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木材工業の移り変わり
加留部 善次
木材王国北海道に勤務すること四十五年、その間我国木材工業の移り変わりは殖民政策の
変化と共に相当はげしく、従来は兎角原始時代の細断生料理の域を脱しなかったが、今後
は科学的にチップ木材の高温料理が期待せられ特に北海道人は我国木材資源開発のパイオ
ニアとして自他共にゆるし、従来のベニヤ工業の外に、近来建築資材として木材繊維の画
期的な形成が開始せられつつあるので、過去の木材工業をかえりみて将来の在り方を予想
することは敢て無駄ではないと思う。
1. 過去のもの
エゾマツは四.五十年前天塩松として角材または丸太のままで内地は勿論、海外に輸出
したが、今では殆ど道外移出が出来なくて、現在内地赤松が抗木及製紙原料として多数輸
入せられている。
日露戦争後は長六尺三寸、厚二分三厘のエゾマツ並に四分板が大型タテ鋸で挽かれて生
材のまま阪神に積出され、焼板及下板とし、又兵営、学校又借家の安普請の天井板に沢山
使用せられたが、カラフト材の出現で全く跡を絶ってしまった。
道内河川の至る所に繁茂していたワタドロや北見地方のヤマナラシは日清、日露戦争の
輸出マッチの原料として神戸に積出した外、道内にも沢山の軸木工場が出来たが、第一次
世界大戦を境として満州物と米材に漸次圧迫せられ、今はベニヤ工場に変わってしまった。
センとシナ材は最初大部分流送材として輸送せらせ大丸鋸又は帯鋸で下駄棒に挽き立て
大量に道外に積出されたが今は全く見当たらない。北海道でも一時盛んであった下駄棒半
加工品はほんの一時的現象で結局は松永等の工場にまけてしったが、これも漸次革靴やゴ
ム、ビニール製品に喰われて行く傾向にある。
主としてシラカバを利用した近文の大日本木管工場は幾多の犠牲を払ったにかかわらず、
常に手割材と内地工場に負けて、ついに実を結ぶに至らず、松岡ベニヤ工場になって木管
製造は中止せられた。
全道の海岸密生したカシワの皮はタンニン原料として追分、池田の外に止若の新田ベニ
ヤ工場で盛んに集荷せられ、更に今次世界大戦前にエゾマツの皮を原料とする旭川タンニ
ン工場が出来たが、共にマングロープやワットル等の外国輸入品との競争に負けて現在休
止の状態である。
2. 衰えたもの
北海道広葉樹の利用は薪炭及枕木の手挽にはじまり、欧米、中国及満州に年々八尺枕木
数百万本を積出したが、現在国内用七尺枕木約百万本を移動製材又は帯鋸製材機で挽き立
て、今後朝鮮、中国大陸との貿易が順調に進めば一時人気が出るかも知れぬが、最早昔の
様な面目は期待出来ない。
将来の枕木は木材節約の立前により二十九年一月より全部防腐剤を施すこととなり、一
方ピアノ線入のコンクリート枕木の外に南方に於けると同様に鋼鉄板枕木も使用可能で、
現に東京駅及地下鉄道はレールとコンクリートとの間に木材を全然使用せずに、鉄のタイ
プレイトの下に硬質ゴムのタイパットを使用する企もあるから、工事費の関係もあり、今
後永い間には各地動的に漸次情勢が変わってくると思う。
3. 続いているもの
雑丸太は東京、阪神向けのものが二十七年度南洋材の大量輸入のため一時不振だったが、
タモを除きナラ、カバ、シナ、カツラ、セン等な何れも材質の特徴が認められ、取扱業者
は二十八年度に相当利益をあげたらしく、目下北海道の入札値段は甚しく高い様だが内地
では先物契約は出来ず、大口取引は成行値段で仕切る方針だから、経済界の悪循環のため
にケガがなければよいがと思う。
雑挽材の鉄道運賃は丸太よりも割安なるにかかわらず、内地市場にて品質優先の原木は
雑挽材よりも割高に売れるから、沿岸積早物又は大形優良材は丸太売を可とし、原木のま
まに道外移出をふりとするもの、即
ち小径木の雑原木及欠点のある大形材だけではなく山元にて製材の上道外に移出する状況
で、京阪地方にて北海道山挽のものが一般に評判がよろしい。東北産の雑丸太挽材が北海
道産に比し著しく割安に取引せられつつあることは内地各府県にて検査機構が完備せず、
造材及製材の規格が生産業者に熟知せられていないことに帰因する。
広葉樹のフローリングは今次大戦前迄学校、兵営にまでも売込みに相当苦労したが、今
は洋建築は勿論、日本家屋でも需要が多くなったが、まだまだあ品質が不同があり、各工
場の生産指導と検査機械を改善する必要がある。フローリングの競争品にアスファルトや
ゴム、ビニール、シート、人造石等色々あるが、何れも木材床板より著しく割高である。
ナラインチ材は北海道材の硬さがオーストリア材に似ているので、昔から欧大陸及び英
国にて賞用せられ、年々百万石乃至百五十石を造材し、昔は角材の方が好まれたが第一次
大戦後運賃高のため主としてインチ材として輸出し、最近は年々挽材四十万いし見当を維
持し、十一月よりは英国の木材輸入ライセンス不用となって非常にアクティブに買出して
いるが、これは北海道ひて永年の間、インチ材の製材乾燥、及検査方法に苦心した余徳で
あると思う。現在はカバ、セン、シナ、ブナ等のインチ材も輸出数量が漸次増加しつつあ
る。
北海道は冬期間降雪のため内地の様に単板の天然乾燥にのみ依存することは困難であっ
て、さりとて新田ベニヤ工場のプロクターの如く人工乾燥のみによることは多くの費用を
要し、特殊合板以外は東京、名古屋及大阪工場に競争すること困難で、昭和七年ころより
南洋材の合板が盛んになって北海道単板は甚しく苦境に立った時、合板工場が多くなり、
銭函新宮工場が全部人工乾燥による合板工場を設立し、次に三井砂川合板工場其他が濁川
太田工場のウロコ式熱板、ローラー併用のドライヤーを作って蒸気乾燥方法を採用し、今
では天塩工場の米国コー会社ローラー送りが最も有利になることがわかり、更に内地各地
でもコー乾燥機を真似て一般に普及しつつあるのは誠に喜ぶべき現象である。
4.繊維板の産みの悩み
北海道立林業指導所は卒先して硬質繊維工場を造り最近新商品を売り出し、耐水性があ
ることが喜ばれているが、内地市場でラワンや北海度合板と競争して天井板、ラジオ裏板、
荷造用等に独特の市場を獲得することが出来るかい否か問題である。
来る三月ころより名古屋三井工場の米国チャップマン式硬質テックスが市場に出るが、
大工は普通松材以上の硬度のものを喜ばず、今後洋式建築のパネルや造船仕切板にどの位
に食い込み、従来の挽材及合板に置きかえられること可能なるか否か疑問である。
硬質テックスは目下秋田木材矢板工場でパイロットプランに成功し、来る四,五月ころま
でに年産六千トン以上の製品が出来る様にになるとの話であるが、これは何程の原価に仕
切るかと云うことと、従来の杉の天井板に力を入れた同社としてどの位に吸音板の天井板、
下見板、野地板、板堀等に食い込み得るかが、見物である。
内地で従来の木材繊維の日本レーヨン、麦ワラの味の素、米ワラの北越製紙、ノットパル
プの王子製紙等のセミ・テッキス生産の外に将来は浜松楽器、名古屋木材等の計画以外に
各地に合板工場と同様に繊維板工場が続出する時代が出現するかも知れぬが、この場合テ
ッキスの品質と仕上がり原価と販売と販売方法が問題となると共に、我国の合板や南洋材、
米材等の幅広板と競争するために余程割安に仕上げるにあらざれば行きづまりすを来す恐
れがある。
ホモゲン・ホルツは岩倉巻次及藤沢良雄氏のパイオニア精神の下に我国はじめて企業化
せられ、製品は二十八年 9 月頃より市場に出回ったが、最初は吸湿性の問題其他で色々文
句が出たが漸次難問題を解決し、今後ミシンテーブルや、配電盤や船舶内部仕切板、座敷
用テーブル下地等に使用せらるるに至らば現在の生産額は略消費せられれにあらざるかと
思わるる節もあるが、南洋材及米材の輸入が容易な我としてはこれが値段の競争で相当苦
労あるものと思う。
5.今後の木材工業
目下北見で新設の段ボール工場は北海道として初めての一連作業であり、従来の旭川国
策パルプ及北日本製紙のクラフト・パルプの生産と共に木箱代用の段ボールが一般化せら
るることと思うも、段ボールはまだ吸湿性のあることと、大型のもの及倉庫に高く積上げ
る場合に不便があり、又その外装としてベニヤ箱を使用し、従来の木箱の範囲にくい入る
様になるものと思うも、将来カラフト及沿海州材が割安に大量輸入せらるる様になったら
再び木箱が盛んになるか、それともこれらの針葉樹は製紙や繊維版工場の材料となるか観
物である。
我国木材の需要は大体一億三千万石見当で、将来我国の法正的供給能力は僅か六千万見
当で、不足分は輸入材による外なく、割安の木造建築を期待しても現在の住宅難は容易に
解決出来るものではない。しかも木造建物では年々建物せらるるだけで焼失せられつつあ
るある現状を考うれば、万難を排して木
造建築を制限してコンクリートやアッシュ又は火山灰ブロックの住宅に切り替えるべきに
かかわらず、我国の気候と夏冬再極端の温度と梅雨期に湿度が多いため一般に窓面積の少
ないブロック建築を好まず、且不燃質材料には吸湿性を予防する必要あるため、屋外には
防腐剤を施し、室内には必ず合板及硬質テックス等を使用して保温と耐湿と吸音をかねた
る快適な生活が出来る様にしたいものである。
目下この問題に対して大きな望みが寄せられるるものはドリゾールにて、先般来ドイツ
の特許権を買取る様に交渉中であるが、さりとて販売に対し誰しも確信がなく、新規工場
建設には尻込みの形であったが、新宮商行社長坂口茂次郎氏が非常なる決心の下に、この
度見本建物を日本に取寄せて実験の上に機械を注文することになったことは喜ぶべき現象
である。
6.製紙の廃液
北海道のトド、エゾは製紙に最も適応し、大正の初め藤原銀次郎氏は三井砂川工場長小
笠原辰次郎氏をスカンジナビヤに派遣してパルプを研究せしめ直に機械を注文して漸次樺
太に沢山のパルプ工場を造り、今は道内製紙五工場共原料不足のためブナ、カバ等の外に
内地よりアカマツを移入している状態である。
我国パルプ及製紙の木材消費量は年々二千万石で約半数の一千万石以上はパルプ廃液と
して徒に河川に流れていることとなり、木材不足の際誠に勿体ない次第である。北海道庁
は木材糖化研究費を予算化し、製紙工場の内にはアルコールやアセトン、フルフラールの
製造やイースト培養等に努力しているものありとはいえ、大部分の製紙工場は労働賃金が
高いため、割安の副業を兼営することを好まざる現状である。
7.工場立地条件
新に企業せんとする場合、先ず考慮すべきことは製造せんとする製品の種類と商品の販
売市場の外に、生産工場の位置である。今後繊維板は旭川と名古屋と清水と矢板と佐賀の
何れかの製品が有利に活躍するかホモベンホルツは苫小牧と東京と何れかが経営に楽か。
ドリゾールの工場は銭函と東京と何れを先に選ぶべきか。現に新宮商行はドイツ製リット
ルのスライサー機を東京深川据え付けて北海道材の外にウラン。チーク等の単板を製造す
る場合と現在の銭函にすえる場合との利害関係を考慮している。更にフローリング工場の
如きも北海道製品と東北各県と東京、名古屋、大阪の製品の何れが勝つか色々議論あると
思うが、吋材工場だけは昔より今日迄北海道が常に有利であったが、その北海道の内でど
の場所の工場が今後長く有利なるかはなかなか興味のある問題である。
―東洋木材社長
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