巻頭言 - 全国老人保健施設協会

巻 頭 言
東日本大震災から得た教訓
正しかった「医療・福祉施設は高台に」の戒め
全老健顧問、介護老人保健施設気仙苑理事長
木川田 典彌
東日本大震災・大津波が襲ってから、早や丸 5 年
るようになって約40 年であるが、祖父の教えを教訓
1 か月が過ぎた。この 5 年が「一つの節目」との言
として施設の立地条件と運営には常に津波対策が最
い方は確かである。震災と原発事故に遭遇した福島
優先であった。
県民のご苦労のほどは想像を絶する。一日も早い安
しかし、祖父の教えに背いて、平成22 年に陸前高
穏とした日常を、心よりご祈念申し上げたい。この
田市駅前に、市の駅前再開発計画構想に合わせて、
5 年の間、協会員の皆様、全国、世界中の皆様から
平成23 年 3 月着工予定の高齢者福祉施設を計画した。
被災地に寄せられた多くの心ある温かいご支援と献
ただし、その施設建設には充分な津波対策を講じた。
身的ご協力と励ましに対し、改めてこの誌面をお借
その対策とは、敷地を 1 m 高い嵩上げと 1 m 高いコ
りして、厚く御礼申し上げたい。
ンクリート土台とし、 4 階建の施設に津波襲来時の
3.11 の未曾有の被災を受けての貴重な反省と教訓
避難場所として、 5 階を増築、さらに階段を「人ま
を学んだ具体的事例について述べたい。私は当時、2
ち条例対応」型とした。また、横長のこの施設の短
つの医療法人、 3 つの社会福祉法人の理事長として
辺側は(建物を客船と考えた時の船首側)は太平洋
約1,000 名の職員の下に法人施設運営をしていたが、
側に向け、津波襲来時に、施設の長辺側(船腹)が
3.11 の大震災で現場の医療・福祉施設においては、
太平洋から押し寄せる津波の巨大な横波を受けない
職員や入院・通院・入所・通所等における現場での
ように設計の配慮をした。
人的被害(含死者)は皆無であった。残念ながら津
3.11 大震災は、私の知識の及ばぬ巨大規模であり、
波の犠牲となったのは、非番の職員 3 名であった。
不覚かつ無念の結果となったが、建築工事の着工開
岩手県の三陸海岸(太平洋側)の海に面した大槌
始日は、あの大震災直後の 3 月12 日の予定であった
町、大船渡市、陸前高田市という3.11 東日本大震災
ため、人的被害そして大きな財政的負担もなく救わ
において、大被害を受けた市町村の中にあった我が
れた。
医療施設と福祉施設で、人的や施設の直接被害が軽
また、あの大震災直後の陸前高田市町内写真集等
微であったのはなぜか。その理由とその根拠になる
から、この 5 階建施設であれば、入所・利用者、職
根源は、祖父の恐ろしい夜話「地震と津波の物語」
員そして一部の市民を津波から救済可能であったと
に遡る。私は幼少の頃、祖父から「地震があったら
確信できたことは、私にとって、少しの慰めとなっ
津波が来ると思え」
、
「異常な引潮があったら山に逃
た。
げろ」など、常日頃厳しい教えを受けていた。川や
大地震後10 分以内に巨大津波が沿岸に到来すると
海に泳ぎや釣りに向かう時、祖父に会うと必ず「海
予測されている東南海トラフ大震災等を睨み、この
津波」
「山津波」には気をつけろ!と短い言葉で注意
戒めを教訓としてほしいと願うものである。
されて育った。私には、現在においてもそのことが
あの日から 5 年を経た今、この震災で多くの患
鮮明に記憶として残っている。
者・入所者や避難者の治療(看取り29 名)に昼夜を
私は勤務医となり、故郷大船渡市の県立病院に奉
分かたず奔走し、心労のため震災約 1 か月後の 4 月
転。その後、3.11 の大震災を受けた大槌町、大船渡
9 日にくも膜下出血で倒れ、自らの命をささげた亡
市、陸前高田市で医療や福祉施設の運営に直接携わ
き妻に心から感謝の念を伝えたい。
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