<12 人の熱い専修医達からのメッセージ>

<12 人の熱い専修医達からの
専修医達からのメッセージ
からのメッセージ>
メッセージ>
なぜリハ医を目指したか、なぜ慶應を選んだか、どんなリハ医になりたいか・・・。
新しい研修制度がはじまった 4 年前からの当教室の入局者(専修医)は、全部で 13 人です。
うち、現在産休中の一人を除いた 12 人に行ったアンケート調査のまとめです。
日本一(?)のリハ医を目指して日々頑張っている専修医達が、なぜリハ医を目指そうと
思ったのか。そして、なぜ慶應を選んだのか。またどんなリハ医になりたいかという思い
を熱く語ってくれました。
リハ医になろうと思っている方、リハ医に興味がおありの方、必見です!!
Q. 出身大学(五十音順)
出身大学
京都、慶應(4 人)
、高知、札医、筑波、東北、富山、宮崎、弘前(2 人)
Q. 初期研修病院(五十音順)
初期研修病院
川崎市立川崎、慶應、札医、札幌社会保険総合病院、静岡赤十字、自治医科大学附属さい
たま医療センター、島田市民病院、新日鐵室蘭総合病院、筑波、東大、東京都老人医療セ
ンター、日本赤十字社和歌山医療センター
Q. リハ医
リハ医になることを考
になることを考え始めた時期
めた時期
①大学より前 3 人
②大学時代 7 人
③研修医時代 2 人
Q. いつからリハ
いつからリハ医
リハ医になることを考
になることを考えましたか?
えましたか?何かきっかけはありましたか
かきっかけはありましたか?
けはありましたか?
・2年目でリハビリ科をローテーションした時。
・大学 4 年次。リハビリテーション医学の授業を契機に自習してみたらおもしろそうだっ
たため。(決して授業がおもしろかったわけじゃないのですが…)
・祖父が脳出血、右片麻痺、失語になり、在宅で家族で介護をしている姿を幼少時代から
見ており、中学校の頃医師に志すころからリハビリに興味がありました。実際には医学部
4年生ころ臨床講義を受けて、より志望が明確になったように思います。○○大学にはリ
ハビリテーション科が 4 講座別々の名前であります。ちょうど、慶應出身の○○先生が講
座の教授に着任されて講義を受け、リハビリテーションとはどのような科なのかと知るき
っかけになりました。
・大学3~4年目頃。医学部の先輩がリハ病院で実習した話を聞いて、リハ科という科が
存在することを初めて意識した。
・高校三年生ごろ 祖父のリハビリテーション病院を見学して。
・リハ医を意識しだしたのは祖母が脳梗塞で寝たきりになってから(大学 5 年のとき)。その
ころは神経内科と迷っていましたが。
・学生時代より、サークルで地域に実習に行き、そこに根付いた医療を行っている先生方
から学ばせて頂く中で、地域の中で生活まで目を向けて全人的に患者さんを診る医師にな
りたく思うようになりました。現在の医療の中では、各科の専門化が進む一方で、総合的
に、全人的に患者さんを診てゆくことも求められていると感じている。
則ち内科的な視点、整形外科的視点、そして生活からの視点、福祉・保健側の視点など、
これらを併せ持った総合的な全人的医療。これが私の目標であり、いろいろたずね当たる
うちにリハこそがまさに全人的医療だと帰着するに至ったわけである。
・大学 5 年生。大学の講義。ポリクリ。
・大学 6 年の末頃。特にきっかけはなかった。
・高 3 のとき。始めは PT になりたいと思っていたが、
「医者になったほうがやりたいこと
やれる」というとある人のアドバイスにより医学部入学を決めた。その時からリハビリ科
に入りたいと思っていた。
・研修医 2 年。
Q. リハ医
リハ医になろうと思
になろうと思った最終的
った最終的な
最終的な決め手はどういったことでしたか?
はどういったことでしたか?
・患者さんをトータルに見ることが自分に合っていると感じていた。
(病気、障害、背景、
患者さんの正確、家族、変えた後のことなどなど)精神科も考えていたが、どちらもやる
なら、リハビリ科の方が先がいいのでは?と言われたので、まずはリハビリ科をやってみ
てから考えようと思い、リハ医を目指してみることにした。
・リハビリテーションの考え方がいいと思ったため。
・医学部6年の時、○○先生の講座を見学しに行った時、○○先生(当教室リハ医)の診
察を見学させていただき、その腕っ節に惚れました。患者さんの身体所見を一つ一つ丁寧
にとっていき、また、疾患やリスクファクターなどの特徴とその結果を総合して、何に注
目し何を目指してアプローチしていけばいいのかなどについてのアセスメント&プランを
目の当たりにして、
「こんな風になりたい!」と思いました。それが、リハ医になろうと思
った最終的な決定打となりました。
・個々の患者さんを社会背景まで含めて総合的に診ていきたいと思ったから。
・すごく意味のある仕事だと思えた、いい先輩ドクターがいた、ワークライフバランスが
とれそうだった。
・神経内科と迷って、自分がやりたいのは「脳卒中の急性期治療」がしたいのか、
「脳卒中
になってからのリハビリ治療(寝たきり防止?)」がしたいのか考え、後者だと思ったから。
あと、勧誘していただいたから。
・研修医時代に高齢の肺炎患者さんを受け持ち、指導医の指導の下で、安静臥床・食止め・
抗生物質点滴・補液管理にて加療したことがある。肺炎は治癒したものの、患者さんは廃
用から動くことができなくなり、認知症も進んでしまって、寝たきりになり、施設退院の
転帰を採ってしまった。病気の治療だけでなくて、廃用の予防のためにできるだけ起こし
て体を動かすことをする必要があったわけである。これが急性期リハの概念になる。いの
ちを救うことはもちろん大切だが、生活面が等閑にされることは避けなくてはならない。
生活面を支えることの重要性を実感した。また現代の医療に於いては、さまざまなエビデ
ンスの蓄積があって、それはとてもよいことだが、多くの疾患にガイドラインや決まり切
った手術法ができていて、特に「私でなければならない」
「私でなければできない」という
ことは少なくなっている。非常に優秀な先生は新しい治療法・手術法などを編み出して広
めるなどなさるだろうが、ほとんどはそうではない。おそらく私がやっても他の人がやっ
てもだいたい同じような治療法になるし、同じような結果になると思う。またキャリアに
しても、ほとんどが既定路線。則ち専門を決めた瞬間に、ほとんど最後まで自分の医者人
生が見通せてしまって、しかもその灰色の一本道を一生歩んでいくことになる。
一方で、リハ領域ではガイドラインのようなものはそんなには多くないし、治療法にして
もそう。十人十色の生活パターンに合わせて、千差万別の障害像を呈する患者さん一人ひ
とりの生活をコーディネートするわけである。それは一例一例の治療が、非常にクリエイ
ティヴな発想を要求されるものであり、エキサイティングなものだと思う。経験や知恵に
裏打ちされたものであり、それは「私であるからできる」要素を多く含むものだと思う。
リハ医の未来は自分たちで切り開く部分が多い。
更には学問として発展途上な部分が多いので、様々な研究分野が選り取り見取り。専門科
としてもこれから発展してゆく部分が大きいので、どうなってゆくんだか楽しんでキャリ
アアップをしてゆけるのではないだろうか。
このようなことからリハビリテーション科に進んだわけである。
・面白そうだと思ったから。
・リハビリテーションという分野に他にはない魅力があったから。
・学会が学生対象に夏に開いているリハビリセミナーを見学しに行ったときに、
“私のやり
たいことはこれだ”と直感したので。出身大学ではリハビリを教わっていなかったので、
本当のリハビリの世界を見たときの衝撃は大きかった。
・自分がリハビリを受けることが多かったため。
・学生の頃は、内科では神経内科に興味があった。神経内科の症候学において、病歴、所
見から診断を理論だてて推論していく症候学が attractive に感じ、ポリクリでは神経内科
で多くを学ばせていただいたことから、脳卒中他、神経内科的疾患に興味をもった。生理
学・薬理学的に診療方針を理論で決めていく麻酔科での麻酔や ICU 管理などにも興味があ
った。また、病歴、所見などの全身状態から、合理性があり、art を感じさせつつ、dynamic
に診断と治療が進んでいく救急科にも興味があった。私がみた神経内科は、少数精鋭とい
った印象で、人数の関係から脳卒中ではなく神経難病の診療に終始しているイメージであ
った。診断がついた後は、内科的な管理と病状の評価が主となるのが実際であった。同時
に、徐々に脳卒中や整形外科的な方面から次第にリハビリテーションに興味をもっていっ
た。しかし、リハビリテーション科は、患者と多くの時間を過ごしているのは、PT,OT,ST
であって、扱う疾患も多様であり、臓器特異性がなく、一体何を専門にしているのか、ど
こに専門性があるのか、いまひとつイメージがはっきりしないところがあった。また、他
科をメインとする Dr.が名目的な科長として療法士にお任せのリハビリをしているイメー
ジがあった。そこで、見たことのないリハビリ専門医といわれる人たちはどこに専門性が
あるのだろう、と疑問はあった。国家試験対策の勉強をしているころに、NHK スペシャルで
「たたかうリハビリ」という番組をみた。そこで必死にリハビリをし懸命に生きている患
者をみて、患者の姿に表現しがたい感動を憶えた。昨日まで普通に生きてきた自分が、あ
る日突然脳卒中という恐ろしい病になり、思うように体が動かせなくなった患者が、リハ
ビリによって徐々に身体機能を取り戻していく。その表情に、Lucius Annaeus Seneca の『人
生の短さに付いて』で語られる、真に活きる、ということが表れているような思いにとら
われた。再びどうにか歩けるようになることで、自信を取り戻す、というだけのことでは
ない、病とはなにか、生とは、死とは、人間とは、ということに対する新しい観点をその
表情は示しているように感じた。もともと神経学的な関心もあることから、リハビリテー
ション科というものを一度しっかりみてみよう、と考えた。人間は死ぬ、自信満々で傲慢
な人も、若さを豊かにたたえている人にも、等しく訪れる。病棟や救急でみるように、冷
厳な現実のもと、意識もあるのかないのか、体はやせ細り、今にも止まりそうな呼吸をし、
弱弱しさ以外の何物も表象しえない自分となるときがやってくる。その前に、老いから、
死を意識する機会も増えていくだろう。病人、弱者となること、命の限りが見えた時に、
価値観は、やはり、変わるだろう。何が意味があり、価値があるのかに気付く。そのよう
な人生の第一のテーマを患者が肯定的に問いかけているように見えた。リハビリは身体の
機能、能力、そして社会性が損なわれる人間らしく生きることに対する「障害」に対して、
患者の必要とするところを与えようとする。死(に近づいた)という根源的な弱さを露呈
している相手に対し、関わっていくことで、自分の人生に対する、セネカのあげた大きな
問いに対し、有効な導きとなるのではないか、と直観したのが、長くなったが、一番の理
由だ。実際にリハビリテーション科を見学してみて感じたのは、非常に創造的であること
だ。扱われていない領域が多くあり、工学、再生医療、宇宙開発など他の学問領域との関
わりから、未開拓のままだったところから、新しい治療法や知見が得られつつあり、閉じ
た可能性ではなく、開かれた診療科である。人間の基本的な機能、能力、社会性に対する
障害を扱う医療なのだから、定義からして扱う領域が広範なのが当たり前だ。自分はハイ
パーメディアクリエイターとまではいかないが、クリエイティブな場に興味があるので、
実際に接してみて、リハ科のクリエイティブさは大きな魅力であった。また、研修医のと
きに癌患者が衰弱していく様を見て、癌のリハビリにも非常に興味をもった。
Q. 慶應の
慶應のリハビリ科
リハビリ科を、どのように知
どのように知りましたか?
りましたか?
・研修病院で。
・他病院の見学、実習に行った時に日本のリハビリ科では東大と慶應の二つが主流、のよ
うなことを言われて知った。
・出身大学のため、講義で知った。
・大学六年の時に初期臨床研修先をさがしていて、自分はリハ科志望だったので、リハ科
を見学した。その時偶然慶應リハ科から出向されている先生と出会い、慶應リハ科の教育
システムについて説明してもらって知った。
・大学生時代に授業+ポリクリで知った(出身大学)
。
・母校。
・自分にリハビリ教育をしてくれた助教授の紹介。
・大学の授業。
・ホームページ。
・大学(慶應以外)の先生の紹介。
・出身大学のリハビリ科に、慶應のリハビリ科から出向で来ていた先生から。
Q. 慶應の
慶應のリハビリ科
リハビリ科を選んだ理由
んだ理由。
理由。
・研修体制、病床がある。見学に行っての印象。
・慶應の先生が説明してくださった教育システムが素晴らしいと思えた。関連病院がたく
さんあって、それぞれで学ぶポイントがあるのがすごいと思った。また、
「リハ医って存在
意味あるのかなぁ」という不安に対して、一番自信を持って「意味あるよ!」と答えてく
ださったのは慶應リハ科の先生方だったので、ついていこうと思えた。教授はじめ医局員
のみなさんが非常にエレガントで親切で、知的な雰囲気の方ばかりだった。東京に来るこ
とにためらいはあったけれど、やっぱりリハ医師人生をまっとうするなら慶應が一番いい
環境だと思ったので、入局させていただきたいと思った。それと、女医さんがきらきらし
ていたので、いいと思った。
・他の科と悩んでいたので、その他の大学を見て回る時間がなかった。見学に行っていろ
んな先生とお話をして、一緒に働いてみたいと思える魅力的な先生が何人かいたことも大
きい。
・慶應の先生の腕っ節に惚れた。
・出身大学であり、実際に研修でたくさんの素敵な先生方に出会えたため。
・自分にリハビリ教育をしてくれた助教授が勧めて下さったから。
・母校だったから。大きな医局なのでいろんな経験ができそうだったから。
・非常にしっかりした組織をもち、教育システムを持ち、広く普く学べると思ったので。
・出身大学(慶應以外)の先生の推薦。
・人数が多い、指導者が多い、関連病院が多くて、指導体制が整っているところ。雰囲気。
私生活の面でも考慮していただけるところ。
・慶應出身だから。
Q. 大学の
大学の医局に
医局に入るメリットは
メリットは?
・ある程度均一(質が高い?)な病院を関連病院として持っているので、リハビリ科医に
必要な経験症例を、わりと良い環境で学べる。
・学位をとることをサポートしてくれる、と思う。
・医局派遣で様々な病院を回る→様々な先生と働く機会が持てる、様々な影響を受けるこ
とができる→偏りが少ない。つらいことがあってもその病院に永久就職ではないので、少
し気が楽。医局色に染まりすぎるデメリットも・・・。
・医局という大きな会社に守ってもらっている安心感、何かトラブルが起きたときに、最
後は医局を通して対処してもらえる。
・人のつながり。
・いろいろな先輩、後輩、同期に会える。学べる。働ける。
・たくさんの先生方にご指導頂ける、色々な病院で経験を積むことができる。
・大学の医局では、経験豊かな先生方の診療を見たり、アドバイスをいただいたりするこ
とができる。それは将来にわたって貴重な経験になると思う。学会発表や論文しょうどく
会などもあるので、頭も鍛えられる。
・色々な病院を見て回れる。
・リハ医の生命線は総合力だと思います。医局制度に乗って様々な専門を広く学び、どん
な人でも家に帰せるだけの知識と技量を磨くことが必要だと思います。ゆえに総合病院の
リハ医だけ、などでは片手落ちだと思います。生活にまつわる総合的な診療能力を培うた
めには、急性期、回復期、そして在宅医療などの慢性期、問わず診てゆくことが必須だと
思いますので、それらを一番満たしやすい大学医局に所属するのがよいと考えます。
逆に、今の大学医局制度では、慢性期を診る機会が限定されているのが問題だと思います。
・いろんな研修病院をまわしてもらって、いろんなリハ、リハ医のやりかたを学べる。
・研究ができたり様々な疾患が経験できるが、大きすぎる病院では他科との兼ね合いで動
きにくい面もある。
・研修病院が充実している。
Q. どのようなリハ
どのようなリハ医
リハ医に魅力を
魅力を感じるか。
じるか。どんなリハ
どんなリハ医
リハ医になりたいか。
になりたいか。
・プライド・プロ意識?と、謙虚さと、患者さんへの思いやりのバランスが良いリハ医。
・リハ医であることに誇りを持ち、仕事を心から楽しんでいる先生方。
・患者さんと家族、リハスタッフに信頼されるリハ医。
・リハビリの臨床の基礎的な部分をおさえる。一般的内科や呼吸循環管理ができる。筋電
図、嚥下造影、嚥下内視鏡などリハ科医としての技術をもつ。などの基本を押さえて、ま
ずは専門医をとりたい。リハビリの基礎を勉強し、わかりやすく伝える人、後進を育てら
れるような人になりたい。
・他職種と協調しながらもリーダーシップを取れるような医師。医学的な面で他の職種の
方々をサポートできる医師。患者さんの話をよく聞く医師(これはリハ医に限らず)。
・人間的に優しくて本当に患者さんのためにできることを考えている人、いつも明るくて
ムードメーカーな人、見ていないようで患者さんのポイントをおさえて観察している人。
・患者さんに、
「リハの○○先生にみてもらえてよかった」といわれるような、幸せのお手
伝いができるリハ医。
・研究・診療・教育全てに力を注いでいる先生に魅力を感じる。
・まずはオールマイティにみれるリハ医になりたい。
・
「患者さん本人の『生活』
」を一番に考えて骨身を惜しまないリハ医。
・リハ領域だけでなく、他科の医師にも患者さんの「生活」の重要性を啓蒙できるリハ医。
・知識と心があるリハ医。
・リハビリの知識、エビデンスがしっかりしており、臨床に生かせるような医師。
・目の前の患者さんの困っていることに真摯に向き合って応えられる先生。疑問を自らの
力で解決できる先生。
・患者さんの要望に向き合って応えられる。入院患者さんを笑って退院させてあげられる。
コメディカルとの連携がとれてチームの力を最大限引き出せて患者さんに提供できる。器
の大きい医者。
・患者さんを思っているリハ医。