[テキストを入力] 2016 年 日 時 4月21日(木) 後5月19日(木) 前 4時限(14:50 -16:20)6号館 6203教室 広島学(法律学科提供)のシラバスより抜粋 日清戦争当時広島城内に築かれた大本営は、まさに戦争指導の中枢でした。宇品港は、日清・ 講演 概要 日露の戦役を通じて、多くの兵員・軍事物資を戦場に向けて輸送した「軍港」でした。また 広島城付近には、十一聯隊本部や陸軍幼年学校が配置され、呉の海軍工廠では、戦艦大和は じめ多くの艦船が建造されました。江田島の海軍兵学校では海軍士官が養成されていました。 鉄道網の発達や軍需産業の展開など近代広島県の発展が軍事と密接な関連がありました。 「軍 事都市」であった時代の広島も正しく知る必要があるでしょう。 講師:見延 典子(広島修道大学特別客員教授) 講師 紹介 主な著作 1955 年札幌市生まれ。早稲田大学卒業。 『もう頬づえはつかない』1978 年(講談社) 『頼山陽』2008 年(徳間書店、第 27 回新田次郎文学賞) 『汚名』2016 年(本分社) 「幕末、贋金造りの命を下し罰せられた男が、近代になり広島市長になった・・・」( 『汚名』帯より) 「江戸時代の石高制は、明治に入って貨幣経済になった。・・これは日本の社会にとっての大転換点だ。・・ 石高制と貨幣経済のあいだには大きな河が横たわっている。 ・・いかにしてその河を渡ったのか。 ・・なぜ渡 れなかったのか。・・辿りついたのは、日本が初めて経験した近代戦争といわれる日清戦争であった。贋金 をめぐる旅は、いつしか戦争の話へと広がった。」 (『汚名』「著者の言葉」より抜粋) 主 催 注意事項 広島修道大学 法学部 この講演会は、 「広島学(近現代の広島と法)」の授業の一環として開催するものですが、 受講者以外の皆さんへも公開します。
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