『問いの逆算』による推敲指導の事例研究-アカデミック・リテラシーにおける

初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究 85頁∼100頁
「問いの逆算」による推敲指導の事例研究
──アカデミック・リテラシーにおける「問いの重要性」を伝えるために──
児 玉 英 明
1 はじめに
――いかにして問いの重要性を伝えるか――
アカデミック・リテラシーの講義で最も大切なことは、何だろうか。それは、問いの重要性を学
ぶことである。「問いを意識しながら読み、問いを意識しながら書く」という、ごく当然の姿勢を
身に付けることが、論文の読み方・書き方を学ぶ目的である。そこで我々教員は、学生に問いの重
要性を伝えるために、どのような授業を行なえばいいのか。どのような指導案をつくれば、学生に
問いの重要性が伝わるのか。昨年までの講義では、論文を書き始める前に、まず問いの重要性を伝
えることが大切であると考えていた。まず問いありきのスタイルをとっていた。論文を書き始める
前に、問いの重要性を教えることは確かに必要だが、この指導法だけでは、問いの重要性をはっき
りと意識した原稿は出てこない。このような現状を変えるためには、どうすればいいのか。どのよ
うな指導をすれば、論文を書く際に、問いを意識するようになるのか。初学者である大学1年生の
学生に、いかにして問いの重要性を伝えるかが本稿の目的であり、その一つの有効な指導案として、
「問いの逆算」による推敲という方法を検討していく。
2 問いを意識しながら読み、問いを意識しながら書く
初年次教育の中で「論文の読み方・書き方」を教えることとは、「問いを意識しながら読み、問
いを意識しながら書く」という、ごく当然の姿勢を、意識的に身につけさせることである。問いの
重要性を伝えることがカリキュラムの中核であり、いかにして問いの重要性を伝えるかが、指導案
を考える上で一番検討しなければならないことである。「問いを意識しながら読み、問いを意識し
ながら書く」という、ごく当然の姿勢さえ身につけてくれれば、初年次教育における論文の読み
方・書き方としては充分である。
論文の読み方・書き方の授業で最も大切なことは、問いの重要性を伝えることであり、自ら問い
を立てその問いを展開するという、いわば自分の頭で考えることが求められている。したがって、
指導案の検討も、問いの重要性をいかに伝えるかという枠の中で議論しなければならない。この授
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
業が問いの重要性や思考法の重要性を伝えることを意図している点を、「論文の読み方・書き方」
という講義名から、連想することは難しいかもしれない。それゆえに、論文の読み方・書き方で最
も大切なことは、問いの重要性を理解することだと言っても、最初はなかなか伝わらない。それで
も、自ら問いを立てその問いを展開するという、自分の頭で考えた思考過程を書き記すことが、そ
のまま論文の書き方を学ぶことにつながるのだというイメージを、教員も学生も共有すべきだろ
う。
問いを立てることは、論文執筆のまさに最初に直面する作業段階である。最初の作業とはいって
も、長い論文を書こうとすれば、文章の途中で、たえず大小複数の問いを立て展開することが求め
られる。大学で求められるレポートは、4000字以上のものが多い。卒業論文にいたっては、20000
字から40000字である。長いレポートを書くために求められるのは、問いを展開する力である。論
文の長さは、問いを立てる力によって規定されている。このように考えると、問いを立てるという
作業は、論文執筆の最初の段階でありながら、論文全体を通して、最初から最後まで絶えず求めら
れている作業である。この「問いを立てる」という最初の作業の重要性さえ伝えられれば、あとは
一人ひとりの学生が、粘り強く主題を問い続けられるかにかかっている。論文の書き方について、
教員が教えられることは、問いの立て方と展開の仕方のコツを伝えることだけであり、その後は学
生の意欲による所が大きい。
筆者は問いを立てるコツを伝えるために、ロジカルシンキングのテキストとして定評の高い苅谷
剛彦『知的複眼思考法』講談社、2002年を使用してきた。特に第3章「問いの立てかたと展開のし
かた―――考える筋道としての<問い>」で示された方法論を、受講生の共通認識として、レポート
を作成させた。まず、実態を問う問い「……はどうなっているのか?」と、因果関係を問う問い
「なぜ……?」の二形態を提示する。問いには大きく分けてこの二形態しかなく、特に後者の因果
関係を問う問いが、大小複数の問いを誘発するきっかけになることを強調した1。
大きな問いの中には、複数の小さな問いが含まれている。因果関係を問う大きな問いを起点にし
て、大小複数の「実態を問う問い」や「因果関係を問う問い」を交互に繰り返す。初学者は、いき
なり大きな問いに答えようとしがちである。しかし、それは無理な試みであり、まずは大きな問い
1
苅谷剛彦『知的複眼思考法−−−誰でも持っている創造力のスイッチ−−−』講談社、2002年、183−
196頁。
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「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
を構成する複数の小さな問いに答えようとする姿勢を身に付けなければならない2。「最初の大き
な問いを複数の小さな問いに分けて、それぞれの問いに答えることが最初の問いへの解答になるよ
うにしていく方法」を苅谷は『知的複眼思考法』の中で、「問いのブレイクダウン」と呼ぶ3。
問いの二形態と問いのブレイクダウンを、はっきりと意識しながら文章を書くことが、問いの立
て方と展開の仕方のコツといえる。
3年間参加した、論文の読み方・書き方の研究会における議論をふまえた上で、筆者が考える授
業の目標は、「問いを意識しながら読み、問いを意識しながら書く」、つまり「自分の頭で考える」
というごく当たり前の姿勢の習得である。しかし、ごく当たり前とはいえ、提出される小論文の答
案を見れば、いかに「問いを意識しながら書いている答案」が少ないかに気付かされる。論文の書
き方を学んだことのない学生は、「心に浮かんだこと」をそのまま文章にするという段階に留まっ
ており、「問いを意識しながら書く」という段階には至っていない。初年次教育における論文の読
み方・書き方の講義では、問いを意識せずに「心に浮かんだこと」をそのまま書いてしまう学生に、
いかに問いの重要性を気付かせるかにかかっている。文章の中に大小複数の問いの柱が立っており、
その問いに対して大小複数の答えが対応している「問い+答え」の型を、はっきりと意識しながら
文章を書くことが目標である。
論文の読み方を学ぶために、輪読テキストのレジュメを作らせて学生に報告をさせている。しか
し、テキストの筆者がどのような問いを立て、その問いをどのように展開しているのかといった点
を、明確に把握した報告は少ない。筆者は授業の中で「筆者が大小複数のどのような問いの柱を立
てているのか。その問いの柱をつかむために、レジュメのタイトルと小見出しを全て疑問文の形で
書いてきなさい」と指示している。ここまで指示して初めて、「問いを意識しながら読む」という
2
清水幾太郎『論文の書き方』岩波新書、1959年、17頁。小さな問いの重要性を指摘する「問いのブ
レイクダウン」という発想は、文章を自動車にたとえ、文章を構成する1つ1つの短文を部分品にた
とえた清水幾太郎の発想にも通じる。書くという経験に乏しい者は、短文に注目することなく、長文
を一気に書き下ろそうとする傾向がある。しかし、書いてみれば分かるように、長い文章を一気に書
こうとすることや、大きな問いにいきなり答えようとすることは不可能なことである。清水は言う。
「私の場合は、短文が長文の基礎或いは要素になっている。沢山の短文を繋ぎ合わせたり、組み立てた
りすることによって長い文章が出来るのである。到底、長い文章を一気に書くというようなことは出
来ない。敢えて試みたことはあるが、みな途中で失敗している」。清水は、長文を1つの機械にたとえ、
その機械を構成する1つ1つの部分品(短文)の重要性を指摘する。例えば、1台の自動車を作る場
合、いきなり自動車という全体像を組み立てることはできない。自動車という機械を作るためには、
まずそれを構成する何千、何万といった部分品を作ることが先決である。このように清水は、長文を
機械にたとえることで、私たちの眼を短文(部分品)の重要性に向けさせる。「私の気持ちでは、何百
枚という長い文章は1つの機械のようなもので、沢山の短文は、相寄って機械を組み立てている部分
品のようなものである。前に触れた方法で短文即ち部分品を作っておいて、それを組み立てることに
よって、長い文章即ち1つの機械を作り上げるということになる。私にとって、短い文章は長い文章
の絶対の前提である」。
3 苅谷、前掲書、180頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
姿勢をとるようになるのである。
初年次教育で輪読テキストの報告を学生に課す理由は、「問いを意識しながら読む」という姿勢
を身に付けて欲しいからである。「問いを意識しながら読む」という、ごく当たり前の姿勢を身に
付けることが、初年次教育における論文の読み方講座の目的であり、難解な古典を読むことが目的
ではない。従来の大学の授業で輪読形式のゼミというと、古典講読の印象が強い。しかし、初年次
教育という枠の中で「問いを意識しながら読む」という姿勢の習得を目標にした輪読となれば、使
用テキストは難解な岩波文庫よりも、平易な岩波ブックレット程度が望ましい。使用テキストには、
3年間の教育実践の中で岩波現代文庫、岩波新書、岩波ブックレットなど様々なレベルを試してみ
たが、新聞すらほとんど読んでいない学生にとって、岩波文庫や岩波新書は敷居が高いことは自明
だろう。大学という場で、岩波ブックレットや新聞記事の切抜きを教材に使うことに抵抗を感じる
教員もいるが、筆者が指導してきた学生は新聞すら手に取らない学生がほとんどであり、そのよう
な現状をふまえると、岩波ブックレットを丹念に読んでくれれば万々歳である。『日本経済新聞』
を手に取るようになってくれれば、万々歳である。
論文の書き方というと、長い一文を短い一文に分割するとか、接続詞の使い方とか、段落分けの
仕方とか、句読点の打ち方とかがよく取り上げられるが、これらは問いの重要性を伝えるという本
筋からすれば、あくまでも派生的な位置を占めるにすぎない。問いの重要性を伝えることが論文の
読み方・書き方の柱であり、そこに明確なコンセンサスがあれば、教員が変わっても指導法が大き
くぶれることはない。論文の読み方・書き方の指導は、経済原論や簿記の指導とは違い、教員によ
って千差万別の指導をしているという印象が強い。しかし、「問いの重要性」を伝えるというビジ
ョンさえ共有できるのであれば、カリキュラムの標準化を図ることは可能である。むしろ、カリキ
ュラムの標準化を積極的に図るべきである。もちろん、全ての教員が同じテキストで、同じ授業を
する必要はないが、「問いの重要性」を伝えるという一点だけは共有し、カリキュラムの緩やかな
標準化を図ることが望ましい。このような共通認識が形成されれば、論文の読み方・書き方の教育
実践を、各教員が試みている具体的な指導案に基づいて、さらに議論を重ねることができるだろう。
今後は「問いの重要性」を伝えるという抽象的なビジョンを、いかに具体的な指導案としてブレイ
クダウンできるかに、論文の読み方・書き方講座の成否がかかっているだろう。
3 問いの逆算による推敲(1)
――岡田寿彦『論文って、どんなもんだい―考える受験生のための論文入門―』の指導案――
「高等学校が生徒の制服を定めることに、あなたは賛成か反対か。200字以内で考えを述べよ」
という小論文が出題されたとする。論文の書き方を学んだことのない学生は、どのような答案を提
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「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
出してくるだろうか4。
本稿は、岡田寿彦『論文って、どんなもんだい――考える受験生のための論文入門――』駿台文庫、
1991年の指導法に学ぶ。岡田に学ぶべきことは、初学者に典型的な後掲の【答案①】を、いかにし
て【答案③】へ高めるのかという点である。初年次教育という枠の中で、論文の書き方を学ぶので
あれば、誰もが書けるようにならなければならない答案は、【答案③】の原稿である。【答案③】で
求められているものは、「なぜ……?」で始まる因果関係を問う問いを立て、「……だから」で返答
する答案である。「因果関係を問う問い+その答え」の関係として、文章を構成することが【答案
③】の型だが、初学者にとってこの型を実践することがなかなか難しい。初学者による大部分の答
案は、心に浮かんだことをそのまま書き留めた文章、【答案①】のような原稿である。それでは、
【答案③】のような原稿を、自らの力だけで作成できるようになるには、どのような指導を行えば
いいのか。その指導法を、岡田の著書に学びたい。
制服の是非を問うこの設問は、論文とは何かを教えるために、多くの教員が授業で利用している
典型問題である。賛成か反対かの二分法をまずとらせることで、「なぜ賛成なのか」「なぜ反対なの
か」といった「なぜ……?」で始まる因果関係を問う問いを立てさせ、理由をあれこれと考えるこ
とに意義がある。「なぜ……?」で始まる因果関係の問いを起点にして、次から次へと問いが誘発
されることに気付くことが大切である。
勘違いして欲しくないことは、「賛成か反対かといった結論を、論文の冒頭で明確に述べること
が大切なわけではない」ということである。賛成か反対かの二分法をあえて論文の冒頭でとらせる
理由、つまり賛成か反対かの結論ありきの文章を書かせる理由は、その次に「なぜ賛成なのか」
「なぜ反対なのか」といった「なぜ……?」で始まる因果関係を問う問いを、書き手に立てて欲し
いからである。つまり、賛成か反対かの二分法に基づいた結論を先頭に明示する結論ありきの文章
を書くことが大切なのではなく、むしろその次に来る因果関係を問う問いを自ら立てて、その問い
に答えようとする、またはその問いに誘発されて大小複数の問いを作ろうとする姿勢を身に付ける
ことが狙いである。
賛成、反対の二分法の小論文を出題する理由は、因果関係を問う問いの重要性を伝えたいからで
あり、因果関係を問う問いが起点となって、大小複数の問いが誘発されることを実感して欲しいか
らである。因果関係を問う問いの重要性が分かれば、何も論文の冒頭で賛成、反対を明確に書き記
す、結論ありきの型へはめることにとらわれる必要はない。大切なのは、因果関係を問う問いを自
らが立てる能力を身につけることであり、賛成、反対のはっきりした、結論ありきの二分法の論文
を書くことではない。
どんなテーマであれ、考えれば考えるほど、賛成なのか反対なのか、自分の立場は分からなくな
るものである。賛成なのか、反対なのか、その境界にふみとどまり、そのはざまで揺れ動くことこ
4
岡田寿彦『論文って、どんなもんだい――考える受験生のための論文入門――』駿台文庫、1991年、
13−32頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
そが考えるという行為なのではないか。始めから結論ありきの賛成、始めから結論ありきの反対は、
一見すっきりしているように見え、すわりもいいが、思考の長さや深さという点で問題がある。賛
成か反対かの結論をはっきり述べることが高評価につながるのではない。賛成と反対の境界に踏み
とどまり、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、賛成、反対の二分法で割り切れない現実に
気づくような、そんな思考の長さ、言いかえればそこに見られる問いの展開力を評価してもいいの
ではないか。
筆者が学生と接して感じたのは、大学受験の小論文対策をやってきた学生ほど、論文というもの
は賛成、反対の立場を鮮明にすることが大切だという考えにとらわれすぎているということである。
賛成、反対の結論を明確に述べることは、大学受験では大切なのかもしれないが、何でもかんでも
最初から結論ありきで書こうとすることは、問いを展開するという行為を書き手から削いでしまう
のではないか。800字程度の小論文ならばまだしも、20000字程度の論文では、問いに展開力がなけ
れば20000字という距離を走りきることはできない。長い論文になればなるほど、そこで求められ
るのは問いの展開力である。問いの展開力が文章の長さを規定する。
論文の書き方で大切なことは、問いの立て方と粘り強く問いを展開する姿勢である。評価すべき
は、文章の冒頭で賛成、反対を明確に述べる結論ありきの文章ではない。文章というものは、考え
れば考えるほど乱れるのが普通である5。大小複数の問いを立て、あれこれ考えた思考過程を記し
ているのであれば、結論がたとえ賛成、反対という二分法の形で明確に書き記されていなくても、
評価していいのではないか。
岡田寿彦『論文って、どんなもんだい――考える受験生のための論文入門――』は、論文の書き方
を指導する父親と論文の書き方を学ぶ娘との面談と、答案の添削からなっている。岡田は駿台予備
校で小論文を指導しており、そこでの指導経験をもとに『論文って、どんなもんだい――考える受
験生のための論文入門――』を書いている。数ある参考書の中でも、「問い」の重要性を強調してい
る所に特徴があり、「問い」の重要性を指摘しながら面談を繰り返し、「問い」の柱を浮かび上がら
せながら添削を行っている点に特徴がある。
5
西研「論文ってどういうもの?」西研・森下育彦『「考える」ための小論文』ちくま新書、1997年、
19頁。同様の見解を示しているものとして、西研による「論文ってどういうもの?」という教育実践
研究がある。西によれば、高く評価されるレポートとは、レポートの中に「考えた形跡」「自問自答す
る能力」が見られるものだという。しかし、文章というものは皮肉なもので、あれこれ考え出したり、
様々な参考文献に当たれば当たるほど、読みにくくなるのが必然である。「文章のわかりやすさ」と「思
考の深さ」を両立させることは難しいが、それでも、読みにくくてもいいから、考えていることを示
すことが大切だという。次に引用する西の見解は、読みやすい玄人のようなレポートが評価されると
思っている者に修正を迫る。「しかし困ったことには、あまり考えないほうがわかりやすい文章になる
のも事実。つっこんではいないがきれいにかたちの整ったわかりやすい論文もあれば、一生懸命考えて
掘り込もうとしているからこそ、わかりにくく乱れている論文もある。『わかりやすさ』と『思考の深
さ』をあわせもつ論文を書くのは難しい。でも、ぼくが出題者なら(ぼくでなくても)、わかりにくくと
も考えている論文を評価する。少なくとも練習の段階では、乱れてもいいから考えなくてはいけない」。
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「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
論文の書き方を学んだことのない学生が、どのような答案を提出してくる傾向にあるのかを、具
体的な答案サンプルに基づいて把握することが教員にとって指導法研究の出発点になるだろう。
ここではまず、岡田寿彦『論文って、どんなもんだい――考える受験生のための論文入門――』に
即しながら、「高等学校が生徒の制服を定めることに、あなたは賛成か反対か。200字以内で考えを
述べよ」という出題に対して、論文の書き方を学んだことのない学生が、どのような答案を提出し
てくるのか。その典型的な答案の特徴をつかむことから始めたい。
論文の書き方を学んだことのない学生が提出してくる答案は、次のような【答案①】である6。
【答案①】
「人がどんな服を身につけるかは、本来各人の自由である。服装の好み、暑さ寒さの感じ方、
体型などが一人ひとり違う生徒に同じ服を着せることにすると、問題が起こる」。
【答案①】を作成した学生は、自分の考えを書いたつもりなのかもしれない。しかし、岡田によ
れば、【答案①】では「考え」を書いたとは言えないという。「考え」を書いたというよりは、「心
に浮かんだこと」をそのまま書いているだけだという。「『心に浮かんだこと』が『考え』になって
いない場合」という岡田の言い方は、論文の書き方を学んだことのない初学者には、分かりにくい
だろう。普通に考えれば、「自分の心に浮かんだこと」をそのまま書き留めれば、それは自分の
「考え」を書いていることになるのではないか、というのが論文の書き方を学んだことのない初学
者の見解である。
岡田は論文というものを、次のようにはっきりと定義する。論文とは、
「『問い』に対する『答え』
としての、自分の『考え』を述べる文」7である。論文とは、「問い」に対する「答え」としての、
自分の「考え」を述べる文であり、「心に浮かんだこと」をそのまま書くものではない。「心に浮か
んだこと」を、そのまま書いたのでは、それはただの文章であり、論文とはいえない。あくまでも、
「心に浮かんだこと」が「問い」に対する「答え」になっていなければならないのである。「心に浮
かんだこと」をそのまま書き留めた答案は、文章としては適切でも、小論文としては不適切である。
大切なことは「心に浮かんだこと」が「問い」に対する「答え」の関係になっている文章を書くこ
とである。
「心に浮かんだこと」が「答え」になり「考え」になるには、その前提として「答え」や「考え」
を導くきっかけとなる「問い」の存在を意識することが重要である。「心に浮かんだこと」が「考
え」になっている場合とは、「心に浮かんだこと」が「問いに対する答え」になっている場合をい
う。論文とは、「問い」に対する「答え」としての、自分の「考え」を述べる文である。
6 岡田、前掲書、16頁。
7 同上、15頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
次に引用する岡田の『論文って、どんなもんだい――考える受験生のための論文入門――』の中の
対話は、論文とは何かを考えさせる上で、また問いの重要性を考えさせる上で、素晴らしい面談に
なっている。特に父の発問「『心に浮かんだこと』に過ぎないものを『考え』あるいは『説明』に
変えるものは何だろう?」と、その質問を受けての娘の返答「そうか、『問い』に対する『答』と
して『心に浮かんだこと』が『考え』あるいは『説明』なんだから、単なる『心に浮かんだこと』
を『考え』あるいは『説明』に変えるものは『問い』なのね」という父と娘の対話には、論文の読
み方・書き方の指導法を考える上での核心的なメッセージが込められている8。
特に岡田の指導法で特筆すべきことは、初学者の娘に、自分の書いた答案から問いを逆算させて
いるところである。
父:論文を構成するセンテンスはすべて「考え」あるいは「説明」を述べたものでなければな
らない。そうだね?
娘:そういうことになるね。
父:答案から一度除かれたセンテンスが復活したということは、そのセンテンスが表現してい
るものの性質が変わったということだ。
娘:というと……?
父:つまり、それは、単なる「心に浮かんだこと」から「考え」あるいは「説明」に変わった
のだ。
娘:なるほど。だから、答案の一部として復活することができたのね。
父:そうだ。ところで、
「心に浮かんだこと」に過ぎないものを、「考え」あるいは「説明」に
変えるものは何だろう?
娘:何なの?
父:そもそも「考え」とか「説明」とかいうのは何だった?
娘:「問い」に対する「答」よ。……そうか、「問い」に対する「答」として「心に浮かんだ
こと」が「考え」あるいは「説明」なんだから、単なる「心に浮かんだこと」を「考え」
あるいは「説明」に変えるものは「問い」なのね。
父:そうだ。除かれていたセンテンスが復活したのは、それが「問い」に対する「答」を述べ
たものになったからだ。
娘:論文を書くときは、いつでも「問い」を「つくる」ことが大切なのね。
【答案①】のような答案を書いてきた学生に対して、どのような面談指導や添削指導をすべきだ
ろうか。効果的な指導をする上で中心に据えるべきことは、書き手が無意識に想定している問いを、
8 同上、29頁。
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「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
面談を通じて、逆算させる作業である。岡田の著書の中では、次のような面談指導がなされている。
論文の書き方を教える父と、論文の書き方を学ぶ娘の対話を引用してみよう9。
父:君は答案を書くときに、
「問い」をよく意識していなかったんじゃないか?
娘:そう言えば、そうね。
父:君がはっきりと意識すべきだった「問い」は?
娘:「高等学校が生徒の制服を定めることに私は賛成か反対か」ね。
父:そうだ。じゃ、その「問い」に対する君の「答」は?
娘:「高等学校が生徒の制服を定めることに私は反対だ」よ。
父:それが君の「考え」であり、君の論文の「中心命題」だ。君は答案に「中心命題」を示し
ているかね?
娘:示していないわ。
父:君は出題者の「問い」に答えている?
娘:答えていないわね。
父:だから、君の答案は、答案になっていないんだ。
上記の対話をもとに、推敲した原稿が【答案②】である10。
【答案②】
「高等学校が生徒の制服を定めることに私は反対だ。人がどんな服を身につけるかは、本来
各人の自由である。服装の好み、暑さ寒さの感じ方、体型などが一人ひとり違う生徒に同じ
服を着せることにすると問題が起こる」。
岡田によれば、【答案②】は第一センテンスのみ、考えを述べているという。その一方で、第二
センテンスと第三センテンスは、考えを述べていないという。つまり、第二センテンスと第三セン
テンスは、「心に浮かんだこと」をそのまま述べているだけの文章である。なぜなら、第二センテ
ンスと第三センテンスは、問いに対する答えになっていないからである。このことを学生に分から
せるために、岡田は「論文構造分析表」を提示する11。
【論文構造分析表】
①主題 高等学校が生徒の制服を定めること。
9 同上、15頁。
10
同上、16頁。
11
同上、17頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
②問い 高等学校が生徒の制服を定めることに私は賛成か反対か。
③答(中心命題)
高等学校が生徒の制服を定めることに私は反対だ。
④問い
⑤答(中心命題についての説明)
人がどんな服を身につけるかは、本来各人の自由である。服装の好み、
暑さ寒さの感じ方、体型などが一人ひとり違う生徒に同じ服を着せるこ
とにすると、問題が起こる。
ここで岡田が伝えたいことは、④で「なぜ反対であるのか?」という問いが、はっきりと意識さ
れ、自分に向けられる必要があるということである。娘の方は、はっきりと問いを意識しないまま
⑤を書いているのである。④で「なぜ反対であるのか?」という問いをはっきりと意識しないまま、
「心に浮かんだこと」をそのまま文章にしたのが⑤であるから、ここで推敲の必要が生じるわけで
ある。⑤の文章は、④の問いに対する答えでなければならず、推敲のポイントは、「なぜ」と聞か
れたら「……だから」と答える因果関係を文章に鮮明に現すことである。問いをはっきりと意識の
上にのぼらせ、浮かび上がってきた因果関係を問う「なぜ反対であるのか?」という問いを柱にし
て、推敲を試みる。「なぜ反対であるのか?」という問いを想定しているということは、英語の
Why−Becauseと同じで、その答えは「なぜなら……からである」という型の返答が求められる。
「心に浮かんだこと」を書き記しただけの文章を、小論文へ変換するには、無意識に想定してい
る問いを意識上にのぼらせ、その問いを柱にして、問いと答えの関係として推敲することである。
筆者は、学生が提出してくる初稿原稿から問いを逆算することが、添削や面談の際に教員に求め
られていると考える。誤字の訂正や参考文献の紹介は、副次的なものであり、教員に求められてい
る指導は、学生が提出してきた文章から、問いを逆算することである。そして、浮かび上がってき
た問いの柱を軸にして、推敲を促す。推敲の段階で、もう一度、自分がどのような問いに向かって
いるのかを再確認させる。問いを明確に意識しないまま書いている答案から、問いの柱を抽出する
ことで、「問い+答え」の型をとった小論文へ変換させる。
初年次教育という枠で論文の書き方を論じるならば、誰もが到達しなければならない目標は、次
の【答案③】である12。【答案③】を自らの力だけで作成する能力の養成が、誰もが到達すべき第
一段階である。
【答案③】
「高等学校が生徒の制服を定めることに私は反対だ。なぜなら、第1に、人がどんな服を身
につけるかは、本来各人の自由だからであり、第2に、服装の好み、暑さ寒さの感じ方、体
12
同上、20頁。
− 94 −
「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
型などが一人ひとり違う生徒に同じ服を着せることにすると、問題が起こるからである」。
4 問いの逆算による推敲(2)
――山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』の指導案―
―
山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書、2001年は、既に書かれている文章の
中から問いを逆算するという指導をとっている。
山田の指導法は、まず問いの立て方を学ぶといった方法論ありきの指導法ではなく、問いを明確
に意識する前に文章を書き始めても構わないという、実践ありきの指導法である。書くという実践
から、論文の書き方という理論に迫るのであれば、まずは問いをはっきりと意識せぬままに文章を
書き始め、書いているうちに自分が想定している問いが次第にはっきりしてきたり、書き上がった
文章から問いを逆算することで推敲を試みることは、よくあることである。論文を書くという行為
に対する筆者の実感も、山田と同じで、問いを立てるという方法論ありきでも構わないし、まずは
問いを意識せぬままに文章を書き始めるという実践ありきでも構わない。初学者だろうが、プロだ
ろうが、実際は方法論ありきと実践ありきの中間で、論文を書いているというのが本音ではないだ
ろうか。しかし、教員として論文の書き方を教えるとなると、そのような本音を無視して、方法論
ありきのスタイルに傾きがちである。筆者はむしろ、方法論ありきと実践ありきの中間で構わない
という本音を認めた上で、推敲の際に「問いを逆算する」という行為の重要性を強調した方が、初
学者にとっては学習効果が上がるのではないかと考えている。
論文の書き方を学んだことのない学生は、問いを明確に意識しないまま、取りあえず文章を書き
始める。これは初学者に限らず、筆者にも言えることである。取りあえず、文章を書き始めるので
ある。多くの初学者は、心に浮かんだことをそのまま書き記した原稿を、初稿として提出してくる。
その初稿を改善するための添削指導は、「書き手のなかで無意識に埋もれている問いの柱を、意識
化させてあげる作業」つまり、文章からの問いの逆算である。
山田の『伝わる・揺さぶる!文章を書く』に学びながら、問いの逆算という指導法を検討しよう。
次に示す【意見A】と【意見B】は、問いがない文章であり、初学者が提出してくる答案の典型例
である13。
【問いがない文章の事例】
「脳死の人からの臓器移植について」、Aさん、Bさんが自由に意見を言ったとする。
13
山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書、2001年、41頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
【意見A】
「私は自身、積極的に臓器を提供したいと思いますし、たくさんの人に臓器提供者になって
ほしいと思います」。
【意見B】
「脳の死、心臓の死に限らず、死を法律で一様に決めるべきではない。その人の文化、まわ
りの人との別れまでを含め、多様な個人の死の定義を認めるべきだ」。
問いの重要性を意識化させるためには、【意見A】、【意見B】のような感想文を書かせるだけで
は不十分で、そこから問いとなる疑問文を逆算させなければならない。筆者が山田の教育実践に学
んだのは、まさにこの点、「問いの逆算」である。これは、添削指導をする時や面談指導をする時
に、極めて有効な指導法である。
【意見A】や【意見B】のような文章を書くだけでは不十分で、それらの文章から問いを逆算し、
推敲へつなげることで、初めて「問い+答え」という論文の型を意識するようになる。レポートを
書き始める前に、問いの重要性をどんなに強調しても、問いの柱が立った原稿はあまり出てこない。
そうであるならば、文章を書いている途中で、または文章を書き終わった後で、一度自分の文章を
突き放し、そこから問いの柱を逆算し、推敲を促せばよい。
論文を書いたことのない学生に、問いには「実態を問う問い」と「因果関係を問う問い」の大き
く二形態があることや、大きな問いを複数の小さな問いへ分ける「問いのブレイクダウン」の重要
性を強調しても、実感が乏しいだろう。この実感の乏しさは、たとえて言うならば、自動車を運転
したことのない学生に、教室でひたすら自動車を運転するときの技術を講義する教習所の学科講習
の感覚と同様のものである。問いの重要性を、論文を書き始める前に教える、言い換えれば教習所
の学科講習のように教えても伝わり方が不十分であるならば、問いをはっきりと意識せぬままにま
ずは文章を書き始めてみて、そこで書き上がった文章から問いを逆算させ、推敲の時点で「問い+
答え」の型を意識させたほうが「問いの重要性」はより一層伝わるのではないか。つまり、問いの
重要性を論文を書き始める前に伝えることも大切だが、問いの重要性を書き手が実感として捉えら
れるのは、一度書き終わった後の推敲段階である。
【意見A】・【意見B】からの問いの逆算
【Aの問い】
「臓器提供者になるかならないか?」
【Bの問い】
「人の死とは何か?」
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「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
書く前に問いを意識することも大切だが、書いた後に問いを意識し直すことも大切である。論文
の書き方の授業というと、まず方法論ありきの前者「書く前に問いを意識する」になりがちだが、
書くという作業を実践的に考えるならば、実際は「書いた後に問いを意識する」、つまり推敲の段
階で問いを逆算するということの方が多いのではないか。とりあえず、心に浮かんだことを書き留
めて、そこから問いの柱を抽出し、もう一度「問い+答え」の構造である論文の型を意識して推敲
する。これが筆者の書くという行為から抽出した、実感としての方法論である。問いの逆算につい
て、山田の印象的な記述を引用してみよう。
「このように、意見の裏に『問い』がある。その人の『問題意識』と言いかえてもいいだろう。
いい意見を出す人は、『問い』も深い。『問い』が浅薄だと、意見もそれなりになってしまう。多く
の場合、問いは無意識の中にある。正体不明の違和感、ひっかかりを抱えて、ある日、ふと、自分
が何に悩んでいたのかに気づくことがある。『問い』の正体がわかるだけで、ずいぶんすっきりす
る。だが、私たちは、『問い』を意識しないまま、意見を言ったり、書いたりすることのほうが圧
倒的に多い」14。
筆者が問いの重要性を伝える上で、いちばん効果的だった指導案は、レポートのタイトルと小見
出しを、全て問いの形で書き出させたことである。山田も「論点(タイトル)を疑問文にする。こ
れだけでもかなり効果があるはずだ。すぐに試してみよう」 1 5 と述べている。次に示す雑誌
『BRUTUS』の事例を用いた説明は、問いの重要性を、誰にでも納得できるように教えている。山
田の指導案で最も魅力的な部分であり、これほど分かりやすく、問いの重要性を伝えている指導は
他にない16。
【タイトルを問いの形で書き出させた事例】
『BRUTUS』の事例
テーマ タイトル(問い)
男性ファッション なぜ、日本男児はカジュアルが下手なのか?
住まい 東京23区に家を建てられますか?
グルメ 人はなぜ、焼き肉屋を教えたがるのか?
「これぞ、まさに論点だ。独自の良い『問い』が立っている。これらを、雑誌によくある『男性
カジュアルウェア特集』『焼肉屋ランキング』『エルメス徹底研究』といった見出しと比較してみ
よう。こういう見出しは、論点でなく、ただの枠組みなのだということがわかる。論点を設定し
た方が、読み手にとって具体的なイメージが湧き、興味をそそるものになっているのは明らかだ
14
同上、42頁。
15
同上、73頁。
16
同上、68−69頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
ろう。事実、一時部数が伸び悩んでいた『BRUTUS』は、この方法で起死回生を果たしたとい
う。それだけではなく、これら、5つの(3つの:筆者)タイトルを見ただけで、内容は読まな
くても、そこに『BRUTUS』独自のものの見方・センスが感じられはしないだろうか。そう、
読み手は、まだあなたの意見を読んでいなくても、問いの立て方だけで、あなた独自の見方・セ
ンスを感じ取るのだ。独自性の発現に、論点はよく機能する」17。
「問いが先ずありき」という指導は、ややもすると、教習所の学科講習的な指導になってしまう。
筆者は、そのような不安があったので、山田がはっきりと「『問い』からでも『意見』からでもど
ちらの方法でも構わない」18と述べているところを見て、「やっぱり、それでいいんだ」という安心
感を持った。書き始めの段階ではなく、推敲の段階で問いを意識しても、構わないのである。
まずは心に浮かんだことをそのまま文章に書き留めてもよい。「問い」からでも「意見」からで
も構わない。しかし、心に浮かんだことをそのまま書き留めた原稿を、何も修正せずに提出しては
ならない。レポートを提出する際には、心に浮かんだことから問いを逆算し、その問いに対する答
えとして、心に浮かんだことを推敲しなければならない。
山田の発言は、まず書き始めるという実践ありきである。教員はどうしても、まず方法論ありき
の教習所の学科講習のような授業をしてしまう。しかし、書くという行為は、きわめて実践的なも
のであり、書きながら、または書いた後に、問いの重要性を学んでもいいのである。車の運転技術
を走りながら身に付けるように、レポートを書くための技術、つまり問いの重要性を書きながら学
んでもいいのである。山田は言う。「『論点』からでも、『意見』からでも、どちらの方法でもかま
わない。多くの人は、この中間の方法、つまり書いているうちに次第に意見がはっきりし、そのこ
とにより、論点の角度も絞られる、というように、意見と論点を互いに調整しつつ文章を書いてい
る。それでいいと思う」19。
「大切なのは、
『問い』を意識しつつ、文章を書く習慣をつけることだ。
文章を貫いている大きな問いを意識するのはもちろんだが、段落ごとにも小さな問いがある。書い
ていて話題を変えるとき、何かずれを感じるときなどに、自分は何を書こうとしているのか、では
なく、『どういう問いに基づいて書こうとしているのか?』を考えてみる」20。
どのような面談、どのような添削を行えば、効果があるのか。昨年度の報告書の中に、脚注で添
削の作法について書き記した箇所がある。「初稿を提出するとき、多くの学生は、自分のレポート
を支える問いの柱をあまり意識していない。つまり、問いを意識しないまま、意見を言ったり、書
いたりしている原稿が多い。このような原稿を手にした教員は、どのような添削をすべきだろうか。
私が学生との面談の中で行った添削は、レポートの中から、大きな問いの柱と小さな問いの柱を意
識化させる添削である。問いになっている文章を、教員が黄色の蛍光ペンでマークすることで、見
17
同上、69頁。
18
同上、71頁。
19
同上。
20
同上、71−72頁。
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「問いの逆算」による推敲指導の事例研究(児玉)
出しの付いていない、べた書き状態の原稿に問いの柱を浮かび上がらせる。明確な疑問文の形で書
かれていれば、すぐにチェックが可能だが、大半の原稿は明確な問いが文章の中に埋もれており、
目に見える形で存在していない。そのような場合は、読み手である教員が意識的に、書き手が無意
識に想定しているであろう問いを書き出してやる」21。筆者自身もこのような指導をこころがけて
いたので、山田の『伝わる・揺さぶる!文章を書く』における「問いの逆算」の指導案を読んだと
きに、共感するところが多かった。
場当たり的な面談や添削を行うのではなく、面談も添削も「問いの立て方と展開のしかた」とい
う点から、指導法の標準化を図るべきである。参考文献を紹介したり、長い一文を短い一文へ添削
するといった指導は副次的なものであり、添削指導の本来の姿ではない。添削においてもやるべき
ことは、「問いの立て方と展開のしかた」の意識化である。このように添削者である読み手も、書
き手がどのような問いを立て、それをどのように展開しているのかに注目しながら、添削や面談を
行う。読み手である教員が、提出されたレポートから問いの逆算を行うことで、書き手の無意識に
埋もれた問題意識を共有することができる。その結果、面談における学生とのコミュニケーション
もスムーズなものになる。「問いの逆算による推敲」という指導法は、問いの重要性を伝えるうえ
で、非常に有効である。
5 おわりに
――問いの重要性を意識する契機――
「問いの逆算による推敲」という指導法は、書くという行為を、問いをはっきりと意識していな
くても、とにかく書き始めることが大切だと捉えている。「考えてから書き始める」のではなく、
「書きながら考える」姿勢を積極的に奨励し、書くという行為を実践的なものとして捉える。その
上で、問いの重要性をいかに伝えるか、いつ伝えるかが問題となる。書いているうちに問いが鮮明
になってくることもあるし、推敲の段階で問いを意識化しても構わない。問いの重要性を意識する
契機は複数あって構わない。このように、書くという行為は実践的なものであり、それをふまえた
上で問いの重要性を伝えるのであれば、書き始める前に問いに注目するだけではなく、むしろ書き
終わった後の推敲段階において問いを逆算するという作業に注目するほうが効果的である。特に、
初学者に問いの重要性を伝えるためには、推敲時に問いを逆算させることが、有効な契機になる。
一度書き上げた文章を突き放し、まるで他人の文章を読むがごとく、そこから問いを逆算すること
で、抽出された問いの柱を意識しながら推敲をはかる。このように書くという行為を実践的なもの
として捉え、推敲時において問いの逆算という作業を求めることが、論文における「問い+答え」
21
拙稿「『問いを立てる』という行為の原理的把握とその指導法の標準化へ向けて――アカデミックリ
テラシー教育における導入段階の実践研究――」『平成18年度高崎経済大学特別研究報告書 大学全入
化時代におけるスタディ・スキルズ教育に関する基礎的研究』、2007年、54頁。
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初年次教育としてのアカデミック・リテラシー教育に関する基礎的研究
の構造を意識化させるためには、最も効果があるのではないか。
【参考文献】
岡田寿彦『論文って、どんなもんだい――考える受験生のための論文入門――』駿台文庫、1991年。
苅谷剛彦『知的複眼思考法――誰でも持っている創造力のスイッチ――』講談社、2002年。
児玉英明「『問いを立てる』という行為の原理的把握とその指導法の標準化へ向けて――アカデミックリ
テラシー教育における導入段階の実践研究――」『平成18年度高崎経済大学特別研究報告書 大学全入
化時代におけるスタディ・スキルズ教育に関する基礎的研究』、2007年。
清水幾太郎『論文の書き方』岩波新書、1959年。
西研・森下育彦『「考える」ための小論文』ちくま新書、1997年。
山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書、2001年。
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