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ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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劉師培『経学教科書』訳注(十三)
井澤, 耕一
茨城大学人文学部紀要. 人文コミュニケーション学科論集
, 16: 227-232
2014-03
http://hdl.handle.net/10109/8725
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232
井
澤
耕
一
〔現代語訳〕
此近儒之『詩経』学也。
伝名物集覧﹄、黄中松作﹃詩疑弁証﹄、亦与焦同。亦多資多識、博聞之用。
徴』、焦循作『毛詩草木虫魚鳥獣釈』、姚炳作﹃詩釈名解﹄、陳大章作﹃詩
劉師培『経学教科書』訳注(十三)
第三十二課
近儒之詩学
国初説『詩』之書、如銭澄之、﹃田間詩学﹄
。厳虞惇、﹃読詩質疑﹄
。
棟高作『毛詩類釈』、亦多鑿空之詞。又呉江朱鶴齢作『詩通義』、雑
清朝の初め、『詩』 を解釈した者として、 例えば銭澄之、﹃田間詩
顧鎮 ﹃虞東学詩﹄。咸無家法。而毛奇齢作『毛詩写官記』『詩札』、顧
采漢宋之説、 博而不純。 陳啓源与鶴齢同里、 商榷『毛詩』、 作『毛
学﹄
。厳虞惇、﹃読詩質疑﹄
。 顧 鎮 ﹃虞 東 学 詩﹄
。 が い た が、 彼 ら に は 皆
︵5︶
3
詩稽古編』、 雖未標漢学之幟、 然考究制度名物、 尚能明晰弁章。 及
な家法が無かった。 毛奇齢は『毛詩写官記』『詩札』 を、 顧棟高は
2
李黼平作『毛詩紬義』、 戴震作『毛鄭詩考正』『詩経補注』、 咸宗漢
『毛 詩 類 釈』 を 著 し た が、 そ の 大 半 が 空 疎 な 論 で あ った。 さ ら に 呉
1
詁。段玉裁受業戴震、復作『毛詩故訓伝』
『詩経小学』、以校訂古経、
江 の 朱 鶴 齢 は 『詩 通 義』 を 著 し、 漢 宋 の 両 説 ど ち ら も 採 り、 そ の
© 2014 茨城大学人文学部(人文学部紀要)
︵4︶
然択言短促。 惟馬瑞辰『毛詩伝箋通釈』、 胡承琪『毛詩後箋』 稍為
範囲は博かったが純粋ではなかった。 陳啓源は、(朱) 鶴齢と同郷
︵6︶
精博。 至陳奐受業段玉裁、 作『毛詩義疏』、 舎鄭用毛、 克集衆説之
で、『毛詩』 を検討した上で『毛詩稽古編』 を著し、 漢学の幟は標
︵7︶
みはた
大成。並作『毛詩説』『毛詩音』及『鄭氏箋考徴』、以考『鄭箋』之
榜してはいなかったものの、制度・名物を考証し、明快に分析して
︵8︶
所本。 近儒治﹃鄭箋﹄者、有江都梅植之擬作﹃鄭箋疏﹄、未成。至若恵周
いる。李黼平は『毛詩紬義』を、戴震は『毛鄭詩考正』
『詩経補注』
︵ ︶
10
︵9︶
惕作『詩説』、荘存与作『毛詩説』、則別為一派、舎故訓而究微言。
を著したが、いずれも漢の訓詁を尊崇した。段玉裁は戴震について
︶
ことば
詳于礼制。及魏源作『詩古微』
、斥『毛詩』而宗三家詩、然択説至淆。
学び、
『毛詩故訓伝』『詩経小学』を著して、古経を校訂したが、語
11
一一
︵
龔自珍亦信魏説、 非毛非鄭、 並斥序文。 又丁晏作『詩考補注』、 専
︶
の選択には拙速なところがある。 ただ馬瑞辰『毛詩伝箋通釈』、 胡
︵
採三家之説。陳喬樅作『三家詩遺説』
、 並作『斉詩翼氏学疏証』、 皆
承珙『毛詩後箋』はいくぶん精深博大であった。陳奐については、
一
- 六頁
以三家為主、然単詞碎義、弗克成一家之言。若夫包世栄作『毛詩礼
劉人師
教ー
科シ
書ョ﹄
三十
︶六号、一一
﹃
文培
コ﹃
ミ経
ュ学
ニケ
ン訳
学注
科︵
論十
集﹄
12
231
井澤
耕一
︶
︶
︵
︶
︵
︶
︶
25
︶を参照。﹃田間詩学﹄十二巻は、﹃四庫全書総
れらには博物学的価値がある。以上が近儒(清儒)の『詩経』学で
︶ 銭 澄 之 に つ い て は 第 三 十 課 注︵
〔注釈〕
ある。
︵
目提要﹄経部詩類二に著録されており、そこには﹁大旨は﹁小序﹂の首句を以て
主と為し、採る所の諸儒の論説は、
﹃注疏﹄
﹃集伝﹄より以外、凡そ二程子、張子、
︵
一二
歐陽脩、蘇轍、王安石、楊時、范祖禹、呂祖謙、陸佃、羅願、謝枋得、厳粲、輔広、
ぐ とん
真徳秀、邵忠允、季本、郝敬、黃道周、何楷の二十家なり﹂とある。
︶ 厳 虞 惇 ︵一 六 五 〇 ―
一七一三︶、 字は宝成、 江蘇常熟の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
百八十四文苑伝、﹃清史列伝﹄ 巻七十一文苑伝を参照。 その著﹃読詩質疑﹄ 三十
一巻附録十五巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に著録されており、 そこに
おおむね
かかわら
は ﹁大 致 皆 な 平 心 静 気、 毛 朱 両 家 を 玩 味 研 求 し、 長 を 択 び 短 を 棄 て、 惟 だ に 門
戸の心を存せざるのみに非ずして、亦た併せて調停の見に渉らず﹂とある。
九二︶、 字は備九、 号は古湫、 虞東、 常熟の人。 その著﹃虞東
―
学詩﹄ 二十巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に著録されており、 そこには
︵ ︶毛奇齢については、第三十課注︵ ︶を参照。その著﹃毛詩写官記﹄四巻、
﹃詩札﹄
取る所を多しとす﹂とある。
紛を解く。徴引する所は凡そ数十家、而して歐陽脩、蘇轍、呂祖謙、厳粲の四家、
﹁︵顧鎮︶ 是の編を作り, 両家の説︵﹁小序﹂ と﹃詩集伝﹄︶ を調停し、 以て其の
︶ 顧 鎮 ︵一 七 二 〇
︵
2
段玉裁より学び、『毛詩義疏』 を著し、 鄭箋を棄てて毛伝を用い、
種々の解釈を集大成した。 加えて『毛詩説』『毛詩音』 及び『鄭氏
︶
箋考徴』 を著し、『鄭箋』 が三家詩に拠ったことを考証したのであ
︵
︶
︵
る。﹃鄭箋﹄を研究した近儒として、江都の梅植之がおり﹃鄭箋疏﹄を作成
︵
しようとしていたが、完成しなかった。恵周惕が『詩説』
、荘存与が『毛
詩説』を著すに至っては、従来とは異なった一学派を形成し、訓詁
︶
を捨て去り微言大義を探究したのである 。礼制に詳しかった。魏源は
︵
『詩古微』を著した際、
『毛詩』を斥け三家詩を尊崇したが、学説の
︵
詩翼氏学疏証』を著した。両者共三家詩を重んじたが、言葉の解釈
︵
毛伝、鄭箋を批判し、あわせて序文を斥けた。さらに丁晏は『詩考
選択については極めて混淆している。龔自珍も魏源の説を信じて、
17
は支離滅裂で、独自の学説を立てることはできなかった。例えば包
︵ ︶
22
︵ ︶顧棟高については、第二十六課注︵ ︶を参照。その著﹃毛詩類釈﹄二十一巻は、
札﹄︶の中は多くは定論に非ず﹂に拠ったものか。
の書︵﹃毛詩写官記﹄︶ 好んで異説を為すと雖も﹂ および﹃詩札﹄ 解題﹁其︵﹃詩
劉師培の評語﹁鑿空之詞﹂ は、﹃四庫全書総目提要﹄ の﹃毛詩写官記﹄ 解題﹁其
二 巻 は ﹃四 庫 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 詩 類 二 に 著 録 さ れ て い る。 こ の 二 書 に 対 す る
6
14
15
補注』を、三家説のみを採用した。陳喬樅は『三家詩遺説』および『斉
18
世栄は『毛詩礼徴』、 焦循は『毛詩草木虫魚鳥獣釈』 を著したが、
24
︵
︶ を参照。 その著﹃詩通義﹄ 三十巻は、﹃四
一六八九︶、字は長発、広東南海の人、伝は﹃清史稿﹄巻四百八十
―
儒林伝、﹃清史列伝﹄ 巻六十八儒林伝を参照。 その著﹃詩通義﹄ 三十巻は、﹃四
蘇轍、呂祖謙、厳粲を用う﹂に拠ったものである。
釆 る 所 の 諸 家、 漢 に 於 い て は 毛、 鄭 を 用 い, 唐 は 孔 穎 達 を 用 い、 宋 は 歐 陽 脩、
全書総目提要﹄解題﹁是書は専ら﹁小序﹂を主とするも、力めて序の非を駁廃す。
庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に著録されている。 本文の記述については、﹃四庫
︶ 朱 鶴 齢 に つ い て は 第 三 十 一 課 注︵
︵
一八三三︶、 字は繡子、 広東嘉応の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
―
百八十二儒林伝、﹃清史列伝﹄ 巻六十九儒林伝を参照。 その著﹃毛詩紬義﹄ 二十
四巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。
︶ 李 黼 平 ︵一 七 七 〇
ふ
ものなり﹂と評されている。
斯 に 於 い て 盛 ん な り と な す、 此 の 編 ︵毛 詩 稽 古 編︶ は 尤 も 其 の 最 も 著 ら か な る
庫 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 詩 類 二 に 著 録 さ れ て お り、 そ こ で は ﹁古 義 彬 彬 と し て、
︶ 陳 啓 源 ︵?
︵
﹃四庫全書総目提要﹄経部詩類二に著録されている。
39
10
19
23
3
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姚炳は﹃詩釈名解﹄、 陳大章は﹃詩伝名物集覧﹄、 黄中松は﹃詩疑弁証﹄ を
21
4
7
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著したが、 焦循と同様の研究である。多 く の 資 質 と 見 識 と が あ り、 そ
23
5
8
13
1
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︵
︵
︵
作として﹃毛鄭詩考正﹄四巻、﹃詩経補注﹄二巻が著録されている。
︶ 戴震の﹃詩﹄ に関する著作として、﹃清史稿﹄ 芸文志・ 経部・ 詩類には、 彼の著
︶段玉裁の﹃詩﹄に関する著作として、﹃清史稿﹄芸文志・経部・詩類には、﹃詩経
小学﹄四巻、﹃毛詩故訓伝﹄三巻が著録されている。
︶ 馬 瑞 辰 ︵一 七 八 二 ―
一八五三︶、 字は元伯、 安徽桐城の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
百八十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃毛詩伝箋通釈﹄三十二巻は、
﹃清
きょう
一八四三︶、 字は蘊生、 江蘇江都の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻五
―
史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。
︵ ︶荘存与については第三十一課注︵ ︶参照。その著﹃毛詩説﹄四巻は、
﹃清史稿﹄
︵
︵
︶ を参照。 その著作﹃詩古微﹄ 二十巻は、﹃清
芸文志・経部・詩類に著録されている。
︶ 魏 源 に つ い て は 第 三 十 一 課 注︵
史稿﹄ 芸文志・経部・書類に著録されている。 本文の﹁﹃毛詩﹄ を斥け三家詩を
か ろ う
尊崇した﹂という記述は、序中の﹁斉、魯、韓﹃三家詩﹄の微言大義を発揮し、
其 の 罅 漏 を 補 苴 し、 其 の 幽 渺 を 張 皇 し、 以 て ﹃毛 詩﹄ の 美、 刺、 正、 変 の 滞 例
を豁除す﹂に拠ったものであろう
一 八 四 一︶ は ﹁己 亥 雑 詩﹂ 第 六 十 三 首 自 注 に お い て ﹃非 序﹄
―
﹃非毛﹄﹃非鄭﹄各一巻を著したと述べている。
︶ 龔 自 珍 ︵一 七 九 二
︵ ︶丁晏については第二十五課注︵ ︶を参照。その著作として、
﹃清史稿﹄芸文志・
︵
経部・詩類には、﹃毛鄭詩釈﹄ 四巻、﹃鄭氏詩譜考正﹄ 一巻、﹃詩考補注﹄ 二巻補
きょうしょう
遺一巻、﹃毛詩陸疏校正﹄二巻、﹃詩集伝附釈﹄一巻が著録されている。
︶ 陳 喬 樅 ︵一 八 〇 九 ―
六九︶、字は樸園、福建閩県の人、伝は﹃清史稿﹄巻四百八
十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。彼の﹃詩﹄に関する著作として、
﹃清史稿﹄
芸文志・経部・詩類には、
﹃三家詩遺説考﹄四十九巻、
﹃毛詩鄭箋改字説﹄四巻、
﹃四家詩異文考﹄ 五巻、﹃斉詩翼氏学疏証﹄ 二巻、﹃詩緯集証﹄ 四巻が著録されて
劉師培﹃経学教科書﹄訳注︵十三︶
ほうせいえい
いる。
一八二六︶、字は季懐、安徽涇県の人、清代の書家、包世臣︵一
―
︶ を 参 照。 本 文 中 の 著 作 は、 手 稿 本 は 現 存 し て い
0
︶ 姚炳、 字は彦暉、 浙江銭塘の人。 その著﹃詩識名解﹄ 十五巻は、﹃四庫全書総目
ようへい
るが、﹃清史稿﹄芸文志には著録されていない。
︶ 焦 循 に つ い て は 第 三 十 課 注︵
七七五 ―
一八五五︶ の従弟。﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・詩類には、 包世栄﹃毛詩
礼徴﹄十巻が著録されている。
︵ ︶包世栄︵一七八三
︵
︵
、 号 は 雨 山、 湖 北 黄 岡 の 人、 伝 は ﹃清 史 列 伝﹄ 巻 六 十 六 儒 林 伝
き
提要﹄経部詩類二に著録されている。
を参照。 その著﹃詩伝名物輯覧﹄ 十二巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に
︶ 陳 大 章、 字 は 仲
著録されている。
一三
会通礼制、不墨守何氏之言。淩曙作『公羊礼説』『公羊礼疏』『公羊
為『左氏』之学。治『公羊伝』者、以孔広森『公羊通義』為嚆矢、
為最備。 至先曽祖孟瞻公作『左伝旧注正義』、 始集衆説之大成、 是
伝補釈﹄。咸糾正杜注、引申賈、服之緒言、以李貽徳『賈服古注輯述』
彤、
﹃春秋左伝小疏﹄。洪亮吉、
﹃左伝詁﹄。馬宗 、
﹃左伝補注﹄。梁履縄﹃左
作『杜解集正』、朱鶴齢『読左日鈔』本之。而恵棟、﹃左伝補注﹄。沈
高『春秋大事表』博大精深、惜体例未厳。治『左氏』者、自顧炎武
法。恵士奇作『春秋説』、以典礼説『春秋』、其書亦雑糅三伝。顧棟
又作『春秋簡書刊誤』『春秋属辞比事記』、以経文為綱、然穿鑿無家
通論﹄。兪汝言﹃春秋平義﹄
﹃四伝糾正﹄。之書是也。毛奇齢作『春秋伝』
、
順、 康之交、 説『春秋』 者、 仍仿宋儒空言之例。 如方苞、﹃春秋
第三十三課
近儒之春秋学
経部詩類二に著録されている。
︵ ︶黄中松、字は仲厳、上海の人。その著﹃詩疑弁証﹄六巻は、
﹃四庫全書総目提要﹄
︵
13
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23
24
史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。
︵ ︶原文の﹁胡承琪﹂は﹁胡承珙﹂の誤り。胡承珙︵一七七六 一
―八三二︶、字は墨莊、
安徽涇県の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八十二、﹃清史列伝﹄ 巻六十九を参照。 そ
ちんかん
の著﹃毛詩後箋﹄三十巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。
百三芸術伝を参照。
︶ 梅 植 之 ︵一 七 九 四
ばいしょくし
音﹄四巻、﹃毛詩説﹄一巻、﹃毛詩伝義類﹄一巻が著録されている。
芸文志・経部・詩類には、﹃詩毛氏伝疏﹄ 三十巻、﹃鄭氏箋考徴﹄ 一巻、﹃釈毛詩
︵ ︶陳奐については第十一課注︵ ︶参照。彼の﹃詩﹄に関する著作として、
﹃清史稿﹄
︵
43
︵ ︶恵周惕については、第三十課注︵ ︶を参照。その著﹃詩説﹄三巻附録一巻は﹃清
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9
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229
一四
が、なかでも李貽徳の『賈服古注輯述』が最も備わっていると思わ
井澤
耕一
問答』、亦以『礼』為綱。 並注董子﹃繁露﹄。弟子陳立広其義、作『公
れる。そして曽祖父の孟瞻公が『左伝旧注正義』を著してから、よ
︶
羊正義』。 並疏﹃白虎通﹄。及荘存与作『春秋正辞』、 宣究『公羊』 大
うやく諸説が集大成された。 これが『左氏』 学である。『公羊伝』
︵
義、其甥劉逢禄復作『公羊何氏釈例』
『何氏解詁箋』、並排斥『左伝』
を研究した者としては、孔広森『公羊通義』を嚆矢とするが、それ
︶
『穀梁』。而宋翔鳳、魏源、龔自珍、王闓運咸以『公羊』義説群経、
は礼制と融合させ、何休説を墨守しなかった。淩曙も『公羊礼説』
︵
是為『公羊』之学。治『穀梁』者、有侯康、﹃穀梁礼証﹄。柳興恩、﹃穀
『公 羊 礼 疏』『公 羊 問 答』 を 著 し た が、『礼』 を 大 本 と し た。 合わせ
︶
梁大義述﹄。許桂林、﹃穀梁釈例﹄。鍾文烝 ﹃穀梁補注﹄。咸非義疏。梅毓
て董仲舒﹃春秋繁露﹄ に注した。弟子の陳立はさらにその意を発展さ
︶
︵
作『穀梁正義』、亦未成書。是為『穀梁』之学。若夫段玉裁校定古経、
せ、
『公羊正義』を著した。あわせて﹃白虎通﹄に注した。荘存与が『春
︵
陳厚耀校正暦譜、江永考究地輿、咸為有用之学。此近儒之『春秋』
秋正辞』 を著した際には、『公羊』 の大義を深く究明し、 その甥で
︵
︶
学也。
17
15
14
16
︵
︶
︵ ︶
︵
︶
『穀 梁 伝』 を 斥 け た。 そ の 後 宋 翔 鳳、 魏 源、 龔 自 珍、 王 闓 運 も ひ と
︶
〔現代語訳〕
しく『公羊』思想に拠って諸経を解釈した。これが『公羊』学であ
︵
順治から康煕年間にかけて、『春秋』 を解釈した者は、 宋儒が空
︶
︶
る。
『穀梁伝』を研究した者として、侯康、﹃穀梁礼証﹄。柳興恩、﹃穀
︵
︵
言に拠って『春秋』を解したことをそのまま踏襲している。例えば
︶
梁大義述﹄。許桂林、﹃穀梁釈例﹄。鍾文烝 ﹃穀梁補注﹄。がいるが、義疏
︵
方苞、
﹃春秋通論﹄
。兪汝言﹃春秋平義﹄
﹃四伝糾正﹄。の書はそれである。
︶
れいこう
︶
は著していない。梅毓は『穀梁正義』を著したが、未完である。こ
おおもと
︶
ほうぼう
〔注釈〕
28
27
24
29
26
提要﹄経部春秋類四に著録されている。
一七四九︶、 字は霊皋、 安徽桐城の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻二百
―
九十、﹃清史列伝﹄ 巻十九を参照。 その著﹃春秋通論﹄ 四巻は、﹃四庫全書総目
31
25
︶ 方 苞 ︵一 六 六 八
︵
毛奇齢は『春秋伝』、さらに『春秋簡書刊誤』『春秋属辞比事記』を
︶
︵
れが『穀梁』学である。また段玉裁は古経を校定し、陳厚耀は暦譜
︶
︶
著し、経文を大本としたが、牽強付会で家法も無かった。恵士奇は
︵
︵
︵
が、 惜しむらくは体例が厳格ではなかった。『左氏』 を研究した者
︵
8
としては、顧炎武が『杜解補正』を著したのを始めとして、朱鶴齢
11
30
3
2
の『読左日鈔』 はそれに倣った。 その後恵棟、﹃左伝補注﹄。沈彤、
10
7
6
5
、﹃左伝補注﹄。梁履縄 ﹃左
︵
を校正し、江永は地理学を考証したが、これらはみな有用な研究で
23
『春 秋 説』 は 著 し、 礼 制 に 拠 り 『春 秋』 を 解 釈 し た が、 そ の 書 は 三
22
ある。以上が近儒(清儒)の『春秋』学である。
21
伝を混淆させている。顧棟高の『春秋大事表』は精深博大であった
20
ある劉逢禄も『公羊何氏釈例』『何氏解訓詁箋』を著して、
『左伝』
19
18
13
1
4
1
﹃春 秋 左 伝 小 疏﹄
。洪亮吉、﹃左伝詁﹄
。 馬宗
9
通補釈﹄。らは杜預注を正し、さらに賈逵、服虔の諸説も広く用いた
12
228
︵
ゆ じょげん
︶兪汝言、 字は右吉、 浙江秀水の人。﹃四庫全書総目提要﹄ 経部春秋類四には、 彼
の﹃春秋﹄ に関する著作として、﹃春秋平義﹄ 十二巻、﹃春秋四伝糾正﹄ 一巻が
著録されている。
︵ ︶﹃四庫全書総目提要﹄経部春秋類四には、毛奇齢の﹃春秋﹄に関する著作として、
﹃春秋毛氏伝﹄ 三十六巻、﹃春秋簡書刊誤﹄ 二巻、﹃春秋属辞此事記﹄ 四巻などが
著録されている。
論断は多く﹃公﹄﹃穀﹄を採る﹂とある。
綱と為し、緯は﹃春秋﹄の事を以てす。⋮⋮ 大抵の事実は多く﹃左氏﹄に拠りて、
庫 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 春 秋 類 四 に 著 録 さ れ、 そ の 解 題 に は ﹁是 の 書 は 礼 を 以 て
︵ ︶恵士奇については第三十課注︵ ︶を参照。その著﹃半農春秋説﹄十五巻は、
﹃四
︵
︵
︵
部春秋類四に著録されている。
︶ 顧棟高﹃春秋大事表﹄ 五十巻﹃輿図﹄ 一巻附録一巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経
︵
6
5
しんとう
れん
︶ を参照。 その著﹃左伝補注﹄ 六巻は、﹃四庫
0
︵ ︶馬宗 、字は器之、前課注︵ ︶馬瑞辰の父。伝は﹃清史稿﹄巻四百八十二、
﹃清
史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。
︶ 洪 亮 吉 ︵一 七 四 六 ―
一八〇九︶、字は稚存、江蘇陽湖の人、伝は﹃清史稿﹄巻三
百五十六、﹃清史列伝﹄ 巻六十九を参照。 その著﹃春秋左伝詁﹄ 五十巻は、﹃清
こうりょうきつ
伝杜注﹄を以て未だ尽くさずと為し、更に訂正を為す﹂とある。
秋類四に著録されており、その解題には﹁是の編、趙汸、顧炎武の補う所の﹃左
六十八を参照。 その著﹃春秋左氏伝小疏﹄ 一巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部春
︶ 沈 彤 ︵一 六 八 八 ―
一七五二︶、字は果堂︵﹃四庫全書総目提要﹄では字は貫雲、号
は果堂︶、 江蘇呉江の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八十一儒林伝、﹃清史列伝﹄ 巻
旧訓を援引し、以て杜預﹃左伝集解﹄の遺を補う﹂とある。
全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 春 秋 類 四 に 著 録 さ れ て お り、 そ の 解 題 に は ﹁是 の 書、 皆 な
︶ 恵 棟 に つ い て は、 第 三 十 課 注 ︵
成らざるなり﹂と述べており、劉師培の記述とは完全には一致していない。
の採る所は未だ什の一に及ばず。︵中略︶ 蓋し是の時﹃杜解補正﹄﹂ は尚お未だ
れ る。 た だ ﹃提 要﹄ は 続 け て ﹁炎 武 の ﹃杜 解 補 正﹄ 三 巻、 具 に 完 帙 有 る も、 此
庫全書総目提要﹄﹁補う所の二巻、 多く顧炎武の説を用う﹂ に拠ったものと思わ
されている。本文の﹁朱鶴齢の﹃読左日鈔﹄はそれに倣った﹂という記述は、
﹃四
︶ 朱鶴齢﹃読左日鈔﹄ 十二巻補二巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部春秋類四に著録
総目提要﹄経部春秋類四に著録されている。
︶ 原文の﹁集正﹂ は﹁補正﹂ の誤り。 顧炎武﹃左伝杜解補正﹄ 三巻は、﹃四庫全書
︵
7
︵
8
︵
︵
︵
︵
︵
︵
史列伝﹄ 巻六十九を参照。 その著﹃春秋左伝補注﹄ 三巻は、﹃清史稿﹄ 芸文志・
りょうりじょう
経部・春秋類に著録されている。
九三︶、字 は 処 素 、 浙 江 銭 塘 の 人 、 伝は﹃清史稿﹄巻四百
―
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八十一、﹃清史列伝﹄ 巻六十八を参照。 その著﹃左通︵原文の伝は誤り︶ 補釈﹄
︶ 梁 履 縄 ︵一 七 四 八
い
三十二巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。
りゅうぶんき
一八三二︶、 字は次白、 浙江嘉興の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
―
百八十一、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃左伝賈服注輯述﹄二十巻は、
﹃清
︶ 李 貽 徳 ︵一 七 八 三
せん
史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。
一八五
―
四︶、 字は孟瞻、 を指す。 彼の伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八十二、﹃清史列伝﹄ 巻六
︶ 本 文 ﹁曽 祖 父 の 孟 瞻 公﹂ と は 劉 師 培 の 曽 祖 父 で あ る 劉 文 淇 ︵一 七 八 九
十九を参照。
﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類には、著作として﹃左伝旧疏考正﹄
八巻のみが著録されているが、 他に﹃左伝旧注疏証﹄︵襄公六年以降未完︶ があ
こう こう せん
る。本文の﹃左伝旧注正義﹄は両書を総称したものだろう。
八六︶、 字は衆仲、 山東曲阜の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八
―
十一、
﹃清史列伝﹄巻六十八を参照。その著﹃春秋公羊通義﹄十一巻敘一巻は、
﹃清
︶ 孔 広 森 ︵一 七 五 二
りょう しょ
史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。
一八二九︶、 字は曉楼、 江蘇江都の人。 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百
―
八十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。彼の﹃公羊伝﹄に関する著作として、
﹃清
︶ 淩 曙 ︵一 七 七 五
羊答問﹄二巻および﹃春秋繁露注﹄十七巻が著録されている。
史稿﹄ 芸文志・ 経部・ 春秋類には﹃公羊礼疏﹄ 十一巻、﹃公羊礼説﹄ 一巻、﹃公
一八六〇︶、字は于庭、江蘇長洲の人で、劉逢禄の従弟、荘
―
述祖の甥にあたる。伝は﹃清史稿﹄巻四百八十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。
一五
之 を 惜 し む。 両 生 と は ︵魏︶ 源 及 び 龔 鞏 祚 を 謂 う な り﹂ と あ る よ う に、 魏 源、
︶﹃清史稿﹄ 魏源本伝に﹁︵魏源︶ 会試落第し、 房考の劉逢祿、﹁両生行﹂ を賦して
言大義において、莊氏の真伝を得﹂とある。
﹃清史稿﹄ 本伝には﹁︵宋︶ 翔鳳は訓詁名物に通じ、 志は西漢の家法に在り、 微
︶ 宋 翔 鳳 ︵一 七 七 九
そうしょうほう
経部・春秋類に著録されている。
︵ ︶劉逢禄の著﹃公羊何氏釈例﹄十巻、
﹃公羊何氏解詁箋﹄一巻は、
﹃清史稿﹄芸文志・
秋正辞﹄十一巻のほか﹃春秋挙例﹄一巻、﹃春秋要指﹄一巻が著録されている。
︵ ︶荘存与の﹃春秋﹄に関する著作として、
﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類には﹃春
経部・春秋類に、﹃白虎通疏証﹄十二巻は同右・礼類に著録されている。
︵ ︶陳立︵一八〇九 ―
六九︶、字は卓人、江蘇句容の人、伝は﹃清史稿﹄巻四百八十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃公羊義疏﹄七十六巻は、
﹃清史稿﹄芸文志・
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劉師培﹃経学教科書﹄訳注︵十三︶
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井澤
耕一
龔自珍は共に公羊学者の劉逢禄に師事していた。 また魏源は﹁﹃董子春秋発微﹄
そうじゅこう
序﹂を記して前漢の董仲舒を顕彰している。
︶ 龔 自 珍 は、 劉 逢 禄、 宋 翔 鳳、 荘 綬 甲 ︵荘 存 与 の 孫︶ ら 常 州 学 派 の 学 者 よ り 公 羊 学
を 学 ん だ ︵例 え ば ﹁己 亥 雑 詩﹂ 第 五 十 九 首 自 注 ﹁年 二 十 有 八、 始 め て 武 進 劉 申
受︵逢禄︶ に従いて﹃公羊春秋﹄ を受く﹂ とある︶。 彼の﹃公羊伝﹄ 関する著作
いる。
として、﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・春秋類には﹃春秋決事比﹄ 一巻が著録されて
おうがい うん
︶ 王闓 運︵一八三三 ―
一九一六︶、 字は壬秋、 湖南湘潭の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
百八十二を参照。﹃清史稿﹄ 本伝には﹁二十八にして﹃春秋﹄ の微言に達し、 公
羊を張り、何︵休︶学を申べ、遂に諸経に通ず﹂とある。
︶ 侯 康 ︵一 七 九 八 ―
一八三七︶、 字は君謨、 広東番禺の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百
八 十 二、﹃清 史 列 伝﹄ 巻 六 十 九 を 参 照。 そ の 著﹃穀 梁 礼 証﹄ 二 巻 は、﹃清 史 稿﹄
芸文志・経部・春秋類に著録されている。
一八八〇︶、 もとの名は興宗、 字は賓叔、 江蘇丹徒の人。 伝
―
は﹃清史稿﹄巻四百八十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃穀梁大義述﹄
︶ 柳 興 恩 ︵一 七 九 五
三十巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。
一八二二︶、 字は同叔、 江蘇海州の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
―
百八十二、
﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃穀梁釈例﹄四巻は、
﹃清史稿﹄
︶ 許 桂 林 ︵一 七 七 九
芸文志・経部・春秋類に著録されている。
しょうぶんじょう
七七︶、 字は子勤、 浙江嘉善の人。 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八
―
十二、﹃清史列伝﹄ 巻六十九を参照。 その著﹃穀梁経伝補注﹄ 二十四巻は、﹃清
植之の後を継いで、
﹃穀
一七二二︶、 字は泗源、 江蘇泰州の人。 伝は﹃清史稿﹄ 巻四
―
百八十一、﹃清史列伝﹄ 巻六十八を参照。 本文﹁陳厚耀は暦譜を校正した﹂ に該
経部・春秋類に著録されている﹃春秋地理考実﹄四巻がそれに当たる。
︶ 本文﹁江永は地理学を考証した﹂ に該当する著作としては、﹃清史稿﹄ 芸文志・
長暦﹄十巻がそれに当たる。
当する著作としては、﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・春秋類に著録されている﹃春秋
︶ 陳 厚 耀 ︵一 六 四 八
ちん こう よう
経部・春秋類に著録されている﹃春秋左伝古経﹄十二巻がそれに当たる。
︶ 本文﹁段玉裁は古経を校定した﹂ に該当する著作としては、﹃清史稿﹄ 芸文志・
梁伝﹄注疏の完成に努めたが未完のまま死去した。
毓、字は延祖、江蘇江都の人。前課注︵ ︶所掲の父
いく
史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。
︶ 鍾 文 烝 ︵一 八 一 八
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〔訳注者後記〕
本稿は清末の学者、劉師培(一八八四
一六
一
―九一九)が著した『経
学教科書』第一冊第三十二課及び第三十三課を現代語訳し、注釈を
号、
加えたものである。凡例は「劉師培『経学教科書』訳注(一)
」(茨
城大学人文学部紀要『人文コミュニケーション学科論集』第
二〇〇八年三月)に従う。
二十七年度科学研究費基盤研究
―
(C)
(課題番号二五三七〇〇四二)の研究成果の一部である。
なお本訳稿は平成二十五年度
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