人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) 近 江 湖南 村 落 にお け る宮座 と象 徴 空 間 八 木 康 幸 I は じめ に (1) 通 婚 関 係 II 問 題 の所 在 (2) 経 済 階 層 と政 治 的 リー ダ ー シ ッ プ (1) 分 析 の 枠 組 (3) 宮 年 寄 の交 代 (2) 対 象集 落 と調査 方法 VI 空 間 秩 序 に お け る持 続 と変 化 III 祭 祀 組 織 と儀 礼 的 空 間秩 序 (1) ふ た つ の空 間 秩 序 (1) 氏 子 組 織 と宮 座 組 織 (2) 均 衡 化 の論 理 (2) 右 座 の優 越 (3) 空 間 秩 序 の衰 弱 IV 民 俗方 位 と して の 上/下 V 社 会 関係 と祭 祀 組 織 VII お わ り に に お い て, 選択 され うるひ とつ の道 で あ る と述 I は じめ に 3) べ て い る。 確 か に, 実証 主 義 の概 念 に 負 うだ け で は, あ るい は また 主 観 的 な世 界 に専 ら委 託 す 古 くか ら指 摘 さ れ て い る人 々 の主 観 的 な世 界 1) の存在 は, 人文 主義を標 傍す る地理学者達 に よ るだ け で は, な お 明 らか に しえ な い よ うな, 事 2) って, 哲 学 的理 解 が は か られ つ つ あ る。 しか し, 物 の基 底 に潜 む構 造 が存 在 す る こ とは, 構 造 主 subjective な空 間や 意 味 に満 ちた 場 所 の姿 を 取 義 の長 く主張 し続 け て きた こ とで あ った。 意 味 り出す 具 体 的 手続 きにつ い て は, そ の研 究 に 必 連 関 と して の象 徴 的空 間 を, 人 々 の持 つ 空 間 認 4) ず し も充 分 な成 熟 が 見 られ て い るわ け で は ない。 識 の 深 層 に 横 たわ る構 造 の側 面 か ら再 構 成 しよ 例 え ば 山 野 正彦 は, E.Relph うとす る試 み は, 地 理 学 に とっ て な お多 くの 成 や Y.F.Tuan が 〔注3〕,5) 実存 空 間 の もつ 難 点 を 回避 す るた め に,「 本 質 」 果 を期 待 し うる もので あ る と考 え られ る。 を と り出す 代 りに 「 構 造 」 を と らえ る 試 み に わ が 国 の伝 統 的 社 会 や 民 俗 村 落 を め ぐる空 間 向 か って い るか に 見 え る こ とを 指 摘 し, Levi- 的枠 組 を, この よ うな象 徴 的 空 間 の隠 れ た構 造 Strauss の構 造 主 義 の方 法 に 代 表 され る 「隠 れ を 抽 出す る こ とに よって 明 らか に す る方 向 に つ た構 造 」 の発 見が, 主 体 的 な 空 間 や 場所 の 研 究 い て も, 近 年 い くつ か の業 績 が 蓄 積 され つ つ あ 1) Wright, J.K., Harvard Univ. geographical 2) 例 え ば 15-3, 3) 山 野 正 彦 Incognitae: 1966, pp.68-88. epistemology’, A.A.A.G. Tuan, 1971, ‘Terrae Pr., Yi-Fu, ‘Geography, pp.181-192 や 4) 5) D., 51-3, 1961, E., Place 「空 間 構 造 の 人 文 主 義 的 解 読 法-今 M., 3-1, 佐 々木 高 明 ‘In search 1977, Entrikin, imagination geography’, the placelessness, study Pion of human and ‘Contemporary nature’, Limited, 日 の 人 文 地 理 学 の 視 角-」, J.N., Human experience, Nature in Geography, imagination: towards a The Geographer pp.241-260. and and in ‘Geography, humanism 人 文 地 理31-1, in Canadian 1976. 1979, geography’, 46-68頁。 A.A.A.G. な お, 66-4, 1976, of negativism: 「空 間 認 識 の 原 像-民 櫛 谷 圭 司 phenomenology and historical geography’, Journal of Historical Geo- p.63. 表 空 間 の 組 織 』, 古 今 書 院, 62頁。 of the 言 及 し て い る。 Billinge, grdphy place Lowenthal, phenomenology, Relph, 「本 質 」 と 「構 造 」 に 関 し て は p.630が the 「空 間 の 1981, 族 地 理 的 序 説-」, 14-22頁。 立 命 館 大 学 文 学部 地 理 学 教 室 千 田 稔 「地 理 的 「意 味 」 の 構 造 と構 造 主 義 の 方 法 」, 人 文 地 理36-3, -27- ・立 命 館 大 学 地 理 学 同 巧 会 編 「場 」 の 始 原 性 を 求 め て 」, 人 文 地 理32-1, 1984, 73-85頁。 1980, 『地 47- 124 人 文 地 理 第38巻 る。具体的には, 村人の持 つ世 界観 を幾何学的 第2号 (1986) や 儀 礼 に 表 象 され る空 間 秩序 を軸 に, 村 落 を め 6) 図形 に 抽 象 化 して理 解 しよ うとす る営 み や, 民 ぐる象 徴 的 空 間 の 構 造 に迫 ろ うとす る もので あ 7) 俗方位や方位観をめ ぐる研究, 特別な意味や価 る。 8) 値 を 担 う場 所 の 性 格 を探 ろ うとす る作 業 な どが 数 え られ る。 これ らは, いず れ も空 間 の分 類 と II 問題の所在 13) そ の 象 徴 化 を対 象 とす る論 議 に お け る サ ブ カ テ (1) 分 析 の枠 組 宮 座 の 問題 は, 神 社 祭 祀 と ゴ リーを形 成 して い る。 民 俗 方 位 の研 究 を 見 て 村落 社 会 の構 造 的 連 関 を考 え る上 で 重 要 で あ る も, す で に 人類 学 や 社 会 学 か ら得 られ て い る成 の み な らず, 民 俗 方 位 や 象 徴 空 間 と も関 連 し, 9) 果 の 多 く が, E. Durkheim と M. Mauss, さ ら 村 落 の空 間 認 識 を 理 解 す るた め のひ とつ の 手 が な どに 遡 及 しつ つ 自 らの位 置 か りを提 供 す る可 能 性 が あ る。 と くに 注 目 した 10) に Levi-Strauss 付 け を は か っ て い る の は, 当該 研 究 の本 来 的 に い の は, 宮 座 に おけ る双 分 制 や 三 分 制 で あ っ て, 目指 す ものが, 空 間 の分 類 原 理 で あ る こ とを 示 祭 祀 組 織 や 儀 礼 に おけ る二 分 や 三 分 が, 広 く当 して い る。 しか しそ れ は, これ らの 研 究 が地 理 該 村 落 の社 会 的 ・象 徴 的 な 空 間秩 序 と どの よ う 学 の領 域 を 逸 脱 す る こ とを 意 味 す る もの で は な に 連 関 して い るか に つ い て, 今後 検 討 を 深 め て い。Tuan ゆ く必 要 が あ る。 は, Merlaue-Ponty を 引 用 しつ つ, 身 体 が 空 間 を 含 意 す る こ とを説 き, 上下 ・左 右 な どの 身 近 な 空 間 の 区 分 か ら, や が て 神話 的空 滋 賀 ・奈 良 ・京 都 ・大 阪 や そ の周 辺 の兵 庫 ・ 三 重 ・和 歌 山 の一 部 な どが, 宮 座 の と くに 稠 密 11) 14) 間 に 至 る多 次 元 に 亘 る空 間 を論 じて い る。 この な 分 布 域 で あ る こ とは よ く知 られ て い る。 そ の こ とは, 身 体 レベ ル か ら神話 レベ ル に至 る空 間 中 に は, 宮 座 が い くつ か の祭 祀 単 位 を も って構 の 分 類 と, そ れ に対 す る意 味 付 けや 価 値 付 け を, 成 され, 区分 され た単 位 が右 座 と左 座, 東 座 と 広 く空 間 分 類や 空 間秩 序 とい う概 念 の も とに 整 西 座, 理 し, 地 理 学 の 包括 的 な視 野 の 中 に収 め うる こ い は例 え ば 中座 とい った 今 ひ とつ の 単位 を加 え 南 座 と 北 座 の よ うに 双 分 を 呈 し, あ る 12) とを示 す もの で あ る。 て三 分 の形 態 を とる ものが 少 な くない。 そ の 分 本 稿 で は, 以 上 の よ うな基 本 的 理 解 の 上 に, 近 畿地 方 の宮 座 を持 つ 村 落 を 対 象 に して, 祭 祀 布 は, 和 歌 山県 紀 ノ川 流 域 か ら大 阪 府 泉 南地 方, 奈 良 盆地 か ら 奈 良京 都 府 県 境, 滋賀 県 で は 湖 6) 近 年, 民 俗 学 の分 野 か らの研 究 が 目立 っ てい る。 そ の 内 容 は 福 田ア ジオ 「村 落 空 間 に お け る 領 域 と境 界 」, 民 俗 フ ォ ー ラム 創刊 号, 1985, 2-5頁 に手 際 よ くま と め られ て い る。 7) 例 えば 馬 淵 東 一 「琉 球 世 界 観 の再 構 成 を 目指 して 」,『馬 淵 東 一 著 作 集 』3, 社 会思 想社, 1974, 425-453頁, 村武精 一 『神 ・共 同体 ・豊 穣-沖 縄民 俗 論 』, 未 来 社, 1975, 鈴 木 正 崇 「南 西 諸 島に 於 け る方 位 観 の 研 究-空 間認 識 の視 点 か ら-」, 人 文 地 理30-6, 1978, 61-74頁 な ど, 南 島 を フ ィー ル ドに した も のが 多 い。 千 田稔 「古 代 日本 に お け る土 地 分 類-「 山 口」 とい う場 所 を め ぐっ て」, 石 田寛 教 授 退 官 記 念事 業 会 編 8) 『地 域-そ の 文 化 と 自然 』, 福 武 書 店, 1982, 613-621頁。 八 木 康 幸 「村 境 の 象 徴 論 的 意 味 」, 人 文 論 究34-3, 1984, 1-22頁。 山 野 正 彦 「日常 景観 の な か の 恐 怖 の 場所-墓 地 と閻魔 堂 」, 石 川 栄 吉 他 編 『生 と死 の人 類 学 』, 講 談社, 1985, 27-51頁。 9) Durkheim, E. and M. Mauss, Primitive Classification,translated by R. Needham, The Univ. of Chicago Pr., 1963, エ ミール ・デ ュル ヶ ー ム 『分類 の未 開形 態 』, 小 関 藤 一 郎 訳, 法 政 大 学 出版 局, 1980. 10) 例 え ば ク ロー ド ・レ ヴ ィ=ス トロー ス 『構 造 人 類 学』, 荒 川 幾 男 他 訳, み す ず 書 房, 1976, エ ドマ ン ド ・リーチ 『文 化 と コ ミュニ ヶー シ ョン 構 造 人 類 学 入 門』, 青 木保 ・宮坂 敬 造 訳, 紀 伊 國屋 書 店, 1981. 11) Tuan, Yi-Fu, ‘Space and place: humanistic perspective’, Progress in Geography 6, 1974, pp.211-252. 12) す で に 山野 正 彦 「分 類 体 系 と して み た 村 落 の 空 間構 成-丹 波 ・吉 備 高原 地 域 を事 例 と して-」, 人 文 研 究29-6, 1977, 1-23頁 に は, この 関心 が 窺 え る。 13) 福 田 ア ジ オ は, 特 定 の地 域 社 会 の神 仏 を そ の地 域 の住 民 の 中 の一 定 の資 格 を有 す る 男子 が 一 座 して まつ る行 事 お よび そ の組 織, と定 義 して い る。 福 田 ア ジ オ 「宮 座 の社 会 的 機 能 」, 桜 井徳 太 郎 他 編 『講 座 日本 の 民 俗 宗教5 会 』, 弘 文 堂, 1980, 77頁。 14) 広 域 に亘 る 宮 座 の 研 究 成 果 に 以 下 の もの が あ る。 肥 後 和 男 『宮 座 の研 究 』, 弘文 堂, 1960. 方 に お け る総 合 的 研 究-』, 大 明 堂, 1974. 原 田 敏 明 『村 祭 と座 』, 中 央 公 論 社, 1975. 祭 祀 長 老 制 の社 会 人 類 学 的 研 究 』, 未 来 社, 1978. -28- 民 俗 宗 教 と社 大 越 勝 秋 『宮 座-和 泉地 高 橋 統 一 『宮 座 の構 造 と変 化- 近 江 湖 南村 落 にお け る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) 125 宮座 が2つ 以上 の単 位 か ら構 成 され る ものの うち、 ● 「右」「左」を冠 す る単位 をもつ もの。 □ 「東」「西」あ るい は「北 」「南 」を冠 す る単位 をもつ もの。 △ 「上」「下」を冠 す る単位 をもつ もの。 (資料: 肥後 和男, 大 越勝 秋, 高 橋統 一 〔 い ずれ も注14)〕) 第1図 近 畿 地 方 に お け る右 座 と左 座 の 分 布 南 か ら湖 東地 方 に か け て の広 が りを 見せ て い る 分 され た 単 位 が 必 ず しも対 等 な 関 係で は な く, (第1図)。 空 間 の 分 類 に ち なむ もの と して, 右 の 基 本 方 位 の ほ か に, 上座 ・下 座 の 区分 を 加 地 位 の 上 下 や 優 劣 に 結 び つ くもの が 見 られ る。 一 般 に, 神 事 や 祭 礼 に お い て 見 られ る祭 祀 単 え れ ば, 100を 越 え る事 例 数 とな る。 これ らの 位 の二 分 や 三 分 は, あ る もの は 綱 引 きや 舟 漕 ぎ 区 分 の多 くに は, 地 域 単 位 や 特 定 の家 集 団 が重 競 争 な どに代 表 され る競 技 的 側 面 を 伴 な い つ つ, な り, 錯 綜 した 多様 な展 開 を 示 す。 さ らに, 区 互 酬 と対 立, カオ ス と コス モ ス な どの具 現 化 す 左 -29- 126 人 文 地 理 第38巻 る宗 教 学 ・社 会 学 ・人 類 学 な どに ま たが る貴 重 第2号 (1986) で あ る こ と も考 え ね ば な らな い が, む しろ, わ 15) な テ ーマ を提 供 し続 け て き た。 宮 座 に関 連 して が 国 の 民俗 文 化 ・社 会 ・宗 教 な どに 内在 す る特 16) も, 北 原 真知 子, W. Davis, 野 沢 謙 治 らに よ っ 性 が, 厳 密 な 分析 概 念 の適 用 を必 ず しも 自 由に て, 近 畿地 方 の い くつ か の宮 座 祭 祀 が 取 り上 げ しな い 点 を考 慮す べ きで あ ろ う。す なわ ちそ の られ て い る。 と くに 近 年, 社会人類学 の 高橋 ひ とつ は, 伊 藤 の言 うよ うに, わ が 国 の 文 化 に 統 一 は, 宮 座 祭 祀 に 双 分 組 織 や 祭 儀 の 二 元 性 が 見 られ る右 と左 の分 類 が, 男 性 ・女 性 な どの 分 結 び つ く数 多 くの事 実 に 着 目 し, この 分 野 の 研 類 と と もに, 峻 別 され るべ き宗 教 的 両 極 性 を示 究 の 必 要 性 を説 い て い る 〔 注14)265-266頁〕。これ す に は至 らず, そ の優 劣 関 係 に つ い て も状 況 や を 具 体 的 に 深 化 させ る試 み は 少 な い が, 宗 教 人 文 脈 に応 じて 相 対 化 され る例 の 多 い こ とで あ る 17) 類 学 者 伊 藤 幹 治 に よる もの が注 目さ れ る。 伊 藤 〔 注17)753-757頁〕。い まひ とつ は, 第一 の点 に深 は 左 座 と右 座 に よっ て構 成 され る宮 座 を事 例 と く関 係 す る もの で あ り, 右 と左 が社 会 の単 位 や して と りあ げ, わ が 国 の文 化 に おけ る右 と左 の 男 性 と女 性, 基 本 方 位, さ らに は聖 俗 や 浄 不 浄 シ ンボ リズ ム に お い て, 左 右 が 対 立 で は な く相 な ど と連 合 して, 一 貫 した 明確 な二 項 対 立 の 構 対 的 に対 比 され る構 造 を 持 つ こ とを 指 摘 し, 一 造 連 関 を呈 す 例 に 乏 しい ので は な いか と予 想 さ 般 に左 座 が 優 越 す るか に 見 え る宮 座 の 祭 祀 的 世 れ る こ とで あ る。 20) 界 も, そ の理 解 が 容 易 で な い こ とを 強 調 して い しか しなが ら, そ の よ うな推 測 に もか かわ ら る。 ず, 宮 座 に お け る右 座 と左 座 の問 題 は, 空 間秩 右 と左 の 象 徴 性 の テ ーマ は, フ ラ ンス社 会 学 序 の理 解 とい う地 理 学 的 関 心 の 上 で, な お重 要 18) 派 の R. っ て, Hertz に 始 ま り, そ の 後1960年 イ ギ リ ス の 社 会 人 類 学 者 R. な意 義 を 含 ん で い る。 な ぜ な らば, 祭 祀 や 儀 礼 代に な に お け る空 間 の 分 類 は, 全 体 と して の村 落 の空 Needham 19) とオ クス フ ォ ー ド学 派 に よっ て大 き く進 展 させ 間秩 序 の 聖 の 側面 を 代表 して い る点 で, られ た もの で あ る が, わ が 国 に おけ る研 究 は 未 無 視 す る こ とが で きな い か らで あ る。 これ を だ 充 分 な展 開 を 見せ る に は至 って い ない。 これ い ま仮 りに, 祭 祀 や 儀 礼を 中心 とす る非 日常 に は, 従 来 双 分 制 を 扱 って きた 文 化 史 的 関 心 か も し くは超 日常 を, 文 化 レベ ル と社 会 構 造 レベ ら, 象 徴 論 的 関 心 へ の研 究 視 点 の 転 換 が 不充 分 ル に 分 け る こ とが で き る とす れ ば, 宮 座 祭 祀 に 21) 22) 15) 松 平 斉 光 『祭 』, 日光 書 院, 1944. Sonoda, Minoru, ‘The traditional festival in urban society’, 国 学 院 大 学 日本 文 化 研 究 所 紀 要35, 1975, pp.1-34. 伊 藤 幹 治 『宴 と 日本 文 化 比 較 民 俗 学 的 ア プ ロ ーチ 』, 中 央 公 論 社, 1984. 16) 北 原 真 知 子 「双 分 制 の 一 例-滋 賀 県 中 山 の 芋 まつ り-」, 史 論4, 1956, 223-238頁。Davis, Winston, ‘The miyaza and the fisherman: ritual status in coastal villages of Wakayama prefecture’, Asian Folklore Studies 36-2, 1977, pp.1-29. 野 沢謙 治 「宮 座 行 事 と年 齢 階 梯 制」, 近 畿 民 俗95, 1983, 1-17頁。 伊 藤 幹 治 「宮 座 の シ ンボ リズ ム 」, 安 津 素 彦 博 士 古 稀 記 念 祝 賀 会 編 『神 道 思 想 史 研 究 』, 安 津 素 彦博 士 古 稀 記 念 祝 賀 会, 1983, 743-762頁。 な お 他 に 村 武 精 一 「集 落 の 祭 祀 的世 界 と風 土-島 根 半 島 ・美 保 神 社 の 事 例 か ら-」, 九 学 会 連 合 日 17) 本 の 風 土 調 査 委 員 会 編 『日本 の 風 土 』, 弘文 堂, 1985, 229-238頁。 R・ エ ル ツ 『右 手 の優 越-宗 教 的 両 極 性 の 研 究 』, 吉 田禎 吾 ・内藤 莞 爾 訳, 垣 内 出版, 18) 19) 20) 1980. Needham, R. (ed.), Right and Left: essays on dual symbolic classification,The Univ. of Chicago お 長 島 信 弘 「遠 似値 へ の接 近-右 と左 の象 徴 分 類 に 関す る ニ ー ダ ム の所 論 を め ぐっ て」, 一 橋 論 叢77-3, 83頁, が 参 考 に な る。 南 西 諸 島 の例 〔注7〕 は, む しろ例 外 的 で あ る。Needham Pr., 1973. な 1977, 75- は, 非 単 系 社 会 に お い て は 社 会 的 秩 序 に対 す る 象徴 的秩 序 の 関 係 が不 明瞭 か 最 小 限 で あ る こ とを 示 唆 して い る。Needham, R., ‘The left hand of the Mugwe: an analytical note on the structure of Meru symbolism’, 〔注19〕, p.111. な お 本 土 の研 究例 と して松 永 和 人 「日本 農 村 社 会 に お け る 『左 』 の二 つ の原 理-福 岡県 八 女 市 近 郊 農 村 の氏 神 祭 祀 ・葬 制 上 の 『左 』 に つ い て-」, 江 淵 一 公 ・伊 藤 亜 人 編 『儀 礼 と象 徴-文 化 人 類 学 的 考 察-』, 九 州 大 学 出版 会, 1983, 489-512頁, 同 「大 分 県 日田 郡 中 津 江 村 に お け る 氏神 祭祀 ・葬 制 上 の 「左(手)」 の 習俗 に つ い て」, 福 岡 大 学 人 文 論 叢16-2, 1984, 1-38頁。 21) 伊 藤 幹 治 は, 祭 を 日常 的世 界 を越 え る とい う点 で超 日常 化 を指 向す る と と らえ, 黒 不 浄 な どの 脱 日常 化 の 指 向 と区 別 して い る 〔注15)22-54頁 〕。 22) 文 化 と社 会 を 別次 元 とす る考 え方 につ い て は Kroeber, -30- A. L. and T. Parsons, ‘The concepts of culture and of 近 江 湖 南 村 落 に お け る 宮座 と象徴 空 間 (八木) 127 〔 注17〕 が そ の ひ とつ で あ る。 伊 藤 の 取 り上 げ て い る 甲 西 町 妙 感 寺 の ほ か, 高 橋 の 扱 って い る信 楽 町 多 羅尾 〔 注14)57-79頁 〕で も右 座 と左 座 の詳 細 が 明 らか とな って い る。 また 高橋 は, 宮 尻 と旧村 を 同 じ,くす る 朝宮 地 区 三所 神社 の宮 座 に おい て, 7つ の 座 の建 物 配 置 に右 側 左 側 の区 別 の あ る こ 第2図 分 析 の枠 組 とを指 摘 して い る 〔 注14)98-127頁 〕。湖 東 に な る 表 わ れ る右 と左, 東 と西 な どの空 間 観 念 は, す が, 竜 王町 弓 削 の右 の座 ・左 の座 も比 較 的 近 く な わ ち文 化 の レベ ル に属 し, 祭 祀 集 団 の よ うな の事 例 で あ る 〔 注14)198-207頁〕。 次 に, 宮 尻 の宮 座 に 関 して は, 昭 和40年 社 会構 造 レベ ル と接 合す る こ とに よって 儀 礼 の 23) 日常 的 (1965) に 報 告 が あ り, 右 座 と左 座 へ の 注 目は 世俗 的 生 活 に お い て も, 空 間 観 念 と社 会 形 態 の な い もの の, 変 化 の側 面 を 見 る上 で 有 利 な こ と 間 に, 同様 の関 係 構 造 が 成 立 し うる と考 え られ を あ げ うる。 さ らにつ け加 えた い のは, 後 述 の る。 この よ うな仮 説 的 規 定 に基 け ば, 第2図 に よ うに, 宮 尻 に お け る右 座 と左 座 で は 右 座 が優 掲 げ た よ うに, 文 化/社 会, 聖/俗 の 座 標 軸 に 越 す る か に 見 え る こ とで あ り, これ まで の 研究 位 置 を与 え られ た2組 で 報 告 され て い る左 座 の優 越 とい う一 般 的事 実 中 で 意 味 を獲 得す る こ とに な る。 他 方, の関 係, (1) 儀 礼 的 空 間 秩 序-祭 祀 組 織 ・集 団 に反 す る点 が, 宮 座 に お け る右 と左 の シ ンボ リ (II) 日常 的 空 間 秩 序-社 会 組 織 ・集 団 ズ ム の理 解 に対 して, 解 明 の糸 口を 提 供 す る可 を 得 る こ とが で き る。 さ らに この2組 の 関 係 を 能 性 が あ る と思 わ れ た こ とで あ る。 また, 宮 尻 検討 す る こ とに ょっ て, の宮 座 がそ の名 に右 左 を 冠 さ ない3つ の座 組織 (III) 祭 祀 組 織 ・集 団-社 会 組 織 ・集 団 に よっ て構 成 され, そ れ ぞ れ が 右 座 と左 座 に双 (IV) 分 され る点 も, 当初 か ら右 と左 を 冠 した座 組織 儀 礼的 空 間 秩 序-日 常 的 空 間 秩 序 とい うあ らた な2組 の関 係 を 得 る こ とが で きる。 を もつ 他 の事 例 とは異 な って い る。 お そ ら く精 本 稿 で求 め よ うとす る のは, (IV) の 関 係 構 造 で 査 を 待 て ば, 宮 尻 の よ うな 例 が な お多 く発 見 さ あ り, も しあ る とす る な らば, そ の 背 後 に 隠 さ れ るで あ ろ う とい う意 味 で も, こ こで と り上 げ れ た構 造 を 成 りた た しめ る論 理 で あ る。 さ らに る意 義 は大 きい と判 断 され る。 検 討 の際 に は, 持 続 と変 化, 言 葉 を 代 え て 言 え 宮 尻 は信 楽 町 の 西 端 に 位 置 し, 瀬 田川 に合 流 ば構 造 に対 して 過 程 とい うい まひ とつ の 分 析軸 す る大 谷 川 (信楽川) に 沿 って, 東 す なわ ち上 流 を 用 意 して 臨 む こ とが 必 要 で あ ろ う。 の野 尻 の集 落 と, 約1km下 の じ り (2) 対 象 集 落 と調 査 方 法 おけ い 流 の桶 井 の集 落 か ら構 成 され て い る (第3図)。 近 世 に は野 尻 村 ・ こ こで対 象 と して みや じ り と りあ げ る の は, 滋 賀 県 甲賀 郡 信 楽 町 宮 尻 の 集 桶 井 村 と呼 ば れ て い た が, 明 治 に 合併 して野 尻 落 と宮 座 で あ る。 宮 尻 を 選 ん だ の は, 右 座 と左 村 とな り, 明治7年 座 が 見 られ る とい う条 件 以 外 に も, い くつ か の 22年 (1889) に は 朝 宮 村 宮 尻, 理 由 が あ る。 従 来 の数 少 な い 右 座 と左 座 に 言 及 町 村 合 併 に よ って 信 楽 町 宮 尻 とな って 現在 に至 した 事 例 研 究 が, 同 じ湖 南 で 得 られ て い る こ と っ て い る。 social system,, American Sociological Review 23-5, 1958, pp.582-583, 昭和29年 同 (1954) お よび伊 藤 幹 治 「「氏 子 」の 社会 人 類 学 序 説 (上)」, 国 学 院 大 学 日本 文 化 研 究 所 紀 要25, 1970, 1-29頁 と くに7-10頁。 23) 池 田 昭 「宮 座 の変 貌 過 程 (村 落構 造 との 関連)-滋 賀 県 甲 賀 郡 信楽 町 宮 尻-」, -31- (1874) 宮 尻 村 と改称, 社 会 と伝 承9-2, 1965, 13-20頁。 128 人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) 第3図 -32- 宮 尻 近 江 湖 南 村 落 に お け る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) ■大 座 所 属 戸 ←分 家の派生 ●和 田座所属戸 ←奉 公人分家の派生 ▲桶 座 所 属 戸 アル ファベ ッ トと数字 で任意の各戸記号とする。 ただ し同 じアル ファベッ トは同姓 を表わす。 (な お 大 座 ・和 田座 ・桶 座 に つ い て ば 第III章を参照。) の 集 < エ 川 道 --…… --- 字界 野尻の上 ・ 下 の 境((c)) 組 の 境((e)) 落 -33- 129 130 人 第1表 戸数の変遷 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) (単位: 戸) (明治初期は 『 滋賀県物産誌』,他 は土地台帳 と聴取 りに よる。) 野 尻 ・桶 井 と もに平 坦 地 に 乏 し く, 明治 期 に は 茶 と薪 炭 の 生 産 を 主 た る産 業 に して いた。 現 在 も茶 が 農 業 の 中心 を な し, 斜 面 の多 くが 開 折 され て 茶 畑 とな って い る。 町 の 中心 信 楽 と瀬 田 川 の 関 津 は, 宮 尻 か らほ ぼ等 距 離 に あ り, 町 村 合 併 前 に は瀬 田 方 面 との 結 び つ き も強 か った。 かみ の かい と しも で 野 尻 で は, 上 ノ垣 内 ・小 山 ・西 出 ・下 出 に 家 し じゆ うが り 屋 が 展 開 し, 桶 井 で は 四十 刈 に 戸数 が 集 中 して しも け で かみ で い る。 桶 井 で は, か つ て下 ヶ 出 ・上 出 に多 くの 家 数 を 見 た 時期 もあ った が, 現 在 は下 ヶ出 ・上 出 と も1戸 ず つ とな り, 残 りの戸 は 四十 刈 に あ って, しか も全 体 で は減 少 しつ つ あ る。 野 尻 は, 桶 井 と対 照 的 に, 昭和 戦前 期 まで は戸 数 を 増 加 させ て い た もの の, 戦後 は減 少 に転 じた。 野 尻 内 の家 屋配 置 に も若 干 の変 遷 を認 め うるが, 桶 井 ほ ど顕 著 で は な い。 ア ル ファベ ッ トと数字 で任 意 の各 戸記 号 とす る。 た だ し同 じア ル フ ァベ ッ トは同姓 を表 わす。 (なお、 大 座 ・和 田座 ・桶 座 につ い て は第III章参 照。) 川 流 れ に沿 っ て, ほ ぼ東 か ら西 に地 番 が ふ ら れ て い るの に並 行 して, 各 戸 は上 流 か ら下 流 に 一番 組 か ら六 番 組 の近 隣組 織 に分 か れ る。 一 組 は 家 並 原 則 に よ って, 6∼9軒 で 構 成 され て い →分 家 の派 生 第4図 →奉 公 人分 家 の派生 同姓 戸 とオ モ ヤ ・イ ンキ ョ 調 査 方 法 は, 主 に古 老 に 対 す る聴 取 りとい う る。 同姓 戸 の 卓越 す る の は, 宮 尻 の特 徴 で あ る。 民俗 学 的手 法 に拠 った。 正 確 を 期 す た め, 同 じ 過 表1世 紀 近 くの 間 に, いわ ゆ る一 軒 前 の資 格 内 容 に つ き必ず3人 を 認 め られ た, つ ま り共有 林 や 村 仕 事 へ の権 利 に つ い て は, 聴 取 り調 査 で溯 り うる限 界 と, 土 義 務 と, 氏 神 大 宮 神社 や 檀 那 寺 との関 係 を 認 め 地 台 帳 ・役場 資 料 等 の客 観 デ ー タ の得 られ る範 られ た 戸 は, 67に の ぼ る が, 囲 が ほ ぼ 合致 す る の で, 明治 中頃 か ら昭 和59年 1戸 のみ の姓 は7 以上 に尋 ね た。 変 化 の 側 面 に 過 ぎな い (第4図)。 同姓 戸 や そ の一 部 を 示 す (1984) 現在 まで の90年 余 りを とる こ とに した。 語 と して カ ブが あ り, 本 分 家 は オ モ ヤ ・イ ンキ 年 次 を 限 って資 料 を呈 示 す る必 要 か ら, 明 治 ・ ョと呼 ば れ て い る。 イ ソキ ョの 中に は, オ トコ 大 正 ・昭和20年 以前 ・昭和20年 以 後 の各 時 期 よ シ (男子衆) を 独立 させ た と伝 え る奉 公 人 分 家5 例 が 含 まれ て い る。 り, 明 治21年 (1888)・大 正5年 (1916)・ 昭 和15 年 (1940)・ 昭和40年 (1965) を 選 んで 区 切 りと し -34- 近 江 湖 南 村落 に お け る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) 131 た。 これ らは お よそ4分 の1世 紀 ず つ離 れ あ っ 持 って い る。 こ こで は, 両 者 の連 関 が 明確 に な て い る。 る よ う留 意 しつ つ, 同 時 に説 明 して ゆ く。 な お, 次 章 以 下 で は, 前 節 で示 した4つ の関 係 群 か ら(1)・(II)・(III)に つ い て概 観 し, 分 析 作 業 制 度 や 組 織 に 生 じた 変 化 の 側 面 に つ い て は, さ しあた り昭 和 戦 後 期 の もの に 限 定 して 言 及す る。 み や どし よ り の中 で(IV)を 探 って ゆ くつ も りで あ る。 III 氏 子 組 織 を 通 じて 重 要 な 役職 に 宮年 寄 が あ り, 昭 和59年 祭 祀組 織 と儀 礼 的空 間秩 序 (1) 氏 子 組 織 と宮 座 組織 (1984) 現 在, 15人 が 宮年 寄 を つ とめ て い る。 宮 年 寄 は, 大 宮 神 社 の 維持 ・管 理 や 大 上 流 の野 尻 と下 流 小 祭 礼 の 運 営 に 中 心 的 役 割 を 果 たす。 宮 年 寄 の の桶 井 は, 檀 那 寺 を こ とに して い る。 と もに浄 中 の1人 は, 宮 世 話 と呼 ば れ る よ り重 い役 を 兼 土 宗 なが ら, 野 尻 は 本 覚寺, 桶 井 は光 明寺 の檀 ね て い る。 神 主 の よ うに 神 事儀 礼 を 自 ら執 行 す 家 で あ る。 檀 家 組 織 や寺 有 林 の 権益 へ の関 与 な る こ とは な い もの の, 大 小 の祭 の 準備 を始 め, ど は, 従 って 別 で あ る。 同様 に, 山 の神 や 地 蔵 過 去 に は 常 夜 灯 の 燈 火 の 管理 を 行 な うな ど, 文 も双 方 に あ り, 山 の 神 祭 祀や 地 蔵 盆 も個 別 に営 字 通 り神 社 の 世 話 役 で あ った。 みや ぜ わ まれ て い る。 しか し, 大 宮 神社 の 氏 子 で あ る こ 神 社 本 庁 や 他 の 神 社 との 関 係 に お い て の, い とは 共 通 して お り, 宮 に 関す る大 小 の祭 や, 祭 わ ば 対 外 的 な 氏 子 組 織 の 代 表職 で あ る 氏子 総 代 祀 組 織 ・諸 役職 な どは, 宮 尻全 体 を ユ ニ ッ トと は, 宮 年 寄 か ら4人 を 互選 し, 宮 世 話 を加 えた して 展 開 す る。 大 宮 神社 の年 間行 事 の 中で, 最 計5人 を 届 け 出 て い る。任 期 は3年 で再 任 を 妨 大 の も のは, げ ない。 毎 年10月10日 に 行 なわ れ る 例 祭 (大祭) で あ り, 今 回 と りあ げ る宮 座 の儀 礼 が 見 宮 年 寄 の 役職 は, 宮 座 組 織 と深 く関わ って い られ るの も この機 会 で あ る。 例 祭 は, 昭 和29年 る。 宮 の 祭 祀 集 団 と して の 宮 座 は, 宮 尻 で は単 (1954) 以 前 に は新 暦11月28日 に行 なわ れ て い た に 「座 」 と呼 ば れ て い るが, そ の語 は個 々 の儀 が, 同 年 の 町 村 合併 以降, 隣接 す る朝 宮 地 区 三 礼 単 位 とな る集 団 を示 す だ け で な く, 例 祭 の あ 所 神社 と と もに, 現 在 の 日取 りに 統 一 され た。 との 宮 座 儀 礼 そ の もの を 指 した り, 儀 礼 の執 行 大 宮 神社 の 氏 子 の一 般 組 織 を 氏子 組 織, 例 祭 され る 建 物 を示 した りす る の に も使 用 され る。 時 に宮 座 儀 礼 を遂 行 す るた め の組 織 を 宮 座 組 織 と仮 りに呼 んで お くが, 両 組 織 は 密 接 な関 連 を だい ざ わ だ ざ 祭 祀 単位 と して の座 の 集 団 は, 大 座, 和 田座, おけ ざ 桶 座 の 三 座 か らな り, 大 宮 神社 に対 す る義 務 ・ 24) 第2表 権 利 を認 め られ て い る戸 は, 全 て 三 座 の い ず れ 大宮神社の行事 か に 帰 属 して い る。 昭 和59年 座16戸, 和 田座12戸, 第3表 (1984) 現 在, 大 桶 座15戸 とな って い る。 座 の構成戸の変遷 (土地台帳 と聴取 りに よる。) 24) 外来戸 も長年居住すれば願い出て, 一定 の権利金 を納 めて部 落 と宮に加入を許 され るのが通例 であ り, この限 りでは 宮尻 の宮座を 「 村座」 と考えて よい。 -35- 132 人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) 大 座 ・和 田座 に所 属 す る の は野 尻 の各 戸 で あ り, に よ り左 右交 互 の 原 則 維持 が 困難 とな った た め, 桶 井 の 戸 は全 て桶 座 に属 して い る。 た だ1戸 の 左 右 に 関 係 な く, 当家 を家 の 当番 制 に か え, そ 例 外 は, 野 尻 のJ4で の 順 番 は家 並 び 順 と した。 続 いて 和 田座 は, 昭 あ って, 大 正 期 に 桶 井 か ら野 尻 へ転 入 した もの の, 座 へ の帰 属 は 従 前 の 和34年 桶 座 を 維持 し続 け て い る。 って 最 も長 く当家 を経 験 して い ない 家 の 順 に, 氏 子 組織 の役 職 で あ る宮 年 寄 は, 昭 和30年 代 の 終 り頃 まで は, 大 座 ・和 田座 か ら各4人, 桶 座 か ら6人 の計14人 で構 成 され て い た。 そ の後, (1959) 頃 を境 に して, そ の時 点 か ら溯 や は り当 番 制 に 移 行 した。 和 田座 で は特 に, 加 入 年齢 の 高 い こ とが, 旧慣 の維 持 に障 害 とな っ た。 各 座 か ら5人 ず つ 計15人 とな って 現 在 に至 って 当家 の 資格 が 次三 男 以下 に も認 め られ て い た い る。 大 座 と和 田座 で は, 固定 した 家 の代 表 者 の に 対 し, 宮 座 儀 礼 と直 会 の行 なわ れ る座 の 建 の 男性 に よって 宮 年 寄 が 世 襲 され る の に対 し, 物 (以下座 小屋 と呼ぶ) に お け る 席次 は, 家 の 代 桶座 で は, 座 の成 員 で あ る全 て の家 の代 表 者 の 表 者 の 男 性 のみ に定 席 が 与 え られ, 次 三 男 以 下 男性 の うち, 年 長 の者 か ら順 に5人 が 任 に 就 い は 末 席 とな る。 座 小 屋 で は 中央 に炉 を は さみ, て い る。 宮 世 話 は, 大 座 に 属 す る野 尻 のA1家 三座 の そ れ ぞれ が右 座 と左 座 に分 か れ, 向 い 合 とA5家 って座 る。 左 右 どち らの座 に着 くか は, 三 座 と 25) の と もに宮 年 寄 の2つ って継 承 され, の家 の 当主 に よ こ こ2代 は い ず れ もA1家 の当 主 が務 め て い る。 席 次 も家 に よっ て 固定 して お り, 桶 座 で は, 家 座 の成 員 資 格 は, 各 座 とも次 三 男 以 下 を 含 む 男性 だ け に与 え られ て い る。 数 え年 で 大 座15歳, 和 田座25歳, も各 家 ご とに決 って い る。 大 座 ・和 田座 で は, 桶 座16歳 とい うのが 加 入 資 格 を 得 の代 表 者 の年 齢 の高 い者 か ら順 に, 上 座 か ら着 席す る。 第5図 に は, 昭 和 戦 前 の和 田座 と戦 後 の 大座 られ る年 齢 で あ り, 当家 を つ とめ る こ とが で き の座 順 を示 した。 両 座 と も右 左 の 第1, 2席 の た。 当家 とは, 例 祭 か ら次 の 例 祭 まで の 一 年 間, 4人 が宮 年 寄 を 務 めて い る。 大 座 の 右 座A14と, そ の役 割 が 継 続 す る年 番 の 神 役 で あ って, 毎 年 和 田座 の右 座G1が, 各 座1人 ず つ, 計3人 が 選 ば れ る。 若 い 時 に す 宮 年 寄 で あ る。 桶 座 で は, 右 左 の上 位3人 ず つ る最 初 の 当家 を イ リ ドウ, 隠 退 す る まで に あ と 計6人 が 宮 年 寄 とな って い た が, 昭 和30年 代 に 1回, 早 く も右 座 左 座 の区 分 が 顧 慮 され な くな り, 同 場 合 に よ って2回 つ とめ る こ と もあ った。 後 に 増 員 され る5人 目の 座 を 退 く直 前 に す る当 家 は, ヒザ クダ リと称 し た。 大 座 ・和 田座 で は, 毎 年 正 月3日 に大 宮 神社 社 務 所 で 開 く座 始 め に お い て, そ の年 の 当家 を 話 し合 い で 決 め, 桶 座 で は, 毎 年 右 座左 座 (後 述) か ら交 互 に 当 家 の 出 る の が な らわ しだ った。 この よ うな原 則 は, 大 座 で は 現在 も維持 され て (□……炉) い る。 しか し, 和 田座 ・桶 座 で は, 戸 数 や 若 年 世 代 の 減 少 を理 由 と して, 昭和30年 代 前 半 に崩 れ て しま って い る。 桶座 で は, 右 座 の戸 の減 少 大 座 (昭和40年 頃) 第5図 和 田座 (昭和15年 頃) 座小屋におけ る座順 25) 宮尻 では座小屋 と呼 ばないが, 湖南村落には座小屋 と称す るところが多い。 ここでは便宜上, 普通名詞 と して使用す る。 -36- 近 江 湖南 村落 に お け る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) 133 じ頃 に 員 数 が1人 減 とな った た め, 年 齢 順 に上 に 赴 い て 翌 日の 準備 を整 え る。 御 供 を 作 るの に 位 か ら5人 が 宮 年 寄 に就 く よ うに な った。 女 性 は 関与 しな い。 御 供 がで き上 る と, 当 家 を ざが し ら 座 に は 座 の長 と して座 頭 が あ る。 大 座 で は, 宮 世 話 ・宮 年 寄 のA1が 手 伝 った宮 年 寄 は, 神社 へ御 幣 を 迎 えに 行 く。 これ を務 め, 和 田座 で は, 右 座 筆 頭 の 宮年 寄F1が この 時 に は, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 の順 に な る よ 世 襲 して い る。 桶 う時 間 を 見 計 ら って ゆ く。御 供 箱 に収 め た 御 供 座 で は, 戦後 長 く最年 長 者 が座 頭 を つ とめ て い と, 迎 え た御 幣 は, 各 当家 の家 の床 の 間 に 祀 ら た が, 現在 のJ13は 座 で の推 薦 に よる もので, れ る。 この 晩 は 宵宮 な の で, 神 社 へ 参 拝 す る者 最 年 長 者 で は な い。 も多 い。 さて, 大 座 ・和 田座 に 共通 す る座 の編 成 原 理 翌 朝, 当家 は御 供 と御 幣 を神 社 へ 送 って ゆ く。 と して, (1)男性 本位, (2)長子優 先, (3)特定 の家 この 時 に も, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 の優 先 順 位 が 筋 の優 越, (4)本家 の優 位 の4点 を 指摘 し うる。 あ る。信 楽 三 雲 神社 の 神 主 が例 祭 を 司 どるの で, 26) 女 性 の 排 除 は, わ が 国宮 座 祭 祀 に普 遍 的 で あ る。 そ の到 着 に よ って 神事 が挙 行 され る。 拝 殿 で は, 席 次 を もつ こ との で きる の が家 の代 表 者 で あ る 正 面 の 本殿 に 向 か って右 側 に大 座 の宮 年 寄 が 着 点 か ら, 長 子 の優 先 も明 らか で あ ろ う。大 座 に 座 し, 続 い て和 田座 の宮 年 寄 が並 び, 左 側 に は おい て は, 右 座 左 座 と もA姓 が上 座 を 占め, 戸 桶 座 の 宮年 寄 の並 ぶ の が, 本 来 の座 順 とされ て 数 に お い て も他 を 圧 して い る。 和 田座 に お い て い る。御 供 箱 も同様 に, 右 左 に置 か れ るべ き と も, 右 座 にF姓 が, 左 座 にH姓 が上 座 を 占 め, い う。 しか し近 年 は, 右左 の別 は お お よそ 守 ら い ず れ も世 襲 の宮 年寄 で もあ る点 で, 特 定 の家 れ る もの の, 座 順 に つ い て は必 ず し も仕 来 た り 筋 の優 越 を示 し うる。 オ モ ヤ ・イ ンキ ョ (本分 通 りに は な って い な い。 拝 殿 の 中 央 に は, ぜん とう 家) 関 係 に あ る家 は, 3座 と右 座 左 座 の配 属 を 等 し く して い る。 分家 同士 の座 順 は, 必 ず し も 前 ぜ んやく 列 に この1年 間務 め た 当家 (前当あ るいは前役) が, 後 列 に は 向 こ う1年 間 担 当 す る 次 の 当 家 こうとう こうや く 古 い 分 家 が 上位 とは 限 らな いが, 本 家 は常 に分 (後当, 後役) が, 本 殿 に 向 か っ て右 か ら大 座 ・ 家 の 上 位 に あ る。 和 田 座 ・桶 座 の 順 に座 る (第6図)。 桶 座 の 編 成 原理 は, (1)男性 本 位, (2)長子 優 先 の イデ オ ロギ ーが認 め られ る点 で, 大 座 ・和 田 座 に 共 通 す る。 しか し, 座 に おけ る席 次 に は, (3)年齢 原理 が貫 徹 され て お り, いわ ゆ る状 況 可 27) 変 の 原 則 を 見 出 し うる。 (2) 右 座 の 優越 以上 の よ うな組 織 や 諸 原 則 を 前 提 と して, 例祭 に お け る祭 儀 と宮 座 儀 礼 の 次 第 を, 三座 と右座 左 座 の関 係 構 造 に注 意 しな が ら概 観す る と次 の通 りで あ る。 例 祭 前 日の10月9日 に は, 三 座 の各 当 家 の 家 ご く で早 朝 か ら餅 を揚 き, 長 円形 の 御 供 と呼 ば れ る 神僕 を作 る。 これ に はそ の座 の 宮 年 寄 の2名 か 3名 が 手伝 い に行 き, 残 りの宮 年 寄 は 大 宮 神 社 26) 27) 第6図 □御 供 P神 K区 主 長 拝 殿 に お け る 当 家 ・宮 年 寄 の 座 順 (昭和30年 頃) この よ うな 宮座 の封 鎖 性 につ い て は, 原 田敏 明が 指 摘 して い る 〔注14)124-141頁 〕。 年 齢 を 加 え て ゆ く こ とに よ り権 威 あ る地 位 を獲 得 す る よ うなわ が 国村 落 社 会 の一 類 型 にお け る中 心 的 イ デ オ ロギ ー。 蒲 生 正 男 「日本 の伝 統 的社 会 構 造 とそ の変 化 につ い て」, 政 経 論 叢50-5・6, 1982, 11-28頁。 -37- 134 人 文 地 理 第38巻 神 事 が 進 行 し, や が て 献 饌 に な る と, 拝 殿 か 第2号 (1986) 位 で あ る。 御 幣 の迎 え送 りを始 め と して, 神 事 ら本 殿 に渡 した 橋 とそ れ に 続 く本殿 に登 る石 段 儀 礼 に お け る献 饌 や 撤饌 の 次 第, 当受 け 当渡 し, に宮 年 寄 が 並 び, 神 饌 を 次 々 と手渡 しで本 殿 に 座 始 め の 合 図 な どに, 本 来 は厳 しい順 序 が 存 在 上 げ て ゆ く。 この 宮 年 寄 の 並 び 順 も, 本 殿 の高 して い た。 さ らに 注 目す べ きは, これ ら三 座 の い所 に大 座 の宮 年 寄 が 立 ち, そ の下 に和 田座 ・ 順 序 が, 右 と左 の 空 間 分 類 に強 く結 び つ き, 右 桶 座 の宮 年 寄 が 並 ん だ とい わ れ て い るが, 近 年 の 優 越 とい う形 で 表 象 され て い る こ とで あ る。 は余 り顧 慮 され ない。 献 饌 の 最後 は御 供 が運 び 空 間 分 類 は, 特 に 拝 殿 に お け る宮 年 寄 や 当家 の 上 げ られ る。 藁 製 の 「輪 」 を 頭 に載 せ た 「 御供 座 席, 献 饌 され た 御 供 の配 置 な どに 明瞭 に現 わ 持 ち」 の少 女 を 先 導 に, 前 当 ・後 当 が御 供 箱 の れ, 時 間 的優 先 と結 び つ くこ とか ら, 右 の重 視 前 後 を 担 っ て本 殿 に 登 る。 これ に も大 座 ・和 田 が 理 解 され よ う。 座 ・桶 座 の順 が あ り, 現 在 も遵 守 され て い る。 座 始 め に お け る神 酒 ・御 供 の順 に表 れ て い る 御 供箱 か ら取 り出 した 御 供 は, 本 殿 で や は り右 よ うに, 右 の優 先 は 座 の 内 部 に ち見 られ る。 特 か ら大 座 ・和 田座 ・桶 座 の順 序 に 並 べ 置 か れ る。 に, 大 座 と和 田座 に お い て は, 座頭 が右 座 筆 頭 献 饌 を待 っ て, 神 主 立 ち会 い の 下, 本 殿 で 「当 で あ る こ と, 5人 目の 宮 年 寄 が どち ら も右 座 か 受 け 当渡 し」 の儀 礼 が 行 なわ れ る。 神 主 は まず ら選 ば れ て い る こ とな どが 注 目 され る。 また, 大 座 の前 当 に御 幣 を 渡 し, 前 当 は そ れ を後 当 に, 大 座 へ の 加 入 を 大 正 初 期 に認 め られ た外 来 戸E 後 当 は それ を再 び 神 主 に 返 す。 続 い て 和 田座 ・ は, 左 座 に 配 属 され て い る。 和 田座 で は, 同姓 桶 座 の順 に 同 じ こ とを 行 な う。 当受 け 当 渡 しを で あ りな が ら右 左 両 座 にG姓 が 見 られ るが, 左 も って, 例 祭 の祭 儀 は終 了 す る。 この 間, 各 座 座 のG3, に 属す 一 般 の男 性 は, 境 内に 佇 立 して 神 事 の 進 家 と伝 え られ, 明 治 末 期 に 苗 字 を分 け て も らっ 行 を 眺 め て い る。 て 座 入 り した とい う。新 規 加 入 の来 住 戸 や 奉 公 神主 が帰 る と座 が 始 ま る。 座 小 屋 内 に仕 切 ら G6, G7の3戸 は, G1の 奉公人分 人 分 家 を 左 座 に 帰 属 させ る こ とに よ り, ここで ざ こ れ た3室 に分 か れ, 座 子 (座の成員) が 揃 うと, は 右 座 の 正 統 性 と威 信 が 暗 黙裡 に 承認 され て い 前 当後 当 が神 酒 と御 供 を 下 げ て くる。 大 座 の 当 る。 しか し桶 座 に お い て は, 左 座 は伝 統 的 にJ 家 か ら 「お神 酒 下 げ ます 」 と声 を 掛 け, 和 田 座 ・桶 座 の順 に神 酒 を 下 げ, 続 い て 御 供 を 同 じ よ 姓 に よ って 独 占 され て お り, 大 正初 め に座 へ の うに撤 饌 す る。 各 座 で は座 頭 の 発 声 に よ って, 撤 饌 した神 酒 ・御 供 を い た だ く儀 式 を始 め る。 加 入 を 認 め られ た 外 来 戸Oは, 右 座 に配 属 され て い る。 空 間 分 類 に 連 合 す る もの で は な い が, 大 座 ・ 開始 の合 図 も同 じ三 座 の順 が あ った とい うが, 和 田座 が 桶 座 に 対 照 を 見 せ る事 実 は, 他 に も存 近 年 は厳 格 に は守 られ て い ない。 神 酒 ・御 供 は 在 す る。 座 の 儀 礼 に 当 家 の 準備 す る重 箱 の肴 は, 当家 の給 仕 に よって, 右 座 の 最 上 位 か ら左 座 へ, 大 座 ・和 田座 が 「え び とか ぶ らの 漬 け物 」 で あ さ らに右 左 と千 鳥 式 に下 が って ゆ き, 一 巡 りす る のに 対 し, 桶 座 は 「す る め とた くあ ん」 で あ れ ば上 下 の な い直 会 の宴 とな る。 宴 は 午 後 まで る。 また, 各 座 の 建 物 内 に 張 り渡 され る幕 の意 も続 くの が通 例 で, 三 々五 々人 々の 去 った後, 匠 は, 大 座 が 黒 地 に 白ぬ きの 「丸 に 大」, 和 田 最後 に残 った新 旧 の 当家 が あ とか た ず け を 行 な 座 が 白地 に 黒 で 染 め た 「丸 に和 」 と対 を なす が, い, 各 座 の 幕 を畳 んで 全 て が 終 了 す る。 桶 座 は水 色 の 地 に 「上 り藤 」 が 染 め抜 かれ て い 祭 儀 ・宮 座 儀 礼 と直 会 を 通 じて, 貫 徹 され て い るの は, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 の順 で の 優 先 順 -38- る。 昭 和30年 (1955) に 建 て 直 され る 以前 の座 小 近 江 湖 南 村 落 に お け る宮座 と象徴 空 間 (八木) 135 て 分 か れ た 上 と下 が, そ れ ぞれ 念 仏 講 を な し, 桶 井 は 全 戸 で ひ とつ の 念 仏 講 を形 成 じて いた。 念 仏 講 の 名 称 が 死 語 化 じた 現在 に お いて も, 野 尻 の 上 ・下 の 区 分 は, 日常 生活 に な お使 用 され て い る (第3図(c))。 昭和30年 以前 昭和30年 以 後 野 尻 と桶 井 が 基本 単位 とな る もの に, 野 尻 本 矢 印 は右 座 (実線) と左座 (破線) の座 順 を表 わす。 第7図 覚 寺 と桶 井 光 明寺 の 檀家 組織 が あ る。 盆 に は, 座小 屋の配置 (概念 図) 8月10日 に 野 尻 で本 覚寺 境 内 の掃 除 が 行 なわ れ, 屋 配 置 で は, 本 殿 に 向 か って左 に大 座 が, 右 に 桶 井 は8月5日 に 「盆 の道 作 り」 と呼 ば れ る墓 和 田座 と桶 座 が, いず れ も独立 棟 を な じて いた。 地 まで の道 の掃 除 が あ る。 男女 は問 わ ない が, 大 座 内 部 で は 上下 の 座 順 の方 向 が他 の二 座 と逆 1軒 に1人 が義 務付 け られ, 朝 か ら一 斉 に 行 な に な って お り, 本 殿 に 近 い 方 が 下 座 で あ った わ れ る 共 同作 業 で あ る。 本 覚 寺 で は, 互 選 に よ (第7図)。 この 場 合 は, 大 座 に和 田座 と桶 座 が る 檀徒 総 代4人 の下 に, 一 年 交 代 の年 行 司 が2 人選 ば れ る。 年 行 司 は, 盆 ・彼 岸 を 含 む 年6回 対 比 され て い る とい え よ う。 の寺 の行 事 に, 山 か らハ ナ (シキ ビ)を 採 って 来 IV 民 俗 方 位 と しての 上/下 た り, 寺 の 境 内 の 掃 除 を した りす る こ とを 役 目 現在 の 宮 尻 に お け る 日常 生 活 に, 最 小 の単 位 と して い る。 年 行 司 は 隣番 制 を とっ て お り, 檀 を な す家 の 集 団 は, 一 番 組 か ら六 番 組 まで の近 徒 総 代 を 除 く野 尻 全 戸 を上 か ら下 に 向か って2 隣 組 で あ る。各 組 は 組 長 を 持 ち,行 政 連 絡 の末 端 軒 ず つ巡 る。 この上/下 の 単 位 を な す と と もに, 葬 式 組 と じて も機 能 し 地 域 単 位 と じて の上 ・下 で は な く, ほ ぼ 大 谷 川 28) は, 念 仏 講 に 一 致 す る て い る。 戦 前 に は, いわ ゆ る村 組 で あ る垣 内が, の 流 れ に沿 っ た相 対 的 な方 位 で あ り, 一 部 に は 葬 式 組 を 除 きほ ぼ 同 じ機 能 を 担 っ て いた。 大 正 ・昭和 初期 頃 の垣 内 を小 字 との対 応 で 示 せ ば, 斜 面 の 上 方 ・下 方 とい う意 味 も含 んで い る。 年 行 司 は 上 の垣 内 か ら下 出 まで 巡 れ ば, 再 び 上 の む かい で 野 尻 で は東 か ら上 ノ垣 内 (小字 と同 じ)・向 出 (小 垣 内 に戻 る。 せき や 山)・ 関 谷 (西出の北半部)・ 西 出 (西出の南半部)・ 光 明寺 の檀 家 に は, 檀 徒 総 代 が3人 選 ば れ る。 下 出 (下出 と上畑) の5つ の垣 内 が あ っ た。 桶 井 野 尻 とは異 な り, 桶 井 に は年 行 司 と花 切 りとい もお そ ら く下 ヶ 出 ・上 出 ・四十 刈 に分 か れ て い う二種 の 役 が あ る。 いず れ も2軒 ず つ1年 間 の た と思わ れ る が, 下 ヶ 出 ・上 出に 戸 数 の 減 少 が 任 期 で, 年 行 司 を1年 務 め る と翌 年 は 花 切 りを 激 じか った た め か, 桶 井 全 体 を 単 位 とす る こ と す る。 寺 の行 事 が営 まれ る時 に は, 年 行 司 が 掃 が 久 じ く続 い た。 除 や 準備 を行 な い, 花 切 りは山 か らシキ ミを採 社 会 生活 上 の家 々 の繋 が りは, 他 に も よ り大 って来 る。 隣番 順 はや は り上 か ら下 へ で あ る が, きな地 域 単位 や 集 団 に お いて 見 る こ とが で き る。 上 出 のL1は 例 え ば, 戦 前 ま で の 葬式 組 は, 現 在 の よ うに 隣 に な って い る。 そ れ が いつ か らか とい うこ とに 29) 最 後, す なわ ち四 十 刈 の 戸 の あ と 組 で は な く, 念 仏 講 と呼 ばれ る講 組 織 を 単 位 と つ い て は, 桶 井 で は もは や 記 憶 され て い な い が, じて い た。 野尻 で は小 字 西 出 の中 ほ どを 境 に じ 下 ヶ 出 ・上 出間 の道 が, 戸 数 の 激 減 と大 谷川 沿 28) 村組 は村 の内部を地域区分する組織, 近 隣組は 村 の家 々を 一定戸数ずつ まとめる組織。 福 田アジオ 「 村落生活 の伝 統」, 竹 田旦他編 『日本 民俗学 講座2 社会伝 承』,朝倉書店, 170頁。 29) 宗教講 とじての機能は記憶 されていない。 -39- 136 人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) い の県 道 の 整 備 に よ って利 用 され な くな った こ 規 制 と して表 象 され て い る事 実 で あ る。 宮 尻 全 とに応 じて, L1の 体 を 通 じて, イ ンキ ョは オ モ ヤ よ り上 に は 家 を 順序 が再 編 され た ので は な い か と考 え られ る。 建 て られ な か っ た と伝 え られ て お り, 逆 に 本 末 宮 尻 全 体 を ユ ニ ッ トとす る機 能 契 機 に, いわ 関 係 の 不 明 な2軒 の家 の 関 係 を, そ の立 地 か ら ゆ る村 仕 事 と大 宮 神社 の普 段 の清 掃 が あ る。 後 類 推 しよ うとす る試 みす ら行 なわ れ て い る。 実 者 は 宮 掃 除 当 番 と呼 ば れ, 過 去 に2軒 ず つ が, 際, 単 な る伝 承 に過 ぎな い もの を 除 いて, 明治 最 近 で は4∼6軒 が一 組 とな り, 1軒 に1人 ず 21年 (1888) まで に 生 じた こ との 明 らか な 分 家 つ が 出 て 大 宮 神 社 境 内 の 掃 除 を行 な うもので あ 8例 は, 例 外 な く下 の 方 向 に 派生 され て い る。 る。 各 戸 か ら女 性 の 出 る こ とが多 い。 期 限 は定 そ の 後, め られ て お らず, 済 め ば 「 宮 掃 除 当 番帳 」 に記 昭 和15年 (1940) まで で は4例 入 して 次 に 回 す。 この 義 務 も宮 尻全 体 を通 して, で の2例 で は1例 が, そ れ ぞ れ下 の 方 向へ の イ 上 か ら下 の 方 向 に 巡 って ゆ く。 ソキ ョ分 出 で あ り, 大 正 初 め まで は規 制 がそ の この よ うに, 上/下 は上 流 ・下 流 に ほ ぼ対 応 大 正5年 (1916) まで で は7例 中1例, 中5例, 現在 ま 効 力 を 発 揮 して い た。 さ らに, 明 治 末 ま で に生 す る相 対 的 方 位 と して, 日常 的 空 間 を秩 序 づ け じた と考 え られ る奉 公 人 分 家5例 は, す べ て 下 て い る。 野 尻 と桶 井 が互 い か ら上 ・下 と呼 ば れ の 方 向 に 成 立 して い る (第3図)。 る こ とが あ るの も, 方位 の相 対 性 を 表 わ す もの 野 尻 に お け る 本家 と呼 ば れ る家 々 の多 くが, に 他 な らな い。 さ らに 旧村 を共 にす る上 流 の 朝 上 の 方 す な わ ち 上 ノ 垣 内や 向 出 に集 中す る とい 宮 は, 宮 尻 か らは上 と呼 ばれ る こ とが あ り, 上 うの も, 住 民 に よっ て強 調 され る と ころで あ る。 /下 の 方位 は集 落 レベ ル を越 え て適 用 され うる。 な か で も, 現在 は 西 出 に 居 を構 え るA5は, 江 今 ひ とつ 注 意 して お きた い の は, 上/下 に お 戸 時 代 に は 上 ノ垣 内 よ りさ らに上 に あた る上 ノ い て常 に上 が優 先 され た よ うに, 両 者 が 必 ず し 屋 敷 と呼 ば れ る地 に あ った と言 い, しか も現 在 も対 等 の 関 係 を示 して い な い こ とで あ る。 そ れ の 最 有 力 家A1を は と くに, 家 々 の本 来 関 係 に関 して 顕 在 化 す る。 れ て い る。 同様 に, 桶 井 に お い て も, 本 家 筋 で 同姓 戸 の一 団 を カ ブ と呼 ぶ こ とが あ る。 しか あ って家 格 の高 い政 治経 済 的 に卓 越 して い た 家 分 出 した本 家 で あ る と伝 え ら し, オ モ ヤ ・イ ンキ ョす なわ ち直 接 の本 家 分 家 々 は, 往 時下 ヶ 出や 上 出 に集 中 して い た もの が, 関 係 に あ る家 々を カ ブ と呼 ぶ こ とも あ り, そ の 明 治 中 頃 以降 急 速 に衰 え減 少 した と言 わ れ て い 内容 は広 義 ・狭 義 の間 で 安 定 して い な い。 広 義 る。 の カ ブ は, 同姓 で あ る こ とか ら生 じる漠 然 と し 日常 的空 間秩 序 を なす 上/下 の民 俗 方 位 に は, た 同族 観 念 は あ る に して も, 同 族 団 と して機 能 以 上 の よ うに上 の優 先 のみ な らず, 上 の優 越 と す る こ とは な い。 これ に 対 して 直 接 の 本 分 家 関 い う非 対 称 を 見 出す こ とが で き, さ らに そ の こ 係 に あ って は, 日常 付 き合 い の 点 で は 双 系 的 な とは, 旧家 や 過 去 の有 力家 の伝 承 に よ って補 強 親 族 関 係 に埋 没 して い る もの の, 分 家 派 生 時 の され て い る の で あ る。 財 産 分 与 に 見 られ る経 済 的 側 面 で の 本 家 の 庇 護 を始 め, 冠 婚 葬 祭 時 にそ の系 譜 関 係 が 意 識 され る な ど, 3代 程 度 の世 代 降 下 度 で は, な お そ の 関 係 の顕 在 化 す る契 機 が 多 い。 V 社 会 関係 と 祭祀 組 織 本 章 で は, 分 析 枠 組 で 示 した 社 会 の 側 の 関係 構 造 に つ い て 見 てゆ く こ とに す る。 具 体 的 に は, 系譜 関 係 に深 く関わ る もの と して 注 目され る 通 婚 ・土 地 所 有 ・政 治 な ど に現 わ れ る家 々 の諸 の は, 上/下 の 民俗 方 位 が, 分 家 派 生 時 の 方 向 関 係 や 階 層 を, 家 々 の三 座 へ の帰 属 を交 叉 させ -40- 近 江 湖南 村 落 に おけ る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) て と らえて み た い。 137 尻 ・桶 井 の 関 係 に つ い て 見 る こ と も可 能 とな る。 もち ろ ん, 大 座 ・和 田座 ・桶 座 へ の 帰 属 は, (1) 通 婚 関 係 高 橋 に よれ ば, 上 流 の朝 宮 で 例 祭 時 に顕 在 化 す る もの の, 日常 生 活 の 中 で は, は 宮 尻 か らの 婚 入 が 忌避 され て い た といい 〔 注 ほ とん ど顧 み られ る こ とが な い。 一 部 宮 年寄 が, 14)99頁〕, 宮 尻 で も, か つ て は 朝 宮 へ は嫁 に行 か 年 間10回 を超 す 大 小 の祭 りの 準 備 に 関 連 して座 ない も ので あ った と伝 え て い る。 しか し宮 尻 の を話 題 に した り, 当家 を担 当 して い る家 が, 果 内部 で は, 上/下 の 方 位 や 座 の 帰 属 に ま つわ る す べ き義 務 につ い て 常 に 自覚 を 迫 られ て い る以 通 婚 規 制 は 見 られ ない。 た だ, 過 去4代 の 通婚 外 に は, 日常 に お いて 座 の所 属 が 意 識 され る こ 数 を み れ ば, 偏 向 とは い え ぬ まで も, い くつ か とは な い とい え よ う。 しか し以 下 で は, 関 係構 の傾 向 を指 摘 す る こ とが で き る。 造 を 吟味 す る とい う目的 か ら, 統 計 を 三 座 の 単 第4表 通婚総数 位 に と って考 察 す る。 前 述 の よ うに, も と桶 井 に 居住 し, 後 に野 尻へ 転 入 した1戸 を 除 け ば, 野 尻 の構 成 戸 と大 座 ・和 田座 に属 す る戸 は 等 し く, 桶 井 の 戸 と桶 座 所 属 戸 も重 な って い る。 し た が って, 三座 を単 位 とす る こ とに よって, 野 第5表 世代別通婚数 (旧朝宮村: 宮尻を除 く, 信楽 町: 旧朝宮村 を除 く, 甲賀郡: 信楽町を除 く, 滋賀県: 甲賀郡を除 く) -41- 138 第4, 人 文 地 理 第38巻 5表 は, 現世 帯 主世 代 を含 めて 過 去4 第2号 (1986) 例 え ば, 大 座A姓 へ の過 去4代 の宮 尻 内で の 代 の嫁 入 り及 び 聟 養 子 の 婚 姻数 に, 養 子 の縁 組 婚 入 総数 は29件 を数 え る が, そ の 内訳 は 同 じA 数 を 加 えて 通 婚 数 と した もの で あ る。 と くに第 姓 か らの 婚 入 が10件, 4表 通 婚 総 数 は, 三 座 を 単 位 に 転 出 や廃 絶 に よ 姓4, っ て現 住 を 見な くな った 戸 に つ い て も, 聴 き取 同姓 以 外 に は, 野 尻和 田座 宮 年 寄 のF・H2姓 り調 査 を 主 に で き るか ぎ り補 って 得 た数 で あ る。 と, 桶 井 のJ姓 これ を 見れ ば, 大 座 へ の婚 入 が 卓越 し, 座 内婚 桶 座J姓 へ の婚 入総 数17件 を 見れ ば, 同 じ,J姓 のみ な らず, 和 田座 ・桶 座 か らも10件 以上 の婚 か ら7, A姓5, 入 が あ る こ と, 和 田座 で は 自座 内 よ りも大 座 へ 野 尻A姓 との交 流 が認 め られ る。 この こ とは 戸 の婚 出が 大 き く上 回 る こ と, 桶 座 へ は 野 尻 か ら 数 に 対 応 す る と言 え な く もな いが, む しろ一 部 の婚 入 が 少 ない こ とな どが 特 徴 とな って い る。 の姓 か らの婚 入 を欠 く事 を重 視 す べ きで あろ う。 世 代 別 で は, 4代 前 の 桶 井 か ら野 尻 へ の婚 出, 1姓2, 以下J姓6, H姓5, 各1件 とな って お り, C・G姓 F との 関係 が密 で あ る。 同 様 に, L・N姓 各2, F姓1と な り, ちな み に, 野 尻 で宮 年 寄 を 出 して い ないC・D 3代 前 の桶 井 ・野 尻 双 方 へ の 出 入 りな ど, 野 尻 ・E・G・I5姓 へ の 通婚 総 数19件 を 見れ ば, ・桶 井 間 の交 渉 の見 られ る こ とに 対 し, 2代 前 A姓 か らの 婚 入 が3件, J姓 か ら も同 じ く3件 の減 少 と, 現 世 帯 主 世 代 の 通 婚 の な い こ とが 注 しか な く, 戸数 比 率 の み で は説 明で き ない。 こ 目され る。 また, の よ うな 事 実 は, 特 定 の広 義 の カ ブ の家 々が, 4代 前 と3代 前 に は, 宮 尻 内 で の 内婚 率 が 高 く5割 以 上 を 占め, 多 少 は あ る 一 定 の 家 格 を形 成 し, 意 識 され な い形 で あれ 通 が三 座 間 相 互 の 出入 りが 見 られ る。 しか し, 2 婚 関 係 に 影響 を与 え た こ とを示 唆 す る も ので あ 代 前 に な る と内婚 率 は なお 高 い もの の, 野 尻 と る。 桶 井 の交 渉 が 少 な くな り, さ らに 現 世 帯 主世 代 (2) 経 済 階 層 と政 治 的 リー ダ ー シ ップ 第6 で は, 村 内 婚 そ の もの が著 しい減 少 を 見せ て い 表 と第8図 は, 主 に 土地 台 帳 に よっ て, 野 尻 ・ る。 桶 井 あ るい は 三 座 の 経 済 力 と家 々 の消 長 を 眺 め 以 上 の こ とか ら, 過 去 に お い て 野 尻 ・桶 井 間 よ う と した もの で あ る。 戦後 しば ら くまで の宮 の交 渉 が現 在 よ り密 で あ った こ とが わ か り, ま 尻 で は, 茶 園 を 中 心 とす る 農 業 と薪 炭 を製 造 す た, 高 か った 内婚 率 が 双 系 親 族 の 日常 に お け る る林 業 に 従 事 す る戸 が ほ とん どで あ り, わ ず か 重 要 性 を強 め る の に大 き く作 用 して い た で あ ろ に 明治 に 溯 って のA4の うこ とが推 測 され る。 しか し, 三 座 の 総 計 に 表 わ れ な い部 分 に は, 無 視 で き ない 偏 りが 窺 え る。 第6表 が あ るの み で あ った。 大 規 模な 不 在 地 主 は な く, 農 地 改 革 に よ る影 響 も限 られ て い た。 した が っ 土 地 所 有 の変 化 -42- 材 木 業や 二, 三 の商 い (単位: 町歩) 近 江 湖 南 村 落 に おけ る宮 座 と象 徴 空 間 (八木) 第7表 三 役 139 村役場三役 と村会議員 村会議員 ・三 役 に 就 い た もの は 明 治 25年 (1892) か ら昭 和8年 (1933) ま で の全 て。 ・村 会 議 員 に つ い て は 議 員 名 の明 記 され た 議 会 資料 が 得 られ た 年 次 の み。 け て の一 部 上 位 ・中 堅層 の 富 の蓄 積 を指 摘 し う る。そ の 中 には, A8, A11, F3, G4の よ うに, 有 力本 家 の 庇護 を 受 け た 分家 の家 々が, 大 き な 財 産 分与 を受 け た り, そ の財 を急 増 させ た もの (土地 台 帳 に よ り算 出) 第8図 が 含 まれ て い る。 他 方 桶 井 に お いて は, 上 位 層 林野所有規模順位 でL1が, 中堅 層でJ18が そ の地 位 を 継 続 させ て, 土 地 所 有 を指 標 と して 経 済 階 層 や そ の地 位 て い る こ とを 除 い て, か つ て 中堅 層 を 構 成 した の変 動 を 見 る こ とは, 妥 当で あ る と判 断 され る。 多 くの 戸 が転 出 ・廃 絶 を 見て い る。 そ の 結 果, 念 の た め, 旧朝 宮 村 々役 場 資 料 か ら, 大 正 期 の 所 有地 の多 くが 野尻 の有 力戸 や 村 外 不 在 地 主 の 「県 税 戸 数 割 追 加 賦 課 額 」 の各 戸 順 位 を, 同 期 の林 野 所 有 規 模 順 位 と比 較 して み た が, 大 きな 食 い違 い を示 す 戸 は なか った。 手 に渡 る こ と とな った。 政 治 的 リー ダ ー シ ップ を 明 らか に す るの は 難 しい が, 旧村 時 代 の村 の役 職 者 を 見 る こ とに よ 三 座 あ る い は野 尻 ・桶 井 を 見 れ ば, 明治 中期 っ て, 宮 尻 に おけ る政 治 的 権 力 の在 り処 を お よ 以降, 大 座 あ る い は野 尻 の勢 力 の 上 昇 とそ の 持 そ知 る こ とが で き る。 第7表 続 が 明 らか で あ り, 桶 座 も し くは 桶 井 の 凋 落 が 会 記 録 か ら明 らか に しえた もので, 明 治 中 頃 か 際立 っ た対 照を 見せ て い る。 桶 井 の 林 野 所 有 は, ら昭和 初 期 にか け て の村 役 場 三 役 の うち, 村長 明治 中期 す で に 宮 尻 全 体 の3分 の1で あ った も お よび 助 役 に就 任 した 者 (収入役に就 いた者はな の の, 田畑 は戸 数 に 見合 って か つ て は 宮 尻 全 体 い), 村 議 会 議 員 を つ とめ た 者 を 家 単 位 で 表 わ の半 分 近 い面 積 を 保 有 して い た。 しか しそ の後 した もので あ る。 これ に よれ ば, 村長 ・助 役 ・ の減 少 ぶ りは 激 し く, 昭 和15年 (1940) に は, 村 議 の いず れ もが, ほ ぼ 経 済 的 上 位 層 と並 行 関 林 野 が宮 尻 全 体 の1割 余 り, 田畑 で す ら3割 に 係 に あ る こ とが わ か る。 この傾 向 は, 戦 中 の翼 届 か な い と ころ まで 落 ち込 ん で い る。 賛 選 挙 体 制 以 後 若 干 の 変 化 を 生 じ, 任 期 は不 明 大 座 に 属す 家 々 の優 勢 は, す で に 明 治21年 なが ら, A1, A3の に示 した の は 村 議 ほか, A14, J13, N1な (1888) の林 野 所 有 に現 わ れ て い る。 さ らに 和 田 ど経 済 階 層 に 関 わ りな く村 会 議 員 に就 く者 が あ 座 に 属す3, らわ れ た。 戦 後 か ら昭 和30年 代 まで で は, 村長 4戸 を含 め て, 明治 か ら昭和 に か -43- 140 人 にF1, 助 役 にA14が 文 地 理 第38巻 就 任 して い る の を始 め, 第2号 (1986) 伝 え て い る。 大 正 期 に 入 る と, 転 出 した 大 座 の 30) 村 会 議 員 ・町 会 議 員 (昭和29年町村合併)に は, 右 座 第2席 のBの 跡 を, 次 席 のA3が A3, 寄 とな って い る。 さ らに 戦後 間 もな く, 当主 の A4, A14, D1, F1, G1, O, L1が 就 い て い る。 戦 死 で 絶 家 とな ったH1の 宮 尻 の 区長 につ い て は 正 確 な記 録 を 欠 い て い る が, 断 片的 資 料 や 聴 き取 りに よれ ば, 三 役 や 年 寄 に, 第2席 のH2が 襲い宮年 和 田座 左 座 首 席 の 宮 繰 り上 が り, 次 席 に は 村 議 ・町 議 の傾 向 と変 化 とに, お お よそ 沿 うも そ の 分 家 で あ るH3が 就 くこ とに な った。 また, 一 部 古 老 の 臆 測 に過 ぎな い が, A4はA9の 分 の で あ った とみ て よい。 家 ら しい と言 い, 現在 のA4の (3) 宮年 寄 の交 代 前 節 で 検 討 を 加 え た政 治 大 座 左 座 第2席 の 宮 年 寄 の地 位 は, 明 治 中 頃 に没 落 した 本 家 に 経 済 面 で の家 々 の関 係 の把 握 に よ って, III章で 代 り, A4が ふ れ た 大 座 と和 田座 に お け る, 昭 和30年 代 終 り F3やH3の 譲 り受 け た もの で は な いか とい う。 宮 年寄 へ の就 任 は, 明 らか に 有 に生 じた 宮 年 寄 の増 員 の 背 景 が, あ る程 度 明 ら 力 家 で あ る本家 の 庇護, ひ きた て に よる もの で か に な った と思 わ れ る。 大 座 の5番 あろ う。A3の A14は, 目の 宮 年 寄 昭 和 初 期 か ら昭 和20年 代 まで 断 続 的 に で あ る本 家A1の 場 合 も, 大 座 右座 筆 頭 の宮 年 寄 後 押 しが あ った と考 え られ, 区長 を務 め た だ け で な く, 村 議, 助 役, 町 議 を またA3自 次 々 と務 め る な ど, 宮 尻 に おけ る政 治 的 リー ダ ーで あ っ た。 例 祭 時 の拝 殿 で の祭 儀 に 区 長 の 列 背 景 と して, 宮 尻 に お け る政 治的 宗 教 的 地 歩 を 席 す る の も (第6図), られ よ う。A4の おそ ら く彼 の頃 に 始 ま っ た もの で あ ろ う。和 田座 のG1は, 明治 か ら大 身 に とって は, 急 速 な経 済 的 成 長 を 堅 め る一 過程 と して, 宮 年寄 の就 任 を位 置 付 け 臆 測 が 事 実 で あ れ ば, これ も 事 情 は 同 じで あ ろ う。 正 ・昭和 を通 じて継 続 的 に成 長 を 遂 げ, 多 くの 以 上 の よ うに, 野 尻 の 二 座 に お い て生 じた 宮 分家 ・奉 公 人 分 家 を 派 生 し, さ らに宮 尻 で 唯 一 年 寄 の補 充 や 増 員 は, い ず れ も政 治 経済 的 に有 親 子二 代 の村 長 を 出 した 家 筋 で あ った。 力 な本 分 家 層 の, 祭 祀 ・儀 礼 上 の要 職 へ の進 出 そ の 必 然性 は と もか く, 野 尻 の二 座 が5人 の宮 年 寄 を求 め た時, 目 と して と らえ る こ とが 可 能 で あ る。対 照的 な の この両 者 が 任 に就 い た の は桶 座 で あ って, 明治 後 期 か ら顕 著 とな った 構 は, 以 上 の意 味 で は順 当で あ った。A14に は, 成 戸 の転 出や 廃 絶, と くにJ姓 を 中 心 とす る 旧 本 家A3の 庇護 とA1に 連 な る カ ブ の背 景 が あ 家 の減 少, 桶 井 の 政 治 経 済 力 の低 下 な どに よっ り, G1は カ ブの本 家 と して 同姓 戸 を 従 えて い て, 戦 後 の宮 年 寄 の1名 の 減 員 は, や む を え な た。 この 点 が, 同 じ政 治経 済 的 地 位 を持 ちつ つ も, 座 組 織 か ら距 離 を 隔 て た ま ま に置 か れ て い るCと の 差 異 で あ ろ う。 い こ と と して 受 け 入 れ られ た。 VI 実 は 同様 な 過 程 に よ って宮 年 寄 の欠 員 が補 充 空 間 秩 序 にお け る持 続 と変 化 (1) ふ た つ の空 間秩 序 聖 俗 二 種 の空 間秩 序 され る例 が, か な り古 くか ら生 じて い た。 明治 を概 観 した結 果, まず 儀 礼 的 空 間 秩序 と して右 末 頃 に は, F3が 和 田 座 の 右座 第2席 の宮 年 寄 /左 の空 間分 類 と, 右 の左 に 対 す る優 越 が 明 ら に 就 い て い る。 す で に そ の 間 の事 情 は詳 らか で か とな っ た。 大 座 と和 田座 に お い て は, 本 家 と な い が, 転 出 か 廃 絶 を み て 久 しいF姓 以 外 の戸 奉 公 人分 家, 旧家 と来 住 家 の対 比 が 右 座 ・左 座 が 所 有 して い た 宮 年 寄 の 権利 を, F1が 長 らく の分 類 と して表 象 され, 桶 座 を 含 め た 三 座 に は 譲 渡 した と 右座 の優 先 が貫 徹 され て い る。 右 の優 先 は, さ 預 って い た が, や が て 分家 のF3に 30) 住居をその ままに大正期に転出, 戦 前に一 時帰村 していた。 -44- 近 江 湖 南 村 落 に おけ る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) 第8表 2種 類 の空 間秩序 141 内に お け る右 座 と左 座 の 双 分 の上 位 に は, 神 事 に 表 象 され る大 座 ・和 田座 と桶座 の二 分 秩 序 が 存 在 して い る。 和 田座 が 中 央 を 占め て三 分 を 垣 間 見せ た り, 座 の 旧建 物 で 桶 座 と連 合 を 見せ る 両 義 的 地 位 は, 二 分 原理 に対 す る三 座 の存 在 と い う矛 盾 か ら生 じる不安 定 性 に起 因す る もので 32) あ ろ う。 らに例 祭 神 事 に お け る宮 年 寄 の 座 順, 献 饌 ・撤 二 組 の空 間 秩 序 間 に は, 直 截 的 な関 連 は見 ら 饌 の次 第, 当受 け 当 渡 しの 順 序 な どを 媒 介項 に れ ない。 日常 的 空 間 秩序 で あ る上/下 して, 祭 祀 集 団 と して の 大 座 の優 越 に 結 び つ い 常 的 契 機 に 意 味 を もたず, 右/左 て い る。 この 時, 劣 位 に 置 か れ る の は 桶座 で あ 秩 序 に つ い て も, 日常 生 活 は お ろ か, 例 祭 以 外 って, 和 田座 は 拝 殿 に お け る宮 年 寄 の座 順 で は の 大 宮 神 社 の 祭 祀 や 他 の 宗教 儀 礼 に お いて 象 徴 大 座 と ともに 右 に 属 し, 当 家 の 座 順 で は 中央 に 性 を担 うこ とが な い。 大 宮 神社 で の右 と民 俗 方 位 置 す る。 位 の上 が, と もに 基 本 方 位 の東 に 結び つ く と見 は, 非 日 の儀 礼 的 空 間 日常 的 空 間 秩 序 に つ い て は, 上/下 の 民俗 方 る こ と も可 能 で あ ろ うが, こ こで はそ の 見方 は 位 の存 在 と, 上 の優 越 が 明 らか とな った。 上 か 採 らな い。 宮 尻 で は 東 西 の 方位 は ほ とん ど意 識 ら下 へ とい う秩 序 は, 地 番 や 近 隣 組 の 区 分 の ほ され て お らず, も し東 西 方位 に上/下 が 代 置 さ か, れ て い るな ら, 上 記 の 見 方 は 自家 撞 着 を きた す 日常 生 活 に お け る各 戸 単 位 で の諸 事 の 隣番 制 に 見 られ る。 上 の 優 越 は, 分家 の 派 生 方 向 の こ とに な る。 規 制 や, 本 家 筋 の 家 々 の 立地 に 顕 著 に表 象 され む しろ, 社 会 の レベ ル に お い て, 共 通 の単 位 て い る。 この 上/下 は, 大 谷川 の 流 れ に沿 う相 を 潜 ませ る こ とに よ って, 両 空 間秩 序 が は じめ 対 的 方 位 で あ り, ほ ぼ 上 流 ・下 流 と言 うに等 し て 類 比 的 に 結 び つ い て い る。 す なわ ち, 上/下 い が, 一 部 に は 斜 面 の 上下 を 含 ん で い る。 に 接 合 す る 野 尻 と桶 井 が, 大 座 (あるいは大座 と また, 相 対 的 方 位 を表 わ す だ けで な く, 一 定 和田座) と 桶 座 の対 照 とな っ て 右/左 に繋 が っ の 範 域 を 上 ・下 と呼 ぶ 例 も存 在 す る。 野 尻 に お て い る の で あ る。 今 ひ とつ は, 本 家 や 旧家 が か け る上 ・下 の 念 仏 講 の 区分 が そ の ひ とつ で あ り, な り強 く右 や上 と結 び つ い て い る点 で あ る。 こ 上 ノ垣 内 や下 出 とい っ た小 字 や 垣 内 は, 民 俗 方 れ らの こ とは, 社 会 秩 序 が 象 徴 分 類 を 生 み 出す 位 が地 名 と して 固 定 した こ とを 示 す。 桶 井 に お との 主張 〔 注9)P.82, 89-90頁〕 に与 す る もの で は い て も上 出 が あ り, 下 流 の 四十 刈 は, 近 世 に は な い が, 提 示 した2種 の column に お け る左 右 31) 二 項 の 関係 を吟 味 す るに 当 って, 何 らか の 手掛 下 出 と呼 ば れ て い た と推 定 され る。 両 空 間秩 序 に共 通 す る の は, 二 分 原 理 を 基 本 構 造 と して い る 点 で あ る。 二 分 は, 集 団 や 地 域 か りを期 待 し うる と考 え られ る。 (2) 均衡 化 の論 理 そ こで 問 題 と した い の は, 単 位 の 呈 す る 階 層構 造 の い くつ も の レベ ル に 接 ふ た つ の空 間秩 序 に お いて, 右/左, 合 して い る。 上/下 示 す 非 対 称 性, す なわ ち右 と上 の優 越 が 二 元 性 け る上 と下, の 民俗 方 位 で は, 野 尻 に お 野 尻 と 桶 井, 宮 尻 と 朝 宮 とい っ た 階 層 秩 序 に 結 び つ く。右/左 につ いて も, 座 31) 上/下 の に どの程 度 強 く結 び つ いた 属 性 な のか とい う点 で あ る。 これ に つ い て は, 何 度 も指 摘 じて い る 大谷敬一郎 家所蔵 「 江 州甲賀郡野尻村御 国絵 図御用 ニ付書上 ヶ帳」,元 禄11年 (1698), では四十刈の垣内名がな く, 代 りに下 出と記載 されてい る。 32) おそ らく宮尻におけ る宮座の形成 過程に関係する と考 え られ るが, 本稿 では考察 の対象 としない。 -45- 142 人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) い る。A1家 がA5家 の古 い分 家 で あ る との 伝 承 の 存在 も, あ らた め て 確認 して お く必 要 が あ ろ う。 三 座 の 関 係 に お い て も, 左 に 結 び つ く 桶 座 は, か つ て 量 的 に 他 の 二 座 を 上 回 って いた。 座 子 の数 に お い て 他 の 二 座 を 凌 い で い ただ け で な く, 宮 年 寄 の 員 数 に 勝 り, 座 小 屋 の 旧建 物 は大 第9図 座 ・和 田座 よ り大 きか った こ とが記 憶 され て い 宮世話 の継承 る。 よ うに, 時 間 的 先後 関 係 以外 に は, 本 家 や 旧家 相 対 比 や 均 衡 化 は, 価 値 の 中 立化 に よっ て も とい った 家 格 ・家 序 に 関わ る もの しか認 め られ 果 す こ とが で き る。 大 座 右 座 を 独 占す るA ず, 多 くの 民族 誌 が示 す よ うな, 善 悪や 男性 女 谷)姓 は, 野 尻 で最 も古 い と言 い, 関 ヶ原 か ら落 性 とい った 二項 対 立 が選 択 的 に 空 間 の二 分 と連 ち の び た大 谷 刑 部 一 統 の末 裔 と称 し, 同様 に和 合 す る 図式 は, こ こで は 成 立 しな い。 そ れ よ り 田座 右 座 の 上 位 を 占め るF (和田) 姓 も, 座 に名 も, 社 会 レベ ル に お い て, 一 方 の優 越 を相 対 化 を 冠 す 有 力 な 家 筋 で あ る。 と ころ が桶 座 にお い し, 均 衡 を もた らそ うとす る諸 関 係 の 見 られ る て は, 左 座 を 占め るJ姓 こそ が宮 尻 で 最 も古 い こ とに 注 目 した い。 姓 で あ り, 江 戸 時 代 に唯 一 苗 字 を許 され て い た そ の ひ とつ は, 宮 世 話 の正 統 性 に 関わ る もの と伝 え る。 た とえ ばJ7は (大 松尾 芭 蕉 が伊 賀 との で あ る。先 述 の よ うに, 大 座 右 座 首 席 のA1家 往 還 に よ く泊 った家 とい い, そ の 由緒 を 誇 って は, い た。 これ に 対 して 右 座 の構 成 戸 は, いず れ も 祭 の準 備 を と り 仕 切 る 宮 世 話 で あ る。 し か し第9図 に 示 す よ うに, 過 去 数 代 を 見れ ば, 遅 れ て 来 往 した 戸 で あ り, 近 世 も後 期 か ら明治 A1家 に か け て, L, の み で な く, 左 座 筆 頭 で あ るA5家 との Kの 順 に桶 井 に来 た った とい う。 2つ の 家 筋 に よ って, そ の役 割 が継 承 され て い 座 の 編 成 原理 が, 大 座 ・和 田座 と桶 座 で 異 な た。 そ の 継 承 条 件 は, 聴 き取 りに頼 る限 りで は る こ と も, 中立 化 に作 用 す る。 大 座 ・和 田座 の 必 ず しも十 分 に 明 らか とは言 え な いが, 宮 世 話 編 成 に 見 られ る固 定 した 家 筋 の 権 威 は, 桶 座 の 当 人 の 死 に よ って他 方 の家 に委 譲 され る こ とが 年 齢 原理 に よっ て 中和 され て い る。 あ った り, 親 の 死 な どに伴 な う服 忌 の期 間 に 一 この よ うな社 会 次 元 レベ ル の 均 衡 化 に 呼 応す 時 的 に交 代 す る こ とが あ った とい う。同 時 に, る よ うに, 座 小 屋 の幕 の 意 匠 や 宴 の重 箱 の肴 が 正統 な宮 世 話 の家 筋 は, もっ と以 前 に は お そ ら 差 異 を 際 立 た せ て い る。 34) くA5家 主Asが, の独 占で あ った はず で, A1家 では当 日常 的 な次 元 に おい て も, 同 様 な論 理 を 見 出 明治 中頃 に 初 め て 宮世 話 を 務 め た の す こ とが で き る。 明治 中 期 以 前 に は, 桶 井 が経 で は な いか と見 られ て い る。A5家 前 の 当主Hsの で は, 3代 時 代 に は家 に床 の 間 が2つ あ り, そ の1つ は 大 宮 神社 本 殿 改修 の 時, ご神 体 を 預 済 的 に も政 治 的 に も野 尻 を 上 回 る繁 栄 を 誇 って いた と伝 え られ て い る。 か つ て 桶 井 が地 味 の 良 い 山 林 を 多 く保 有 し, 行政 面 で も野 尻 を リー ド 33) か るの に 供 した と伝 え, いわ ば 同殿 共 床 とい う して い た とい う伝 承 は近 年 の もの で は な く, 多 べ きA5家 くの 古 老 達 が 子 供 の 頃 か ら聞 か され た もので あ と神社 との特 別 な関 係 が 強 調 され て 33) 一般には, 当家の役割 と考 え られている。原田 〔 注14)278-279頁 〕。 34) このほか, 元 の宮世話A5家 の家紋抱茗荷 が野尻本覚寺 の紋所 と同 じであるのに対 し, 桶井J13の 定紋三 ツ柏が大宮 神 社の紋 章 と同 じであることも, 桶座 と神社の隠喩的結びつ きを示 す と見 られ ている。 -46- 近 江 湖 南 村 落 に お け る 宮座 と象徴 空 間 (八木) 143 る とい う。興 味 深 い の は, 宮 尻 のほ とん どの 住 由 につ い て, 戦 後 に お け る神 道 指 令 以 降 の神 社 民 が, 桶 井 か ら野 尻 が 分 か れ 出 た と信 じて い る 神 道 の 権 威 の 失 墜 や, 信 仰 心 の 希 薄化, さ らに こ とで あ る。 上/下 世 襲 や 序 列 を 好 まな い い わ ゆ る 民 主的 志 向 な ど の個 家 別 で の 本 分 家 関 係 が, 35) が 囁 か れ て い る。 確 か に, 雨 乞 い や 戦勝 祈 願 の 集落 の レベル で 逆 転 して い る こ とに な る。 の空 間 秩 序 は, この よ うな均 た め の 「お 千 度 」 に 発 揮 され た 当家 の宗 教 的 権 衡 化 の論 理 とで も呼 ぶ べ き もの に よ って, 相対 威 の 低 下 や, 各種 講 の 衰 退 な どに 見 られ る宗 教 化 ・中立 化 が はか られ て い る。 しか しそ れ は, 生 活 の 変 化 は, 住 民 に よっ て 明確 に 自覚 され て 作 業 枠 組 で 言 え ば, 社 会 の 側 で あ る社 会形 態 が, い る し, 大 座 ・和 田 座 で は, 宮 年 寄 を 回 り持 ち 文 化 に属 す 空 間 秩 序 を 規 定 して い る とい う意味 に す る案 が 真 剣 に 検討 さ れ た りも して い る。 し で は な い。 左 や 下 に 連 合 す る家, 祭 祀 組織, 地 か し, 篤 い 信 仰心 や保 守 的 な序 列 意 識 の み が, 域 集 団 な どが 正 統 性 を 主張 し, 優 勢 を示 す こ と そ れ 以 前 の 秩序 の支 え で あ っ た と考 え るの は, は, 必 ず しも実 質 を 伴 な うもの で は な く, す で あ ま りに 結論 を一 般 化 しす ぎ る もので あ る。 必 に過 去 の もの とな った 事 実 や, 伝 承 にす ぎ な い ず し も衰 え を 見せ ず に宮 座 祭 祀 を 維 持 す る村 は, ものす ら含 まれ て い る。社 会 が均 衡 化 を はか ろ 近 畿地 方だ け を 見 て も数 多 くあ り, 衰 弱 の理 由 う とす る論 理 を 内在 させ て い る の で は な い。 均 は個 別 的 に論 じ られね ば な らな い。 右/左, 上/下 衡 化 の論 理 が 象 徴 性 の レベ ル で の み そ の 力を 発 宮 尻 に お け る これ らの変 化 に は, や は り社 会 揮 して い る こ と こそ, 重 視 されね ば な らな い。 次 元 の様 々 な過 程 が大 き く作 用 して い る もの と これ を 空 間秩 序 の二 元 的構 造 の側 か ら言 え ば, 思わ れ る。 ただ し, 右 や 上 の優 越 が, 野 尻 の桶 一 方 の 優 越 を 属 性 と しな が ら, 均 衡 化 され る こ 井 に対 す る政 治 的 経 済 的 優 勢 や, 大 座 と和 田座 とを 同時 に 必 要 とす る よ うな, 相 対 性 を もった 所 属 戸 の繁 栄 な ど に よ って 実 質 化 され て い る と 関 係 構造 とい うこ とに な ろ う。 この よ うな構 造 の解 釈 は, 変 化 の理 解 を 阻 む こ とに な ろ う。む が, 宮 尻 に お け る聖 俗 二 面 に共 通 す る空 間 秩 序 しろ, 世 俗 的 権 力 が 宗 教 的 権 威 を 脅 か し, 通 婚 の 特 性 とい うこ とに な る。 の変 化 に見 られ る野 尻 ・桶 井 間 の社 会 的紐 帯 の 現 在 で は, 空 間 秩 序 の 弱 化 や, 政 治 的 経 済 的 な 変 動 が進 行す る こ とに か な りの部 分 に乱 れ が 生 じて い る。 例 祭 時 の 拝 よ って, 均 衡 化 の 論 理 に 齟 齬 が生 じた。 史 実 や 殿 に お け る宮 年 寄 の序 列 や, 各 座 で の 座 子 の座 伝 承 は, そ れ を あ る程 度 調 整 しえ た で あ ろ うが, 順 は余 り顧 み られ な くな り, 右 座 ・左 座 の 別 も 戸 数 や 人 口の 大 きな変 化 に は抗 す る こ とが で き 和 田座 と桶 座 で は消 滅 した。 祭 儀 の 次 第 に お け なか った の で は な い か と考 え られ る。 (3) 空 間秩 序 の衰 弱 る三 座 の順 序 に も, 崩 れ て しま った もの が あ る。 概 念 体 系 の よ うな 共 時 的構 造 が, 人 口変 動 の 大 座 と和 田座 の宮 年 寄 の 増 員 も, 一 般 の座 子 の よ うな 通 時 態 の 及 ぼす 働 きに極 度 に傷 つ きや す 支 持 が得 られ て い るわ け で は な い。 上/下 の空 い とは, 間 秩 序 に お いて も, 隣 番 制 に お け る もの は 維持 お そ ら く宮 尻 の空 間秩 序 の衰 弱 につ いて も同 じ され て い るが, 分 家 派 生 方 向 の 規 制 は 早 くに過 理 解 が 妥 当で あ ろ う。 36) 去 の もの とな った。 これ らの変 化, す なわ ち空 間 秩 序 の 衰 弱 の理 35) 36) VII レヴ ィ=ス トロー ス の指 摘 で あ るが, お わ りに こ の伝 承 は, 必 ず し も史 実 で は な い。 「江 州 甲賀 郡 野 尻 村 御 国 絵 図 御 用 ニ付 書上 ヶ帳 」 〔注31〕 に よれ ば, 桶 井 が野 尻 の枝 村 で あ る こ とが 記 録 され て い る。 同 様 の記 載 は, 幕 末 の寒 川 辰 清 編 『近 江 輿 地 志 略 』, 小 島捨 市校 注, 歴 史 図書 社, 1968, 591頁, に も見 られ る。 ク ロー ド ・レヴ ィ=ス トロ ース 『野 生 の 思 考 』, 大 橋 保 夫 訳, み す ず 書 房, 1976, -47- 79-82頁。 144 人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) 38) した が って科 学 的 た りえ な い との主 張 で あ る。 以 上 見て きた よ うに, 宮 尻 に お け る空 間 秩 序 とい う共 に二 この 点 に つ い て本 稿 で は, 正 面 き って 論 じるだ 元 的 な分 類 原 理 に よ って 成 立 し, 一 部 の レベ ル け の 余 裕 を持 ち 合わ せ て い な い。 こ こで は 宮 尻 で は, 右 が 左 に, 上 が 下 に 優 越 を 見 せ る。 しか の 空 間 秩 序 に お い て, 聖俗 二 面 の空 間 の分 類 と し二 項 は絶 対 的 な優 劣 や 対 立 の 関 係 に まで は 至 秩 序 を 同 時 に 問 題 と し, 両 者 に 通底 す る論 理 を らず, 常 に均 衡 化 を はか り相 対 性 を 保 と うとす 見 出 し得 た とい う点 で, 析 出 され た論 理 の蓋 然 る論 理 を必 要 とす る構 造, い わ ば 優 越 と均 衡 の 性 が 高 め られ た と考 え て い る こ とを述 べ るに と 交 換 の構 造 が, 両 空 間 秩 序 を 支 えて い た と見 ら め お く。 は, (聖)=右/左, (俗)=上/下 れ る。 社 会 次 元 で の通 時 的 変 化 は, この均 衡 化 最 後 に, 得 られ た 結論 が, 従 来 の数 少 ない 宮 の論 理 を突 崩 し, 空 間 秩 序 の 衰 弱 を 招 い た と解 座 の 双 分 制 を対 象 と した 研究 結果 と, どの よ う 釈 で きる。 に 関 わ るか に つ い て, 気付 い た点 を 指 摘 して お この よ うな ま とめ を 行 な うに 際 して, 考 慮 せ きた い。 まず, 表 面 的 な もの で あれ, 右 の優 越 ず に おわ った 若 干 の問 題 に ふ れ て お く。空 間 の とい う祭 祀 ・儀 礼 に お け る空 間秩 序 は, 過 去 に 分 類 や 秩 序 が, 宮 尻 の 住 民 に と って 意 識 され て 二, 三 指 摘 され て い る左 座 の優 越 の事 実 との間 い る か ど うか とい う点 が, そ の ひ とつ で あ る。 に 軋 轢 を 生 じさせ て い る。 宮 座 が東 座 と西 座 に 例 え ば, 祭 儀 に お け る右 と左 の 区 別 は 明 確 に意 分 割 され る例 で は, どち らの側 が 優 越 す る場 合 識 され て お り, 儀 礼 手 順 と して の 右 の優 先 も一 も見 られ る こ とか ら, 右 が優 越 して 表 象 され る 般 に認 め られ て い る。 しか し, 一 部 で右 が左 に こ とが あ って も, さほ ど不 自然 で は ない か も し 優 越 す る とい う分 類 へ の価 値 付 け や, 空 間秩 序 れ な い。 しか し, 例 え ば宮 尻 と同 じ信 楽 町 多 羅 を 背 後 で 支 え る均 衡 化 の論 理 に つ い て は, 本 研 尾 の 宮 座 に お け る右 座 と左 座 は, 神 殿 を 背 に し 究 に おい て 抽 象 化 して 得 た 図式 に過 ぎ な い。 分 た空 間 定位 に従 うもので あ っ て, 本 殿 に 向か っ 析 に よって 導 き出 され た構 造 と, 人 々 の意 識 を て の 区分 で あ る宮 尻 の右 座 ・左 座 とは, そ の 呼 め ぐる関 係 は, 決 して 直 截 的 な もの で は な い。 称 が逆 とな っ て い る。 一 般 に は, 多 羅 尾 と同 じ ここで は そ の 関 係 の 中 に,「 集 合表 象 」 概 念 を 場 合 が卓 越 す る と考 え られ る こ とか ら, 空 間 の 介 在 させ る こ とに よ り, 無意 識 の構 造 に正 当性 定 位 とい う視 点 か ら, い ま少 し事 例 研 究 を重 ね 39) 40) 37) を 与 えて い る こ とに な る。 る 必要 が あ ろ う。 い まひ とつ は, 具 体 的 な分 析 方 法 の上 に生 じ 均 衡 化 の論 理 や 相 対 性 を 持 った 空 間 秩序 に つ る問 題 で あ る。 一 般 に, 象 徴 分 類 の手 法 に 対 し いて も, 明確 な問 題 意 識 と分 析 概 念 を もっ て事 て与 え られ る最 も本 質 的 な批 判 と思 わ れ る もの 例 研 究 を蓄 積 す る こ とが 望 まれ る。 そ れ に よっ は, デ ー タ の収 集 とそ の 分 析 を 分 離 で きな い こ て, 絶 対 的 な対 立 を 拒 み, 対 比 も し くは対 偶 の とが, 分 析 結 果 に 反 証 す る 可 能 性 を奪 っ て お り, 関 係 を 重 視 す る よ うな, わ が 国 の文 化 に 見 られ 37) こ の よ うな 論 議 に つ い て は, 〔注19〕, tion 38) of Cultures, Sperber, ル 40) D., Basic Geertz, Books, Rethinking レ ヴ ィ=ス C., トロー ス ‘Thick 1973, Symbolism, 〔注10〕, description: pp.3-30, 長 島信 弘 toward aspects of Berti space’, Man translated (New an 〔注19〕 の ほ か interpretive by A. L. Morton, Series) 18-2, Cambridge 紀 伊 國 屋 書 店, 「祭 と 宮 座 」, 網 野 善 彦 他 編 of 1983, Univ. 1979. R., ‘Introduction’, culture’, The Interpreta- 『日本 民 俗 文 化 大 系9 頁。 -48- Pr., Holy, 1974, ダ ン ・ス ペ ル ベ L., ‘Symbolic and non- pp.269-288. 例 え ば 上 野 和 男 「近 江 湖 東 の 宮 座 祭 祀-愛 知 川 流 域 の 二 つ の 村 の 事 例 を 中 心 に-」, -儀 礼 ・司 祭 者 ・共 同 体-』, 1981, 56-70頁。 高 橋 統 一 Needham, theory な ど が 参 考 に な る。 『象 徴 的 表 現 と は 何 か 一 般 象 徴 表 現 論 の 試 み 』, 菅 野 盾 樹 訳, symbolic 39) pp.xi-xxxix, 暦 と 祭 事=日 坪 井洋 文 編 『祭 祀 的 世 界 と村 落 本 人 の 季 節 感 覚 』, 小 学 館, 1984, 357-392 近 江 湖 南 村 落 に お け る宮 座 と象 徴 空 間 (八 木) 145 41) 区長 (当時) 武 田昭 典 氏 を 始 め, る基 本 的構 造 原理 を め ぐる論 議 に, 空 間 秩 序 の か ら下 へ, 視 角 か ら参 画 してゆ く こ と も可 能 とな ろ う。 大 谷 武 男, 片 木 嘉 市 郎, 〔 付記〕 本稿 は1984年度人文地理学会大会で発 宮 尻 の 長 老, 上 大 谷敬 一 郎, た。 記 し て御 礼 申 し上 げ た い。 な お 本 稿 の 研究 に 表 した内容 をもとに, そ の後 の調査成果を加えて は, 文 部 省 科 学 研 究 費 ・奨 励 研 究A 作製 した ものである。現地調査に際 しては, 宮尻 60710201) 41) 例 えば伊藤幹治 「日本文化 の構造的理解 をめ ざして」,季刊人類学4-2, 本 の深 層』,中央公論社, 1982. Miyaza and Symbolic Space in a Konan 1973, 3-30頁, Village, 河合隼雄 『 中空構造 日 Omi Many villages in the Kinki region have miyaza (ritual organizations organizations of such za (課 題番 号 を使 用 し た。(関 西 学 院 大 学文 学 部) Yasuyuki which play a significant 西 尾茂 一, 片 木 金 三 郎 の諸 氏 に お 世 話 に な っ role in festivals for village shrines YAGI or parish guilds) (ujigami). Some miyaza consist of a few ritual groups which are sometimes called za. At least two are often referred to as ‘right’ and ‘left’. For example, they have names relevant to space classified in that way, and take seats apart on both the right and left sides at festivals. The study of miyaza has been made by many scholars from various disciplines. In this paper I would like to present perspectives miyiza as a vehicle by which the symbolic spatial order is represented. bolic spatial order is also closely concerned to understand the structure on co-ordinates sectioned order of of symbolic space in a village, 1) ritual space……ritual 2) mundane 3) ritual organization……mundane 4) ritual order order of of the structure In order I set up four relationships and sacred-profane axes (Fig. 2). organization space……mundane social social space……mundane I will examine the four relationships the But the sym- with the ordinary social relations. by cultural-social and a new point of view by treating relations relations order of space above in the village of Miyajiri, Omi, because of symbolic space lies behind the ritual and mundane orders of space (as in the four categories above). Miyajiri is a small village located to the south of Lake Biwa. days, the village economy was dependent firewood). Two settlements, During the pre-war on tea growing and sale of timber (mainly for Nojiri and Okei, compose the village of Miyajiri. Nojiri lies one km. above Okei along the Otani River. The ritual organization of Miyajiri is divided into three groups, Daiza, Wadaza Okeza. Male members of Nojiri settlement belong to the first two groups Wadaza), while those of Okei to Okeza. ders, who are responsible and (Daiza and Each za has five miyadoshiyori or shrine for the management festival, each za provides a toya or shrine -49- el- of village shrine festivals. For the annual servant, who prepares offering rice cakes 146 人 文 地 理 第38巻 第2号 (1986) (goku), asisted by some of the shrine elders. My field observation goes into: 1) the seat arrangements other participants and ritual procedures for miyadoshiyori, toya and at the annual festival; 2) communal obligations and the location of hon-ke (head families) and bun-he (branch families); 3) the distribution of marital relations and village politics; and 4) two principles of spatial classification (the right: sions). left rule for ritual setting and the above: below rule for everyday occa- Results derived from the observation above indicate that the symbolic space in Miyajiri is ordered by the two binary classifications above: below principles, of space based upon the right: left and the and that the priority of the right and above should be remarked. It seems, however, that social process and oral traditions and below and maintain the balance between imply the legitimacy of the left the above and the below as well as the right and the left. The symbolic space in Miyajiri is equipped tivization and equilibrium. It is a structure equality. -50- with a structure for the exchange that always needs rela- of predominance and
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