USJI Voice Vol.15(日本語版)

USJI Voice Vol.15(日本語版)
2016.05.27
USJI では日米関係を中心に様々なトピックを専門家がコメントする USJI Voice の発信を行って
います。今後は年に 9 回ほどの頻度で発信する予定です。
USJI 連携大学の研究者によるオピニオンをどうぞお楽しみください。
なお、USJI 連携大学の研究者に対して、USJI Voice で発信してほしいトピックなどご要望がござ
いましたら [email protected] までご連絡ください。
TPP と東アジア経済統合―日米の役割を含めて―
清水
一史
九州大学大学院
教授
はじめに
2015 年 10 月 5 日には、遂に環太平洋経済連携協定(TPP)が大筋合意された。そして 2016 年 2 月 4 日に
は TPP が全参加国によって署名された。TPP はアジア太平洋地域の 12 カ国によるメガ自由貿易協定(FTA)
である。TPP は世界経済にとっても、日米にとってもきわめて重要な FTA である。そして現在の世界の成長セ
ンターである東アジア経済とその経済統合にとっても、大きな意味を持つ。本稿では、筆者のこれまでの
ASEAN と東アジアの経済統合の研究を踏まえて、TPP と東アジア経済統合について述べたい。
東アジアの経済統合
東アジアの経済統合は、東南アジア諸国連合(ASEAN)によって牽引されてきた。ASEAN は、従来東アジア
で唯一の地域協力機構であり、1967 年の設立以来、政治協力や経済協力など各種の協力を推進してきた。
加盟国も設立当初の 5 カ国から 10 カ国へと拡大した。1976 年からは域内経済協力を進め、1992 年からは
ASEAN 自由貿易地域(AFTA)を目指し、2015 年末には ASEAN 経済共同体(AEC)を創設した。AEC は、2003
年の「第 2ASEAN 協和宣言」で打ち出された、ASEAN 単一市場・生産基地を構築する構想であり、東アジアで
も最も進んでいる経済統合である。
ASEAN は、ASEAN+3 や ASEAN+6 などの東アジアにおける地域協力においても中心となってきた。また日
本、中国、韓国などとの 5 つの ASEAN+1 の FTA が、ASEAN を軸として確立されてきた。他方、東アジア経済
の発展にとって必要とされる、東アジア全体の FTA は構築出来ていなかった。しかし世界金融危機後の変化
が、AEC の実現を迫るとともに、次で述べるように、東アジア全体の FTA である東アジア地域包括的経済連携
(RCEP)の ASEAN による提案と交渉開始を導いた。
世界金融危機後の変化と TPP、RCEP
2008 年からの世界金融危機後の構造変化の中で、TPP が大きな意味を持ち始め、東アジアの経済統合の
実現に大きな影響を与えた。東アジアは、他の地域に比較して世界金融危機からいち早く回復し、現在の世
界経済における主要な生産基地と中間財市場とともに主要な最終消費財市場になってきた。
一方、世界金融危機後のアメリカにおいては、過剰消費と金融的蓄積に基づく内需型成長の転換が迫ら
れ、輸出を重要な成長の手段とした。その主要な輸出目標は成長を続ける東アジアであり、オバマ大統領は
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2010 年 1 月に輸出倍増計画を打ち出し、アジア太平洋にまたがる TPP への参加を表明した。
TPP は、2006 年に P4 として発効した当初はブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの 4 か国によ
る FTA にすぎなかったが、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナムも加わり大きな意味を持つようになった。
2010 年 3 月に 8 か国で交渉が開始され、10 月にはマレーシアも交渉に加わった。TPP がアメリカをも加えて
確立しつつある中で、それまで日中が対立して停滞していた、東アジア全体の FTA も推進されることとなった。
2011 年 8 月の ASEAN+6 経済閣僚会議において、日本と中国は、日本が推していた東アジア包括的経済連
携(CEPEA)と中国が推していた東アジア自由貿易地域(EAFTA)を区別なく進めることを共同提案した。
2011 年 11 月のハワイでの APEC に合わせて、日本は TPP 交渉参加へ向けて関係国と協議に入ることを
表明した。そして同月の ASEAN 首脳会議では、ASEAN が、これまでの CEPEA と EAFTA、ASEAN+1 の FTA
の延長に、ASEAN を中心とする新たな東アジアの FTA である RCEP を提案した。RCEP はその後、ASEAN10
カ国、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドの東アジア 16 カ国によって、急速に交渉へ
動きだした。
2013 年 3 月 15 日には、日本が TPP 交渉参加を正式に表明し、東アジアの経済統合と FTA に更にインパ
クトを与えた。それまで停滞していた FTA 交渉が急に動き出し、3 月 25 日には、日本と EU が経済連携協定
(EPA)の交渉開始を宣言した。3 月 26 日には日中韓は日中韓 FTA へ向けた第 1 回交渉をソウルで開催した。
5 月には RCEP 第 1 回交渉が行われた。7 月には第 18 回 TPP 交渉会合において日本が TPP 交渉に正式参
加し、更にインパクトを与えた。
ただしその後 TPP 交渉会合が何回も開催されたが、2013 年においても 2014 年においても、交渉妥結には
至らなかった。TPP 交渉主要国である日米協議においては、日本は農産物の市場開放に、アメリカは自動車
の市場開放に応じなかったからである。また競争政策、知的財産、環境などに関してはマレーシアやベトナム
がアメリカと対立していた。しかしその後の日米協議の進展と 2015 年 6 月のアメリカの貿易促進権限(TPA)
法案の可決は、TPP 妥結への道を開いた。
TPP 合意と TPP が東アジアに与える影響
2015 年 10 月 5 日には、アメリカのアトランタで開催された TPP 閣僚会議において、延長交渉の後に、遂に
TPP 協定が大筋合意された。2010 年 3 月に 8 か国で交渉開始してから約 5 年半での合意であった。そして
2016 年 2 月 4 日には、TPP 協定がニュージーランドのオークランドにおいて署名された。今後の課題は TPP
協定の各国での批准と発効である。
TPP は、世界の GDP の約 4 割を占めるメガ FTA である。参加国は、日本とアメリカを含めたアジア太平洋地
域の 12 ヶ国である。東アジアからは、日本と ASEAN の 4 か国(シンガポール、マレーシア、ベトナム、ブルネ
イ)が参加している。
TPP は高い貿易自由化レベルを有することと、新たな通商ルールを含むことが特徴である。貿易の自由化
率に関しては、TPP 参加の 12 カ国平均で工業品では 99.9%、農林水産品では 97.1%が関税撤廃されて、物
品貿易が自由化される。先進国だけではなく途上国を含む FTA としては、きわめて高い数字である。また TPP
は、従来の物品の貿易だけではなく、サービス貿易、投資、電子商取引、政府調達、国有企業、知的財産、労
働、環境における新たなルール化を含んでいる。「21 世紀型の FTA」といわれる所以である。TPP は、日米を
含めたアジア太平洋の参加国に大きな利益をもたらすであろう。
TPP は、貿易と投資の自由化と新たなルール化によって、東アジアの経済にも大きな影響を与えるであろ
う。第 1 に、TPP は、アジア太平洋地域における貿易と投資の自由化等によって、東アジア各国の経済成長に
貢献するであろう。TPP は東アジア各国間の FTA であるとともに、日本、マレーシア、ベトナムにとっては、これ
まで結ばれていなかったアメリカとの FTA となる。TPP が参加各国の経済成長を導くと試算も出されている。
それゆえ TPP には、現在、韓国、台湾、インドネシア、タイ、フィリピンも参加を希望している。
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第 2 に、アジア太平洋と東アジア地域における様々な通商ルール化を促し、東アジア各国の経済活動を支
援するであろう。物品の貿易とともに、サービス貿易、投資、電子商取引、政府調達、国有企業、知的財産な
どのルール化は、東アジアで活動する企業の活動を支援するであろう。TPP においては、FTA の「原産地規
則」も、「完全累積」という企業にとって使いやすい規則を採用した。
そして第 3 に、TPP は東アジアの経済統合を後押しするであろう。これまで TPP 交渉が進むと東アジア経済
統合も進展し、TPP 交渉が停滞すると東アジア経済統合も停滞してきた。TPP の実現は、AEC と RCEP を含め
た東アジアの経済統合を進めるであろう。「政府調達」や「国有企業」などの TPP の規則を、ASEAN 各国が受
け入れる事で、ASEAN の自由化がより進み、AEC が深化する可能性もある。また貿易自由化目標が 80%程
度である RCEP を、質の高い FTA とする圧力となるであろう。企業にとっても、東アジアでの効率的な生産ネッ
トワークの実現のために、東アジア全体の経済統合の実現と質の高い FTA の実現が求められる。
TPP と日米―TPP 発効には日米の批准が必須―
以上のように、TPP は、アジア太平洋と東アジア地域において大きな意味を有する。また TPP が東アジアに
おける経済統合を後押しする。世界経済全体にとっても、WTO による貿易自由化とルール化が停滞している
今日、TPP を梃子に世界貿易の自由化と通商ルール作りを進めることが肝要である。
TPP が大筋合意して協定が署名された今日、次の課題は TPP の各国での批准と発効である。TPP におい
ては、日米がその GDP の約 80%を占め、圧倒的な影響力がある。そして TPP 発効においては、日米の批准
が必須である。日本の今国会での承認は困難となったが、出来るだけ早く TPP 協定を承認しなければならな
い。アメリカが TPP 批准することも不可欠である。アメリカにおいては、11 月の大統領選挙を前に、TPP 批准
の行方は混沌としている。従来は自由貿易を支持していた共和党においても、有力候補が TPP 反対を表明し
ている。しかしながら TPP が、第 2 次世界大戦後にアメリカの国内問題によって頓挫してしまった国際貿易機
関(ITO)のようになってはならない。
日本には、TPP と RCEP を進めるとともに、TPP と RCEP を繋げてアジア太平洋全体の FTA(FTAAP)へ導く
役割も期待される。日本は TPP と RCEP の両方に参加しており、アジア太平洋と東アジアの経済を結ぶ結節
点である。日本の役割は大きい。
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日米研究インスティテュート(U.S.-Japan Research Institute)
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なお USJI Voice は、執筆者である USJI 連携大学研究者の個人的見解に基づくものであり、USJI としての公式見解ではありません。
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