災害医療の現場へ 医療チーム派遣

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VISION
長崎大学病院
2016 . 5
長崎の医療の未来を描く
災害医療の現場へ 医療チーム派遣
4 月 14 日午後 9 時 26 分、熊本県を震源とするマグニチュード 6.5 の地震が発生した。長崎大学
病院は直ちに長崎県の要請に応じて DMAT を派遣。その後再び熊本県を震源とするマグニチュード
7.3 の大地震が深夜の九州を襲った。これまでの長崎大学病院の医療支援チーム派遣を振り返る。 DMAT 派遣
健医療救護調整本部」で避難所情報のとりまとめを
担うことになった。刻々と変化していく医療ニーズを
的確につかむため、指定されていない避難所の把握
4月 16 日深夜、本院が派遣した DMAT は病院機
や避難所での聞き取り調査が求められた。第1陣リー
能が損なわれた東熊本病院から患者搬送する任務を
ダーである山下和範医師は、この業務の責任者の一人
担っていた。救急隊が施設内から患者さんを外に運
として関わることになった。
び出し、それを引き継ぐ形で搬送に関わっていた。ちょ
全国から入れ替わり集まる救護班約 10 ~ 15 チー
うど6人目を運んでいるときだった。地面を突き上げ
ムが手分けして、約 80 カ所の避難所を巡回。約1日
る大きな揺れに襲われた。第1陣のリーダー山野修平
半掛けて避難所の問題点を洗い出し、情報を整理し
医師は「命の危険を感じた。しかし救急隊の方たちの
た。地区ごとに色分けされ、一枚の「シート」を完成
献身的な姿を見て自らを奮い立たせた」と振り返る。
させた。情報は今後の支援活動につなげられる。
周囲を見渡せば、車が道路にめり込んでいた。
第1陣で派遣された看護師2人は避難所の医療ニー
最初の地震から 1 日と数時間が経っていた。後にこ
ズ調査へ出かけた。
この日の天気は快晴。
避難所となっ
れが本震といわれ、気象庁は最大震度を震度6強か
ている高校の体育館には高齢者がぽつりぽつりといる
ら震度7へと修正した。いったん落ち着きかけていた
だけだった。避難所を管理する市職員の話によると、
状況に再び緊張が走った。この直後、本院は DMAT
天気のよい日は多くの人たちが帰宅して片づけすると
第2陣を派遣した。
いう。
本震を経験した DMAT チームは最初の地震発生直
2人は車中泊の実態をつかもうと、グラウンドに停
後に第1陣として現地入りした。医師のほか、看護師、
車している車に近づいた。
「ここは夜になれば車が集
薬剤師の4名で構成。48 時間という短い期間での過
まってくる」
。キャンピングカーで家族と生活している
酷な任務をチームワークで乗り越えた。
女性がこう話した。
「もう夜は家で寝れない。怖くて」。
亜急性期のニーズを探る
女性の自宅もかろうじて倒壊を免れたが、部屋の中は
家具が倒れて散乱しているという。今回の地震で課題
の一つとされたのが車中泊の多さである。自宅は壊れ
4 月 21 日早朝、長崎大学病院の医療支援チーム第
ていないにしても、いつ倒壊するか分からない恐怖を
1陣が熊本に向け派遣された。支援は 5 月6日までで、
抱えて、被災者は毎夜を過ごしている。昼間は仕事な
1チーム4、5人の第8陣のシフトが組まれた。亜急
どで外に行き、車で寝泊まりをする、そんな避難生活
性期における災害医療支援だったが、出発の時点で
を余儀なくされている。狭い車内での睡眠により、急
は具体的に何をするのかはまったく見えなかった。熊
性肺血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)が発生し、
本県庁で救護班登録後初めて、熊本市役所での活動
その予防が急がれていた。予防のためのストッキング
を指示された。熊本市役所に設けられた「熊本市保
配布、エコー検査の導入なども検討され始めていた。
被災者の声に耳を傾ける
避難所の情報をまとめ上げ完成させたシート
阿蘇医療センターでの感染症対策ミーティング
感染症対策を担う
から、数百人規模までさまざまである。一カ所ずつの
4 月 23 日、本院医療支援チームは第 2 陣から阿
データベースを作成した。本院医療支援チーム第2
蘇へと拠点を移していた。阿蘇医療センターに設け
陣以降の事務作業とミーティングは夜遅くまで及ん
られた「阿蘇地区災害保 健医療復興連絡会、通称
だ。
「隔離されていた患者さんの症状が治まり、避
ADRO(Aso Disaster Recovery Organization)本部」
難所内で普通の生活に戻ったとしても、周囲の理解
の指示の下、活動することになった。
「阿蘇地域でノ
が得られない場面がみられた」と泉川センター長は
ロウイルス集団感染?」の報道が相次いだこの日、地
避難所における感染症対策の難しさを指摘する。長
元の保健所は感染対策に躍起になっていた。避難所
崎大学病院は正しい知識と情報を伝えるためにマ
入口に自治体職員を立たせ、アルコール消毒をしなけ
ニュアルをつくり、自衛隊やさくら総合病院 ICT、
れば中に入れてもらえない。徹底した感染対策がなさ
地元の保健師とともに再度避難所を巡回した。
れていたという。報道が被災者たちの不安をあおる形
災害医療支援は救護班として被災者と接するだけ
となった。
ではない。
「ロジスティクス」
、いわゆる調整業務も
第2陣のリーダーとして阿蘇医療センターで活動して
重要な任務である。今回の派遣では情報を整理した
いた濵田久之医師は感染症対策へのニーズを察知し、
り、分析したりする業務に本院の医師たちが関わっ
本院の専門家たちへと支援を結びつけた。直ちに本
てきた。その整理された情報を基にして医療支援の
院感染制御教育センターの泉川公一センター長が現
必要性が判断され、ニーズを的確に把握する、その
地へ。泉川センター長は「地元の保健師さんたちは多
「ロジ力」が試された。山下医師はいう。
「やり残し
岐にわたる仕事で疲労困憊していた」と語る。早速、
た感がある」
。これから答えのない災害医療への対
本院 ICT が指揮をとり、避難所における感染症の実
応を模索していくだろう。
「ただ言えることは目の
態調査、リスクアセスメントをおこなうことが決まった。
前の被災者のために」
。
職員全員がその気持ちを持っ
集結した自衛隊 ICT、愛知県のさくら総合病院 ICT と
て関わることこそ、災害医療支援の大原則だと強調
ともに避難所を巡回した。避難所は5、6人の小規模
する。粛々と任務をこなす姿勢がそれを物語る。
情報を丁寧に拾い上げ、その情報をパソコンに入力し