Title Author(s) Citation Issue Date URL 日本中世政治史研究( Abstract_要旨 ) 上横手, 雅敬 Kyoto University (京都大学) 1971-05-24 http://hdl.handle.net/2433/213635 Right Type Textversion Thesis or Dissertation none Kyoto University 雅 敬 が 抄 博 士 学 て に 手 横 文 学 位 の 種 煩 沌 名 上 氏 学 位 記 番 号 論 文 博 第 66 号 学位授与 の 日付 昭 和 46 年 5 月 24 日 学位授与 の要件 学 位 規 則 第 5 条 第 2 項 該 当 学位論文題目 日本 中世 政 治 史 研 究 論 文 調 査 委員 教 授 赤 松 俊 秀 (主 査) 論 文 内 教 授 岸 容 の 要 俊 男 教 授 佐 伯 富 旨 日本中世政治史研究 と題す るこの論文は, その主眼点 を鎌倉幕府 に置 き, 幕府政権樹立 の前提 とな った 武士団の成立 を論ず る第 1章 「武士団成立史 の諸問題」, 源平内乱期か ら文治元年 の守護地頭設置勅許 に いたるまで, 幕府成立期 の諸問題究明を主題 とす る第 2章 「鎌倉政権 の成立」, 承久 の乱 を中心 に, 幕府 盛期 に当たる執権政治確立期 までの政治過程 を追究す る第 3章 「幕府政治の展開」 か ら成 っている。 第 1章は 4節 に別かれ, その第 1節 「武士団の成立」 は, 紀伊国伊都郡 の土豪坂上氏を研究素材 として, 1 1 世紀前期 に国司の郎党 としての武士 に成長 した坂上氏が同世紀 の後半 には高野山金剛峯寺の荘園支配の 前 に敗北 して没落 した事実 を明らかにし, 郡郷 に対す る伝統的権威 を持つ郡司的土豪が武士団を構成す る に至 る過程 を究明す る。 第 2 節 「国街領 と職」 は, 武士団成立 の基盤が荘園 ・ 国街領 のいずれであるか, とい う問題意識か ら出発 し, 律令制 に起源 を持つ職が領主制 の展開に及ぼ した影響 を明らかにす る。 著者 によると, 職 の本質 は, 公法的な執行 と私法的な世襲 との統一 にあ り, 本来は荘園 ・ 公領管理 のための職 務性が強い在地領主職が, 上下階層に波及 し重層化す るにつれて得分的性格 を加える傾 向を示 し, 職 は所 領 に関係 して存在す るのが本来 のあ り方 であ るかのように観念 され るようになった, とい う。 第 3節 「平 将門の乱」 は, 従来 の論者が この乱 の革命的意味を強調す る傾向が強いのに対 して, 基礎史料 の将門記 の 本文批判を厳密 に行 ない, それに収録 の藤原忠平宛将門書状が将門記 の本文記事 と内容 において微妙 に食 い違 ってい ることを指摘 し, 新 しい視点 に立 って, 将門乱 を私闘か ら坂乱へ展開 した, とす る従来 の学説 に対 して, 将門の反乱 は私闘そのままの展開であることを指摘す る。 第 4節 の 「棟梁 と坂東」 は, 源頼朝 挙兵直前 の坂東諸国の情勢 を論 じ, 国家権力の解体現象が薗著であ った坂東 において, 武家 の棟梁 と在地 武士 との主従結合が不安 な く成長 した, として, 私兵 の長 として発足 した棟梁 の うち, 源氏が坂東諸国の 国司就任 を主契機 としてその地方 の領主層 と主従結合を深めた事実 を指摘す る。 0月宣 旨」 笹 第 2章第 1節 の 「寿永 2年1 この宣 旨発布を もって朝廷は頼朝 に東国行政権 を公認 した, とす る学説 に対 して, 著者 は宣 旨発布前後の朝廷対頼朝の政治情勢考察 を主 とす る批判 を加え, 当時, 源 - 9- 氏の嫡宗 をめ ぐって頼朝 と義仲が対立 した事実 を指摘 し, 頼朝は, この宣 旨を得 たことによって嫡宗であ ることを公認 させ ようとして 目的を達 し得 なか ったのである, と主張す る。 また著者 は, この宣 旨発布の 8ケ月以前 に頼朝が寿永の年号 を既 に使用 していた ことを実証 し, 頼朝 と後白河法皇 との提携が当時早 く 0月宣 旨所見 も成立 していたことを指摘す る。 第 2節 「東国 と西国」 は, 前節 の結論 を受けて, 寿永 2年1 の東国は, 頼朝がその当時 に実力で掌握 していた遠江 ・ 信濃両国以東 に限定すべ きことを主張 し, 文治元 年 の守護 ・ 地頭設置範囲は, 通説 の全国説 に対 して尾張 ・ 飛騨両国以西46 国であ った, とす る。 東国 ・ 西 国の区分は, 7世紀中葉 の大化改新 に既 に所見す るが, 鎌倉幕府で も六波羅探題 の設置 に伴い, 西国はそ の管轄区域 に含 まれている。 著者は, 信濃以東 を東国, 尾張 ・ 飛騨以西 を西国 とす る区分は, 頼朝挙兵当 初 にさかのぼ り, 六波羅探題設置以後 まで基本的に相違はなか った ことを史料 に即 して明らかにす る。 第 3節 「文治の守護 ・ 地頭」 は, 目下論が別れている文治元年 の守護 ・ 地頭設置勅許 について, 最近有力 に 主張 されてい る国地頭設置勅許説 に対 して も批判を加え, 国地頭の職務権限を荘郷 ごとに置かれ る地頭 と 同一類型 で考 えようとす ることに反対 し, 幕府が地頭 らを成敗す る権限を勅許 によって得た事実を重視す べ きことを主張す る。 第 4節 「荘郷地頭制 の成立」 は, 文治元年 に設置が勅許 された荘郷地頭は平家没官 領 ・ 謀反人 旧領 に限 られ るべ きである, とい う著者独 自の見解 の もとに, 平家没官領 ・ 謀反人旧領処置 の 実態 を明らかにし, それ以外 の荘園 ・ 公領は, 不入植 を獲得 してい る事実か らも, 勅許 によって新 し く地 頭が設置 された ことはあ り得 ない, と主張す る。 しか し鎌倉幕府管轄 の地頭 の うちには, 平家没官領 ・ 謀 反人 旧領 に設置 された新恩地頭 のほかに, 開発領主 その他であることによって保有す る本領が安堵 され る ことによって地頭 に補任 された ものがあ り, それ らの地頭 の系譜 ・ 性格 にも論及 し, 幕府が文治元年 に得 た地頭輩成敗権 をてこにして御家人制度が発展す ることを明らかにす る。 第 5節 「地頭概念の変遷」 は, 現地 を意味す る地頭 の本来 の概念が変遷 して, 人 ・ 職 を意味す るようになった過程 を史料 によって追跡 し, 源平内乱期 に用いられた地頭概念の多義性 ・ 流動性に触れ, 前節所論 の荘郷地頭 ・ 国地頭 について補説す る。 第 6節 「厳 島社領 と平氏の地頭制」 は, 平清盛が知行 した安芸国衝領 に承安 3年以後, 地頭が置かれ ていた事実 を指摘 し, 平家の地頭制 はそれを基礎 にして治承 3年 に発足 したことを実証す る0 第 3章第 1節 「鎌倉初期 の公武関係」 は, 文治元年か ら将軍実朝死去 ・藤原頼経東下 の承久元年 までの 公武 の政治過程 を概観 し, 頼朝の対朝廷政策の屈折, 頼家失脚後 の執権政治の反院政的動向, 後鳥羽上皇 主導 による公武融和, 実朝殺害 によるその失敗 の過程 を明らかにして, 後鳥羽上皇 の討幕挙兵は必至であ った, と論証す る。 第 2 節 「承久 の乱 の諸前提」 は, 後鳥羽上皇側にとって承久 の乱が可能 であ った条件 を究明し, 当時 の幕府内部 の実情は御家人が上皇側 に誘引され る弱点 を持 っていた こと,上皇側 も,貴族 ・ 社寺 の勢力を結集 して幕府 に対抗す る上 に, これ ら権門の私党的対立 を克服 し得 ない ことによって, 幕府 同様 に弱点を持 っていたことを明らか にし, それ によって上皇側は幕府 の組織的軍事力の前 に敗北 した こ とを明らかにす る。 第 3節 「承久の乱 の成果」 は, 承久の乱後, 院政 の政治的機能の一部 を肩代 りす るこ とになった幕府が, 御家人保護 の従来 の立場 を変 じて, 貴族 ・ 社寺 な どの荘園領有勢力 と地頭 ・ 御家人 と の対立関係を調停す る役割 を担当す るようにな った ことを明らかにし, その契機 となった承久の乱 の意義 を評価す る。 第 4節 「執鹿政治の確立」 は, 執権政治は以前 の将軍独裁 を克服 した合議政治 と考え, 北条 政子の死後, 執権北条泰時 によって嘉禄 元∼2年 に確立 したとし, この時点の意義 を評価す る。 -1 0- 論 文 審 査 の 結果 の貰要題旨 鎌倉幕府 の政権獲得 を主眼点 として武家制度 の発達 のあ とを, 政治 ・ 法制 ・ 経済 ・ 社会 ・ 思想 の分野 に わた って実証的に究明しようとす る努力が始 められたのは今世紀 の初頭であ り, 日本中世史 の領域で も顕 著 な研究成果があが った部門であるが, 問題が中世史研究 の根幹 に深 く関連す るだけに困難 は多 く, 幕府 政権樹立 の基礎 とな った武士団の成立 に関 して も, 成立 の母胎 とな った古代末期 の荘園 ・ 公領 の実態が史 料収集 の困難 その他 の理 由によって, 現在で もなお学説は一致 を見 ていない。 また幕府政権 の有力な支柱 となった守護地頭設置 にして も, 職務内容をめ ぐって大正末年 に行 なわれた有名 な論争以来, 問題 はなお 未解決 の点 を多 く残 して今 日に至 っている。 この論文は, 上記 の研究課題 を始め として武家政権確立史の主要課題 について, 意欲的に収集整理 した 史料 に透徹 した政治史的解釈 を加えた もので, その成果は, 内容 の要 旨で明 らかなように, 称賛すべ きも のがある。 武士団の成立, 職 の原型, 平将門乱, 地頭の源流, 守護地頭制, 承久乱等 について著者が示 し た見解 の うちには, 学界が疑問 としていた ものを明快 に解 明した ものがあ り, 今後 の武家政治史研究 の有 力な指針 となることが予想 され る。 ただ著者が触れ なか った問題 にもなお未解決 の ものがあ り, 地頭 ・ 家 人 な どについて中国におけ る用例 と日本 のそれ との関連等の究明について も今後の著者 の精進 を期待す る。 よって, 本論文は文学博士 の学位論文 として価値 あるもの と認める。 - ll -
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