第一部 研究論文 訓 蒙 図 彙 と 祐 信 春 本・絵 本 ―『 色 ひ い な 形 』か ら『 百 人 女 郎 品 定 』ま で 石上阿希 いしがみ あき 71 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで はじめに 西川祐信の春本、絵本の特色の一つに網羅主義的趣向が挙げら れる。祐信は、あらゆる階層の人々の性生活や着物、風俗をこれ 一、春本『色ひいな形』と 『 情 ひ な 形 』 宝 永 七 年( 一 七 一 〇 ) 七 月 刊 行 の『 野 白 内 証 鑑 』 の 四 巻 巻 末 に 職業を分類し、詳細に描写している。本書に見られる網羅主義に であろう。本書は、書名の通り、女性にまつわる百種類の身分や 字 屋 か ら 刊 行 さ れ た 『 百 人 女 郎 品 定 』( 享 保 八 年 〈 一 七 二 三 〉 刊 ) 并ニ上は色と情の染分裾は思ひの遠山 染 ヲ作り戯画の板行追付出来それゆへ書印シ候 大和絵師 ▲何れ茂様へ申上まする も ついて、山本ゆかり氏は享保期における百科事典の編纂・刊行の 風流色雛形 全部五巻 いづ は『風流色雛形』という春本について、次のような広告が載る 。 隆 盛 と の 関 連 を 指 摘 し 、 白 倉 敬 彦 氏 は 同 趣 向 が 春 本『 色 ひ い な 付リ睦語は尽ぬ百品染に心の移る色好み らの媒体で描き分けている。その代表的作品といえるのが、八文 形 』( 八 文 字 屋 、 宝 永 八 年 〈 一 七 一 一 〉 刊 ) や 『 艶 女 玉 簾 』( 享 保 御所風の浮世模様 たはふれゑ かみ ふうりういろひいながた そめわけすそ しなぞめ うきよ も や う むつごと つき ごしよふう ねや ゆいが の こ くるわ ふ う しだし もやう とおやま ぞ め うつ いろごの ねまき もと しろ 広告中に「百品染に移る色好み」とあるように、八文字屋・祐 つかみぞめなかなお を 編 年 的 に 通 覧 し な が ら 、祐 信 と 八 文 字 屋 が「 あ ら ゆ る 階 層 の 人 々 で五巻構成としていたことがわかる。しかし、翌年二月に刊行さ で あ る が 、 こ の 時 点 で は 、「 御 所 風 」「 町 風 」「 曲 輪 風 」 の 三 種 類 信は様々な階層、あるいは職業の「色」を描こうとしていたよう へと結実させたのかを明らかにする。 を 描 く 」と い う 趣 向 を ど の よ う に 展 開 さ せ て い き 、『 百 人 女 郎 品 定 』 くぜつ 3 すけのぶ げ つく かんもん ひ し よ しゆかう 京西 川 祐 信 ニ 筆 の 命 毛 ヲ 尽 さ せ 肝 門 の 秘 書 珍 敷 趣 向 四年〈一七一九〉刊)にも見られることを指摘している 。 町風の当世模様 もやう 多く制作している。これらの春本や雛形本の版元は、主に八文字 付リ二人寝のぬれ衣透通る肌小袖 まちふう 付リ閨の結鹿子しめつけた寝巻小袖 屋であった。祐信や八文字屋が『色ひいな形』をはじめとした網 曲輪風の仕出シ模様 ぎぬ すきとを はだ 羅主義的作品を企画した背景には、どのような時代背景があった 付リ口舌の抓染中直りは本の白小袖 ふたり ね のだろうか。本稿では、同時代性を踏まえつつ、それらの作品群 祐信は『百人女郎品定』以前に、雛形本でも網羅主義的作品を 2 1 第1部 研究論文 72 職風」の五巻であり、 「 百 品 染 」 の 言 葉 通 り 、あ ら ゆ る 階 層 の 人 々 れ た 『 色 ひ い な 形 』 は 、「 御 所 風 」「 侍 風 」「 百 性 風 」「 町 風 」「 商 で、各階層の生活を描いた絵を囲んで階層に因んだ絵が配されて 丁があり、巻五は巻末に広告と奥付一丁がある。扉絵は片面半丁 ( 見 開 き 十 二 図 )、 本 文 第 二 話 と な っ て い る 。 巻 一 は 、 冒 頭 に 序 一 せかい い。序文には次のように書かれる 。 ならは まな きか しる ただし、本書はただ単に各階層の性風俗を羅列したわけではな いる。 の性を描き分けている。 本 書 は、 享 保 七 年( 一 七 二 九 ) の 取 締 以 前 の 刊 行 で あ る た め、 刊年や版元、作者名などが明記されている。序文には「作者八文 字 自 笑 」 と あ る が 、 後 に 江 島 其 磧 自 身 が 『 役 者 目 利 講 』( 正 徳 二 つり よ ぎ したぶし むしろ 此 世 界 へ に よ つ と む ま れ 出 て。 習 ず し て 学 び 聞 ず し て 知 は しよさ こん げん 年〈一七一二〉四月巻刊)で暴露したように、実際の作者は其磧 色 の 道 。 是 人 間 娯 し み の 根 元 。( 中 略 ) 釣 夜 着 の 下 臥 も 。 莚 身分や職業、衣裳や調度品は違えども、色の道の楽しみは同じ にんげんたの で あ る 。 た だ し、 本 文 と 絵 は 関 連 し て お ら ず、 そ れ ぞ れ が 独 立 屏風の透間の風の。ふはつく所作はおなじいきかた。 版型は横本で、左右に幅広く開かれる絵には、中心となる男女 であり、その振る舞いはみな同じやり方なのだと述べている。本 「ふはつく所作はおなじいきかた」というような描写も見られる。 だけではなく、彼らをめぐる人々や屋敷の中の様子、調度品、風 階級毎に分けられた巻構成は、公家から侍、百性、町人、商人 例 え ば 、「 御 所 風 」 の 内 の 「 つ ぼ ね の 悪 性 」 で は 、 公 家 の 男 が 、 書では、様々な人物が様々な状況で性を楽しんでいるが、まさに と、当時の階級に基づいて、高位の社会から低位の社会へと展開 御 屋 敷 の 中 で 恋 慕 を 抱 い た 女 性 と 二 人 き り に な る 機 会 を 逃 さ ず、 景などが事細かに描き込まれている。 びやうぶ すき ま したものとなっている。 5 している。各巻の構成は同じで、目録、本文第一話、扉絵、挿絵 71 (『 上 方 風 俗 画 の 研 究 西 川 祐 信・月 岡 雪 鼎 を 中 心 に 』所 収 、藝 華 書 院 、二 〇 〇 九 年 ) *1 山 * 本 ゆ か り「 故 実 と 絵 本・美 人 画 ― 多 田 南 嶺 と の 共 同 制 作 」 *2 白 * 倉 敬 彦 「 西 川 祐 信 の 描 い た 春 画 の 女 」(「 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 」 ─ 号 、至 文 堂 、二 〇 〇 六 年 十 二 月 )。 な お 『 艶 女 玉 簾 』 と 『 妻 愛 色 双 六 』 の関係については注( )参照。 *3 本 * 文 は 国 会 図 書 館 蔵 本 ( 京 ─三 四 〇 ) に 拠 る 。 15 12 *4 中 * 嶋 隆 「『 色 ひ い な 形 』 と 祐 信 画 三 巻 本 」(「 学 術 研 究 国 語 ・ 国 文 学 編 」 号 、 早 稲 田 大 学 教 育 学 部 、 二 〇 〇 〇 年 二 月 ) *5 本 * 文 は 、 太 平 主 人 校 訂 解 説 『 墨 摺 笑 本 選 四 色 ひ い な 形 』( 太 平 書 屋 、 二 〇 一 〇 年 ) に 拠 る 。 73 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 4 * * * * * 48 慌ただしく思いを遂げている。画面左には、それをふと覗いてし まい、うらやましがる女が描かれている。 一 方 、「 商 職 風 」 の 「 は り 物 や 仕 合 男 」 で は 、 張 り 物 屋 の 裏 庭 が描かれている。張り物屋とは、洗濯した布あるいは染め物をし た 布 を 竹 製 の 道 具 を 用 い て 伸 ば す 職 業 で あ る。 張 り 物 屋 の 男 と、 この家の主人の姪とが木や打ち張った布に隠れながら逢瀬を楽し んでいるが、それを隣の酒屋の二階から娘が覗いてやはりうらや ましがっている。 当然ながら、ここに描かれた情景は、実際に江戸の社会で行わ れていた出来事をそのまま写したものではない。しかし、身分や 社会の異なる人間でも、人目を忍びつつ性を楽しむ心情や、また そ れ を 羨 ま し が る 心 情 を 、「 お な じ い き か た 」 と し て 描 こ う と し たところに本書の一つの狙いがあったのではないだろうか。 『 色 ひ い な 形 』 五 巻 巻 末 に は 、『 情 ひ な 形 』 の 予 告 が 載 る 。 此色ひいな形、十巻の箱入にて出し申す筈に候へ共、板行延 うかれめ で げいこ 引ゆへ先五巻にて出し申候。残り五巻は追付出し申候。則げ だいは 情ひいな形 五巻 傾野 染分 (中略) けいせい 右之本当月中ニちがいなく出し申候 五巻の構成は、 「 傾 城 」「 遊 女 」「 出 女 」「 地 若 衆 」「 芸 子 」 と な っ て い る。 当 初 は 十 巻 セ ッ ト で 箱 に 入 れ て 刊 行 す る 予 定 だ っ た が、 ●上/図 1:西川祐信画『情ひな形』(立命館大学アート・リサーチセンター林美一コレクション蔵) ●下/図 2:西川祐信画『情ひな形』(中嶋隆氏蔵) 第1部 研究論文 74 て出し、残りの五巻を『情ひな形』として刊行することになった 制作に時間がかかっているので最初の五巻を『色ひいな形』とし め丁付や書名の確認はできない。 り、本来の状態を知ることは難しい。ノド部分は、綴合わせのた 見開き六図は全て、片面毎に異なった丁付の図を取り合わせてお ただし、この他に中嶋隆氏所蔵の一冊がある。中嶋本は、目録 と い う こ と を 伝 え て い る 。「 十 巻 の 箱 入 」 と し て 売 り 出 そ う と していたことからも、八文字屋がこの企画にどれだけ力を入れて 予告では当月中(宝永八年二月)に刊行することになっていた 挿絵の見開きは正しく合わされている。扉絵は林本と異なるもの 文「 抜 懺 悔 咄 の 口 切 を す る 局 女 郎 」五 丁 半 が 続 く 。林 本 と 異 な り 、 つぼね が 、 実 際 に は 翌 年 の 正 月 に 刊 行 さ れ た 。 予 告 に あ る よ う に 、『 情 で、巻名が明記されていないため不明である。ただし、林本の挿 ばなし ひな形』で描かれるのは全て売色の人々で、公許の遊郭から私娼 絵見開き六図の各片面は、第一図の右片面以外、全て中嶋本の挿 さんげ や挿絵前の本文はないが、扉絵半丁、挿絵見開き十一図の後、本 までとなっているはずであるが、管見の限りでは五巻のうち、一 絵と重なるため「遊女風」の巻と考えられる。 いたかがわかる。 巻しか所在がわかっておらず、全貌は不明である。 号( 一 九 八 一 年 ) 立命館大学アート・リサーチセンター林美一コレクションに所 蔵 さ れ て い る 一 冊 は 、 林 氏 が「 会 本 研 究 」 10 にわかめくら )、 扉 絵 半 丁 に は 「 遊 女 風 」 と あ り 、 さんげ ばなし つぼね 各図には匡郭外に画題があり、 中嶋本では「嶋原太夫位」 (図 ) 「さ ん 茶 遊 」「 新 町 天 神 」「 ぶ 礼 遊 び も ん さ く 」「 借 リ 女 郎 」「 朝 酒 の 名 残」 「床くぜつ」 「よこ切わふ」 「たなさがし」 「はし女郎茶屋遊」 「つ ぼね遊」と続く。ノド下部には「女郎 丁付」とある。 挿絵では、遊女の種類を細かく分類し、それぞれの遊び方や慣 ぬく 習 な ど を 描 き 分 け て い る。 出 女、 地 若 衆、 芸 子 の 巻 に つ い て は、 きやく 挿絵及び本文は「遊女風」の可能性が高い。本文は「序 太夫と ま ぶ 間 夫 と 客 の 目 を 抜 俄 盲 」六 丁 と「 抜 懺 悔 咄 の 口 切 を す る 局 女 郎 」 内容を推し量るしかないが、同様に詳細な分類と描写がなされて 一 丁 を 有 し て い る が( 図 2 7 四丁半の二つであるが、後者には落丁・欠丁がある。また、挿絵 1 *6 『* 色 ひ い な 形 』 の 予 告 か ら 実 際 の 刊 行 ま で の 流 れ に つ い て は 、 前 掲 注 ( 4 ) に 詳 し い 。 75 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 6 で紹介したものと同一本で、序文一丁及び「けいせい風」の目録 8 *7 序 * 文末に「正徳二年辰ノ新春」とある。 。 *8 資 * 料 番 号 hayE3-109 * * * 二、上方における い る の だ ろ う。 八 文 字 屋 と 祐 信 が『 色 ひ い な 形 』 と『 情 ひ な 形 』 で あ ら ゆ る 階 層、 あ ら ゆ 訓蒙図彙の系譜 網羅しようとしたことがわかる。 『 情 ひ な 形 』 に つ い て、 も う 一 つ 興 味 深 い の )。「 け い せ の だ ろ う か 。 次 に 、上 方 に お け る 網 羅 主 義 的 背景にはどのような出版界の動向があった い 風 」 と し て 雛 型 本 の よ う に、 着 物 の 模 様 が ぞめ の や み は 地 け ん ぼ う 人 の 目 を く ろ め る つ く り め く ら も や う は 思 は く に ひ つ た り と し だ やなぎ まり り 柳 に 鞠 は づ み の よ い 手 く だ 人 し れ ず[ カ ス なさけ レ 判 読 難 ] 情 は[ カ ス レ 判 読 難 ]」 と あ る。 傾 城 の 性 分 に ち な み、「 恋 の 闇 」 か ら 地 を 黒 色 に し、 遊 女 を 連 想 さ せ る し だ れ 柳 の 模 様 を 配 し て い る。 ま た、 そ の 枝 に か け た 手 鞠 に は「 は 系 化 す る、 い わ ゆ る 図 解 百 科 事 典 の 嚆 矢 は、 寛文六年(一六六六)に出版された中村惕斎 の『訓蒙図彙』と言われている。巻第一の天 文 か ら 始 ま り 、地 理 や 人 物 、衣 服 、器 用 、畜 獣 、 草花などで巻立てされている。 巻 第 四 は 人 物 で、 四 十 種 類 の 様 々 な 身 分、 )。 最 初 に 立 項 さ れ て い る の は「 公 」 職業の人々が名称と絵によって示されてい る( 図 同 じ く 四 十 種 類 の 職 業 が 収 録 さ れ て い る 。中 な ど の 異 国 人 が 描 か れ る 。 ま た 、附 録 と し て などが収録され、最後には、南蛮人や中国人 れぞれの人々が続き、医者や僧、娼婦や俳優 で、大臣の姿が描かれる。以降、士農工商そ 3 づ み の よ い 手 く だ 」 と、 手 管 の 上 手 さ が 重 ね ら れ て い る。 こ の よ う に、 人 物 の 職 業 に か け て 着 物 模 様 を 描 く と い う ス タ イ ル は、 後 述 す る 祐 信 の 雛 形 本 に 繋 が る も の で あ り、 こ の 時 点でその発想が萌芽していたことがわかる。 あらゆる事象をテキストとイメージで体 な作品の隆盛についてみていきたい。 は、 目 録 部 分 の 挿 絵 で あ る( 図 『 色 ひ い な 形 』、『 情 ひ な 形 』 が 企 画 さ れ た る 種 類 の 性 風 俗 を 分 類 し、 ラ ン ク 付 け を し て ●右/図 3:中村惕斎作『訓蒙図彙』(国立国会図書館蔵) ●左/図 4:吉田半兵衛作・画『好色訓蒙図彙』(国際日本文化研究センター) 描 か れ て い る。 文 に は「 太 夫 染 に し み つ く 恋 1 第1部 研究論文 76 空 想 の 人 物 を 描 い た 項 も み ら れ る。 巻 第 四 は、 多 様 な 身 分、 職 には、乞食の類を記載した箇所もあり、最後は長脚や長人など、 ら 始 ま る( 図 階級や職業毎の性風俗を描いており、最も位の高い公家の閨房か 嫁 な ど 売 色 業 の 様 々 が 立 項 さ れ て い る 。 ま た 、「 女 道 濡 界 」部 で は 、 )。 中 に は 、 扇 屋 や 糸 屋 、 帽 子 屋 な ど の 交 わ り も 業 を 高 位 か ら 最 下 層 ま で 分 類 し、 名 称 と 絵 で 示 し た、 ま さ に 人 描かれており、男女の背景に描き込まれた道具などから当時の職 「 器 財 」 で は、 化 粧 道 具 や 衣 服 の 他、 性 道 具 や 精 を 付 け る 食 物 物 百 科 事 典 と い え る 内 容 で あ る。 本 書 に は、 挿 絵 を 縮 小 し、 更 図 彙 』 と 、 更 に そ れ を 増 補 し た 寛 政 元 年 ( 一 七 八 九 )『 増 補 頭 書 な ど も 図 解 さ れ て お り 、『 訓 蒙 図 彙 』 で は 触 れ ら れ な か っ た 部 分 業風俗を知ることが出来る。 訓 蒙 大 成 』 が あ り、 長 年 に 亘 り 広 く 読 ま れ た 書 で あ る こ と が わ を補完しているとも言える 。 に 詳 細 な 注 釈 を 加 え た 元 禄 八 年( 一 六 九 五 ) 刊『 増 補 頭 書 訓 蒙 かる。 本書の影響は非常に大きく、これ以降は上方を中心に、様々な 「訓蒙図彙」ものや百科事典的出版物が刊行される。 翌年には『好色訓蒙図彙』の続編として、同じく吉田半兵衛作 画で『好色貝合』が出版される。序文に「僕去年其品々を図にあ 訓蒙図彙』である。書名が示すとおり、男女の性にまつわる事象 旅籠屋女など、色恋の様々な状況や売色に関わる人物が図解され は せ て 全 部 と な す 」 と あ る よ う に 、補 遺 的 な 内 容 で 、大 黒 や 間 夫 、 らはして、好色訓蒙図彙をつくる。今又もれしを集めて、是とあ を分類して図解し、注釈を加えている。作者、絵師ともに吉田半 10 絵 入 田半兵衛の作によるものと考えられており、図解百科事典の三部 また、貞享五年(一六八六)に刊行された『 人倫糸屑』も吉 ている。 しゆ だう い き ぢ か ひ 殿や奥様、大臣といった高位の人物の他、傾城太夫から湯女、惣 「人倫」部では、 財 」「 女 道 濡 界 」 の 七 部 に 分 か れ て い る 。 こ の 内 、 によだうぬれかひ 兵 衛 で あ る 。「 天 象 」「 地 儀 」「 人 倫 」「 人 支 」「 衆 道 意 気 智 界 」「 器 その一つが、貞享三年(一六八六)に京都で出版された『好色 9 *9 吉 * 田 幸 一 氏 は 、 好 色 品 々 の 図 解 と し て は 菱 川 師 宣 画 『 恋 の 品 枕 絵 』( 延 宝 五 年 〈 一 六 七 七 〉 刊 ) な ど を 参 考 に し て い る と 指 摘 し て い る (『 好 色 訓 蒙 図 彙 』 解 題 〈『 近 世 文 芸 資 料 第 十 好 色 物 草 子 集 複 製 ・ 解 説 』、 古 典 文 庫 、 一 九 六 八 年 〉)。 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー 蔵 の 『 恋 の 品 枕 絵 』( 資 料 番 号 一 四 〇 ) は 貼 込 帖 と な っ て お り 、 乱 丁 も あ る も の で 、 吉 田 氏 の 指 摘 し た 箇 所 に 該 当 す る 部 分 は 含 ま れ て い な い 。 ま た 、 吉 田 氏 は 同 解 題 に て 「 風 俗 、言 語 の 百 般 を 絵 と 注 解 に よ っ て 著 は す こ と に つ い て は 、や は り 師 宣 に 学 ぶ 点 が 多 か つ た と 考 へ る 」 と 述 べ て い る 。 77 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 4 *10 本*文 は 『 近 世 文 芸 資 料 第 好 色 物 草 子 集 本 文 ・ 索 引 』( 古 典 文 庫 、 一 九 六 八 年 ) に 拠 る 。 * * 作 と な っ て い る 。 た だ し 、 好 色 的 な 性 格 は 弱 ま り 、「 妾 狂 」、「 臆 の章には、様々な種類の女性を見開き一図におさめた図が添えら 元 禄 五 年( 一 六 九 二 ) に 出 版 さ れ た『 女 重 宝 記 』 の「 女 品 定 め 」 てかけぐるい 病 者 」、「 片 意 地 」「 短 気 」 な ど 、 人 間 の 悪 し き 性 質 を 分 類 し て 描 れ て い る 。 こ こ に は 、公 家 、武 家 、町 人 、百 姓 、妾 、火 車 、傾 城 、 後家が描かれている。 例 と し て『 好 色 通 変 歌 占 』 ( 貞 享 五 年〈 一 八 六 六 〉刊 )や『 好 色 旅 枕 』 類し、図解している。本文の上部三分の一には挿絵が四十三図添 に大坂、江戸の版元合梓の『女大学宝箱』では、職業を詳細に分 また、 『 色 ひ い な 形 』 以 降 の 刊 行 に な る が 、享 保 元 年 ( 一 七 一 六 ) (元禄八年〈一六九五〉刊)を挙げている 。 図や内容を剽窃した類の本も刊行された。吉田幸一氏は、その事 特 に 、『 好 色 訓 蒙 図 彙 』 が 後 続 の 好 色 本 に 与 え た 影 響 は 大 き く 、 いたものとなっている。 11 このように、吉田半兵衛によって、好色図解百科事典の類が整 えられており、様々な女性の職業が描かれている。女性向けの往 しょにん いやし あるひ から や ま と しよ その し ょ さ いゑ〳〵 寛 文 六 年 ( 一 六 六 六 )『 訓 蒙 図 彙 』 故事書をリスト化したものである。 以 下 は 、『 色 ひ い な 形 』と そ の 前 後 に 出 さ れ た 代 表 的 な 訓 蒙 図 彙 、 らの挿絵を見ることで、多様な女性の職業を知ることができる。 性、京都の黒木売りの様子や浜辺で塩焼きをする女性など、これ 家の女性から始まり、子どもに手習いを教える女性、水引屋の女 来書ということもあり、遊女類は立項されていないが、公家、武 らいゆう ある 。様々な由来を中国や日本古来の書に求めるという姿勢は、 貞 享 三 年 ( 一 六 八 八 )『 好 色 訓 蒙 図 彙 』 臣が内侍司とともに天皇に謁見している場面であり、やはり高位 元 禄 三 年 ( 一 六 九 〇 )『 人 倫 訓 蒙 図 彙 』、『 女 重 宝 記 』 享 保 元 年 ( 一 七 一 六 )『 女 大 学 宝 箱 』 正 徳 五 年 ( 一 七 一 五 )『 和 漢 三 才 図 会 』 宝 永 八 年 ( 一 七 一 一 )『 色 ひ い な 形 』 元 禄 八 年 ( 一 六 九 五 )『 頭 書 増 補 訓 蒙 図 彙 』 方 法 は、 女 性 読 者 を 対 象 と し た 書 物 の 中 に も 見 ら れ る。 例 え ば、 同じ属性の人々を職業や身分によって分類するというこれらの 工人から乞食類にまで至る。 の階層から始まる。公家、武家、僧侶と階層毎に進み、商人、細 貞 享 四 年 ( 一 六 八 七 )『 女 用 訓 蒙 図 彙 』 故事来歴を尊ぶ故実主義的なものといえる。 尋て来由をたゝし、或は唐大和の書にあるを考えあつめ」た書で たつね き公卿より庶人の賎きにいたるまての其所作をくわしく、家々に くきやう 江 戸 の 版 元 か ら 出 版 さ れ る 。 本 書 は 序 文 に も あ る よ う に 、「 上 尊 かみたつと 元 禄 三 年 ( 一 六 九 〇 ) に は 、『 人 倫 訓 蒙 図 彙 』 が 京 都 、 大 坂 、 くこととなった。 えられ、後々の好色本や春本にもその分類などが引き継がれてい 12 本書には約五〇〇種類の職業が収録されている。第一図は、大 13 第1部 研究論文 78 こ の よ う に 、『 色 ひ い な 形 』 の 前 後 に は 、 こ の 世 界 の あ ら ゆ る 風俗絵本最初期の随一の代表作と評され、鈴木春信など後続の絵 『 百 人 女 郎 品 定 』 の 成 立 背 景 に 、同 時 代 の 百 科 事 典 の 隆 盛 が あ っ 師の粉本となるほど、影響力の大きい作品である。 に基づきながら分類し、網羅するという書物─が多く作られてい たことを指摘する先行研究があることは先にも触れた。また、横 事象を図解する書物―特に様々な階級や職業を、書物などの典拠 たことがわかる。このような流れの中で、階級毎の性生活を図解 田 冬 彦 氏 は『 百 人 女 郎 品 定 』の 成 立 に つ い て 、先 に 見 た『 女 重 宝 記 』 の職業を増補したものと位置づけている 。 倫訓蒙図彙』で入り混じっていた売色類の再整理を行い、更にそ 『 人 倫 訓 蒙 図 彙 』の 女 性 職 種 と 分 類 を 継 承 し て い る と し た 上 で 、『 人 や『 女 大 学 宝 箱 』か ら の 影 響 を 指 摘 し 、加 え て 、『 百 人 女 郎 品 定 』が 、 するという『色ひいな形』が企画されたのである。 三 、『 色 ひ い な 形 』 か ら 横 田 氏 や 山 本 氏 が 指 摘 す る よ う に、 祐 信 の 絵 本 制 作 に は 訓 蒙 い。しかし、それは『百人女郎品定』から始まるのではなく、既 『百人女郎品定』へ 『 色 ひ い な 形 』 の 十 二 年 後、 八 文 字 屋 と 祐 信 は あ ら ゆ る 身 分、 に『色ひいな形』から始まっていたことは、先述の通りである。 図彙などの百科事典的作品が大きく影響していたことは間違いな 職 業 の 女 性 を 描 き 分 け た『 百 人 女 郎 品 定 』 を 出 版 す る。 本 書 は、 *11 京*都 府 立 総 合 資 料 館 に 上 巻 、 天 理 図 書 館 に 「 世 の 昼 狐 」 と 書 題 簽 の あ る 下 巻 一 冊 が あ る が 、 管 見 の 限 り で は 、 本 書 の 完 本 を 知 ら な い 。 内 容 に つ い て は 、『 近 世 文 芸 資 料 第 好 色 物 草 子 集 本 文・索 引 』 及 び 、 リ チ ャ ー ド・レ イ ン 『 元 禄 の エ ロ ス 半 兵 衛 七 郎 兵 衛 上 方 名 品 艶 本 集 』 (画文堂、一九七九年)を参考にした。 *13 本*文 は 国 立 国 会 図 書 館 蔵 本 ( 寄 別 一 三 ─五 八 ) に 拠 る 。 *14 横*田 冬 彦 「『 女 大 学 』 再 考 ― 日 本 近 世 の お け る 女 性 労 働 ― 」(『 ジ ェ ン ダ ー ン の 日 本 史 ― 主 体 と 表 現 仕 事 と 生 活 』 下 巻 、 東 京 大 学 出 版 会 、 一九九五年) 79 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 14 *12『 好 * 色 訓 蒙 図 彙 』、『 好 色 通 変 歌 占 』 解 題 (『 近 世 文 芸 資 料 第 十 好 色 物 草 子 集 複 製 ・ 解 説 』、 古 典 文 庫 、 一 九 六 八 年 )。 た だ し 、 こ こ で 指 摘 さ れ た 『 好 色 旅 枕 』 は 、 作 者 石 川 流 宣 の 江 戸 版 の も の で 、 貞 享 年 間 に 京 都 で 刊 行 さ れ た 『 好 色 旅 枕 』( 吉 田 半 兵 衛 、 作 ・ 画 ) で は な い 。 京都版の『好色旅枕』は、百科事典というよりは、色道指南書の性格が強いものである。 * * * * 雛形は、御所風から始まり、御屋敷風、町風、けいせい風、若 が、本書の編集の独自性といえるだろう。 信 は 多 く の 春 本 、 絵 本 を 制 作 し て い る 。 左 記 の リ ス ト は 、『 百 人 衆風、野郎風となっており、百性風はないものの、階層毎に風俗 『 色 ひ い な 形 』 か ら『 百 人 女 郎 品 定 』 に 至 る 十 二 年 の 間 に、 祐 女郎品定』の完成に重要な役割を果たしたと考えられる作品を列 を 描 き 分 け る と い う 『 色 ひ い な 形 』『 情 ひ な 形 』 の 構 成 を 踏 襲 し ていることがわかる。 は野 挙したものである。 宝 永 八 年 ( 一 七 一 一 )『 色 ひ い な 形 』 八 文 字 屋 各 巻 の 冒 頭 の 口 絵 は 片 面 一 図 の 人 物 図 と な っ て い る。 図 郎風の口絵であり、野郎の風俗を大画面で丁寧に描いている。この 正 徳 二 年 ( 一 七 一 二 )『 情 ひ な 形 』 八 文 字 屋 正 徳 三 年 ( 一 七 一 三 )『 正 徳 ひ な 形 』 八 文 字 屋 後に着物雛形図が続く。図 の「 八 十 五 番 」に は「 是 よ り 野 郎 も や 享 保 元 年 ( 一 七 一 六 )『 雛 形 都 風 俗 』 小 林 喜 右 衛 門 、 西 村 理 5 享 保 三 年 ( 一 七 一 八 )『 西 川 ひ な 形 』 八 文 字 屋 享保元年(一七一六)ヵ『享保ひな形』八文字屋 右衛門、谷村清兵衛 形図は模様が描かれた着物背面と、脇には染方や色などの指定など 色入 みすはちや すゝたけへりもへぎ」とある。このように、雛 う 梅 に 鳥 か ぶ と の も や う 地 あ さ ぎ ゆ ふ ぜ ん ぞ め い ろ 〳〵 に 5 享 保 四 年 ( 一 七 一 九 )『 妻 愛 色 双 六 』 八 文 字 屋 くことが可能となった。 で 構 成 さ れ る 。 版 型 を 大 本 に す る こ と で 、模 様 を 大 き く 、詳 細 に 描 松平進氏は『正徳雛形』について次のように指摘している 。 (中略) なか けはひ 翌年、八文字屋は祐信に着物の雛形本『正徳雛形』の絵を描かせ ゑん 以下同様に置かれている各巻の口絵は、数年後に現れる絵本 てんせい た。跋文に「女は姿をかざり天性ならぬ艶を化粧す。然りといへ 『 百 人 女 郎 品 定 』 と き わ め て 近 い 図 様 で あ る。 こ れ は 染 め 見 も や う もん つたな ふんべつぶくろ せば より ふうぞく しな ども其人相に応ぜざる模様紋がらありて。見よげなる風俗も品お 本に過ぎなかった雛形本の中への風俗画の乱入現象と言って ひとがら おう か し げ に に げ な き を 見 て 。 拙 き 分 別 袋 の 狭 き 中 よ り お も ひ 寄 て 。」 人物図に新機軸を出したものであった。 面小袖図を示すのみでなく、挿入される「姿絵」つまり着衣 自笑・祐信二者協力の雛形本は、従来の単なる実用本位の背 17 よかろう。 『 色 ひ い な 形 』 の 完 結 編 と も い え る『 情 ひ な 形 』 が 出 版 さ れ た 字屋から出版されている。 『 妻 愛 色 双 六 』 の み 春 本 で あ る 。『 雛 形 都 風 俗 』 以 外 は 、 全 て 八 文 ほ と ん ど は 着 物 の 雛 形 本 で あ り 、『 色 ひ い な 形 』、『 情 ひ な 形 』、 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 )『 百 人 女 郎 品 定 』 八 文 字 屋 15 とあるように 、身分や職業に応じた模様紋柄に分類している点 16 第1部 研究論文 80 身分や職業毎の風俗を 踏 ま え た『 正 徳 雛 形 』 は 雛形本として画期的な企 画であったと言える。 そ の 三 年 後 に は、 違 う版元から同趣向の雛 形 本『 雛 形 都 風 俗 』 が 出 版 さ れ た。 書 中 に 祐 *16 本*文 は 東 京 藝 術 大 学 附 属 図 書 館 蔵 本 ( 貴 一 一 ─七 ) に 拠 る 。 号、岩波書店、一九八一年) * )。 1979,0305,0.64 *17 松*平 進 「 古 典 の 大 衆 化 と 祐 信 絵 本 」(「 季 刊 文 学 」、 * * * *18 所*見 本 は 大 英 博 物 館 蔵 本 ( 享 保 三 年( 一 七 一 八 ) 刊 の『 西 川 雛 形 』で は 、 これまでの階層別の部 分けとは異なる構成を と る。 五 巻 構 成 の 内、 四 巻 (「 深 窓 」「 色 直 」 「 脇 留 」「 物 好 」) ま で が 背 面 雛 形 図 を 描 き、 五 巻「 服 紗 」 で は、 袱 紗の模様図を描く。た 81 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 信の署名は見られない が 、筆致から祐信によ だ し 、「 服 紗 」 の 後 半 は「 太 夫 絵 」 や「 町 風 などの風俗絵が袱紗模様として描かれ、これまでと同様に風俗絵 す が た ゑ 」、「 野 郎 絵 」 成 は 、ほ ぼ 『 正 徳 雛 形 』 と 同 じ で あ る が 、背 面 小 袖 図 の 合 間 に 挟 ま また、各巻の口絵は、見開き図となっており、人物の周りには会 ( 享 保 四 年 正 月 刊 )、『 役 者 五 重 相 伝 』 (享保四年三月刊) *15 な*お 、本 書 と 同 内 容 の も の と し て『 艶 女 玉 簾 』が あ る 。『 妻 愛 色 双 六 』は『 役 者 金 化 粧 』 に 「 大 和 絵 師 西 川 祐 信 正 月 二 日 よ り 本 出 し 申 候 」 と 広 告 が 出 て い る 。『 艶 女 玉 簾 』 は 本 書 の 改 題 本 と 考 え ら れ る 。 上部に配されている。 を兼ね備えた雛形本となっている。 ●上/図 5:西川祐信画『正徳雛形』(東京藝術大学附属図書館蔵) ●下/図 6:西川祐信画『西川ひな形』(ニューヨーク公立図書館蔵) れ る 人 物 図 の 頻 度 は 高 く 、模 様 や 色 の 指 示 の 他 、伊 達 紋 、据 え 紋 が 諸 色、 茶 小 姓 か ら な る 構 所 風、 武 家 が た、 町 風、 る も の と 考 え ら れ る。 御 18 49 かれる。中でも「物好」巻の口絵は、雛形本を描く男の図となって 物の直しをする女性、香具類を前に袱紗の模様を見る男女などが描 話文が配されている。これらの図では、雛形本を眺める母娘や、着 ことがわかるが、広告が雛形本の巻末にも掲載されているという 正 徳 五 年( 一 七 一 五 ) で あ り 、 そ の 時 点 で 構 想 が 始 ま っ て い る 巻 と な っ て い る 。『 百 人 女 郎 品 定 』 の 予 告 広 告 が 初 め て 載 る の は 、 刊行されるのは五年後の享保八年(一七二三)であり、巻数も二 という男に対し、「すみゑヲ入レてくださんせ、それ〳〵」と語って 保 初 期 に 次 々 と 雛 形 本 が 刊 行 さ れ る 中 で 、『 百 人 女 郎 品 定 』 が 企 こ と は 、『 百 人 女 郎 品 定 』 の 成 立 を 考 え る 上 で 重 要 と な ろ う 。 享 しなさだめ 人 女 郎 品 定 』 の 予 告 広 告 が 載 る 。 実 際 に 、『 百 人 女 郎 品 定 』 が となっていたと言えるだろう。 いる。あるいはこの男に祐信自身が投影されているのかもしれない。 おり興味深い(図 )。傍らには女がいて「すきなやうにこのめや」 ●上/図 7:西川祐信画『正徳雛形』(東京藝術大学附属図書館蔵) ●下/図 8:西川祐信画『百人女郎品定』(国立国会図書館蔵) 画されており、それら雛形本での表現が『百人女郎品定』の土台 20 『百 本書の巻末には、 「百人女郎品定 全部五巻 追付出来」と、 6 19 第1部 研究論文 82 書 で あ る 。 本 書 は 、売 色 風 俗 の み を 対 象 と し て 、細 目 化 し 、分 類・ 愛色双六』も『百人女郎品定』のベースとなったと考えられる一 女性の百種類の階層、職業が網羅される。最も位の高い身分から 人 女 郎 品 定 』 が 出 版 さ れ る 。 序 文 の 後 、上 巻 、下 巻 の 目 録 が 載 り 、 こ の よ う な 作 品 を 経 て 、享 保 八 年( 一 七 二 三 )に 八 文 字 屋 よ り『 百 されている。 図解した春本である。三巻で構成されており、以下に各巻の項目 始まる構成はこれまでと同様である。 また、享保四年(一七一九)年に八文字屋から刊行された『妻 を挙げる 。 鹿子結、すあい 中 巻 風 呂 、水 茶 屋 娘 、泊 人 、後 家 茶 屋 山 州 、糸 屋 、扇 屋 、衣 屋 、 屋娘 色の中でも最も地位の低い女たちが描かれる。 に関わる女性となっている。下巻最終図は、惣嫁や夜鷹など、売 武家と続き、町人、商人、百姓で上巻が終わる。下巻は全て売色 皇 女 と い っ た 皇 族 の 女 性 が 描 か れ て い る 。 こ れ 以 降 、公 家 、神 職 、 こ と の な か っ た 女 帝 を 第 一 図 に 描 い て い る 。 同 図 に は 他 に 、皇 后 、 ただし、本書では、これまでの訓蒙図彙や絵本などで描かれる 下巻 つられ者、はすは、おじゃれ〳〵、わたつみ、小歌比 上巻 太夫職、天職、鹿恋女郎、端女郎、舞子、妾者、色茶 丘尼、大こく、間端、惣嫁 衣 裳 や 装 身 具 、商 売 道 具 な ど 細 か い 部 分 ま で 描 き 分 け る に は 、そ れ 本書の版型は、雛形本と同様の大本である。このような大きさで、 には、糸屋や扇屋、わたつみのように、裏で春をひさいでいた職 ぞ れ の 身 分・職 業 に 対 す る 深 い 知 識 が 必 要 と な る 。 し か し 、 八 文 字 上巻の太夫職から始まり、女郎のランク順に記されていく。中 業女も網羅されており、享保当時の売色風俗を知る上でも貴重な 屋 と 祐 信 に は 、こ れ ま で に み て き た よ う に 、春 本 や 雛 形 本 で 培 っ た 経 験 が あ る 。 雛 形 本 で は 、身 分 に 応 じ た 着 物 を 描 き 分 け 、春 本 で は 資料と言える。 本 書 は 、 祐 信 の 春 本 と し て は 珍 し い 半 紙 本 の 版 型 で 、『 西 川 ひ 特に遊女風俗を詳細に記録している。そのような作品の集大成とし )。 三 井 文 庫 蔵 本 の 刊 記 で は 、 広 告 部 分 が 削 ら れ て い る 。 1924827 2008. な形』と同様、見開き一図に大きく描かれた人物と会話文で構成 *19 ニ*ュ ー ヨ ー ク 公 共 図 書 館 所 蔵 本 ( )。 た だ し 中 巻 の み 。 上 、 下 巻 に つ い て は 同 コ レ ク シ ョ ン 蔵 本 ( *21 所*見 本 は ホ ノ ル ル 美 術 館 レ イ ン コ レ ク シ ョ ン 蔵 本 ( 2008. 0445 ) の 『 艶 女 玉 簾 』 を 参 照 し た 。『 妻 愛 色 双 六 』 と 『 艶 女 玉 簾 』 に つ い て は 注 ( ) 参 照 。 0476 83 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 21 *20 松*平 進 『 百 人 女 郎 品 定 』 解 説 (『 近 世 日 本 風 俗 絵 本 集 成 』、 臨 川 書 店 、 一 九 七 九 年 ) * * * 15 とほぼ同じ模様である(図 )。 )。『 百 人 女 郎 品 定 』 の 町 人 の 娘 の 着 物 は 、 し が ら みは無いものの、図 様である(図 また、町風二十七番は、しがらみ、渦水、いしかけと連なる模 ●上/図 9:西川祐信画『正徳雛形』(東京藝術大学附属図書館蔵) ●下/図 10:西川祐信画『百人女郎品定』(国立国会図書館蔵) の作品で忠実に継承しているのである。 このように、祐信は『正徳雛形』で行った模様の分類を、自ら 10 9 て『百人女郎品定』が制作されたといえるだろう。 )。 8 9 その一例として、着物衣裳の模様の描き分けが挙げられる。小 沢 直 子 氏 ら の グ ル ー プ は 、『 正 徳 雛 形 』 で 用 い ら れ て い る 模 様 が 祐 信 の 他 の 絵 本 で 利 用 さ れ て い る こ と を 指 摘 し て い る 。 例 え ば、 )。 遊 女 着物の模様が全く同じ光琳梅で描かれていることが分かる(図 人女郎品定』の遊女を描いた場面を見ると、引舟と書かれた女性の の 着 物 と し て 描 か れ た 裾 に は、 光 琳 梅 が 配 さ れ て い る。 一 方、『 百 『 正 徳 雛 形 』 の 傾 城 風 四 十 五 番 の 模 様 を み て み よ う( 図 22 7 第1部 研究論文 84 おわりに 文 字 屋 ・ 祐 信 は 、『 百 人 女 郎 品 定 』 を 区 切 り と し て 分 節 さ れ 、 そ 五巻構成から二巻構成へと大幅な変更が行われるなど、出版物と 出版取締令が出されている。その影響によるものなのか、予告の た。また資料掲載をご許可いただきました中嶋隆先生、ならびに 雛形本については神谷勝広先生に資料のご教示をいただきまし [付記] れぞれが新たな流れの中で出版活動を続けていくこととなる。 して不自然な点があることについては、松平氏や仲町啓子氏が指 各所蔵機関に、末筆ながら深謝申し上げます。 『百人女郎品定』刊行の前年である享保七年(一七二二)には、 摘 し て い る 。 ま た、 仲 町 氏 は『 百 人 女 郎 品 定 』 以 降 の 女 性 風 俗 を題材とした絵本に、農工業の女性や売色業の女性が描かれなく な っ た こ と を 指 摘 し 、「 社 会 の あ ら ゆ る 構 成 員 た ち に 目 を 遣 り 、 現実社会の多様さをそのまま克明に写しとめてゆこうとする風俗 画家祐信の執拗な観察眼は、一歩も二歩も後退していると言わざ るを得ない」と述べている 。祐信は長年共に作品を制作してき 羅主義、考証主義の流れを受け、あらゆる人間を描こうとした八 な転換期における作品と言えるだろう。同時代の上方における網 八 文 字 屋 ・ 祐 信 の 出 版 活 動 に お い て 、『 百 人 女 郎 品 定 』 は 大 き にもほとんど手をつけなくなった。 た八文字屋から距離をとるようになり、絶えず刊行していた春本 24 *22 小*沢 直 子 ・ 伊 藤 紀 之 ・ 河 村 ま ち 子 「 西 川 祐 信 絵 本 に み ら れ る 衣 裳 文 様 ― 祐 信 作 「 正 徳 ひ な 形 」 と そ の 絵 本 と の 対 応 に つ い て ― 」(「 共 立 女 子 大 学 家 政 学 部 紀 要 」、 号 、 二 〇 〇 一 年 )。 *23 前*掲 注 ( ) 及 び 、 仲 町 啓 子 「 西 川 祐 信 研 究 」(『 日 本 絵 画 史 の 研 究 』、 吉 川 弘 文 館 、 一 九 八 九 年 ) 参 照 。 47 )仲町論文参照。 85 訓蒙図彙と祐信春本・絵本 ―『色ひいな形』から『百人女郎品定』まで 23 *24 前*掲 注 ( 23 20 * * *
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