天理台湾学会 2016 年第 26 回研究大会 報告要旨(松尾直太) *報告要旨のため、報告者の許可なく引用・転載することを禁じます。 引揚後の濱田隼雄の中央志向をめぐる考察 松尾直太(呉鳳科技大学) 本報告では、敗戦後台湾から郷里仙台へ引揚げた濱田隼雄の中央志向に着目して、その文学活動の 考察を試みるものである。 濱田は仙台で文学活動を再開後、筆一本の生活を志した。またそれとともに、引揚後の一時期、中 央志向を強く抱いていた。筆者はこれが濱田の当時の文学的営為を支える大きな原動力の一つになっ ていたものと考えている。 とはいうものの、濱田が当時中央を志向したことをめぐっては、自身が公に発表した文章を見る限 1 りにおいて、多くを語ってはいない。ならば、それは奈辺より窺い知ることができるのだろうか。 例えば、それは引揚直後の一時期において、かつて台湾文壇で築いた中央文人とのかかわりを通し て、仙台から東京の雑誌に小説の掲載を模索する形で、あるいはそれを足がかりに上京を模索する形 で表出されているものと考えられよう。また、在京の知人との私的なかかわりを考察するなかからも、 会 東京の雑誌に作品を掲載すべく模索する姿を通して、それが発露されていることが見出せるであろう。 したがって、それらを検証することで、濱田の内面に、あわよくば中央への進出をとの野心が芽生え 学 ていたことが明らかにしえるものと考えている。 すなわち、濱田が日本統治期の台湾文壇で築いたいかなる人とのいかなるつながりを頼みとして、 いかなる中央の雑誌への作品発表の機会を、いかに求めていったのか、またそうしながらも、結果と 湾 して中央進出の野心が叶わなかった背景にはどのような要因が存在していたのだろうか。これら一連 の問題について検討したい。 具体的には、大仏次郎・丹羽文雄・西川満とのかかわりを通して、また榛葉英治・草川俊が地方か 台 ら上京するに至る場合との比較を通して、上述の諸問題の考察検証を行ってゆくことで、濱田隼雄の 当時の中央志向の一端が浮かび上がってくることを期待している。 天 理
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