Page 1 230 社学研論集 Vol.9 2007年3月 ジョイスの語りの構造 次

230 社学研論集 Vol. 9 2007年3月
論 文
ジョイスの語りの構造
木ノ内 敏 久*
目次
るプロット(防)やストーリーではない。
1はじめに
語り
や文体といった小説の様々な技法の根底にある
2計画表と『ユリシーズ』
作家の思考の枠組みを指している。
3型と規則性
その枠組み
4語りの心理描写
が小説に反映していると考えられるのだ。
5「機械」としての小説
イスにとり作品の内容と構造は密接な関係に
6おわりに
あった。ジョイスの用いた「意識の流れ」の手
法など新しい心理描写は,後で述べるように20
1はじめに
世紀の新しい世界観,視覚的思考の反映した結
アイルランド出身の作家ジェイムズ・ジョイ
果であり,そこには作家個人の精神の態様が同
スは19世紀後半から台頭したモダニズム文学の
時に表出している。
作家の一人としてそれまでの小説の形態を破壊
者・批評家のT-Sエリオットは評論「『ユリ
し,激変させた実験的小説で知られる。
彼の作
品ではリズムや統一感を持たせる特定の規則性
や構造が重きを成す。
初期の作品である短編
ジョイスと同時代の文学
シーズ』,秩序,神話」において『ユリシーズ』
にジョイスが神話のテーマを導入したことにつ
いて「現代史という空虚と混乱にみちた広大な
集『ダブリン市民』では,ダブリンの人々を題
展望を支配し,秩序づけ,意味と形とを与える
材に,少年期,思春期,成年期,社会生活とい
手段なのだ」と紹介し,その神話的枠組みを肯
う順番に短編が配列され,登場人物が経済や社
定的にとらえている[エリオット1975:177
会関係の中で無気力,麻痔に陥る状況が描き出
1975:241]。 ここでエリオットは神話の枠組み
される。後期の作品『ユリシーズ』や『フイネ
を同じく使った自身の『荒地』も念頭に置きな
ガンズ・ウェイク』になると技巧に磨きがかか
がらジョイス文学の構造の問題に触れている。
り,神話的テーマや象徴形式を作品に取り込む
文学,絵画,演劇,音楽などあらゆる芸術作品
など特定の構成原理(構造性)の下に意識的に
が意図的に構成され,赦密に仕上げられている
作品を構築したことが明瞭になる。
という意味で,一定の構造性を持つのは当然の
ここで述べる構成原理,構造性とは,いわゆ
ことだが,ジョイスには通常の意味を超えた独
*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程1年(指導教員 池田雅之)
ジョ
ジョイスの語りの構造 231
特の構造,形式-のこだわりと表出が見て取れ
ロブス」では偏狭な民族主義者「市民」とユ
るのだ。本論文では,ジョイス作品のこうした
ダヤ人の出自を持つとされるブルームが論争
側面を20世紀芸術や科学の動向と関連付け,創
するが,「市民」の性格造形は『オデュッセイ
作精神の一端を考察する。
ア』に出てくる一つ目の巨人キュクロブスに想
を得ている。キュクロブスは単眼の巨人で,オ
2計画表と『ユリシーズ』
デュッセウス一行を捕らえるが,オデュッセウ
ジョイスの『ユリシーズ』はホメロスの叙
スは泥酔した巨人の目を灼熱の梶棒で突き刺
事詩『オデュッセイア』を下敷きにしている
し,隙を見て逃亡する。 巨人は船で沖に逃れる
といわれる。 ユリシーズとはギリシア語のオ
オデュッセウス一行に丘の上から岩を投げつ
デュッセウス(『オデュッセイア』の主人公名)
けるが,オデュッセウスは危うく難を逃れる。
の英語名である。 米国の前衛雑誌『リトル・レ
ジョイスの指示により作品の解説本を書いたス
ヴュー』に連載された当初から,『オデュッセ
テユアート・ギルバートによれば,キュクロブ
イア』の挿話の名称が使用され内容やテーマ
スは火山の擬人化である[Gilbert1952:264]。
においても『オデュッセイア』の登場人物や出
『ユリシーズ』のキュクロブスである「市民」
来事とかなりの類似が認められる。
は火山のように激し,岩ならぬビスケットの缶
『オデュッ
セイア』はトロイ戦争に従軍したオデュッセウ
をブルームの乗る馬車に投げつける設定であ
スがトロイア落城後も長年にわたり放浪し,最
「市民」は背丈が並外れた巨人として描写
る。
後にようやく妻ペネロペイアの待つ故郷のイ
される。
彼は「口大きく鼻は巨大にして」「肩
タケに帰るまでを描いた叙事詩である。
『ユリ
より肩への距離は数エルを数え巌のごとく山の
シーズ』でも主人公のレオポルド・ブルームは
ごときその膝」のあたりには針のような剛毛
午前に自宅を出発し,夜半過ぎまでダブリン市
が生えている[Joyce1986a:243-1996E:114]。
内を歩き回った挙句,妻モリー・ブルームのい
また,鼻孔は「洞穴のごとき内なる間に野雲
る自宅のベッドに帰還する。 舞台は1904年6月
雀ゆったりと巣を作り得るばかり」と通常の
16日の現代。ブルーム(オデュッセウスに相
尺度を超えた大きさで描写される[ibid.
当)とモリー(ペネロペイア),そしてブルー
114]c本挿話の「技術」は「巨大化」であり,
ムの知人の息子であるステイ-ヴン・デイ-ダ
『オデュッセウス』の巨人が『ユリシーズ』の
ラス(オデュッセウスの息子テレマコスに相
「市民」に仮託され,神話の存在が感じられる
当)の計3人の主要人物に生起する心の動きや
仕掛けである。
行動が措写される。
個々の挿話やエピソードの対応はジョイスが
『オデュッセウス』と『ユリシーズ』の照応
友人に渡した「計画表」と呼ばれる見取り図の
は厳密な1対1の関係ではない。
種本を示唆す
:243
中に記されている。計画表は1920年にジョイス
るような話題や設定が『ユリシーズ』の中に随
本人が友人のカルロ・リナ-ティに渡したリ
所にあり,話の展開や内容に緩やかな対応関係
ナ-ティ計画表とこれを修正したゴーマン-ギ
が保たれている。 例えば,第12挿話「キュク
ルバート計画表の2種類がある(秦)0
計画衷
232
表 ゴーマン-ギルバート計画表
挿話
R @
.場 面
時刻
1
テ レマコス
塔
午前 8 時
2
ネ ス トル
学校
3
プ ロテウス
海岸
1
・
カ リユプソ
家
午前8 時
腎臓
5
食蓮人 たち
浴場
午前1 0 時
生殖器
6
ハデ ス
墓地
午前1 1 時
7
アイオ ロス
新 聞社
ライス トリユゴネ ス族
.8
器官
学芸
色彩
* ft
技術
神学
白、黄金
相続人
語 り (若者 の)
午前 1 0 時
歴史
褐色
ft ,
教義 問答 (個 人的)
午前1 1 時
言語学
緑
潮流
独 白 (男の)
オ レンジ
ニ ンフ
語 り (中年者 の)
聖体
ナル シシズム
心臓
経潰学
植物学,
化学
宗教
白, 黒
管理人
イ ンキユビズム
正午 1 2 時
肺臓
修辞学
*
編集長
省略三段論 法
昼食
午後 1 時
食道
* %
図書館
午後 2 時
脂
文学
巡査た ち
9
スキユ レとカ リユプ
デ イス
10
さま よ う岩 々
市街
午後 3 時
血液
機械学
ll
演奏室
午後 4 時
酒場
午後 5 時
耳
筋肉
音楽
12
セイ レン
キ ユクロブス
13
ナ ウシカア
岩場
午後 8 時
目, 負
絵画
灰, 育
14
太陽神の牛
病院
午後 1 0 時
子宮
医術
白
15
16
キルケ
エ ウマイオ ス
娼家
真夜 中 1 2 時 運動器官
駁 者溜 り
午前 1 時
神経
17
イタケ
家
18
ペネ ロペイ ア
ベッド
午前 2 時
骨格
肉
嬬動
ス トラ トフォー ド,
ロン ドン
市民
バ】の女給
フ イニア会
政治
弁証法
迷路
カ ノン形式 によるフーガ
処女
巨大化
勃起, 弛緩
母
胎生的発展
魔術
航海術
娼婦
船員
語 り (老人 の)
科学
J$ M
教義問答 (非個 人的)
大地
独 白 (女 の)
幻覚
出所:結城[1999:22-23]
はいわば作品の骨子であり,鳥轍図である(1)
「器官」は精神の覚醒を問題視するかのよ
る。
ゴーマン-ギルバート表を見ると,第4挿話
うに「神経」という設定である。
以降のすべての挿話は人体の器官ひとつひとつ
事をする第8挿話の「器官」は「食道」であり,
に例えられているのが分かる。 ダブリンという
「技術」は消化の過程における腸の横慢な動き
一都市が人体の比暁で見立てられ,挿話の登場
を意味する「螺動」である。 以上のように『ユ
人物やエピソードはいわば体の部位や器官を体
リシーズ』では人物も重要だが,ダブリンとい
現しているかのような位置づけである。
ジョ
ブルームが食
う都市自体が解剖学的に人体の暗愉となり,作
イス自身,『ユリシーズ』のことを「二つの民
品の隠れた主役となっている。
族(イスラエル-アイルランド)の叙事詩であ
構造性や作品全体の位置づけという点で第10
り,同時にある1日(壁)の小さな物語であり,
挿話は多くの示唆を含んでいる。
人体の循環でもある」と形容している[Joyce
る一定時刻にダブリン市内のあちこちに分散す
1975:2701c
る市民の行動や思考を上空から眺めたかのよう
例えば,第7挿話の器官は「肺臓」との設定
に多元的な視点で措写する。
「場面」は新聞社で「時刻」は正午12時。
である。
「器官」は「血液」であり,登場人物が血液の
言葉が印刷されて新聞社から街中に伝播する伝
ように市内を循環する様子が描かれる。
達の形態が「肺臓」という言葉に象徴されてい
は19の短い断章から成る。 断章の合間には,い
る。
第16挿話はブルームとステイ-ヴンが,睡
きなり別の断章が入り込むことがある。
魔と酔いで意識が腰瀧とした状態を措いてい
時間的に同一時刻だが,空間的に離れた場所で
この挿話はあ
計画表によると
同挿話
主筋と
ジョイスの語りの構造 233
生起するエピソードが突然乱入し,読者は様々
大化」(第12挿話),「胎生的発展」(第14挿話)
な市民の日常をカメラの大写しで見るような感
といった呼び方で様々な文体実験が行われ,書
覚を味わう0
く行為そのものが目的となり,前景化している
ジョイスはリナ-ティ計画表の中で,この挿
という。作品全体の「勝」である第10挿話は
話をイタリア語で"PuntoCentrale-Ombelico(中
ちょうど端境期,移行期の挿話なのであり,読
心点-磨)"と形容している[Ellmann1972
者が新しい文体の世界-と入る中継点と形容で
1985:巻末の表]。 人体の真ん中に位置する勝に
きるかもしれない。
あえて形容したところに,同挿話を『ユリシー
ほかにも興味深い工夫が計画表から読み取れ
ズ』の重要な転換点となるよう企画した意図が
『ユリシーズ』の全18挿話の中で第1,第
る。
うかがえる。
2,第3挿話の三つと,第16,第17,第18挿話
ジョイスは失敗に終わったが,母国のユニ
の三つがちょうど対の関係を成すのだ。
ヴァ-シティ・コレッジ・ダブリンを卒業した
の提示方法を指すと思われる「技術」を見る
後にフランスで医学学校に通って医師になるこ
と,第1挿話が「語り(若者)」であるのに対
とを計画した。医学についての知見は少なから
し,第16挿話は「語り(老人の)」であり,第
ず持っており作品にも医学関連の知識が反映し
2挿話が「教義問答(個人的)」であるのに対
ている。自伝的小説『若き日の芸術家の肖像
し,第17挿話は「教義問答(非個人的)」である。
(以下,肖像と略す)』では,父親に連れられて
第3挿話は「独自(男の)」だが,第18挿話は
訪れた学校の机の上に「胎児(foetus)」という
「独自(女の)」とそれぞれ対称性がある。
言葉が彫ってあるのを見つけ,性欲に目覚め始
第1-3挿話は,ステイ-ヴンが一貫して主
めていたステイ-ヴンが強烈な印象を受ける場
役で彼を中心に話が進行する。
面があるほか,芸術行為を受胎,懐胎,生殖と
は,語りの次元も主役も挿話ごとに異なる。
いう過程になぞらえてもいる。
こうしてみる
挿話
第16-18挿話
酔
いと眠気でステイ-ヴンやブルームの意識がも
と,第10挿話を「勝」という人間の成長にとっ
うろうとなっている第16挿話は,常套句や古め
て重要な部位で形容した重みが浮かび上がって
かしい英語表現を使った単調で緩慢な語りが続
ォ*
き,酔いが回った登場人物の精神状態を文体が
例えば,同挿話を境にしてその前と後ろでは
なぞっている0第1挿話のように,ステイ-ヴ
文体や語りに大きな変化があることを多くの論
ンの心の動きが刻々変わるスピード感はない。
者が指摘している。 結城は前半の「初期の文
この点に「若者」と「老人」の語り方の対比が
体」と後半の「新しい文体」とをつなぐのが第
認められる。第17挿話は,キリスト教の教義問
10挿話であると指摘する[結城1999:2351c前
答のように質問と回答を一組とする合計309の
半の挿話では,後で述べる「自由間接話法」や
教義問答で様々な情報や話題が提供される。
意識の流れ,内的独白などの文体により登場人
2挿話にはステイ-ヴンが生徒に対して行う
物の心理を措いているのに対し,後半の挿話で
「個人的」な教義問答の場面や校長とステイ
は「カノン形式によるフーガ」(第11挿話),「巨
ヴンの問答があるが,第17挿話の教義問答では
第
234
語り手はもはや主人公に関係なく,第三者の客
3型と規則性
観的(-非個人的)な立場を装って,全く脈絡
他のジョイス作品にも『ユリシーズ』と同じ
のない情報を疑似科学的な文体で過剰なまでに
第3挿話と第18挿話の比較では第3
措写する。
様に特有の型,パターンがある。
言葉,物事に
挿話の「男」の独自の主はステイ-ヴンであり,
反復や繰り返しといった一定の循環性や対称性
第18挿話の「女」のそれはブルームの妻モリー
が見られ,こうした規則性が相乗的に文脈や言
まず,反復の例としては
であるが,それは単なる性別の違いを示すもの
葉の意味を増幅する。
第3挿話ではステイ-ヴンは詩人気
ではない。
倒置反復の手法が多く用いられる。
これは二つ
取りで「頭」の中で様々な言説を取替えながの言葉の順序を逆にして繰り返す修辞法であ
ら,アリストテレス,スウイフトなど様々な歴る。
例えば『肖像』の前半部で幼いステイ-ヴ
史上の人物に変容して思索する。
いわば,「男
ンに脅しをかける大人の歌は対称性がある。
最
初の2行を後の2行が反転して繰り返す。
の」独自はインテリであるステイ-ヴンの頭脳
これに対してモリー
が作る知的構築物である.
の「女の」独自は「身体的」と形容できる種 Pullouthiseyes (おめめをくりぬくぞ)
同挿話はジョイスによれば,
類の語りである。
Apologize, (おわびしな)
`because`bottom`womanyesという4種
Apologize, (おわびしな)
類の言葉がキーワードをなし,それぞれ体の部 Pullouthiseyes (おめめをくりぬくぞ)
位であるbreasts`arse`womb`cuntを象徴
[Joyce 1986b: 8]
すると語っている[Joyce1975‥285]cモリーは
独自でその日の夕方の仕事仲間との情事を回想
このほか"Madam,ImAdam"のように英語
し,過去の男性遍歴をあからさまに開陳する。
圏で日常的に使われる回文もジョイス作品では
いわば,ゲーテの『ファウスト』の主人公ファ
登場人物の心の中で反すうされる。また,『肖
像』のステイ-ヴンは地理の本に自分という存
ウストが「否定する精神」であるのに対し,モ
在と周囲の環境がどういう階層構造になってい
リーはジョイスの言葉を借りれば,「肯定する
:285]であり,ステイ-ヴンの抽
肉体」[ibid.
るのかを書き記し,その項目リストを順番に読
第1-3挿話と第16-18
象的な独白と異なる。
む。
ステイ-ヴン・デイ-ダラス-初等級-ク
挿話に見られる対照は計画表が示す挿話ごとの
ロンゴウズ・ウッド学寮-サリンズ-キルデア
設定を具象している。
以上のように,計画表は
州-アイルランド-ヨーロッパ-世界一宇宙。
複雑な形式と内容を持つ同小説を理解するうえ
次にステイ-ヴンは宇宙から逆に読み返し始
で,作品の底流にある独特な構成原理に近づく
め,倒置反復を行うのだ。彼は合わせ鏡をみる
視点を提供してくれる。
こうした形式的,構造
様に言語と戯れている。
的な枠組みは次節以降で述べるように『ユリ鏡面的な言葉の利用はほかにもある。
シーズ』に限ったことではない。
ス
テイ-ヴンが小川の中に立つ少女を見つめ,そ
の優美な肢体に魅せられるとともに突如とし
ジョイスの語りの構造 235
て,詩人として生きる啓示を受ける場面であ
の工匠ダイグロスは半人半獣の怪物ミノタウロ
るO対称性を分かりやすくするた捌こ原文を引
スを閉じ込めるための迷宮設計を・ミノス王から
用する。
命じられる。ダイグロスは迷路を作ったが,秘
"Herbosomwasasabird'ssoftandslight,slight
密をばらされぬよう自分と息子を怪物もろとも
andsoftasthebreastofsomedarkplumageddove
迷路に幽閉しようとする王の計略を知り,羽を
(彼女の胸は鳥のそれのように柔らかく華著で,
付けて島を脱出する。 一方,『肖像』のステイ
黒い羽毛の鳩のそれのように華蜜で柔らか)"
ヴンは詩人として転身する宿命を自覚する設定
[ibid∴156]`bosom'を`breast'と言い換えて
であり,祖国アイルランドは彼の成長を妨げる
文章に倒置反復的な関係をもたせたことで往還
迷路に相当する。 変形・転換がオウイデイウス
的なリズムが生まれている(2)
神話の中核であり,ダイダロスの英語名である
『肖像』の作品構成自体も反復的な対称性が
デイ-ダラスを名前に持つステイ-ヴンは迷
『肖像』は5章から成るが,2章
認められる。
と4章の偶数章ではステイ-ヴンは満たされな
宮(-祖国)脱出により詩人として旅立つ。
い魂の救いを女性に求める。 2章では売春婦の
転生を自覚するのであり,神話の枠組みを援用
胸の中に抱かれ,4章では小川の少女に電撃的
し,一人の人間の成長が普遍的次元に高められ
な啓示を受ける。一方,奇数章の1章と3章で
ここで内容と神話的構造は不可分に結びつ
る。
は男性的権威にステイーヴンは頼る。
いている(3)
1章では
幾
筋もの心理の起伏の末に主人公は詩人としての
教師から不合理な体罰を受けた不満と怒りで,
神話との並行関係を示すようにステイ-ヴン
校長に不当な仕打ちを受けたことを直訴し,彼
は,迷路や迷宮を思わせるような,廊下や曲が
の無罪が認められる。 この行為を学友から祝福
りくねった小道を抜けて,目的の場所にたどり
され,彼は英雄気分の成功感を覚える。
着くことが多い。例えば,1章ではそれは,不
3章で
は神父の説教を聴いて良心が責めさいなまれ,
当な体罰を校長室まで訴えに行くまでの階段
告解で自分の罪を告白して心が浄められるのを
や廊下であり,そこは「低くて薄暗い狭い廊
感じる。
このように『肖像』では章ごとに主人
下(thelowdarknarrowcorridor)」[ibid.
公の心理が大きく起伏するのだ0
ある。
売春婦がステイ-ヴンを誘う通りは「狭
1章で高揚し
たのに,次の2章では精神が深く沈む。
3章以
:50]で
くてきたならしい迷路のような通り(amazeof
降も精神が高ぶったり,落ち込んだりを繰り返
narrowanddirtystreets)」[ibid.:.92]である。 迷
す。
主人公の心理の上昇と下降の往復運動がそ
路は主人公の混迷や動揺の象徴的表象であり,
のまま小説を進行させる動因になっている。
その試練を抜けることが成長の区切りとなる。
この小説はギリシア神話のオウイデイウスの
摘像』のもう一つの工夫として,象徴形式
『変形帯』を下敷きにしている。『肖像』の冒頭
の反復がある。この作品において煽煽,鳥,道,
には『変形辞』の第8巻188行の一節である「こ
バラ,B,盲目といったイメージは主人公の心
うして彼はいまだ知られない技に心を打ち込
理が仮託される象徴的な意味合いを帯びる。
む」が飾られている。この神話に登場する伝説
とえば,『肖像』の冒頭では幼いステイ-ヴン
た
236
が何か悪さをし,「目をくりぬくぞ」と周囲の
のような魂(abatlikesoul)」であり,「彼女と
大人たちから脅かされるエピソードが置かれ
彼自身の民族の典型(atypeofherraceandhis
こうした幼児期の原体験が冒頭一にきた後
:166]とステイ-ヴンには映る。
る。
awn)」[ibid.
盲目,視覚を失った状態が後進国アイルランド
に,場面は学校の運動場でフットボールの授業
をステイ-ヴンがしぶしぶ受けているところに
の姿であり,精神的な退廃,蒙昧,性的堕落や
ステイ-ヴンは授業に乗り気でな 不品行の象徴なのだ。
きりかわる。
一方,「鳥」のイメージにも反復と意味の増
いことを教師にさとられないように,ボールを
幅の作用が見て取れる。
作品の冒頭にある鷲
追いかける振りをし,教師の監視の「目」を逃
幼児期から強迫観念のように主 は,幼いステイ-ヴンをこらしめに目をくりぬ
れようとする。
人公に迫ってくるのが攻撃的な鷲であり,家
きにやってくるoステイ-ヴンの嫌いなフット
庭での絶対的な権威者である両親である。
ボールの球はあちこちに蹴飛ばされ,鳥のイ
ス
「あぶらぎった草の球は
テイ-ヴンはフットボールのボールを追いかけ
メージが付与される。
灰色の光のなかを重い鳥のように飛んだ(the
ながら,「目はかすみ,涙が出る」[ibid∴8]。
また,1章でステイ-ヴンが校長に不当な体 greasyleatherorbnewlikeaheavybirdthroughthe
罰を直訴しにいくきっかけは,彼がふとしたこ
:8]。
鳥や飛期のイメージは
greylight)」[ibid.
小説の後半においてステイ-ヴンが詩人として
とから眼鏡を落とし,壊してしまったことだっ
教師は眼鏡を壊したのは授業をさぼる口実
た。
の使命を自覚して,パリに亡命する行為に相当
だと受け取り,ステイ-ヴンに体罰を加えたの
するが,幼児期においては主人公に苦痛や恐怖
小説の中で「目」や目に関連する事物を感じさせる負の印象が付与されている。
負の
である。
象徴が主人公の転生と同時に正の意味に転換す
は主人公の自立や独立といったテーマと潜在的
るところに『変形讃』の含意が通奏低音のよう
に結びついており,精神分析学的に言えばス
に響くのである。
テイ-ヴンは権威者により去勢不安にさらされ
ているとの解釈が可能であろう。
上記のように象徴的なイメージやエピソード
「目」の象徴性は作品の進行に伴って深まる。
は作品全体を通して反復されるが,その過程で
ステイ-ヴンは成長につれ,様々な社会的矛盾
例え
新しい意味を遡及的に帯びる作用もある。
救済の対象とみなすアイルラン ば,ステイ-ヴンは少年時代に,農家の戸口で
に突き当たる。
子供を抱いている百姓女を見たことがある。
彼
ド民衆の代表的な人物は,友人から開いた不貞
友人が夜道を歩いて,水をも
な百姓女である。
は暖かい田舎の家屋で眠ると心地よいだろうと
夢想するが,道は暗く,暗闘に迷うと恐れる。
らおうと農家のドアをたたくと女怪が出てく
ちょうどその日は亭主が不在で,この女房「ああいう農家の,いぶっている泥炭の火の前
る。
は友人を室内に誘うそぶりを示したという。
こ
で,火に照らされた閥の中で,暖かい闇の中で
百姓と空気と
の話にステイ-ヴンは退廃的なものを感じ,ア
眠ることは,楽しいことだろう。
雨と泥炭とコーデュロイの匂いをかぎながら。
イルランド民族の堕落を重ね合わせるのであ
彼女は現実の圧制に盲目的に従う「煽煽 だけど,樹木の間の道路はなんと暗いのだろ
る。
ジョイスの語りの構造 237
う。
暗闇で道に迷ってしまう。
だけでびくびくした」[ibid.
彼はそう考えた
:16-17]c大学の友
人から聞いた不貞な百姓女の話は,この過去の
エピソードに遡及的に結びつく。
文法的には語り手の文でありながら,意味内容
では登場人物の視点に立って思考が表現される
技術である。例文を使って直接話法や間接話法
冒頭から読み
を対比させてみると以下のようになる。
進めていくと最初は何の変哲もない文章が作品
①Sheaskedherself了AmIlate?
の複雑な照応関係の中で溶け合い,作品の主題
ゥSheaskedherselfifshewaslate.
と重なって新しい意味を帯びるのである。
ゥSheaskedherself.
以上のように言葉やエピソードが自己言及的
直接話法の①では「彼女は自問した。
に遡及し,反復され,循環する規則性がジョイ
れたの? 』」となる。 登場人物の談話は引用符
ス作品に埋め込まれている。 巧妙に配置された
でくくられて再現される。 間接話法の②になる
言葉や象徴が読者に形式感覚の存在を認識さ
と「彼女は自分が遅れたのかを自問した」とな
せ,その形式の完成度を増していくのがジョイ
り,彼女の発話は条件節に含まれてしまって発
スの創作の基本的傾向と・言えよう。
言の直接性が薄まる。 ところが,③の自由間接
'
WasIlate?
『私は遅
話法では引用符を用いないで,私は遅れたの?
4語りの心理描写
という訳出が可能になり,読者は主人公の心理
規則性のある反復や循環と並んでジョイス作
にすぐ入り込めるようになる。
品の特色をなすのが「意識の流れ」など新しい
は登場人物と語り手の視点が揮然一体となるた
心理描写の技法である。 19世紀の写実主義文学
め,誰が語っているのか暖味になる。
から20世紀の本格的なモダニズム文学-の移行
ジョイスの狙ったところでもある。
は,小説が人物の意識,内面への関心を強めた
さらに進めたのが,意識の流れや「内的独自」
時期に一致する。ジョイスをはじめとするモダ
である。内的独自では「彼女は自問した」と
ニズムの作家の多くが採用した心理描写では,
いった先行する文がいっさいなくなるほか,引
3人称の視点で物語の進行を制御する「全知
用符もなしでいきなりWasIlate?
の語り手(omniscientnarrator)」がいないため,
三者的な語り手はいなくなって外と内の境界が
伝統的小説にあったストーリーの統一性や首尾
消える。
本節では
一貫性を失いかねない問題をはらむ。
ジョイス作品の構造や形式が,小説の成り立ち
ジョイス,ヴァージニア・ウルフ,キャサリ
を内側から支え,制御する役割を果たすことを
流れの作家として知られるが,その使用は以前
見ていきたい。
に遡る。フランスでは19世紀中葉にギュスター
ジョイス作品では発話される前や発話されず
ヴ・フローベールが『ボヴァリー夫人』で自由
に終わる心の中の様々な意識を提示するため
間接話法を用いており,小説の登場人物をいか
に,自由間接話法が数多く使われている。
この
自由間接話法で
そこが
この形式を
で始まり,第
ン・マンスフィールドなどが英国圏では意識の
なる角度から見るかについて工夫した。
フロー
話法はテキストの語り手が語る人称・時称(ふ
ベールはジョイスより一世代前の作家であり,
つうは三人称直接過去形)によって表現され,
ジョイス自身は意識の流れの手法について,同
238
時代のフランスの象徴主義の作家であるエドエ
みならず,哲学,絵画など様々なジャンルで現
アー)Vデュジヤルダンの作品『月桂樹は切ら
われている。
意識の流れ,「持続」といった見
方で人間精神が新たに解釈し直され当時の前
れた』に着想を得たと語っている[Joyce1975:
229]。
衛的な小説家はこうしたベルグソン流の時間感
ジョイスや同時代の作家が人間の自意識を措
覚や意識の流動性を表現する新しい手法を彼ら
くことに集中する時期にちょうど同じような歩
なりに工夫しなければならなかった状況に置か
「意
調をとっていたのが哲学や心理学である。
れていたと言えるだろう。
識の流れ」という言葉はもともと米国の心理学
モダニズムの作家たちは意識の流れの技法
者ウイリアム・ジェイムズが提唱した考えであ
や自由連想を利用して,個人の内面に起こる
人間の意識や観念,感覚は川の流れのよう心象や言葉として発話される以前の思考を表
る。
個人の内面にある思考は,記憶が複数
に流動的に連なっているとし,個人の精神は現した。
まとまったイメジヤリーや連想という形で言葉
時計のような統一的な時間の流れとは別個の
過
時間・空間感覚を持っていると主張した。
に変換され,個人の精神の内側を映すものとさ
ぎ去った過去も個人の中で現在と同時に存在
こうした手法を用いることで小説作品は
れた。
当時のフ
し,時間の違いは重視されなくなる。
3人称の客観的な語り手で叙述するよりも,人
ランス語園におけるモダニズム文学の代表作と
物への距離感が縮まり,臨場感のある描写が
言える,マルセル・プルーストの『失われた時
『ユリシーズ』第5挿話でブルー
可能になる。
を求めて』では,主人公の個人的な感覚が過去
ムの内的独白にベルグソン流の言葉がある。
Alwayspassing,thestreamoflife"[Joyce1986a:
の生々しい記憶を呼び起こし,過去と現在の記
同時期には,哲学の分野
憶が揮然一体になる。
71]cジョイスが残した蔵書の中にはベルグソ
ではアンリ・ベルグソンが時間によって分割で
ンの著作『創造的進化』があった[Ellm;
aim
.
きない意識の流れを「持続」と名付け,時間と
当時の哲学の最新潮流にジョイス
1977:101]。
空間の関係に新しい概念を提唱している。
当時
も同時代人として深い関心を示していたことが
は精神世界に対する関心が同時発生的に高まっ
分かる。
「意識の流れ」では発話もしくは言語化され
た時期であり,前衛芸術ばかりでなく心理学な
どの新しい科学が人間の思考のあり方に着目し
る以前の心の内側を措くことに主眼が置かれ,
ジークムント・フロイトは人間の無意識を
た。
テキストの文脈に関係なく,いきなり人物の
研究する精神分析学を始めたし,ある模様や図
例えば,
内面が描かれることがたびたびある。
『ユリシーズ』の第18挿話はモリーの内的独自
形などを見せて被験者が何であると知覚するか
彼女の思考は流動的な意識
を研究するゲシュタルト心理学が普及し始めた
で占められている。
のもちょうどこの時期である。
を表象するかのようにほとんど句読点がない。
人間精神・意識への関心の高まりは19世紀か
過去・現在・未来といった時間感覚と無縁な連
想が延々と続く。
ら20世紀にかけての芸術の特徴であり,「時間」
ベルグソンの「持続」と似た
と「空間」の概念が相互浸透する現象は文学の
個人特有の時間感覚がそこにはある。
モリーは
ジョイスの語りの構造 239
時間の制約から離れて,思いつくままに話題を
ルイスの疑念に対する一つの回答として眺め
つぎつぎ転じ,つい最近のエピソードに過去の
ると,構造・形式性にジョイスが込めた意図が
思い出を平気で混入する。 だが,内的独自は全
浮き彫りになる。 『ユリシーズ』の大枠の形式
知の語り手による客観的で統一的な視点を持た
と言えば,ホメロスの『オデュッセイア』であ
ない文体であるため,メッセージに一貫性がな
ジョイスは意識の流れの手法により,通常
る。
くなる。そこで作者に作品に構造を与えて物語
の時間・空間感覚を超えた人間の心理を描いた
を補強しようとする動機が自然発生的に生じて
が,この大部の小説が一定の統一感を保持する
くる。
のは『オデュッセイア』との照応や,言葉の反
英国の作家・批評家でジョイスとも交友の
復に見られたような隠れた骨組みがあるためで
あったウィンダム・ルイスは『ユリシーズ』を
エリオットが指摘したように神話との照
ある。
「時間の本(atime-book)」と呼び,内的独自や
応は現代の混沌に秩序と形式を与えたが,これ
意識の流れの文体では時間と空間の統一性が失
は混沌とした時代に置かれた登場人物の精神に
われると指摘した[Lewis1927:91-130]c彼は
統一と秩序,そして普遍性を与えることでもあ
ジョイスの手法がベルグソン哲学と同じである
ルイスが指摘したように,時間と空間の
る。
とし,アインシュタインの相対性理論にも通じ
古典的な予定調和は破壊されるかもしれない
ると解釈した。相対性理論はそれまでの古典的
が,隠れた構造が小説と登場人物双方に強固
なニュートン力学が「絶対的時間」「絶対的空
な足場を与えているOバンフリーはウルフと
間」を前提としていたのに対し,観察者がどこ
ジョイスの作品分析を通じ,意識の流れの作家
にいるかで,時間と空間の連続体にゆがみが生
ではパターンへの依存が強くなると指摘する
じ,時間の歩みに遅れが生じることがあるとい
[Humphrey1954‥86]cその例として,ライト
う新しい考え方を提出したことで知られる。
ル
モチーフ,体系化された文学的パターン,自然
イスは意識の流れにおける時間概念の転換をこ
界の循環,象徴,演劇的な要素など7種類を挙
の物理学上の革新と同様の認識の転倒を起こす
げているが,ジョイス作品にもその多くが当て
ものとして警戒したのである。
はまる。
ルイスが問題視したのは,モリーの独自に見
ジョイスや同時代の作家で心理描写が優勢に
られるような自由な時間感覚の横溢である。
彼
なった背景には,表現様式や知覚の変化という
は意識の流れの小説では,客観的な外的な世界
文学史的な変化もある。 19世紀の文学や絵画で
(古典力学的な安定した世界観)の支えを失い,
重きをなした2大潮流はリアリズム(写実主
近代小説が暗黙の前提としてきた自我も同時に
義)とシンボリズム(象徴主義)であった。
失ってしまうと考えた。 意識の流れの手法は,
アリズムは自然界や人間世界を経験的,もしく
人間精神に自由を与えるどころか,反対に人間
は眼に見えるように忠実に措写する。
から確固とした主体性や自由を奪い,外的な力
徴主義は夢,神秘性を言葉や絵画的表象に拠っ
に機械的に従う受身的な存在に格下げしかねな
て象徴的に表現する運動で,主観や自我を超
いとルイスは批判する[ibid∴1101c
えた不可視の世界を表現しようとする衝動が
リ
一方,象
240
根底にある。
ソーントンはジョイスが両者を
ズ』は20世紀の共通のテーマに対して,明確な
総合または融合しようとしたと指摘している 表現を行っている。
それは現代人が,本質的に
[Thornton1994:521c象徴主義には外界の世界 異なる内と外の世界を融合するという困難に直
から離れ,内面の世界に退行する傾向がある。面しているということであり,外の世界とは首
一方,リアリズムは外界の世界-の適応に集中 尾一貫しておらず,永久に我々の手に負えない
するあまり,目に見えない思想や魂を表現しに経験の世界のことである」と述べている[Hart
くい。
この対立は絵画の世界でも起こっていた 1974:183]。
主体と客体,内(精神)と外とい
のは広く知られるところであり,文学でも二つうデカルト以来,自明のものと思われた境界が
実際,ジョイス作
の潮流がせめぎあっていた。
解体・消滅する中で,両者を架橋する手段が意
識の流れや自由間接話法による文体の工夫であ
品にもリアリズム的解釈も象徴主義的解釈も許
容する間口の広さがある。
り,神話の外層によって登場人物に原型的な普
写実主義も象徴主義も表現様式の問題である 遍性を与えることが19世紀の伝統的小説の因襲
とともに,作家の世界観の表現でもある。
それ
から脱するために必要であったと言えるかもし
は登場人物を外から見るか,内から見るかの視九Eara
点の違いとして文体や話法にまず現れる。
ベル
形式・構造への依存が,意識の流れの必要条
グソンやアインシュタインによる哲学・物理学
件ならば,それを小説で有効に機能させる十分
上の知見により,当時は「時間」概念と「空間」
条件(技法)にも目を配らなければならない。
意識の流れを成立させる手法と似通っている
概念が相互浸透するイメージが流布していたの
モンター
であり,そこでは「内」と「外」,客観的な外 のが映画技術のモンタージュである。
ジュは複数の無関係の映像のカットを次々組み
的世界と個人の自我の境界があいまいになる。
ルイスがジョイスの手法を批判したのは,「自合わせたり,つなぎあわせたりして新しい意味
我」という近代西欧社会が定立し,それまでのを作る映像手法である。
過去の場面が瞬間的に
現在に介入するフラッシュバックや,視点を
伝統的小説が暗黙の前提としてきた主体概念が
徐々に狭めるクローズアップなどと並んで映画
足元から揺らぎ始めたことも影響している。
こ
うした知覚や認識論的な変遷をジョイス作品が
編集の技術として編み出された。
これらの技法
反映していることは確かであろう(4)。
は種々の心理効果を観る者に与えることを狙っ
ジョイスは友人に次のように語っている。
たものであり,ジョイスの小説にも同じような
「私達の目的は外的な世界と,現代の私達自身作用が認められる。
モンタージュはイメージや
の間に新しい融合を創ることです」[ibid∴59]。
映像の急な展開と,通常の時間感覚や順序から
ジョイスの生きた20世紀前半でも人々は外的な
逸脱するという点で,意識の流れの手法に通じ
現実社会に絶えず緊張を強いられながら生活を
どちらも時間的な順序や序列,空間の距離
る。
していたのであり,モダニズム文学は登場人物感といった伝統的な観念を解体するからである。
の造詣に際し,精神の開港と向き合わざるを
同時的で並列的なモンタージュと言えるの
クライブ・ハートは「『ユリシー
得なかった。
が,第2節で触れたように『ユリシーズ』の第
ジョイスの語りの構造 241
10挿話である。本挿話では19の断章でダブリン
現がみられる。 「死者たち」の最後部で主人公
のあちこちにいる市民の行動が鳥轍図的に描か
のゲイブリエル・コンロイが過去への悔恨とと
れるが,このうち15の断章には33の別の物語の
もに眠りに落ちていき,彼の繊細だが倣慢な自
断片が介入し,物語の進行を阻止・中断するよ
我の崩壊が示唆される。 この場面において,彼
うに埋め込まれる。 挿入された断片は,他の場
がそれまで遠ざけていた後進地域のアイルラン
所で同時刻に起こっている全く別の話である。
ド西部への言及や,部屋の外の雪が降り積もる
小説の語り手は読者に多元的な空間や時間を提
情景描写が続き,キリストの復活を思わせる十
示する。いわば,この挿話では時間が共時的に
字架や墓石,イバラといった言葉が使われる。
固定され,多元的な空間(場所)を同時に示す
多くの論者が指摘しているように,ここでゲイ
空間のモンタージュが成立している。
ブリエルはそれまで忌避していたアイルランド
反対に,
空間を同じ箇所に固定し,時間を様々に切り替
への共感が芽生え始めるとともに,精神的な改
えると,モリーの独自のような内面描写が容易
心と復活が示唆される。 「西-の旅に向かう時
'm&m
がとうとうやってきたのだ。
ジョイス作品ではモンタージュは登場人物の
んだ十字架や墓石の上に,小さな門の槍先に,
連想の中でも生じる。 例えば,『肖像』の主人
荒れはてたイバラの上に,吹き寄せられ,厚く
公であるステイ-ヴンは隣人の娘(アイリー
積もっている。雪が宇宙の中をひそやかに降り
ン)を思い出す時にモンタージュの手法で彼女
積もり,最後の時が到来したかのようにすべて
のイメージを膨らませる。 まず,彼女の手は白
の生きとし死せるものの上に積もるその昔を聞
かったという現実の思い出がある。
きながら,彼の魂はゆっくりと意識を失って
別の連想で
(中略)雪はゆが
アイリーンの一家が属する新教徒がカトリック
いった」[Joyce1977:255-56]c複数のイメージ
を抑輸する時に「象牙の塔(聖母マリアのこ
や象徴を映像的な喚起力で並列的に提示し,叙
と)」という言葉を使うことを思い起こし,次
情的な効果を出している箇所である。
のように二つを結び合わせて自分独自の意味を
作ってしまう。「アイリーンの指は長くて白い。
5「機械」としての小説
いつかの夜に鬼ごっこをしていたら,僕の目を
ジョイス作品を生み出す時代的背景を前節で
手で覆い隠した。長くて白くてほっそりしてい
分析したが,改めてジョイスにとっての形式
て,冷たくて,柔らかかった。
あれが象牙。 冷
性,技法の持つ意味を考えてみたい。
数学的な
たくて白いもの。 あれが「象牙の塔」の意味」
「秩序」や「型」は作家の世界観の反映であり,
口oycel986b:33]cまた,偏頗(bat)が彼にとっ
その独特な精神状態を知る手がかりとなるから
て盲目的なアイルランド民衆の象徴であること
本節では細部に徹底的なこだわりを見
である。
は先述したが,教師が懲罰に使う棒(pandybat)
せたジョイスの創作動機を探る0
は`bat'という文字を含み,煽塙の負の印象
小説の内容に極めて高い真実性や正確さを追
を強化する遠隔的モンタージュと受け取れる。
求するジョイスの姿勢が,通常の程度をはなは
『ダブリン市民』でもモンタージュに近い表
だしく超えていたということは多くの論者が指
242
摘してきたし,残された書簡などの資料もそれ
シーズ』などの小説に歴史や文化政治,社会,
を裏付けている。
例えば,『ユリシーズ』の執
経済から市井的な細事に至るまで膨大な量の情
筆時にジョイスは当時のダブリンの住所目録で
報を詰め込んだ。
小説という虚構(フィクショ
ある1904年版の「トム編ダブリン市住所人名
ン)を作るために,作家が手に入れられる可能
録」で実在する人物を調べたり,ブルームの自
ここで再び構
な限りの素材が動貞されている。
宅住所として当時,空き家だったエクルズ通り
造性の問題が鍵となる。
また,鍵を忘
7番地をわざわざ選んだりした。
スコールズはスイスの認知心理学者ジャン・
れたブルームが自宅の半地下の台所から入る際
ピアジェの構造の概念を借りて,ジョイス後期
に,ブルームのような体格の人間が無事に柵を
の作品には①全体性②変換性③自己制御-の
乗り越えて降りられるかどうかを「段落の言葉
法則があるとした[Scholes1992:123]。
全体性
とは組み合わせの法則に従って要素が配列され
遣いを決定するために」,叔母に問い合わせて
同じ手紙ではさらに1893年の厳冬にダていることで,テーマや語句が照応関係を持っ
もいる。
ブリンを流れる運河が凍ったかどうか,凍った
文学作品すべて
てまとまりを持つことを指す。
水の上でスケートができたかどうかまでこまご
が通常持つ性質であり,ジョイス作品にのみ固
まと確認しているUoyce1975:286-87]cこれ 有なものではない。
次の変換性とは,構造のあ
らは,細部への極端なまでのこだわりによって
る一部分が規則性を持って変換・加工される性
虚構の小説に膨大な量の情報を並べ,真実らし
質を指し,スコールズは例として構造主義言語
さ,もっともらしさを構築しようとするジョイ
学のノーム・チョムスキーが創出した生成文法
生成文法は,伝統文法によらな
スの意図がうかがえるエピソードである。 を挙げている。
ケナ-はジョイスのこうしたこだわりの背
統語論
い統語論という新しい概念を提出した。
後に機械的,科学的な態度を見る。
ケナ-は,
では名詞,動詞,冠詞などの個々の構成要素が
ジョイスが作品に百科全書的な膨大な情報量を
一定の制限の下に組み合わさって句構造を作
与え,その情報素材の組み合わせや変換を通じ
り,句構造を様々に変形することで最終的な文
てダブリンの全体を描こうとしたと主張する
チョムスキー理論では有限
が作られるとする。
[Kenner2005:62-73]cこうした百科全書的な個の統語規則を修得すれば原則的に無限の組み
網羅性はフローベールに由来するとし,「素材
合わせの文章が生成できるとされ,統語規則は
数学のような秩序と拡張性を持つわけである。
を言い尽くすこと,もしくは網羅するように見
『ユリシーズ』は有限個の単語から成り,その
せることこそジョイスの構想の本性であった」
:621。
と述べる[ibid.
中でテーマや語句の反復や再帰が行われて複雑
形式性・構造性-の偏執を作家の独自の精神な照応関係が成立している。
本論文で検証して
状態の現れと見るためのヒントがここにある。
きた倒置反復などの規則性や計画表はピアジェ
正確性,精確さを極めることは,文学に科学的
のこの「変換」に相当すると考えられる。
客観性を取り込もうとしたフローベールと同様
3番目の自己制御とは,ある系の出力(結
果)を本体に還流させるフィードバック機能で
の営為とも受け取れ,ジョイスは実際に『ユリ
ジョイスの語りの構造 243
あり,構造が自己完結的で閉じていることを意
は言葉を操作して世界を創造するエンジニアで
味する。『ユリシーズ』ではホメロスの神話と
あり,小説は製品である。
の並行関係が一種のフィードバックの環となっ
自己制御するために小説に内蔵した神経網であ
ている。『肖像』も含め,神話的テーマが作品
り,技術的な精密さと周到さでもってジョイス
にまとまりと統一感,一貫性を与え,読者の解
は作品を練ったのだ。
釈を誘導する。 テキストに内蔵された見えない
ジョイスの言う「エンジニア」とは徹底的な
構造が作品を制御するのである。
正確さ,精確さの隠輪であり,これはフローベー
『ユリシーズ』で特に顕著だが,ジョイスの
ルなどの先達からジョイスが引き継いだ遺産で
作品では言葉やテーマがある種の規則性を伴っ
ある0ジョイスはそれを踏み台に洗練と抽象の
て反復され,読者はこうした言葉にめぐり合う
度をさらに高めた。 徹底的な抽象と精密への希
たびにどこかで遭遇した既視感を覚える。
綿密
構造や形式は作品を
求が構造・形式の根本にあることを見落として
に張り巡らされた言葉の照応関係は現在の技術
はならないだろう。最後の作品『フイネガンズ・
に例えれば,インターネット上で相互連関する
ウェイク』では主要登場人物を特殊記号で表し
情報の束に形容できるかもしれない。
たほか,様々な言葉を加工・合成するなど言語
小説とい
う媒体自体が機械となり,そこに登場する人物
的意味や形態を極端に抽象化する作業に没頭し
を動かし始める。 多種多様な言葉や断片が織り
た。
ジョイスの作家としての経歴は『ダブリン
込まれている大部の物語でありながら,断片の
市民』から最後の『フェネガンズ・ウェイク』
コラージュが呼び起こすイメージの連鎖反応が
まで小説の構造化を徹底し,先鋭化させる軌跡
作品に通底する全体的な脈絡の存在を読者に知
だったと跡付けることができるかもしれない。
らせる。つまり,小説に備わる内的構造性が小
説内容の野放図な拡散を防ぎ,テキストに一定
6おわりに
の密度を保つ役割を果たしているのである。
ジョイス作品の形式性,構造性は,創作上の
ジョイスが友人-の手紙で自分をエンジニ
要請である以上に作家独特の健界観の反映で
ア(技術者)に例えているのは小説-機械装置
あり,作家が求めた美学であったと考えられ
という観点で見ると興味深い。 ジョイス作品の
様々な言語表現の実験を試みたジョイスを
る。
前衛性を評価し,長く支持者であったバリエツ
20世紀文学の先端に位置づけるのは長らく常識
ト・ショー・ウイ-ヴァ-がある時,ジョイス
になっている。だが,文学の技法を越えた作家
の時間に対する凡帳面さを"anenginedriver(機
の精神の連動,世界認識のあり方という観点で
関士)"と形容した。 ウイ-ヴァ-への手紙の
ジョイス作品の構造性を見ると,当時の美学や
中でこのことを取り上げ,ジョイスは「私は作
哲学など知的活動全般に広がる時代精神との共
曲家であり哲学者やその他もろもろの人間であ
通性,連携が認められる。 絵画など他の媒体と
ると同時に世界でもっとも,とまでは言いませ
の比較を含めて,時代の認識知とジョイスの関
んが,偉大なエンジニアの一人なのです」と冗
連について考察を深めたい。
談めかして語っているロoyce1975‥321]c作家
〔投稿受理日2006. ll.24/掲載決定日2006. ll.30〕
2-1-1
漢
(1)計画表は『ユリシーズ』の18の各挿話に対し場
Eliot,T.S.,(1975)"Ulysses,OrderandMyth"inSelected
S. Eliot.,FrankKermodeed.,London:Faber
-丸谷才一訳,(1975)「『ユリシー
andFaber,175-78.
ProseofT.
面,時刻,象徴,色彩,器官などを細かく割り当
てている。 「場所」は各挿話の起こる地理的な場所,
「時刻」は挿話が始まる時間。
「器官」は各挿話の
ズ』,秩序,神話」,平井正穂・高松雄一編,『筑摩
主題や象徴を人体の比聡で示しているといった具
ン』,筑摩書房,239-41.
EUmann,Richard,(1972)Ulys.
合である。
「対応」は『オデュッセイア』の登場人
物や場所,出来事と『ユリシーズ』の照応関係を
世界文学大系71イエイツエリオットオーデ
∫esontheL折y. NewYork:
示すoジョイスは1920年9月21日付のリナ-ティ
-和田旦・加藤弘和訳,
OxfordUniversityPress.
(1985)『リフィー河畔のユリシーズ』,国文社.
宛の手紙の中で計画表に言及し,「一種の要約-鍵
-,(1977)乃eCon.
-骨格-計画表といったもの」と述べている[Joyce
尚,本文の表では,「対応」の部分を
1975:270]。
省略した。
(2)ジョIjス唯一の戯曲『亡命者たち』では,登場
Faber.
Gilbert,Stuart,(1952)Jame,∫Joyces"Uly∫∫e∫"AStudy.
人物の名前に対称性が見られる。
Book.
London:Faberand
∫iousnessofJoyce.
London:FaberandFaber.
Joyce,James,(1977)Dubliners.
亡命先から帰国
London:ATriadGrafton
した主人公リチャード(Richard),彼に淡い愛情
,(1986a)Uly.
を抱くベアトリス(Beatrice),リチャードの妻パー
Gablered.,Harmondsworth,Eng.
サ(Bertha),リチャードの親友でパーサを誘惑す
一・氷川玲二・高桧雄一訳,(1996,97)『ユリシー
るロバート(Robert)の4人が主要人物だが,リ
チャードとベアトリスは`nc,ロバートとパーサ
ズ(IIIⅢ)』,集英社.
-(1986b)APortraitoftheArtista.
は`bertという共通の綴りがあり,4人の微妙な
London:AtriadGraftonBook.
交錯関係が暗示されている。
(3)ステイ-ヴンの心理の起伏がそのまま作品構造
,(1975)selectedLettersofJamesJoyce,Richard
ブ∫es,thecorrectedtext,HansWalter
:Penguin. -丸谷才
∫aYoungMan,
Ellmanned.,London:FaberandFaber.
Hart,Clive,(1974)"WanderingRocks"inCliveHart
と重なるのは,主人公の魂の成長を描く教養小説
(Bildungsroman)という設定によるところも大き
Critical
andDavidHaymaneds.,JamesJoyces``UIy∫∫e∫?
Es∫ays. Berkeley:UniversityofCaliforniaPress,181-216.
い。 小説ジャンルの選択を見ても,ジョイスが構
造性を意識していたことは否定できないであろう。
Humphrey,Robert,(1954)streamofCon∫ciou.
∫ne∫∫inthe
Berkeley:UniversiりrofCaliforniaPress.
(4)ダニエル・ベルは20世紀の芸術全般の特性とし
ModemNovel.
て距離感の喪失を挙げ,ルネサンス以来の時間と
Kenner,Hugh,(2005)TheStoicComedian∫.
空間の合理的な調和がなくなったと論じる[Bel]
andBeckett. London:DalkeyArchivePress;orig.
Berkeley:UniversityofCaliforniaPress,1962.
Lewis,Wyndham,(1927)"AnAnalysisoftheMindof
1976:116-19]cベルは変化の実例としてミメ-シ
ス(模倣)の破壊を挙げるoミメ-シスは自然を
JamesJoyceinTimeandWesternMan.
忠実に再現する現実解釈の方法として西欧の大部
分の芸術や文学の原則となってきた。
の古典的物理学,ギリシアのユークリッド幾何学
ニュートン
調和する整然とした牡界観を理想とした。
が相対性理論や近代社会の様々な変化がミメ-シ
ところ
pub.
London:Chatto
andWindus,91-130.
Scholes,Robert,(1992)"`Ulysses':AStructuralist
PerspectiveinlnSeaγchofjame∫Joyce.
やルネサンスの遠近法を土台に,空間と時間とが
・Flaubert,Joyce
Urbanaand
Chicago:UniversityofIllinoisPress,117-28.
Thornton,Weldon,(1994)TheAntimo∫mof
け,20世紀の芸術全般に変容を促したと指摘する。
NewYork:
JoyedPortraitoftheArtista,∫aYoungMan".
SyracuseUniversityPress.
結城英雄,(1999)「『ユリシーズ』の謎を歩く」,集
参考文献
英社.
スなど旧い世界観・合理的宇宙観に揺さぶりをか
Bell,Daniel,(1976)TheCulturalContγadiction∫of
Capitalism. NewYork:BasicBooks.