地域包括ケアの歴史的必然性

Socinnov
Vol 1
e2
2015.8.31
Series: 地域包括ケアの課題と未来 (2)
地域包括ケアの歴史的必然性
猪飼周平
一橋大学大学院社会学研究科教授
2010年に『病院の世紀の理論』
(有斐閣)を
生活の質は、本人、環境を含む無数の因子の
出版しました。
「病院の世紀」という言葉は私
因果の網目の中で規定される、という意味で
が作ったもので、ほぼ20世紀に対応していま
エコシステム的原因観を持っていることです。
す。そして病院の世紀の医療というのは、少
もっともこれらは特別なことでも何でもなく、
し前、例えば1980年代くらいまで遡れば、大
皆さんが、友人の人生相談を受けたりする時
部分の医療者、患者双方にとって当たり前だ
に暗黙のうちに採用している枠組みと基本的
った医療のことを指しています。一言で言う
には同じです。
ならば、患者を医学的な意味での治癒に導く
広い意味におけるケアについて、生活モデ
ことを究極的な目標とする医療になります。
ルに基づくケアを「良いケア」であると感じ
19世紀までの西洋医学は、患者を治すとい
る方向に向かって、人々の感じ方が、歴史的
う点で大したことはできませんでした。その
中で経験的に患者の苦痛を和らげる手段が用
時間の中で変化しつつあります。
1970年代にそのような変化が福祉領域の各
いられたり、食事や休息が与えられたりする、
所で見られるようになり、1980年代には福祉
それが医療システムの基本的な姿だったわけ
システムの主流に、そして1990年代以降医療
で、いわば福祉システムの一種だったのです。
システムに浸透してきました。現在の医療シ
それが、日本を含むかつての列強諸国の間
ステムは、生活モデルによって、患者の医学
で、19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、
的治癒を目的とするシステムから、患者のQOL
医療システムの性格は大きく変化します。19
を支えるシステムへと変貌するように、社会
世紀後半に加速した医学や医療技術の進歩を
的圧力を受けている状況です。
背景として、医療システムは、治療医学的な
私は規範的な観点から、生活モデルにケア
意味における治癒をめざすためのシステムに
が準拠すべきだということを言っているので
なりました。そして、20世紀を通じて、医療
はありません。私が主張しているのは、人々
システムは、治療にとってより効果的な姿を
が生活モデルに基づくケアを良いケアと感ず
模索しながら、不断に再編成が繰り返される
る方向に社会が動いているのであれば、ケア
ことになりました。
システムもその価値観に沿う方向に変化して
『病院の世紀の理論』の中で私は、病院の
ゆくのでなければ不合理であるということで
世紀における医学モデルは、障害者福祉の世
す。同じことですが私は、生活モデルを好む
界で言われている生活モデルに基づくケアへ
よう人々を啓蒙すべきであると言うつもりは
の転換を迫られていると述べました。
ありません。
生活モデルには、基本的に2つの特徴があり
人々の価値観が歴史的時間の中で緩やかに
ます。1つは、究極的なケア目標が良好な生活
変化してゆくということは、私や政策の関与
の質の達成に置かれていること、もう1つは、
とは独立に進行している事実であり、私はそ
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れを「再発見」したに過ぎません。そして、
れていることになります。というのも、地域
そのような歴史的状況の中で、ケアシステム
ケアは基本的にケアをより高価なものにする
が、生活モデル的価値観を基盤としたシステ
可能性が高いからです。地域ケアを無理やり
ムへと緩やかに再編されることは必然です。
安上がりにしようとすれば、例えばケアを家
この知見が政策的に規範的意味を持つとす
族に押し付けるなど、劣悪かつ非効率なケア
れば、生活モデル的価値観に沿う方向に向か
システムが出来上がってしまい、政策として
って政策を進めてゆかない限り、人々の望む
は逆効果になってしまいます。
ものとは異なるケアシステムが作られ、最終
地域包括ケアの推進に際しては、人々が良
的に、ケアシステムを修正するために大きな
いと感ずるケアの構築と、より効率的なケア
社会的コストを甘受するか、不愉快なケアを
の構築を、「地域包括ケア」化という1つの政
甘受するかの選択を迫られるという意味で、
策によって実現できるという幻想が振りまか
社会が一種の罰を受けることになります。
れたように思いますが、それはあくまで幻想
『病院の世紀の理論』において、生活モデ
に過ぎません。財政的に難しくなってゆく中
ルに基づくケアシステムは、自ずとより地域
で、いかに良いケアに向かって知恵を絞って
的かつより包括的な内容を持つシステムとな
ゆくか、というある意味「当たり前」の状況
るはずだということを述べました。その知見
が続くことを覚悟する必要があります。
が、現在政策推進されている「地域包括ケア
第2に、生活モデルは決して、高齢者にのみ
システム」を根拠づけるものだと、霞ヶ関界
適用されるべきケアモデルではないというこ
隈の人々に受け止められましたし、私も現在
とです。広い意味でのケアを必要とする人す
の地域包括ケア政策は、それが進んでいる大
べてに対する支援が、生活モデル化すること
まかな方向自体は間違っていないと理解して
が社会的要請です。その意味では、現行の地
います。
域包括ケア政策は、社会が要請する包括性を
一方で、現在の政策にはいくつか懸念もあ
備えていません。ただし、これは「地域包括
ります。第1に、地域包括ケア政策が高齢化対
ケア政策」そのものの欠点と言うよりも、日
策として推進されていることです。高齢化対
本の社会保障体制全体の設計の問題だと言え
策が、高齢者のQOLを増進するという意味であ
ます。
れば、地域包括ケアが目的にかなうものであ
ることは確かですが、高齢化対策が、財政的
な危機を乗り切るということを意味するので
猪飼周平: 地域包括ケアの歴史的必然性. Socinnov, 1, e2, 2015.
あれば、目的に対して不合理な手段が用いら
© 医療法人鉄蕉会, 社会福祉法人太陽会, Socinnov.
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