YMN004501

文末用言の活用形について
吉田茂
晃
係結文と非 係結文との対照研究を行なうためには、結局のところ、
要となる。同じ用言を述語とする文が、どういう場合 に係 結を生じ
省略文や命令文などを除くすべての述語文ほついて、全量調査が必
係結 に関する従来の議論は、現に係結 の成立している文例だけを
させ、どういう場合に生じさせないのか、それを明らかにするため
問題の所在および調査方法
集めて、その表現上の特徴などを指摘することに終始するものが多
一
係結 の研究が 係結文を対象とす
かったように思われる。もちろん、
体 ・已然形が末尾に位置する文例を、以下の文献の地の立と会話文
本稿では、︵ 弱 活用動詞︶︵存在 詞 ﹁あり﹂︶︵形容詞︶の終止・ 連
収集調査しなければならない。
には、その用言を述語とする文の全例 を 條結の有無に かかわらず -
"
係結文だけを見ていた のでは 係結の本質が見えて
るのは当然であり、そのことを非難するのは一面では不当なのであ
るが、一面では
こないのではないか"という危惧を禁ず ることができない。
から収集し、文中係助詞の有無︵係助詞がある 場 ム口に
はどの係助詞
か - によって分類・計数して比較に付した。 -1類口 は地の文の ナ
係結
文の固有の性格を明らかにすることはできないのではないかと考え
レーションが特異な性質を持つと思われるものであり 、 一2類ロは
というのは、 非係結文との対照という 手続きを経なければ、
られるからである。どういった必扶性が 係結を実現させたのかと ぃ
仮名日記、﹁ 3 類 ﹂は歌物語で、
*印を付したものは日本古典文学大系、⑨印を付したものは新日本
-4類口は作り物語で ある。なお、
係結が生 じないかという問題と同時
う 問題は、どういった 場 ムロには
に取り組むのでなければ、十分な答えを 与えられないであろう。
口し
大系、
使
用
/記
五
日
学
源 平 日 和
戊 申 記 泉
切 物
式
た
弱活用動詞述語文の特徴
調査結果の概観
Ⅲ
おり、︵文は終止形形態で終止する︶というのが弱活 用動詞を述語
ねめ 丈について言えば、全体の八割強の用例が終止形 で終止して
ニ
末尾に掲載する別表を参照されたい。
あわせて セ九四三例のデータを得た。詳しい分布につ いては、本稿
一
学
ため、今回の調査範囲からは原則として除外したが、接尾辞的な性
助動詞の類は、 係結現象と機能の次元を同じくする 可能性がある
三分の二以上を占め、文中に係助詞などの要素を持た ないいわゆる
連体形終止の内訳は、文中の ゾを受けた係結文が連体 形終止 文の
に終
ロ=
す ﹂につ いては、︵ 弱活用動詞︶の中に数え入れた。述語用 =
少なく、三者あわせても一
結文や、係助詞を伴わない不定詰のみに
る
助詞や間投助詞の類がさらに 下接した用例についても、それら の文
結の丈も数例しか見られ ない 。一方、已然形で終止す 6例は大部分
係助詞 ヤ ・力などによる疑問文が少ないのも、地の文 の性質に帰す
説 に従うなら、この助詞の用例が地の文に少ないのは当 扶 であるし、
係助詞 ナム が対人格的な働きかけを本分とする助詞で あるとする
% にも満たない。文中の 々 ムを受けた 係
26 連体形 終 止の疑問文は
末 助詞と 係結現象との機能面における関係が不詳であるので、調査
がら認められる。
が文中のコソを受けたものだが、文中にコソのない用 側もわずかな
c
対象から排除した。また、終止形と連体形とのあいだに形態上 0差
るを得な かった。
そうし た 収集作業の結果、︵ 弱活用動詞︶については二八三九
︵存在詞 ﹁あり﹂︶については一一七二例、︵形容詞︶は三九三二
例、
さ
異のない ︵強活用動詞︶についても、今回の調査範囲からは除かざ
格を指摘されることの多い受身・使役の助動詞﹁
﹁連休止め﹂の用例がこれに続いている。文中の ヤや 力を受ける 係
一四・一 %、已然形で終止する用例は ニ ・五% にすぎな Ⅰ
レ
寝覚
Ⅰ住吉物語Ⅰ堤中納*
言物語Ⅰ栄花物と語
す⑥
る地の文の本則であると認められる。連体形で終 止する用例は
の
全集を
日
"
衣
日
Ⅰ
叩
夜
興女
部
狭
Ⅰ
語
紫
式
部
物ま
本
古
日
初 物 暇
良文
門ロ
2
l
口ロ
4 3
らる・ す ・さ
古
ることができよう。
体よ
形り
のも
ほう
会話文においては、地の文とは逆に、終止
連形
が優勢である。終止形の用例
セが
・一
六
%であるの対
にして、連体
形の用例は五八・
%四
にも達する。文中に係ゾ
助詞
ナム・
ヤ・ヵ
み﹂
にの
限文
っの
ても
や不
を
用定
い語
るな
会ど
話を
文持
にた
つな
いい
てい
はわ
、ゆ
そる
の﹁
文連
末休
動止
詞め
が
終
止
形
で
一四・%
八の用例があって、これだけで終止形用
終例
止で
のあ
全る
一セ・六
%とほぼ拮抗する。
っている。
文 もあるが、
文中のコソを受けて已然形で終止した文例も多く 、全 体の四分の
一に迫る一二五例を数える。コソを伴わない已然形終止
数は少ない。
㈲形容詞述語文の特徴
ぬの 文については、全体の九割弱が終止形で終止して おり、 弱活
用動詞述語の地の文と比較しても、終止形への集中低向 がわずかな
体連
形のどちら
体形である比率とに大きな差がない終止形と
ある比率と連
り 、百分率どうしの比較で、
分率どうしの比較で三倍に近い。その分、連体形終止 は比率が下が
已然形は、 弱活用動詞述語の地の文にくらべると比率 が高く 、百
がら強いように見受けられる。
結ろ
のう
用。
例まで
であっても不思議ではない、ということに
係な
度 である。 弱活用動詞述語の地の文では、連体形終止 の用例が 已扶
弱活
言い換えれば、文中に係助詞的な要素を持た
ず用
末動
尾詞
に
よ形
りに
はな
連る
体形
加えるなら、会話文末の弱活用動詞は、終止
形の用例の六倍近くあったのに、形容詞述語の地の文 では、逆に 、
よりやや多い程
で態
終止する︶
、っ
︵て
文が終止形形
になるほうがむしろ普通であ
已扶形終止の用例のほうが連体形終止の用例より多く なっている。
弱 活用動詞の三分の一
というケースは稀であると言わねばならない。
文が
連体形終止の内訳を見ると、文中のナム係
を結
受
け突
た出し
よる係結文などの疑問表現系の用
例の
も文のそよ
、地
れりは明らか
用例がもっとも多い。地の文とくらべると比率がやや下 がるものの、
あったが、形容詞述語 丈 においては、会話文でも終止形で終止する
弱活用動詞述語の会話文では、連体形のほうが終止形 より優勢で
受
係
に多い。逆に地の文とくらべて減っているのゾ
がを
文け
中る
の
それでも全体の三分の二に近い用例が終止形となって いる。形容詞
。い
ヤて
・力
る続
て多く、いわゆる﹁連休止め﹂の文がこれに
いに
半分
分率
以で
下も
にな
結文の用例であり、実数でほぼ十分の一、百
一
一
一
ついては、地の文か会話文かを問わず、︵文は終止形形態で終止
るのが常態だ︶という命題が成立すると言ってよい。
に
四
地の文に関しては、存在記述語文は弱 活用動詞述語 文 と同じ傾向
形終止の用例は一四 % 台、已然形終止の用例は二
を 示す。すな ねち、全体の八割強が終止形終止の用例 であり、連体
弱活用動詞述語の会話文では連体形終止が半数を超え ていたが、
また、連体形終止の中では文中 ゾを 受けた 係結文がも つとも多く 、
会話文全用例のほほ一割を占める、といった占におい ても共通して
ず 、已吠形終止の用例と比較しても半分ほどしかない 。さらに、
いる。
や存在 詞 には見られないものだが、これらは﹁連体形述語﹂とい
よりは﹁連体形準体法 による述語名詞﹂と見るべきものであって、
うした用例を除外することになれば連体形終止の比率 はますます
いる点としては、
弱活用動詞ではあわせても一
% に 届かない文中
ヤ ・力を受ける用例が、存在 詞 ではややまとまって いること︵それ
であって、後者についてはむしろ形容詞を述語とする 地の 文と共通
でも二 % 台にすぎないが一と、﹁連休止め﹂が一
% を 割っている点
連体形終止の中でもっとも多いのは文中の 々ムを受け る係結文で
する。
ぎない。弱活用動詞述語の会話文で一ナム一連体形一 の係結文が
分の一に近い例数を数えたのとは、かなり大きな開き がある。
また、弱活用動詞述語の会話文では一四・八 %もあっ た ﹁連休止
︵文中係助詞などとの呼応なしに連体形で終止する文-﹂の用例
く 形容詞よりは比率が低い。また・連体形終止の用例 ほ ついては、
弱活用動詞 より比率が高
、形容詞述語の会話文では一 %台にとどまるのも、大きな特徴と
%台にすぎな いことで、
この点については 弱活用動詞との異質性が明瞭であっ て、形容詞 と
在日すべきは、﹁連休止め﹂の用例が二
弱 活用動詞よりは低く形容詞より高い。
存在 記述語文の特徴
えよう。
すなね ち、終止形終止の用例については・
と 形容詞述語 立 との︵中間的な存在︶であると言うこ とができる。
会話文に関しては、存在詞を述語とする文は、 弱活用動詞述語文
るが、それでも形容詞述語の会話文の全用例からすると 五 %ム口に
くなる。
存在詞を述語とする地の文の分布が弱活用動詞のそれ と異なって
中の格助詞 ノ ・ガを受けた形容詞連体形文末の用例は 、弱活用動
%台 と なっている。
容記述語の会話文については、連体形終止の用例は 一割程度にす
す
形
ぎ
記 文
う
こ
低
あ
す
四
め
言 が
一括される。
三文終止の機能と活用形
文末用言の活用形に関する分布表が明らかに示して ぃ るとおり、
Ⅲ地の文と会話文
﹁3類﹂の歌物語群については、収集し得た用例数が 他の類に比
地の文と会話文とはたがいに異質である。文の末尾に位置する用 @
㈲文献辞ごとの特徴
して格段に少なく、何らかの傾向を読みとろうとする のは危険であ
に求められる機能 -のうちのいくつかの画一
前節で指摘した地の文と会話文の相違を、あらためて列記すると
が、 地の 文と会話文 と
るので、本節の検討からは除外しておくことにする。
一1類一4 ﹁2類 ut 04類口の順で終止形終止の比率 が高くなり、
@占
位記︶
次のようになる。これらの特徴は、すべて︵ 弱活用 動 詞 ︶︵仔
では異なると考えざるを得ない。
若干の例外はあるけれども一そ
逆に連体形終止と已然形終止では 一
︵形容詞︶のいずれにも認められるものである。
地の文を比較すると、︵弱活用動詞︶︵存在詞 ︶︵形容詞 ︶ともに
の順に比率が低くなる。終止形終止の比率が低く連休形と已然形と
、地の文のほうが会話文 ょ
①終止形で終止する用例の比率は
地の文 よ
a 会話文のほうが比率が高くなる連体形終止の文型は 、以
り 高い。
②連体形で終止する用例の比率は、会話文のほうが
り 高い。
類口
が高いというのは・会話文の一般的傾向である から、 一lⅠ
の地の文がもっとも会話文に似た性質を持つており、 ﹁4類一の地
の文がもつとも会話文と異質な性格を持っている、と いうことであ
ろう。
@
ロ
一方、会話文については、﹁4類@ で已然形終止の比率 がやや一
了一助詞 ナム による 係結文
下 のとおり。
の比率が、他の類より低くなっているが、全体的な傾向と呼びうる
ぜ 一助詞 ヤ
く、その分だけ弱活用動詞では終止形の比率が、存在詞 では連体形
ほどの偏りは認められない。地の文とは異なり、会話文 ではジャン
而
︶ いわゆる﹁連休止め﹂︵係助詞などを文中に持たな
・力および不定詰による疑問文
ルごとの性質の差が、とりたてては大きくないものと考えられる。
い連体形終止︶の文
五
"
﹂
"""
ぼ しばある。
地の
しては、たがいに正反対
の丈
二が
つそ
が
あ
と
つ
でう
き
ないる
文"。
であひ
るわけ
では
ないは
。た、
とえば、テレビ のクイズ番組
ただ、﹁何をしていますか﹂という文が "
けっして用 いることの
の
理由は明らかでないけ
対れ
聞ど
い
で
の
手
酌も
配、
慮舞広
﹂
踊
を
鑑賞意
して味
いる最
中に
その﹁
しぐさの意味するとこ ろをガイドさ
表
わしているものと思われ
る助
。詞
①の
終
止
止
文
b
の
ゾ
んにョ
ね
寺る
場ム形
コ
など終
に用い
るに
は、や
ふさ②
わしくない文 だと舌口わねば
よ係
る
結文
、
言
はわば﹁あおりを
地の
食文
っの
た比
﹂
ち
で
な率
らか
ないた
。こう
いう
場合には﹁何をしているのですか ﹂という文を
下がっているのであろう。
用いるほうが目抜である。
に物音で目を覚ました妻が声をかける 場ムコ
や、旅行先 で当地の伝統
都合のない文であるが、夜中に物置でゴソゴソ と作業 なしている夫
たとえば﹁何をしていますか﹂という文は、文法上は なに一つ不
しも穏当でないといったケースに出会うことがし
文法的にはまったく適格な文が、具体的な表現として はかならず
b地の文のほうが比率がは
高、
く助
なでる
体
形
の
文
ある連
ように
、文
は終終
止形止
で終止
する
のが型
常態だ
と考える 立
詞に
ゾよ
係
結
る文のみ。
場 である。この立場では、連体形終止はあくまで "
特 別な効果をね
③已然形で終止する用例地
のの
比
率は
、
会
の
ほ
よ文
もった
特異
なも話
のげ文
だと考
える
ことう
になが
る。もうひと つは、話しこ
り
高い。
とばこそが言語の本来の姿であって、したがって会話 丈 における文
こうした相違を、
も
た
言た
うら
まし
で、
も要
な
いは
が
ム
百
に因
詩
文
大形式を中心とすべきだーと考える立場である。 こちらの立場を
特定の具体的な受容者一れ
間が
羊な
一い
が
あ
地
の
は
そ
採、
る
ならり
、逆、
に、終
止形
終止文
は地に
の文と
いう
﹁下目抜 な﹂位相で 頻
︵
いうところにあるものa
と
思の
わ疑
れ問
る
。
え
ば
巴
片さ
れるた
"
下と
白吠な
終止
形式、
げだ②
と考えることになろ,
などは、詰手の疑念を受て
けこ
止
めの
てくれる開手が存在し
表
そ
㈲ 文表現の︵適格条件︶と︵穏当条件︶
であって、修辞的な用例い
を
文には見られな
。除
まけ
たば
、地の
は
と
② 親 友
あ
た
討
そ
を
に
が
と
㈹﹁連休﹂形の文終止能力の由来
でモザイクのかかった画面を見せなが
、か﹁
何をし
て出現させ、一方を会話文で多く出現させているも のと考えるべ
いら
ます
﹂と
多く
よ
@、
@逆し
出題することはおおいにあり得よう。
そ
にて
﹁ 何この場
きで合
あろう。
なしているのですか﹂とは尋ねにくい。
使い分け
能 であるとする見解である。
ほついて言えば、そ
文の
が︵
質制
問度的な質表
問わ
︶し
を
ているか
従来は 、文の終止は終止形によってなされるのが常態 であり、 連
げ挙
たクイズの
否かということがポイントに
ねち
な、
る例
。に
す
な
体形終止は、 係 結などの﹁特別な事由﹂のために、
連 体形を終止法
出題の場面をはじめ、刑事の取り調
試と
べ
や
の口頭
質
、師
"
の
の
問説
など教
に転用した臨時的なものというイメージで理解されることがあ
問をするために設定
場"
さに
れお
たける︵制度日
的
な
質定詰
旧
︶
ト
円
を不
ったのではなかろうか。連体形はあくまで連体法や準 体法 のための
を含む説明要求疑問文で行なう場合に
語に﹁
のであり、終止法はそれらを介して副次的に獲得さ れた付加的機
含ま述
ない
﹂は
を、
形態
明 要求 疑
問文として・は、述語に﹁の﹂を含む
を
してい連
る休の
で﹁
す何
が穏
か﹂
法や連休法を生来の機能とする連体形が、 文 終止 機能を持つ
当だということである。
に至る事情について、たとえば板倉篤義氏は次のように
これを、たとえ弱
ば
活文
用末
動詞の終止形と連当体
と
て形
はめ
﹁閉じた表現﹂の文は、内容を、まとまった一体のも のとし
れば、地の文については終止形で文を
せるのが
穏終
当、止
ム%さ
詩文
て叙述する。疑問文の場合は、これが、用言の連体形 -これは
では、逆に、連体形で文を終止させる
穏両当であっ
ての
、そが
れが
女:
ル コト、・・・デ
⋮アルコ トという体 舌口的な
本来、・・・
意味をふ
者の比率の差となったものと思われる。
くむ形である -をもって体言的にまとめられ、そのま とまりが
つまり、終止形終止と連体形終止のが
どち
か一方だ
"正ら
統な
全け
体として、疑問 占をさししめす助詞﹁ か﹂によって 開手に提
終止形"
式
で他方は
"
例外的・派生的な特別式
な
止る形
であ
、
"終
示されるかたちをとるのであるが、
いわゆる平叙文にお いても、
というわけではなく、どちらもが等
終し
山く
形式﹁
な正
のでしい﹂、
叙述内容を、こういう一つの コトとしてまとめる述べ 方が 、院
あって、ただ両者の間にある何ら、
か一
の
差が 政期ごろからしだいにふえてくる。具体的には、主格 助詞 ガ
万性
を地質
のの
文で
七
八
ノを
用い、用
ロ連
言
の体形をもって文を終止か
すた
るち
とを
いう
表現においては、つねに末尾が用言連体形になるとい うだけであっ
、連
とるのであって、一般に、﹁連体形
など
のと
終称
止せ
形同て化
﹂体形に文を終止に導くだけの積極的な能力があ るわけではな
られている現象は、こうした﹁閉じ
すた
表果
現の
﹂を志向と、板倉氏の説に沿って考えるならば、結論づ けることにな
る結
あらわれとして理解されなければならない。 るであろう。
氏が述べているのは直接的には院形
政終
期止
以の
降に連だ体
坂倉
一
副次的な機
が、坂倉 氏 のように終止法を連体形の "
般化が生じた事情についてなので
斯あ
の終
る
が連
、体
中形
古に すのでなく、そもそも連体形には文終止の機能が本来 的 ・生得的な
正法
思わ
ついても、おそらく同様の理解をさ
れれ
てる
い。
たす
もな
のもと
のとして備わっているのだと考える可能性もあるの ではなかろう
ねち、文末の連体形が第一義的に果た
しの
て叙
い内
る役割
はつまり、連体形の固有の機能 "x"
、文
述
か。
から、
は一
連方
体で
法や準
ロ
︶たらしめることであり、
準体
実法
は
容を体
︵ミ句
のそ
一れ
種は
に 佑佳が生じ、他方では終止法が生じたと見なす途 も模索してみ
ほかならない。体
そ
ミの
ロ﹁
的にまとた
め叙
ら述
内
れ容
﹂は
、そ全
の
るべきなのではないか。
体が聞手に提示されることによって、
上る
表現
つたるこ今と回の調査結果によると、︵形容詞はしばらく置いて︶弱活用動
を得
まり、︵連
準体
体形
法に
るよ
体言句︶がその
文ま
︶ま
と︵
成りおお記述語と存在記述語とを見るかぎり、地の文における 典型的な文末
、
文
せるわけである。この法
と連
き体
、形
準
は
体の未
尾に位置する 形式は終止形だけれども、会話文については、その典 型約文末形式
は連体形なのであって、その点では終止形終止と連体 形終止とは同
等の価値を持つと言わねばならない。言い換えれば、 終止法が連体
言い換えれば、連体形の本来の機能る
はこ
体と
言で
句あ
を構
成有す
形固
の機能であっても何ら不忠誘 はないのである。
り、連体形が終止法として上の末尾に
さ位
え置
、す
連る
体場
形合連で
休 法 ・準体法と終止法の共通の根元にあたる位置に 、説得力の
が直接的に果たしている役割
体は
舌あ
口く
句ま
を
構
"X"
を据えることができれば、文
すで
る成
ことをのある
置末
くに
文連
を体
︵形
準を
であっ、
てを終止させる機能が連体形に
文
わ
作
法連体形による 体 舌句
口がそのまま文となったもの︶
け宿
でっ
はて
ない
いる
、
体形述語による歴とした述語 文 ︶と考えてよいことになるはずであ
る。
㈲終止形と連体形の比較
ところで、同じ坂倉 氏 による﹁文末の用舌口の終止形は 、それ自身
は積極的に陳述をしめさず、単にことがらの叙述にま とまりをあた
えるにとどまるのである﹂という指摘は、終止形の機 能を考えるう
えで非常に示唆に富んでいる。
は 外は ︵無機
詞は ついては 後述するとし
つまり、終止形は、﹁叙述にまとまりをあたえる﹂
能 ︶だ ・と舌口うのである。形容詞と存在
て 、弱活用動詞にかぎって言えば、この見解はおおい に首肯すべき
類例を現代語に求めるなら、たとえば﹁き のう雨が降 った﹂とい
う文は、文法上はまったく適格な文であるが、実際の会話にはこ
のままでは 一非常に現われにくい。﹁きのう雨が降っ たよ﹂とか
﹁きのう雨が降ったでしょ﹂とか・何らかの付加がなけれ ば 不穏当
なのである。
弱活用動詞終 山形を末尾に
ところが、地の文に用いる場合には﹁きのう雨が降っ た﹂のまま
で 完全に穏当な表現たることができる。
明活用動詞 の終止形の
据える文が地の文に多く会話文に少ない原因も、これ と似たような
ことなのではあるまいか。
本稿では、板倉氏の説を一この段階では一
弱活用動詞を末尾に置く文が終止形で終止する比率は 、 一すでに
的なちからは持たない。ただし、文をさらに展開させ る機能も持た
山形 は、叙述内容をまとめる機能のみを持ち、文を終 止させる積極
みに限定したりえで、これに従いたい。すな ね ち、 弱 活用動詞の終
述べた よう に一地の文では圧倒的に他の活用形 よ り 一
@P
く、会話文で
ないので、結果としてはそこで "切れる " ことになる のである。
ものではなかろうか。
は連体形や已吠形 より低いのであるが、この原因の 一端は弱活用動
に "切る ル
ための形式なのではないかと推測されよう。単に
これと対照させて舌ロうなら、終止法連体形は、積極的
場 において文を終止させられるだけのちからが終止形 にはないため
げるだけでなく、そこで文を終わらせずにはおかない 何らかの ちか
詞終止形の無機能さにあると考えられる。つまり、実 践的な会話の
に、会話文での終止形終止の比率は低いのであるが、 一方、ことが
らを、連体形は持っているのだと考えたいと吾う。
居 には、原則として、終止形ではなく連体形が立つが、疑問表現 と
係助詞 ヤや力 あるいは不定語などによって構成される疑問文の未
叙述を纏めぬ
らの内容を記せばことが済むような地の文においては 、単に﹁叙述
にきとまりをあたえる﹂だけの終止形終止が許された 、あるいは好
まれたのである。
九
は
自
そ
る
だ
考
参
と
後
む
な
一
あ
回答という発言を迫るものであって、そのためにはま ず
要求することまでを視野に入れるなら、
ない。が、対人格的な機能が明確でな い係助詞ゾが結 びに連体形を
ろに重置
きを
を 明確に終わらせ、発言権を相手にわたす必要がある
いておくほうが有利なのではないかと思われる。
"切る " こと
準体法や連休法は次のように解釈することになろう。
まず、準体 法は ついては、そこで明示的に
によ
、って
なお、連体形が "切る " ことを本質とすると考える 立 場からは、
"切る ル とこ
、自身の発言の終結を表現するための標識として機能 す
切る " ための形態としての終止法連体形ではなかった の
助詞 ゾ ・ナムを文中に含む文については、以下のよう
そこまでの叙述の一体性が強調され、内容が末尾の連 体形へと収飯
・ナムは、 文内容の構成に意味面
ができる。係助詞 ゾ
れる。
㈲口四 詞間の終止形・連体形の機能の相違
と被 修飾︵ 語 ︶との、次元を超えた融合が可能になるものと考え も
までの叙述内容と後続の体言との対立関係が鮮明化し 、修飾︵ 句 ︶
連休 法は ついても、そこで明示的に "切る " ことによ って、そこ
されて、 句的体 舌口の域に達するものと思われる。
ゾ ・ナムの
素 ではなく、したがって文意の流れにとってはそれを 断
爽雑物にほかならない。そのため、係助詞
"
より 強列 な断絶 " が要請される。そう
の断絶が生じることになる。こうした、文中に断絶を 含
ては、文末に
ナム の直後にある文中の断絶を克服して、文として
保することができないからである。その、文末におけ
な断絶 " を終止法連体形が実現させたというわけ
"
切る " ことはそこまでを堅く "
纏める "
花詞﹁あり﹂における終止形と連体形の関係は、 弱活 用動詞におけ
形と連体形とにかぎって述べてきたのであるが、実は 、形容詞や存
動詞の終止
"
纏める "ためにはそこで
前節では、形容詞と存在 詞は ついては保留し、 弱活用
るし、逆に、そこまでを堅く
るそれとはかなり異質であると言わねばならない。 本 節 では、それ
そこで強く
" ノ 要があるわけだから、終止法連体形の機能の本質を、
弱活用動詞と形容詞 における 終
らの比較を試みた
すでに述べたところではあるが、
うに、体言句の構成に見る説も、本稿のように積極的に
it
たらきに認める説も、結局は一致するものなのかもしれ
は
詞 致
一
の
@@、
よ
ントし
不
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八七・
文が全
用
あ
一一・四 %
五八・四 %
地の文会話文
の
る。
く低い。
会話文のほうが差が激しいけれども、全般に形容詞の比率が著し
五・八 %
弱活用動詞一四・一 %
口Ⅱ
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方、連
地の
形容詞
に
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分
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数
文
文
形
(
地
で
つ
い
の
三
此
較
(
弱活用動詞終止形とは異なり、積極的な文終止機
以上のことから、次の二つの仮説を立てることができ る 。第一は 、
形容詞終止形は、
能を持っているのではないかということであり、第二 は、形容詞連
体形には、 弱活用動詞連体形が備えているような文終上機能がない
のではないかということである。
弱活用動詞終止形は、﹁単にことがらの叙述にまとま りをあたえ
る﹂だけの形態であって 、文を終止させるちからは持 たず、積極的
に後の文脈へ続けたりしないことの結果としてそこで "切れる ル の
であったが、形容詞の終止形には "切る "ちからが 備 わっており、
したがって、会話文における発言権の移動にも耐え もれたのではな
いかと考えられる。
一方、形容詞の連体形には、生得的なものとしては "切る " ちか
らが備わっていないと見なすべきであろう。地の文で は数 パーセン
ト、会話文でも一割をわずかに越える用例しか持たな い形容詞連休
形終止 文は 、動詞連体形の用法への類推から生じたも のではあるま
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弱活用動詞と存在 詞 においては、地の文と会話文とを 通じて、 已
然形終止の用例数が連体形終止の用例数を超えること はないのに 対
して、形容詞連体形終止の用例数は 、地の文でも会話 立 でも已然形
終止の用例数を下回っており、このことも、形容詞連体形の文終止
らの均衡の結果、
弱活用動詞や形容詞の会話文におけ る分布のよう
能力の欠如を物語っているものと思われる。
な 極端な偏りに至らなかったのである。
㈲ 係結との関係
このことは、実は形態の上にも現れているのであって 、 弱 活用 動
詞 では、終止形形態に鹿の ル が後接することで連体形 形態が成立し
ており、連体形のほうに︵終止形に比して一何らかの機能の付加が
︵体言句構成の接尾辞︶である ク が語根に後接し、
が係助詞を語源とする シを語尾とするのに対して、
さ らにその ク が
連体形形態は 、
という現象のメカニズムの解明は、文法研究のもっと も大きな テ|
の呼応現象は、古来、研究者の注目を集めてきた。 現花 でも、係結
活用語が連体形となるという、文中の係助詞と文末用 舌口の活用形と
たとえば ゾ ・ナム・ヤ ・カといった助詞が文中にある とき文末の
キ へと転音して成立した、舌口わば﹁ 体 ミコ
形﹂であって、終止形以上
70 一つである。
あったことがうかがわれる。一方、形容詞においては 、終止形形態
の文終止能力を連体形が持つとは考えにくいのである
弱活
動詞と形容詞の中間的な分布を見せる。すな ね ち、 会請文において
弱活用動詞とほぼ同様の分布をする一方、会話文にお いては 弱活用
存在 詞は 、これについてもすでに触れたのであるが、 地の文では
ないかと思われる。つまり、係助詞を "
文末用言口を奇
臣な形態に変
ばならないという前提が、暗黙のうちに設定されていたのでは
らそれは異常な事態であり、何らかの特殊な事情がそ こにはなけれ
語は終止形であるべきであって、もしそれが連体形と なっていたな
ところで、このテーマについて検討がなされるとき、 文末の活用
は、 百分率どうしの比較で 一終止形終止では存在 詞 のほうが
化させる魔法の呪文 "と見なし、その﹁ 摩詞 不思議な 魔法の秘密﹂
だが、︵少なくとも-朝活用動詞の会話文中の用例を 見ると、 連
用動詞よりも十数ポイント高く、連体形終止では逆に 弱活用動詞の
この現象についてもさまざまな仮説が可能だが、本稿 では次のよ
体形終止の用例は終止形終止のそれを遥かに凌ぎ 、文 中係助詞との
なあばこうとするような姿勢があったのではなかろう 力。
詞 においては、連体形 にも 弱 活用 動
ほうが存在 詞 よりも十数ポイント高いのである。
うに考えておきたい。存在
ている。つまり、連体形終止は一般的な現象であって、文小木 とTw
呼応を持たないものに限っても、終止形終止と互角の 用例数を持っ
の 二つの ちか
詞連体形に匹敵する 文 終止機能が備わっているのだが、終止形のほ
うにも形容詞終止形に準ずる 文終止機能があって 、そ
コ日
れられなかったことなど、残された問題も多い。とりまとめて今後
き 及べなかったことや、﹁コソ⋮已扶形﹂という文型 にほとんど触
もっとも用例数の多い強活用動詞やヴォイス以外の助 動詞などに 説
連体形終止は文中に係助詞を持っ立だけに特に許され た転用では
の 課題としたい。
いうものはかならずしも終止形でなくてよいのである。
なく、会話文中ではきわめて一般的な現象であるから、わずかなき
﹁注口
ついては 取
っかけで引き起こすことができる、と考えるべきであろう。文末用
言を連体形にするためにノ要なエネルギーは、実は思われているほ
ど大きくはないものと思われる。したがって、文中に おける特定の
①本稿では、地の文と会話文のみを対象とし、歌に
りあげない。なお、厳密には、どの部分を会話文と認 めるかと
係助詞の存在が文末用言の活用形態の決定について 及ぼしている影
えておきたい。
響も 、さほど風変わりでもなければ強力でもないと
考,
いう問題もあるが、今回の調査では、便宜的に、それぞれの 圧
接す る 場合、 そ
釈者が引用符を付している部分を会話文とした。
地の文における文中係助詞ゾ による保持は ついては、地の文とい
う "
終止形終止が圧倒的に優勢な環境" で生じている方だけ、自立
②たとえば、助動詞﹁なり﹂が用言連体形に下
の ﹁なり﹂が係助詞に対する結びとなることはない︵文献㈹ 一
っていることは事実だが、これとてほかの係結と 異質なものと考え
8% 要はあるまい。地の文においては、文末を "
切れるげに任せる
が・その事実は﹁連休ナリ﹂と係結現象との機能の同次元性を
示すものと見なし得る。
③たとえば、文中助詞と文末助詞とのあ
いだの助詞 相互の係り
のでなく自覚的に "
切る" ことがノ要になるような 要因が、問題の
"
文中に係助詞 ゾが用いられている"という要因を除けば、非常に
結び︵文献㈲ 一といった現象も存在するので、文末 助 詞の中に
低 い頻度でしか生じないために、多数の終止形終止が一
言わば許され
ているのであって、きっかけさえあれば終止法連体形が発現するだ
は係結と 同次元の機能を持つものもあると考えられる
内容を特定
一は、 係助詞 ヵ
と呼ぶ。不定詰による説明要求疑問文一ミデ 0.
できないことを表わす一群の語を、文献Ⅲに従って﹁ 不 ︵
疋五町﹂
④﹁なに・たれ・いつ・いづこ・いかに⋮﹂など、
けの潜勢力はつねにあるのだ、と見ておいたほうが整ムロ的である。
以上、文末用言の活用形態の分布について検討 した。 もち
ろん、本稿で示した解釈は、いずれも仮説の域を出るものでは ない O
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詞は ついて 、終止形終止・連体形終止・已然形終止の全用例を合 廿
口
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した総数を 分母として、百分率を求めたものである。
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