神戸三田 - 住宅生産振興財団

“神戸三田”国際公園都市
有名住宅地その後
カルチャータウン ワシントン村(兵庫県三田市)
日米経済交流と文化交流から生まれた住宅地
関西大学工学部建築学科教授
江川直樹
1.‘‘神戸三田”国際公園都市
ニュータウンや千葉ニュータウンが、
昭和30(1955)年代後半は、大都
で、阪神地域の建設必要戸数は、
大阪では千里ニュータウンについで
市圏の既成市街地での工場等の立地
1980年までに、518,000戸と膨大な
泉北ニュータウンなど大規模開発構
を制限する法律の制定に併せて、工
見込みであった。
想が次々と事業化されたが、そのほ
場や住宅の宅地不足に対応するため
1958年大阪府は、1,160haの千里
とんどは既成市街地から離れた独立
の開発関連法が次々と制定され、全
ニュータウン開発に着手。これは用
的な“住宅市街地”の開発であった。
国の主要都市部の多くで、大規模ニ
地をすべて買収する「一団地の住宅
さんだ
これに対し、“神戸三田”国際公
ュータウン開発への取り組みが始ま
経営」事業として着手されたが、用
園都市(三田市に属する北摂三田
った。
地取得が困難であった。これを機に
NTと神戸市北区に属する六甲北
兵庫県でも、全国総合開発計画
して、住宅宅地供給の大規模な開発
NT)の開発構想は、つくば研究学
(1962、旧事総)の策定や近畿圏整
事業を土地収用のできる公共事業と
園都市のように住宅地区と他の地区
備法の制定、播磨臨海部の工業整備
して推進する「新住宅市街地開発法」
(工業地区)を組み合わせ、さらに
特別地域の指定などを受けて、昭和
が、1963年に制定された。
既成市街地の副次的発展を段階的に
41年に県の長期ビジョンとしての
これによって、首都圏では南多摩
図るExpanded Townの発想のもと
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に組み立てられた。
「県勢振興計画」が策定された。同
年中にこの計画にもとつく当面5ヵ
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する住宅建設5ヵ年検討資料のなか
年聞の実施計画もまとめられ、「阪
田
具体化」を図るとされて、1966年に
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都市は、国際港都神戸から25km圏、
誰
“北山地域”の開発調査が行われる
ことになった。1966年度を初年度と
2,000haの丘陵帯に展開するこの新
藁
神近郊地域での計画的市街地開発の
北神戸から三田市に広がる約
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図1“神戸三田”国際公園都市位置図
124
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図2 カルチャータウン位置図
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写真1無電柱化されたワシントン村の街並み
日本の商都大阪から35km圏という
クラスターのうち、フラワータウン
な試みがなされ、高級感あふれる美
好立地にあって、居住性の高い都市
とカルチャータウン、ウッディタウ
しい街並みが形成されていると評さ
空間を中核に、教育と文化が融合し
ンが新住宅市街地開発事業であり、
れている(写真1、2)。
た生涯学習機能、西日本の産業活力
テクノパークは工業団地造成事業、
159haの地区面積に対し、都市計
が集結した情報・文化の発信機能、
他は特定土地区画整理事業である。
画決定時の2住区16,000人の計画は、
技術開発の拠点になる高度産業機能
前2事業を兵庫県が、残りの6事業
1986年の第5回都市計画変更で1住
という4つの開発コンセプトを基調
は住宅・都市整備公団(現・都市再
区6,000人目学園地区の設定と大幅
にした新しいタイプの複合機能都市
生機構)が事業主体である。
な見直しが行われた。1982年「北摂
をめざし、フラワータウン、ウッデ
フラワータウンとカルチャータウ
ニュータウン学園構想」にもとづき、
ィタウン、カルチャータウン、テク
ンに関して、兵庫県は1971年の12
関西学院大学のカルチャータウンへ
ノパーク、藤原台、神戸リサーチパ
月に事業認可を受け、当初の事業期
の進出が表明されたことから、地区
ーク(3地区)という個性豊かな8つ
間は1980年までの9年間であったが、
の北半分が学園地区として設定され
のクラスターで構成されている。近
延長の事業認可変更を行っている。
たのである。住宅地についても、
年の住宅・宅地需要の変化に伴い、
“神戸三田”国際公園都市の中央
1988年に兵庫県の姉妹州であるワシ
当初の都市計画決定(1970.12)時
に位置するフラワータウンは、他地
ントン州との間でワシントン村プロ
から計画人口の低減と戸建て住宅用
区に比べ最も早く開発が行われ、
地の拡大、これに伴う住区構成の変
1982年の街開きから20年以上を経
更などが行われているが、1994年時
て、ほぼ終盤を迎えつつある。これ
点で、約14万人の計画人口が見込ま
に対して、カルチャータウンの開発
れている(図1、2)。
は、フラワータウンの分譲のメドが
たってからとされていたため、街開
2.全域無電柱化された
カルチャータウン
“神戸三田”国際公園都市の8つの
きは1992年となった。そういった開
発経緯を経て、カルチャータウンで
は全域無電柱化に代表される積極的
写真2南側エリアの街並み景観 %・朗㎝0
家とまちなみ50<2004.9>
125
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3.ワシントン村誕生の背景
現地建築家、現地在住日本人ランド
スケープアーキテクトなど)が中心
1987年当時、貿易赤字が続いてい
たアメリカでは、日本の外国製品に
となって原案の策定にあたることに
なった。
対する輸入規制に対し、いわゆる日
建設に関しては、土地基盤の整備
本たたき“ジャパン・パッシング”
は兵庫県が、住宅建設については、
の風が吹き荒れた。こうした時代背
兵庫村は兵庫県住宅供給公社と兵庫
景のなかで、兵庫県は、かねてから
県木材業協同組合連合会、加えて、
姉妹提携をもって文化交流を図って
住宅性能保証制度を扱う(財)兵庫県
きたアメリカ・ワシントン州との間
住宅建築業総合センター会員が行い、
で、地方レベルでの経済交流の促進
ワシントン村は、2x4工法の施工経
が出来ないかの協議を行った。
験のある兵庫ツーバイフォー協会会
ちょうど、カルチャータウンでは、
員で構成する「ワシントン村共同企
関西学院大学のキャンパス進出が決
業体」(ワシントン村・JV)が資材
定し、本格的造成工事に着手した段
の直輸入から建設まで行うという官
階で、大学が設置する学園ゾーンの
民連携の役割分担となった。
整備に合わせて、住宅地も個性とゆ
事業の推進は、兵庫村は県公社が
ジェクトが決定され、兵庫村・ワシ
とりあるまちとするべく計画が練ら
住宅建設団体の取りまとめを、ワシ
ントン村の計画づくりが行われるこ
れていたところであった。こうした
ントン村については、実務関係者で
とになった(図3)。
背景から、兵庫県とワシントン州の
構成する“ワシントン村事業推進連
当初、北斗中央、北摂南、北国西
両知事は、ワシントン州からの「輸
絡協議会”があたることにした。
と呼ばれていた地区名も、JR福知山
入住宅」による「ワシントン村」の
ワシントン村事業推進連絡協議会
線の新三田駅開設、電化等の基盤整
建設を発意した。
は、兵庫県と(社)日本ツーバイフォ
備に合わせた1987年の北野中央地区
この北米の住文化の輸入に並行し
ー協会およびワシントン村JVに加
の街開きに際し、それぞれ、ウッデ
て、兵庫県産材による水準の高い街
え、ワシントン州側からはワシント
ィタウン、フラワータウン、そして
(兵庫村)も同時に建設し、日米の
ン州職員と州の推薦する技術者、さ
学園都市としてのカルチャータウン
住文化の交流を図ろうとの方針で、
らに州内の公有森林を管理するエバ
といった名称に変えられた。
“兵庫村・ワシントン村”プロジェ
ーグリーン・パートナーシップ(EGPS)
クトがスタート、1988年5月、議定
の代表者で構成された。
書が交わされたのであった。
ワシントン村の分譲については、
図3 カルチャータウン土地利用図
そういった背景のカルチャータウ
ンということもあり、街全体を広が
りのある街並み、豊かな緑、格調あ
住宅は住宅建設業者(団体)、土地
る美しい街並みとするため、関西電
4.ワシントン村の事業システム
力等との協議を経て、全域無電柱化
兵庫村・ワシントン村の計画は、
が実現された。将来にわたってこの
兵庫県とワシントン州で組織する、
環境を維持していくため、すべての
兵庫県ワシントン州経済交流委員会
5.ワシントン村セミナー
戸建て分譲地の一部に地上権が設定
が全般的な責任を持ちプロジェクト
ワシントン村は、ゆとりある新し
され、エネルギー供給、給排水、通
の骨格を定め、この委員会の承認の
い住文化の創造を目指して、アメリ
信、情報伝達媒体等の設備が専用宅
もとに、兵庫県とワシントン州の推
カの住文化を学ぶプロジェクトであ
地内の;地中に埋設されている。
薦する技術者による「兵庫村・ワシ
ると位置づけられた。設計はもちろ
ントン村計画委員会」(座長=三村
ん、施工上の技術習得も含めて、で
浩史京大教授、ワシントン州職員、
きるだけ現地のものの全体を直接輸
12 u家とまちなみ50 は県、という共同分譲方式が採用さ
れた。
膿綴欝灘叢犠熱黛の後
下することが目標とされ、1989年に
部会に分かれて、反省と展望が話し
1,000㎡あれば曲線を持った開発が、
はワシントン州から数名の技術者の
合われた。
それ以下になれば整形な開発になる
と言われていた。
派遣を受け、フラワータウン内にモ
6.ワシントン村の
住宅地・住宅計画
ワシントン村の計画は、当初、近
解決とともに独自の住文化の創造・
アメリカの郊外型住宅地開発の基
として、約10haが設定されていた。
育成に役立てようと、第1期(55戸)
本は、自然地形をなぞった邸宅の開
当時の計画戸数は200戸、宅地面積
を対象として、計画段階、建設段階、
発であった。現在でもアメリカン・
が平均500㎡。単純にグロスで計算
デル住宅の建設を行っている。
また、輸入住宅についての課題の
隣公園の南側に、ひとつのかたまり
完成(入居)段階のそれぞれで、設
ドリームと呼ばれる宅地開発の形状
して8戸/エーカーで、シアトル近
計者。資材の送り手、建設者、住み
は、ラージロット(大型宅地)にラ
郊での開発にあてはめると、中密度
手等関係者が情報交換するセミナー
ージハウス(大型住宅)を建てると
開発ということになり、集合住宅や
を3年連続で公開開催している。
いうもので、土地面積は1,000㎡か
中層の建物をいれて初めて成立する
第1期の55戸が工事中の1991年9
ら4,000、5,000㎡のエーカーロット
密度であった。しかも、計画がスタ
月に行われた第1回セミナーには、
と呼ばれるものまである。
ートした段階では、敷地は第1次造
ワシントン州、兵庫県両知事も出席
しかし、最近では、自然保護、保
成が終わっており、何もない真っ平
し、米国式の木造住宅、ワシントン
全の要求や敷地内におけるアメニテ
らな土;地があるという状況であった。
村の計画概要、景観計画、住宅デザ
ィ、リゾート、リクリエーションの
ここでは、自然条件の豊かなワシン
イン、米国の木材の種類や規格、ワ
向上といった観点から、このアメリ
トン村は無理であるということから、
シントン村における米国建材の選定
カン・ドリームを達成することは厳
変更提案がされ、これに兵庫県は柔
方法、ワシントン州の木材関連産業
しくなってきている。
軟に対応したとされている。
や職能訓練、などが350名を越す参
こうした要素を住宅地開発の中に
具体には、計画地の位置を近隣公
加者に詳細に報告された。
入れ、1900年初期には、すでにオル
園の南側にひとかたまりではなく、
入居(92年3月)後半年あまりを
ステッドの手によるイリノイ州リバ
その南北に配置すること。かつ、
経た1992年U月の第2回セミナー
ーサイドの住宅地開発に見られるよ
10haのなかに200戸の配置はどう検
では、居住者アンケートの結果報告、
うな、非常にアメニティ豊かな、自
討しても無理なので、その条件では
アメリカにおける街並み管理手法の
然と共生したような開発が行われ、
ワシントン村の道路景観を中心とし
事例報告や資材輸入の要領などが報
いわゆるラドバーンで知られるクラ
たような開発は不可能であり、最終
告され、その後、居住者代表も交え
スタード・ディベロップメントの手法と
的には計画戸数170戸、敷地面積も
て、ワシントン村の環境の維持・管
なった。この方法が発展して、ブラン
少し増やして、6戸/エーカーのレ
理、増改築、植栽変更への対応など
ド・ユニット・ディベロップメント(PUD)
ベルとすることが承認された。
の方向性についてディスカッション
という形になり、1970年から1980
計画の基本方針は、1)芝生・植
が行われた。住文化の輸入という夢
年にかけて、アメリカのある一定規
栽を中心とした道路景観をつくり出
と現実との狭間で起こるさまざまな
模以上の住宅地開発における先駆的
すこと、2)道路の線形として、2次
問題や、街並み・住ま.いに対する価
な開発形態となっている。このクラ
元的にも3次元的にも、変化のある
値観の違いなどについて、学習、討
スタード・ディベロップメントが、ワシン
ものを導入すること、3)道路設計
論がされた。
トン村の基調となっている(図4)。
において、通過交通を出来るだけ制
さらに1年後の1993年10月には、
アメリカでも、住宅地の供給が厳
限すること。そのことが、センス・
計画に携わった日米の関係者、建材
しくなっている現実に対応して、宅
オブ・ネイバーフット、コミュニテ
を輸出したワシントン州のメーカー
地規模の低下現象がおこり、クラス
ィ・フォーメーションに大きな影響
や施工に携わった関係会社、居住者
タード内の宅地割りも効率性を追求
力を持つこと、とされ、クルドサッ
代表などが集まり、計画部会、施工
した整形になってきて、宅地面積が
クと併せて住区幹線沿いは奥深い宅
家とまちなみ50㎜9>
P127
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魍鋸欝 リク
國コミュニティ施設等
2戸1
ロ計画区域
図4 ワシントン村の構成
写真3
ビレッジセンターのある北側ブロックのまちなみ
地にすることで解決を図っている。
シアトルでは、スキマティック、デ
に1.5mの植栽帯(高木)と片側に
そのうえで、ワシントン州では当た
ザイン、コンストラクションの3つ
1.5mの歩道を設け、細街路は両側に
り前とされる無電柱化が議論された
の設計段階を持ち、設計料でいえば、
1.5m、フットパスは両側に1mの植
(図5)。
それぞれ、15%、50%、35%という
栽帯をそれぞれ設けている。ゲート
設計に関しては、基本設計と実施
割合であることなども紹介された。
部分(幅員22.5m)の構成は、車道
設計のあいだに、緑化修景計画、住
そういう経緯を経て、緩やかな曲
3.4m、中央植栽帯3m、歩道3mの
宅設計基準という2つの要素を持つ
線の広幅員道路、ゆとりのある宅地
構成となっている。
ステップが設けられた。詳細基本設
規模(平均480㎡)、大型住戸(200㎡
住宅に関しても、基本的にはワシ
計とでも呼ぶ内容である。ちなみに、
前後)、十分なセットバック距離(3
ントン州のものをそのまま持ってく
/
益、 臨穰
騨秘、.、灘 暴
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図5 クルドサック周りの詳細
128
i家とまちなみ50<2004.9>
∼6m)、緩やかなスロ
ることが基本ではあるが、法規など
ープ造成、垣根のない
の理由でいくつかの相違点がある。
芝生を中心とした外構
まず、グランドラインから基礎の上
デザイン、道路と宅地
部までの高さの基準が、向こうでは
(フロントヤード)を
150mmでよいが、日本では1フィー
一体とした緑地設計、
ト以上必要で、玄関に入るまでにス
等による特色ある景観
テップの段差が必要になり、かつ、
の住宅地、ワシントン
上下足に対応した特殊なデザインに
村が出現した(写真3)。
なっている。浴室トイレは、日本式
道路幅員は、街区内
に修正した形とし、間取りもオープ
道路が11m、細街路
ンな志向の強い米式と日本の住宅購
が10m、フットパスが
入者の嗜好をミックスさせている。
4∼61n。断面構成は、
外壁は、ウッドサイディングは使っ
コレクター道路が両側
ていない。サッシはペアガラスの木
検畿1欝磁二二漁その後
製(アルミでカバー)サッシ。キッ
緑化ゾーンのない宅地(1ヶ所)も
空き区画が発生した状況となった。
チンキャビネットは日本での対応が
同額である。別途自治会があり、こ
平成13年3月末現在で、カルチャ
可能なもの、2階浴室はハーフユニ
ちらは自由参加で、会費は年間6,000
ータウン全体で、計画戸数1,600戸
ットとしている。その他、車2台が
円。初期入居時より安くなっている。
のうち、ほぼ5割程度の816戸が処
収容できる屋内ガレージの設置が、
未加入者もいるということである。
分済みであるが、このうち600戸が
中高層住宅であり、戸建て住宅に限
景観的に大きな特色となっている。
8.ワシントン村の宅地処分状況
ると216戸にすぎない。宅地面積の
ワシントン村は1991年11月に55
広い高額物件ということもあって、
戸の分譲を開始、1億円を越す価格
バブル崩壊後の厳しい環境の下で、
全域無電柱化されたカルチャータ
のものも出現し、話題を呼んだが、
ほとんど処分が出来ていないのが実
ウンであるが、ワシントン州でも、
応募数650件(11.8倍)という高人
情だ。
地下埋設設備は、道路下が一般的で
気であった。同時に分譲された兵庫
ワシントン村に関しても、1992年
ある。しかし、イニシャルおよび維
村(平均宅地面積、約350㎡)は、
の2期以後、募集は行われてこなか
持管理、改修のコスト、手間を考え、
兵庫県住宅供給公社の分譲が45戸
った。1/170戸の共同管理を前提
ここでは、道路沿いの宅地内に緑化
(12.5倍)、兵庫県による民間建物付
に計画をフィックスさせてしまった
ゾーンを設定し、地上権(99年)を
宅地分譲が45戸(8.2倍)と、こち
ために、敷地の細分化が図れないこ
設定してその地中に埋設設備を収め
らも高人気であった。また、同年に
とが原因とされている。ようやく今
る形を採用している(図6、写真4)。
は中高層集合住宅(リフォレ)600
年、2004年7月になってワシントン
緑の管理は、管理組合が業者に委託
戸の募集も行われている。ワシント
軍楽3期と銘打ち、建物付宅地分譲
しているが、宅地内の緑化ゾーンは
ン村、兵庫村とも、翌1992年3月に
11件、宅地分譲(建築条件付)5宅
共同管理領域ではあるものの、実際
入居が開始された。
地が売り出されたものの、売れ行き
の植栽の管理は住民が行っている。
引き続き1992年11月には、第2
は芳しくない。とくに、建物付分譲
もっとも、斜面の手入れはむずかし
期として27戸の募集が行われ、57件
は、価格を押さえるために建物は小
いので、住民も業者に委託している
(2.1倍)の応募を得たが、同時に行
規模となり、ガレージもほとんどが
場合が多い。
われた兵庫村ともども、結果的には
1台分に縮小され、サッシもアルミ
7.地上権設定による無電柱化と
維持管理
緑化ゾーンの夏場の水撒きは、共
同管理の関町で行われている。ワシ
ントン村では、街区内の住宅の所有
竃’
:.磁
5饗 ∵∴.灘 髭
者全員が、コミュニティ活動の拠点と
なるヴィレッジセン雪山を共有(170戸)
し、「建物の区分所有等に関する法
律」にもとつく管理組合員となり、
.轟轟編臨J
管理組合員の支払う費用は、月1万
円で、初期入居時から変わっていな
い。緑化ゾーンの面積には関係なく、
一一ゴ灘.・難懸翻懇聯
界
竈地 境界
畷
馳
図轡
響図
ゆ
璽力図
爵
宰直
歩遁 〔臨w
靴ゾーン 地中埋澱縄念図 縁化ソーン
図6 地上権の設定された地下埋設施設のある
緑化ゾーン
髄 暫
劉
.ン鋳
写真4道路添いの緑化ゾーンに面してベランダが付けられた住宅もある
%伽,o〈り
家とまちなみ50〈㎜>
P129
製になるなど、中途半端なものとな
生育すべき樹木は成育し、芝生もき
っており、ゆとりある住まい、住宅
れいにきちんと手入れされ、美しい
環境を求め、日米住まい文化交流と
住宅地景観を呈しているし、住民同
謳った当初の目標からは外れており、
士も仲がよく、出来上がってきたコ
この住宅地がこれまで築き、維持し
ミュニティの質は高そうだ(写真5)。
てきた全体環境価値をあげるものに
たまたまお住まいだった航空機のパ
はなりそうもないところがつらい。
イロットが、飛行中の眼下にこの特
したがって、宅地分譲も、そのよう
徴的な配置のわがまちを目にしたこ
な建物付宅地に隣接していることが、
とに端を発したというクリスマスの
マイナスに働いているように思える。
イルミネーションは、その美しさか
写真5道路沿いに開放的な芝生広場の広がる
クルドサックの景観
ら、地域を越えて有名になっている。
9.ワシントン村検証
管理組合の行事としてでなく、個人
そのことを考えるために、初期入
すでに述べてきたよ.うに、ワシン
個人のレベルで協調した行為として
居時からワシントン村にお住まいの
トン村は日米の県、州の経済交流事
のコミュニティ現象だ。そんな環境
人の話を伺うことにした。12年以上
業、文化交流事業として、ていねい
に住みたいと言って越してきた人も
もお住いの方だ(コラム)。要するに、
な計画、事業遂行がなされてきた。
いるそうである。
入居者はこの環境を楽しんでいるし、
かけられたエネルギーも相当なもの
このワシントン村に関しては、米
大切にしょうとしている。だから、
である。
文化の直輸入ということからだろう
平なお手入れされた環境が維持でき
それを受けた住民も、新しい住宅、
と考えられるさまざまな意見もある
ているのであろう。
住宅地環境から受ける新しい体験に
が、日本の住宅地形成の歴史の中で、
ワシントン村、およびその景観に
戸惑う部分もありながら、この住ま
生活史のなかで、あるいは地域景観
対する否定的な意見は、都市郊外の
い方を自分たちのものにして、楽し
といった視点から、どのような評価
住宅地開発で建設された分譲住宅に
んでいる。出来上がっている環境も、
がなされるべきなのだろうか。
おける、メディアを通したイメージ
コラム/居住者インタビュー(開発時から居住するご夫婦。現在は娘美婦と二世代で住む)
一以前はどこにお住いでしたか?
っちにいくと圧迫感を感じます。
堺の浜寺です。200坪ほどの敷地でした。
一塀がないのは気になりませんか?
ちるので落ちても腹が立ちません。むしろ、掃
一お引越しの理由は?
内外の開放感がいいですね。外からは意外
かないでそのまま置いて欲しいぐらいです。
募集中に拝見して、変わっているなあと感じ
に中のことがわかりにくいのですよ。オープン
ました。こんな住宅地は他にない。他の住宅
なほうが安全だし、泥棒も入りにくいみたい。
一洗濯物はどこに干しますか?
地も見て廻りましたが、窮屈で、ここは開放感
でも、軒や庇が日本の家にしては少ないし、雨
2階のテラスに干すので道からはほとんど見
のあるのが良かったですね。
戸もないので、台風のときはさすがに心配しま
えません。布団の干し場がないのが少し残念
した。最近では、オーニングの設置が管理組
です挑
一12年住んでこられて、感想はいかがですか?
合で認められました。
ええなあ、と思っています。静かだし空気も
一ご近所とのお付き合いは盛んですか?
良い。宅地はもっと広いほうがさらに良いけど。
一管理組合ではどのような活動が行われてい
同じ意識の人同士で、うまく行っています。
庭が狭いのがちょっと。開放感がありますし、
ますか?
入居隠しばらくして、いろいろと家の不具合が
電信柱のないのも良い。住環境としての住み
最初は疑問に思うところもありました。一体
出て、少しモメましたが、県が間に入ってくれて
こごちは最高です。確かに手はかかるけど、空
誰が世話をするのかと。でも、この住環境全体
解決できました。今ではときどき、近所でBBQ
間は豊かですb結構広いけど1階には扉があり
が財産だということを認識してもらうためにも、
をやりますよ。近所の方々と一緒に外国旅行
ません(アルコーブ状に部屋が区画されている。)
やっぱり必要だと思うようになってきました。ロ
に行ったり、カルチャータウン全体の倶楽部も
娘夫婦が転勤でこちらに来ることになり、少
だけでなく、みんなで参加する機会を増やすた
できて参加しています。せっかくこんな良いと
し増築もしました。1階にはちょっとした畳の部
め、自治会長は任期1年になっています。管理
ころに越してきたんだから、みんな仲良くしま
屋もつくりました。もちろん、管理組合に図面
組合の単位は小さいほうが良いですね。
を出して確認をもらっています。うちは脇に余
130
リの木は、黄色くきたなくなって葉が落ちるの
で好きではないです。アメリカ楓は赤いまま落
裕があったのが良かったですね。以前住んで
一植栽の手入れはどうなされていますか?
いた所ではさほど気にしませんでしたが、今あ
いろいろな種類の木があるのが良いですが1ユ
家とまちなみ50<2004.9>
しょうという感じですね。すぐ、パーティも開け
ます。クリスマスのイルミネーションは見物客
が多くて困るほどですが』
検謹轡名盤擁蜘そ⑳後
操作による住宅購入の代表例(注1)
なのかもしれない。
にされることであるように思える。
ワシントン村は、確かにこれが日
「ワシントン村におけるような地名
本かというような違和感もなくはな
「ワシントン村セミナーの記録』ワシン
の書き込みと抹消は、開発に際して
いが、それは庶民住宅としての違和
『“神戸三田”国際公園都市 まちづく
この土地に存在していた場の歴史
感かもしれない。塀のない環境は、
り30年の記録』兵庫県県土整備部まち
づくり局新都市建設課他、2001
的・社会的な実在性を、実際の土地
逆に見られているようで、通り抜け
『管理組合規約・協定・細則集』学園ワ
シントン村街区管理組合、
の用途や形状の改変とともに消し去
など出来ないゲイテッド・コミュニ
り、そこに新たな意味や概念性を与
ティを意識させるという意見もある。
え、新しいリアリティを付与してい
それが地域の財産なのだろうかとい
くという、現代の郊外開発における土
う意見もあるが、「出来たときは少
地空聞と社会との関係の変更や更新
し変に思ったけれど、12年も経って、
の操作を典型的に示している」(注2)
住んでいる人が、自分だけがよけれ
しかし、経緯を知る限り、そうと
ばいいというのではなく、みんなで
もいえない開発の背景があり、目標
住宅環境の全体を愛し、維持してい
がある。日頃、身近にこの環境にi接
るのだから、良いのではないか」と
している有識者の意見も聞いてみた。
いう感想も多い。しかも、既成市街
同じカルチャータウン内にある関西
地でもなく、ニュータウンでも周辺
学院大学総合政策学部の教授の意見
と断絶するような風景を形成してい
である。
るわけでもなく、景観的配慮の中で
「いいじゃない。ハイカラだよね。
の話であるのだから、良いではない
…… ナも、今売り出している3期は
かというわけである。
ダメだよ。あれはワシントン村じゃ
「私は、人類社会の進歩は、異なる
あないもの」
文化と文化の交流にあると思います。
なるほど、ハイカラか。ハイカラ
東西文化の交流によって、新しい文
という言葉を聞くと、われわれは神
化を生む事例のひとつになると確信
戸の町を思い浮かべる。居留地、異
しています」
人館、深江文化村……。
ミナーで述べた言葉である。それに
地に田園調布がある。エベネザー・
つけても残念なのは、計画された170
ハワードの田園都市に影響された田
戸の半数ほどしか実現していないこ
園調布は、優れて計画的に開発され
とである。残りの敷地に関しても、
たが高級住宅街として発展し、確か
当初の目標どおりのゆったりとした
に庶民生活の場とはならなかった。
街並み、家づくりが完遂され、将来、
しかし、質の良い、あこがれの住宅
郷愁感を誘うほどの歴史的住宅地と
地として定着している。一方、質の
して評価される舞台になることを期
高い西欧風建築は、現代人にとって
待したい。
っているという事実もある。ハイカ
ラという言葉は、進取の精神が風土
トン村セミナー実行委員会、1994
注1)出村洋二「都市景観形成における伝
統と創造」『大垣女子短期大学研究紀要』
41号、2000
注2)若林幹夫『イメージのなかの生活 情
報社会の文化2』東京大学出版会 1998
当時の兵庫県知事、貝原俊民がセ
外国に学習し、影響を受けた住宅
は郷愁を誘う伝統的景観の一部にな
参考文献
住宅生産振興財団編『日本のコモンとボ
ンエルフ』日経新聞社、2001
江川直樹(えがわ・なおき)
1951年三重県生まれ。早稲田大学建築学科、
同大学院修士課程修了。1977年(株)現代計
画研究所入社。1982年同大阪事務所開設、大
阪事務所代表。2004年より関西大学工学部建
築学科教授。2001年度日本都市計画学会賞
に違和感なく受け入れられたときに、
(計画設計賞)、1999年度日本建築士会連合会
賞(作品賞)。主著:『住まいと街の仕掛人』
賛同の気持ちを伴って生まれる言葉
など。
家とまちなみ50〈20049>
P131