【会場地図】 東洋大学 白山キャンパス 5 号館( 112

【会場地図】
東洋大学 白山キャンパス 5 号館(〒112-8606 東京都文京区白山 5-28-20)
※正門から入ると、突き当たりに 5 号館があります。
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キャンパス内案内図
〈合同研究集会テーマ「
「新心理主義文学」再考―「機械」
「水晶幻想」とその時代」に関する趣旨〉
谷田昌平は、
「新心理主義は、人間の全意識的現象を「意識の流れ」の主要な連続線或は「内的独白」として発生的に
捉え、そこに人間の内部的現実と外部現実の「交響楽的な」表現を試みようとしたのである。そしてかくすることによ
つて人間心理のメカニズムを探りあて、綜合的に人間心理のひだをえぐり出そうとした」
(
「近代芸術派(モダニズム文
学)の系譜」
、
「解釈と鑑賞」1958 年 1 月)と意義付けている。
瀬沼茂樹は「意識的にこのような(引用者注:谷田と同趣旨の内容を指す)心理過程の記述を実行」した作品として、
横光利一「鳥」
「機械」
「鞭」
、川端康成「花」
「水晶幻想」
、堀辰雄「不器用な天使」
、伊藤整「感情細胞の断面」
「皮膚の
勝利」
「アカシアの匂ひに就いて」
「憎悪について」などを挙げている(
「心理文学の発展とその帰趨」
、
「思想」1930 年
10 月)
。谷田も上記論文で「昭和五年二月に発表した『鳥』において、すでに新感覚派的手法を脱して心理派的傾向を
示していたのだが、プルウストの影響を独自の手法として生かしたのが『機械』であつた」としているが、こうした評
価は「機械」発表当時から衆目の一致するところであったろう。また、
「新心理文学」
(
「文壇散景」
、
「読売新聞」1930
年 6 月 12 日)をはじめとする、川端による伊藤整へのきわめて高い評価も、横光・川端を「新心理主義」の枠組みに回
収する一助となったはずだ。
だが、そもそも「新心理主義」とはいかなるものであったのか。
「新心理主義」は「小説のメルヒェン化」であり、
「観
念的傾向が明らかに浪漫主義の契機を孕む」ものであり、
「擬浪漫主義へ顚落させ」
(
「擬浪漫主義文学の復帰―心理的現
実主義の方法論的批判」
、
「思想」1931 年 4 月)る、との瀬沼による批判も早くから提出されている。
また、この時期の横光と川端、あるいは「機械」と「水晶幻想」を、なべて「新心理主義」の中に位置づけることが
はたして適切なのかどうか。
「新心理主義」に関する概念定義や評価も含め、十分な議論が重ねられてきたとは言い難い
のが実状ではないだろうか。
今回の合同研究集会では、この時期の横光と川端の文学的営為を、1930 年前後の文学情況も視野に入れながら再検討
したい。発表者各自の問題意識に基づき、それぞれのテクストの読み直しを通して、いままで「新心理主義」として捉
えられてきたことによる問題点を明らかにし、横光・川端文学における新たな評価軸の創出や意味づけができればと願
うものである。
*小林洋介
「〈心理〉文学の圏域についての再検討―文学的〈主義〉を形成する力学―」
曾根博義「
「機械」と「水晶幻想」
」
(
『底本横光利一全集月報 五』一九八一年一一月、河出書房新社)は、横光利一
「機械」
(一九三〇年九月『改造』
)と川端康成「水晶幻想」
(一九三一年一月、七月『改造』
)とを並列的に扱った端的
な例であるが、そこでは、両テクストの「文体は異質」であることが指摘されている。では、両テクストが〈新心理主
義〉という枠組みで括られた背景には何があったのか。この疑問が本発表の出発点である。
ここでは、
〈新心理主義〉のような文学的流派の名称や範囲が、批評家たちや作家自身の関与によって同時代的において
形成されていく動的様態そのものに焦点を当てる。たとえば、川端、横光、堀辰雄らが「同人」として加わり、プルー
スト「スワン家の方 失ひし時を求めて 第一巻」
(淀野隆三訳)
、ジッド「貨幣贋造者の日記」
(大野俊一訳)などが掲
載された第一書房発行の雑誌『文学』
(一九二九年一〇月~一九三〇年三月)や、ジョイス『ユリシイズ』
(伊藤整・永
松定・辻野久憲訳)が掲載された雑誌『詩・現実』
(一九三〇年六月~一九三一年六月)などの諸言説において、どのよ
うに西欧の文学動向と同時代の川端・横光のテクストが結び付けられたのか、あるいはどのように両者間の差異が記述
されたのか。本発表はその点を分析する。
本発表はまた、
〈新心理主義〉というフレームに組み込まれてしまう要素が「機械」と「水晶幻想」の叙述方法に内在し
ている可能性にも留意する。
「機械」については、冒頭の「初めの間は」など、語っている現在と物語内の出来事との時
間的な距離を示す叙法に着目する。伊藤整が「今日の文学と新感覚派運動」
(一九三一年三月『近代生活』
)で川端を「モ
ノロオグ・アンテリウルの実験者」と呼んでいるように、
「水晶幻想」における丸括弧内の叙述(
「夫人」の心内語)は
同時代から既に〈内的独白〉の例として数えられていたと考えられる。そうした点に着目しつつ、同時代における評価
との関連において「機械」と「水晶幻想」の新たな側面に光を当てることが、本発表の目的である。
*三浦卓
「川端康成「針と硝子と霧」をめぐって
――女語りとしての(内的独白)と土居光知「ヂヨイスのユリシイズ」――」
伊藤整が小説執筆のメソッドとして「新心理主義」の理論を組み立て始め、それが論争になっていったころには、す
でに後に代表作とされるテクストは出揃っていた。川端康成「針と硝子と霧」
(
『文学時代』1930.11)は「新心理主義」
の一側面とされるジョイス『ユリシーズ』の一つの特徴である内的独白≒意識の流れの手法を取り込んだテクストで、
伊藤整が同様の手法に取り組んだ「蕾の中のキリ子」
(
『文芸レビュー』
)
「機構の絶対性」
(
『新科学的文芸』
)と同月に発
表されている。その意味で『ユリシーズ』的なものの影響を受けた最初期のテクストである。本発表は上述したように
位置づけられる「針と硝子と霧」における(内的独白)の方法を素朴な影響論ではない形で分析して何をどのように語
ったのかを考察することにより、事後的に「新心理主義」のテクストとされることとの距離の測定を目論む。
当時のタイムテーブルを確認すると、実は「針と硝子と霧」執筆時点で川端が接することのできた『ユリシーズ』に
関する情報はさほど多くない。日本に初めて本格的に『ユリシーズ』を紹介したとされる土居光知「ヂヨイスのユリシ
イズ」
(
『改造』1929.2)が採用した内的独白に()を使用するスタイルの影響はすでに指摘されているが、恐らく土居
の論文の重要性はその限りではないであろう。例えば、意識の流れの代表的な描写とされる最終章の主人公ブルームの
夫人モリーの内的独白が抄訳されていることは、川端がその手法を「針と硝子と霧」
「水晶幻想」
(
『改造』1931.1、7)
において女語りとして用いていることと無関係ではないようにも思われる。
「針と硝子と霧」における(内的独白)は、従来の語り手による内的焦点化とも、手紙形式をはじめとした想定され
る語りかける対象の存在する独白とも異なる語りの位相として位置づけることが出来る。女の心理描写としての新たな
語りの位相の導入がテクストに何をもたらしたのか考察してみたい。
*野中潤
「震災復興期の表象空間――1930 年前後の横光利一」
1920 年代末の浅草を舞台に不良グループの少女を追いかけながら最先端の時代風俗を活写した『浅草紅団』
(1930)
は、川端康成が生み出したモダニズム文学の傑作と目されてきた。しかし東日本大震災の後に「浅草紅団」を読み直し
たときに見えてきたのは、作中に描かれている人々の風変わりな行動が、
「モダニズム」のような歴史学的な概念によっ
て理解しうるものではなく、むしろ「トラウマ」とか「サバイバーズギルト」などの心理学的な概念によって理解すべ
きものであるということである。たとえば、鉄筋コンクリートで造られたトイレを子どもたちが偏愛するのは、地震に
よって倒壊したりその後の火事によって焼失したりした木造家屋のもろさを、自分たちを守ってくれるはずだった大人
たちのもろさと重ね合わせ、揺れにも火にも強い存在への固着を起こしているからだと考えることができる。もちろん
仲見世が鉄筋コンクリート造で再建されたのも、
都内各地に造られた復興小学校が鉄筋コンクリート造を採用したのも、
モダニズムのなせるわざであるというよりはむしろ、震災のなせるわざなのだ。
モダニズム文学をそんな風に読み直すことができるとすれば、1920 年代後半の私小説にも大衆小説にも「震災後文学」
としての相貌を見出すことができるに違いない。当然のことながら、
「モダニズム文学」や「新心理主義文学」が持って
いた「世界的同時性」なるものも、
「震災後」というスキームの中で捉え直すことができるはずである。
阪神淡路大震災から 20 年、東日本大震災から 4 年経ったが、
「震災後」という時間はそうそう簡単には終わらない。震
災からわずか 7 年程度しか経っていない 1930 年前後に横光利一が書いたテクストを読み直した時に、いったい何が見
えてくるのか。
「新心理主義文学」なるものを、
「震災復興期」の文学として読み直した時にいったい何が見えてくるの
か。
「機械」をはじめとするテクストの読み直しによって確かめてみるつもりである。