉再開待ち、準備・研究中など、何らかのかたちで進行中の案件を含めると、韓国の FTA
(%)
第 1 図 韓国FTAの進展状況― 経済領土比と輸出入のFTAカバー率
80
70
60
輸出
輸入
GDP(経済領土)
50
40
30
20
10
0
2004
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16(年)
1-3月
(注) 集計対象は発効したFTAのみ。2016年以外は年末の数値。2015年のGDPは前年値基準。
(出所)
韓国貿易協会(韓国貿易統計)および World Bank, “World Development Indicator” な
どを用いて筆者が作成。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 41
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
第 1 表 韓国のFTA推進現況(2016年4月現在)
相手先
輸出カバー率
(2015年)
経済領土比
(2014年)
発 効
(14案件、51ヵ国)
チリ、シンガポール、EFTA(〔欧州自由貿易連合〕
4ヵ国)、ASEAN(10ヵ国)、インド、EU(28ヵ国)、
ペルー、アメリカ、トルコ、オーストラリア、
カナダ、中国、ニュージーランド、ベトナム
71.0%
74.7%
署 名
(1案件、1ヵ国)
コロンビア
0.2%
0.5%
交渉中
(4案件、7ヵ国)
日中韓(2ヵ国)、RCEP(15ヵ国)、中米諸国(5ヵ
国)、エクアドル
5.6%
6.4%
交渉再開待ち
(4案件、7ヵ国)
インドネシア、日本、メキシコ、GCC(〔湾岸協
力会議〕6ヵ国)
5.5%
3.8%
交渉準備・共同研究
(3案件、6ヵ国)
MERCOSUR(〔南米南部共同市場〕4ヵ国)、イス
ラエル、マレーシア、TPP(12ヵ国)*
1.6%
4.8%
84.0%
90.1%
推進区分
合計26要件72ヵ国(重複を除く)
(注) *TPPについては「関心表明」(2013年11月)で、韓国はすべての参加国との間でFTA案件をもつ。複数の推進
区分に該当する相手先については、上位の推進区分に位置づける(国数、シェア計算上)。経済領土比は、締約国
GDP合計値の対世界シェアを表わす。この計算で、韓国自身は「発効」に含めた。
(出所)
韓国政府FTAウェブサイト〈http://www.FTA.go.kr〉、韓国国家統計ポータル〈http://kosis.kr〉、世界銀行デー
タサイト〈http://data.worldbank.org〉などを参考に筆者作成(いずれも2016年4月19日アクセス)。
は合計 26 案件、関係する国の数は 72 ヵ国にも及ぶ。進行中の案件がすべて発効した場合、
FTA は総輸出の 84.0% をカバーし、経済領土比に至っては 90.1% に達する。
(2) メガ FTA への旋回と米中間の FTA ハブ
2013年に誕生した朴槿恵政権は、歴代政権と同様にFTA重視、拡張の姿勢を維持している。
就任後間もない2013年6月、朴政権は「新通商ロードマップ」を公表した。これは大統領選の
時から折に触れて朴大統領が表明してきたFTAの考え方を集大成したものであると同時に、初
代ロードマップ発出後の 10 年間に起きた FTA をめぐる環境変化に対応するものでもあった。
新通商ロードマップでは、韓中FTAの交渉促進が明記されたことが朴槿恵政権の外交にお
ける中国寄り路線との関係で注目されたが、全体のトーンとしてはメガFTAへの対応や既存
FTA の内容充実への力点移動を印象付ける。韓国は、自己の存在が薄まりがちな多国間 FTA
をそれまで敬遠してきたが、積極的な FTA 推進の結果、FTA フロンティアとも言うべき新規
開拓先が少なくなったことでメガFTAに向き合わざるをえなくなっていた。ともあれ、新通
商ロードマップでの多国間FTA重視は、韓国自身がその一員となることへの決意を表明した
ものと解釈できる。ロードマップでは、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)については積
極推進、日中韓 FTA については中長期的な共同体の制度的基盤として推進、そして TPP につ
いては「巨大市場の活用可能性、国内的影響などを深く検討」とされている。
新通商ロードマップで韓国は、中国中心の東アジア統合市場と米国主導の環太平洋統合市
場との間でのハブとしての役割を果たすことを掲げており、そのなかでTPP は米国主導のメ
ガFTAとして描かれている(第 2図)。
新通商ロードマップが発表された後も FTA を推進する動きは続いた。ロードマップ発表 1
ヵ月前に発効した韓国・トルコFTAに続き、オーストラリア、中国、ニュージーランド、ベ
トナムとの FTA が発効した(4)。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 42
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
第 2 図 アジア太平洋地域における経済統合と韓国の役割
TPP
RCEP
ASEAN10、韓、
中、日、イン
ド、オースト
ラリア、ニュ
ージーランド
日韓中
日本
韓中
中国
韓米
韓国
米国
日、オーストラリア、ニ
ュージーランド、シンガ
ポール、ベトナム、マレ
ーシア、カナダ、メキシ
コ、チリ、ペルー
(出所)
関係部署合同(2013)。
2 遅れた韓国の TPP への対応とその背景
(1) TPP に対する韓国の慎重な姿勢
新通商ロードマップでのTPP言及を受け、2013年11月にはTPPに対する関心表明が出され
た。日本の菅直人首相による関心表明(2010年秋)に遅れること3年にして初の参加に向けて
のリアクションであった。韓国にも日本と同様に米国からのTPP 加入の打診はあった模様だ
が、韓国側は長らくこれに応じることはなかった。2013年7月に日本が正式参加した後にTPP
における日米交渉が急進展し、同年内の交渉終結がささやかれていた微妙なタイミングでの
関心表明となった。TPP でのルール決定に参加するといった韓国自身の関心のほか、交渉の
場で日本の存在感が急速に大きくなったことへの焦りが交渉最終盤での関心表明につながっ
たとの見方もあったが、韓国の真意を測りかねる向きも多かった。交渉を主導した日米も最
終盤での交渉の複雑化を懸念して韓国の参加に協力的とは言えなかった。関心表明の後、韓
国はTPP参加国との予備協議に乗り出し、2014年3月の日本との協議を最後にこれを終えた。
その後 TPP 交渉はふたたび停滞し、かえって韓国が参加する環境は好転したが、TPP 参加に
向けた韓国からの目立ったアクションはなかった。
(2) 韓国が TPP を敬遠した 4 つの理由
高度の自由化や原産地規則の域内累積、新たな貿易ルール作りといった TPP の理念・特質
に韓国が魅力を感じないわけではなかった。さらなる輸出の増加、バリューチェーン国際化
の推進や自国に不利なルール作りに声を上げる機会を得るのは確かに韓国とって少なからぬ
メリットである。しかし、実際には韓国はTPP への参加をためらった。その背景としては以
下のような 4 つの要因が挙げられる。
第 1 が、TPP の交渉方式への不信感であった。韓国としては TPP 参加の可否を決めるにあ
たっては関税および非関税分野の交渉状況をもとに韓国経済が受ける得失を綿密に検討した
いと考えていた。しかし、TPP での交渉内容の詳細は参加国の交渉関係者以外には秘密とさ
れ、韓国は TPP の得失不明のまま交渉に飛び込むか、さもなければ進行する交渉を傍観する
かの二者択一を迫られるかたちとなった。結局、韓国は傍観することを選んだのであった。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 43
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
第 2 が、TPP の高い自由化とそれに伴う痛みへの恐れであった。その最たる例はコメであ
った。日本と同様、韓国でもTPP が掲げる高度な自由化を、コメを含む農産物市場の全面開
放と捉える向きは少なくなかった。韓国ではコメを対外経済政策上の聖域とみる意識は強く、
これまでの FTA ではコメの市場開放に一切応じていない。TPP 参加に伴ってコメの開放を迫
られた場合の政治的負担は計り知れなかった。国内産品保護の意識が強く韓米FTAでも完全
開放までに10年以上の長期の猶予を得た酪農製品、果実類、香辛料、麦類、そして関税以外
の部門では公営企業への優遇(競争政策)などについても市場開放やさらなる改革に対する
抵抗感があった。
自由化への恐れと関連して、米国に対するさらなる市場開放への拒否感もあった。韓米
FTA ではコメ以外の品目は最終的に自由化することとなったほか、2010年の追加交渉では韓
国側が当て込んでいた自動車に対する免税が 4 年間棚上げとされるなど、韓国には韓米 FTA
で米国には最大限譲歩したとの思いが強かった。また、2011 年秋の韓米 FTA 批准の際には
「毒素条項説」を押し立てた激しい反対を押し切って国会での採決を強行した経緯があった。
(5)
韓米 FTA 交渉を開始する前には米国が提示した国産映画上映義務の緩和など「四大条件」
を飲まされた記憶とも相まって、韓国が TPP に後から参加するとなれば米国がコメ開放のよ
うな韓国にとって大きな負担となる難題を突き付けかねないとの懸念があったのは確かだ。
第 3 が、TPP のもたらす経済的利益が少ないと判断したことであった。2013 年 11 月の TPP
への関心表明の段階で、韓国はTPPの当初参加12ヵ国のうち米国、シンガポール、ベトナム
など 7 ヵ国との間ですでに FTA が発効していた。とりわけ、TPP 参加国のなかでも韓国が最
も重視する米国との間では高度の自由化を定めた韓米 FTA が発効しており、TPP 発効に伴う
追加的なメリットは多くないとみられていた。
この段階でFTAが未発効であったのは日本、メキシコ、カナダ、オーストラリア、ニュー
ジーランドの 5 ヵ国であった。日本に関しては、TPP が事実上の日韓 FTA となることへの警
戒感が強い。自動車を中心に韓国市場開放への根強い反対論があるうえ、サムスン電子の家
電や現代自動車の乗用車が早々に日本市場から撤退(6)したことからもわかるように、韓国企
業は日本市場の攻略をことのほか苦手としている。TPP を契機として日本市場を本格的に攻
略しようとの機運が生じているようにはみえない。
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドという 3 つの英連邦諸国についても 2014 年以
降、次々と韓国との FTA が発効しており、TPP による追加的なメリットは少ない。これら 3
ヵ国はいずれも農産物貿易の自由化を主張する「ケアンズグループ」に属し、過去のFTA交
渉では韓国の農産物市場開放を強く求めてきた。韓国とこれら 3 ヵ国の FTA 交渉は主張がか
み合わず一時中断した経緯がある(第2表)。ところがこれらのFTA交渉は2013年11月のTPP
関心表明を前後して再開され、2015年12月までに相次いで妥結・発効した。一度は難航した
FTA 交渉が比較的短い期間で妥結・発効した背景には、発効時期が読めない TPP を待たずに
これら 3 ヵ国と韓国の市場開放の実績を得ようとする関係諸国の利害一致があり、また韓国
にとっては TPP よりも低い水準での韓国市場開放という既成事実作り、そしてあらかじめ
FTA を結んでおくことで来るべき TPP 参加交渉において農産物自由化の意識が高いこれらケ
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 44
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
第 2 表 韓国の米中およびTPP参加国との間のFTA推進状況
2003
韓米・TPP
韓中
FTAロードマップで「中長期的
に推進」
FTAロードマップで「中長期的
に推進」
民間共同研究開始
2005
2006
交渉開始(6月)
民間共同研究終了(11月)
2007
妥結(4月)、署名(6月)
産官学共同研究開始(3月)
韓・カナダ、韓・メキシコ交渉中
断(―13年)
2008
李大統領が推進指示(4月)
産官学共同研究終了(5月)
韓・オーストラリア、韓・ニュー
ジーランド交渉中断(―13年)
発効(3月)
韓 中 首 脳 が 交 渉 開 始 で 合 意( 1
月)、交渉開始(5月)
韓、ベトナム交渉開始(9月)
新通商ロードマップでTPPに言
及(6月)、TPPに関心表明(11月)
新通商ロードマップで交渉完結
を掲げる(6月)
2010
追加交渉妥結(12月)
2011
批准(11月)
2012
2013
2014
2015
カナダ、オーストラリア、
ニュージーランド、メキシコ、ベトナム
TPP基本合意、朴大統領がTPP
参加の意思表明(10月)
交渉妥結宣言(11月)
韓・オーストラリアFTA発効(12月)
署名(6月)、批准(11月)、
発効(12月)
韓・カナダFTA発効(1月)、韓・
ニュージーランド、韓・ベトナム
FTA発効(12月)
韓・メキシコ首脳、FTA実務協議
再開で合意(4月)
2016
(出所)
韓国政府FTAポータルサイト〈http://fta.go.kr〉の各FTA推進日誌を基に筆者作成。
アンズグループ諸国からの圧力を削いでおく狙いがあったとみられる。
メキシコに関しても、2016 年 4 月の朴大統領のメキシコ訪問で FTA 交渉の再開に向けた実
務協議に合意している。仮にこれが FTA 交渉の再開、ひいては妥結、発効につながれば TPP
への参加そのものがもたらす追加的なメリットはさらに小さくなると考えられる。
第 4 が、対中配慮であった。これに関してはしばしば韓国が韓中 FTA の推進を TPP よりも
先行させたことが指摘される(第2表)。2015年10月のTPP大筋合意の直後、崔
煥経済副首
相は「2008 年に米国が TPP 参加を宣言した際、韓米はすでに FTA 交渉がまとまっていたが、
中国とはFTA交渉を進めようとしていた状況だった。李明博政権は中国との交渉に集中する
のが望ましいと判断した」と説明した(7)。こうした考えは朴槿恵政権にも引き継がれた。朴
政権は中国のもつ貿易・投資面での重要性や朝鮮半島情勢における北朝鮮への説得力を重視
して対中傾斜を深めた。最近もアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加や、中国の戦勝 70
周年パレードへの参加など韓国の対中傾斜を印象付ける出来事が続いた。このような朴政権
にとって、中国の経済的膨張に対する日米の対抗措置としての側面もあったTPP にそう易々
と参加するわけにはいかなかった。オバマ米大統領は「中国ではなく米国が21世紀の世界貿
易の秩序を描いていく必要がある」
(2015 年 2 月 21 日のラジオ演説)と述べたほか、対中牽制
とTPP を絡めた考え方をたびたび示している。
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 45
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
3 TPP 大筋合意の衝撃
(1) TPP 交渉を傍観した政府への非難が噴出
2015年10月、TPPは大筋合意に達した。TPPの早期合意は難しいとみていた韓国としては、
仕上げの段階を迎えていた韓中 FTA を発効させてから TPP に取り組もうとしていたようだ。
TPP 交渉の予想外に早い決着で、韓国は急遽 TPP への対応に追われることとなった。韓国内
には TPP 交渉の進展を傍観した政府に対する非難が渦巻いていた。
TPP 大筋合意の 2 日後、韓国国会外交統一委員会では怒号が響き渡っていた。
「TPP が合意したとの報道を聞いて政府が右往左往するのには失望しました。こんなことも予
見できなくてどうするんですか!」
これは2015年度国政監査の席上、野党・新政治民主連合の沈載権議員が尹炳世外交部長官
を詰問したときの発言である。ほかの議員らも「政府は TPP 交渉がこんなに早く進行すると
は予測できなかった」
「今まで何度も参加するチャンスはあったのに、政府に方針がなく好機
を逸した」などと、与野党の別なく口々に韓国政府のTPP への対応が後手に回ったことを批
判したのであった。大筋合意後の韓国各紙の論調においても、やはり多くは政府の判断ミス
を指摘するものであった。
(2) TPP 創立メンバーとなれなかったことへのショック
TPP の大筋合意の報に接し、韓国内で噴出した政府批判の背景には、韓国がアジア太平洋
における本格的メガFTAであるTPPの創立メンバーとなれなかったことへのショックがある。
まず、アジア太平洋地域での貿易ルール決定から外されたことへのショックである。WTO
を上回る高い自由化水準を誇り、これからの時代の世界の貿易・投資ルールを先導するとも言
われるTPPの創立当初の交渉から外された現実に韓国は否応なしに直面することになった。輸
出依存的な経済成長構造をもち、主要企業の海外進出が相次ぐ韓国としては、今後の貿易・
投資ルールを左右しかねない TPP での議論に加われなかったことの衝撃は小さくなかった。
また、TPPの追加的なメリットは少ないとの政府の見立てにもかかわらず、合意後にはTPP域
内での原産地規則の完全累積など、企業のバリューチェーンの国際化に対応した域内貿易促
進効果と、域外国としての韓国が直面する貿易転換効果が多く論じられるようにもなった(8)。
もう一つのショックは、アジア太平洋でのメガFTAの主導権を日本に奪われたことであっ
た。主要先進国相手に果敢な交渉に打って出て数々の成功を収めてきた韓国には、
「北東アジ
アにおける FTA 先進国」とでも言うべき自負があった。FTA に関して言えば、国内農業の保
護に汲々として FTA に消極的であった日本を内心低くみていた。日本が TPP交渉の土壇場で
米・オーストラリア間の新薬データ保護期間をめぐる対立を仲裁して交渉終結に大きく貢献
したことは、それまでの日本のイメージとは大きく異なって意外であったと同時に、
「FTA先
進国」としての韓国のプライドにかかわる出来事となった。
(3) TPP 入りの方針を急遽固めた韓国
TPP大筋合意直後の10月6日、崔
煥経済副首相は国会企画財政委員会の国政監査の席上、
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 46
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
議員の質問に答えるなかでTPP と関連して「いかなるかたちであれ、メガ FTA に参加する方
向で検討する」と述べた。この時点で、韓国は自身のTPP参加において日米が言わば「鬼門」
とみていた。このため、朴槿恵大統領が10月から11月にかけて開かれることになっていた日
米首脳との会談で直接韓国の TPP 入りへの協力を求めた。日米首脳は韓国の TPP 参加につい
てひとまず前向きの反応を示したが、対中傾斜が目立つ韓国からの協力要請とあって、日米
の支援姿勢には本音と建前の乖離があることは否めない。
10月の韓米首脳会談では採択文書がTPPに言及したが、オバマ米大統領は記者会見で韓国
のTPP参加には言及しなかった。また、11 月の日韓首脳会談では、安倍晋三首相はその場で
韓国の TPP 加入に向けた協力を言明せず、帰国後に「韓国が TPP の新ルールを受け入れるな
らば歓迎」と、条件付きの支援姿勢を打ち出している。
韓国政府が TPP 参加に動き出すなか、2014 年 11 月には産業通商資源部内に「TPP 対策団」
が組織され、TPP 発足後早い時期の参加に向けた準備が始まっている。
(4) TPP 合意内容に対する韓国政府の分析・反応
TPP大筋合意から1ヵ月が経過した11月5日には協定文が公開された。これを受け、韓国政
府は TPP に関する影響分析を加速させた。通商産業資源部がこの日発表した暫定的な所見(9)
としては、以下のような諸点が盛り込まれていた。
① TPP の自由化率はほかの先進国との FTA と同水準
自由化率は約 95 ― 100%(品目数基準)で、韓米、韓 EU、韓・オーストラリア、韓・カナ
ダなど対先進国 FTA の自由化(98― 100%、品目数基準)と同水準である。
② 米国市場の工業品では対日優位を確保
TPP 協定上、米国の対日譲許・即時撤廃率(輸入額基準)は 67.4% であるのに対し、韓米
FTAでは2017年初の時点で韓国の対米輸出の95.8%(輸入額基準)がすでに無税化されること
になっており、米国市場での対日劣位が直ちに生じることはない。
③ 韓米 FTAには存在しない新たなチャプター、開放強化部分への対応が必要
新チャプターとしては、ビジネス関係者の一時的入国、協力および能力開発、競争力・ビ
ジネス円滑化、開発、中小企業、規制の整合性などがあり、開放強化が必要となるものとし
ては国有企業、環境(水産補助金)、衛生および植物衛生措置(SPS)、知的財産権などの一部
が挙げられる。
④ TPP はグローバル規範
韓国経済の関連制度改善の観点から、積極的な検討が必要となる。韓国が TPP に参加する
場合、サービス・投資市場と政府調達市場開放幅の拡大、知的財産権、電子商取引などの規
範と制度の統一・先進化などにより、中小企業を含めた韓国企業の輸出と投資進出など肯定
的な影響を与えると予想される。
これらを要約すれば、競争力・国有企業など一部分野での対応が必要となるが、米韓 FTA
で相当高度の自由化を達成していることや、米国市場での対日優位も当初は確保できる見通
しであるため、TPP 加入は急ぐ必要はない。ただし、サービス・投資部門や知的財産権など
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 47
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
第 3 表 主要産業へのTPP加入時の影響
自動車
韓米FTAにより2016年から対米自動車輸出が免税。対日優位は継続。
TPP加入でベトナム、メキシコ、マレーシアへの輸出増が期待され
るも、韓国市場での対日輸入増加に懸念。
自動車部品
韓米FTAにより対米輸出はすでに即時関税撤廃。日本の対米輸出の
即時撤廃は80%。TPP加入でベトナム、マレーシア、メキシコの関
税撤廃効果大。対日輸入増加に懸念。
繊 維
累積規定によるベトナムへの拠点移動のメリットが増大。日米への
迂回輸出にうまみ。バリューチェーン集約による利得を期待。最大
の受益部門。
電子、半導体、
ディスプレー、鉄鋼など
ITA、家電メーカーの海外への拠点移転、既存FTAなどのため追加
メリットは少ない。ベトナム、マレーシア、メキシコ向けのプレミ
アム家電、鉄鋼製品輸出に多少の期待。
(出所)
産業通商資源部(2015)。
関連制度改編が不可欠となるため、今のうちから準備する必要がある、といったところであ
ろう。懸念されていた農産物の市場開放に関しては、日本がコメの自由化に関して米・オー
ストラリア向けに最大で合計 8 万トン弱の無税輸入枠を設けることで対応したほか、総品目
数の5%にあたる除外を勝ち取っている。TPP加入に伴う市場開放に向けた新たな準備はそれ
ほど必要なさそうである。
主要産業への影響としては、自動車、自動車部品、繊維、電子等について挙げている(第
。米国市場でのメリットが最も大きい自動車については、韓国車が2016年から免税とな
3表)
る一方、日本車は TPP 発効後 20 年にわたっての段階的関税引き下げしか得られない状況で、
韓国の優位が当分続くとみられる。ベトナム、メキシコなどへの韓国車輸出の伸びも多少期
待できるが、韓国市場での対日輸入増加がどのぐらいになるかが懸念される。韓国では、す
でに総販売台数の約 1 割が外国車で、その多くを欧州車が占めている。欧州車人気が定着す
るなか、TPP 発効当初は日本車への大々的な需要シフトが起こるとは考えにくいが、中長期
的にはその影響が懸念される。
多くの論者が懸念するのが米国市場における自動車部品の対日競争である。米国では日本
製の自動車部品の 8 割が TPP 発効と同時に関税撤廃の対象となるほか、ベトナム、マレーシ
ア、メキシコでも対日競争に直面することとなりそうである。
繊維については、原産地規則の累積規定の影響により、賃金が比較的安く繊維産業が多く
立地しているベトナムへの拠点移動にメリットが出てこよう。TPP 未参加の現時点では、繊
維産業での原産地累積規定は韓国企業にとっての影響が最も大きく出る要因の一つであるが、
TPP 参加が決まると一転、大きなメリットをもたらす要因に転化しよう。
一方、電子、半導体、ディスプレーなどは情報技術協定(ITA)による関税免除が確立して
いるため、TPP によるメリットは限定的とみられる。鉄鋼製品の輸出は多少の増加が期待さ
れる。
4 韓国の TPP 参加をめぐる今後の展望
TPPは2016年2 月に参加12ヵ国が署名し、今後の焦点は各国での批准に移った。高度の自
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 48
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
由化で少なからぬ痛みを伴うため、各国議会での批准は予断を許さない。これはとりもなお
さず TPP 発効の時期がそれほど近くないことを意味する。
韓国では、2015年10月の大筋合意から半年余りを経てパニック的状況から抜け出し、TPP
をめぐる自国の状況を冷静に見つめる論調が増えている。有識者らの見方は、アジア太平洋
地域のメガ FTA からの孤立を避けることや国内改革がもたらす効率性向上などの観点から
TPP への参加を推奨するのが主流ではあるが、拙速な対応をつつしみ、参加国との個別 FTA
の推進・アップグレードや国内制度の見直しを TPP 発効の時までに進めることで、韓国が
TPP に参加した際の衝撃を最小限にするよう努力すべきであるといったものに変わりつつあ
る(10)。TPPが発効する際、第三国としての韓国経済への影響については、年間の輸出が1.0%、
GDP が 0.3% それぞれ減少するという韓国貿易協会の分析(11)が各種予測のコンセンサスに近
い。
韓国の TPP 参加・不参加の影響についての見方が定着するにつれ、韓国の TPP 参加の時期
についても取りざたされるようになっている。2月1日に開催された第7回通商交渉民間諮問
委員会では、2018年頃の参加という線が示された模様である。参加12ヵ国での批准に時間が
かかるとの読みに基づくもので、この間の準備を効率よく実施するためにサービス・投資分
野など関連制度を整備する計画である。また年内に「TPP ロードマップ」を作り、加入手続
きと時期を確定することにした(12)。今後の韓国の TPP 参加を考えるうえでは、米国の動きが
懸念材料となっている。米国は、韓国の TPP 参加に当たって為替レートの人為的操作をしな
いことや韓米 FTA の完全履行を求めている。為替レートに関しては、2 月 27 日の韓米財務相
会談で、ルー米財務長官が柳一鎬経済副首相に「韓国の為替政策を懸念している」と発言し
たうえで、米国議会を最近通過した、為替操作国に貿易報復措置をとることができるベネッ
ト・ハッチ・カーパー修正法案に関する説明も付け加えたという(13)。4 月 15 日にも同様のや
り取りがあったという(14)。また、韓米FTA の完全履行に関しては、オリン・ハッチ米上院財
務委員長が 3 月 2 日に安豪栄駐米大使側に当てた書簡で「韓国が TPP に参加するには、韓米
FTA の完全履行のために努力しなければならない」としたうえで、韓国政府の履行が振るわ
ない項目として、保険薬価の決定過程の透明性向上、公正取引委員会の調査の透明性向上、
法律サービス市場の開放、政府機関の違法複製ソフトウェアの使用禁止、金融情報の海外委
託規定など 5 種類を挙げた。こうした米国の動きは、韓米 FTA の交渉開始のための四大条件
を設定して韓国にその履行を迫ったのと経過が酷似する。
「歴史は繰り返す」の言葉をあらた
めて思い出す次第である。
( 1 ) 韓国では FTA 推進の成果を測るにあたって、しばしば「経済領土」という概念が用いられる。
FTA によって韓国企業が自国と同じような自由な経済活動ができるようになった相手先を経済活動
上の「領土」と捉えた表現である。実際にはFTA締結先の経済規模の世界シェアである「経済領土
比」が用いられることが多い。FTA 推進の成果を測るほかの指標としては、輸出入総額に占める
FTA 相手先向けの比率(FTA カバー率)も用いられる。
( 2 ) 一例として、2011 年秋の韓米 FTA 批准の際の「毒素条項説」への韓国政府の対応が挙げられる。
反対派はISDS(投資家と国との間の紛争解決条項)による主権侵害や水道・電気などライフライン
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 49
韓国の TPP 参加表明―その背景と見通し
の外資支配による不安定化、学校給食における地産地消の差し止めなどを世論に訴えて韓米FTAの
批准を阻もうとしたが、政府はこれらが協定内容の誤解に基づくものであることを丁寧に説明して
いった。
( 3 ) 産業通商支援部が運営する FTAポータルサイトでは、主に中小企業向けに実施されている FTA活
用支援を網羅するリンク集が掲示されている。これら支援策の例としては、韓国貿易協会が運営す
る「FTA総合支援センター」がある。ここでは、中小企業によるFTA活用事例の紹介やFTAにまつ
わるコンサルティングを提供している。
( 4 ) 新通商ロードマップ以降、朴槿恵政権の経済政策におけるFTA、とくにメガFTAの位置づけにつ
いては、百本(2016)が詳しい。
( 5 ) 米国が韓米FTAの交渉開始に際して韓国に提示したとされる四大条件は、それまでも両国間の経
済懸案として存在していたものであり、具体的には国産映画の上映義務比率(スクリーンクォータ)
の緩和、牛肉の対米輸入再開、薬価算定基準改正作業の見直し、排ガス規制の緩和などであった。
韓米FTA交渉開始前の2005年の段階では、米国で2003年に牛海綿状脳症(BSE)が発生した関係で
米国産牛肉の輸入は禁止されていた。また、薬価に関しては韓国産を中心とするジェネリック医薬
品の使用を奨励しようとしていた。詳しくは、奥田(2007)
、32―35 ページを参照。
( 6 ) サムスン電子の家電については、2007 年に日本市場での販売から撤退し、現代自動車の乗用車も
2009年に撤退している。得意分野の重複や消費者の選別眼の厳しさや特殊な嗜好などが苦戦の原因
であった。
( 7 )『朝鮮日報』2015年10 月7 日付(電子版)を参照。
( 8 ) たとえば、
「TPP参加国同士が部品購入して使用しても自国産…原産地障壁低まり韓国は輸出不利」
『中央日報』
(2015年11 月6 日)を参照。このほかにも、累積原産地規定が域内での生産・販売の完
結を誘導し、韓国など域外国が疎外されることを指摘する議論が多く出ている。
( 9 ) 産業通商資源部(2015)を参照。
(10)『中央日報』2016年2 月2 日を参照。
(11) 国際貿易研究院(2016)を参照。
(12)『韓国経済新聞』2016年 2月 2 日を参照。
(13)『中央日報』2016年3 月7 日を参照。
(14)『中央日報』2016年4 月18 日を参照。
■参考文献
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、アジア経済研究所。
関係部署合同(2013)
「
新
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「
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」
[韓国語]
。
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正式署名)
」
、韓国貿易協会[韓国語]
。
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T/F』
(TPP)
…
『
…(TPP協定文公開…政府、
『協定文分析タスクフォース』で精密検討
に着手…)
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[韓国語]
。
『ITI 調査研究シリー
百本和弘(2016)
「朴槿恵政権の FTA 政策―韓中 FTA と TPP への対応を中心に」
ズ』No. 29、国際貿易投資研究所。
おくだ・さとる 亜細亜大学アジア研究所教授
http://www.asia-u.ac.jp/laboratory/
国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 50
會田 裕子・大野圭一郎 編
細川 洋嗣 (共同通信)
Ⅰ 国際関係/Ⅱ 日本関係/Ⅲ 地域別
2016 年 4 月 1 日− 30 日
Ⅰ 国際関係
04 ・ 01 50 ヵ国以上の首脳らが参加して開かれた第 4 回核安全保障サミットが核物質や核施
設の防護・保安は国家の根本的な責任だとし核テロ阻止の取り組みを「永続的な優先課
題」と位置付けるコミュニケを採択、閉幕(← 3 月 31 日、ワシントン)、日米両政府は
同サミットで核テロ阻止に向けた協力強化策を盛り込んだ共同声明を発表
オバマ米大統領がイラン核問題解決に向けた最終合意をまとめた欧米など 6 ヵ国による
首脳会合を開き合意の着実な履行を確認(ワシントン)
05
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が 2015 年の世界の軍事費が前
年比 1% 増の 1 兆 6760 億ドル(約 186 兆円)だったと発表、1 位は米国で 2.4% 減の 5960
億ドル、2 位中国は 2150 億ドルで 7.4% の増、前年 4 位だったサウジアラビアが 3 位に上
昇し 5.7% 増の 872 億ドル、ロシアが 4 位で 7.5% 増の 664 億ドル
06 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが 2015 年の世界の死刑に関する報告書
を発表、25 ヵ国・地域で前年比 54% 増の少なくとも 1634 人の死刑執行、日本は 3 人
WHO が 2014 年の世界の糖尿病人口(18 歳以上)が推定 4 億 2200 万人に達し 1980 年の推
定 1 億 800 万人から 34 年間で約 4 倍に増えたとの報告書を発表
07
WTO が発表の 2015 年の貿易統計によるとモノに限った中国の貿易総額が 3 兆 9570 億ド
ル(約 430 兆円)と 3 年連続で首位、2 位から 4 位は米国、ドイツ、日本
11 先進 7 ヵ国(G7)の外相が広島市の平和記念公園を訪れ原爆資料館を見学、慰霊碑に献
花、原爆投下国の米国など核保有国の現職外相による訪問は初、外相会合は各国指導者
の被爆地訪問を希望する「広島宣言」を発表し閉幕(← 10 日)
13 世銀が国際金融機関アジアインフラ投資銀行(AIIB)と協調融資を実施することで初合
意、AIIB が 2016 年に実施する総額約 12 億ドル(約 1300 億円)の融資に世銀が参加
ユニセフが OECD や EU に加盟する 41 ヵ国の子どもがいる世帯の所得の格差を数値化し
小ささを順位付けした調査報告書を発表、最も格差が小さかったのはノルウェーでアイ
スランド、フィンランドと続き日本は 34 位
14 ユネスコが執行委員会で記憶遺産の運用指針となるガイドラインの改定に関する決議を
採択、
「透明性の確保」
「論争につながる可能性への配慮」などを明記、旧日本軍による
「南京大虐殺」の資料の登録で日中間の対立を招いたことから改定を決定
15 北朝鮮が日本海側で新型中距離弾道ミサイル「ムスダン」
(射程 2500 ― 4000 キロ)と推
定される弾道ミサイルの初の発射実験を実施、24 日、北朝鮮の朝鮮中央通信が潜水艦発
射弾道ミサイル(SLBM)の水中からの試験発射を実施し「再び成功」と報道、韓国側
は失敗との見方、国連安保理が「強く非難する」との報道声明を発表、28 日、ムスダン
と推定される弾道ミサイルを 2 発発射、韓国軍によるといずれも失敗、習近平中国国家
主席がアジア相互協力信頼醸成会議(CICA)外相会合の開幕式で演説、北朝鮮の核問
題に関し中国は朝鮮半島で戦争や混乱が起きることを「絶対に許さない」と強調、核実
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国際問題月表
験やミサイル発射を続ける北朝鮮を牽制(北京)
20 ヵ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が国際的な課税逃れを阻止するため連
携強化の声明を発表、景気を下支えする政策総動員でも合意し機動的な財政出動の活用
を強調し閉幕(← 14 日、ワシントン)
17 OPEC のサウジアラビアなど主要産油国が原油安の要因である供給過剰の緩和に向け増
産凍結を目指し協議したが合意できず、サウジが増産凍結を拒否するイランの参加を求
め足並みに乱れ(ドーハ)
19
日本と米国、韓国が外務次官協議を開き 5 回目の核実験の兆候がみられる北朝鮮に対し
圧力を強化することが重要との認識で一致(ソウル)
20
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)が 2016 年の世界各国の
報道自由度ランキングを発表、1 ― 3 位はフィンランド、オランダ、ノルウェー、米国
41 位、ロシア 148 位、中国 176 位、北朝鮮 179 位、最悪の 180 位はエリトリア、日本は特
定秘密保護法などの影響で「自己検閲の状況」として前年の 61 位から 72 位に
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民や移民を乗せた大型の密航船が地中海で
沈没し約 500 人が死亡した恐れがあるとの声明を発表
22
国連が温暖化対策の新枠組み「パリ協定」の署名式を開催(ニューヨーク)、日本や米
中など 175 ヵ国・地域が署名、国際条約・協定の署名初日に調印する国の数で過去最多
【IS 関連情勢】
04 ・ 01
オバマ米大統領が核安全保障サミットで過激派組織「イスラム国」(IS)が核を使
ったテロを起こす可能性を警告、各国の情報共有を強化し連携を深める方針を表明
05 ラブロフ = ロシア外相がシリア和平協議仲介役のデミストゥラ国連特使と会談しアサド
政権と反体制派の直接対話の必要性を訴え、国連仲介を全面的に支援と表明(モスクワ)
ロジャーズ米サイバー軍司令官が IS による米国や同盟国に対するテロ攻撃を防ぐため IS
にサイバー攻撃を仕掛けていると米上院軍事委員会の公聴会で証言
08
ケリー米国務長官がイラクの首都バグダッドを予告なしに訪問、アバディ首相やジャファ
リ外相らイラク政府高官のほか同国北部クルド自治政府トップのバルザニ議長とも会談
13 オバマ大統領が国家安全保障会議(NSC)を開き IS 対策を協議、会議後に声明で IS 幹部
の殺害を含む掃討作戦の加速を表明
17 シリア地元紙『アルワタン』によるとシリア選挙管理当局が人民議会選挙(13 日)の結
果を発表、アサド政権を支える与党バース党を中心とする統一名簿の立候補者 200 人全
員が当選し圧勝
18 オバマ大統領がプーチン = ロシア大統領と電話でアサド政権と反体制派の戦闘が再燃し
たシリア情勢を協議、一時停戦を維持するため緊密に連携することで一致
19
シリア北西部イドリブ県で野菜市場などを狙った空爆がありシリア人権監視団(英国)
によると民間人少なくとも 44 人死亡、2 月末の一時停戦発効後一度の攻撃では最大規模
の被害
20
オバマ大統領がサルマン = サウジアラビア国王と会談(リヤド)、両国の戦略的関係の
重要性を再確認、オバマ氏が IS 対策強化の重要性を強調
21 オバマ大統領が湾岸協力会議(GCC)首脳会議に出席し「われわれは IS との戦いで団結
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している、多くの分野でわれわれの関係は深化している」と発言(リヤド)
24 オバマ大統領がメルケル = ドイツ首相と会談(ハノーバー〔ドイツ〕
)
、会談後にオバマ
氏がシリアでの戦闘再燃に深い懸念を示した
25 オバマ大統領が IS 掃討作戦への支援を強化するため特殊部隊を中心に最大 250 人の米軍
要員を追加派兵する方針を表明(ハノーバー)、28 日、シリア外務省が追加派兵方針を
非難する声明発表
シリアの首都ダマスカス近郊でイスラム教シーア派地区を狙った車爆弾テロがあり保健
省当局者によると少なくとも 15 人死亡、80 人以上負傷、IS 系のニュースサイトが「IS
の兵士が政権軍兵士を狙って車を爆発させた」と報道、事実上の犯行声明
29
シリア人権監視団がシリア北部アレッポでの政府軍と反体制派の過去 7 日間の戦闘で子
どもを含む民間人少なくとも 202 人が死亡と発表、政府軍による「連続虐殺」と非難
30 バングラデシュの中部タンガイル近郊の村で少数派ヒンズー教徒の男性が刃物で殺害さ
れ IS が犯行声明
【パナマ文書】
04 ・ 03 プーチン = ロシア大統領周辺の人物らがタックスヘイブン(租税回避地)の企業を
使って巨額融資を受けるなど総額約 20 億ドル(約 2200 億円)の金融取引をしていたこ
とが「国際調査報道ジャーナリスト連合」
(ICIJ)が入手したパナマの法律事務所の内部
文書(パナマ文書)で判明、グンロイグソン = アイスランド首相やサッカーのメッシ選
手、香港の俳優ジャッキー・チェンさんら各国の指導者や著名人が税率がゼロかきわめ
て低い租税回避地を利用している実態も浮上
05 習近平中国国家主席の姉の夫がタックスヘイブンとして有名な英領バージン諸島のペー
パーカンパニー 2 会社のオーナーになっていたことがこの日までに判明、中国共産党序
列 5 位の劉雲山政治局常務委員と同 7 位の張高麗筆頭副首相の親族もタックスヘイブン
にある法人を利用していたことが判明
07 グンロイグソン首相が辞任、プーチン大統領が汚職疑惑を否定、キャメロン英首相が亡
父がパナマで開設したファンドに一時投資していたことを認めた
13
OECD が加盟各国の財務当局者を集めた緊急会合を開き課税逃れの包囲網を強化するた
め租税回避地に関して情報共有の強化を進めることで一致(パリ)
15 法人設立への関与が指摘されたソリア = スペイン産業・エネルギー・観光相が辞任表明
19
IMF など 4 機関が国際的な課税逃れの防止で協力すると発表、銀行の口座情報を交換す
る枠組みへの参加を目指す国に対し国際的な税務の知識を提供するなどして支援
Ⅱ 日本関係
04 ・ 01 家庭が電力会社を選べるようになる電力小売りの全面自由化が開始、東京電力や関
西電力など大手電力 10 社の地域独占が崩れ約 8 兆円の市場が開放
企業や自治体に女性の登用目標など行動計画の策定・公表を義務付けた女性活躍推進法
が全面施行
06 九州電力の川内原子力発電所(鹿児島県)の周辺住民らが再稼働差し止めを求めた仮処
分申し立ての即時抗告審で福岡高等裁判所宮崎支部が差し止めを認めなかった鹿児島地
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国際問題月表
方裁判所決定を支持、住民側の抗告棄却
国政選挙や地方選挙の投票日に駅やショッピングセンターなどに設置される「共通投票
所」で有権者が投票できるようにする改正公職選挙法が参議院本会議で可決、成立
安倍晋三首相がポロシェンコ = ウクライナ大統領と会談(東京)、ウクライナ情勢をめ
ぐる和平合意の完全履行を要請
13 IMF が各国の財政状況を分析した報告書を発表、日本に機動的な景気対策の実行を可能
にするためにも消費税率を予定どおり 2017 年 4 月に 10% へ引き上げるべきと提言
14
午後 9 時 26 分に熊本県熊本地方を震源としてマグニチュード(M)6.5 の地震が発生、
16 日午前 1 時 25 分には M7.3 の地震、同県益城町ではいずれも震度 7 を記録、気象庁に
よると同じ場所で震度 7 が起きたのは観測史上初、死者は 28 日までに熊本県で 49 人、
震災関連死とみられる人は 16 人、政府が 25 日の持ち回り閣議で激甚災害に指定
東京地方検察庁特捜部が 2014 年の東京都知事選後に運動員へ法定外の報酬を支払ってい
たとして公選法違反(運動員買収)の疑いで落選した元航空幕僚長の田母神俊雄容疑者
ら 2 人を逮捕
19 政府が人口減少対策の 5 ヵ年計画「地方版総合戦略」を 47 都道府県と 1737 市区町村の計
1784 自治体が 3 月末までに完成させたと発表
日本における言論・表現の自由の現状を調べるため来日したデービッド・ケイ国連特別
報告者が記者会見し特定秘密保護法で報道は萎縮しているとの見方を示しメディアの独
立が深刻な脅威に直面していると警告
20 三菱自動車が燃費試験で意図的に燃費を良くみせる不正行為があったと発表、対象は計
62 万 5000 台、26 日、同社は調査内容を国土交通省に報告し 1991 年から約 25 年間にわ
たり法令と異なる不正な試験方法で燃費データを計測していたと発表、米環境保護局が
三菱自動車に対し米国で販売した車について燃費データに関する追加試験を新たに行な
うよう命じることを明らかに
安倍首相がバレラ = パナマ大統領と会談(東京)、企業の課税逃れを防止するための情
報交換を可能とする協定締結に向け早期の協議入りで合意
21 全国の警察が 2015 年度に実施した取り調べのうち裁判員裁判対象事件で全過程の録音・
録画(可視化)を試行したのは 1543 件だったことが警察庁のまとめで判明、実施率は
48.6% で 2014 年度の 17.6% から大幅増
22 高市早苗総務相が靖国神社を春季例大祭に合わせ参拝、超党派議員連盟「みんなで靖国
神社に参拝する国会議員の会」も参拝、安倍首相は 21 日に「真榊」と呼ばれる供物を奉納
24 夏の参院選の前哨戦となった衆院北海道 5 区、京都 3 区の補欠選挙が投開票され北海道 5
区は自民党新人の和田義明氏、京都 3 区で民進党前職の泉健太氏が勝利
25 ハンセン病患者の「特別法廷」問題で最高裁判所が調査報告書を公表、審査せずに法廷
設置を許可した手続きを違法と認め元患者らに謝罪、記者会見で違憲の疑いを指摘した
が報告書では憲法判断は避けた
26 政府が閣議で 2015 年の特定秘密保護法の運用に関する報告書を決定、秘密を扱う公務員
らの身辺を調べる「適性評価」の対象となったのは 9 万 6714 人で拒否した職員らが 38 人
だったと明記
27 原子力規制委員会が北陸電力志賀原発(石川県)1 号機原子炉建屋直下を通る断層を「活
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断層」と指摘した有識者調査団の評価書を受理
28 宇宙航空研究開発機構(JAXA)が 2 月に打ち上げたエックス線天文衛星「ひとみ」の運
用断念を発表、人為ミスと搭載ソフトの問題が重なり 3 月に軌道上で異常な速度で回転
して太陽電池パネルが脱落したと推定
日銀が金融政策決定会合でデフレ脱却の目安となる 2% の物価上昇目標の達成時期を
「2017 年度前半」から「2017 年度中」に再び先送り
Ⅲ 地域別
●アジア・大洋州
04 ・ 02 ベトナム国会がチュオン・タン・サン国家主席の後任にチャン・ダイ・クアン公安
相を選出、ベトナム共産党内での序列は党トップの書記長に次ぐ事実上のナンバー 2、7
日、ベトナム国会がグエン・タン・ズン首相の後任にグエン・スアン・フック副首相を
選出、9 日、新内閣が発足
04 カンボジア下院が内閣改造案を賛成多数で承認、1990 年代から外相を務めるホー・ナム
ホン副首相兼外相が外相職を外れ新外相にはプラク・ソコン郵政相が就任
05 ミャンマー下院が国政全般について助言を行なう「国家顧問」の役職を新設しアウン・
サン・スー・チー外相を任命するとの法案を可決、スー・チー外相は兼任を 4 閣僚から
2 閣僚に減らし教育相、電力・エネルギー相は別の人物に
スー・チー外相が王毅中国外相と会談(ネピドー)、新政権発足後スー・チー氏が外国
閣僚と会うのは初
中国政府が海外で購入した商品に課す関税を引き上げ、税関当局が空港での検査を強化、
政府は「爆買い」が国内消費の低迷要因になっているとみており関税引き上げにより国
内での買い物を促す狙い
韓国統一省が北朝鮮が国外に設けたレストランの男性支配人 1 人と女性従業員 12 人の計
13 人が集団で韓国に亡命したと発表、7 日、13 人がソウルに到着
07 スー・チー外相が新設の役職「国家顧問」として声明を出し政治犯を早期釈放する方針
を表明、8 日、中部バゴー地域の司法当局がテイン・セイン前政権下で抗議デモを行な
って拘束されていた学生活動家ら 60 人以上を釈放
10 インド南部ケララ州コーラム近郊のヒンズー教寺院で大規模な爆発を伴う火災があり少
なくとも 110 人死亡、300 人超負傷、祭りの花火の火が倉庫に燃え移り爆発
香港民主化を求めた 2014 年の大規模デモ「雨傘運動」を主導した学生団体の代表らが新
たな政党「香港衆志」を立ち上げたと発表、香港の大学でつくる「香港専上学生聯会
(学聯)」の羅冠聡 = 前代表が主席に就任
12 張盛和台湾財政部長(財務相)が AIIB への参加について 5 月に任期が満了する馬英九政
権下での参加は見送る方針表明
13
韓国で総選挙(300 議席)の投開票、保守与党セヌリ党は 122 議席で革新系の最大野党
「共に民主党」の 123 議席を下回り第 1 党から転落、「共に民主党」から分裂した「国民
の党」が 38 議席を獲得し第三極として躍進、野党勢力は過半数を制した
19 アフガニスタンの首都カブール中心部の国防省付近で爆発、治安部隊と武装集団との間
の銃撃戦となり併せて 64 人が死亡、少なくとも 347 人が負傷、反政府武装勢力タリバン
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国際問題月表
が犯行声明
26 ターンブル = オーストラリア首相が次期潜水艦共同開発の相手をフランス企業に決定し
たと発表、日本は選ばれず
27 チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ 14 世から政治的実権を委ねられているチベット亡
命政府(インド北部ダラムサラ)首相選(20 日)で現職のロブサン・センゲ氏が再選
●中近東・アフリカ
04 ・ 07 ケリー米国務長官が湾岸諸国の外相らと会談しアバディ = イラク政権の安定に向け
て各国に協力を求めた(マナマ)
08
サルマン = サウジアラビア国王がシシ=エジプト大統領と会談(カイロ)、両国を結ぶ
橋を紅海上に架けることで合意
09
ジブチの大統領選挙(8 日)で現職のゲレ大統領が約 87% を得票し 4 選を果たしたとブ
ルハン内相が発表
16 エロー = フランス外相とシュタインマイヤー = ドイツ外相がリビアの首都トリポリを訪
問、国連が仲介するリビア統一政府の樹立を後押しする姿勢を示した
18 エルサレムでバスが爆発し近くにいた別のバスや自動車も巻き込まれ約 20 人が負傷、21
日、イスラエルはパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスが関与した自爆攻撃と発表
21
ネタニヤフ = イスラエル首相がプーチン = ロシア大統領と会談(モスクワ)、シリアで
イスラエル軍と作戦行動を継続するロシア軍との偶発的な衝突を避けるため協議したい
と発言
22
ケリー国務長官がザリフ = イラン外相と会談(ニューヨーク)、2015 年の核合意に基づ
く対イラン制裁緩和について協議
25 サウジアラビア政府が長期化する原油相場安を受け石油依存からの脱却を目指す包括的
な経済改革策を発表、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子がこの一環として世界最大
の石油会社である国営サウジ・アラムコの新規株式公開(IPO)を実行と表明
26
南スーダンの反政府勢力トップのマシャール前副大統領が和平協定に基づき 2 年以上前
に内戦状態に陥ってから初めて首都ジュバに帰還し第 1 副大統領に就任し政権復帰、キ
ール大統領が 29 日までに大統領派と反政府勢力の双方が参加する挙国一致の閣僚名簿を
発表、移行政権が発足
28 赤道ギニア政府が大統領選挙(24 日)で現職のヌゲマ大統領が 93.7%を得票し再選と発表
30 バグダッドで政治改革の遅れに抗議する市民らのデモ隊少なくとも数百人が政府施設や
各国大使館が集まる旧米軍管理区域内に突入し一部が連邦議会議事堂を埋め尽くした、
イラク治安当局が非常事態を宣言
●欧 州
04 ・ 04 EU とトルコが 3 月に合意した難民・移民対策の新枠組みの履行に着手、EU がギリ
シャのレスボス島など東部の島へ対岸のトルコから不法に渡った移民ら約 200 人をトル
コのディキリに送還、EU はトルコ国内からシリア難民を域内に正規に移住させる手続
きに入り第 1 陣がドイツなどに到着
06
オランダで EU とウクライナが 2014 年に調印した自由貿易協定(FTA)を柱とする連合
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国際問題月表
協定の是非を問う国民投票を実施、反対が賛成を大きく上回り結果に拘束力はないがオ
ランダ政府は協定の批准手続きに変更を迫られることに
09
ベルギー同時テロでベルギー当局がモハメド・アブリニ容疑者ら 6 人を 8 日に逮捕した
と発表、2015 年 11 月のパリ同時多発テロに絡んで国際手配されていた同容疑者がブリ
ュッセル国際空港でのテロで空港から逃走した 3 人目の実行犯であることを確認、本人
も認める供述
12 イタリア下院が上院の議員定数削減や権限縮小などを柱とする憲法改革法案を賛成多数
で可決、上院は可決済み、法案の賛否を問う国民投票を 10 月にも実施
14
EU 欧州議会がテロ対策の一環として EU が導入を図ってきた旅客機の乗客予約記録
(PNR)を集める制度の法案を賛成多数で可決、各国は 2 年以内に国内法を整備(ストラ
スブール〔フランス〕)
20 NATO とロシアの共同行動のための意思決定機関 NATO ロシア理事会の大使級会合開催
(ブリュッセル)、ウクライナ危機を受けた NATO とロシアの政治対話は約 2 年ぶり
EU 統計局が EU28 ヵ国で 2015 年に保護が認められた難民らは前年比 72% 増の 33 万 3350
人に上ったと発表、出身国別ではシリア国籍が最も多く約 16 万 6100 人と半数を占めエ
リトリア国籍、イラク国籍と続いた
22 オバマ米大統領がキャメロン英首相と会談(ロンドン)
、会談後の記者会見で EU 離脱の
是非を問う 6 月の国民投票で英国が残留を選択するよう強く促した
24 オーストリア大統領選挙で難民対策の厳格化を訴える右派自由党のホーファー国民議会
(下院)第 3 議長が首位、リベラル政党「緑の党」出身のファン・デア・ベレン元下院議
員と 5 月に決選投票
セルビア議会選挙が実施され EU 加盟を目指すブチッチ首相が率いる中道右派の与党「セ
ルビア進歩党」が単独過半数を確保
29
ケニー = アイルランド暫定首相率いる第 1 党の統一アイルランド党と第 2 党の共和党が
統一アイルランド党の少数政権を樹立させることで合意
●独立国家共同体(CIS)
04 ・ 02 旧ソ連アゼルバイジャンのアルメニア系住民が独立を宣言している西部ナゴルノカ
ラバフ自治州でアルメニア系武装組織とアゼルバイジャン軍との間で激しい戦闘が発生、
4 日、エルドアン = トルコ大統領がアゼルバイジャンへの支持を強調、6 日、アリエフ =
アゼルバイジャン大統領がラブロフ = ロシア外相と会談(モスクワ)、国際法に基づく
平和的解決を望んでおり対話を継続するとの意向を表明、7 日、メドベージェフ = ロシ
ア首相がナゴルノカラバフ紛争で停戦合意を順守するよう双方に呼び掛け(エレバン)
、
13 日、アルメニア国防省が 2 日の戦闘のアルメニア側の犠牲者が 92 人に上ったと発表
12 ラブロフ外相が北方領土問題をめぐり 4 島の帰属問題解決に向けた交渉を「拒否しない」
と明言、14 日、プーチン = ロシア大統領が同問題について妥協は可能との認識を示した
13
キルギス議会が新首相にジェエンベコフ大統領府第 1 副長官を選出、アタムバエフ大統
領が承認
14
ウクライナ最高会議(議会)がグロイスマン議長の首相就任を承認
26 放射性物質による史上最悪の被害をもたらした旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発
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国際問題月表
事故から 30 年、事故を起こした 4 号機前で追悼式典開催、ポロシェンコ = ウクライナ大
統領が「最終解決には程遠い」と発言
28 ロシアが極東アムール州に新設したボストーチヌイ宇宙基地からの初のロケット打ち上
げを実施、国営宇宙開発企業ロスコスモスが打ち上げ成功と発表
●北 米
04 ・ 13
米海軍のイージス駆逐艦ドナルド・クックがバルト海の公海上で 11、12 両日にロシ
ア軍機から繰り返し異常接近を受けたと米欧州軍が発表
19 カービー米国務省報道官が中国海軍が 17 日に南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸
島で病人搬送のため哨戒機を使用したことについて不快感を表明
21 ドイツのフォルクスワーゲンが排ガス規制逃れ問題で米国の不正車両約 60 万台の所有者
らに損害を賠償し改修が難しい車両を買い取ることで米環境保護局などと合意
25 フィリピンのイスラム過激派アブサヤフが 2015 年 9 月に拉致した 4 人の人質のうちカナダ
人男性 1 人を殺害、トルドー = カナダ首相がアブサヤフを強く非難する声明を発表
米国防総省が 2015 年 9 月までの 1 年間の「航行の自由」作戦に関する年次報告書を発表、
中国が東シナ海上空に設定した防空識別圏で同作戦を実施したことを明らかに
27 米通商代表部(USTR)が貿易相手国の知的財産保護に関する状況を分析した報告書を発
表、中国によるサイバー攻撃などを通じた企業機密の窃取を「引き続き重大な問題」と指
摘、対策強化を急ぐよう求めた
●中南米
04 ・ 14 タックスヘイブン(租税回避地)の企業に貿易上の厳しい条件を課すアルゼンチン
の政策をめぐる同国とパナマの通商紛争で WTO の紛争処理手続きの「最終審」に当た
る上級委員会が WTO ルール違反だとするパナマの訴えを退けた
16 エクアドルの太平洋岸でマグニチュード(M)7.8 の地震が発生、18 日、非常事態宣言、
19 日までに死者が 525 人、負傷者は 4000 人以上、行方不明者は 200 人以上
27 ブラジル保健省がカストロ保健相の辞任を発表、ジカ熱やインフルエンザの感染拡大阻
止が課題のなか五輪開幕を約 3 ヵ月後に控えての保健相交代に
国際問題 第 652 号 2016 年 6 月号
編集人 『国際問題』編集委員会
発行人 野上 義二
発行所 公益財団法人日本国際問題研究所(http://www.jiia.or.jp/)
〒 100−0013 東京都千代田区霞が関 3−8−1
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さい。また長文にわたる場合は事前に当研究所へご連絡ください。
*最近号
15 年 5 月号 焦点:揺れる EU
15 年 6 月号 焦点:グローバル問題の多発と国際機関の対応
15 年 7・8 月号 焦点:台頭する中国とその周辺国・地域
15 年 9 月号 焦点:戦後 70 年と日米関係
15 年 10 月号 焦点:ブラジルの光と影
15 年 11 月号 焦点:新段階に入ったASEAN 地域統合
16 年 12 月号 焦点:変動する国際関係のなかの中央アジア
16 年 1・2 月号 焦点:新安保法制と日本の安全保障
16 年 3 月号 焦点:中国「新常態」の行方
16 年 4 月号 焦点:アフリカ―そのさらなる発展への課題
16 年 5 月号 焦点:曲がり角にあるサミット
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国際問題 No. 652(2016 年 6 月)● 58