私の恩返しは パラ五輪で 活躍すること

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二條実穂さん
車いすテニス選手
み ほ
にじょう
国内外で活躍してい
る車いすテニス選手の
二條実穂さん。今年開
催のリオデジャネイロ
・パラリンピックへの
出場を目指して戦う二
條さんに、これまでの
歩みや意気込みを聞き
見て、初めて競技を知りまし
性を信じる大切さを伝えてい
した。講演では、自分の可能
ました。
た。﹁中学時代からテニスを
退院後の不安よりテニスがで
ている二條さん。﹁出場して
ます﹂と思いを話します。
深川市で生まれ育った二條
さんは、もの作りが好きで、
きるうれしさのほうが強くな
きずな
選手として活動しています。
関東に拠点を移し、今はプロ
は海外遠征を開始。その後、
二條さんは退院の5日後に
テニスコートに出て、翌年に
世界の大舞台へ挑む
応援と支えに感謝し
い意志がありました。
由です﹂と話す笑顔の中に強
パラリンピックにこだわる理
思っています。それが、私が
ている皆さんへの恩返しだと
現在、パラリンピックへの
たいと思いました。それ以来、
出場権を懸け、世界を転戦し
将来は大工になると決めてい
の住宅メーカーに就職。熱心
に働く日々でしたが、平成
年に貧血で建築現場の足場か
ら落下して脊髄を損傷し、車
いす生活に。二條さんは﹁シ
ョックというより信じられま
せんでした。でも、家族や同
北海道を離れても旭川との絆
は強く、市内で合宿をしたり、
僚が変わらずに接してくれた
おかげで大きく落ち込むこと
養護学校で講演会を開いたり。
て人生の目標が大きくなりま
です。私の場合は、けがをし
でしたが、今は世界一の選手
﹁以前の目標は日本一の大工
はなかったです﹂と話します。
車いすテニスとの出合いは
8カ月間の入院中、自宅に1
泊した夜のこと。偶然、ある
選手を紹介したテレビ番組を
市内では車いすテニスの体験会も実施
(写真提供:齋藤晴香)
等技術専門学院で学び、市内
活躍することが、支えてくれ
続けていたので、すぐにやり
「旭川の皆さ
んからの応援
に力をもらっ
ています」と
二條さん
りましたね﹂と振り返ります。
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ました。高校卒業後、旭川高
車いすテニスとの出合い
不安を打ち消した
私の恩返しは
パラ五輪で
活躍すること
昭和55年生まれ。国内ランキング2位、世
界ランキング24位(3月28日現在)。シグ
マクシス所属
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こうほう旭川市民 2016(平成28)年 4月