窒化処理した球状黒鉛鋳鉄の疲労特性に及ぼす 合金元素の影響

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窒化処理した球状黒鉛鋳鉄の疲労特性に及ぼす合金元素の影響
研究論文
窒化処理した球状黒鉛鋳鉄の疲労特性に及ぼす
合金元素の影響
河 崎 裕 介*
隅 岡 純 一*
旗 手 稔**
信 木 関** 浜 坂 直 治*** 山 口 泰 文***
Research Article
J. JFS, Vol. 87, No. 1(2015)pp. 003 ~ 008
Influence of Alloying Elements on Fatigue Properties of
Nitrided Ductile Cast Iron
Yusuke Kawasaki*, Junichi Sumioka*, Minoru Hatate**,
Tohru Nobuki**, Naoji Hamasaka*** and Yasufumi Yamaguchi***
The effects of nitriding treatment on rotating-bending fatigue properties were investigated on nine kinds of pearlitic ductile cast iron samples with Mo(0.1%), Cr(0.1%)
, V(0.1%), Al(0.1, 0.3, 0.5%), Al(0.1%)& Cr(0.1%), Al(0.1%)&V
(0.1%)and without alloying element. The white layer of Fe4N nitride formed on the surfaces of all the samples was about 0.01
mm in thickness. The practical nitrided depth and micro-Vickers hardness at 0.03 mm below the surface in the nitride layer
of the sample without alloying element were 0.148 mm and 549HV, respectively. The addition of alloying elements to nitrided samples increased the practical nitrided depth and hardness in the vicinity of the surface. In the nitrided samples, fatigue
existing in the higher stress range from 500 to 650MPa was found to be longer in the order of no addition, single addition,
and double addition of alloying elements. However, the fatigue limit at 107 cycles in the lower stress range ranged from 410
to 450MPa and no significant difference was seen among the nitrided samples. The improvement of fatigue characteristic by
the addition of the alloying element is considered to be efficient only in the higher stress range. The fatigue strength in the
high stress range is considered to be related to the difference in the initiation time of the fatigue crack because the spacings
of the striation formed on the fracture surfaces are more or less the same in all the samples. This suggests that the larger
the nitrided depth and/or the higher the hardness in the vicinity of surface promoted by the addition of alloying elements,
the more delayed will the crack initiation be.
Keywords : Ductile cast iron, Alloying elements, Fatigue properties, Nitrided process
間を必要とし,この課題を解決する目的で,鋼材では迅速
1.緒 言
7)
窒化鋼が開発されてきた.小林ら は,Cr,V 及び Al 量
球状黒鉛鋳鉄を表面改質する手法としては,ほう化処
理
1 ~ 2)
や窒化処理
3)
などが有効であると評価されており,
表面にほう化物,窒化物などの硬化層を付与する技術が研
4)
を増加させることによって硬化層の表面硬さが向上し,そ
れに伴って窒化層深さも増大することを報告している.し
かしながら,鋳鉄材ではこれらの合金元素を鋼材と同量の
究され,活用されている .そのなかでも,窒化による表
添加とすることはできない.また,球状黒鉛鋳鉄に適用す
面硬化処理は,耐疲労性及び耐摩耗性が向上するだけでな
るにはチル化及び黒鉛球状化の問題を回避し,さらには鋳
く,相手材との焼付き性も改善できる.そのため,たとえ
造性も考慮した上で合金設計を立案する必要がある.
ば建設機械おける油圧制御によって動力を伝達する複雑
そこで,本研究では工業的に実施されている窒化処理条
5)
形状を有する強度部材へ積極的に使用されている .この
件下で,さらに硬さ及び疲労特性を高品位化させた窒化処
背景には,処理温度が変態点よりも低いことから熱による
理球状黒鉛鋳鉄の開発を試行することを目的とする.合金
組織の変化がなく,被処理材への熱ひずみが非常に小さい
元素を単独及び複合添加した球状黒鉛鋳鉄に窒化処理を
6)
ことなど,有意性を発揮する ことが最大の理由である.
施し,表面近傍の窒化特性を調査するとともに引張特性及
その反面,窒化処理によって深い硬化層を得るには長時
び疲労特性を総合して検討する.
受付日:平成 26 年 3 月 5 日,受理日:平成 26 年 10 月 2 日(Received on March 5, 2014; Accepted on October 2, 2014)
* 近畿大学大学院生 Graduate Student, Kinki University
** 近畿大学工学部 Faculty of Engineering, Kinki University
*** (株)コマツ ・ 生産技術開発センター Manufacturing Engineering Development Center, Komatsu Ltd.
4
鋳 造 工 学 第 87 巻(2015)第 1 号
2.実験方法
2. 1 高品位窒化鋳鉄材の合金設計と溶製方法
合金元素の選定は窒化物の標準生成自由エネルギーの変
化
8)
を参考にし,Fe よりも N との親和性が強い元素とし
て Cr,Mo,V 及び Al を選定した.Cr,Mo 及び V はいず
れも黒鉛化阻害元素
9)
であり,黒鉛球状化も考慮して添加
量は 0.1% とした.一方,Al は黒鉛化促進元素
9)
であるが,
添加量が多くなると鋳造性が悪化することが懸念されるの
Fig. 1 Shape and dimension of fatigue test piece.
疲労試験片の形状及び寸法.
10)
で,0.5% までの範囲で添加した .このように,合金元
素は多量に添加できないことが判明したので,複合添加に
よる相乗効果を狙う供試材も計画した.なお,Ti は N と
8)
良好な親和性を有する が,黒鉛球状化の問題から本研究
製作所製,H-5 型)を使用し,回転数 3400rpm,室温大気
中で行った.回転曲げ疲労試験片の形状及び寸法は Fig. 1
では適用しないことにした.
に示すように平行部径 8mm であり,この形状に加工した
供試材は,Cu 及び Mn を調整してパーライトを安定化
後に窒化処理を施した.引張試験は Fig. 1 と同様の平行部
させた FCD700 相当を基準とし,Mo,Cr,V をそれぞれ
径 8mm とし,平行部長さは Fig. 1 より長い 30mm の試験
0.1% 単独添加した 3 試料,Al を 0.1,0.3,0.5% と添加し
片とし,標点距離 25mm の伸び計を装着してクロスヘッ
た 3 試 料,Al と V 及 び Al と Cr を そ れ ぞ れ 0.1% ずつ複
ド移動速度 8.3×10 mm/s の条件で行った.
合的に添加した 2 試料の合計 9 試料とした.試料の溶製
また,窒化材の表面硬さ分布はマイクロビッカース硬度
-3
は,高純度銑鉄と鋼材をそれぞれ 97%,3% の重量割合で
計を使用し,負荷荷重が 0.49N の条件で行った.
溶解素材として配合した溶解重量 20kg を,容量 20KVA
2. 3 窒化特性の評価方法
の高周波誘導溶解炉を用いて行った.溶解素材が溶け落
表面近傍における元素分布は,電子線マイクロアナラ
ちた後,溶湯が 1723K に到達した時点で Fe-75%Si 合金を
イザー(島津製作所製,EPMA-1720H)を使用し,加速電
2.0%,Fe-75%Mn 合金を 0.34% 及び Cu(純銅)を 0.6% 添
圧 15kV,エミッション電流 20mA として 256×192μm の
加して成分調整し,1823K まで昇温して温度保持してから
範囲を 1μm の電子ビームにして積分時間 3.0ms/point の
Fe-45%Si-5.5%Mg 合金を 1.8% 配合して置き注ぎ法によっ
条件で各元素のマッピング分析を行った.窒化物の同定
て黒鉛球状化処理を施し,Fe-50%Si 合金を 0.3% 接種した
は X 線回折装置(Rigaku,MultiFlex)を使用し,Cu-Kα 線
2
後,底部肉厚 32mmY ブロック CO2 鋳型に鋳込んだ.なお, (40kV,20mA)で行った.
Al を添加する場合は純 Al を使用し,1823K の温度保持中
に行った.溶製した試料の化学組成を Table 1 に示す.
3.実験結果及び考察
ガス窒化処理は 2 段ガス窒化処理法を用い,1 段目は
3. 1 鋳放し材及び窒化材の組織
793K で 4.5×3.6ks 間保持中に NH3 ガスのみを流入して炉
Table 2 に各試料の組織解析結果及び基地組織をまとめ
内雰囲気が 75%NH3(残りは大気)になるように設定し,
て示す.溶製した球状黒鉛鋳鉄の黒鉛球状化率はすべて
2 段目は 823K で 15×3.6ks 間の保持中に NH3 - N2 混合ガ
80% 以上であり,黒鉛粒径及び黒鉛粒数はそれぞれ 18 ~
ス(25%NH3)を流入する条件とし,その後炉冷した.
26μm,130 ~ 320 個 /mm の範囲である.基地組織はパー
2
2. 2 回転曲げ疲労試験,引張試験及び硬さ試験
ライトが多い組織となっている.しかし,Al 添加材では
回転曲げ疲労試験は,小野式回転曲げ疲労試験機(島津
Al 添加量の増加とともに,フェライト量が増加する傾向
であり,フェライト化促進効果が認められる.
Table 1 Chemical composition of samples(mass%).
供試材の化学組成.
Sample
No.
C
Si
Mn
P
S
Mg
Cu
Cr
Mo
V
Al
FCD700
3.39
2.68
0.37
0.021
0.012
0.047
0.58
-
-
-
-
Mo 0.1%
3.60
2.70
0.37
0.020
0.012
0.043
0.59
-
0.13
-
-
Cr 0.1%
3.65
2.61
0.36
0.023
0.008
0.041
0.60
0.11
-
-
-
V 0.1%
3.57
2.63
0.39
0.022
0.012
0.044
0.60
-
-
0.08
-
Al 0.1%
3.53
2.48
0.37
0.024
0.008
0.035
0.60
-
-
-
0.10
Al 0.3%
3.70
2.54
0.39
0.021
0.017
0.049
0.59
-
-
-
0.30
Al 0.5%
3.50
2.80
0.36
0.020
0.010
0.037
0.59
-
-
-
0.43
3.50
2.59
0.38
0.020
0.010
0.036
0.60
-
-
0.07
0.11
3.55
2.59
0.38
0.020
0.010
0.043
0.61
0.12
-
-
0.11
Al 0.1%,
V 0.1%
Al 0.1%,
Cr 0.1%
Table 2 Graphite, matrix structures and hardness of
as-cast samples.
鋳放し材の黒鉛 ・ 基地組織及び硬さ.
Sample No.
FCD700 Mo 0.1% Cr 0.1% V 0.1% Al 0.1% Al 0.3% Al 0.5%
Al 0.1%, Al 0.1%,
V 0.1% Cr 0.1%
Nodularity (%)
90.3
92.5
91.9
92.0
90.7
86.6
88.3
89.1
85.1
Nodule Size (μm)
22.7
20.4
18.7
20.5
20.6
22.3
20.4
24.4
26.2
Nodule Count (/mm²)
229
254
318
225
237
206
234
173
137
Graphite (%)
9.8
8.4
8.6
7.4
7.9
8.4
8.2
9.9
9.9
Ferrite (%)
9.0
11.2
6.7
8.9
13.6
16.6
23.9
6.5
8.0
Pearlite (%)
91.0
88.8
93.3
91.1
86.4
83.4
76.1
93.5
92.0
324
321
320
331
338
344
353
335
329
Area
fraction
Hardness of pearlite
(HV)
5
窒化処理した球状黒鉛鋳鉄の疲労特性に及ぼす合金元素の影響
FCD700
V 0.1%
FCD700
V 0.1%
Al 0.1%
Al 0.1%,V 0.1%
Al 0.1%
Al 0.1% , V 0.1%
100μm
Fig. 2 Microstructure near surfaces of nitrided sample.
Fig. 3 Mapping and line analyses of nitrogen distribution near surfaces of nitrided samples.
窒化材の表面付近における組織.
窒化材の表面付近における窒素のマッピング及び線分析.
800
FCD700
Fig. 2 にガス窒化処理を施した試料における表面近傍の
白層による窒化物層とさらに深さ方向へ窒素が拡散する
11)
拡散層で構成される
といわれている.拡散層の存在と
その特性については次項で確認する.
3. 2 表面近傍における元素分布と硬さ分布
Fig. 3 に,窒化処理を施した試料の表面近傍における N
元素のマッピング分析及び赤いライン位置における線分析
結果を示す.この図より,合金元素添加なしの FCD700 と,
Micro Vickers hardness, HV
異はなく約 0.01mm である.表面近傍における窒化層は,
Mo 0.1%
700
組織を示す.表面近傍の白層の厚さは試料の違いによる差
Cr 0.1%
V 0.1%
600
Al 0.1%
Al 0.3%
Al 0.5%
500
Al 0.1%,V 0.1%
Al 0.1%,Cr 0.1%
400
300
200
0
0.1
0.2
合金元素を単独及び複合添加した試料と比較すると,合金
元素が存在すると窒素が拡散する拡散層はやや厚くなる傾
向が認められる.窒化材の表面における X 線回折(XRD)
測定では,表面の窒化物層は主に Fe4N が形成されているこ
0.3
0.4
Distance from surface, mm
0.5
Fig. 4 Hardness distribution near surfaces of nitrided
samples.
窒化処理材の表面付近における硬さ分布.
とを確認した.0.1 ~ 0.5% の範囲における合金元素の添加
では試料の違いによる変化はほとんど現れず,Fe4N のみの
検出であり,添加した合金元素に付随した窒化物は確認で
きなかった.これは,合金元素の添加量が少ないために検
出されなかったと考えられるので,以下の調査を追加した.
Al 0.1%, V 0.1% の複合添加材を用いて表面から深さ方向
へバフ研磨していき,0.02,0.03,0.05,及び 0.08mm の
位置において XRD 測定を行った.表面では Fe4N のメイ
Table 3 Practical depth and maximum hardness of
nitrided layers.
実用窒化層深さと窒化層の最大硬さ.
Sample No.
FCD700 Mo 0.1% Cr 0.1% V 0.1% Al 0.1% Al 0.3% Al 0.5%
Al 0.1%, Al 0.1%,
V 0.1% Cr 0.1%
Plactical depth
of nitrided layer [mm]
0.148
0.175
0.183
0.205
0.188
0.188
0.215
0.213
0.225
Hardness at a distance
of 0.03mm from
sample surface [HV]
549
592
607
619
632
643
747
669
659
ンピークが確認でき,表面から深くなるに従って Fe4N の
ピーク値が低くなり,α-Fe のピーク値が次第に高くなる.
り全体的に高い硬さを示しており,さらに表面近傍の硬
そこで,Fe4N のピーク値がほぼ消失した深さ 0.08mm の
さの高い方が窒化層深さも増加することがわかる.JIS G
位置における表面で元素マッピング分析を行った.添加し
0562 に規定されている実用窒化層深さと深さ 0.03mm に
た Al 及び V 元素と N 元素が共晶セル境界部において同じ
おける表面硬さ(最大硬さ)をまとめて Table 3 に示す.
位置に点在して濃化することが検出されたので,添加した
Al 添加量の増加及び Al と Cr や V の複合添加材では,良
合金元素の窒化物が形成することが確認された.
好な窒化特性が得られている.
Fig. 4 に,窒化材の表面近傍における硬さ分布を示す.
3. 3 引張特性に及ぼす窒化処理と添加元素の影響
合金元素を添加したいずれの試料においても,FCD700 よ
試料 Cr 0.1% を使用し,鋳放し材と平行部径 8mm の試
6
鋳 造 工 学 第 87 巻(2015)第 1 号
験片に加工した後に窒化処理を施した窒化材の引張試験
700
FCD700 As-cast
FCD700
V 0.1%
Al 0.1%
Al 0.5%
Al 0.1%, V 0.1%
Al 0.1%, Cr 0.1%
を行った.各試料の応力-ひずみ線図を Fig. 5 に示す.
鋳放し材の引張特性は 0.2% 耐力点を通過した後に塑性変
通過して大きな塑性変形を伴うことなく,破断することが
3)
わかる.前之園ら も窒化した球状黒鉛鋳鉄において同様
の結果を示しており,窒化の有無により応力-ひずみ線図
の変遷は同じような経過を辿るが,窒化処理すると塑性変
600
Stress, MPa
形を伴ってから破断に至るのに対し,窒化材では耐力点を
500
400
形が開始してから試験片の大きな変形を伴わずに破断に
至ることを指摘している.
300
104
105
106
107
Number of cycles to failure, Cycles
108
1000
Fig. 6 S-N curves of as-cast and nitrided samples.
鋳放し及び窒化処理材の S-N 曲線.
Stress, MPa
800
600
FCD700 As-cast
FCD700
V 0.1%
Al 0.1%
Al 0.1%,V 0.1%
Al 0.1%,Cr 0.1%
Failure point
400
As-cast
Without nitrided layer
200
With nitrided layer
0
0
1
2
3
4
Strain, %
5
6
7
Fig. 5 Stress-strain curves of nitrided samples with
0.1%Cr.
Cr 0.1% 窒化材の応力-ひずみ曲線.
窒化層が表面に存在する影響と窒化処理時間が長時間
Direction of crack growth
に及ぶために熱影響の両者が混合された結果として引張
特性が低下したと考えられる.そこで,平行部径 9mm の
試験片に窒化処理を行った後に窒化層を除去して 8mm の
平行部径とした窒化層除去材の結果を,同図に併記した.
その応力-ひずみ線図の挙動は鋳放し材とほぼ一致して
おり,窒化処理で付与される熱影響はほとんどないことが
5mm
わかる.すなわち,窒化層が表面に存在すると,試料全体
の塑性変形能を抑制し,その結果として引張強さ及び伸び
の低下を引き起こす.
3. 4 疲労特性に及ぼす窒化処理と添加元素の影響
Fig. 7 Macro observation of fracture surfaces(applied
stress : 550MPa).
破面のマクロ観察(550MPa).
疲 労 特 性 に 及 ぼ す 窒 化 層 の 影 響 を 検 討 す る た め,
FCD700 鋳放し材及び,Mo 0.1%, Cr 0.1% 及び Al 0.3% 窒
ここで,一定の高応力負荷の場合に高寿命側に移行させ
化処理材を除いた窒化材 6 試料の合計 7 試料の疲労試験を
るのは,①亀裂の発生する時期が遅延する,②亀裂の進展
実施した.Fig. 6 に FCD700 鋳放し材及び各窒化材の回転
する速度が小さくなる,③これら 2 つの相乗効果の 3 つ理由
曲げ疲労試験の結果を示す.FCD700 鋳放し材と比較して
が考えられる.まず,②の亀裂が進展する速度の影響を調
各窒化材の疲労特性は向上している.一方,窒化処理を施
査するために疲労破面の観察を行った.Fig. 7 に,負荷応力
した各試料の疲労特性は複雑に変化し,高応力側では窒化
550MPa で破断した試験片における疲労破面のマクロ観察結
層が付与された効果として長寿命となることは顕著であ
果を示す.全試料ともに,疲労亀裂の進展領域は平坦で光
るが,疲労限度は 420 ~ 450MPa に集まり,その有意性は
沢がない破面となるが,最終破断部は凹凸があり光沢のある
認められない.このように,疲労特性に及ぼす窒化層の効
破面となる.FCD700 鋳放し材では破壊の起点が複数確認で
果としては高応力負荷時に有意差が現れるが,疲労限度近
き,それらが合体して最終破断に至っている.一方,窒化材
傍の低応力負荷では大きく変化しないことになる.
ではこの図の下部の一ヶ所を起点として亀裂が発生し,それ
7
窒化処理した球状黒鉛鋳鉄の疲労特性に及ぼす合金元素の影響
0.3
Striation
Al 0.1%,V 0.1%
FCD700
Striation spacing, μm
Stripe-like
FCD700 As-cast
FCD700
V 0.1%
Al 0.1%
Al 0.5%
Al 0.1%,V 0.1%
Al 0.1%,Cr 0.1%
0.2
0.1
0
Al 0.1%,Cr 0.1%
Direction of crack growth
0.0
2µm
20µm
Fig. 8 SEM observations at distance of 0.3mm from
initiation of fatigue crack in samples fractured by
applied stress of 550MPa.
負荷応力 550MPa で破断した試料における疲労亀裂の起
点から 0.3mm の距離での SEM 観察.
0.5
1.0
1.5
Distance from surface, mm
2.0
2.5
Fig. 9 Relationship between distance from surface and
striation spacing.
表面からの距離とストライエーション間隔との関係.
亀裂発生の起点表面から 2mm までの範囲における各位
置で撮影した SEM 写真よりストライエーション間隔を測
定した.その結果を,Fig. 9 に示す.なお,供試材の基地
組織はパーライトを多く含むため,その層間隔を測定した
ところ,ストライエ-ション間隔は 0.2μm 以下の値に対し
て,パーライトの層間隔は 0.5μm 以上であった.すなわち,
Fig. 8 に示した微視的な模様はストライエーションである
と判断される.また,表面から 0.2mm 深さまでは高硬度
な窒化層が存在するため,脆性的な段差を伴う劈開破面が
が進展している.なお,各試料の亀裂が発生した表面近傍
観察され,ストライエーションを伴う縞状破面が形成する
における破面を SEM で広範囲に観察した結果,引け巣など
のは表面から 0.3mm 以上の深さ方向に形成されることを
が起点となって亀裂が発生した痕跡は各試料とも確認されな
確認した.Fig. 9 の結果は,疲労亀裂が進展していく過程
かったことから,表面から亀裂が発生したと判断した.岡崎
で形成したストライエーションが観察され,その間隔が正
12)
は硬さ分布と残留応力分布から表面硬化材の疲労限度
確に測定できていることになる.負荷応力が一定の場合に
を評価するため,深さ方向に対する疲労限度分布曲線と負荷
は表面からの距離に関係なくほぼ同じストライエーショ
応力線の交点が疲労限度となることを推定している.窒化材
ン間隔となり,さらに試料による差異も明確に現れないと
では表面から深さ方向に向かって,疲労限度の分布曲線は低
判断できる.このように,高負荷応力時に高寿命へ移行し
下していき,負荷される応力が最表面の疲労限度より大きい
たのは,試料の違いによって亀裂の進展挙動は相違しない
ら
場合は表面から亀裂が発生するとしている.
ので,②と③の理由はないものと判断され,すなわち①の
Fig. 8 に,負荷応力 550MPa で破断した合金元素添加
亀裂の発生する時期が遅延することによると考えられる.
な し FCD700 と, 複 合 添 加 Al0.1%, V0.1% 及 び Al0.1%,
一方,低負荷応力の場合,表面から深さ方向への疲労限
Cr0.1% の各試料における亀裂起点の表面から約 0.3mm の
度分布曲線の推移
12)
から表面近傍の最弱部,すなわち負荷
位置での SEM 観察写真を示す.同図の左側における観察
される応力が最表面の疲労限度より小さくなり,窒化層と
では縞状破面が確認でき,右側の高倍率観察では 1 回毎の
内部組織との界面で疲労限度は決定される.そのため,窒
繰返しで亀裂が進展した痕跡として現れるストライエー
化処理材の疲労限度は内部組織に依存することになり,窒
ションが確認できる.同図に示した主亀裂の進展方向と
化層付与の効果は小さくなって現れる.したがって,内部
必ずしも同方向にストライエーション模様が形成されて
組織がほぼ同等の強度であれば,表面に 0.3mm 程度の窒化
いない.球状黒鉛鋳鉄では,マクロ的な主亀裂とミクロ
層を有していても疲労限度は大きく向上しないことになる.
的なストライエーション間隔から測定される両者の亀裂
疲労特性に及ぼす窒化層の影響について,片平らは高応
進展速度が一致しないと指摘されており,その理由とし
力負荷時では効果的であるが,疲労限度付近の低応力負
て,ストライエーションは黒鉛を中心として放射状に形
荷時ではその効果が集束することを指摘している .した
13)
14)
成されることに起因すると説明している .このストライ
がって,高応力負荷時に亀裂が遅延して発生し,長寿命と
エーション間隔を亀裂が進展する各位置で測定すること
なるのは明らかに窒化層の効果である.そこで,窒化特性
によって,微小領域における進展速度に及ぼす窒化処理や
の異なる窒化層が付与された場合に高応力負荷時におけ
合金元素の添加の効果に差違が現れるか否かを検討した.
る疲労特性への効果を明らかにするために以下の考察を
8
鋳 造 工 学 第 87 巻(2015)第 1 号
Practical depth of nitrided layer, mm
0.25
このように,合金元素の添加はある一定の窒化処理時間に
FCD700 As cast
0.2
FCD700
おいて,硬さ特性を向上させる.この窒化材の用途を考え
V 0.1%
ると,Fig. 5 の応力-ひずみ線図から,設計上は 0.2% 耐力
Al 0.1%
とすると引張特性は特に問題はなく,耐摩耗性及び耐焼付
Al 0.5%
0.15
き性の観点からも,表面近傍における硬さの向上に合金元
Al 0.1%,V 0.1%
Al 0.1%,Cr 0.1%
0.1
Effect of case-hardening
by nitriding
素の添加は有効であり,さらに疲労特性が向上する高品位
窒化球状黒鉛鋳鉄の開発に関する指標となると考えられる.
0.05
4.結 言
0
104
105
106
Number of cycles to failure by applied stress of 550MPa, Cycles
合金元素を単独及び複合添加した異なる種類の球状黒
鉛鋳鉄にガス窒化処理を施し,窒化層などの窒化特性を調
査するとともに,疲労特性に及ぼす合金元素の影響を検討
550MPa の負荷応力で破断した試料における実用窒化
0.3mm までの深さである.窒化物層は主に Fe4N で構成
層深さに伴う破断繰返し数の変化.
され,合金元素の添加によって合金元素の窒化物が生成
Maximum hardness of nitrided layer at
a distance of 0.03mm from sample surface, HV
Fig. 10 Change in number of cycles to failure with
practical depth of nitrided layer in samples fractured by
applied stress of 550MPa.
した結果,以下の結論が得られた.
1) 本研究の窒化処理条件における窒化層は表面から約
するだけでなく,窒化層が深くなり,硬さ特性も向上する.
800
2) 窒化層は,引張特性を劣化させる.
FCD700 As cast
3) 窒化層は,高応力負荷における疲労特性を顕著に向
FCD700
V 0.1%
上させるが,疲労限度は大きく向上させない.
Al 0.1%
600
Al 0.5%
謝辞
Al 0.1%,V 0.1%
Al 0.1%,Cr 0.1%
400
200
104
実験に協力戴きました近畿大学工学部卒業生 ・ 藤原功治
Effect of case-hardening
by nitriding
105
氏(現在,(株)滝澤鉄工所)に厚く感謝申し上げます.
106
Number of cycles to failure by applied stress of 550MPa, Cycles
Fig. 11 Change in number of cycles to failure by applied
stress of 550MPa with maximum hardness of nitrided
layer at distance of 0.03mm from sample surface.
試験片表面から 0.03mm の距離における窒化層の最大硬
さに伴う負荷応力550MPaにおける破断繰返し数の変化.
参考文献
1)池永明,鄭寅謨,川本信,曽根匠,加藤寛敬:鋳物
64(1992)6, 376
2)堀江皓,中村満,平塚貞人,亀田和夫,小綿利憲,藤
村幸司:鋳物 65(1993)2, 118
3)前之園好爾,永井恭一,岸武勝彦:鋳物 64(1992)6,
388
4)香川明男:鋳造工学 76(2004)6, 478
5)D. Liedtke ら原著,宮本吾郎 監訳:鉄の窒化と軟窒化
加える.Fig. 10 及び Fig. 11 に,550MPa の高負荷応力時
(アグネ技術センター)
(2011)265
における実用窒化層深さと破断繰返し数との関係及び表
6)森崇:鋳造工学 76(2004)6, 517
面近傍の最大硬さと破断繰返し数との関係をそれぞれ示
7)小林一博,細田賢一,坪田一一,有見幸夫,山岡孝:
す.高応力負荷時において FCD700 鋳放し材と各窒化材を
比較すると,窒化層が深くなって表面の硬さが高くなるに
従って,疲労特性が向上することがわかる.
これらの結果から,一定の高応力負荷において長寿命側
へ移行する理由として,窒化処理によって生成した窒化層
Sanyo Technical Report, Vol. 1(1994)No. 1, 19
8)日本金属学会編:第 3 版 金属データブック(丸善)
(1993)
98
9)中江秀雄 監修:新版 鋳鉄の材質(日本鋳造工学会)
(2012)10
が亀裂の発生する時期を遅延させることに起因すると結
10)芹田陽:鋳物 34(1962)5, 363
論づけられる.
11)D. Liedtke ら原著,宮本吾郎 監訳:鉄の窒化と軟窒化(ア
3. 4 高品位窒化球状黒鉛鋳鉄の開発
FCD700 鋳放し材と比較して,各種合金元素を単独ある
いは複合添加材では N 元素が拡散する深さは合金元素の量
グネ技術センター)
(2011)9
12)岡崎章三,中村宏,岡田満,鈴木恵:材料 30(1981)332,
471
に依存する.鉄の窒化物だけでなく,添加した合金元素に
13)塩田俊雄,旗手稔,松岡敬:鋳物 66(1994)8, 579
付随した窒化物も併せて形成することによって,表面近傍
14)片平和俊,鈴木秀人:日本機械学会論文集 63(1997)
の硬さは全体的に高くなり,実用窒化層深さは増大する.
612, 1607