美杉町で盛大に祝賀イベント 万人越える復旧署名が実る JR名松線が全線復旧となり明日 日午前9時 分、津市美杉町の伊勢奥津駅か ら1番列車が出発する。平成 年 月以来、不通になっていた家城駅—伊勢興津駅 間にふたたび走り出す。待ちに待った6年半ぶりの再開だ。地元住民や関係市民は 喜びに沸いている。 「お帰り!名松線」と、当日は伊勢八知駅と伊勢奥津駅をメー ン会場にさまざまな復旧記念イベントが開催される。 平成 年(2009) 6年半ぶりに同区間で運 04)の台風 号で全線 た。 以 来、 存 続 を 訴 え 月8日、台風 号によ 行が再開される。 が一時的(短期的)に不 て奔走し、 年(201 「守る会」は「走り出 て伊勢八知駅で下車した す前にやらねば」 と、会 人には「千本づきのお餅」 員 を 動 員 して沿 線の竹 「 神 去 鍋 」の振る舞いが 木 を 伐 採( 撤 去 ) する ある。9時〜 時。 など景 観 整 備に取 り 組 ◇ 伊 勢 奥 津 駅 =9時 分から駅ホームで出発 れ、9時 分発の列車に 線 議 論が再 燃 する可 能 呈、テープカットが行わ 復 旧にはなったが、利 式(JR東海主催) 。地 用 状 況によっては再び廃 元 小 学 生 からの花 束 贈 んだ。 15 時 分 まで津 市 主 念式典」、 時から名松 催の「 開 通 八 十 周 年 記 〜 クが飾られる。9時 分 全線復旧の記念ヘッドマー 35 45 後、 松 阪 駅 ― 家 城 駅で (1959) 年 伊 勢 湾 台 線 を 守 る 会 主 催の「 開 通八十 周 年 記 念 式 典 」 がある。 式 典 終 了 後、 時 分 〜 時 まで、 丹 生 俣 復、その後の維持管理に を受け止め、「今後も景 ( 松 阪 市 無 形 文 化 財 ) 」 辺の山間部と河川部の修 嘉 夫 会 長は今 回の復 旧 の会の「しょんがい音 頭 ねた。 県 と 市 が 線 路 周 題だ。「守る会」の赤堀 り」、光れ街道夢おこし 東海に提出して交渉を重 すかが、今後の大きな課 合 会の「 美 杉 老 連の踊 を 求める 要 望 書 を JR る。いかに利用者を増や ト」、美 杉 老 人クラブ連 る豪雨で土砂が崩れ、路 名 松 線 はこれ までに 通となった。 0) 1 月 には 万 人 を 神 楽 保 存 会の「 神 楽 舞 盤流出して運休となり、 も台風被害で不通になっ 昭和 年(1935) 超える賛同の署名を集め 性 も あ る。 地 域 住 民の 踊」、名松線を元気にす バスで代行。 その1週間 たことがある。昭和 年 の開 通 以 来、 名 松 線 は た。これをもって、存 続 利用だけでは限られてい る 会の「ジャズコンサー 運 行 を 再 開 したが、 家 風で伊 勢 竹 原 駅 ― 伊 勢 城駅―伊勢奥津駅間はバ 奥津駅、同 年(198 号により 年(20 く、 病 室は からあ り、期 待に応 え 患 者の観 察 られるよう 医 療 充 実を が 容 易にで 図りたい」 とあいさつ。 き るよ うに 加藤理事長は「増築棟 救 急 患 者の受 け 入れの 配 置 されて は内 科 診 察の充 実 と、 いる。 3階は内 拡充。 遠山病院開設 科 病 棟で、 周年記念事業であり、 従 来の第3 今後も急性期の患者受 病棟が移動 け入れ態勢を整え、市 する。ステー 民の皆 様により 良い医 HCU( 集 と抱負を語った。 ション隣には 療を提供していきたい」 中治療室) 問合せは同病院=電 話059(227)61 がある。 外部からインターホンを 1階は内科診察室 室 感染症対応診察を備え 定。2階は管理フロアと く、救急処置室を3室、 は、検査ゾーンに改修予 患 者を受け入れしやす 旧本館1階内科診察室 室して診察する。 救急 る。 従 来の玄 関 左 手の 通して患 者 控 え室に入 に。 2階は検 査 室にな 10 ス代行を継続することが 2) 年 台 風 決まった。今月 日 (土) 、 全 線、 平 成 次々と繰り広げられる。 関わることを条件に存続 観整備に努めていく」 と などのステージイベントが 承認が取り付けられた。 気を引き締める。 JR東海と津市、三重県 復旧記念イベントは次 「ボンネットバス体験乗 の3者で協定書が交わさ の通り。 車」や「奇跡の名松線バー れた。津市が治水工事、 ◇伊勢八知駅=バンド ガー」の販売、三重中央 三 重 県 が 治 山 工 事 を 担 コンサート、カラオケのど 農業協同組合の特産品の のほか、名松線を利用し イベントがある。 当し、JR東海も線路内 自 慢、 飲 食 販 売( 八 知 販売、街道鍋や餅の振る 南 館 は 71。 沿線住民にとって日常生 の土砂撤去、盛土復旧、 地区活性化協議会主催) 舞い、街道市など多彩な 別 途 出 入り口があり、 1〜3階 とも 改 修 し、 活の足であり、美杉の風 線路復旧を行った。 景の一部でもあった。 その 遠山病院の増築棟が完成 名松線を失ってはならな 年に「 名 松 いとの強い思いから、 有 志が平 成 救急患者の受け入れ充実 15 う 力 説 し、 竹内敏明院長)で増築 坪 ) 、 鉄 骨 造 り3階 建 など)の患者対応には、 する。ステーションは広 実の要望が地元自治会 今 回は第1期工事で、 月 までに工事 日( 火 )に 南館、旧本館を順次改 日(土)に完成。 公 民 館の講 棟(仮称)救命センター て。 昨 年4月に着工。 座 生 と、 笠 が 取 山 分 頓 基 内 覧 会が 人が参加した。 日 を終える。 地にも 見 学 あり、医療関係者ら約 修し、 に出かける。 11 周 年。「一志 町 は 苦 しみ 抜いて 合 併 の皆さんの声をもっともっ 一志町議会議員に当選、 な人だ。 「国土、国民を守る専 と議会の議論に反映し、 平成 年に再度挑戦、 門家の集団なのです。 そ 市政に生かしたい」 と熱 連 続3期 務めた。 当 時 合 併 推 進 派 は 少 数で、 当選した。「県都である れ まで 防 災 訓 練に参 加 く語り、「合併は人口 平 成 年1月の新 津 陸 上 自 衛 隊 連 隊、 白 するようにお願いしまし たのが目的でした。 執行 市 議 会 議 員 選 挙に立 候 山 ナ イキ 基 地、 航 空 自 た。 ま ず、 自 衛 隊 と 行 部の尻をたたいて議論を 乱立して落選した。「合 4つも防衛施設がある。 ミュニケーションを図らな 〝道州制〟推進を公言。 併を進めた人間として責 この環境を生かさない手 いと。いざという 時、自 「 もっと行 政 改 革 をしな 任 が あ る 」 と、 選 挙 が は無い」 と就任早速、議 衛 隊 は 必 ず 頼 りにな り いと」 と訴える。 家族は夫人と2人暮ら し。 娘2人は独立。 察 処 置コー る、 救 急 診 を受け入れ 1階 東 側 には救 急 車 予定。 置 室になる れ、 内 科 処 室が配 置 さ は中 央 処 置 剤室。 右奥 窓 口 」、 薬 手 は「 お 薬 が続く。 右 とカウンター 案 内・会 計 左手に受付・ 1階はエントランスホー 今 年 は 新 ( 火 ) から 入 院 診 療 を ル (待合) で、 津市合併 22 HIVE いたみ眼科 株式会社丸正クリーニング (有)フミヤ楽器 株式会社野田米菓 野村敦子バレエ教室 J テック設備 ヤマカ木材 ベイシスカ トラットリアカパーチェ 10 10 津市南新町の特定医 開始した。 ナー。 救 急 搬 送から救 ている。 興 させる 会 ) を 結 成 し なる。 療法人同心会遠山病 建 物の総 面 積は30 急診察まで行う。 感染 日の内 覧 会で、竹 2階は外 科 病 棟で、 ま す 」。 こ 院(加藤俊夫理事長、 28㎡(約917・58 症( 新 型インフルエンザ 従 来の第1病 棟が移 動 内院長は「救急医療充 線を守る会」(当初は復 21 60 !! 22 15 12 80 会で副議長に選ばれた。 「 議 長 を 補 佐 して、 議 会 運 営を精一杯 支 えてい きたい」。 議会内の調整 役を自認している。 地域の声をもっと市政に反映させたい 撮影者 長谷 茂 津市に、地方協力本部、 していなかったのを 参 加 万人で中核都市をめざし 30 一志 町 井 関から押されて りを始めた。 律儀で一徹 員連盟を結成した。 中央処置室を案内する竹内院長(右) 21 45 35 21 57 16 10 11 11 35 10 11 26 10 34 18 26 33 万年野党だった。 22 補したが、地元で候補者 衛 隊 笠 取 山 分 屯 基 地 と 政や消防、自治会とのコ 深めたい」と力を込める。 18 15 11 21 山﨑 正行 さん(71) でいた。 平成7年、地元 終わった翌日から地域回 会内に呼びかけて防衛議 にこぎ着けました。 地域 自衛隊を除隊後、ボラ ンティア活 動に取り組ん 10 JR伊勢奥津駅 3月26日9 時35分発 2月の津 市 議 会 臨 時 6年半ぶり名松線全線復旧 10 津市議会副議長 (昭和 63 年 4 月 2 日第 3 種郵便物認可) 毎週金曜日発行 第 1478 号 三 重 タ イ ム ズ 平成 28 年(2016)3 月 25 日(金曜日) [ 1 ]
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