守・破・創 [PDF 465KB]

つま り
美術家と地域住民が共鳴して
「芸術祭」が創られる
豪雪地帯である越後妻有地域(新潟県十日町市、津南町)で 3 年ごとに
開催され、国内外から約 50 万人が来場する「大地の芸術祭 越後妻有アー
トトリエンナーレ」
。その総合ディレクターを務める北川フラム氏との対
談から、同芸術祭が成功に至った理由と、これからの地域再生における
美術の役割を考える。
日本銀行政策委員会 審議委員
原田 泰
Yutaka Harada
1950 年東京都生まれ。74 年東京大学農学部卒業後、
経済企画庁入庁。国民生活局国民生活調査課長、調
査局海外調査課長、大蔵省財政金融研究所(財務省
財務総合政策研究所)
次長、
(株)
大和総研専務理事チー
フエコノミスト、早稲田大学政治経済学術院教授な
どを経て、2015 年 3 月より現職。著書に『日本国の
原則』
(石橋湛山賞)
、
『昭和恐慌の研究』
(共著、日経・
経済図書文化賞)
、
『ベーシック・インカム』等多数。
北川フラム
Fram Kitagawa
1946 年新潟県生まれ。東京藝術大学卒業。数々の美術
展をプロデュースするほか、地域再生として「大地の芸
術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」
「瀬戸内国際芸
術祭」などを手がける。2003 年フランス共和国政府よ
り芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。06 年度芸術選奨
文部科学大臣賞(芸術振興部門)
、07 年度国際交流奨励
賞・文化芸術交流賞受賞。12 年オーストラリア名誉勲章・
オフィサー受賞。
美術とは、
「どうしても
出してしまわざるを
得ないもの」である
原田 二〇〇〇年に始まった「大
地の芸術祭 越後妻有アートトリエ
ンナーレ」は、昨年二〇一五年に
第六回を迎え、世界から注目を集
める芸術祭に成長しました。最初
から大きなお話になりますけれど
も、北川さんにとって、そのよう
に国境を越えて人々を惹き付ける
「美術」とは何でしょうか。
北川 「美術」とは、物を食べた
り、あるいは排泄したりすること
を含めた「人間の生理」だと思っ
ています。近代化によって忘れ去
られてしまった昔の記憶や、ある
いは少数派の人の気持ち、未来へ
の不安……そういった極めて生理
的な「出してしまわざるを得ない」
もの。
「こうすればいい」
「こうで
あるべき」ではなくて、
「こうす
るしかどうしようもない」という、
自然のあらわれだと考えていま
谷山 實
す。
原田 「大地の芸術祭」において、
それを最も顕著に象徴している作
品は何でしょうか。
北川 いろいろありますが、たと
え ば ク リ ス チ ャ ン・ ボ ル タ ン ス
写真
アートディレクター
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クリスチャン・ボルタンスキー + ジャン・カルマン
「最後の教室」photo:Hironao Kuratani
昭和 30 年代には数百人もの在校生で活気にあふ
れていた旧東川小学校校舎内の教室、廊下、体育
館を使って複数の作品が展開されています。実際
は写真よりも暗く、目が慣れるにつれ、うっすら
と写真の風景が見えます。
たり、そのぐらいのことしかして
扇風機を置いたり裸電球を吊るし
は、廃校にわらを敷いたり、古い
ス)による「最後の教室」
。これ
キーとジャン・カルマン(フラン
でしょう。
ち、気分をあらわせると思ったの
ののほうが、自分の中にある気持
北川 アーティストにとっては具
体的なものよりも、そういったも
でした。
術だと思いました。
く歩いて……という体験が全て美
て、車道がなくなった先をしばら
原田 「大地の芸術祭」は、バス
で崖から落ちそうな細い道を行っ
合い、人とつながり、そこで長い
は自己実現ではなく、自然と向き
るけれども、それを表現すること
いやが応でも社会との「ずれ」
のようなものは生理として出てく
が、どこか伝わってこないところ
北川 仏像は、仏像だけ取り出し
てもそれなりに迫力はあります
のだと思いました。
設置された美術群もそのようなも
いますね。越後妻有のあちこちに
な作品」と感じられたと書かれて
シフィック(場所・環境の特異さ)
かつそれらに含まれるサイトスペ
院に至る道、伽藍、内陣と連なり、
象的でした。仏像は、
「土地、寺
だったと述べられていることが印
に 対 す る 出 発 点 が、 奈 良 の 仏 像
原田 ご著書『ひらく美術』
(ち
くま新書)の中で、ご自身の美術
中は、ヨハネスブルグでも東京で
になりました。美術館の白い壁の
自己を実現するものとされるよう
機会均等の時代になると、美術は
りました。二〇世紀、民主主義、
ジーを含めた一般市民のものにな
フランスの市民革命以来、美術
は王侯貴族のものからブルジョワ
た。
と願うような気持ちになりまし
くるような、そうであってほしい
るうちに、祖霊や山の神がおりて
校がある……あの地域へ通ってい
りると川があり扇状地になって学
スタートさせたのですが、山を下
ば、ということでプロジェクトを
した。そこで少しでも活力になれ
そのものがなくなろうとしていま
れは捨てられていく田舎でこそで
のではないかと考えたときに、そ
世界と交歓していくことができる
術の働き方があるんじゃないか、
れは本当に寂しい。もっと違う美
のように僕は感じるんですね。そ
術の最先端は、都市の病のカルテ
てきてしまった。いわゆる現代美
北川 そうですね。二〇世紀以降、
都市生活が中心になると、都市の
られているということですね。
つ共同体の表現である作品が求め
して再び、自分の表現であり、か
るために創られるようになり、そ
特に一九世紀以降、自分を表現す
原田 昔の美術は宗教共同体のた
めに創っていたと思うんですが、
は思うんです。
ことほぐことであってほしいと僕
間続いてきた生活や先祖の記憶を
いないようですけど、昔の記憶が
北川 そうなんです。そんな山奥
での農業は効率が悪く、その地域
があります。そこの空間、お堂だ
も同じように作品を見せることが
きるのではないかと思いました。
ズキンと迫ってくる感じがします
原 田 私 も そ の 作 品 を 見 た と き
「 昔、 そ こ に 子 ど も た ち が い た 」
けでなく伽藍全体、もっと言えば
できます。しかし、その創られた
あります。
たということを訴えかけるものが
ね。失われたものが実は重要だっ
ことを感じました。直接子どもを
寺院に行く道を含めた空間体験の
空間の中には、その土地の祖霊や
「 大 地 の 芸 術 祭 」 で 五 〇 万 人、
瀬戸内海の島々を舞台に開催され
「そこ」でしか
表現できないものがある
思い起こさせるものはないのに、
中でしか伝わってこない部分があ
生活、歴史はすべて消えてしまっ
ている「瀬戸内国際芸術祭」
(北
が らん
裸電球でそれを表現するのは驚き
るんです。そういうことを「大地
ています。
欠陥や病が表現されるようになっ
の芸術祭」でも実現したかった。
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イリヤ&エミリア・カバコフ「棚田」photo:Anzai
田植えから刈取りまでの稲作の情景を詠んだ詩と農作業に従事する人々の彫刻、
それと棚田の風景が融合しています。
かった。先ほど言ったような「自
しようと働きだしたことも大き
北川 もう一つ、アーティストが
その地域の資源や特色を明らかに
ティスト自身、あそこへ行ってか
れが創る喜びになっている。アー
叩いてくれたりするわけです。そ
たり、
「ほら、元気出せ」とお尻を
情けみたいなもので実現にこぎ着
なに言うなら仕方ない」というお
を開きました。最終的には「そん
理解されず、二千回以上、説明会
しなんて前例がないのでなかなか
方も楽しめたので今も続いていま
なり変わったと思いますし、作品
る人に絶対伝わりますから、見て
す。
己実現」だけではうまくいかな
術 館 や ギ ャ ラ リ ー の「 ホ ワ イ ト
も楽しい。そういうことで人を呼
けたのですが、結果として地元の
キューブ──何もない空っぽの空
び込んだ気がします。
に関わった人の喜び、誇りは、見
間──」の中では「この作品がい
原田 北川さんの「反対者が同じ
土俵に乗ることの意味は大きい」
か っ た と 思 う ん で す。 都 市 の 美
かに目立つか」ということを考え
人が集まるのではないかと思って
舎を探しているから、これだけの
て、自分と関わることのできる田
人が、都市の限界を無意識に感じ
の数よりもはるかに多い。都市の
が、この数は、現代美術のファン
る)で一〇〇万人の人が訪れます
川氏が総合ディレクターを務め
ない敵に向かって描くのと違い、
北川 まったくその通りです。
「い
かに先鋭的か」ということを見え
たのかもしれません。
地の記憶を見せることが新鮮だっ
原田 自分を見せることに疲れて
いた美術家たちにとって、その土
掛けになっています。
営む人々の生活を見せるための仕
が配置され、豪雪地帯で田んぼを
作の情景を詠んだ文章のフレーム
る人々の姿をかたどった彫刻や稲
シア)の「棚田」は、農作業をす
イリヤ&エミリア・カバコフ(ロ
景をいかに見せるか」
。たとえば、
並 み が 揃 わ ず、 反 対 す る 人 も 多
原田 約二〇年前にプロジェクト
が動き出した当初は、市町村の足
いたんです。
美術が実現できなければ美術をや
ばあちゃんに元気を与えるような
てられていく地域のじいちゃん、
あってほしい。人がいなくなり捨
の だ か ら、 も っ と ヒ ュ ー マ ン で
したが、でも美術は人間のものな
としていることに違和感がありま
北川 現代美術に対して、どこか
「エキセントリックであればいい」
る人とだけ一緒に組み、違う立場
見だったりすると、理解してくれ
たときに、孤立していたり少数意
北川 それは若いときの反省から
きています。何か実行しようとし
得る瞬間は素晴らしい。
理だと言われていたことが共感を
の一つではないかと思います。無
(
『ひらく美術』
より)
という言葉は、
原田 地元の人と美術家が共鳴し
ていたんですね。
る け れ ど も、 山 の 中、 田 ん ぼ の
います。
地元の暮らしを見せる美術を作る
かったそうですね。
反対者も巻き込んだことが
成功の鍵となった
「大地の芸術祭」が成功した理由
原田 里山での芸術祭が、地域お
こしとして成功した理由のひとつ
と、地元のじいちゃん、ばあちゃ
北川 当時、美術による地域おこ
中では、
「作品の後ろに広がる風
に、
「都市の人々が求めていたか
んが元気になる。おにぎりをくれ
めようと、僕はひそかに決意して
ら」ということがあるんですね。
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「うぶすなの家」photo:Hikaru Sasaki
焼き物美術館として再生した 1924 年築の古民
家。一階のレストランでは地元の食材を地元の
お母さんたちが料理して提供しています。二階
は、和紙や金箔を使った茶室が三つあります。
に作れたらうれしいし、アーティ
人たちが同じ土俵に上がって一緒
も、だからおもしろい。そう言う
と、いまだに言う人も多いけれど
も作れるわ」
「わしはわからない」
面もあります。
「こんなのは誰で
じ土俵に乗ることができるという
いろな人たちが意見を言えて、同
直接的効用がないからこそ、いろ
用はない」と反対されがちですが、
れこそが重要。美術は「直接的効
発言する権利を持っています。そ
プロジェクトには、あらゆる人が
で粋がってしまう。行政が関わる
りません。それで結局、内輪だけ
の人とは永遠につながることはあ
当厳しくなっていますから、そう
北川 そういう部分もあります。
アジアだけでなく欧米も田舎は相
来ているのかもしれません。
祭」に何かヒントがあると思って
が衰退しています。
「大地の芸術
日本もですが ――、どんどん地方
原田 アジア、特に中国は典型だ
と思いますけれども ―― もちろん
いものなんですね。
ているプロジェクトには加わりた
籍を問わず、みんなおもしろがっ
し、制作を手伝っていました。国
以上、短い人でも一週間ほど滞在
ポーターが来て、長い人は一カ月
ン前に約二〇〇人近い外国人のサ
ですよね。二〇一五年は、オープ
ちゃんと聞くところがおもしろい
のじいちゃん、ばあちゃんの話は
北川 自分の親の言うことなんか
聞かなそうな連中が、よその土地
づきますね。
ん来ますから、それだけでも活気
原 田 都 市 か ら 美 大 生 や ボ ラ ン
ティアスタッフなど若者もたくさ
ですよ。
したじいちゃん、ばあちゃんたち
いる人のほとんどは、当初は反対
地の芸術祭」に一所懸命関わって
ミストとして、資本主義は逆に一
かれていたのですが、私はエコノ
化させる」という主旨のことが書
わけですね。最後に、
ご著書に「資
原田 だからこそ、北川さんのよ
うなプロデュースする人が必要な
れらも評価してほしいものです。
ろいろな能力がありますから。そ
る人が強いでしょう。それはそれ
プレゼン能力や情報処理能力があ
ね。今の社会的な価値観でいうと、
北 川 そ う で あ れ ば い い の で す
が、実際は不得手な人が多いです
りますね。
原 田 と な る と、 プ レ ゼ ン テ ー
ションのうまい美術家が必要にな
す。
す。そういう力が美術にはありま
の人たちの心が開かれていきま
北川 美術は地域の資源を発見す
ることができますし、土地を使う
を見ておられるように思います。
に目立って消費されるイベントで
原田 美術による「地方創生」に
ついて、北川さんは、単に瞬間的
うと思います。
本主義は効率一辺倒」
「人を画一
でいいのですが、それ以外にもい
ための交渉、説得の過程で、地元
はいけないとしながらも、可能性
ストも心強いでしょう。今、
「大
いう感覚はつながっているんだろ
人一人を自由にし、個性を生かす
ことができると思うのですが、い
かがでしょうか。
北川 そうですね。元気のいいI
T企業が「大地の芸術祭」を手伝っ
ていますから、資本主義自体が悪
いわけではないのは確かですね。
ただ、格差社会がここまで進行し
てしまったことに危機感があるの
と、効率化の中で身体を動かす労
働の価値が低くなっている点を危
惧しています。美術を語らなけれ
ばならない本なのに、僕はついそ
ういうことに口を滑らせてしまう
んですよ(笑)
。
原田 それは世の中に対していろ
いろな思いがおありだからこそだ
と思います。本日は興味深いお話
をありがとうございました。
内海昭子「たくさんの失われた窓のために」photo:Hironao
Kuratani
世界に開かれた大きな窓に風がそよぐと、美しい里山の風
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景を違った目で見ることができます。