ディスクロージャーのご縁

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ディスクロージャーのご縁
堀野 郷
森トラスト・アセットマネジメント株式会社
代表取締役社長
(森トラスト総合リート投資法人の運用会社)
リートにとって、
「 透明性 」は生命線であり、それを
銀行の証券業務の取り扱いが大問題だった。当時
支えているのが、充実したディクスロージャー( 企業情
はまだ銀行業と証券業は厳格に分けられていた。銀
報開示 )
である。この言葉は今では知らない企業人は
行業界は証券業務への進出を強く、しかも早期かつ
まずいないだろう。
多分野に亘って要望し、他方証券業界は猛反対。結
しかし、今から35 年ほど前には耳新しい言葉であっ
た。私は、その時代の「ディスクロ担当」だった。
私が最も大事に保存している雑誌がある。「 企業
会計 」2000 年 12月号( 次頁右上の写真 )
である。
保存している理由は巻頭言の「銀行のディスクロー
折衷案的な法改正の内容に両業界とも不満で、業界
応援団不在の立法作業となり、成立が危ぶまれる事
態となった。実質的立法作業の責任者たる土田課長
のご心労は筆舌に尽くし難いものがあった。
ジャーをめぐる思い出」である。執筆者は、当時東京
昭和 56 年 3月頃、国会に法案提出が出来るかどう
証券取引所理事長であった故土田正顕氏である。そ
かの瀬戸際の時期、休日早朝から一人で出勤して沈
の中に「実地に乗り込んだ課員の見聞 」、
「報告に励
思黙考しておられた土田課長の苦悩に満ちたお顔
まされて立案を決意 」の見出しで、私のことを「当時
と、後から入ってきた私に気が付くと、すぐに、笑顔
わが課にあってディスクロージャーを担当していた堀野
( 故土田氏のことを覚えて頂いている方はご存じの人
郷君( 現日本政策投資銀行管理部長 )
の突進 」とし
懐こい笑顔 )
に顔を変えて、
「おう、堀野君、早いな」
て紹介して頂いている。
と、魅力的なバリトンで声をかけて頂いたことは、指導
故土田氏は昭和 55 年当時、大蔵省銀行局調査課
長として、昭和 2 年以来の銀行法全面改正、という大
作業に取り組んでおられた。
本来であれば、戦前の時代遅れの法律を改正する
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果として、国債の窓販ディーリングのみを認めるという
者の部下に示すべき姿として、私にとって忘れられな
い出来事だった。
ディスクロージャーの話に戻ると、銀行法にこの規定
を入れる趣旨は、銀行の公共性に着目した、今でいう
ものであり、業界あげて歓迎、協力、のはずであった
CSRに通じる規定だった。しかし、銀行サイドとしては、
が、本件は大きく様相を異にしていた。
「何故銀行にだけこんな規定を押し付けるのか。そも
ARES 不動産証券化ジャーナル Vol.31
土田正顕氏 /
写真・日本取引所グループ提供
中央経済社・企業会計(平成 12年 1月発行)
そも、預金者も債権者として商法上の帳簿閲覧権が
であった。この業界に入り今年 6月で10 年となる私に
あり、開示はきちんとやっている」との反論があった。
とって、まさに故土田課長( 私にとってはこの肩書で
そこで、私の出番である。無鉄砲にも、丸の内、大
手町あたりの当時の大銀行数行の本店に、
「 預金者
呼びかけるのがしっくりくるのでお許しください)
が導い
ていただいたご縁ではないかと思う。
として、帳簿の閲覧をしたい」と訪ねて行った。実態
なお、当リートは、今年 2月、マイナス金利導入後初
調査である。勿論、名前は名乗ったが、それ以上は
の民間社債( 投資法人債 )
を発行した。金利の目線
答えなかった。結果は、当時の各銀行の総務部にて、
が定まらない中で社債市場がストップしていたのだが、
今は死語となった所謂「 総会屋 」らしき人物が茶封
「 先が読めない時こそ、大局的(おおざっぱ?)
観点
筒を受け取る場面の目撃等の経験に加えて、平均 30
から、
市場( 実地 )
に聞いてみる」という精神はこの時
分以上の長時間の質疑(「 何しに来たの?」)
もあっ
の経験が役立ったのかな、
と自画自賛している。
て、大変有意義な訪問であり、戻って作成した非公式
レポートは有意義な報告内容となり、冒頭の「 立案を
決意 」になった。
追記 拙稿執筆に際し、故土田課長の写真掲載
の許可を東京証券取引所にお願いしたところ、当時
時効だろうから白状すると、私の独断ではない。私
理事長秘書をされていた土本清幸様( 現 株式会社
の身分( 正規の大蔵省職員ではなく、日本開発銀行
東京証券取引所 取締役専務執行役員 )
のお目に留
から出向している「日給払い( 確か3,800円、土曜
まり、ご来社いただきご遺徳を偲び、思い出話で花が
半額、だった気がする)
の調査員」)
も考えて、勿論何
咲きました。これもまた、故土田課長のお導きによる
かあった時の出向元への身分保証も考えて頂いた上
「ご縁 」と思います。
での提案採用だった。結果として、ディスクロージャー
規定は、昭和 56 年に銀行法 21 条として実現した。
今回執筆にあたり、あらためて「 企業会計 」を手
に取り驚いた。本号の特集記事が「不動産流動化 」
本稿は、筆者の個人的見解を記載したものであり、筆者
の所属する組織とは関係はありません。
May-June 2016
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