日本の賃上げ恐怖症はどこで生じたか

リサーチ TODAY
2016 年 4 月 22 日
日本の賃上げ恐怖症はどこで生じたか
常務執行役員 チーフエコノミスト 高田 創
春闘の賃上げ交渉に注目が集まっている。今年の状況は人手不足感が強まるなか、賃上げは力強さを
欠く状況にある。現段階で春闘の賃上げ率(連合ベース、4月中旬時点の集計結果)は、2.06%と前年同
時期(2.24%)を大きく下回っている。今回の足踏みの背景には、年初来の先行き見通しの下方屈折や円
高に伴う物価見通しの下落がある。ただし、長い間デフレ環境が続くなか、賃上げという発想が、もはや企
業にとって当然の習慣、いわゆる「ノルム(規範)」ではなくなってしまったという構造変化が生じた可能性が
ある。こうした動きがどのように生じたかを探るのが本稿である。みずほ総合研究所は「なぜ賃上げは本格
化に至らないのか?」というテーマで今日の賃上げを巡る環境変化を議論している1。下記の図表は日本の
賃上げ率の分布を歴史的にたどったものだ。
■図表:賃上げ率の分布
1986
1990
1995
2000
2005
2010
2015
▲0.1%
未満
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
2.2
1.4
4.5
4.3
1.9
1.3
0.6
0.3
1.2
6.8
3.2
2.4
1.7
1.7
0.8
0.6
0%
0.1~
0.9%
0.6
0.9
0.3
0.3
0.5
0.5
0.3
4.3
1.6
2.5
2.9
4.6
7.0
11.7
10.7
12.5
17.7
19.6
16.6
16.2
12.6
13.1
14.6
20.1
12.6
16.1
13.6
11.0
5.5
5.4
1.0~
1.9%
0.6
0.4
0.8
0.4
0.2
0.1
0.4
0.4
2.0
3.1
2.2
2.2
5.2
6.4
7.6
9.4
12.5
11.7
12.8
9.0
7.2
9.6
11.1
9.6
13.3
16.4
12.0
13.0
11.3
11.9
2.0~
2.9%
1.1
6.4
4.2
1.0
0.6
0.1
0.7
2.1
8.1
9.7
11.7
10.6
16.7
27.8
35.0
36.1
38.9
43.8
46.5
49.0
47.7
44.0
35.4
38.2
45.4
43.1
45.0
45.9
41.2
33.6
8.8
14.4
4.6
3.9
0.5
0.4
1.9
7.6
20.6
45.4
46.8
46.9
52.7
48.5
39.4
36.8
23.9
17.7
18.4
20.0
26.8
24.3
30.2
21.0
22.4
18.2
24.1
20.6
29.6
36.8
3.0~
3.9%
12.6
43.0
15.6
4.2
2.7
3.1
6.4
43.0
57.5
34.5
32.2
33.2
16.2
3.6
3.7
2.9
1.9
1.6
2.5
2.5
2.9
3.8
3.1
2.1
2.1
2.3
1.8
4.3
7.6
9.1
(注)1.色が濃いほど、数値が高いことを表す。
2.定期昇給を含むベースの値。
(資料)厚生労働省「賃金引上げ等の実態に関する調査」よりみずほ総合研究所作成
1
4.0~
4.9%
45.9
25.9
49.3
14.5
6.0
7.9
39.7
34.2
7.6
3.3
3.0
2.6
1.5
1.1
0.9
0.5
0.2
0.7
0.4
0.4
1.6
1.4
1.6
0.7
0.6
0.7
1.2
1.8
1.8
1.7
5.0~
5.9%
22.6
6.7
18.8
54.5
42.4
51.8
34.9
6.2
1.5
0.7
0.6
0.8
0.3
0.3
0.2
0.1
0.0
0.3
0.2
0.3
0.7
0.6
1.7
0.2
0.0
0.5
0.4
0.8
0.6
0.2
6.0%
以上
7.7
2.3
6.4
21.2
47.0
35.9
15.6
2.4
1.0
0.6
0.6
0.2
0.3
0.5
0.2
0.1
0.1
0.3
0.7
1.3
0.0
2.9
1.1
1.2
0.1
0.4
0.3
1.0
1.6
0.8
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2016 年 4 月 22 日
前ページの図表にあるように、1990年頃までは5%以上の賃上げが続く状況にあったが、1990年を挟ん
で分布は低位にシフトしており、大きな転換が生じている。それでもデフレに陥る以前、つまり2000年までは
概ねすべての企業が、ある程度の賃上げ率を保っていた。2000年まで、多少景気が変動しても一定の賃
上げを行うことが企業では当たり前、「ノルム」とみなされていた可能性が高い。一方で2000年以降デフレが
定着することで、景気が回復する局面でも一貫して分布が低位にとどまっている。賃上げを行わない期間
の長期化に伴い、ここでは賃上げを行わないことが「ノルム」になってしまったと考えられる。こうした賃上げ
率の分布、すなわち、賃上げを行わない「ノルム」の定着から、賃金を今すぐにでも下げたいと感じている
企業、いわゆる「賃下げ予備軍」の企業の存在も確認できる。デフレ期、十分に賃金調整ができなかった企
業が「賃下げ予備軍」として存在することも、賃上げの本格化を阻む要因と考えられる。
こうした「ノルム」や「賃下げ予備軍」の問題は、とりわけ中小企業で深刻だ。下記の図表は、企業規模別
の賃上げ率の分布を示す。図表から、中小企業では足元でも1割程度の企業がいまだ賃上げに踏み切れ
ずにいることがわかる。中小企業には賃上げを行わないという「ノルム」が強いと考えられる。
■図表:企業規模別の賃上げ率の分布
(%)
30
大企業
中小企業
0
0.5
~0.9
25
20
15
10
5
0
▲4.9
~▲2.5
1.5
~1.9
2.5
~2.9
3.5
~3.9
4.5 (%)
~4.9
(注)1.2015 年の値、全産業、定期昇給を含むベースの値。
2.大企業は企業規模が 5,000 人以上、中小企業は 100~299 人の企業。
(資料)厚生労働省「賃金引上げ等の実態に関する調査」よりみずほ総合研究所作成
バブル崩壊後に「ノルム」が転換したのであれば、これを元に戻すには外部からの大きな圧力を人為的
に企業に加え、「意識」を転換させるしかない。筆者は一旦「草食系」に進化した行動形態を元に戻すのに
は大変な力と時間をかけるしかないと考える。インフレへの対処とデフレへの対処には非対称性があり、デ
フレマインド(リストラマインド)の転換には民間と政府が一体となって、敢えてマインド転換を促すような「劇
薬」がないとなかなか実現できない。同時に、金融政策における物価の底上げも、結局は賃金引き上げが
実現できるかに大きく依存する。日銀が注視する目標値の一つとして賃金上昇を掲げ、政府と一体の対応
を促すことも重要な選択肢だろう。
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松浦大将「なぜ賃上げは本格化に至らないのか?」(みずほ総合研究所 『金融市場ウィークリー』 2016 年 4 月 8 日号)
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