例幣使街道 日光例幣使とは、日光東照宮の例大祭(4月17日)に金 幣(きんぺい)を奉納するために毎年、朝廷から派遣された 使者(勅使)をいいます。このときの往路となった道が例幣 使街道です。日光例幣使の一行は、50人ほどの行列を組ん で4月1日に京都を出発し、中山道を通って倉賀野宿(群馬 県高崎市)に至り、太田、栃木などの宿場を経て楡木(鹿沼市) を通り、今市から日光へと至りました。 例幣使 元来、例幣使とは、伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)に、 朝廷より幣帛(へいはく)を奉納するために使わされた勅使 のことをいいますが、例幣使の派遣は応仁の乱ごろから中断 されていました。東照社に宮号が宣下(せんげ)され日光に 例幣使が派遣されることになり同時に、伊勢の例幣使も復活 しました。 例幣使の格式は高く、一行が通ると、大きな大名行列でも 通行を遠慮しなければならず、また沿道の住民は土下座して 一行を見送ったといわれています。ただし、その随員になっ たのは、その公家邸に出入りしている商人たちであったよう です。 一行の随員の中には、その権威を悪用する不心得者がいま した。彼らは駕籠の中から、担いでいる人足に、 「相談せん か、相談せんか。」と声をかけます。金をよこせという意味 です。この時、人足が金を出さないと、激しく駕籠をゆすっ て催促し、わざと転がり落ちて、 「無礼者、このままではす まさぬぞ。」と脅したと言われています。こうした場合、村 役人が詫びて金を渡してその場をおさめることになります。 これが「ゆする」の語源となったといわれています。
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