高等部教育に関わる提言 2016年2月 兵庫県障害児学校教職員組合 障害児学校の高等部は、この数年で大きく姿を変えた。多様な生徒の入学による生徒像の変容、 また、高等部だけの学校や高等学校内の分教室設置など、枠組みも多様化してきた。高等部教育に 関わる教員は、急激な生徒増と以前とは違う教育課題を抱えた生徒への対応に追われている。そん な中で、2015年度、兵庫県教育委員会は「特別支援教育第二次推進計画」の重点的な施策とし て、就労支援を前面に出したキャリア教育推進の施策を打ち出した。 「喫茶サービス・ビルメンテナ ンス」に特化した取組を推進させる、企業人など外部人材の導入の奨励、検定による評価方式の提 案など、事業の内容や手続きに対する疑問や不満、戸惑いの声が、教員の間に急速に広がっている。 今年度私たち障教組は、この問題に焦点を当てて調査を行い、高等部教育の中で生徒達の「はた らく力」をどう育てていくか、議論を継続的に行ってきた。そこから明らかになった課題に、発達 保障やインクルーシブな社会づくりなど4つの視点を加えて検討し、新しい高等部教育を創造して いくための提言とする。障害児教育に関わる多くの関係者、保護者、県民の間で広く論議されるこ とを願う。 1,キャリア教育の視点の検証 国は「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告(2004)」及び「小学校・ 中学校・高等学校におけるキャリア教育推進の手引(2006)」において,「キャリア」を「児童 生徒一人一人のキャリア発達を促し,それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な 意欲・態度や能力を育てる教育。端的には,児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てる教育」と 定義した。このことから, 「キャリア教育とは,児童生徒の勤労観,職業観を育てる教育」という理 解が一般的となり、新学習指導要領の改訂においても、「自立と社会参加に向けた職業教育の充実」 が打ち出され、「キャリア教育=職業教育」の位置づけが色濃くなった。 これはこの時期に、高齢化の進行による社会保障費の増大や、ニート・引きこもりの増加といっ た若者の貧困がクローズアップされる中で「働ける=税金が納められる人材」としての障害者育成 が期待されるなど、社会的政治的な背景があることは明らかである。兵庫県教育委員会がこの2年 間、 「就労率を上げる」ことを目標にした施策を優先的に打ち出してきているのも、教育目標に経済 効率を強引に持ち込んでいるとの疑念は捨てきれない。 卒業後の一般就労だけが重視される今のキャリア教育推進の流れは、教育の目標である人格形成 より「品質」が重視され、企業の求める人材づくりに直結する危険性をはらんでおり、 「自立と社会 参加」の名を借りた一面的な「キャリア教育」であると言わざるを得ない。障害のある人々が、社 会を構成する一人の主体として、社会の中に位置を得ることはもちろん大切なことであるが、その ありようが「一般就労」のみに限定され、しかも特定の時期までに達成が求められるというならば、 それは権利保障の名に値しないと考える。 2,作業学習を主体的に創造する意義 多くの学校では作業学習が「教科領域を合わせた指導」として位置づけられている。それは多く の学校で取り組まれている作業種が複雑な工程や多様な操作から生まれる「物作り」であるという ことと、集団での製造過程や作った作品の販売学習で求められる社会性の学習や知的活動の展開な ど、多様な学習内容が組み入れられるからであろう。毎年年度初めには「今年の生徒はどんな作業 ができそうか」「どんな物を作ったら生徒が達成感を味わい、バザーで売れて喜べるか」「そのため にはどんな行程を用意すればいいのか」を考え、担当者集団で話し合い、英知を集めて作業種や作 業内容を創造していく。バザーで売れるためには、地域のニーズを把握しなければならないし、何 より参加する生徒の実態や願いに寄り添って考える必要がある。つまり、作業学習は一律にマニュ アル化できるものではなく、その学校同時で毎年教職員が主体的に創造してこそ良い物が作れ、教 育としての意味がある。 販売学習の会場で、 「先生見て!これ私が作ってん!」と呼び止める生徒の表情は生き生きしてい る。 「良い物が作れた」のがうれしいということは、自尊心の低さが気になる高等部の生徒にとって、 自分への自信となってフィードバックされるかけがえのない経験になる。評価は特定の基準で他者 から「検定」されるものではなく、自分の中で生み出されて自覚されてこそ、もっと良い物を創造 する意欲になるのである。 私たちが先代から引き継いだものの一つが、 「物を作り出す」という文化である。幼少期の遊びに 始まり、少しずつ意図を持って作れるようになって、それが身近な人に褒めてもらって嬉しいから また作り、高等部になって販売学習で会ったこともない人が自分が作った物を買って喜んで使って くれることを想像しながら作る。このように「物作り」は人間が社会的な存在として発達するうえ で欠かせない「文化」であり、だからこそ教材として作業学習で取り組まれる意味がある。特定の 作業種が「就職する時に生かせる・有利である」という視点は、この「物作り」の文化とは相容れ ないと言わざるを得ない。 3,技能検定への疑問 清掃や接遇マナーの技能検定の導入が推進されようとしている。そもそも掃除というものは、健 康な生活を送るために人間が生み出した「文化」である。その文化の継承を通じて、 「掃除をすると 気持ちよく過ごせる」ことに子どもが気づき、またいろいろな発達段階にある子ども達が力を合わ せて掃除をする中で、お互いの良さや「協力」の大切さにも気づかせてやることができる。そんな 優れた題材である「掃除」だからこそ、バラバラの活動に輪切りにしてレベルづけをして、お互い に競い合わせてスキル向上の道具として扱うのでなく、活動への喜びと達成感を育てながら丁寧に 取り組ませてやるべきではないか。また、荒川・越野は、ある課題を「目標」として記述してしま うと、必ずその達成を求められることになるため、子どもの人間的な成長・発達にかかわる大切な 「ねがい」が置き去りにされてしまう危険性を論じている。雑巾がきちんと絞れると言うことは、 「き っちり絞った雑巾で拭くと綺麗に拭けていいな」という肯定的な結果や見通しに繋がって初めて主 体的に取り組めるのであり、そこへの到達を丁寧に取り組まないまま雑巾がきちんと絞れることに 目標を限局するようなことがあってはならない。 接遇マナーについても同様のことが言える。人を接待するマナーを身につけるのは悪いことでは ないが、人間関係の形成に大きく影響する自己理解と他者理解の学習と並行して取り組まないと、 スキルだけ身につけさせても心のこもったおもてなしはできない。本来の接遇マナーは、家庭や身 近な地域で暖かい経験を積む中で、自分だったらどう接すれば相手に喜んでもらえるかを考えて実 践していくものである。実際の生活から切り離した場面でマニュアル化された様式を繰り返し練習 させるのではなく、生活に根ざした場面で他者の視点も考えながら行動し、その結果を自分で振り 返る、そんな機会を作ってやることが大事なのではないだろうか。 4,インクルーシブの視点 私たちは、生徒が学校卒業後もより良く生きるために、自分らしく社会の中で自分を発揮できる 力をつけてやりたいと願って実践している。そのうちの一つが就職についても「卒業時点で職に就 けること」だけではなく、 「ゆっくりじっくり働く力をつけながら、働き続けられること」が大事だ と考えている。それは、つまずきながらも仲間の援助を受けて何度も自分の道を選び直し、自分の 人生の主人公としてたくましく生きている卒業生の姿から学んだ。 高等部教育の目的は、生徒の全人格的な発達を目指し、障害があっても輝く青年期を保障するこ とにある。その視点に立って、学校や生徒のニーズに合った教育課程や教育内容の充実を、地道に 積み上げていこうとしている。 「第二次推進計画」に基づいてこの2年間進められてきた施策は、私 たちが大事にしてきた教育観との間に軋轢を生じさせ、現場の負担にもなっている。特別支援学校 の高等部教育が大きな岐路にさしかかっている今、求められているのは県下それぞれの地域と学校 の実情や生徒のニーズに合わせた人的・物的環境条件の改善と、教員による主体的な教育内容の創 造であろう。 障害者権利条約が批准され、28年度には障害者差別解消法も施行される。インクルーシブの理 念に基づいて、子ども達が能力を全面開花させるために必要な基礎的環境整備と合理的配慮を提供 することは、学校の責務である。 「就職率向上」を目的とすることは「社会に子どもを合わせる」適 応主義の傾向を強め、インクルーシブの理念に逆行することにはならないだろうか。また、インク ルーシブの基本理念である多様性の視点から子ども達の社会参加の方法を探ると、高校卒業後の学 びの場も当然求められるはずである。 社会の不安定さが増している今だからこそ、生徒が受け身でなく「発達する権利を持つ主体者」 として仲間と共に生き生きと学びあえる高等部実践を、職員集団で民主的な議論を重ねながら創造 していきたいと考えるものである。 参考資料 全障研第46回全国大会(広島)基調報告 木村宣孝・菊池一文 国立特別支援教育総合研究所研究紀要 荒川智・越野和之「インクルーシブ教育の本質を探る」
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