ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ) Title Author(s) Citation Issue Date URL 劉師培『経学教科書』訳注(十三) 井澤, 耕一 茨城大学人文学部紀要. 人文コミュニケーション学科論集 , 16: 227-232 2014-03 http://hdl.handle.net/10109/8725 Rights このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属 します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。 お問合せ先 茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係 http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html 232 井 澤 耕 一 〔現代語訳〕 此近儒之『詩経』学也。 伝名物集覧﹄、黄中松作﹃詩疑弁証﹄、亦与焦同。亦多資多識、博聞之用。 徴』、焦循作『毛詩草木虫魚鳥獣釈』、姚炳作﹃詩釈名解﹄、陳大章作﹃詩 劉師培『経学教科書』訳注(十三) 第三十二課 近儒之詩学 国初説『詩』之書、如銭澄之、﹃田間詩学﹄ 。厳虞惇、﹃読詩質疑﹄ 。 棟高作『毛詩類釈』、亦多鑿空之詞。又呉江朱鶴齢作『詩通義』、雑 清朝の初め、『詩』 を解釈した者として、 例えば銭澄之、﹃田間詩 顧鎮 ﹃虞東学詩﹄。咸無家法。而毛奇齢作『毛詩写官記』『詩札』、顧 采漢宋之説、 博而不純。 陳啓源与鶴齢同里、 商榷『毛詩』、 作『毛 学﹄ 。厳虞惇、﹃読詩質疑﹄ 。 顧 鎮 ﹃虞 東 学 詩﹄ 。 が い た が、 彼 ら に は 皆 ︵5︶ 3 詩稽古編』、 雖未標漢学之幟、 然考究制度名物、 尚能明晰弁章。 及 な家法が無かった。 毛奇齢は『毛詩写官記』『詩札』 を、 顧棟高は 2 李黼平作『毛詩紬義』、 戴震作『毛鄭詩考正』『詩経補注』、 咸宗漢 『毛 詩 類 釈』 を 著 し た が、 そ の 大 半 が 空 疎 な 論 で あ った。 さ ら に 呉 1 詁。段玉裁受業戴震、復作『毛詩故訓伝』 『詩経小学』、以校訂古経、 江 の 朱 鶴 齢 は 『詩 通 義』 を 著 し、 漢 宋 の 両 説 ど ち ら も 採 り、 そ の © 2014 茨城大学人文学部(人文学部紀要) ︵4︶ 然択言短促。 惟馬瑞辰『毛詩伝箋通釈』、 胡承琪『毛詩後箋』 稍為 範囲は博かったが純粋ではなかった。 陳啓源は、(朱) 鶴齢と同郷 ︵6︶ 精博。 至陳奐受業段玉裁、 作『毛詩義疏』、 舎鄭用毛、 克集衆説之 で、『毛詩』 を検討した上で『毛詩稽古編』 を著し、 漢学の幟は標 ︵7︶ みはた 大成。並作『毛詩説』『毛詩音』及『鄭氏箋考徴』、以考『鄭箋』之 榜してはいなかったものの、制度・名物を考証し、明快に分析して ︵8︶ 所本。 近儒治﹃鄭箋﹄者、有江都梅植之擬作﹃鄭箋疏﹄、未成。至若恵周 いる。李黼平は『毛詩紬義』を、戴震は『毛鄭詩考正』 『詩経補注』 ︵ ︶ 10 ︵9︶ 惕作『詩説』、荘存与作『毛詩説』、則別為一派、舎故訓而究微言。 を著したが、いずれも漢の訓詁を尊崇した。段玉裁は戴震について ︶ ことば 詳于礼制。及魏源作『詩古微』 、斥『毛詩』而宗三家詩、然択説至淆。 学び、 『毛詩故訓伝』『詩経小学』を著して、古経を校訂したが、語 11 一一 ︵ 龔自珍亦信魏説、 非毛非鄭、 並斥序文。 又丁晏作『詩考補注』、 専 ︶ の選択には拙速なところがある。 ただ馬瑞辰『毛詩伝箋通釈』、 胡 ︵ 採三家之説。陳喬樅作『三家詩遺説』 、 並作『斉詩翼氏学疏証』、 皆 承珙『毛詩後箋』はいくぶん精深博大であった。陳奐については、 一 - 六頁 以三家為主、然単詞碎義、弗克成一家之言。若夫包世栄作『毛詩礼 劉人師 教ー 科シ 書ョ﹄ 三十 ︶六号、一一 ﹃ 文培 コ﹃ ミ経 ュ学 ニケ ン訳 学注 科︵ 論十 集﹄ 12 231 井澤 耕一 ︶ ︶ ︵ ︶ ︵ ︶ ︶ 25 ︶を参照。﹃田間詩学﹄十二巻は、﹃四庫全書総 れらには博物学的価値がある。以上が近儒(清儒)の『詩経』学で ︶ 銭 澄 之 に つ い て は 第 三 十 課 注︵ 〔注釈〕 ある。 ︵ 目提要﹄経部詩類二に著録されており、そこには﹁大旨は﹁小序﹂の首句を以て 主と為し、採る所の諸儒の論説は、 ﹃注疏﹄ ﹃集伝﹄より以外、凡そ二程子、張子、 ︵ 一二 歐陽脩、蘇轍、王安石、楊時、范祖禹、呂祖謙、陸佃、羅願、謝枋得、厳粲、輔広、 ぐ とん 真徳秀、邵忠允、季本、郝敬、黃道周、何楷の二十家なり﹂とある。 ︶ 厳 虞 惇 ︵一 六 五 〇 ― 一七一三︶、 字は宝成、 江蘇常熟の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 百八十四文苑伝、﹃清史列伝﹄ 巻七十一文苑伝を参照。 その著﹃読詩質疑﹄ 三十 一巻附録十五巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に著録されており、 そこに おおむね かかわら は ﹁大 致 皆 な 平 心 静 気、 毛 朱 両 家 を 玩 味 研 求 し、 長 を 択 び 短 を 棄 て、 惟 だ に 門 戸の心を存せざるのみに非ずして、亦た併せて調停の見に渉らず﹂とある。 九二︶、 字は備九、 号は古湫、 虞東、 常熟の人。 その著﹃虞東 ― 学詩﹄ 二十巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に著録されており、 そこには ︵ ︶毛奇齢については、第三十課注︵ ︶を参照。その著﹃毛詩写官記﹄四巻、 ﹃詩札﹄ 取る所を多しとす﹂とある。 紛を解く。徴引する所は凡そ数十家、而して歐陽脩、蘇轍、呂祖謙、厳粲の四家、 ﹁︵顧鎮︶ 是の編を作り, 両家の説︵﹁小序﹂ と﹃詩集伝﹄︶ を調停し、 以て其の ︶ 顧 鎮 ︵一 七 二 〇 ︵ 2 段玉裁より学び、『毛詩義疏』 を著し、 鄭箋を棄てて毛伝を用い、 種々の解釈を集大成した。 加えて『毛詩説』『毛詩音』 及び『鄭氏 ︶ 箋考徴』 を著し、『鄭箋』 が三家詩に拠ったことを考証したのであ ︵ ︶ ︵ る。﹃鄭箋﹄を研究した近儒として、江都の梅植之がおり﹃鄭箋疏﹄を作成 ︵ しようとしていたが、完成しなかった。恵周惕が『詩説』 、荘存与が『毛 詩説』を著すに至っては、従来とは異なった一学派を形成し、訓詁 ︶ を捨て去り微言大義を探究したのである 。礼制に詳しかった。魏源は ︵ 『詩古微』を著した際、 『毛詩』を斥け三家詩を尊崇したが、学説の ︵ 詩翼氏学疏証』を著した。両者共三家詩を重んじたが、言葉の解釈 ︵ 毛伝、鄭箋を批判し、あわせて序文を斥けた。さらに丁晏は『詩考 選択については極めて混淆している。龔自珍も魏源の説を信じて、 17 は支離滅裂で、独自の学説を立てることはできなかった。例えば包 ︵ ︶ 22 ︵ ︶顧棟高については、第二十六課注︵ ︶を参照。その著﹃毛詩類釈﹄二十一巻は、 札﹄︶の中は多くは定論に非ず﹂に拠ったものか。 の書︵﹃毛詩写官記﹄︶ 好んで異説を為すと雖も﹂ および﹃詩札﹄ 解題﹁其︵﹃詩 劉師培の評語﹁鑿空之詞﹂ は、﹃四庫全書総目提要﹄ の﹃毛詩写官記﹄ 解題﹁其 二 巻 は ﹃四 庫 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 詩 類 二 に 著 録 さ れ て い る。 こ の 二 書 に 対 す る 6 14 15 補注』を、三家説のみを採用した。陳喬樅は『三家詩遺説』および『斉 18 世栄は『毛詩礼徴』、 焦循は『毛詩草木虫魚鳥獣釈』 を著したが、 24 ︵ ︶ を参照。 その著﹃詩通義﹄ 三十巻は、﹃四 一六八九︶、字は長発、広東南海の人、伝は﹃清史稿﹄巻四百八十 ― 儒林伝、﹃清史列伝﹄ 巻六十八儒林伝を参照。 その著﹃詩通義﹄ 三十巻は、﹃四 蘇轍、呂祖謙、厳粲を用う﹂に拠ったものである。 釆 る 所 の 諸 家、 漢 に 於 い て は 毛、 鄭 を 用 い, 唐 は 孔 穎 達 を 用 い、 宋 は 歐 陽 脩、 全書総目提要﹄解題﹁是書は専ら﹁小序﹂を主とするも、力めて序の非を駁廃す。 庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に著録されている。 本文の記述については、﹃四庫 ︶ 朱 鶴 齢 に つ い て は 第 三 十 一 課 注︵ ︵ 一八三三︶、 字は繡子、 広東嘉応の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 ― 百八十二儒林伝、﹃清史列伝﹄ 巻六十九儒林伝を参照。 その著﹃毛詩紬義﹄ 二十 四巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。 ︶ 李 黼 平 ︵一 七 七 〇 ふ ものなり﹂と評されている。 斯 に 於 い て 盛 ん な り と な す、 此 の 編 ︵毛 詩 稽 古 編︶ は 尤 も 其 の 最 も 著 ら か な る 庫 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 詩 類 二 に 著 録 さ れ て お り、 そ こ で は ﹁古 義 彬 彬 と し て、 ︶ 陳 啓 源 ︵? ︵ ﹃四庫全書総目提要﹄経部詩類二に著録されている。 39 10 19 23 3 6 20 姚炳は﹃詩釈名解﹄、 陳大章は﹃詩伝名物集覧﹄、 黄中松は﹃詩疑弁証﹄ を 21 4 7 16 著したが、 焦循と同様の研究である。多 く の 資 質 と 見 識 と が あ り、 そ 23 5 8 13 1 230 ︵ ︵ ︵ 作として﹃毛鄭詩考正﹄四巻、﹃詩経補注﹄二巻が著録されている。 ︶ 戴震の﹃詩﹄ に関する著作として、﹃清史稿﹄ 芸文志・ 経部・ 詩類には、 彼の著 ︶段玉裁の﹃詩﹄に関する著作として、﹃清史稿﹄芸文志・経部・詩類には、﹃詩経 小学﹄四巻、﹃毛詩故訓伝﹄三巻が著録されている。 ︶ 馬 瑞 辰 ︵一 七 八 二 ― 一八五三︶、 字は元伯、 安徽桐城の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 百八十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃毛詩伝箋通釈﹄三十二巻は、 ﹃清 きょう 一八四三︶、 字は蘊生、 江蘇江都の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻五 ― 史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。 ︵ ︶荘存与については第三十一課注︵ ︶参照。その著﹃毛詩説﹄四巻は、 ﹃清史稿﹄ ︵ ︵ ︶ を参照。 その著作﹃詩古微﹄ 二十巻は、﹃清 芸文志・経部・詩類に著録されている。 ︶ 魏 源 に つ い て は 第 三 十 一 課 注︵ 史稿﹄ 芸文志・経部・書類に著録されている。 本文の﹁﹃毛詩﹄ を斥け三家詩を か ろ う 尊崇した﹂という記述は、序中の﹁斉、魯、韓﹃三家詩﹄の微言大義を発揮し、 其 の 罅 漏 を 補 苴 し、 其 の 幽 渺 を 張 皇 し、 以 て ﹃毛 詩﹄ の 美、 刺、 正、 変 の 滞 例 を豁除す﹂に拠ったものであろう 一 八 四 一︶ は ﹁己 亥 雑 詩﹂ 第 六 十 三 首 自 注 に お い て ﹃非 序﹄ ― ﹃非毛﹄﹃非鄭﹄各一巻を著したと述べている。 ︶ 龔 自 珍 ︵一 七 九 二 ︵ ︶丁晏については第二十五課注︵ ︶を参照。その著作として、 ﹃清史稿﹄芸文志・ ︵ 経部・詩類には、﹃毛鄭詩釈﹄ 四巻、﹃鄭氏詩譜考正﹄ 一巻、﹃詩考補注﹄ 二巻補 きょうしょう 遺一巻、﹃毛詩陸疏校正﹄二巻、﹃詩集伝附釈﹄一巻が著録されている。 ︶ 陳 喬 樅 ︵一 八 〇 九 ― 六九︶、字は樸園、福建閩県の人、伝は﹃清史稿﹄巻四百八 十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。彼の﹃詩﹄に関する著作として、 ﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・詩類には、 ﹃三家詩遺説考﹄四十九巻、 ﹃毛詩鄭箋改字説﹄四巻、 ﹃四家詩異文考﹄ 五巻、﹃斉詩翼氏学疏証﹄ 二巻、﹃詩緯集証﹄ 四巻が著録されて 劉師培﹃経学教科書﹄訳注︵十三︶ ほうせいえい いる。 一八二六︶、字は季懐、安徽涇県の人、清代の書家、包世臣︵一 ― ︶ を 参 照。 本 文 中 の 著 作 は、 手 稿 本 は 現 存 し て い 0 ︶ 姚炳、 字は彦暉、 浙江銭塘の人。 その著﹃詩識名解﹄ 十五巻は、﹃四庫全書総目 ようへい るが、﹃清史稿﹄芸文志には著録されていない。 ︶ 焦 循 に つ い て は 第 三 十 課 注︵ 七七五 ― 一八五五︶ の従弟。﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・詩類には、 包世栄﹃毛詩 礼徴﹄十巻が著録されている。 ︵ ︶包世栄︵一七八三 ︵ ︵ 、 号 は 雨 山、 湖 北 黄 岡 の 人、 伝 は ﹃清 史 列 伝﹄ 巻 六 十 六 儒 林 伝 き 提要﹄経部詩類二に著録されている。 を参照。 その著﹃詩伝名物輯覧﹄ 十二巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部詩類二に ︶ 陳 大 章、 字 は 仲 著録されている。 一三 会通礼制、不墨守何氏之言。淩曙作『公羊礼説』『公羊礼疏』『公羊 為『左氏』之学。治『公羊伝』者、以孔広森『公羊通義』為嚆矢、 為最備。 至先曽祖孟瞻公作『左伝旧注正義』、 始集衆説之大成、 是 伝補釈﹄。咸糾正杜注、引申賈、服之緒言、以李貽徳『賈服古注輯述』 彤、 ﹃春秋左伝小疏﹄。洪亮吉、 ﹃左伝詁﹄。馬宗 、 ﹃左伝補注﹄。梁履縄﹃左 作『杜解集正』、朱鶴齢『読左日鈔』本之。而恵棟、﹃左伝補注﹄。沈 高『春秋大事表』博大精深、惜体例未厳。治『左氏』者、自顧炎武 法。恵士奇作『春秋説』、以典礼説『春秋』、其書亦雑糅三伝。顧棟 又作『春秋簡書刊誤』『春秋属辞比事記』、以経文為綱、然穿鑿無家 通論﹄。兪汝言﹃春秋平義﹄ ﹃四伝糾正﹄。之書是也。毛奇齢作『春秋伝』 、 順、 康之交、 説『春秋』 者、 仍仿宋儒空言之例。 如方苞、﹃春秋 第三十三課 近儒之春秋学 経部詩類二に著録されている。 ︵ ︶黄中松、字は仲厳、上海の人。その著﹃詩疑弁証﹄六巻は、 ﹃四庫全書総目提要﹄ ︵ 13 21 22 23 24 史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。 ︵ ︶原文の﹁胡承琪﹂は﹁胡承珙﹂の誤り。胡承珙︵一七七六 一 ―八三二︶、字は墨莊、 安徽涇県の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八十二、﹃清史列伝﹄ 巻六十九を参照。 そ ちんかん の著﹃毛詩後箋﹄三十巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・詩類に著録されている。 百三芸術伝を参照。 ︶ 梅 植 之 ︵一 七 九 四 ばいしょくし 音﹄四巻、﹃毛詩説﹄一巻、﹃毛詩伝義類﹄一巻が著録されている。 芸文志・経部・詩類には、﹃詩毛氏伝疏﹄ 三十巻、﹃鄭氏箋考徴﹄ 一巻、﹃釈毛詩 ︵ ︶陳奐については第十一課注︵ ︶参照。彼の﹃詩﹄に関する著作として、 ﹃清史稿﹄ ︵ 43 ︵ ︶恵周惕については、第三十課注︵ ︶を参照。その著﹃詩説﹄三巻附録一巻は﹃清 8 11 13 28 25 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 229 一四 が、なかでも李貽徳の『賈服古注輯述』が最も備わっていると思わ 井澤 耕一 問答』、亦以『礼』為綱。 並注董子﹃繁露﹄。弟子陳立広其義、作『公 れる。そして曽祖父の孟瞻公が『左伝旧注正義』を著してから、よ ︶ 羊正義』。 並疏﹃白虎通﹄。及荘存与作『春秋正辞』、 宣究『公羊』 大 うやく諸説が集大成された。 これが『左氏』 学である。『公羊伝』 ︵ 義、其甥劉逢禄復作『公羊何氏釈例』 『何氏解詁箋』、並排斥『左伝』 を研究した者としては、孔広森『公羊通義』を嚆矢とするが、それ ︶ 『穀梁』。而宋翔鳳、魏源、龔自珍、王闓運咸以『公羊』義説群経、 は礼制と融合させ、何休説を墨守しなかった。淩曙も『公羊礼説』 ︵ 是為『公羊』之学。治『穀梁』者、有侯康、﹃穀梁礼証﹄。柳興恩、﹃穀 『公 羊 礼 疏』『公 羊 問 答』 を 著 し た が、『礼』 を 大 本 と し た。 合わせ ︶ 梁大義述﹄。許桂林、﹃穀梁釈例﹄。鍾文烝 ﹃穀梁補注﹄。咸非義疏。梅毓 て董仲舒﹃春秋繁露﹄ に注した。弟子の陳立はさらにその意を発展さ ︶ ︵ 作『穀梁正義』、亦未成書。是為『穀梁』之学。若夫段玉裁校定古経、 せ、 『公羊正義』を著した。あわせて﹃白虎通﹄に注した。荘存与が『春 ︵ 陳厚耀校正暦譜、江永考究地輿、咸為有用之学。此近儒之『春秋』 秋正辞』 を著した際には、『公羊』 の大義を深く究明し、 その甥で ︵ ︶ 学也。 17 15 14 16 ︵ ︶ ︵ ︶ ︵ ︶ 『穀 梁 伝』 を 斥 け た。 そ の 後 宋 翔 鳳、 魏 源、 龔 自 珍、 王 闓 運 も ひ と ︶ 〔現代語訳〕 しく『公羊』思想に拠って諸経を解釈した。これが『公羊』学であ ︵ 順治から康煕年間にかけて、『春秋』 を解釈した者は、 宋儒が空 ︶ ︶ る。 『穀梁伝』を研究した者として、侯康、﹃穀梁礼証﹄。柳興恩、﹃穀 ︵ ︵ 言に拠って『春秋』を解したことをそのまま踏襲している。例えば ︶ 梁大義述﹄。許桂林、﹃穀梁釈例﹄。鍾文烝 ﹃穀梁補注﹄。がいるが、義疏 ︵ 方苞、 ﹃春秋通論﹄ 。兪汝言﹃春秋平義﹄ ﹃四伝糾正﹄。の書はそれである。 ︶ れいこう ︶ は著していない。梅毓は『穀梁正義』を著したが、未完である。こ おおもと ︶ ほうぼう 〔注釈〕 28 27 24 29 26 提要﹄経部春秋類四に著録されている。 一七四九︶、 字は霊皋、 安徽桐城の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻二百 ― 九十、﹃清史列伝﹄ 巻十九を参照。 その著﹃春秋通論﹄ 四巻は、﹃四庫全書総目 31 25 ︶ 方 苞 ︵一 六 六 八 ︵ 毛奇齢は『春秋伝』、さらに『春秋簡書刊誤』『春秋属辞比事記』を ︶ ︵ れが『穀梁』学である。また段玉裁は古経を校定し、陳厚耀は暦譜 ︶ ︶ 著し、経文を大本としたが、牽強付会で家法も無かった。恵士奇は ︵ ︵ ︵ が、 惜しむらくは体例が厳格ではなかった。『左氏』 を研究した者 ︵ 8 としては、顧炎武が『杜解補正』を著したのを始めとして、朱鶴齢 11 30 3 2 の『読左日鈔』 はそれに倣った。 その後恵棟、﹃左伝補注﹄。沈彤、 10 7 6 5 、﹃左伝補注﹄。梁履縄 ﹃左 ︵ を校正し、江永は地理学を考証したが、これらはみな有用な研究で 23 『春 秋 説』 は 著 し、 礼 制 に 拠 り 『春 秋』 を 解 釈 し た が、 そ の 書 は 三 22 ある。以上が近儒(清儒)の『春秋』学である。 21 伝を混淆させている。顧棟高の『春秋大事表』は精深博大であった 20 ある劉逢禄も『公羊何氏釈例』『何氏解訓詁箋』を著して、 『左伝』 19 18 13 1 4 1 ﹃春 秋 左 伝 小 疏﹄ 。洪亮吉、﹃左伝詁﹄ 。 馬宗 9 通補釈﹄。らは杜預注を正し、さらに賈逵、服虔の諸説も広く用いた 12 228 ︵ ゆ じょげん ︶兪汝言、 字は右吉、 浙江秀水の人。﹃四庫全書総目提要﹄ 経部春秋類四には、 彼 の﹃春秋﹄ に関する著作として、﹃春秋平義﹄ 十二巻、﹃春秋四伝糾正﹄ 一巻が 著録されている。 ︵ ︶﹃四庫全書総目提要﹄経部春秋類四には、毛奇齢の﹃春秋﹄に関する著作として、 ﹃春秋毛氏伝﹄ 三十六巻、﹃春秋簡書刊誤﹄ 二巻、﹃春秋属辞此事記﹄ 四巻などが 著録されている。 論断は多く﹃公﹄﹃穀﹄を採る﹂とある。 綱と為し、緯は﹃春秋﹄の事を以てす。⋮⋮ 大抵の事実は多く﹃左氏﹄に拠りて、 庫 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 春 秋 類 四 に 著 録 さ れ、 そ の 解 題 に は ﹁是 の 書 は 礼 を 以 て ︵ ︶恵士奇については第三十課注︵ ︶を参照。その著﹃半農春秋説﹄十五巻は、 ﹃四 ︵ ︵ ︵ 部春秋類四に著録されている。 ︶ 顧棟高﹃春秋大事表﹄ 五十巻﹃輿図﹄ 一巻附録一巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経 ︵ 6 5 しんとう れん ︶ を参照。 その著﹃左伝補注﹄ 六巻は、﹃四庫 0 ︵ ︶馬宗 、字は器之、前課注︵ ︶馬瑞辰の父。伝は﹃清史稿﹄巻四百八十二、 ﹃清 史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。 ︶ 洪 亮 吉 ︵一 七 四 六 ― 一八〇九︶、字は稚存、江蘇陽湖の人、伝は﹃清史稿﹄巻三 百五十六、﹃清史列伝﹄ 巻六十九を参照。 その著﹃春秋左伝詁﹄ 五十巻は、﹃清 こうりょうきつ 伝杜注﹄を以て未だ尽くさずと為し、更に訂正を為す﹂とある。 秋類四に著録されており、その解題には﹁是の編、趙汸、顧炎武の補う所の﹃左 六十八を参照。 その著﹃春秋左氏伝小疏﹄ 一巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部春 ︶ 沈 彤 ︵一 六 八 八 ― 一七五二︶、字は果堂︵﹃四庫全書総目提要﹄では字は貫雲、号 は果堂︶、 江蘇呉江の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八十一儒林伝、﹃清史列伝﹄ 巻 旧訓を援引し、以て杜預﹃左伝集解﹄の遺を補う﹂とある。 全 書 総 目 提 要﹄ 経 部 春 秋 類 四 に 著 録 さ れ て お り、 そ の 解 題 に は ﹁是 の 書、 皆 な ︶ 恵 棟 に つ い て は、 第 三 十 課 注 ︵ 成らざるなり﹂と述べており、劉師培の記述とは完全には一致していない。 の採る所は未だ什の一に及ばず。︵中略︶ 蓋し是の時﹃杜解補正﹄﹂ は尚お未だ れ る。 た だ ﹃提 要﹄ は 続 け て ﹁炎 武 の ﹃杜 解 補 正﹄ 三 巻、 具 に 完 帙 有 る も、 此 庫全書総目提要﹄﹁補う所の二巻、 多く顧炎武の説を用う﹂ に拠ったものと思わ されている。本文の﹁朱鶴齢の﹃読左日鈔﹄はそれに倣った﹂という記述は、 ﹃四 ︶ 朱鶴齢﹃読左日鈔﹄ 十二巻補二巻は、﹃四庫全書総目提要﹄ 経部春秋類四に著録 総目提要﹄経部春秋類四に著録されている。 ︶ 原文の﹁集正﹂ は﹁補正﹂ の誤り。 顧炎武﹃左伝杜解補正﹄ 三巻は、﹃四庫全書 ︵ 7 ︵ 8 ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ 史列伝﹄ 巻六十九を参照。 その著﹃春秋左伝補注﹄ 三巻は、﹃清史稿﹄ 芸文志・ りょうりじょう 経部・春秋類に著録されている。 九三︶、字 は 処 素 、 浙 江 銭 塘 の 人 、 伝は﹃清史稿﹄巻四百 ― 0 八十一、﹃清史列伝﹄ 巻六十八を参照。 その著﹃左通︵原文の伝は誤り︶ 補釈﹄ ︶ 梁 履 縄 ︵一 七 四 八 い 三十二巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。 りゅうぶんき 一八三二︶、 字は次白、 浙江嘉興の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 ― 百八十一、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃左伝賈服注輯述﹄二十巻は、 ﹃清 ︶ 李 貽 徳 ︵一 七 八 三 せん 史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。 一八五 ― 四︶、 字は孟瞻、 を指す。 彼の伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八十二、﹃清史列伝﹄ 巻六 ︶ 本 文 ﹁曽 祖 父 の 孟 瞻 公﹂ と は 劉 師 培 の 曽 祖 父 で あ る 劉 文 淇 ︵一 七 八 九 十九を参照。 ﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類には、著作として﹃左伝旧疏考正﹄ 八巻のみが著録されているが、 他に﹃左伝旧注疏証﹄︵襄公六年以降未完︶ があ こう こう せん る。本文の﹃左伝旧注正義﹄は両書を総称したものだろう。 八六︶、 字は衆仲、 山東曲阜の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八 ― 十一、 ﹃清史列伝﹄巻六十八を参照。その著﹃春秋公羊通義﹄十一巻敘一巻は、 ﹃清 ︶ 孔 広 森 ︵一 七 五 二 りょう しょ 史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。 一八二九︶、 字は曉楼、 江蘇江都の人。 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百 ― 八十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。彼の﹃公羊伝﹄に関する著作として、 ﹃清 ︶ 淩 曙 ︵一 七 七 五 羊答問﹄二巻および﹃春秋繁露注﹄十七巻が著録されている。 史稿﹄ 芸文志・ 経部・ 春秋類には﹃公羊礼疏﹄ 十一巻、﹃公羊礼説﹄ 一巻、﹃公 一八六〇︶、字は于庭、江蘇長洲の人で、劉逢禄の従弟、荘 ― 述祖の甥にあたる。伝は﹃清史稿﹄巻四百八十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。 一五 之 を 惜 し む。 両 生 と は ︵魏︶ 源 及 び 龔 鞏 祚 を 謂 う な り﹂ と あ る よ う に、 魏 源、 ︶﹃清史稿﹄ 魏源本伝に﹁︵魏源︶ 会試落第し、 房考の劉逢祿、﹁両生行﹂ を賦して 言大義において、莊氏の真伝を得﹂とある。 ﹃清史稿﹄ 本伝には﹁︵宋︶ 翔鳳は訓詁名物に通じ、 志は西漢の家法に在り、 微 ︶ 宋 翔 鳳 ︵一 七 七 九 そうしょうほう 経部・春秋類に著録されている。 ︵ ︶劉逢禄の著﹃公羊何氏釈例﹄十巻、 ﹃公羊何氏解詁箋﹄一巻は、 ﹃清史稿﹄芸文志・ 秋正辞﹄十一巻のほか﹃春秋挙例﹄一巻、﹃春秋要指﹄一巻が著録されている。 ︵ ︶荘存与の﹃春秋﹄に関する著作として、 ﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類には﹃春 経部・春秋類に、﹃白虎通疏証﹄十二巻は同右・礼類に著録されている。 ︵ ︶陳立︵一八〇九 ― 六九︶、字は卓人、江蘇句容の人、伝は﹃清史稿﹄巻四百八十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃公羊義疏﹄七十六巻は、 ﹃清史稿﹄芸文志・ ︵ 12 13 14 15 16 17 18 19 9 10 劉師培﹃経学教科書﹄訳注︵十三︶ 11 20 21 2 3 4 9 10 11 227 ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ 井澤 耕一 龔自珍は共に公羊学者の劉逢禄に師事していた。 また魏源は﹁﹃董子春秋発微﹄ そうじゅこう 序﹂を記して前漢の董仲舒を顕彰している。 ︶ 龔 自 珍 は、 劉 逢 禄、 宋 翔 鳳、 荘 綬 甲 ︵荘 存 与 の 孫︶ ら 常 州 学 派 の 学 者 よ り 公 羊 学 を 学 ん だ ︵例 え ば ﹁己 亥 雑 詩﹂ 第 五 十 九 首 自 注 ﹁年 二 十 有 八、 始 め て 武 進 劉 申 受︵逢禄︶ に従いて﹃公羊春秋﹄ を受く﹂ とある︶。 彼の﹃公羊伝﹄ 関する著作 いる。 として、﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・春秋類には﹃春秋決事比﹄ 一巻が著録されて おうがい うん ︶ 王闓 運︵一八三三 ― 一九一六︶、 字は壬秋、 湖南湘潭の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 百八十二を参照。﹃清史稿﹄ 本伝には﹁二十八にして﹃春秋﹄ の微言に達し、 公 羊を張り、何︵休︶学を申べ、遂に諸経に通ず﹂とある。 ︶ 侯 康 ︵一 七 九 八 ― 一八三七︶、 字は君謨、 広東番禺の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百 八 十 二、﹃清 史 列 伝﹄ 巻 六 十 九 を 参 照。 そ の 著﹃穀 梁 礼 証﹄ 二 巻 は、﹃清 史 稿﹄ 芸文志・経部・春秋類に著録されている。 一八八〇︶、 もとの名は興宗、 字は賓叔、 江蘇丹徒の人。 伝 ― は﹃清史稿﹄巻四百八十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃穀梁大義述﹄ ︶ 柳 興 恩 ︵一 七 九 五 三十巻は、﹃清史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。 一八二二︶、 字は同叔、 江蘇海州の人、 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 ― 百八十二、 ﹃清史列伝﹄巻六十九を参照。その著﹃穀梁釈例﹄四巻は、 ﹃清史稿﹄ ︶ 許 桂 林 ︵一 七 七 九 芸文志・経部・春秋類に著録されている。 しょうぶんじょう 七七︶、 字は子勤、 浙江嘉善の人。 伝は﹃清史稿﹄ 巻四百八 ― 十二、﹃清史列伝﹄ 巻六十九を参照。 その著﹃穀梁経伝補注﹄ 二十四巻は、﹃清 植之の後を継いで、 ﹃穀 一七二二︶、 字は泗源、 江蘇泰州の人。 伝は﹃清史稿﹄ 巻四 ― 百八十一、﹃清史列伝﹄ 巻六十八を参照。 本文﹁陳厚耀は暦譜を校正した﹂ に該 経部・春秋類に著録されている﹃春秋地理考実﹄四巻がそれに当たる。 ︶ 本文﹁江永は地理学を考証した﹂ に該当する著作としては、﹃清史稿﹄ 芸文志・ 長暦﹄十巻がそれに当たる。 当する著作としては、﹃清史稿﹄ 芸文志・経部・春秋類に著録されている﹃春秋 ︶ 陳 厚 耀 ︵一 六 四 八 ちん こう よう 経部・春秋類に著録されている﹃春秋左伝古経﹄十二巻がそれに当たる。 ︶ 本文﹁段玉裁は古経を校定した﹂ に該当する著作としては、﹃清史稿﹄ 芸文志・ 梁伝﹄注疏の完成に努めたが未完のまま死去した。 毓、字は延祖、江蘇江都の人。前課注︵ ︶所掲の父 いく 史稿﹄芸文志・経部・春秋類に著録されている。 ︶ 鍾 文 烝 ︵一 八 一 八 ︵ ︶ ︵ ︵ ︵ 14 〔訳注者後記〕 本稿は清末の学者、劉師培(一八八四 一六 一 ―九一九)が著した『経 学教科書』第一冊第三十二課及び第三十三課を現代語訳し、注釈を 号、 加えたものである。凡例は「劉師培『経学教科書』訳注(一) 」(茨 城大学人文学部紀要『人文コミュニケーション学科論集』第 二〇〇八年三月)に従う。 二十七年度科学研究費基盤研究 ― (C) (課題番号二五三七〇〇四二)の研究成果の一部である。 なお本訳稿は平成二十五年度 4 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
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