YMN003502

﹁日本書紀﹂における百の
韻文章
はじめに
簡単な記録文から豊富な文辞を連ねた美文まで、多様 な文体 が錯
綜 していて一読して混雑した印象を受けるコ日本書紀し 全巻の文章
き、先学の説を承けつつ私見を交えてあえて分類すれば ほぼ次の五
頻 に分たれる。
Ⅲ音調の整った四字句基調の文
㈲六朝・初唐期の仏典語や俗語を交えたやや口頭的な文
の ﹁文選口賦類などの文辞を借用した装飾的な文
け ﹁漢書﹂﹁後漢書﹂等の史書の文体を模した
簡勤荘 重な叙事文
㈹断片的な記事・記録文
ただし、㈹と㈹㈹は重復する面があるし、㈲㈹も一線を 画し難い
ことがあるからあくまでも一応の理解の便のための分類である。そ
村
士
刀。
彦
博士が、
百足男子典当 先唱 如何婦人 反先言手掌 既不祥
︵神代
紀︶
を指摘した。更に同博士は、
く斉整なリズムで作られ、平氏抑揚配置の法則にかな つていること
の文章を例として、四 シラブルずつの句が当時の中国の散文と同じ
宜以改旋
にあったようである。ただ四字句調の文についてかつて吉川幸次郎
進展に比し、音調・修辞面の研究は歌謡等を除いて殆 んど関心の外
ところで、書紀文章についての従来の出典や訓話注釈面の研究の
ら、これも柑射的な大別に過ぎない。
だし、達意中心としてもそれなりに字句の練磨はなき れているか
に留意した㈲㈹と、内容・達意中心の㈲㈹の文章に大別 きれる。た
して、少数例の㈲を除外すれば、書紀文章はおおむね、音調・修辞
中
囹
司吹
川神樹
手 蓋所以
天下放
能世閾互助 時流至徳
|
。四年冬十月庚申朔壬午詔回、准哉皇祖諸天皇等 光臨良樹若世
一
為身
︵略︶︵宗仰
紀 ︶︵傍線傍点等筆者による。以下同じ︶
ほ ついて、︵傍線部の句︶みな抑揚律への配慮がみられ、その中国
昔ははなはだリズミカルであり、﹁こうした念の人った美文に対処
日がなければ
するためには、まず中国の韻律学は ついての充分の用土
ならぬ。また中国では八世紀以後は勢力を失ったこの古 い文体の習
慣と心理に対して充分の理解がなければならぬ。﹂と説いた。
韻
面会二段
昔Ⅱ則雄二無之
韻文@而往々有。
韻。 荷其不。然、則雄二官
2文@面時万木。
用/
韻。終不二以韻
。而害。竜也。︵
日知録 ・浩二十
一︶と、古人の丈は化工Ⅱ天工であって散文と雄に
も青
自に
然合す
ることがある一方、韻
有の文と雄も意を害する場合はを
韻用いない
とする。そして前者の例として、
。聖誤洋浩 @a孔
m勒
@惟 上帝本陣作善峠芝官幣 作 不善隆之百
良刀伊
卿爾惟 徳岡山万邦 惟慶爾惟 不徳岡大望 族宗 ︵
尚 書 ・傍訓︶
磯者不細労音 弗細絹晴蛋諦
も、あえて書紀の修辞的文章における押韻への志向を中心に考察す
行われていない。本稿はこれ等の理解の不充分きを前提 としながら
理解の困難さから、国文学徒の側からの書紀文章の見直しは殆んど
﹁
群経韻文士セ部表﹂三八書音
均表なにも記載する。︶
てつ
はい
段玉裁の
太史公賓にも見られると記す。︵なお諸経の例に
等多くの例を挙げ、この類秦
が漢以前の諸子にみ有
なるし、史記の
︵孟子・果王
南下︶
るものである。けだし中国の散文においては、特に四字旬や対偶旬
ぬ什﹂
襄拍
以﹁
外
児島献吉郎も百文での押韻例を挙げ、韻文・散文に
という名称を設けることを提唱してい㍍。児島の
た挙
例げ
民 飲食若祀 留連荒亡 為諸侯憂
においては語の整斉、音律の詣和への志向から押韻することがあ
。質勝。友則野文勝。
質則如 文質彬々 然後君子︵諭 語 ・薙也︶
然るにこの指摘にも拘らず、当時の中国の韻律学・平 灰 に対する
り、書紀にもかかる傾向が見られるから比較的容易に、書紀の修辞
四十一章︶
。唐天性
腱
。富岳
。是 大立所。欽也不。収二道
貴
具得。芝本処
。也 負号。
。大器晩成大音命中天象 無。
形 追憶無。色街
不。
用 足以下。
去︶︵老子第二章︶
約文章の音律性を明らかにすることができるからである0
一般に中国の文章では
詩 ・凧の如き韻文を除く無韻の文
においても押韻することがあり、風炎武は、古人之文化
一一一一一
等々。更に謡講等 口言や長短 二句の形式で韻を踏むも のが甚だ多い
ことを例示する。
。寧為廿
鶏口 - 無。為 Ⅰ年行︵国語・周語︶
︵列子・楊朱︶
。千金主子本。死ニ千両- ︵史記・貨殖
伝︶
憐死棺損
。亜相
。聞。追目 以為。莫二若
百 - ︵荘子・秋水︶
その他管見に入ったまま記すと、
語日当/新本。
断
友愛二
%乱
不。党不レ偏 王道便便︵ 同 ・帳祝之潟唐
︵
世
︵史記・
春中君列伝︶
。乱取高坂
於鄭仙 日、諸有。
之 刀心別本。
キ何悼 二股
僖公セ年︶
。太史公田
蕩蕩
。太史公口 ::二君之研ニ
称諦 可。著二
廊廟 -書日本。偏
列伝︶・。。
。犬児清川産物 盛刑吏天地文帯出︵ 同 ・日収列伝
︵
同 ・超克国広︶
。上荷二灯利
。文臣 - 川下有二盗
綺之蒔 - ︵漢書・匡衡
伝
。費目、秦漠巳来山東出。沖山西出。 将
@
口
圧佃
︶
畝是以賎民頴 御衣 裳 。文叔各日明 府初臨 嘉徳禾。
耳
Ⅰ。。
︵
文 達三十セ
。為 。
鬼 ︵
説守*
。星 ・万物之浦上馬二列星 - 鬼 ・入所帰
︶
。離居奉事前侍臣一 號 - 女二毛
束垂 -
求道親親 表︶
明明永二仁義 -
二四
明明求臣財
︵同四十一・
報係余寒害︶
常恐。不。
能レ化ノ
民有 卿大夫之浄也
利 - 常恐 二国乏 者庶人主事 也
等 、枚挙する暇がない。書紀の編文者も当然、漢文のかかる音調を
知悉していて、 修 辞に意を用いる箇所の幾つかについては同様の押
韻の試みがなされ たと考えるのが自然である。よって、書紀の修辞
約文章については 一応すべて押韻意図の有無について検討してゆく
必要がある。
い。便宜上、中古音の体系を示す宋代の﹁広韻﹂を簡略 化した平水
普遍的な基準を設定することは困難であろうし、当方 の知識も乏し
近年の著しい中国古韻の研究の進展にも拘らず、これ 等に共通する
籍は 一世紀半ばの﹁漢書﹂以下六世紀初頭の﹁文選﹂に及ぶから、
㈲ ほ ついて、セ二0年に撰進きれた日本書紀の借用模 倣した主な漢
㈹本邦漢字昔の特殊性
㈲通韻
㈲押韻の基準
前提である。
ところで、書紀文章の押韻の考察に際しては、次の三項 の確認が
一
一
㈲通韻について、古韻の通韻の範囲は極めて緩やかである 。﹁詩経﹂
押韻となるもの。︵ただし通常、重韻 とは一篇の詩申
のように対偶句や層畳句において同字を反復するため、
して同一字
おいて同一
結果として
彼是 川我非
,我 是別 似非
・︵推古 紀 十二年︶
の押韻についても下限は二十八部説から上限は十部説に 分かれてい
字を押韻する場合に用いられるが、便宜上ここでは連
韻| 現行は百六韻1を適用することとする。
る よ う に、容易にその範囲を定め難いので、これも便宜上 、﹁古今
百六韻による押韻︵通韻を含む︶
を 使用する場合にも用いた。︶
韻
押
四字句、対偶 旬 においてこの韻を同じくする字が対した場 ムロは
三正格
韻略 L に示す通韻の他 囲 に従うこととする。
ただし児島は、 韓凪 、白居易、 蘇拭等にもこの範囲を越 える例の
あることを示し、
または四声
韻 である蓋然性が高い。押韻位置がまま不規則な場合 混じるが 参
者 として一応揚げておくこととする。
況んや六朝時代の作に於てをや況んや 周索漠魏 の作 に於てを や
と 、席末 に於てさえ通韻が必ずしもこれに限定されてい ないことを
一
一
一
数字はその所出負数を示すこととする。
以下、書紀本文の引用は、日本古典文学大系﹁日本書紀
し に拠り、
いも存せるものを近似韻 とする。
の別を無視すれば韻尾が同韻となるもの。押韻の可能性が あるが疑
前記の同百ム﹁韻略口 における通韻の範囲を越んるか、
二一近似 韻
ま た 散文にお
縮文者はある程度中原の漢字ぶ日に通達して
論じているから、飽くまでも一応の目安となる@週 き よ Ⅱ。
の本邦漢字音の特殊性
いたであろうが、元来我が国に四声は存伍しないし、
ける押韻は、韻文の場ムロ
ほど厳格さを要しなかったであ ろうから 読
一触読者がど
者に対して一応の背の詣和を感じさせるだけで十分である。︵ただ
し、現存の岩崎本 等にまま四声表記が残っているが、
こまで四戸を意識していたかは明らかではない︶従って四声の別を
無視すれば、通韻の他囲は更に拡がることになる。
単なる同字反復ではなく、四字句巾か、対偶旬層畳句中に 眼 ると、
一同字 韻 ︵
重韻 ︶
察することにしたい。
昔 の詣和を意図した結果としての押韻である可能性がある。 何末の
以上の前提によって、日本書紀文章の押韻を次の三類 に分けて 考
韻 ︵重頼︶
一同字
二五
ラー 黄帝明堂の議を立つるは上賢に観るなり。
尭 衝重
一一
、ノ
助字も含めると次のような例がある。
0%
有るは 下
洋二枚。義人 - 使 憂
1 諫人 - 約二 表 千貫 - 語呂
民 に聴くなり。︶
所以 懸 。鐘設 。貫
収 。泰人 - 毎 。旦奏請快復 目
奏請 - 仇 木部 卿 ︵同 ・拙
なお 請と 卿は同韻尾である。
二年・ 捌 ︶
時人諸口壮心葉 損費功夫三万全美質 損造垣功夫セ万余臭
宮村燗英山楓 坦夷︵首班 紀
三正格
韻 ︵通韻を含む︶
-
屋烏避忌
退治二曲事 - ︵
神 伏組第九段 一
百六の韻部に従 う 、押韻意図が比較的明確な旬である。
治吾将
然 的な同韻が混じっている懸念もある。
有。因由取捨
随レ勅時 皇孫国立二宮殿
。治顕露者皇孫 当 "
対日足
ま日
笛力一一・Ⅲ
川
︶︵ 6具︶
ェ吾所
2
︵同, Ⅲ︶公職︶
面風 邪還息
両弟
公職︶
足する。
散見知 呂
帝徳 - 欲 =自 伏ァ車
対偶 句 ではないが同韻字が三字続いているから押韻の音一図のある
例 とする。
段皇弟哺巳停
百二温色 - 不二有相言 - ︵神代紀 第十段一書第四・Ⅲ︶
世世が整っていないがこれも同韻が三字続くので押韻 と推
3
ただし 偶
実な 置月して、当時の歌謡の声調を移そうと試みたの であろう。
7
6
エ ム﹁百貧
姓之
2 天下麗人真
紀君
七吾
年嬬
Ⅶ︶茂
︵会
文緯
選夷
神諸
女賊
好情実 曄 引用文︶
百姓富之 則朕宮出︵仁徳 紀セ年四月・朋︶
美英︵雄略
︵顕宗即位紀
前 Ⅲ︶︵芸類
文聚 ﹁譲﹂
3 日月山蓑市隅入 不。
息、某於。沈地不二小難
乎 時雨降英
而酒浸潤不二卵労 乎
荘子引用文︶
︵推古
紀十二年四月Ⅲ︶
4 人智育グ
心心 各有。執 彼是川我非我定則彼非
両生木。
蔽也
聴二股
民色
也管子 日
5 皆所,
以広誼,干天下
-
老丁
黄帝正二明之
堂議者
舜吾主日善施
之-
尭有﹂衛里
之問高正:
建鼓於朝-
以観二民井
也
而備ニ
訳里也
而賢者進也
揚荷ニ総街之庭
武王百二霊之
台固@
︵孝徳細大化二年二月
柑・
︶
旬末の也を共有する層畳法の文である。︵なお
類芸
聚文
引用の管子
の文であるが、
柳 二句の大系訓読は次のように改め
べる
きであろ
4
通韻︶
何不二 就 面部 之乎
当 。足 ,以恢耳弘大業 - 光 。宅 天下、
Ⅱ魚
破戒降者謂是館 連日 賦
食調役地心
乎
虞敏
紀 ・Ⅲ︶︵ 乎 Ⅱ
︵︶
@
接
カ
も
二流電 - ︵
霞︶
ム﹁
@ 二ム正色
霊鵜 -
其鶴光曄炬状如
︵届散
︶
︵
紙︶
長髄彦軍卒皆迷眩
定散︶
飛来正二丁望日 芝引 @
不二復 力戦 -
凌犯 為。寒村立 無 。長
蓋 -ハ台之中 、心
する。
︵
神 武即位前
神代 紀神武紀を通じて最も押韻意図の明確な箇所であ
快聞 其東夷坦調性 暴張
口口
ラLm
一
。セ目
︵神武即位前細川︶
同字反復に近いが 旬 末の助字に於て二一字連続して押韻
5
6
弼 ︶ 眠 ・長は陽 韻 、宗は冬韻 。︵ 陽 ・各通用
無 /別 ︵屑 ︶
二月待紀 四十年七月,
男女文尼父子
0例がある。︶
7
︵
同 ・Ⅶ︶
友則 住。模式 毛飲 。血 ︵届 昆弟 相疑
﹂に基づくが血は︵月︶ なのでこれを
この文は礼記・Ⅲ迅の﹁冬Ⅲ居常用度仙居増模末有
之肉茄共毛
芝突鳥獣
︵
庚︶
音 被 二神祇支 教 - 順二皇祖之 崇 -︵
青︶
浮 ﹂
渉 槍梅 - 財欲ニ酉征 @
︵軸臥
︶
︵
神后 摂政前記・
則大風順次帆船 随 。波
公
㍼咽︶
掛︶
審
︵
同 ・Ⅶ︶
・庚 通韻︶
別 ・血に 謂う よ う に穴に改めているから押韻意図は明らかである。
7
8
不。
労﹂
櫃揖 - 便到二新羅 -
︶
不二酸骸ネ 。男山
省こ
されてい
為 ・被で押韻する。 なお、造は
︵仁徳紀 二年二一月・Ⅶ -
不二弾尽 不二更 為 由
及 。壮仁算 慈恵︵ 酉 ︶
衣紅履
︵仁徳即位前 紀 ・思 ︶
この前後はすべて四字句調 で、この箇所に韻を踏んだこ
左脚
足日 始
天皇別冊聴叫叡智貌容美
@麗械
な航海を表すかのようにリズミ ヵル である。
9
皿
温助援 糞
削 。心約五 心宮⑦
以往二車手無為人め⑤
浩二次 被 @
是以宮垣崩 両下。 造 茅茨城以 下 。葺
隙而
風雨入。
前半は同字を反復し、後半は志・
︵
號 ︶葺は︵ 績 ︶で声韻を異にするが和音では u が詣和
二セ
Ⅱ屋後風雨 順。
時 五穀豊穣
百姓宮寛
︵
早︶
︵
寒-
一一2
一
間年
︵㎜︶
碩徳助満
炊煙小紫︵ 寒︶︵ 同 ・Ⅶ︶
は 天皇久居廿辺商
-悉知二百姓憂苦若。
納二四体
溝陣- 布。
徳施。
﹂
続祖無窮之烈︵
陽 凍
@︶
悪政令流行 邱ド
育養。
妬 天下親付︵顕宗即位紀
前・Ⅲ︶︵
陽︶
穏承
正当二天心
- 下厭昌
民望-
︵
陽 凍
@︶
而不二星践詐- 遂今ニ金銀蕃国群僚︵
篠︶
遠近莫ノ不
。
失。
望
天命有ノ広 皇太子推譲︵ 凍︶
聖徳弥盛祖詐乳草︵ 陽︶
︵顕宗紀元年正月・Ⅲ︶
望は陽・沸両韻に跨がり、譲は沃、章は韻
陽である。
僚 は篠損なが
ら韻尾は近似する。繍文者は望
僚,
・譲 ・章と押韻さ せたのであろ
5
14
%安 所
悲者飛
。
楳其
恨有
凡人宿 "私心 有 。
是政 凡諸国司
随 二週軽重 - 考両罰 之
。慢心 非。向井。同朋似札妨 。公
- 使レ
推古記十二年四月・Ⅲ︶︵東 ︶
︶
︵キ文白貝︶
︵
ザC
支貰
︵白貝︶
又 諸国造 違 詔
。 送 二対欣司国司 - ︵
遂倶求 。利
宋文白貝︶
川︶
支 ・貫 韻の語が並ぶのは 偶 然 とは思え
︵孝徳細 大化二年三月・
旧懐二 % 忠 - 本。可 。不 。
治
回天 故 縦
。 以
玄理 之徳 - 生 二日本亡国 -
高麗 僧慧慈誓願 日於 二日本国 荷二聖人 - 日二上宮豊聴 耳 皇子 -
い 。やはり押韻の意図を認めるべきであろう。
偶句 ではないが五旬続いて
愛深臭
︵継体紀 八年正月・ 紐 ︶
為 。愛手養児 - 樹嶺作 。
-
天災果錬請付 ﹁祝 人
Ⅱ 紙︶であるが押韻の箇所が不 整 である
。
天 亡息
支夷
廉は 藤墳︵ 児 Ⅱ
投兄人 裏
︵
欽 明細二十三年六月・Ⅲ︶︵真 ︶
祈請口
八
但し対偶 句 ではないから、この押韻意図も不明確であ
伸二神奴 @
奇石文 母
らこの押韻は偶然なのかも知れない。
鳥
か
15
16
17
対
な
18
この 句は 西都風﹁華夷芝手 則九州左上映 焉
近似 韻
防禦 之 旧川 天地 之陳
区 ﹂に基づくから当然押韻は意識していたはずである。
三
に 、重目結ハツ
しく、更に散
既に述べたよ う に、古韻の通韻範囲が緩やかである上
編文者は四声の別をどこまで守ろう としていたか疑わ
文 である以上、韻文 程厳格に押韻の制約を設ける必要 ほ ない等の理
主 によって、かなり大まかで緩やかな押韻も存するであろう。単に
先言手事 既
反
押 韻の可能性の
昔が 近似するだけの、偶然的な﹁押韻﹂も混じって木 来の押韻との
境界はかなり 陵昧 となる。以下、近似韻の中でも、
如何婦人
︵神代紀 第四段・㎝︶
場 神木 "
脱臼百足男子理世 先唱
高い若千の例を挙げて参考としたい。
1
不祥 宜以改旋
ゼド斡
コ が 共通し、 言
吉川博士が平 氏抑揚の配置にかなっているとして例示 した文であ
るが、 唱 ︵
様 ︶祥 ︵陽 ︶は平 灰を対照させて
彼地心 当 。足 ,以恢 昌弘大 業 - 光 。
宅天
︵
真 ︶旋 ︵
先 ︶は通韻であるから、むしろ正格親に近い
2 ︵神日本磐余彦天皇︶余話
諸皇子対日理実灼然
る箇所とし
我赤垣 以為 。念 ︵神武即位 一冊
ねW.
下 、 蓋 六合文中心平蔵衆 隆音調 定館 連日賦何不二 就面部 之
乎
傍点部 乎 ・欺 ,乎については二に於て押韻の可能性あ
たが、続く 然 ︵
元 ︶念 ︵
舗 ︶も声を別として托が共通 している。
Ⅲ︶
︵紀
二
推十
古朋
九
︶職
︶
年
︵二月・
︵孝徳細
支
︶
大化二年・Ⅲ︶︵
旬は対偶をなし
て
いな
ほ
舌
い
難
口
がいから、直ちに押
一応参考として掲げる。
勿
。生
凡。
生
給田
彼者
我=
於
共
心
田
百
ニ
元
姓
於
如
近家
ノ近接
此宣
奏
か
ら
偶
然
と
は
で
あ
る
が
四
字
田
・
宣
Ⅱ先民Ⅱ莫莫
・
先
は
通
韻
、改新の詔の
何
と
し
て
ロ
調
韻
の
で
よ
が
あ
、
さ
る
こ
考
を
れ
意
も
図
し
て
い
る
。
近
は
︵
眉
由尻︶
︵セ
高年
明
・セ
細
Ⅶ月
︶︵局紙通韻︶
% 遊城者
西北帯以ヰ百連浬
亘之太華美芝手
衣食之源別二儀之喚凶荒
︵天智紀元年十二糊
月
︶,
二九
3天皇風岐
姿凝
歩荷二抜
雄之気
︵
支︶
︵小木︶
︵
景行紀
二年二一朋
月
︶・
8
︵魍 ︶
三O
猶如笘 雷電 - ︵
晟︶
身体長大容姿端正︵実敵︶
力能托 。鼎
︶
二の 6 及
︵
同 ・冊 ︶
︵継体紀セ年 十二月・ 紬 ︶
と続く一連の文章であるから、ここもま た 押韻意図の
間者天下安静︵ 梗敬
︶
海内清平︵実売︶
所 。宝性質︵ 元
為。
善最楽聖化 漏デ繭遠扇宝已
互助託m。ル些
長櫃︵ 元 ︶
︵
勘︶
静 ・平は憶で、 賢 ・扇 ・懸を刊で それぞれ押韻
学官。 不 。濫
其 賢哲 任 。官 ︵
寒 ︶ 頒 音別 起 紙︶
ゼ日 人各有 。仁
させているのであろう。
韻は 一致しないが、
7
濃い箇所と考える。
び 三の 4.5
&/
壮容貌魁偉
二尾︶
所。
向無 。
前 ︵
元 ︶ 所 。攻必勝
中
四
旬人
ま面
で志
、向
声沈
を毅
異
に
ら
のも
韻共
尾に
で
五武
旬
芸
過。
末︵
︶しながェ
即知之 形則敦子夷則神人
︵
紋靖
即位前
紀・Ⅲ︶
是是天恩 二伏木 叡 ︵酉 ︶三国 本ア平 ︵克元︶
終わっていて
令 ,経ニ倫大業 - 不七絶 二
宗廟 平
押韻の意図が濃い。なおこの第二・三句
繰は
り目
返尻
き有
れ紀でも
60
正 ・鼎 ・叡 ・平はⅠを共有し、 電 ・前は皿を共有する。
4 卵目日本武尊
及レ容
壮貌魁偉
承品心
則忘 ︵
陽︶
兄。
怨必報 ︵
號︶
或何%
農桑-︵
陽︶広略二人民
撃則隠
。
草 ︵
皓︶ 追別人山
。
︵愚紀
行四十年
セ月・朋︶
押韻位置は整わな忘
い・
が桑
、は同韻であるしで
、は
和思
音草鞍
桑共に刊韻尾となる。
6 ム
﹁伏昌
柴汝。
為人山
四
知れない。
どうか、確かめる必要がある。
懐風藻語序における例である。
喫 。剣切 。
1% 知 懸鎖 吐
2%
宕こ
次は 古市 記 序文、万 某集詩歌序 及
@︶
職︶
- 段 二夜水市川二喬基 - ︵
支︵陽 ︶
-
。九 % 高 応 /
開立夢歌 -
3 歳次二人梁 @
月踵二爽鐘 @
︵
︶
-
二軒后 @
︶
︶
︵
。
徳 博二周 王 -
5 段二神 理 -
︵職 ︶
2 の句では同韻、
故二英風 以弘 。国
右の エ ・5
協和感がある。
旬
があるか
雄稗田 名阿礼年足世人為。八
0 対偶意図が存するのではないか。
︵持荷 二
舎人 -
しての韻尾
度 。目語。
近似 韻 とし
%明
排 /貝勒。 心 ︶新刀邦家 之経緯王化 之 鴻基 焉故惟撰笘 録 帝紀 -
討 ﹂嚴 旧辞 - 則 "偽定 実
。 欲 。流二後葉 - 印 勅 ニ話阿礼三コ話二習帝
6
3.4 の旬でも共に
清原大宮昇二郎天位
大潮高
蒸
︶
騰︵
道趺
有宥
海水
蕩調
︵
養
︶
︵大武紀十三年十一月陽
・涛Ⅲ
で
あ
る
し騰
、・ 以奨 俗目沫
騰・蕩は声も韻も
瓢共
異
蕩に
な畳
る
韻
が
の
、
語
高
㎝u
と
の対応が意識されるる
か
句ら
でやはり押韻意図の窺え
の句の沃職は通韻ではないが、共に入声と
る
0
4
︵ ︶
世少
生二
知
︵
支⑤
古剋念
。
聖為
。人
治︵
心買
支
︶
事無
大小得
球面百王相続︵
蛇以 石神蕃息︵
時s
軸
急n
緩
︵
早
︶遇
。
賢
自党
寒
︶
︵
飛鳥清原大宮御大八州天皇御世
囚
。比国家永久
社
稜
。
危
無
︵
支
︶
︵
紀
推
十
古
二
年
四
月
・
Ⅲ
期
支
連す
抗る十
巾
、四
六
が
旬
旬
・
濫
宮・
繁・
緩・
斑如
とで
四、
句が起 潜龍休
而柑こ
纂業にも
i
で
る韻
か意
ら図
やを
はりこ
知・
治・危
と韻尾を共有す押
めるべきであろう。
@I
@l
ここでこのような散文の押韻の例が他の上代散文にも見 られるか
一一一一
の
て
皇
認
)
ー ou
あ
@
口網 及先代旧封
@紙
然 遷移出兵
未 /行 ニ共事英
支異
右の丈において、 緯Ⅱ末尾差Ⅱ安紀Ⅱ紙料 Ⅱ
事Ⅱ賞美
Ⅱ買
と阿礼の記事を除く九旬申セ旬までが土の韻で終わる のは偶然とは
大伴旅人︶
続いて万葉集
考えられず、やはり音調を意識した編文 であろう。 昔 調を生かす 限
り 、古事記序文もやはり音読していた可能性がある。
︵
麻︶
食 託ニ根遥嶋之崇囲 @稀 二輪九腸之休光 -
の例であるが対象は当然和歌や詩の序に限られる。
7
長帯 二% 霞 -
︵
麻︶
遭 二% 山 Ⅲ之阿 - ︵
歌︶
遠望 笘
風波 @
世臣大雁木 之 開 ︵八一0. 梧桐日本蓼 序
本 。遣 二丁暇 - 頻恵二御首 @
︵紙
Ⅰ︶
︵
紙︶
︵
古只
︶
︵月ぽ︶
歌麻は通韻であるから、この箇所の押韻意図は明らかである。
8
。人
/紙
。惰行ノ理
星気逸調過
英霊
︵略︶
常託
脾 。思弁。
章数篇満
セ 泰成。
臣阜愁人之重 忠 - 能 除二蛮音之積 忠 - 支
︵ 眞 ︶
祭然得。石英︵ 紙 ︶
山 柄歌泉北。 此如 。
蔑
彫竜 筆海
一一一一一
i を 共 有するから
巻十セ ・朋大伴地主︶
︵
右の音・人及び 理 ・紙 ・思 ・臭はそれぞれ㎞・
ここにも押韻の意図が窺える。万葉集についてほ上記の例のみで、
山上階良や大伴家持の押韻の作は見られない。
なお﹁風土記﹂については文飾の著しい﹁常陸風土記﹂ において
も散文の押韻 側 はない。
︵
行 ・狂は陽 韻 。演 は銑 、遠は玩
以 浩ニ鬼 狂 :: 臨 Ⅰ
- 朋友 薄 三具オ 信 -︵@ ︶
コ
懐風藻 口 においては次の句が同韻である。
。︵河島皇子︶皇子者::朝廷喜三共忠正
辞義 唆遠
。︵釈智蔵 ︶ 著 。漆秘封負担遊行同伴軽蔑
韻で 通韻である︶
於試業 - 昇 。座敷演
以上、対象は限られるが古事記序文及び万葉集・懐風 藻 の語序
歌序についても百韻の句の存することを確かめた。やはり文章を彫
琢 しょうとする志向がある以上、押韻は音調整斉上の有効 な技巧 と
なり得たものであろう。
おわりに
以上、書紀文章における押韻及びその可能性のあるも のにつ 二
て、同字韻 ・正格韻 ・近似韻に分けて各若干例を挙げたが、近似韻
なり。二四六ぺ
元和聖徳 話 に語 奥 馬荷神の五韻を混用し︵略︶
如き、これ
書紀編者のテキストであった同文選口 にも、この通韻 の 範囲を
ー ジ︶
などは一応の推定に過ぎないので精査すればこれ等の数はかなり異
する文章を編むに当たっては、文のリズムを心に刻みながら字句を
勒するはずである。達意を主とする文章に対し、多少の修辞を意図
整えてゆく作業を必要とする。字句が整斉し修辞も容男 な四字句は
特に多用される文体であった。その際、平氏と並んで押韻は最も意
識 され易い表現技巧であるに違いない。上掲の例文中でも同字親人
例中四例、正格韻 二十二例中十セ例、近似韻 九例中八側までが四字
句 に属する。従って書紀文章を享受するに際しては修辞を主とした
文章、就中四字句については編文者の表現意図に沿って音読によっ
て音調を理解することが必要であろう。平臥は ついては更に専門家
の研究を侯ちたい。本稿は不充分ながら、とりあえず押韻面からの
調査を試みたもので、従来の出典や訓話注釈的研究面から洩れてい
た書紀文章の 一性格の解明を志したものである。浅解 の点ど示教ど
批判頂ければ幸いである。
注
二二四ぺー ジ
①筑摩叢書﹁古典について﹂二九六 八年刊︶
②﹁支那文学者第一篇散文者﹂
書 ﹁韓愈の此日足可惜篇に東名江陽庚青の六韻を混用し、
③同氏﹁支那文学者第二篇韻文者﹂ 五セ ページ
④前掲
韻 。 陽 ・篠の通韻となる。
上掲一の例文において﹁
ぱ ﹁篠 ﹂
伊訓 ﹂において も 浮影 常
小 ﹂も押韻しているものとすれ
祥映は ﹁陽﹂。宗は﹁ 冬 ﹂。
セ部表 ﹂︶なお 注 ⑤。一の例文﹁尚書・
﹁鄭痒以 二束ゑ、D陽庚青蒸 ムロ石坂一部﹂︵段玉裁﹁ 今韻 古方士
︵巻四 ・南部賦 ︶
越えるものが多い。一例﹁流槍浪而 海陸︵ 陽 ︶ 廓 石城 市ゐ塘妄 、︶
⑤