平成 26 年 5 月 30 日 岩美町 町 長 榎 本 武 利 様 日本海の「東海」表記を考える会 代 表 中 村 哲 司 ㊞ 〶 680-0841 鳥取市吉方温泉 2-232 [email protected] 090 - 3880 - 6661 荒金供養塔の沿革の碑文について(ご質問とお願い) 晩春の候、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 はじめに、昭和 18 年 9 月の鳥取大地震で、旧・日本鉱業株式会社岩美鉱業所 (荒金鉱山)で犠牲になられた方々に対しまして、ご冥福をお祈りしたいと存じ ます。 さて、標記の沿革碑(添付写真参照)は、同一敷地にあり、かつ同碑文中の文 言に掲げられ、併せて浄財という金銭的繋がりが記されていることから見ての通 り、供養塔とは表裏一体であるものと、理解いたしているところです。 この供養塔の前で、岩美町が中心となって平成 24 年 9 月の慰霊祭について「・ 今年は、5 年に一度町が中心となって・慰霊祭を行う年にあたり・」 (広報いわみ 2012 年 10 月 5p)と記していることから、碑文の文面上の文言とその内容につい ては、間違いなく責任の一端を負うものと考えます。 よって、下記の通り質問をいたしますので、6 月 13 日(金)までに、書面によ りご回答賜りますよう、お願い申し上げます。 なお、この質問については、ほぼ同一の文面による質問書面により、沿革の碑 文に掲げられる方々等(ご健在が確認された方)に対して、質問することを申し 添えます。 記 1.鳥取大地震の荒金鉱山澱物堆積所の堰堤決壊による犠牲者は 65 名です。そ の内訳は、本島出身者(現日本人)37 名、半島出身者(現朝鮮・韓国人)28 名 とのことであり、明らかに、犠牲者は前者が圧倒的に多いと存じます。 しかし、本碑文の全体をながめて見ると、どういうわけか、半島出身者(現 -1- 朝鮮・韓国人)の御霊を主たる対象として記されたものとして受けとめられ、 さらに塔の前側の方向が朝鮮半島に向けられているとも言われており、これで は現日本人の御霊をあまりにも意図的に軽視または排除しているかのようであ ります。亡くなられた方々の全員の御霊について、別け隔てのない公平で平等 な文面で記されるべきと考えます。よって、これを訂正すべきと考えますが、 ご所見をお示しください。 2.同碑文の 10 行目冒頭に「被強制連行」と記されています。この内容につい て質問します。 まず、「被強制連行」の「強制連行」の解釈については、社会通念上「本人の 意思に反して、または本人の承諾や了解のないままで、暴力や腕力または物理 的力もしくは拒絶できないほどの精神的圧迫を加えるなどにより、身体を拘束 の上、強引に連れて行く」と理解されております。 さて、調べてみたところ荒金鉱山では、厚生省から半島出身者の雇い入れ人 数を、昭和 14 年分 30 名、昭和 15 年分 30 名の計 60 名が、認められております。 その認可の範囲内で、荒金鉱山は昭和 17 年 6 月末までに 58 名を雇い入れして いることから、昭和 14 年 9 月開始の労務動員実施計画要領にもとづく「募集」 により雇い入れされたものと、強く推察されます。 以上の理由により、閣議で決定された労務動員実施計画要領の「募集」の行 為に照らし、「被強制連行」の文言は、社会通念上の解釈から見て不適当かつ不 適切な文言であり、また当時、「強制連行」の文言はありませんでした。よって 「被強制連行」は抹消するか、別の文言に訂正すべきと考えるが、ご所見を頂 きたく存じます。 他方、 「募集」が開始された当時において、前述するような暴力、腕力、拘束、 圧迫を伴う「拉致」や「人さらい」ような「連行」が、あったとの説や文献ま たは一部の全国紙にも掲載されているので、もしそれに該当するようであれば、 荒金鉱山で雇い入れされた半島出身者 58 名について、裏付けのある具体的な「強 制連行」の事実とその経緯を教えてください。 追記 (本質問に使用した参考文献) ・著者 内藤正中 鳥取県下 在日コリアンの歴史 ・著者 岡田邦弘 朝鮮人強制連行はあったのか 2004 年 10 月 1 日発行 平成 15 年 9 月 1 日発行 ・発行所 在日本大韓民国民団青年会(権清志) アボジ聞かせてあの日のことを 1988 年 2 月 20 日発行 -2-
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