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第 24 回木原記念財団・学術賞 受賞研究紹介
国立遺伝学研究所・構造遺伝学研究センター・教授
前島
一博
「全長 2m のヒトゲノム DNA はどのように細胞のなかに収納されているの
か?」
最近の研究では, ヒトの体は約 40 兆個の細胞からできていると言われています.
その 1 個 1 個の細胞に, 全長約 2m にも達するゲノム DNA が収められていま
す.DNA は塩基性蛋白質であるコアヒストンに巻かれることで, 直径約 11nm
のヌクレオソーム線維を作ります. 1976 年, 英国 Aron Klug 博士(1982 年ノー
ベル化学賞受賞)らは,このヌクレオソーム線維がらせん状に規則正しく折り
畳まれて, 直径約 30nm のクロマチン線維ができると提唱しました. 広く受け入
れられていた定説では, 細胞のなかでこのクロマチン線維が, らせん状に巻かれ
て 100nm の線維をつくり, つぎに 200-250nm, さらには 500-750nm のように, 規
則正しいらせん状の階層構造を形成するとされてきました. 実際, 分子生物学の
教科書である「細胞の分子生物学」では, 過去 25 年以上に渡って, この定説が
掲載されてきました. また高等学校生物の教科書にも記載されてきました.
2008 年, 私たちは, スイス・ローザンヌ大学 Dubochet, Eltsov らのグループと共に,
生きたままに近い状態の細胞を観察できるクライオ電子顕微鏡を用いて, ヒト
分裂期細胞の構造解析をおこないました. その結果, ヌクレオソーム線維の存在
を示す「11nm の構造」を検出できましたが, 定説のクロマチン線維モデルにあ
る「30nm 構造」は観察されませんでした.
しかしながら, クライオ電子顕微鏡は厚さ約 50nm の簿切片観察であり, 染色体
構造の全体像を解析できないという短所がありました. このため私たちは, 染色
体や細胞核丸ごとの構造解析が可能で, 構造体の規則性に応じた散乱パターン
が得られる X 線散乱を用いて, ヒト染色体・細胞核の構造解析をおこないまし
た. そして, 2012 年, 理研 SPring-8 での石川グループとの実験により, 定説のよ
うな規則正しく折り畳まれた 30nm クロマチン線維や階層構造は存在せず,
11nm のヌクレオソーム線維が不規則に細胞内に収められているという, 従来の
定説を覆す知見が得られました. さらに, 最近, 人工的に作製したヌクレオソー
ムを用いた, 米国コロラド州立大 Hansen グループとの構造研究によって, ヌク
レオソームは染色体のような大きな構造をつくるため, 不規則に折り畳まれる
性質をもともと持っていることを発見しました. そして, 教科書に長年掲載され
てきた規則的な 30nm クロマチン線維は, ある特定の条件下(低塩) でしか作られ
ない特別な構造であったことも明らかにしています. また, 2008 年以降, いくつ
ものグループによって, 細胞内の不規則なクロマチン構造が様々な手法によっ
て明らかにされるようになりました.
それでは, なぜゲノム DNA は不規則に収納されているのでしょうか?私たちは
大きなメリットが2つあると考えています. 一つ目は,「クロマチン線維や規則
正しい階層構造などを作るためには大きなエネルギーが必要です. このため, 最
低限の構造としてヌクレオソームを作り, あとは自由に不規則収納して, なるべ
くエネルギーを節約する方が合理的だろう.」ということです. もう一つは,「不
規則に収納されているヌクレオソームは物理的束縛が少ない分, 自由に動ける
だろう. すると, ゲノム DNA にアクセスするタンパク質もまた自由に移動でき
るのではないか. 」ということです.
2012 年, 私たちは阪大・永井らの協力を得て, 生きた細胞においてヌクレオソー
ムが実際に揺らいでいることを, ヌクレオソーム1分子イメージングを用いて
明らかにしました. さらに理研・高橋グループと共同でモンテカルロ計算機シミ
ュレーションなどを組み合わせ, ヌクレオソームの揺らぎが核や染色体の中で
のタンパク質の動きを促進させることを示しました. また, この揺らぎによって
ヌクレオソームの DNA の露出が増えると予想されます. 興味深いことに, ヌク
レオソームの揺らぎは基本的にブラウン運動なので, エネルギーをほとんど使
いません. このように, 揺らぎは遺伝情報の検索に大きく寄与していることがわ
かってきました.
本紹介文で述べましたように, 必要な遺伝情報が細胞の中でどのように検索さ
れるのか, そのメカニズムの一端が様々な研究によって明らかになりつつあり
ます. 私たちは細胞の情報検索メカニズムが, 将来, 全く新しい概念による省エ
ネメモリデバイスや情報検索システムの開発につながることを期待しています.