『シルクロードの終着点』を 訪ねた三十年

説
伊藤
洋文
Hirobumi ITO
なサバンナで野生動物の姿を何日も追い続け、写真に収めた。滞在
中は、毎日が感激の連続だった。この時の旅で撮った写真は『生物
図説』等の副教材に掲載し、今でも役立っている。また、この旅の
最中、滅多に経験できない出来事に遭遇した。ケニアでクーデター
が起こったのだ。首都ナイロビでは夜間外出禁止令が出され、空港
閉 鎖 に よ り 帰 路 便 も 欠 航 と な っ た。 そ の 後 予 定 外 の イ ン ド を 経 由
し、筆者は何とか数日遅れで帰国した。
この初めての海外への渡航で、何が起きるかわからない海外旅行
の醍醐味を味わった筆者は、その後アルバイトをしては長い休みに
海外へと旅に出るという学生生活を続けた。大学二年の夏にはユー
には個人の自由旅行が公的に認められていなかった中国を、一か月
ラシア大陸を二か月かけて陸路で横断し、三年の夏には当時日本人
少年時代を大阪で過ごした筆者にとって、奈良は身近な観光地だ
半放浪した。そして、その旅の中で最も印象に深く残った地域が、
―
った。小学校の遠足や、家族の日帰り旅行で何度も足を運んだ。ま
後に詳述する中国西域、即ち陝西省や甘粛省、新疆ウイグル自治区
正倉院展見学のきっかけ
―
た、その馴染み深い奈良にある東大寺の正倉院については、小学校
などのシルクロード地方だった。
やがて筆者は中学時代に関東へと移り、その後、当時関東の中で
正 倉 院 が、 シ ル ク ロ ー ド の 終 着 点( 終 着 駅 ) と い わ れ る 所 以 で あ
来し、はるばる我が国へと伝えられた品々が正倉院に収められた。
かつて、その壮大なシルクロードを通って東西の人々や文物が往
も陸の孤島的な場所にあった大学へと入学した。親元を離れ、キャ
催される正倉院展なのである。
とのできる貴重な機会が、毎年文化の日をはさんで半月ちょっと開
る。そして、そのシルクロード経由で伝来した宝物を間近で見るこ
いとうひろぶみ : 理 科 教 諭
に、それまでの貯金をはたいてアフリカへと渡った。ケニアの広大
さて、旅と自然観察と写真が趣味であった筆者は、大学一年の夏
ンパス周辺の豊かな自然を満喫する日々が始まった。
れる正倉院展には、大阪在住時代に行ったことはなかった。
の社会の時間に学習した。しかし、奈良国立博物館で毎年秋に開か
一
はじめに
─ 奈良、正倉院展に通い続けて ─
『シルクロードの終着点』を
訪ねた三 十 年
論
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
じ る 行 事 と な っ た。 そ ん な こ と も 楽 し み に 毎 年 通 い 続 け て い る う
今回は、正倉院と正倉院展について紹介するとともに、見学のき
シルクロードを旅した大学三年の秋、筆者は初めて正倉院展を訪
琥珀、南海のヤコウガイなどが絢爛豪華にちりばめられていた。ま
っかけとなったシルクロードの旅についてや、この三十年間の出品
ち、いつの間にやら今年度(平成二十五年度)でちょうど三十年を
た、ペルシャ製のガラスの水差し「白瑠璃瓶」をはじめとして、象
宝物の概要をまとめたい。宝物に関しては、すでに学校の教科書や
れた。この時出品された「平螺鈿背八角鏡」には、中東産のトルコ
牙やインドサイの角、タイマイを材料としたものや、デザイン的に
その他いろいろな文献で取り上げられているような、いかにも正倉
迎えることになった次第である。
西域を彷彿とさせるものなどが何点もあって、奈良に凝縮された国
院宝物という感じのきらびやかな品々以外の、地味なもの、風変わ
石やアフガニスタン産のラピスラズリ、ミャンマー(ビルマ)産の
際性が、会場内で強烈なインパクトを放っていた。時代も国境も越
りなものについても紹介したいと思う。
(一 ) 中国領シルクロードへの旅
二
シルクロードへの旅
えたこれらの宝物を初めて目の当たりにし、筆者は完全に正倉院展
の大ファンになった。
当 時 読 ん だ 本 の 中 に、
「だいたいの目安として、ある年から十年
間拝観しつづければ、大部分の宝物は一通り見られる」と書かれて
いた。そのため、この年から十年間は通おうと決意して、秋の奈良
陳が多い年で二十件前後もあるため、なかなか飽きることがない。
ザ)をとって直接中国に入国するためには、日数も少なく行先が限
行を公式には認めていなかった。そのため、日本で中国の査証(ビ
一九八四(昭和五十九)年当時の中国は、まだ海外からの自由旅
また、数年前に出品されたものと同じ宝物との再会も、なかなか嬉
定される高い団体ツアーに参加するしかなかった。そこで、自由旅
詣を続けてきた。しかし、毎年七十件前後の出品宝物のうち、初出
しいものがある。さらに、筆者と同じく正倉院宝物に興味をもつ友
大学の同期で、筆者同様中国、特にシルクロード地方に興味を抱
行をするために筆者が使った手段は、当時バックパッカーが用いて
文学の特に古典が専門というだけに、歴史に対する造詣も深い。お
いていた友人、田中正人君と筆者は、日本・香港間の格安航空券の
人が、筆者の数年後から正倉院展見学を始めた。中学・高校時代の
互い多忙なので毎年というわけにはいかないが、都合が合えば大阪
み 事 前 に 用 意 し て、 そ の こ ろ ま だ イ ギ リ ス 領 だ っ た 香 港 へ と 飛 ん
いた香港経由の出入国ルートである。
か奈良で合流し、一緒に正倉院展を見学して、ついでに大阪の馴染
だ。そして、香港からの国際列車で中国広東省の広州に着いた我々
同期で、現在広島県の安田女子大学教授の古瀨雅義君である。日本
みの店で一杯やるというのがすっかり秋恒例の、毎年待ち遠しく感
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
は、広州駅の外人専用窓口にて入国手続きを済ませ、訪問地や滞在
日数に縛られないアングラ的自由旅行を開始した。
広州滞在中、公安局に向かう。シルクロードの烏魯木斉(ウルム
チ)
、吐魯番(トルファン)
、敦煌、酒泉や、石窟で有名な大同など
は当時まだ外国人には未開放地区だったため、それらの街を訪れる
ためには旅行許可証を申請しなければならなかったのである。(し
かし、実際にはそれらの街で許可証の提示を求められることはほと
んどなかった。
)
我々は、広州を出発後、杭州、上海、蘇州、南京などを鉄道で移
動した。広東省を出てから湖南省、江西省、浙江省、江蘇省、安徽
我 々 は、 塔 内 の 階 段 を 上 が
り、遥かに伸びている雁塔路を
眺めながら、古代の東西交流に
思いを馳せた(写真1)
。
西安滞在中、我々は地元のオ
プショナルツアーにも二回参加
し、秦の始皇陵、兵馬俑坑博物
館、楊貴妃ゆかりの華清池、新
石器時代の半坡遺跡、茂陵(前
漢の武帝の陵墓)
、 乾 陵( 大 唐
の高宗とその妻則天武后の陵
墓)などを回った。シルクロー
ド関係以外の中国史も勉強しておけばもっと楽しめたのに、と後悔
省、河南省を通ってきたことになる。そしていよいよ、陝西省の西
安にたどり着いた。かつての長安、中国領シルクロード最大の都で
する。
図)
。大雁塔は、あの『西遊記』で知られる玄奘三蔵ゆかりの建造
て、 こ の 西 安 で 最 も 感 慨 深 く 見 学 し た の が 大 雁 塔 だ っ た( 口 絵 地
には大きな鐘楼がそびえ、立派な城壁が張り巡らされている。そし
広がり、左手遠方には祁連山脈が続いている。景色は雄大で素晴ら
に沿って、さらに鉄道で西へと向かった。車窓右手にはゴビ砂漠が
西安を出発した我々は、かつてのシルクロードの一つ、河西回廊
車内で二泊し、ようやく甘粛省の酒泉に到着。街の中心を東西と
し か っ た が、 三 十 五 時 間 座 り っ ぱ な し に は 堪 え た。 い か に「 乗 り
て大慈恩寺の中に大雁塔が建てられたのだ。三蔵法師はさらにその
南北に道路が貫いており、中央のロータリーには歴史を感じさせる
物である。天竺へ旅をすること十六年、唐に持ち帰った、馬二十二
後、旅での見聞を綴った『大唐西域記』を著し、六十二歳でその生
鼓楼が道標の如く建てられていた(口絵地図)
。そして、その四面
鉄」とはいえ、なかなか得られない体験である。
涯を閉じている。
頭分といわれる膨大な量の経典を翻訳し、それを安置する場所とし
西安は大都市ではあるが、歴史を感じさせる街だった。街の中心
ある。
写真 1 大雁塔から遥か雁塔路を臨む
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
には、
「東迎華獄
南望祁連
西達伊吾
北通沙漠」と書かれてい
た(華獄と伊吾は地名。沙漠はゴビ砂漠の意)。かつて酒泉に立ち
寄 っ た 昔 の 旅 人 も、 こ の 鼓 楼 を 一 巡 し な が ら 読 ん だ の か も し れ な
い。
酒泉滞在中、路線バスに乗り、郊外の嘉峪関を訪れる。万里の長
城の西端の砦だ。よくテレビや写真で見る北京郊外の八達嶺の長城
は、上を人がぞろぞろ歩けるほど大きいが、嘉峪関に続いている長
城は、塀一枚の状態だった。それにしても、北京から五千キロも遠
く離れた甘粛省の砂漠の中までよく造り続けたものである。
酒泉をバスで発った我々は、熱風吹きすさぶ四百五十キロ近い道
を丸一日かけて走行し、敦煌にたどり着いた。その翌日、長さ千八
気を味わった。ここでは、乗馬
ならぬラクダ乗りを体験できる
のだ。ただ、このフタコブラク
ダ、前のコブしか持つところが
なく、乗り心地は決して良くは
なかった(写真2)
。
バスにて敦煌の最寄駅、柳園
駅へと向かう。そして、ここか
らまた鉄道にて西進する。
柳園から西へと向かう列車の
車内は、明らかに今まで乗った
十分に悠久の歴史を堪能することができた。壁面のあちらこちらで
五百近い石窟のうち開放されていたのは一部だったが、それでも
我々のボックス席にいたのは、英語を少し話せるウイグル族の夫婦
つが向き合って座る六人のボックス席である。田中君と筆者の他に
とを実感した。この時乗った一般的な指定席の普通車両は、三人ず
列車とは様相を異にしていた。少数民族の乗客をあちこちに見かけ
天女が舞い、菩薩や阿弥陀仏が微笑んでいる。あるものはインドや
と、やはり英語が少しわかる漢族の男子大学生、ロシア語がわかる
百メートル以上も掘り連ねられた砂漠の中の大画廊、有名な莫高窟
ヨ ー ロ ッ パ の 様 相 を 醸 し 出 し、 あ る も の は 日 本 の 面 影 を 感 じ さ せ
人民解放軍の兵士(漢族)だった。田中君も筆者も、大学の第二外
るようになったのである。漢族の世界から西側の世界へ突入したこ
る。長安の都から遠く離れた敦煌に、こんな素晴らしい仏教美術が
た。
交 う ボ ッ ク ス で 過 ご し た 一 泊 二 日 は、 楽 し く て あ っ と い う 間 だ っ
国語はロシア語選択だったので、日・英・中・露の四か国語が飛び
の旅人も使ったであろうラクダに乗ったりして、砂漠の旅人の雰囲
いう砂山がある。我々はその山に登ったり、かつてのシルクロード
この莫高窟の周囲はひたすら一面砂漠だが、その一角に鳴沙山と
花開いているとは驚きである。
を見学する(口絵地図)
。
写真 2 最もシルクロードが似合う動物
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
ところで、このトルファン盆地は、海抜がマイナス一五四メート
た後、畑から楕円形のスイカのような大きな果物を大事そうに抱え
文 字 が 並 び、 西 洋 の 顔 立 ち の
ルと、イスラエルの死海沿岸に次いで世界で二番目に低い陸地にあ
翌朝我々が下車したのは、新
人々が街にあふれている。中国
る灼熱の世界である。とにかく暑い。気温は、摂氏四十度は軽く超
て 持 っ て き た。 バ ザ ー ル で も 売 っ て い た 哈 密 瓜( ハ ミ ウ リ ) と い
にして中国に非ずという感じ
えていると思う。そんな厳しい自然環境に住む人々のライフライン
疆ウイグル自治区のトルファン
だ。我々がチェックインした安
となっているのが、砂漠の水路、カレーズである。カレーズとは、
う、こちら特産の果物である。持ってみるとずっしり重い。この心
宿もイスラム風建築で、異国情
天山山脈に浸み込んだ地下水を、いくつもの竪井戸を横に掘りつな
である。そこは駅前からして別
緒 を 醸 し 出 し て い た。 そ し て、
いで、街まで引いてきた地下水道だ。このカレーズから湧き出した
温まるプレゼントを抱え、我々は帰路についた。
さらに異国情緒を味わうことが
水が、至るところで清らかな小川のように大地を流れ、街の全ての
世界だった。看板にはウイグル
できたのがバザールである(写
生き物に潤いを与えている。古くからトルファンがオアシス都市と
水路沿いには人々の暮らしがあった。艶やかな衣装の女性たちが
真3 )
。独特の丸帽を被った男性や、色鮮やかなスカーフで髪を覆
表情が明るい。ただ、今までの滞在地とは異なり、道を尋ねようと
井戸端会議をしていたり、
「バイバーイ」と我々に向かって元気に
言われていた所以である。
しても筆談が通じないことがあった。漢字、つまり北京語を知らな
異邦人には嬉しいもてなしである。酷暑の世界での散策を終えてホ
手を振る子どもたちの姿を随所で見かけた。暑さにばてかけている
バザール脇の食堂で焼きうどんを食べた後、近くのイスラム寺院
その夜、子どもたちにもらったハミウリを切って食べてみた。ち
テルにたどりついた筆者は、冷えた啤酒(ビール)を文字通り一気
た。カンフー映画の真似をしてしばらく遊んであげると、そのうち
なみに、ハミウリの名は、敦煌とトルファンの途中にある地名の哈
を 訪 れ た( 口 絵 地 図 )
。 普 段 見 か け な い 外 国 人 の 我 々 を 見 つ け て、
兄弟と思われる二人の子どもが、我々を近くの畑まで案内した。そ
密(ハミ)に由来する。そのハミウリは、最初予想していたスイカ
飲みした。
して、おそらく彼らの親であろう、そこにいた大人と何やら話をし
地 元 の ウ イ グ ル 族 の 男 の 子 た ち が、 五、 六 人 親 し げ に 集 ま っ て き
い人もいるのだ。中国の広さと民族の多様性を実感する。
った女性がバザールでは多く目についた。ウイグル族は、どの人も
写真 3 オアシス都市の台所、バザール
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
とは全く異なり、断面も味もメロンに近く、とても甘くて爽やかな
味だった。乾燥地においては非常にありがたい果物であるといえる
だろう。
トルファン滞在中、同じ宿に泊まっていた香港人の学生五人グル
ープと知り合った。そして、彼らと一緒に車をチャーターして、郊
外の観光をすることとなった。西安でも宿で同室だった香港人学生
四人グループと一緒に散策したことがあったが、香港人は一般的に
気さくで社交的な上、英語も中国語も解するため、行動を共にして
とても助かった。そしてこのトルファンでも、この五人のおかげで
楽しく効率よく見学することができた。
国本土から独立した漢族によっ
て高昌国という仏教国家が建て
られた。しかし、八世紀初頭に
は、唐王朝により高昌国は滅ぼ
される。そして、唐王朝が西域
経営のために置いた拠点が交河
故城という城郭都市なのであ
る。だが、かつてここで人々が
どのような暮らしをしていたの
か全く想像できないくらい、そ
その翌日も、夕方から同じメンバーで車に乗り込み、この日の最
の遺跡は廃墟と化していた。
女性ガイド一名は、ウイグル族の女性運転手のマイクロバスで宿を
初の見学場所、ベゼクリク千仏洞に向けて出発する。連日感じるこ
翌日の夕方涼しくなってから、日本人二人、香港人五人、漢族の
出発した。国土の広い中国は、全土で時差がないため、西域の日没
とであるが、西域の道路は街から少し出ただけで、ひたすら地平線
に向かって果てしなく伸びており、地球の広さを実感せずにはいら
もらうことができた。暑い場所だけに、ハミウリと同様、どのブド
の時代から有名だったという。ここでは数種のブドウを食べさせて
ァンは中国一のブドウの産地とのことである。西域のブドウは、唐
ているかのように見える。灼熱のトルファン盆地の背景としてぴっ
無く、岩肌が多くの溝で荒々しく刻み込まれ、まさに山全体が燃え
のが、『西遊記』の舞台にもなっている火焔山である。草木は全く
さて、トルファン盆地の北に、約百キロにわたって連なっている
れない(写真4)。
ウも爽やかで瑞々しく感じられた。その中でも、当時日本では見か
断 崖 に 開 か れ た 石 窟 寺 院 が、 ベ ゼ ク リ ク 千 仏 洞 で あ る( 写 真5)。
たりの景観を呈する山だ。その火焔山の一角、ムルトク河に沿った
この日はもう一か所、交河故城という遺跡を訪れる。五世紀、中
けなかった皮ごと食べられる品種が特に美味しく思われた。
院、額敏塔(別名蘇公塔)に行った後、ブドウ園を訪れた。トルフ
ま ず 最 初 に、 日 本 人 二 名 は す で に 徒 歩 で 訪 れ て い る イ ス ラ ム 寺
は遅い。そのため、夕方からでも観光できるのである。
写真 4 地平線に続く現代のシルクロード
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
「 ベ ゼ ク リ ク 」 と は、 ウ イ グ ル
語で「美しく飾られた家」とい
う意味なのだそうだが、その石
窟内部はというと、損傷が痛々
しい。修復する計画はあるのだ
ろうか。確かにかつては色鮮や
かな壁画に覆われ、仏像も安置
されていたことは想像に難くな
い。十四世紀に偶像崇拝を否定
するイスラム教徒によって破壊
されたり、二十世紀初頭にヨー
ロッパや日本などの探検隊によ
国された仏教王国、高昌国の王
城で、一・五キロ四方という広
さは、シルクロードに残る遺跡
で最大規模といわれている。こ
こも交河故城と同様に、廃墟と
化 し た 建 築 跡 が 広 が っ て い た。
しかし、七世紀には玄奘三蔵が
この地に一か月も滞在し、その
間ここで仏教の講義をしたのだ
そうだ。三蔵法師が滞在してい
たころ、この都市はどのような
景観を見せていたのだろうか。
ナ古墳群である。高昌国時代や唐の時代にこの地にいた貴族の墳墓
続いて訪れたのは、広大な原野の随所に墳墓が点在するアスター
この日泊まっていたのは、何と日本の団体ツアーだった。観光地で
た。本来は、団体客が泊まった日だけ開催されるそうだ。そして、
いウイグル女性が、色鮮やかな民族衣装で踊るのだ。時間はあっと
さて、その民族舞踊のショーは、とても楽しめた。美しい人の多
「私は外で待っていますから、皆さんでどうぞ入って見て来て下
いう間に過ぎていった(写真7)。
行った。その先に安置されていたミイラを見た瞬間、ガイドが外で
待つと言った意味がわかった。
この日最後に訪れたのは、高昌故城である(写真6)
。五世紀に建
チを目指す。かつてのシルクロードでは、敦煌からトルファン、ウ
翌朝、香港の五人組とともにトルファンを出発、バスにてウルム
さい。
」と言う女性ガイドを残し、一同地下へと続く通路を下りて
ている墓もあった。
出くわさなくて何よりだった。
トルファン滞在最後の夜、宿の中庭で民族舞踊のショーが催され
写真 6 かつて三蔵法師も訪れた高昌故城
群で、この辺りに数百もあるらしい。その中には、観光客に開放し
持ちになった。歴史的な遺産であるだけに、実に残念に思う。
って削り取られたりしたのだという。日本人の一人として複雑な気
写真 5 まさに崖っぷちのベゼクリク千仏洞
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ルムチを経て天山山脈の北を通
る天山北路と呼ばれたルート
だ。灼熱の荒野をオンボロバス
で四時間走ったところで、思っ
たよりも大きなウルムチの街に
到着。大都会の真ん中の、味気
ない安宿に投宿する。
ウルムチ滞在中は、もっぱら
都会を離れて郊外を訪れた。そ
の一つは、カザフ族の牧場であ
る。針葉樹林の随所に草原が広
この天池で、今まで世話にな
った香港人五人組とはお別れで
ある。ここで一泊するという彼
らを残し、我々日本人二名は下
界へと向かうバスに乗り込ん
だ。ウルムチは、筆者と田中君
にとってのシルクロード西端の
街となった。我々はこの街で折
り返し、再び漢族の多い地域へ
と鉄道で東進を開始した。その
後我々は、洛陽の龍門石窟見学
(ハルビン)まで北上して折り返し、大同の雲崗石窟(敦煌の莫高
後、北京から黒竜江省の哈爾浜
ような円形の家屋が並んでいる(口絵地図)。カザフ族の顔つきは、
窟、 洛 陽 の 龍 門 石 窟 と と も に 中 国 の 三 大 石 窟 ) を 訪 れ て か ら、 桂
がる中、モンゴルのパオと同じ
漢族は勿論、ウイグル族とも違う。しかし、ウイグル族と同様に西
がおり、小さい子どもも上手に馬を操っている。数時間カザフ族と
一緒にいただけで、中国の国土が広く、民族が多様であることを改
めて認識させられた(写真8)
。
別の日には、天山山脈の避暑地、天池に足を延ばした。かつては
チンギス・ハンも訪れたという、山々に囲まれた標高二千メートル
近いこの池周辺は、なかなか風光明媚なところだ。暑いトルファン
から来たせいか、とても涼しく感じる。
の行事となったのである。
した文物を垣間見ることのできる正倉院展の見学が、筆者の秋恒例
西安からウルムチまでの旅がきっかけとなり、かつてこの道を往来
も印象深かったのは、何と言ってもシルクロード地方である。この
このように一か月半で中国をあちこち回ったが、この旅の中で最
林、広州を経て香港に戻った。
写真 8 西方の顔立ちをしたカザフ族の子供
方の人種の趣きをうかがわせている。あちこちで馬に乗っている人
写真 7 ウイグル族の華麗な民族舞踊
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
(二 ) その他シルクロード関係諸国への旅
筆者の正倉院展通いの直接的な原因は、中国領シルクロードへの
旅である。しかし、中国への旅の前後で、筆者は他にもシルクロー
で、我々は一週間ちょっとかけてイタリアを南下した。首都ローマ
滞在中には、ローマ市内の主な見どころは見て回り、ローマ帝国の
歴史の重さや芸術性の高さに触れた。
「 seidenstraβen
(ザイデンシュトラーセン)」に由来する。ドイツ
の地理学者、フェルディナント・リヒトホーフェン(一八三三~一
そ も そ も「 silk road
( シ ル ク ロ ー ド )」 と は、 ド イ ツ 語 の
で神秘的なシンセサイザーの演奏が映像にマッチして、大好評を得
放映された。石坂浩二の落ち着いたナレーションと、幾多郎の斬新
『シルクロード
絲綢之路』というシリーズが、数か月にわたって
ー マ と い わ れ て い る。 か つ て テ レ ビ の N H K 特 集 と い う 番 組 で、
ところで、シルクロードの東端が奈良というのに対し、西端はロ
九〇五)が、二千年以上も前に中国の絹がローマまで運ばれていた
た。このシリーズは、西安をスタートし、中国領シルクロード各地
ドに関わる地域を訪れている。
ことを知り、絹を売買する人々が行き交った道を「絹の道」と名付
峠 を ス タ ー ト し て ロ ー マ ま で を、 数 か 月 に 及 ぶ 番 組 で ま と め て い
を取材して、中国・パキスタン国境のクンジュラブ峠に到着したと
ところで、シルクロードには、実際に絹が運ばれた砂漠のシルク
た。その最終回、ロケ隊の車が最後に到達したのが、ローマの円形
け た の で あ る。 ド イ ツ 語 で「 ザ イ デ ン 」 が「 絹 」、「 シ ュ ト ラ ー セ
ロード(オアシス路)の他に、家畜とともに遊牧民族が利用してき
闘技場、コロッセオだった(口絵地図)。筆者は中国領シルクロー
こ ろ で 締 め く く ら れ て い た。 数 年 後 に 放 映 さ れ た シ リ ー ズ 第 二 弾
た草原のシルクロード(ステップ路)、さらには中世以降に活発に
ドを旅する一年前に、奈良の反対側まで行っていたわけである。だ
ン」が「道」であることから、それを英訳した「シルクロード」と
用いられた海のシルクロード(南海路)がある。ここでは、筆者の
が、ローマを訪れた当時は勿論、後々から考えてみても、このロー
が、『シルクロード
ロ ー マ へ の 道 』 で あ る。 今 度 は ク ン ジ ュ ラ ブ
正倉院展通いのきっかけとなった本来のシルクロード、オアシス路
マとシルクロード、さらには奈良との関わりは希薄すぎて全く感じ
いう呼び方が定着した。
に着目し、その中国以外の関係諸国への旅をまとめることにする。
中国を旅する一年前、筆者は大学同期の友人三人(その一人は、
ア半島を南下した。そして、長靴のかかとのところにある港町、ブ
さて、ローマを発った我々は、途中何度か野宿もしながらイタリ
られなかった。
中国を共に旅した田中君である。)とヨーロッパを二か月近く放浪
リンディシから連絡船に乗り、アドリア海を渡ってギリシアのパト
○ イタリア・ギリシア
し、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断して帰国した。その途中
ラス港に入港した。列車で首都アテネまで移動し、数日滞在して市
内や郊外を散策した。
このアテネ滞在中、当然のことながら市内のパルテノン神殿や、
近郊のポセイドン神殿などは訪れている(口絵地図)。古代ギリシ
アの石造建築物の特徴の一つとして、直線的な柱ではなく、胴が太
くて上に行くほど細くなるという曲線を帯びた形状だということが
指摘されている。このエンタシスと呼ばれる様式が、奈良の法隆寺
や唐招提寺にも見られることから、これがシルクロードを介した日
本とヨーロッパのつながりを証明するものだとする説もある。しか
し、これもまたアテネを訪れた時には、奈良との共通性だなどとは
思いもしなかった。
○ 韓国
中国領シルクロードを訪れた年の秋に初めて正倉院展を見学した
筆者は、シルクロードの中継地点で、まだ行ったことのない国にも
足を踏み入れたくなった。そこで、この年の十一月下旬の大学の秋
休 み に、 下 関 か ら 一 人 関 釜 フ ェ リ ー に 乗 っ て 玄 界 灘 を 渡 っ た。 翌
朝、韓国の釜山港に入港する。この釜山からバスを乗り継いで、新
羅の都であった慶州(口絵地図)、百済の都であった扶余、そして、
李氏朝鮮の都ソウルまで北上した。各地の博物館で見た装飾品や調
度品等には、日本の博物館の展示品と類似したものが少なくなかっ
た。また、慶州の古墳群には親しみ深いものを感じた。日韓両国が
歴史的に深く交流を持ち続けてきたことがよくうかがえた。
日本とのつながりが深く、そ
の一方で文字や料理、民族衣装
などオリジナリティーにも富ん
でいる韓国には、この最初の訪
韓時の印象が良かったことか
ら、その後も五、六回は訪れて
いる。
平成二十五年秋、國學院高校
の文化祭後の振替休校とそれに
続く研究日を利用して、久しぶ
りに一人韓国を訪れた。初の訪
韓時に滞在した扶余、慶州など
を懐かしく再訪する。新しく開
通していた新幹線KTXの新慶
州駅や、扶余、慶州の博物館な
どでは、エンタシスのデザイン
)。 韓 国
が強調された石柱や幟などが目
に 付 い た( 写 真 9 ・
の建築に見られる柱の膨らみは
( こ れ に 対 し、 ギ リ シ ア と 日 韓
し て い る よ う な 印 象 を 受 け た。
的、文化的な繫がりをアピール
も ま た、 ヨ ー ロ ッ パ と の 歴 史
10
写真 9 百済の都、扶余の博物館
写真 10 新幹線 KTXの新慶州駅
10
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
11
「他人の空似」であり、エンタシスという建築様式が伝播したわけ
なかった。ちなみにあの有名な
は、静かで寂しげな荒原に過ぎ
写真 12 「天上天下唯我独尊」の舞台
(口絵地図)
。それに対してルンビニの方はというと、アショーカ王
での長い道のりと、翻訳や写経に要した長大な時間を考えると、ブ
思うが、インドやネパールの長旅には、現代でも少なからず精神力
それにしても、個人での自由旅行を経験した者には実感できると
た。旅先での不思議な縁とはいえ、本当にありがたいものである。
っていることから、帰国後何度かお邪魔しては御馳走していただい
ッダガヤも三人で楽しく見物した。この彼の実家が大阪で食堂をや
名に加わった。インド入国時からネパールのポカラまで同行し、ブ
ところで、この旅の道中、大阪の学生だった四宮明信君が我々二
であろう。
長い年月の中で、想像を超える多くの人々の力が関わってきたこと
ッ ダ の い た 時 代 か ら 東 大 寺 や 正 倉 院 が 奈 良 に 建 立 さ れ る ま で に は、
写真 11 ブッダが悟りを開いた歴史
的場所
の石柱の周囲をインコがけたたましい鳴き声で飛び回っていた以外
至っている。インドから日本ま
鳥、奈良時代に定着して今日に
っていき、東端の我が国にも飛
などがシルクロードを経て広が
起こり、その教えや仏像、仏具
いるネパールやインドで仏教が
今ではヒンズー教国となって
記』で書き記した言葉である。
葉 は、 玄 奘 三 蔵 が『 大 唐 西 域
「天上天下唯我独尊」という言
ではないという説もある。この説の論拠は、そのルートの途中に、
膨らんだ柱をもつ建築物やその遺跡が見られないからだという。)
○ インド・ネパール
大学三年が終わった春休み、筆者がまたまた田中君とコンビを組
んで弥次喜多道中を繰り広げたのは、一か月余に及ぶスリランカ・
インド・ネパール三か国の縦走だった。この旅の途中で立ち寄った
場所に、ブッダが菩提樹の木の下で悟りを開いたといわれるインド
)がある。聖地ブッダガヤの寺院は、ヒンズー教の寺院と
のブッダガヤ(写真 )と、ブッダ生誕の地、ネパールのルンビニ
(写真
11
同 様 に 色 鮮 や か な 装 飾 が 施 さ れ、 寺 院 周 辺 の 通 り も 賑 わ っ て い た
12
12
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
ン、アフガニスタン、パキスタン、ネパールなどの国々にも足跡を
け で な く、 周 辺 国 の キ ル ギ ス タ ン、 カ ザ フ ス タ ン、 ウ ズ ベ キ ス タ
いたインドに入り、インド国内を東西南北にわたって大移動しただ
と体力を必要とする。玄奘三蔵は仏典を求めて当時天竺とよばれて
登山はいい自己研鑽になった。)
(当時、大久保先生と筆者は山岳部を担当していたため、この海外
に、 パ キ ス タ ン の カ ラ コ ル ム 山 脈 へ、 ト レ ッ キ ン グ に 遠 征 し た。
科教諭の大久保栄二先生と元事務次長の宮内トシ子女史)ととも
翌一九九〇(平成二)年、筆者は同僚二名(元國學院高等学校理
境、 あ のN H K 特 集 で 見 た ク ン ジ ュ ラ ブ 峠 ま で 続 く 山 岳 道 路 で あ
っても高速道路ではなく、カラコルム山脈の奥地にある中国との国
の運転する車でカラコルムハイウェイを北上する。ハイウェイとい
カラチで入国後、国内便でイスラマバードに飛び、現地人運転手
残している。まさに驚異的な冒険家だ。勿論、莫大な経典を漢訳し
た点においては、偉大な仏僧であり翻訳者でもあることは言うまで
もない。
○ パキスタン
る。カラコルムハイウェイを走行している車の中には、二国間を結
ぶ交易に携わるトラックも多く、どのトラックも、競うように派手
一九八九(平成一)年、國學院高校の教員となって二年目の夏、
筆者は中学・高校時代の友人二名と、エジプトとイスラエルを旅し
に装飾している。
インダス川に沿って北上するうち道はどんどん険しくなり、がけ
の栄華を想像しがたいほど廃墟と化していた。
は、中国領シルクロードで訪れた交河故城や高昌故城と同様、当時
途 中、 ガ ン ダ ー ラ の 遺 跡 で 有 名 な タ キ シ ラ に て 一 服。 そ の 遺 跡
た(口絵地図)
。ちなみにその友人のうち一人は、現在の正倉院展
仲間の古瀨雅義君である。
さて、エジプトのカイロを発った我々は、帰路パキスタンのカラ
チに立ち寄った。カラチはパキスタン南部のインド洋に面した都市
である。こんなインド洋沿いにまで玄奘三蔵が足を踏み入れていた
ラの遺跡からの出土品を見学できた。その仏像たちは、今ではイス
が、インダス文明のモヘンジョ・ダロやハラッパ、そしてガンダー
こ の カ ラ チ を 散 策 中、 国 立 博 物 館 を 訪 れ る。 わ ず か で は あ っ た
ち約三分の一を含み、ヒマラヤと並ぶ世界の屋根なのだ。その一つ
かって隆起した地形である。世界で十四座ある八千メートル峰のう
マラヤ山脈と同様、かつて島だったインドがユーラシア大陸にぶつ
カラコルムの高峰がいくつも見えた。そもそもカラコルム山脈はヒ
崩れが起きているところも頻繁に見かけた。道中、遠方に雪を頂く
ラム教国のパキスタンも、かつては仏教が篤く信仰されていた歴史
ナ ン ガ パ ル バ ッ ト( 八 一 二 六m ) を は じ め、 ラ カ ポ シ( 七 七 八 八
ことを後年知り、心底驚いた。
を如実に伝えていた。
m )やウルタル(七三八八m )などの美しい名峰を仰ぎ見ながら、
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
13
進んだ(写真 )。
悪路をさらに山岳地帯の奥へと
分がたどり着いたことに満足し、筆者らは車に乗り込んで下山を開
日本の奈良へと続いているのだ。あのNHK特集の番組の舞台に自
始した。
三
正倉院と正倉院展
ラブ峠に到着した(口絵地図)。
高四七〇三メートルのクンジュ
目、とうとう中国との国境、標
スラマバードを出発して一週間
たなら、すばらしい記憶力だと思う。ではここで、正倉院そのもの
な東大寺の倉であることや、納められていた宝物の例まで覚えてい
けでも思い出せれば上出来である。さらにそれが奈良の大仏で有名
の教科書にも載っていた校倉造の木造建築の倉庫だ、ということだ
「正倉院」という名前を聞くと、何を思い起こすだろうか。学校
(一 ) 正倉院とその宝物
ひんやりした空気に包まれた峠
の詳細についてまとめたい。
じデザインの白い石碑が建って
広がっている。国境に立ち、両
ないような荒原が、静寂の中に
なければとても国境とはわから
その周囲はというと、この碑が
は 中 国 の 国 名 が 刻 ま れ て い る。
パキスタンの国名、その裏側に
倉院」は、東大寺のものに限定される固有名詞となったのである。
院だけが残ってしまった。こうして、かつては普通名詞だった「正
た。これが時代とともに減っていき、室町時代以降は東大寺の正倉
中 央 官 庁 を は じ め、 地 方 の 国 や 郡、 い ろ い ろ な 寺 に も 置 か れ て い
とは東大寺の専売特許だったわけではなく、大蔵省や民部省などの
の置かれた一画のことを「正倉院」と呼んだ。したがって、正倉院
そもそも「正倉」とは大事な品を収納しておく倉のことで、正倉
)。 こ ち ら 側 に は
側に伸びる道路を見る。この一
ちなみに、東大寺の正倉院には、かつては十数棟の倉庫群があった
い た( 写 真
方がローマに続き、もう一方が
○ 正倉院の歴史
には、道路を挟んで一対の、同
の奥地へと北上した我々は、イ
キングしながらカラコルム山脈
に立ち寄ったり、氷河をトレッ
フンザ(口絵地図)などの村々
そして、途中でギルギットや
13
14
写真 13 カラコルム山脈を貫く絲綢之路
写真 14 国境の先の中国は右側通行
14
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
と考えられている。教科書でもお馴染みの、奈良時代から唯一今日
正倉院の宝物は、これら『東大寺献物帳』に記載のあるもの以外
明皇后は、聖武天皇の七七忌(四十九日)であった七五六(天平勝
と、聖武天皇と光明皇后ゆかりの品々を献納したことに始まる。光
さて、この正倉院正倉(以下、正倉院と記す。)の起源はという
奈良時代には、恵美押勝の乱のため大量の武器が取り出されたこと
一方で、貸し出されたり売却されたりして失われた宝物も数多い。
からの献上品、東大寺の子院からの献上品などである。しかしその
関係品(特に、大仏開眼会関係の品)
、天皇の側近の王族や貴族等
にも数多く残されている。皇室から献上された品、東大寺での儀式
宝八)年六月二十一日からの二年間に、五回にわたって宝物などを
もあった(七六四年)
。平安時代には、何と宝物が売却されたこと
まで残っている正倉院は、正式には「正倉院正倉」という。
献納した。この五回で宝物とともに納入された献上品目録が、『東
が 数 回 記 録 に 残 っ て い る。 ま た、 宝 物 の 盗 難 事 件 の 記 録 も 、 平 安
るのか、ここで概観しておきたい。
数多くの宝物が保管されてきた正倉院がどのような構造をしてい
○ 正倉院の構造
九千件といわれている。
そのような長い歴史を経て今日まで残されている宝物は、およそ
りと記録に残されていることは実に驚異的である。
出来事が起こってきたことがうかがえるが、それらの詳細がしっか
る。良いことであれ悪いことであれ、多くの人物が関与して多くの
教・義政、織田信長、明治天皇などの歴史上の人物が名を連ねてい
皇、九条道家、近衛兼経、後嵯峨上皇、後深草上皇、足利義満・義
て 正 倉 院 宝 庫 を 開 か せ た 藤 原 道 長 に 始 ま り、 鳥 羽 法 皇、 後 白 河 法
時の権力者が宝物を見た記録も残されている。天皇家以外で初め
に一回ずつ残っている。
(一〇三九年)、鎌倉(一二三〇年)、江戸(一六一二年)の各時代
大寺献物帳』である。
それら五通の献物帳と献納した日、献納品とその現状は、次の通
りである。
①『国
(七五六(天平勝宝八)年六月二十一日 ) 聖武
家珍宝帳』
天 皇 遺 愛 の 品、 約 六 百 五 十 点 を 献 納。 約 四 分 の 一 の 宝 物 が 現
存。
②『種
(七五六(天平勝宝八)年六月二十一日 ) 光明皇
々薬帳』
后ゆかりの薬品、約六十種を献納。約四十種の薬が現存。
③『屏
(七五六(天平勝宝八)年七月二十六日 ) 聖
風花氈等帳』
武天皇遺愛の屏風等、八十二点を献納。一部の品が現存。
④『大
(七五八(天平宝字二)年六月一日 ) 王羲之
小王真跡帳』
と王献之の真筆を一巻としたものを献納。巻物は現存せず。
⑤『藤
(七五八(天平宝字二)年十月一日 ) 光
原公真跡屏風帳』
明 皇 后 の 父、 藤 原 不 比 等 の 真 跡 の 屏 風 を 献 納。 屏 風 は 現 存 せ
ず。
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
15
正倉院は、南北に長い一棟の建築物で、長さ三十三メートル、奥
行き九・四メートル、高さ十四メートルの巨大な倉庫である。高床
式となっており、床下は二・七メートルもある。御存知の通り校倉
造という構造で、ヒノキの大きな三角材を交互に組み合わせて構築
されている。しかし、正倉院の壁面全てが校倉造というわけではな
い。 正 倉 院 は、 一 つ 屋 根 の 下 が 三 室 に 分 か れ て お り、 そ れ ぞ れ 北
倉、中倉、南倉と呼ばれている。このうち北倉と南倉が校倉造で、
中倉は厚い板が東西両壁面を構成する板倉造となっている。世界に
類を見ない、極めて特殊で歴史的な木造建築である。
さて、この三つの倉には、献上された全ての宝物が分けられて収
納 さ れ て い た。 最 も 由 緒 あ る、 正 倉 院 宝 物 の 根 幹 と も い え る 宝 物
巻などが移され、保管されてい
る。昭和三十七年には、鉄筋コ
ンクリート造りで空調完備の西
宝庫が完成した。ここは校倉宝
庫 と 同 じ 構 造 に 造 ら れ て お り、
宝物の大半がこの西宝庫に保管
されている。そして、これら宝
庫と宝物は、宮内庁正倉院事務
所にて厳重に管理されている。
なお、筆者がこの拙文を執筆
している平成二十六年一月現
在、 正 倉 院 宝 庫 は 改 修 工 事 中
で、外観を拝めない。そこで、かつて正倉院展の見学を始めて十年
は、北倉に納められた。すなわち、聖武天皇と光明皇后ゆかりの、
五通の献物帳に記載された宝物である。中倉には、造東大寺司や東
目に書いた論文で使用した写真を、参考までに掲載する(写真 )
。
めた品々などが収納された。そして、南倉には、聖武天皇以外の天
品、法具などが納められた。ここで特筆すべきは、七五二(天平勝
十~数百個単位も含まれているものや、個別にカウントできないも
およそ九千件あるといわれる正倉院の宝物は、実際には一件に数
皇ゆかりの品々、宮中の年中行事用品、東大寺の儀式関係品や調度
宝四)年四月九日に行われた大仏開眼会の儀式用品が多量に納めら
のも多く、用途不明の細かくちぎれたきれなどを含めると、数十万
類の一例を紹介しよう。
類も多岐にわたっている。ここでは、文献をもとに宝物の用途別分
れていたということである。一二六〇年以上昔の行事に用いた品々
東宝庫が完成した。この中には、染織品、修理・調査中の宝物、経
の場所に保管されている。昭和二十八年、鉄筋コンクリート造りの
しかし、現在は正倉院自体には宝物を収納しておらず、宝物は別
点にもなるといわれている。そして宝物は、個数だけでなくその種
15
が、この現代まで保管されているというのは驚きである。
○ 宝物の分類
大寺が管理した品々(正倉院文書など)、聖武天皇夫妻の側近が納
写真 15 20 年前の筆者の後方右側が北倉
16
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
⑥文房具‥‥紙、筆、墨、硯、尺、刀子など
⑤飲食器‥‥碗、皿、瓶、坏、高坏、盆、匙など
④遊戯具‥‥双六局、棊局、投壺、弾弓など
③舞楽具‥‥面、楽舞装束、舞大刀など
②楽器‥‥琵琶、阮咸、琴、横笛、尺八、鼓など
①調度‥‥屏風、厨子、花氈、箱、櫃、鏡など
られる。)
ープで、おおまかには魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類に分け
のだ。(脊椎動物とは、我々ヒトと同じく脊椎骨をもつ動物のグル
登場する脊椎動物や、材質として用いられた脊椎動物を分類したも
た。その年までに筆者が見た九年分の出品宝物の中で、デザインに
物に見る脊椎動物の分類とその多様性」という稚拙な論文を書い
⑩武器・武具‥‥太刀、弓、箭、鉾、馬鞍など
⑨衣服‥‥袍、衫、半臂、袴、襪など
⑧装身具‥‥帯、笏、刀子、魚形、冠など
動物はというと、圧倒的に多いのが哺乳類(八十一件)、次が爬虫
想像上の動物は三十六件もあった。一方、材質として使われた脊椎
類は五件と少なく、両生類はゼロだった。また、竜や麒麟、鳳凰等
で、次がヒトを除く哺乳類(四十三件)だった。魚類は六件、爬虫
調べた結果、デザインに最も多く登場したのは鳥類(一一六件)
⑪仏具‥‥天蓋、幡、香炉、袈裟、如意など
類(十二件)で、鳥類は四件、魚類は二件と少なく、またしても両
⑦年中行事用品‥‥手辛鋤、目利箒、卯杖など
⑫薬物・香‥‥甘草、大黄、犀角、人参、麝香、黄熟香など
生類はゼロだった。カエルなどは身近な生物だと思うが、材質とし
てはともかく、デザインに全く登場しないのは意外だった。
⑬書跡
・文書‥‥聖武天皇夫妻の書跡、献物帳、その他古文書な
ができる。多くの専門家によってすでになされていると思うが、こ
用途別に分類するだけでも、このように多くの分野に分けること
ビカメラで初めて判明したということだ。実に貴重な両生類の発見
エルだった。とはいえそれは目で見えるものではなく、赤外線テレ
咸」という楽器にウサギとともに描かれていたのは、なんとヒキガ
ど
れをさらに材質や製法、生産地、デザイン等に着目して分類するの
である。
し か し、 そ の 後、 平 成 十 四 年 の 正 倉 院 展 で 出 品 さ れ た「 桑 木 阮
も 面 白 い。 い ろ い ろ な 観 点 か ら 眺 め れ ば、 正 倉 院 宝 物 の も つ 多 様
今回はさすがに脊椎動物を三十年分もチェックするのは大変なの
は当然前回の調査時の三倍前後に増えるであろうが、例年ほぼまん
性、奥深さをより感じることができるであろう。
今から二十年前、筆者が正倉院展見学を始めてちょうど十年目の
べんなく広い分野から出品されていることを考えると、おそらくそ
で割愛するが、もし同じような調査を実施したら、それぞれの件数
ことである。平成五年発行の國學院高等学校の紀要に、「正倉院宝
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
17
れぞれの順位に大きな変化は生じないのではと思われる。
○ 日本史教科書での記載
それでは、高校の日本史の教科書では、正倉院やその宝物はどの
ように扱われているのだろうか。同僚の地歴公民科の教員にお願い
して、学校にあった四社の教科書を見せていただき、その記載内容
写真が掲載されていた。一方、「銀薫炉」と「漆胡瓶」は、ともに
同じ一社の教科書でのみ資料の中に名前が紹介されていた。
というわけで、数多くの宝物の中で、主要四社の教科書に取り上
げられていたのはわずか六品、そして最も宝物の代表として多く扱
われていたのは「螺鈿紫檀五絃琵琶」ということがわかった。
螺鈿紫檀五絃琵琶が宝物のトップとして引用されているのは、十
殻をはめ込んだり貼り付けたりしたものである。また、
「紫檀」は、
分納得がいく。そもそも「螺鈿」とは南海産のヤコウガイなどの貝
正倉院に関する記述は全ての教科書で見られたものの、校倉造の
インド原産で東南アジアにも多いマメ科の高木で、日本では唐木と
を分析した。
宝 庫 を 写 真 で 載 せ て い た の は 四 社 中 三 社 だ っ た。 ま た、 正 倉 院 を
して貴ばれた。そもそも「五絃琵琶」自体がインド起源ということ
納められている宝物の例と
ところで、その正倉院に
玳瑁などが全面に散りばめられた見事な花模様が、表にはフタコブ
もそのデザインの美しさの虜になるであろう。その裏側には螺鈿や
名前が如実に表している。そして、実際にこの宝物を見ると、誰で
現されている。シルクロードの終着点といわれる正倉院宝物の顔と
して最も多く登場している
) で、 四 社 全 て が
ラクダに乗って四弦の琵琶を奏でる人物や南方系の樹木が螺鈿で表
(写真
して、誰もが納得する逸品といえる。
本文中で宝物名のみ紹介し
に納められた宝物を公開する正倉院展について、その概要をまとめ
奈良における正倉院の歴史的位置付けを押さえたところで、そこ
(二 ) 正倉院展とその歴史
て い た。「 紺 瑠 璃 坏 」 も 二
てみることにする。
「白瑠璃瓶」は一社でのみ
社 で 写 真 が 載 っ て い た。
二社で写真、残り二社では
が、「 鳥 毛 立 女 屏 風 」 で、
写 真 で 掲 載 し て い た。 次
16
の は「 螺 鈿 紫 檀 五 絃 琵 琶 」
なので、この宝物がシルクロードを経て運ばれてきたことは、その
「シルクロードの終着点」と表現していた教科書は、四社中一社だ
けだった。
写真 16 「螺鈿紫檀五絃琵琶」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 22 年]」より
○ 正倉院展の歴史
正倉院の宝物が初めて一般公開されたのは、江戸時代のことであ
る。一八三六(天保七)年と一八四七(弘化四)年に、それぞれご
く一部の宝物や文書のみが公開された。
特別展観」が開催され、二十二日間で十五万人近くの観覧者が訪れ
た。これが今に続く正倉院展の第一回目である。
ちなみにその詳細は、
時間
午前九時から午後三時まで
会期
十月二十一日から十一月九日までの二十日間(ただし、
十月十九日は特別招待日、十月二十日は進駐軍の招待日)
て、一八七五(明治八)年から一八九〇(明治二十三)年にかけて
料金
大人二円、小人一円
明 治 時 代 に な る と、 奈 良 で は 東 大 寺 の 大 仏 殿 と 回 廊 を 会 場 と し
奈良博覧会が開催された。産業の振興と文化財への関心を高める目
とのことである。進駐軍特別扱いの日があることや、特に入場料金
ところで、この年の会期中の十一月三日に、日本国憲法が公布さ
的 が あ っ た よ う で あ る。 こ の 間、 明 治 八、 九、 十 一、 十 三 年 の 四
大 正 時 代 に な り、 奈 良 帝 室 博 物 館( 現 在 の 奈 良 国 立 博 物 館 ) に
れた。(施行は翌年の五月三日である。
) この新憲法によって、正
をみると、今日との時代の差を感じずにはいられない。
て、古裂類のみの臨時陳列が一九二五(大正十四)年に行われた。
倉院「御物」は帝室を離れ、国
回、正倉院の宝物が公開されている。
そ の 後、 古 裂 の 陳 列 は、 一 九 二 八( 昭 和 三 ) 年 と 一 九 三 二( 昭 和
有財産となった。帝室博物館の
は、新しく造られた東新館も会
一 九 九 九( 平 成 十 一 ) 年 か ら
新 館 ) が 会 場 と な っ て い た が、
は、奈良国立博物館の新館(西
一九八四(昭和五十九)年当時
ちなみに、筆者が通い始めた
続いているのである。
今日まで、奈良での正倉院展は
ような時代の大きな過渡期から
名も、国立博物館となる。その
七)年に開催されている。
紀元二千六百年に当たる一九四〇(昭和十五)年、東京帝室博物
館(現在の東京国立博物館)にて「正倉院御物特別展観」が催され
た。この展覧会は大盛況で、二十日間で四十二万人近い入場者があ
ったという。
さて、正倉院の宝物は、毎年秋になると勅封を解いて曝涼(虫干
し)が行われる。その機会に、一定の身分の人、または学術、技芸
に優れた特定の少数の者に限定して、その拝観が認められてきた。
しかし、それを国民一般に公開してほしいという声が高まったこと
から、宝物を一般に公開する運びとなった。
そして、一九四六(昭和二十一)年、奈良帝室博物館で「正倉院
写真 17 歴史と会える舞台、正倉院展会場
18
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
19
)
。とはいえ、その後も例年、会場が広
倉院展は宝物の曝涼(虫干し)が行われる秋に催される。その詳し
い会期は、その年の七月から八月頃に宮内庁から奈良国立博物館の
場として加わった(写真
くなったことを感じないくらいの観客の混み様である。満員電車に
方に通知されるということだ。その後すぐに同館のホームページで
る際に返却するというものである。出品された全ての宝物の解説が
きのガイド機を借り(平成二十五年現在、五百円)、展示会場を出
も受けられるようになった。入館後に貸し出しデスクでイヤホン付
ず、宝庫で点検と荷造りに一週間を要し、展示作業にも一週間かか
封 さ れ る 二 か 月 弱 の 間 で 行 わ れ な け れ ば な ら な い た め で あ る。 ま
だ。(特別な年のみ二十日間となる。
)その理由は、正倉院宝庫の開
また、その開催期間は、原則として十七日間と決まっているよう
公表され、新聞等でも報道されることとなる。
聞けるわけではないが、主要な宝物に関しては、実物を見ながらそ
る。展示終了後にも同じ日数が必要となるため、実際の開催期間は
二六九人と発表された。
(なお、途中の一九四九(昭和二十四)年、
度)で六十五回目を迎え、その入場者数は、十七日間で二十四万六
こ う し て 始 ま っ た 奈 良 で の 正 倉 院 展 は、 今 年 度( 平 成 二 十 五 年
複数ある宝物の場合は出されることもある。)また、正倉院の全貌
年 間 は 出 さ な い と い う 慣 習 が あ る そ う だ。
( 勿 論、 同 じ 宝 物 名 で も
正倉院事務所によって選定される。その際、一度出された宝物は十
次に、公開される宝物の選定についてであるが、これは、宮内庁
自ずと限定されてしまうとのことである。
一九五九(昭和三十四)年、一九八一(昭和五十六)年の三回は、
を示すために特定の分野に偏らないように選ぶことや、初公開の宝
物を含むことも選定では配慮されているようである。
が生じてくる。開催する時期や日数はどのようにして決まるのか、
正倉院展に何回か行くと、正倉院展自体について疑問に思うこと
活動なども考えると、正倉院展に関わる関係者の方々のご苦労はい
なければならず、その他にも、期間中の講座の企画から各種の広報
選ぶことは大変な作業であろう。さらに目録などの印刷物も編集し
それにしても、毎年毎年宝物をまんべんなくいろいろな分野から
公開する宝物はどうやって決めているのか、などである。奈良国立
ら、今後も有難く正倉院展見学を楽しみたい。
か ば か り か と 思 わ れ る。 そ ん な 様 々 な ご 苦 労 も 頭 の 隅 に お き な が
まずは、正倉院展の時期についてである。すでに述べた通り、正
た。
博 物 館 の ホ ー ム ペ ー ジ を 見 る と、 参 考 に な る 解 説 が 掲 載 さ れ て い
○ 正倉院展についての疑問
奈良ではなく東京国立博物館で開催されている。)
いサービスである。
の詳しい解説を聞くことができる。時間に余裕のあるときには有難
また、近年では、ガイド機による音声ガイドのサービス(有料)
乗っているような中で、毎年正倉院展の人気を肌で感じている。
17
四
最近三十年間の正倉院展の概要
(一 ) 各年度の開催日程と宝物出品数
筆者が正倉院展に通い始めた昭和五十九年から三十年間の、開催
日程や出品された宝物数、その中でも初めて出品された宝物数等な
どについて、毎年購入してきた目録をもとにまとめたものが、表1
である。これを見ると、おおまかな開催時期の傾向がわかるであろ
う。また、数に差こそあれ、初めての宝物が毎年のようにいくつも
公開されていることがわかる。これだから、いつも新鮮な気持ちで
楽しく見学できるのである。そしてさらに、特記事項の欄に記した
通り、この三十年間にいろいろな節目の年を経てきていることもう
かがえる。こうして表にまとめたことによって、奈良国立博物館で
ている。これは、毎年発行され
る目録の表紙のデザインにもい
えることである。チケットと目
録の表紙が同じ宝物の年もあれ
ば、 チ ケ ッ ト、 目 録 の 表 表 紙、
裏表紙が全て異なる宝物の年も
ある。また、近年では複数の宝
物がチケットのデザインに用い
られることが増えてきた。さら
には、平成二十四年度の「銀平
脱八稜形鏡箱」や二十五年度の
「 平 螺 鈿 背 円 鏡 」 の よ う に、 ご
ると、五年後の第七十回の正倉院展が筆者の三十五年目となり、そ
ことを改めて実感した。このまま毎年さらに見学を続けていくとす
物の解説と写真が掲載されているので、当然チケットにデザインさ
ず最初に目録を購入する。目録には、その年に出品された全ての宝
筆者は毎年、正倉院展の会場である奈良国立博物館に入ると、ま
く一部の模様がさりげなく引用されている場合もある。
の後は正倉院展の歴史の半分以上を通うことになる。健康である限
れた宝物と同じものが存在する。そこで、チケットと同じ宝物のペ
ージを探し、チケットを失くさないよう栞のようにそのページには
さむのが毎年恒例の作業となっている(写真 )。
ても地味な宝物や、古文書等の類はまず登場しない。多くの人が見
がデザインされている。しかし、それには傾向があり、単に珍しく
この資料を見ると、三十年間の全出品宝物がわかる。また、三十年
料」のコーナーにまとめた。(
)内の説明も、目録の通り記した。
今まで購入してきた三十冊の目録の目次のページを、七章の「資
正倉院展のチケットには、その年に出品されている代表的な宝物
(二 ) 各年度の顔となった出品宝物
り、一年でも長く見学を続けていきたいものである。
の正倉院展の歴史のうち、筆者がそのおよそ半分近くも通ってきた
写真 18 最新(平成 25 年)の目録とチケット
て美しいと思うような、ビジュアル的に優れた宝物が取り上げられ
18
20
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
21
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
表1 最近 30 年間の正倉院展データ( 1 ) 開催期間等の概要
年度
回
開催期間
日数
出品数 入館料
(初) (円)
特記事項
昭 59( 1984 ) 36 10/28(日)~ 11/11(日) 15 75( 26 )☆ 350
60( 1985 ) 37 10/26(土)~ 11/11(月) 17 83( 23 )☆ 350
61( 1986 ) 38 10/25(土)~ 11/10(月) 17 77( 24 )☆ 350
62( 1987 ) 39 10/24(土)~ 11/9(月) 17 78( 24 )☆ 400
63( 1988 ) 40 10/22(土)~ 11/7(月) 17 72( 15 )
平 1( 1989 ) 41 10/28(土)~ 11/13(月) 17 81( 18 )
700
こ の 年 の 4/23 ~ 10/23、 奈 良 シ ル
クロード博開催。
410 昭和天皇崩御。今上天皇御即位。
2( 1990 ) 42 10/27(土)~ 11/15(木) 20 79( 21 )
720
3( 1991 ) 43 10/26(土)~ 11/11(月) 17 77( 26 )
790
4( 1992 ) 44 10/31(土)~ 11/16(月) 17 75( 20 )
790
5( 1993 ) 45 10/23(土)~ 11/11(木) 20 74( 21 )
790 (筆者 10 年目の正倉院展。
)
6( 1994 ) 46 10/22(土)~ 11/7(月) 17 72( 22 )
790 この年まで図録 B5 版。
7( 1995 ) 47 10/21(土)~ 11/9(木) 20 75( 17 )
790
8( 1996 ) 48 10/26(土)~ 11/11(月) 17 75( 17 )
790
9( 1997 ) 49 10/25(土)~ 11/10(月) 17 73( 15 )
830 5 月、正倉院正倉を国宝に指定。
10( 1998 ) 50 10/24(土)~ 11/9(月) 17 74( 7 )
11( 1999 ) 51 10/26(火)~ 11/14(日) 20 76( 8 )
12( 2000 ) 52 10/28(土)~ 11/13(月) 17 78( 19 )
戦後の正倉院宝物の展示会 50 回目。
この年から図録 A4 版に。
12/2、正倉院正倉を含む「古都奈良
の文化財」が世界文化遺産と発表。
天皇御即位 10 年。これまでの西新
830
館に加え、東新館も会場に。
830
830
13( 2001 ) 53 10/27(土)~ 11/12(月) 17 75( 22 ) 1,000
14( 2002 ) 54 10/26(土)~ 11/11(月) 17 71( 14 ) 1,000 東大寺大仏開眼 1250 年目。
15( 2003 ) 55 10/25(土)~ 11/10(月) 17 66( 7 ) 1,000 (筆者 20 年目の正倉院展。
)
16( 2004 ) 56 10/30(土)~ 11/15(月) 17 75( 12 ) 1,000 鑑真和上の平城京入京 1250 年。
17( 2005 ) 57 10/29(土)~ 11/14(月) 17 69( 20 ) 1,000
18( 2006 ) 58 10/24(火)~ 11/12(日) 20 68(?)
1,000 聖武天皇崩御・宝物献納 1250 年目。
19( 2007 ) 59 10/27(土)~ 11/12(月) 17 70( 17 ) 1,000
20( 2008 ) 60 10/25(土)~ 11/10(月) 17 69( 18 ) 1,000
21( 2009 ) 61 10/24(土)~ 11/12(木) 20 66( 12 ) 1,000 天皇御即位 20 年。
22( 2010 ) 62 10/23(土)~ 11/11(木) 20 71( 14 ) 1,000
平城遷都 1300 年。
光明皇后崩御 1250 年。
23( 2011 ) 63 10/29(土)~ 11/14(月) 17 62( 17 ) 1,000
24( 2012 ) 64 10/27(土)~ 11/12(月) 17 64( 9 ) 1,000
25( 2013 ) 65 10/26(土)~ 11/11(月) 17 66( 16 ) 1,000 (筆者 30 年目の正倉院展。
)
(注)入館料の☆は学生料金。他は一般の当日料金。
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國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
表2 最近 30 年間の正倉院展データ( 2 )「出品宝物の顔」一覧
年度
回
目録表表紙写真
目録裏表紙写真
チケット写真
昭 59
36
金銀山水八卦背八角鏡
金銀山水八卦背八角鏡
緑牙撥鏤尺
60
37
雑玉幡
七條織成樹皮色袈裟
螺鈿紫檀阮咸
61
38
玳瑁螺鈿八角箱
縹地唐草花鳥文夾纈絁
黄銅合子
62
39
密陀絵皮箱
密陀絵皮箱
漆胡瓶
63
40
鳥毛立女屏風
鳥毛立女屏風
鳥毛立女屏風
平 1
41
琵琶袋残欠(錦琵琶袋)
金銀花盤
金銀平脱八花鏡
2
42
漆金薄絵盤
漆金薄絵盤
紅牙撥鏤尺
3
43
螺鈿紫檀五絃琵琶
錦貼交屏風
銀平脱鏡箱
4
44
樹木羊臈纈屏風
樹木象臈纈屏風
樹木羊臈纈屏風
5
45
鳥獣花背方鏡
漆金薄絵盤
密陀彩絵箱
6
46
紫檀金鈿柄香炉
紺瑠璃坏
平螺鈿背八花鏡
7
47
墨画仏像
銀平脱八花形鏡箱
紫檀木画双六局
8
48
紫檀木画槽琵琶
金銅花形裁文
螺鈿紫檀阮咸
9
49
沈香木画箱
花鳥背円鏡
桑木木画碁局
10
50
漆胡瓶
紫檀木画槽琵琶
人勝残欠雑張
11
51
鳥毛立女屏風
金銀花盤
金銀平文琴
12
52
黄金瑠璃鈿背十二稜鏡
紫地獅子奏楽文錦
縹地唐草花鳥文夾纈絁
13
53
紫檀木画挾軾
蘇芳地金銀絵箱・白綾褥
花氈
14
54
桑木阮咸
御冠残欠
紫檀槽琵琶
15
55
碧地金銀絵箱
紅牙撥鏤尺
平螺鈿背円鏡・絵紙
16
56
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶
・緑地彩絵箱
17
57
平螺鈿背八角鏡
木画紫檀棊局・紺牙撥鏤尺
木 画 紫 檀 棊 局・ 紅 牙 撥 鏤 棊
子・紺牙撥鏤棊子
18
58
孔雀文刺繍幡
金光明最勝王経帙
紅牙撥鏤尺・孔雀文刺繍幡
19
59
紫檀金鈿柄香炉・花氈
花氈
紫檀金鈿柄香炉
・花氈・墨絵弾弓
20
60
21
61
22
23
刻彫尺八・紫檀木画双六局・紫皮 白瑠璃碗
裁文殊玉飾刺繍羅帯残欠・金銅幡
刻彫尺八・紫檀木画双六局・
紫皮裁文殊玉飾刺繍羅帯残欠
紫檀木画槽琵琶
紫檀木画槽琵琶
紫檀木画槽琵琶
・平螺鈿背円鏡
62
螺鈿紫檀五絃琵琶・銀平脱鏡箱
螺鈿紫檀五絃琵琶
螺鈿紫檀五絃琵琶
63
碧地金銀絵箱・金銀鈿荘唐大刀
金銅華鬘形裁文
紅牙撥鏤尺
瑠璃坏・螺鈿紫檀琵琶
赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾 瑠璃坏・螺鈿紫檀琵琶・銀平
脱八稜形鏡箱
漆金薄絵盤・花喰鳥刺繍裂残片
花喰鳥刺繍裂残片
24
64
25
65
漆金薄絵盤・平螺鈿背円鏡
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
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前に比べて近年の目録の方が、
(
)内に記される説明が増えてき
たことに気がつく。目録も年々進化しているのだ。なお、実際の目
録には書かれている所在倉(北倉か中倉か南倉か。)や倉番号など
は、
「資料」では割愛した。
のが繰り返し多く登場していることがうかがえる。
国産のものであれ、舶来のものであれ、それらはいかにも正倉院
宝物というオーラが感じられるものばかりである。
みた。そして、その中でも特に多く取り上げられているものが、表
表2で多く取り上げられているものを、さらに項目別にまとめて
さて、いわばその年の宝物の顔ともいえる、目録の表紙やチケッ
3である。これを見ると、ビジュアル的にデザイン担当者に好まれ
(※)
「漆金薄絵盤」は法具、「金銀花盤」は足付き皿と、用途的に
は全く異なるが、宝物名の共通性により便宜上同じ分野とした。
トに取り上げられた宝物をまとめたものが、表2である。これを見
銀平脱鏡箱
2
玳瑁螺鈿八角箱
1
密陀彩絵箱
1
銀平脱八花形鏡箱
1
沈香木画箱
1
緑地彩絵箱
1
銀平脱八稜形鏡箱
1
蘇芳地金銀絵箱
1
平螺鈿背円鏡
3
金銀山水八卦背八角鏡
2
金銀平脱八花鏡
1
鳥獣花背方鏡
1
平螺鈿背八花鏡
1
花鳥背円鏡
1
黄金瑠璃鈿背十二稜鏡
1
平螺鈿背八角鏡
1
2
樹木象臈纈屏風
1
錦貼交屏風
1
盤(※)漆金薄絵盤
5
金銀花盤
2
小計 7
ている分野の傾向がよくわかって興味深い。
4
5
1
小計 8
鳥毛立女屏風
樹木羊臈纈屏風
屏風
4
2
紫檀槽琵琶
小計 11
2
3
螺鈿紫檀琵琶
小計 13
2
鏡
密陀絵皮箱
碧地金銀絵箱
箱
2
3
小計 15
4
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶
琵琶
螺鈿紫檀五弦琵琶
1
5
分野
紫檀木画槽琵琶
分野別順位
宝物名および件数
ると、それぞれの年の代表となる宝物として、いくつかの分野のも
表3 目録表紙・チケットに多く登場する宝物
写真 20 「漆金薄絵盤」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 25 年]」より
この三十年間の目録の表表紙、裏表紙、チケットに数多く用いら
れ て い る 分 野 の ベ ス ト 5 は、 一 位「 琵 琶 」( 十 五 件 )、 二 位「 箱 」
(十三件)
、三位「鏡」
(十一件)、四位「屏風」(八件)、五位「盤」
(七件)であった。また、宝物を個別に見た場合にデザインとして
登場する件数が多いものベスト5は、一位「紫檀木画槽琵琶」・「漆
金薄絵盤」
(いずれも五件)
、三位「螺鈿紫檀五絃琵琶」・「鳥毛立女
屏風」
・
「紅牙撥鏤尺」
( い ず れ も 四 件 ) と な っ て い る。 ち な み に
)は、四
「撥鏤尺」だけを一分野とすると、分野別では第六位に入っている
(六件)
。
最も多く宝物の顔となった「紫檀木画槽琵琶」(写真
絃四柱形式の琵琶で、中国ではこの形式のものが隋、唐の時代に流
行した。同じ琵琶でも、五絃琵琶がインドが起源であるのに対し、
四弦琵琶はペルシャが起源といわれている。「紫檀木画槽琵琶」に
は、宝物名にも含まれているシタンのほか、コクタン、ビンロウジ
ュなどのアジア諸国産の木材や、象牙、大陸産の顔料などが材料と
して用いられている。また、デザイン的にも、馬の上から振り向き
ざまに弓を射る、西アジア起源のパルティアン・ショットで虎を狙
う人物等が描かれており、宝物に込められた国際性がうかがえる。
)は、平成二十五年度正倉院展の目録表表紙とチケットを
同じく一位であった、香を炊く蓮華形の台である「漆金薄絵盤」
(写真
は 大 陸 産 の 顔 料 で あ り、 そ こ に 描 か れ て い る の は 阿 弥 陀 仏 を は じ
め、迦陵頻伽(極楽浄土に住むとされる想像上の鳥)、含綬鳥(く
「紅牙撥鏤尺」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 23 年]」より
写真 19 「紫檀木画槽琵琶」
(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展
目録[平成 21 年]」より
写真 21
19
飾ったばかりの一品である。その色鮮やかな絵に用いられているの
20
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國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
25
チーフである。
ちばしで花枝をくわえたデザインの鳥)、獅子などの大陸由来のモ
計四件だけだった。
少なく、「瑠璃坏(紺瑠璃坏)」が三件、「白瑠璃碗」が一件の、合
そ の 次 に 目 録 表 紙 や チ ケ ッ ト に 多 く 登 場 す る「 螺 鈿 紫 檀 五 絃 琵
では次に、その他の特筆すべき宝物を紹介したい。ただし、すで
(三 ) その他の興味深い出品宝物
る。その名前が表す材質からして、国際性に富む宝物といえる。ま
に名前の登場した宝物は割愛し、むしろ目録表紙やチケットのデザ
琶 」 は、 す で に 三 章 で 述 べ た 通 り、 教 科 書 で お 馴 染 み の 宝 物 で あ
)の牙とは象牙の意であり、これは、象
インにはあまり利用されそうもない宝物にもスポットを当てたいと
た、
「紅牙撥鏤尺」
(写真
牙を赤く染めて鹿や花鳥などの文様を施したものさしである。小さ
思う。また、ここで紹介する宝物は、あくまで高校の理科(生物)
の教員である筆者が、生物学的に興味、関心を抱いた宝物に偏って
いることを予めお断りしておく。
既に述べた通り、正倉院の宝物の名前には、用いられた材質が示
○ 珍しい材質
反故紙だったことから、これは国産の屏風と判明している。反故紙
さ れ て い る も の が 多 い。「 螺 鈿 」( ヤ コ ウ ガ イ 等 )、
「牙」
(象牙)
、
「犀角」または「斑犀」、
「玳瑁」、
「紫檀」、
「蘇芳」(インド、東アジ
る。その多くがササン朝ペルシャ(現在のイラン・イラク)に由来
と こ ろ で、 筆 者 が 個 人 的 に 好 き な 宝 物 の 分 野 に、 ガ ラ ス 器 が あ
ス器には必ず「瑠璃」の字が含まれている。ここでは、あえてそれ
つくゴージャスな宝物も多い。また、ガラス製品の多く、特にガラ
物名が含まれていたり、名前に「金銀」や「黄金」
、「琥珀」などが
ア原産のマメ科の樹木)など当時の国際性がうかがえるような動植
するもので、よく今日まで輝きを失わずに保存されているものだと
ら以外の材質に注目して紹介したい。
この三十年間で目録の表紙やチケットに登場したガラス器は意外と
この器にはワインが合いそうだとか、つい考えてしまう。しかし、
十 一 年 に 「 大 魚 骨 笏 」 と い う 名 前 の 宝 物 が 公 開 さ れ て い る。 笏 と
筆者の初めての正倉院展見学だった昭和五十九年に続いて、平成
筆者は、この器で冷酒を飲んだらどんなに美味しいだろうかとか、
驚愕するものばかりである。不謹慎な話で申し訳ないが、酒好きな
である。
でさえ雄弁に歴史を語ってくれるのが、正倉院宝物の面白いところ
のヤマドリのものであり、さらには屏風の下貼りの紙が行政文書の
性が唐の情景を連想させるが、貼り付けられた鳥の羽毛が日本固有
これらに対し、
「鳥毛立女屏風」は、南方風の樹木の下に立つ女
逸品である。
い宝物ではあるが、材質、デザインともに大陸の空気が感じられる
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國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
等しい。面白いのは「大魚」なるものだ。その正体は、魚類ではな
うである。現代の笏は上端と下端で幅が異なるが、大魚骨笏は幅が
は、筆者が家業(神主)で用いている笏の古いスタイルのもののよ
た人々のこだわりがあるのかもしれない。
長い名前のものが多いが、それだけこれらを制作または所有してき
一番名前の文字数が多いのが本品である。概して刀子(小刀)には
くクジラである。大魚骨笏は、マッコウクジラの下顎の骨を加工し
い。
「大魚」がマッコウクジラならば、「魚」とは何なのか。こちら
開された。こちらは上端ほど狭くて、現在の笏の逆である点が面白
これに対して、平成一年と十六年には、「魚骨笏」なる宝物が公
どちらの宝物も、タイマイでなくアオウミガメを用いていると記さ
なるタイマイというウミガメをさすが、平成九年以降の目録では、
品されている。一般に「玳瑁」は、背中の鱗板が鼈甲細工の材料と
昭和五十九年、平成九年と二十二年、後者は平成三年と十五年に出
似た名前の宝物に、
「玳瑁八角杖」と「玳瑁杖」がある。前者は
も材質は魚類ではない。マッコウクジラより小さいセミクジラの骨
れている。ちなみにどちらも南海に多い種で、日本ではアオウミガ
てつくったものとされている。
と い わ れ て い る。 哺 乳 類 で あ り な が ら 鯨 が 魚 偏 で あ る こ と と 併 せ
南西諸島で産卵するが、その数は少ない。生物学で飯を食っている
メは、小笠原諸島や南西諸島で産卵する。タイマイは沖縄島以南の
ところで、クジラが材質のものとしては、平成一年と二十五年に
者としては、この種名の違いには思わず着目してしまった。近年に
て、昔の人の発想は素直で興味深い。
出品された「鯨鬚金銀絵如意」がある。如意とは元々背中を掻く孫
これと同じパターンが、「紫檀小架」という用途不明の架け具で
なり、精密な検査で種名が明らかになったのであろう。
具となった。この材質は、北大西洋と北太平洋の温暖な海域に生息
ある。その材質の一つが、平成一年の目録では玳瑁とだけ記されて
の手のような日用品だったが、後に仏教に取り入れられて僧侶の道
するセミクジラのヒゲとされている。表裏とも金銀泥による加飾が
いるが、平成十三年と二十四年の解説にはアオウミガメの種名が見
ていくことだろう。
られる。他の宝物に関しても、今後詳しい種名がますます解析され
あることから、右の宝物名となったようである。
同じく派手そうな名前の宝物に、「水角把沈香鞘金銀山水絵金銀
珠 玉 荘 刀 子 」 が あ る。 平 成 四 年 と 二 十 四 年 に 出 品 さ れ た 小 刀 で あ
平成四年と十五年の目録では着目すべき種名の記述は見られない
他の宝物で見ない材質を含む宝物に、馬具がある。
「馬鞍」には、
いる。本品以外に水牛の角を用いた宝物は目にしていない。また、
が、十八年にはアザラシの毛皮がはられていたとある。馬鞍自体正
る。
「 水 角 」 の 名 で 推 察 さ れ る よ う に、 把 に 水 牛 の 角 が 用 い ら れ て
別の意味でこの一品は面白い。この三十年で出された宝物の中で、
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
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できればと願って止まない。
アザラシにせよクマにせよ、できればもう少し詳しい種名まで解析
おり、これには熊の毛皮が用いられていると目録に記されている。
の一つの「障泥」が平成四年と十八年に、馬鞍とともに出品されて
可能性があるが、それにしてもアザラシの名は珍しい。また、馬具
倉院に複数伝えられているため、それらが異なる材質の馬鞍という
サ ン ゴ は 専 門 外 な の で、 細 か い 分 類 に つ い て は コ メ ン ト を 控 え た
は骨軸亜目ではなく角軸亜目(全軸亜目)となっているが、筆者は
ている。(国立科学博物館の公開しているデータでは、ホソヤギ科
ヤギ目骨軸亜目ホソヤギ科に属するムレフトヤギであろうと推測し
「馴鹿角」だ。目録の説明によると、前者は花虫綱八放サンゴ亜綱
も あ る。 た と え ば、 平 成 十 四 年 に 出 さ れ た「 珊 瑚 」 や、 十 七 年 の
い。
) 本品は、枝を広げた形の、乾燥標本状のサンゴである。熱帯
また、後者の「馴鹿角」は、トナカイの角である。根元に頭蓋骨
から暖温帯に広く分布する種で、産地は特定できていない。
かないものも存在する。昭和六十一年、平成八年と二十一年の三回
の一部が残る角が、一本だけ正倉院に伝えられている。シルクロー
宝物の材質として用いられた生物の中には、筆者が全く見当のつ
御帯残欠」という名の貝殻の帯飾りの残骸で
ついでながら、同じこの年、加工されていないそのまんまの「象
出品された「斑貝
いる。いずれも南海に生息する貝類である。しかし、筆者が着目し
牙 」 も 出 品 さ れ て い る。 一 五 七 セ ン チ も あ る 大 き な 牙 だ。 解 説 で
ドから遠く離れた北極圏周辺の生物であるだけに、どのような経路
」だ。聞いたことも見たこともない
ある。
「斑貝」の説明は、昭和六十一年と平成八年の目録ではヤコ
たのは「斑貝」ではなく「
は、アフリカゾウなのかインドゾウなのかわからないとのことであ
で運ばれてきたのか実に興味深い。
言 葉 で あ る 上、 原 稿 を 書 く 際 に ワ ー プ ロ で も 書 け な か っ た 字 で あ
るが、アフリカゾウの可能性もあるというのは、なかなかロマンが
ウガイ、平成二十一年にはヤコウガイとチョウセンサザエとなって
る。目録の説明によると、獣皮の代りに用いられる珍材で、出品さ
あって面白い。
品された。
) で あ る。
のだ。南洋を思わせるユーモラスな一品で、平成三年と二十年に出
ココヤシの実の発芽孔に穴を開けて口に見立て、目を描き加えたも
いたくなる品々もある。その一つが、
「椰子実」
(写真
正倉院にはさらに、なぜこんなものまで収納されているのかと思
れ た 三 回 全 て の 解 説 に、
「老木の身と皮の間に生じる一種の菌」と
表現されている。担子菌類か子嚢菌類に含まれる広義の菌類か、ま
たは菌類と藻類の共生体である地衣類の一種かとも思われるが、こ
の説明だけではよくわからない。専門的な解析が行われたのなら、
次回出品時の目録には詳しい解説を載せてほしいものである。
逆に、生物体またはその一部が明らかな形で伝えられているもの
22
代物は、平成二十年に公開
物(?)の中で最も奇妙な
は、用途が判明しているもののうち、筆者が興味を抱いた「薬」と
に 何 に 用 い ら れ た の か 判 明 し て い な い も の も 少 な く な い。 こ こ で
用途別に見ても、正倉院宝物は実に多種多様である。中には未だ
○ 特筆すべき用途
さ れ た「 紅 龍 」 な る 名 称
「香」を取り上げてお伝えしたい。
筆者が見た三十年間の宝
の、動物のミイラだ(写真
)。 テ ン( 貂 ) の 遺 体 と
三 章 で 記 し た 通 り、 正 倉 院 に 伝 わ る 薬 物 は、 聖 武 天 皇 の 七 七 忌
この三十年間で、薬物類
鑑定されている。宝庫に侵
この年の目録の解説によ
は六回公開されている。一
(四十九日)に、光明皇后が『種々薬帳』とともに献納したことに
れば、正倉院には他にも土
回の公開で一品だけ出され
入したテンが自然乾燥した
竜( コ ウ ベ モ グ ラ ) や 鳥
た年もあれば、七品も出さ
始まる。海外のいろいろなところから、当時で六十種もよく集めら
(種類不明)、蛇骨(ヤマカ
れた年もあった。概して薬
のか、意図的に納入された
ガシ)などの遺体も保管さ
物は、見ただけでは正体が
れたものである。この薬物は、病人の治療用に宝庫から持ち出され
れているという。個人的に
わからないものが多い。石
のかは謎だそうで、迷宮入
はそれらも是非見てみたい
または石の破片にしか見え
たり、また逆に後年献上されたものが加わったりして、現在は約四
ものであるが、あまりに一
ない鉱物質のものも見られ
りした事件のように面白
般 受 け し そ う も な い の で、
るが、やはり多いのは植物
十種が残っている。
おそらく半永久的に無理か
質のものである。加えて植
い。
23
もしれない。
写真 24 「紫鑛」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「平成 15 年 正倉院展目録」より
写真 22 「椰子実」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展
目録[平成 20 年]」より
写真 23 「紅龍」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 20 年]」より
28
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
29
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
表4 30 年間に出品された薬物一覧
宝物名
大黄
出品年
遠志
厚朴
冶葛
昭 60
平 22
昭 60
平5
平2
平5
平 5,22
甘草
平5
莞花
平5
人参
紫鑛
昭 60
(写真 24 ) 平 15
無食子
平2
臈蜜
平 5,19
(写真 25 )
五色龍歯 昭 60
(写真 26 ) 平 22
犀角器
昭 60
白龍骨
平5
芒消
昭 60
雄黄
平 2,15
原 料
分 布
タデ科ダイオウ属の根茎
植
物
に
由
来
植
物
と
虫
に
由
来
中国西北部
効 用
健胃、瀉下
ウコギ科オタネニンジンの根 朝鮮半島
強壮
中国東北部
イトヒメハギの根
中国東北部
強壮、鎮静
樹木(?)の皮
?
利尿、去痰
マチン科ゲルセミウム属ゲル 東南アジア
皮膚疾患、神経痛
セミウム・エレガンスの根
中国南部
(毒性強)
マメ科のカンゾウ類の地下茎 チベット
咳嗽、止渇、解毒
や根
フジモドキの花蕾
中国河南省東北部 去痰、鎮咳、利尿、
華北
解毒
トウダイグサ科の植物にラッ インド
浄血
クカイガラムシ(♀)が寄生 東南アジア
(染料やニスとして
し、分泌してできたヤニ状樹
も利用)
脂
フシバチ科のハチがカシ類に 地中海沿岸
下痢止め、解毒
寄生してできる虫癭(虫こぶ)イラン
トウヨウミツバチの巣
東アジア
下痢止め
ナウマンゾウの第三臼歯の化 インド
石
インドサイ(イッカクサイ) インド
化石鹿の歯、角、四肢骨
中国山西省
河南省
中国四川省
鉱 含水硫酸マグネシウム
甘粛省
物
に 四硫化四砒素
中国、日本
由
来
動
物
に
由
来
写真 26 「五色龍歯」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 22 年]」より
収斂、鎮静
解熱、解毒
収斂、鎮静
瀉下、利尿
解 毒、 殺 虫、 殺 菌
(毒性強)
写真 25 「臈蜜」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 19 年]」より
物質の薬物の中には、昆虫の存在が不可欠だったものもある(写真
に面白い付箋が貼り付けら
この蘭奢待には、歴史的
「五色龍歯」など)。何に由来するのか実にバラエ
にまとめたことで、いかに世界の多方面から集められたかがよくわ
かる。当時の奈良の国際性は、実に驚異的である。
さらに驚くべきことに、近年の調査により「遠志」の代表的成分
のサポニンには現在も完全に薬効が残っており、また、「大黄」も
薬物としての成分損耗がないことが確かめられている。強いとされ
る「冶葛」の毒性も、千二百六十年近く経った現在も変わらないと
い う。 こ こ ま で 薬 効 が あ る と は、 光 明 皇 后 も 知 ら な か っ た で あ ろ
う。
「香」の類は、三十年間で四回出品されている。そのうち三回と、
最も多く出されているのが「全浅香」だ。熱帯アジア産のジンチョ
ウゲ科の常緑樹の幹に特殊な樹脂が沈着してできる、沈香という香
木の一種である。沈香のうち、樹脂の沈着の程度が低くて水に浮沈
が定まらないものを浅香というらしい。この全浅香と並び「両種の
)
。香道が盛んとなった中世以降は、「蘭奢待」という別
御香」といわれるものが「黄熟香」で、こちらは二回出品されてい
る(写真
皮」として残っている(写
麝 香 腺 の 皮 だ け が「 麝 香
宝 庫 に そ の 現 存 品 は な く、
登場する。しかし、今では
は、『 種 々 薬 帳 』 の 冒 頭 に
視 さ れ た。 そ の た め 麝 香
興奮剤、強心剤として貴重
は、 芳 香 が 強 い と と も に、
乾燥させた黒褐色の粉末
麝香である。この分泌物を
スの麝香腺からの分泌物が
生息するジャコウジカのオ
ヤや東アジアの高山地帯に
麝香が挙げられる。ヒマラ
動 物 性 の 香 料 と し て は、
が記録に残っている。
徳川家康も切り取ったこと
に は 足 利 義 満、 足 利 義 教、
た箇所を示したものだ。他
信長、明治天皇が切り取っ
れている。足利義政、織田
「臈蜜」など)。また、現存する動物だけでは
「紫鑛」や写真
される(写真
なく、動物の化石までもが薬物として伝えられていることには驚か
25
ティーに富んでいるこれら薬物を、表にまとめてみた(表4)。表
26
大寺」の文字が隠されている。
写真 27 「黄熟香」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 23 年]」より
写真 28 「麝香皮」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「平成 9 年 正倉院展目録」より
24
称が有名になった。ちなみに、
「蘭奢待」という名前の中には「東
27
30
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
31
真
)
。説明がなければとてもその正体がわからない一品で、平成
台の付いた八稜形の皿を、スッポン形の蓋の腹部にはめ込む仕組み
ド北部のキク科草本の根を乾燥させた「木香」、紀元前からギリシ
その他の香としては、数種の香をブレンドした「裛衣香」、イン
作されて売られていたら、是非購入したいと爬虫類好きの筆者は思
る。ガラス器類にもいえることだが、もしこの宝物のレプリカが製
眼には深紅色で透明な琥珀がはめ込まれており、とても可愛く見え
になっている。このスッポンの姿が、驚くほど実にリアルなのだ。
アや中国で知られていたという、フトモモ科の樹木のつぼみを乾燥
間に目録の表紙にもチケッ
る。その中で、この三十年
いては明らかにされていない。スッポンの背に裏返しの北斗七星が
れてきたことがわかる。一方、この青斑石鼈合子の用途や産地につ
に生息する種、ペロディスカス・シネンシス( Pelodiscus sinensis
)
と確定した」とある。専門家によって少しずつ宝物の詳細が解明さ
れ、さらに三度目に出品された平成二十二年では、「中国・日本等
年では、「その姿は中国産のスッポンに近い」という解説が掲載さ
は、ただ「スッポン」と記されていただけだが、二度目の平成十二
ところで、筆者が初めてこの宝物を見た平成一年の目録の解説で
う。
○ 興味深いデザイン
写真 29 「青斑石鼈合子」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 22 年]」より
正 倉 院 宝 物 の 中 に は、 デ ザ イ ン 的 に 面 白 い も の が 数 多 く 存 在 す
トにも取り上げられたこと
生物の形がリアルに作られているものとして他に、平成五年と十
描かれている思想的、宗教的意味を含めて、まだまだ謎の多い珍品
筆者がガラス器と並んで
六年に公開された「撥鏤飛鳥形」がある。象牙を彫って飛ぶ鳥の形
のない宝物の一部を、少し
気に入っている宝物の一つ
を作り、色を染めたものである。現代では木を彫って作るバードカ
である。
に、「 青 斑 石 鼈 合 子 」 が あ
ービングというものがあるが、それの象牙バージョンだ。ただし、
か た ど っ た 青 斑 石( 蛇 紋
翼を途中まで伸ばした状態で彫られている。決して精巧な作りとは
一般的なバードカービングが翼をとじた状態なのに対し、こちらは
29
岩)製の入れ物である。高
る( 写 真
)。 ス ッ ポ ン を
紹介しよう。
像できないくらい香の世界は広く、そして深い。
使われていたようである。鼻(嗅覚)の悪い筆者にとっては到底想
させた「丁香」などが出品された。それらは防虫、防腐剤としても
九年に一度だけ公開された。
28
写真 30 「漆胡樽」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「正倉院展目録
[平成 22 年]」より
いえないが、写真やビデオ
のない時代に、鳥の動きを
よく観察したことをうかが
わせる出来栄えだといえる
だろう。
生物そのものの形ではな
いが、その宝物に関連する
生物の姿を容易に想像でき
)。 西 域 風
る も の と し て、「 漆 胡 樽 」
が あ る( 写 真
)
。 正 倉 院 に は、 中 国 起
板」という宝物名で載って
平成五年と八年だけ「白石
い。なお、目録にはなぜか
はまだ明らかにされていな
ではあるものの、その用途
な頻繁に登場している宝物
八回公開されている。そん
このシリーズは三十年間に
た も の が 伝 え ら れ て お り、
ずつ長方形の白石板に彫っ
源の四神や十二支を二種類
31
い る。 こ の 宝 物 を 見 る 度 に、 筆 者 は 敦 煌 で 乗 っ た フ タ コ ブ ラ ク ダ
振り分けて提げた、水を運ぶための革袋を模したものと考えられて
いない。しかし、その独特の形は、西域においてラクダや馬の背に
木製で黒漆塗りの一組の容器で、制作地は目録の解説にも書かれて
融合した白石鎮子は、東西文化交流を示す例として挙げることがで
とされている。西方起源の動物闘争文と中国古来の四神や十二支が
表される遊牧民族の中で継承された、動物闘争文の流れを汲むもの
二種類の動物文が絡み合うデザインは、南ロシアのスキタイに代
さて、四神は、古代中国において東西南北を守る神として信仰さ
れ、墳墓や鏡に残されている。日本でも高松塚古墳の壁画は有名で
比較的に繰り返しよく出品されているシリーズものに、「白石鎮
鎮子が公開され、平成十年と二十一年には、四神が揃って公開され
いう。昭和六十二年には「玄武と白虎」を組み合わせて描いた白石
ある。東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を総称して四神と
子 」 ま た は「 白 石 板 」 と よ ば れ る 大 理 石 の レ リ ー フ が あ る( 写 真
の代表といえるだろう。
胡樽もまさに「シルクロードの終着点」、正倉院にふさわしい宝物
きる。
おり、あと六回は「白石鎮子」となっている。
写真 31 「白石鎮子(寅と卯)」(正倉院所蔵)
奈良国立博物館「昭和 62 年 正倉院展
目録」より
や、トルファン近辺の広漠とした地平線の風景を思い出す。この漆
る。昭和五十九年と六十三年、平成七年と二十二年に公開された。
の、 革 袋 形 の 水 入 れ で あ
30
32
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
33
た。ちなみに、朱雀は鳳凰、玄武は亀と蛇が合体した姿で表現され
一方、十二支は、現代の日本においても、特に年末年始には干支
の、これらも目録の表紙やチケットには登場していない。しかし、
る。 三 十 年 間 で 十 二 回 も い ろ い ろ な 伎 楽 面 が 出 品 さ れ て い る も の
○ 人種交流の証 伎
―楽面 ―
正倉院展でたびたび公開されている宝物の中に、「伎楽面」があ
として馴染みあるものとなっている。正倉院展では、昭和五十九年
この伎楽面は、奈良と当時のシルクロード関係諸国との関係を如実
ている。
には「子と丑」
、六十二年には「寅と卯」、六十三年には「辰と巳」、
に表す歴史的遺産といえる代物なのである。ここでは、その伎楽面
動的である。特に、牛が、牛と同じ大きさの鼠と複雑に絡み合って
にされている。どの組み合わせも、そのデザインは非常に斬新で、
大 御 舞、 大 歌 舞、 楯 伏 舞 な ど の 和 楽 の 他 に、 伎 楽、 唐 楽( 中 国 )
、
た。その様子が記録されている『東大寺要録』によれば、久米舞、
七五二(天平勝宝四)年四月九日、東大寺大仏の開眼会が催され
にスポットを当ててみたい。
「 戌 と 亥 」 の 二 組、 平 成 五 年 に は「 申 と 酉 」、 八 年 に は 再 び「 子 と
丑」
、 十 八 年 に は「 戌 と 亥 」 の デ ザ イ ン の も の が ま た 出 品 さ れ た。
いるところなど、余程想像力が豊かでなければデザインできないの
高麗楽(朝鮮)、度羅楽(ミャンマー南部か)、林邑楽(ベトナム南
四神と同様、それぞれ二種類ずつ、動物が絡み合った姿が浮き彫り
ではと思う。
部)などの渡来の楽舞が順次演じられたとある。
さて、『日本書紀』によると、伎楽は、六一二年に百済人の味摩
ところで、三十年間続けて通っても、「午と未」の組み合わせだ
けはまだ目にしていない。ここで、今まで十二支の白石鎮子(白石
之 が 伝 え た と さ れ て い る。 し か し、 そ の 伎 楽 に は、 中 国 か ら イ ン
伎楽は、二十三人が十四種のバラエティーに富んだ面を被り、一
板)が出品された年の干支を調べてみた。すると、「子と丑」の組
は辰年、
「申と酉」が出された平成五年は酉年、「戌と亥」が出され
チ ー ム を 構 成 す る。「 治 道 」 一 人、「 師 子 」 一 人、「 師 子 児 」 二 人、
ド、ペルシャに至る広範囲の要素が混在しており、奈良がシルクロ
た平成十八年は戌年だった。そう考えると、午年の今年(平成二十
「呉公」一人、「金剛」一人、「迦楼羅」一人、「崑崙」一人、
「呉女」
み合わせが出された昭和五十九年と平成八年は子年、「寅と卯」が
六年)か未年の来年(平成二十七年)に、唯一残る「午と未」が公
一人、「力士」一人、「婆羅門」一人、「太孤父」一人、「太孤児」二
ードの終着点であることを如実に物語っているといえる。
開されれば実にタイムリーだと思うのだが、果たして予想が当たる
人、「酔胡王」一人、そして「酔胡従」八人という構成である。十
出された昭和六十二年は卯年、
「辰と巳」が出された昭和六十三年
かどうか、楽しみでならない。
四 種 の う ち 唯 一 女 性 の「 呉 女 」 が 呉 国( 中 国 ) の 女 性 を、「 呉 公 」
写真 32 「伎楽面(呉女)」
(正倉院所蔵)
奈良国立博物館
「正倉院展目録
[平成 21 年]」より
写真 33 「伎楽面(迦楼羅)」
(正倉院所蔵)
奈良国立博物館
「正倉院展目録
[平成 22 年]」より
写真 34 「伎楽面(酔胡従)」
(正倉院所蔵)
奈良国立博物館
「正倉院展目録
[平成 25 年]」より
34
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
※写真 32・34 は、大仏開眼会当日に使用された歴史的な面である。
が呉国の男性を表しているのに対し、「迦楼羅」
(ガルーダ)や「婆
~
)
。
羅門」はインド、「酔胡王」や「酔胡従」はペルシャに由来するな
ど、それらのお面には豊かな国際性が感じられる(写真
34
になったり、新幹線になったりした。時間のない最近では、もっぱ
生ならではの行程である。その後交通機関は、深夜の安い高速バス
発東京行きの夜行列車で帰ってきた。時間があっても金はない、学
み傘を入れただけだった。現地には宿泊せず、帰りは帰りで、大垣
はというと、当日が小雨交じりの天候だったため、紙袋に折りたた
海道本線、夜行各駅停車の大垣行きの列車に乗って行った。持ち物
学のあった茨城県を出発して、当時よく利用していた東京駅発の東
正倉院展を初めて訪れた時のことは、今でもよく覚えている。大
五
おわりに
─正倉院展見学三十年を振り返って─
することができた。
「治道」が公開され、これで筆者は、一通りメンバーの全てと対面
平成二十五年、筆者の三十年目の正倉院展で、ようやく十四種目の
児」、「迦楼羅」、「太孤児」が二回、残り四種が一回ずつであった。
王 」 が 四 回、「 呉 公 」、
「 呉 女 」、「 太 孤 父 」 が 三 回、「 師 子 」
、「 師 子
十年間で六回だった。次に多いのは「崑崙」で五回、続いて「酔胡
る。前述の十四種の中で最も多く出品されたのは「酔胡従」で、三
仏開眼会当日に使用されたという歴史的に貴重なものも含まれてい
正倉院には、一七一面もの伎楽面が伝わっており、その中には大
32
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
35
ら飛行機を早割りで予約して往復することが多くなった。忙しくな
がら歩くのが毎年の恒例となっている。
土日や祝日の行列はすごい。その点、平成二十五年度には、平日の
た。そもそも期間中はいつ行っても大混雑の正倉院展である。特に
と こ ろ で、 近 年 で は、 日 程 の 調 整 自 体 が と て も 難 し く な っ て き
日には、若草山に登って眺望を楽しむのも爽快でいい。また、近鉄
この界隈には、幾つか小さい博物館などの見所がある。天気の良い
ながらの街並みが残っている ならまち なども歩いていて面白い。
むことも多い。興福寺や東大寺、春日大社などの寺社をはじめ、昔
時間に余裕のある年には、正倉院展のついでに近辺の散策を楽し
研究日を利用して日帰りで訪れることができたため、少しはましだ
奈良駅から二駅離れるが、是非訪れるべき見応えある名所は、大和
るにつれ、旅の形態も随分変わってきたものである。
ったと思う。こういう時、平日の研究日はありがたい。
西大寺駅近くにある平城宮跡だ。これら正倉院を含む東大寺、興福
この古都奈良の文化財が世界遺産となる十年前の一九八八(昭和
さて、筆者はいつも近鉄奈良駅に着くと、東向き通りという賑や
る。筆者が正倉院展に通い始めた頃には、日本古来のイシガメやク
六十三)年、この地で奈良シルクロード博が開催された。当然筆者
寺、春日大社、平城宮跡は、元興寺、薬師寺、唐招提寺、春日山原
サガメが多く見られたが、近年では外来生物であるミシシッピアカ
も、正倉院展仲間の古瀨君と夏休みに訪れている。我々が訪れた日
かなアーケードの商店街を歩く。アーケードを出たところで左に曲
ミミガメ(通称ミドリガメ)が圧倒的に多くなった。奈良の生態系
がちょうど八月三日ということで、語呂合せで「ハミウリの日」と
始林などとともに、一九九八(平成十)年、ユネスコの世界文化遺
も確実に移り変わってきていることを実感する。ちなみに、國學院
いうイベントが行われていた。そして、はるばる輸入されたハミウ
がって少し行くと、右手に猿沢池が見えてくる。十一月頃でも暖か
高 等 学 校 の 生 物 の 授 業 で 使 用 し て い る 副 教 材、 秀 文 堂 の『 生 物 図
リが振舞われていた。あの新疆ウイグル自治区のトルファンで食べ
産に登録されている。
説』に載っているニホンイシガメの写真は、かつて筆者がこの猿沢
て以来の再会である。シルクロードの旅を懐かしく思い出し、感慨
い 日 に は、 の ん び り 日 光 浴 を し て い る カ メ を 見 つ け る こ と が で き
池で撮影したものである。
が多くなる。興福寺の境内を出ると、正倉院展の会場である奈良国
重塔は本当に見事だ。そして、この辺りから、奈良名物のシカの姿
ったこともあって、かつて住んでいた吹田市をはじめ、よく昆虫や
き帰りに大阪でくつろぐことも多い。筆者が少年時代に大阪府民だ
この正倉院展見学のついでの寄り道は、奈良県だけではない。行
無量であった。
立博物館まであと少しだ。今年はどんな宝物が展示されているだろ
ヘビ、カメなどを採集しに行った隣りの箕面市もたまに懐かしく歩
この池の手前で左手の石段を上がると、興福寺に至る。ここの五
うか、入館者の行列はどれだけできているだろうか、などと考えな
36
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
は 行 く 気 に な ら な い が、 そ の 他 に も 自 然 史 博 物 館 や 海 遊 館( 水 族
相手になっていただき、感謝している。さすがにUSJ には一人で
区磯路の赤丸食堂も忘れられない。本人の不在時にはお母様に話し
近年は御無沙汰しているが、インドで知り合った四宮君の実家、港
堂筋界隈や賑やかな道頓堀に、古瀨君とよく出没している。また、
いたりする。大阪市内では「うどんすき」の老舗、美々卯のある御
いただけたなら幸いである。
て、正倉院展や正倉院宝物についての興味、関心を少しでももって
い も の と な っ て し ま っ た 点 が 悔 や ま れ る。 し か し、 本 稿 を 読 ま れ
はおもに市販の一般書のみを参考にまとめたことから、内容的に浅
宝物等について専門的な論文まで目を通す暇がなかった。目録以外
なか原稿をまとめるに当たって十分な時間がとれなかったため、各
三十年で公開された宝物の中から興味深いものを取り上げた。なか
今回、拙稿には、貴重な宝物の写真を掲載することができた。正
館)
、咲くやこの花館(植物園)など、大阪には寄り道したいとこ
ろがたくさんある。それだけに、時間に余裕がなくてとんぼ返りを
回りして新潟県に寄ったこともあった。現地に就職していた大学の
学生時代には一度、茨城県から奈良県に行った後、北陸方面に遠
展 の 期 間 中 に も 関 わ ら ず 対 応 し て い た だ い た、 奈 良 国 立 博 物 館 学
げられた宝物がイメージしやすくなったことと思う。多忙な正倉院
たおかげである。そのため、拙稿を読まれた方には、本文に取り上
倉院展目録からの写真の転載を、奈良国立博物館から許可いただけ
サークルの先輩を訪ねて泊めてもらい、渡り鳥で有名な瓢湖に案内
芸部 企画室の方々に、この場を借りて厚く御礼申し上げたい。ま
余儀なくされる昨今は、実に残念でならない。
してもらってバードウォッチングを楽しんで帰京した。今ではまず
た、筆者のこれまでのシルクロードの旅や、三十年に及ぶ正倉院展
見学を支えてくれた多くの方々に、心より感謝の意を表したい。
できない寄り道である。
今回本稿では、正倉院および正倉院展を紹介するとともに、この
六
文献
林良一『日本の美術6
シルクロードと正倉院』(平凡社、一九六九年)
潘絜茲『敦煌の石窟芸術』
(中公新書、一九八〇年)
長沢和俊『シルクロードの終着駅
正倉院への道』(講談社現代新書、一九八二年)
福井貞則監修『中国大陸横断
北京 烏
―魯木斉四〇〇〇キロ』(日本テレビ放送網株式会社、一九八四年)
西川幸治『仏教文化の原郷をさぐる
インドからガンダーラまで』(NHKブックス、一九八五年)
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
37
由水常雄『正倉院の謎
激動の歴史に揺れた宝物』(中公新書、一九八七年)
東野治之『正倉院』
(岩波新書、一九八八年)
伊藤洋文『六大陸漫遊記』
(出版芸術社、一九九三年)
伊藤洋文『國學院高等学校紀要
第二十五輯
正
(一九九三年)
―倉院宝物に見る脊椎動物の分類とその多様性 』
―
奈良国立博物館編『正倉院宝物に学ぶ』(思文閣出版、二〇〇八年)
奈良国立博物館編『正倉院宝物に学ぶ2』(思文閣出版、二〇一二年)
千田稔監修『別冊太陽
平城京
平城遷都一三〇〇年記念』(平凡社、二〇一〇年)
杉本一樹『日本史リブレット七四
正倉院宝物の世界』(山川出版社、二〇一〇年)
米田雄介『奇跡の正倉院宝物
シルクロードの終着駅』(角川選書、二〇一〇年)
奈良国立博物館監修『カラーでわかるガイドブック
知ってる?
正倉院
今なおかがやく宝物たち』(ミネルヴァ書房、二〇一一年)
米田雄介『すぐわかる正倉院の美術
見方と歴史』(東京美術、二〇一二年)
菅谷文則『三蔵法師が行くシルクロード』(新日本出版社、二〇一三年)
NHK取材班『シルクロード
絲綢之路
第一巻
長安から河西回廊へ』(日本放送出版協会、一九八〇年)
NHK取材班『シルクロード
絲綢之路
第二巻
敦煌
沙漠の大画廊』(日本放送出版協会、一九八〇年)
NHK取材班『シルクロード
絲綢之路
第六巻
民族の十字路』(日本放送出版協会、一九八〇年)
NHK取材班『シルクロード
ローマへの道
第七巻
パミールを越えて』(日本放送出版協会、一九八三年)
NHK取材班『シルクロード
ローマへの道
第十二巻
ローマをめざして』(日本放送出版協会、一九八三年)
NHK「新シルクロード」プロジェクト『新シルクロード1
楼蘭・トルファン』(日本放送出版協会、二〇〇五年)
NHK「新シルクロード」プロジェクト『新シルクロード3
天山南路・敦煌』(日本放送出版協会、二〇〇五年)
NHK「新シルクロード」プロジェクト『新シルクロード5
カシュガル・西安』(日本放送出版協会、二〇〇五年)
(
〃
、一九八五年)
(奈良国立博物館、一九八四年)
中国文物交流中心編『中國西域・絲路傳奇』(文物出版社、二〇一三年)
奈良国立博物館編『昭和五十九年
正倉院展
目録』 〃
『昭和六十年
正倉院展
目録』 38
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
奈良国立博物館編『昭和六十一年
正倉院展
目録』 〃
『昭和六十二年
正倉院展
目録』 〃
『昭和六十三年
正倉院展
目録』 〃
『平成元年
正倉院展
目録』 〃
『平成二年
正倉院展
目録』 〃
『平成三年
正倉院展
目録』 〃
『平成四年
正倉院展
目録』 〃
『平成五年
正倉院展
目録』 〃
『平成六年
正倉院展
目録』 〃
『平成七年
正倉院展
目録』 〃
『平成八年
正倉院展
目録』 〃
『平成九年
正倉院展目録』 〃
『平成十年
正倉院展目録』 (奈良国立博物館、一九八六年)
(
〃
、一九八七年)
(
〃
、一九八八年)
(
〃
、一九八九年)
(
〃
、一九九〇年)
(
〃
、一九九一年)
(
〃
、一九九二年)
(
〃
、一九九三年)
(
〃
、一九九四年)
(
〃
、一九九五年)
(
〃
、一九九六年)
(
〃
、一九九七年)
(
〃
、一九九八年)
〃
『平成十一年
正倉院展目録』
(
〃
、一九九九年)
〃
『平成十二年
正倉院展目録』 (
〃
、二〇〇〇年)
〃
『平成十三年
第五十三回
正倉院展目録』
(
〃
、二〇〇一年)
〃
『平成十四年
第五十四回
正倉院展目録』 (
〃
、二〇〇二年)
〃
『平成十五年
第五十五回
正倉院展目録』
(
〃
、二〇〇三年)
〃
『平成十六年
第五十六回
正倉院展目録』 (
〃
、二〇〇四年)
〃
『第五十七回「正倉院展」目録
[平成十七年]』(
〃
、二〇〇五年)
〃
『第五十八回「正倉院展」目録
[平成十八年]』(
〃
、二〇〇六年)
〃
『第五十九回「正倉院展」目録
[平成十九年]』 (仏教美術協会、二〇〇七年)
〃
『第六十回
「正倉院展」目録
[平成二十年]』 (
〃 、二〇〇八年)
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
39
〃
『第六十一回「正倉院展」目録
[平成二十一年]』(
〃
『第六十二回「正倉院展」目録
[平成二十二年]』(
〃
『第六十三回「正倉院展」目録
[平成二十三年]』(
〃
『第六十四回「正倉院展」目録
[平成二十四年]』(
〃 、二〇〇九年)
〃 、二〇一〇年)
〃 、二〇一一年)
〃 、二〇一二年)
─
1
斑犀如意(犀角の如意)
〃
『第六十五回「正倉院展」目録
[平成二十五年]』(
〃 、二〇一三年)
その他、高等学校『日本史B』の教科書(山川出版社、東京書籍、実教出版、清水書院、二〇一三年)
七
資料
(一)昭和五十 九 年
出品目録〔(
)内は、図録の出品目録での説明〕
─
2
漆箱(如意の箱)
呉竹竽
檜和琴
刻彫尺八
紫檀金銀絵 書 几 残 欠 ( 書 見 台 )
9─
2
緑牙撥鏤尺(染象牙のものさし)
9─
1
紅牙撥鏤尺(染象牙のものさし)
8
吹絵紙
7
藤原公真蹟屏風献物帳(屏風の献納目録)
6
揩布屏風袋 ( 摺 絵 の 屏 風 の 袋 )
5
鳥毛帖成文 書 屏 風
第三、五扇(鳥毛の文字屏風)
4
白石鎮子
子・丑(大理石の浮彫板)
2
三合鞘御刀 子 ( 三 つ 組 の 小 刀 )
3
犀角把白銀葛形鞘珠玉荘刀子(唐草文透し金具の小刀)
大宝二年御野国本簀郡栗栖太里戸籍(美濃国の戸籍)
天蓋縁垂飾(天蓋の垂飾)
天蓋垂飾
黄綾地宝相華文刺繍(天蓋の垂飾)
縹錦幡残欠(錦の幡)
錦五坪道場幡残欠(錦の幡)
布衫(麻布の下着)
白盤布衫(麻布の下着)
笛吹襪(錦の靴下)
持笠半臂(絁の胴着)
渾脱襖子(絁の衣服)
金銅杏葉形裁文(杏葉形のかざり)
金銅鳳凰形裁文(鳳凰形のかざり)
日光形
花籠(散華 の 籠 )
1
銀薫炉(銀 の 球 形 香 炉 )
34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 17
天平十一年出雲国大税賑給歴名帳(支給を受けた人の名簿)
天平四年山背国愛宕郡計帳(徴税の基本台帳)
山背国宇治郡家地等売買寄進券文(家地等の売買と寄進の証文)
─
1
琥珀誦 数 ( 珠 数 )
白銅三鈷杵
─
2
柳箱( 珠 数 箱 )
16 15 15 14 13 12 11 10
緑地小四弁花文臈纈絁他(ろうけつ染めの布ぎれ)
黄綾几褥( 机 の 上 敷 き )
色氈(紅色 の フ ェ ル ト )
花氈(人物と花文様のフェルト)
麻布山水図
経師等請暇解・不参解他(写経生の休暇願・欠勤願など)
図書寮唐経 目 録 他
天平宝字六年山作所告朔解継文(石山寺山作所の報告書)
深密解脱経
巻一
那先比丘経
巻上
黒柿両面厨子(両面開きのキャビネット)
榻足几(小机)
榻足几(小机)
檜方几(献物の台)
密陀彩絵箱(絵模様の箱)
蘇芳地金銀絵花形方几
付褥(献物台と上敷き)
粉地彩絵箱(絵模様の箱)
・ 古裂の 貼 り 交 ぜ 屏 風
白綾几褥( 机 の 上 敷 き )
65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35
黄金荘大刀
黒作大刀
3
紅牙撥鏤尺(染め象牙のものさし)
2
白牙尺(象牙のものさし)
1
七條織成樹皮色袈裟(七条の袈裟)
瑇瑁八角杖 ( ベ ッ コ ウ の 杖 )
6
人参(くすり)
4
大黄(くすり)
5
大黄袋
(二)昭和六十年
出品目録
大魚骨笏( 鯨 の 骨 の 笏 )
8
五色龍歯(くすり)
紫鑛(くすり)
9
五色龍歯裹
7
人参袋
八角高麗錦 箱 ( 錦 貼 り の 鏡 箱 )
漆皮箱(金 銀 絵 の 鏡 箱 )
磁皿(二彩 の 皿 )
金銀山水八卦背八角鏡(銀貼りの八角鏡)
平螺鈿背八 角 鏡 ( ら で ん の 鏡 )
柳箱(革帯 の 箱 )
摩訶僧祇律
巻四〇
75 74 73 72 71 70 69 68 67 66
組紐
革帯(皮製 の ベ ル ト )
45
白瑠璃瓶( ガ ラ ス の 水 さ し )
漆胡樽(西 域 風 の 水 入 れ )
漆小樻
黒漆塗皿
黒漆塗椀
漆鉢
磁瓶(二彩 の 瓶 )
磁鉢(緑釉 の 鉢 )
水精誦数(水晶の数珠)
雑玉幡(玉つなぎの花皿)
犀角銀絵如意
延暦十二年六月十一日曝凉使解(虫干しの記録)
種々薬帳(くすりの献納目録)
芒消(くすり)
犀角器(くすり)
薬垸(くすりの容器)
18 17 16 15 14 13 12 11 10
40
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
41
仮斑竹笙
仮斑竹竽
螺鈿紫檀阮 咸
漆鼓
呉竹横笛
彫石尺八
漆柄香爐箱
白銅柄香爐
佐波理合子(さはりのふたもの)
赤漆柳箱
六角榲箱(鏡の箱)
十二支八卦背円鏡(十二支と八卦文の鏡)
八角榲匣(鏡の箱)
鳥獣花背円鏡(鳥獣花文の鏡)
金銅六曲花形坏(六花形のさかずき)
金銅花形合子(すかしぼりのふたもの)
斑犀把彩絵鞘金銀荘刀子(小刀)
斑犀把水角鞘刀子(小刀)
紫檀螺鈿把斑犀鞘金銀荘刀子(小刀)
藺筵
花氈(花柄 の フ ェ ル ト )
紫地錦覆
雑帯残欠( 組 み 帯 )
廿八足几
白綾几褥( 白 綾 の う わ し き )
赤地錦几褥(赤地錦のうわしき)
錦表黄氈心残欠(錦貼りのフェルト)
緑綾几帯
浅縹布(雪 の 絵 の 幕 )
花曼残欠
錦幡
八角天蓋
幡脚残片
紫地錦幡垂 飾 ( 幡 の 脚 の 飾 り )
縹地唐花文 錦
花鳥文夾纈絁(板締め染めのきれ)
小乗雑経帙(お経のつつみ)
五分律
巻十七(神護景雲経)
大宝積経
巻十一(天平経)
大方広十輪経
巻一(唐経)
漆挾軾(ひじかけ)
四重漆箱(小だんす)
粉地金銀絵八角几(献物の台)
粉地彩絵几(献物の台)
金銀平脱皮箱
漆彩絵花形皿
黒柿蘇芳染金銀山水絵箱
碧地金銀絵箱
密陀彩絵箱
鸚鵡臈纈屏風(ロウケツ染めの屏風)
鳥木石夾纈屏風(板締め染めの屏風)
鹿草木夾纈屏風(板締め染めの屏風)
密陀絵盆
密陀絵盆
磁皿(二彩の皿)
色氈(色染 め の フ ェ ル ト )
─
1
甘竹簫
藺箱(いぐ さ で 編 ん だ 箱 )
磁皿(二彩の皿)
77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48
─
2
甘竹簫 模 造
47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19
経師等不参解ほか(写経生の欠勤願ほか)
経師食米等納帳(写経生の食料等の受取り状)
安都雄足請油状ほか(油を請求した文書ほか)
大倭国正税帳(大和国の財政報告書)
陸奥国戸口損益帳(陸奥国の人口増減を記した文書)
造東大寺司移案(造東大寺司が発行した文書)
金地竜花文綴錦残欠
綴錦残片
紫地亀甲殿堂文錦
縹地唐草花鳥文夾纈絁
錦几褥
夾纈羅幡残欠
1
赤漆文欟木御厨子(ケヤキの厨子)
(三)昭和六十 一 年
出品目録
敷金銀雑色紙用残帳(写経用の装飾料紙の記録)
浄清所解(浄清所が出した文書)
弘仁二年九月廿五日勘物使解(宝物点検の報告書)
東大寺封戸庄園幷寺用雑物目録
相模国封戸租交易帳(相模国の封戸租についての報告書)
伊豆国正税帳(伊豆国の財政報告書)
2
牙笏(象牙 の 笏 )
御帯残欠(帯の貝かざり)
5
紅牙撥鏤尺(染象牙のものさし)
橡地臈纈絁 袍 残 欠
褐色絹裳
夾纈羅半臂
太孤児布衫
伎楽面
呉公
伎楽面
酔胡従
呉竹尺八
和琴残欠
斑竹横笛
呉竹笙
双六子箱
9
雑玉双六子 ( ガ ラ ス の 双 六 玉 )
8
双六頭相模国封戸租交易帳(相模国の封戸租についての報告書)
7
双六局(双 六 盤 )
雑色
紫皮裁文珠玉飾刺繍羅帯残欠(飾り付きの帯)
黒作大刀
黒作横刀(蕨手の刀)
鉾
鉾
鞆
鞆
箭(骨鏃箭)
漆葛胡禄(矢入れ)
箭(竹鏃箭)
槻弓
梓弓
御甲残欠
馬鞍(馬具)
越前国足羽郡庁牒(足羽郡庁が出した文書)
6
緑牙撥鏤尺(染象牙のものさし)
刺繍飾天蓋 残 欠
綬帯(組紐の帯)
灌頂天蓋骨
51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35
4
斑貝
豊前国上三毛郡塔里・加自久也里戸籍(豊前国の戸籍)
東大寺開田地図
越中国足羽郡道守村地図
34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23
3
斑犀把白牙 鞘 御 刀 子 ( 小 刀 )
83 82 81 80 79 78
22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
42
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
43
黄楊木把鞘 刀 子 ( 小 刀 )
4
目交絞纈絁帯(豆絞りの帯)
3
粉地彩絵倚几
6
白石鎮子
玄武・白虎(大理石のレリーフ)
5
緑薄絁覆(絁の被せぎれ)
水精長合子 ( 腰 か ざ り )
碧瑠璃小尺 ( 腰 か ざ り )
8
鳥木石夾纈屏風(板じめ染めの屏風)
斉衡三年雑財物実録(宝物点検の記録)
9
礼冠礼服目録断簡
7
白石鎮子
寅・卯(大理石のレリーフ)
雑色瑠璃(色ガラスのとんぼ玉)
曲玉
平螺鈿背円鏡(らでんかざりの鏡)
雑色瑠璃(色ガラスのねじり玉)
水精魚形( 腰 か ざ り )
77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52
比丘聴施経 ( 天 平 経 )
勝天王般若 波 羅 蜜 経 ( 唐 経 )
椿杖
丗足几(卯 日 杖 の 机 )
黄橡地花文 臈 纈 羅 残 片
漆花形箱
漆花形箱
檜花鳥彩絵 樻 ( ヒ ノ キ の 唐 櫃 )
黄銅合子( 塔 形 の ふ た も の )
金銅六角盤
刻彫梧桐金銀絵花形合子(花形のふたもの)
粉地彩絵几 ( 献 物 の 台 )
蘇芳地金銀 絵 箱 ( 献 物 箱 )
玳瑁螺鈿八角箱(らでんかざりの箱)
漆皮箱(鏡 箱 )
鳥獣花背円 鏡 ( 海 獣 葡 萄 鏡 )
漆皮箱(鏡 箱 )
錦半臂(錦の胴着)
夾纈布袍(板じめ染めの上着)
白絁腕貫(絹の腕カバー)
布早袖(麻の肩覆い)
白組帯
布袍(麻の上着)
組帯
幡垂脚(幡の垂れさがり)
水晶誦珠(数珠)
雑玉誦珠(数珠)
赤銅柄香炉(柄つきの香炉)
赤銅合子(香合)
刻彫蓮華仏座(仏像の台座)
七條刺納樹皮色袈裟(七条の袈裟)
白石火舎(大理石の香炉)
全浅香(香木)
赤漆六角小櫃(冠の箱)
赤漆八角小櫃(冠の箱)
2
子日目利箒(儀式用の玉かざり箒)
1
漆胡瓶(ペ ル シ ャ 風 の 水 さ し )
(四)昭和六十 二 年
出品目録
春宮坊移ほか(春宮坊が出した公文書ほか)
夾纈羅方形裂(板じめ染めのきれ)
黄地雲鳥花文臈纈羅(ロウケツ染めのうすもの)
浅緑地錦几褥(机のうわしき)
成唯識論(平安時代寛治二年経)
32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
漆皮箱
筆
筆
筆
青斑石硯
吹絵紙
絵紙
絵紙
色麻紙(染 め 紙 )
花氈(フェ ル ト の し き も の )
東大寺近江 国 水 田 地 図
因幡国高庭 庄 関 係 文 書
下総国葛飾郡大嶋郷戸籍(下総国の戸籍)
遠江国浜名郡輸租帳(遠江国の田租の明細帳)
経帙関係文 書
牒箋并勘籍 文 書
紙充帳ほか(写経用紙の支給記録ほか)
十地経論
巻二(隋経)
浄飯王般涅槃経(称徳天皇の御願経)
深密解脱経
巻二(光明皇后の御願経)
経帙牌(お経のつつみの名札)
経帙牌(お経のつつみの名札)
大乗雑経帙(お経のつつみ)
漆合子(ふたもの)
鏁子(錠と鍵)
鏁子(錠と鍵)
赤漆密陀絵雲兎形櫃(からびつ)
磁皿(二彩の埦)
磁皿(白釉の皿)
粉地花形方几(献物の台)
密陀絵皮箱
銀壺
蘇芳地金銀絵箱
漆皮箱(鏡箱)
1
鳥毛立女屏風(鳥毛貼の屏風)
(五)昭和六十三年
出品目録
4
青斑鎮石(青斑石のおもし)
2
白石鎮子
辰・巳(大理石のレリーフ)
3
白石鎮子
戌・亥(大理石のレリーフ)
7・8
漆小櫃・漆小几
6
棚厨子(収納棚)
平螺鈿背八 角 鏡 ( ら で ん の 鏡 )
花氈(フェルト)
9
白橡綾几褥(机の敷物)
5
赤漆小櫃(青斑鎮石の容器)
漆皮箱(鏡 箱 )
履
山水花虫背 円 鏡
革帯(革の ベ ル ト )
─
2
赤漆履 箱
赤漆葛箱
─
1
衲御礼 履 ( 儀 式 用 の く つ )
墨
墨
61 60 59 58 57 56 55 54 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33
白墨
78 77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62
鳥獣花背円 鏡 ( 海 獣 葡 萄 鏡 )
漆皮箱(鏡 箱 )
漆皮鏡箱
平螺鈿背円鏡(らでん飾りの鏡)
12 11 10
44
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
45
螺鈿槽箜篌(らでん飾りの竪琴)
僧綱牒ほか(僧綱所が出した文書ほか)
経巻納櫃帳
具注暦(こ よ み )
駿河国正税帳(駿河国の財政報告書)
筑前国嶋郡 川 辺 里 戸 籍
雑物出入継文(宝物出入の記録)
東大寺開田 地 図
越前国足羽郡糞置村
金銀絵鏡箱
鉄漫背鏡( 素 文 の 鏡 )
漆皮鏡箱
鳥獣花背円 鏡
犀角坏
柳箱
白葛箱
斑犀把白牙鞘刀子(小刀)
斑犀把漆鞘銀漆荘刀子(小刀)
銅剪子(はさみ)
金銅火舎(香炉)
金銅合子(ふたもの)
金銅大合子(ふたもの)
佐波理水瓶(水差し)
錦残片(錦の貼交ぜ屏風)
幡脚残片
桧和琴(大 和 琴 )
新羅琴
復元箜篌
紺玉帯(玉飾りの革帯)
淡緑瑠璃魚形(腰かざり)
琥珀魚形(腰かざり)
犀角魚形(腰かざり)
57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42
銀平脱合子 ( 琴 柱 や 絃 の 容 器 )
24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13
牙横笛(象 牙 の 横 笛 )
牙尺八(象 牙 の 尺 八 )
螺鈿玉帯箱
復元紺玉帯
41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25
幡垂端飾( 幡 の 脚 の 留 め 飾 り )
黄絁袋
錦天蓋
組帯
錦帯
伎楽面
酔胡従
伎楽面
酔胡王
伎楽面
呉公
布作面
布作面
紫綾半臂( 綾 の 胴 着 )
笛吹袍(楽 舞 用 の 上 着 )
仮作黒柿長方几(献物台)
粉地金銀絵八角長几(献物台)
金銀絵木理箱
白檀八角箱
漆彩絵花形皿
貝匙
佐波理匙
佐波理皿
漆胡樽(皮袋形の水樽)
佐波理加盤(かさねわん)
金銅小盤(足つきの皿)
金銅八曲長坏(花形のさかずき)
70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58
大毗婆沙論
巻第百七十(唐経)
賢劫経
巻第九(隋経)
臈纈絁袴(ろうけつ染の絹の袴)
・ 錦半臂(錦の胴着)
臈纈絁襖子(ろうけつ染の絹の服)
(六)平成元年
出品目録
錦半臂
赤地錦残欠
布衫(麻の下着)
1
金銀平脱八 花 鏡
28 27 26
鉄針(儀式 用 の 針 )
9
鉄針(儀式 用 の 針 )
8
銅針(儀式 用 の 針 )
7
黄縷(儀式 用 の 紐 )
白石塔(大理石の小塔)
磁塔(三彩の小塔)
羅幡
綾天蓋
伎楽面
酔胡従
伎楽面
酔胡従
錦襪(錦の靴下)
緑麻紙針裹 ( 針 の つ つ み 紙 )
梵網経
組帯
御床(寝台 )
檜金銀絵経筒(お経のいれもの)
3
八角榲箱( 鏡 箱 )
御床畳(寝 台 用 の 畳 )
竹帙(お経のつつみ)
布幞(麻の風呂敷)
御床褥(寝 台 の 敷 物 )
斑藺帙(お経のつつみ)
4
漫背円鏡( 素 文 の 鏡 )
御床覆(寝 台 の お お い )
伎楽面
崑崙
白練綾大枕
錫杖
─
1
柿柄麈尾
漆鼓(鼓の 胴 )
鉄方響(打 楽 器 )
─
1
鯨鬚金銀絵如意(鯨のひげの如意)
玳瑁如意(ベッコウの如意)
─
2
黒柿蘇芳染金銀絵如意箱
鉄三鈷(武器形の法具)
銅薫爐(香炉)
素木三鈷箱
木笏
縹地 大 唐 花 文 錦
錦琵 琶 袋
─ 琵琶袋残欠
楽鉾(舞楽 の 鉾 )
白氈 心
武王大刀( 舞 楽 の 大 刀 )
23 22 21
23
─
2
漆麈尾箱
金銀花盤( 花 形 の 皿 )
玉尺八(石 製 の 尺 八 )
6
子日手辛鋤 ( 儀 式 用 の 鋤 )
52 51 50 49 48 48 47 46 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30
5
銀平脱八稜 鏡 箱
2
漫背八花鏡 ( 素 文 の 鏡 )
29
29 28
72 71
21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
25 24
46
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
47
魚骨笏
1
東大寺献物帳
国家珍宝帳(献物品の目録)
(七)平成二年
出品目録
2
紫地鳳形錦御軾(ひじつき)
斑犀尺(も の さ し )
斑犀小尺( 腰 飾 り )
4
挾軾褥(ひじつきのうわしき)
5─
1
鳥草夾纈屏風(板じめ染めの屏風)
3
紫檀木画挾軾(ひじつき)
漆瓶龕(瓶 形 の い れ も の )
6
揩布屏風袋(摺絵の屏風袋)
5─
2
鳥草夾纈屏風(板じめ染めの屏風)
青斑石鼈合子(スッポン形のふたもの)
紫檀小架
雑様手実帳 ( 請 負 い 契 約 書 )
東大寺鋳鏡用度注文(鏡の鋳造見積書)
経疏出納帳(経典の貸出し記録)
奴婢進上文 書
御野国味蜂間郡春部里戸籍(美濃国の戸籍)
和泉監正税帳(和泉国の財政報告書)
大粮申請継文(役所の給与請求文書)
暈繝錦几褥 ( 錦 の 敷 物 )
粉地銀絵花 形 几 ( 献 物 台 )
金銀絵長花 形 几 ( 献 物 台 )
黒柿蘇芳染 花 形 台 ( 献 物 台 )
赤漆欟木小 櫃 ( け や き の 櫃 )
漆櫃
紫檀小櫃
金銀絵漆皮 箱
籠箱(献物 箱 )
磁鉢(緑釉の鉢)
銀鉢
銀合子(ふたもの)
牙櫛(象牙の櫛)
黄瑠璃小尺(腰かざり)
瑪瑙玉(腰かざり)
水精玉(腰かざり)
瑪瑙坏(さかずき)
白瑠璃碗(カットグラスの碗)
花氈(フェルトの敷物)
漆皮鏡箱
雲鳥飛仙背円鏡
鳥獣花背八稜鏡
平螺鈿背円鏡(らでんの鏡)
深緑絁阮咸袋
桑木阮咸
9
紅牙撥鏤撥(染め象牙のバチ)
8
螺鈿紫檀琵琶
阿闍世王経
巻上
磁皿(二彩の皿)
7
紅牙撥鏤尺(染め象牙のものさし)
濡首菩薩無 上 清 浄 分 衛 経
巻下
沈香木画箱 ( モ ザ イ ク の 箱 )
観仏三昧経
巻第七
柿厨子(も の い れ )
紫檀木画箱 ( モ ザ イ ク の 箱 )
銀平脱龍船 墨 斗 ( す み つ ぼ )
81 80 79 78 77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53
磁皿(二彩の碗)
玉長坏(さかずき)
28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
48
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
赤絁襪(絹の靴下)
漆皮箱
組帯
組帯
模造
密陀絵盆
密陀絵盆
漆花形皿
59 58
墨絵弾弓
57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29
赤漆欟木胡 床 ( 儀 式 用 の 椅 子 )
投壺矢
投壺(投げ 矢 の 壺 )
夾纈羅几褥(文様染めの机のうわしき)
緑綾黄綾氈心褥(毛氈入りの綾の敷物)
組帯・組紐
─
1
香印押型盤(香印の押型)
漆金薄絵盤(香印座)
─
2
黒漆塗平盆(香具)
山背国愛宕郡出雲郷雲下里計帳(徴税の基本台帳)
御物納目散帳(唐櫃収納宝物の目録など)
薬壺
無食子(く す り )
雄黄(くす り )
白牙把鞘刀子(小刀)
沈香把鞘金銀花鳥絵金銀珠玉荘刀子(小刀)
十合鞘御刀子(小刀)
銅漆作大刀
金銀鈿荘唐大刀(儀式用の大刀)
粉地木理絵長方几(献物台)
黄楊木几(献物台)
碧地金銀絵箱(献物箱)
越前国郡稲帳(郡稲の収支決算書)
大薩遮尼乾子経
巻第一(唐経)
檳榔木画箱(献物箱)
写経司啓ほか(写経司の報告書ほか)
─
1
遠志( く す り )
造東大寺司告朔解(造東大寺司の報告書)
大比丘三千威儀
巻上(光明皇后発願経)
宝星陀羅尼経
巻第一(称徳天皇発願経)
1
七條刺納樹皮色袈裟
(八)平成三年
出品目録
2
御袈裟幞袷(袈裟のつつみ)
伎楽面
波羅門
伎楽面袋
4
御袈裟箱袋
6
仮斑竹杖(竹のつえ)
5
玳瑁杖(ベッコウのつえ)
3
御袈裟箱
白絁袴(絹 の 袴 )
緑綾袍(綾 の 上 着 )
緑地錦接腰 ( 錦 の 脚 覆 い )
緑地錦半臂 ( 錦 の 胴 着 )
伎楽面
酔胡従
伎楽面
太孤父
僧綱牒・東大寺地相換記(土地交換文書)
東大寺開田地図(東大寺の寺領絵図)
─
2
遠志袋 ( く す り の 袋 )
古櫃
榻足几(置 物 用 の 台 )
漆高机(儀 式 用 の 机 )
79 78 77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 67 66 65 64 61 60
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
49
錦貼交屏風
緑地錦覆
組紐
紫地鳥獣連 珠 円 文 錦
錦襪(くつ し た )
繍線鞋(刺 繍 の く つ )
浅緑地絞纈絁衣服(しぼり染めの衣服)
緋地臈纈絁袍(ろうけつ染めの上着)
袈裟付木蘭染羅衣(儀式用の衣)
錦半臂(胴 着 )
浅紅布(調 布 )
白布(調布 )
華厳経論帙 ( お 経 の つ つ み )
沈香末塗経 筒
平脱鳳凰頭
灌頂天蓋骨
方計天蓋
羅道場幡
金銅幡
漆金銀絵仏 龕 扉 ( 厨 子 の 扉 )
佐波理皿
磁皿(二彩 の 碗 )
磁皿(二彩 の 平 鉢 )
磁皿(二彩 の 大 皿 )
磁鉢(二彩 の 鉢 )
漆合子(ふ た も の )
9
赤銅合子( ふ た も の )
8─
2
素木如 意 箱
8─
1
斑犀如意(サイの角の如意)
7
玳瑁竹形如意(ベッコウの如意)
筆
仮斑竹箱(墨の箱)
墨
墨
斑犀把緑牙撥鏤鞘金銀荘刀子(小刀)
沈香把鞘金銀珠玉荘刀子(小刀)
檜八稜長几(献物台)
粉地彩絵長方几(献物台)
金銀平脱皮箱
赤漆柳箱
彫石横笛
紫檀槽四絃琵琶
螺鈿紫檀五絃琵琶
紫檀木画双六局(すごろく盤)
桑木木画棊局(モザイクの碁盤)
花氈(フェルトの敷物)
花氈(フェルトの敷物)
銀平脱鏡箱
白銅漫背鏡
八角榲箱(鏡箱)
鳥獣背八花鏡
鏁子(錠と鍵)
鏁子(錠と鍵)
赤漆桐小櫃
佐波理皿
榻足几(小づくえ)
棚厨子(収納棚)
鳥毛帖成文書屏風
鳥毛篆書屏風
錦貼交屏風
36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 14 13 12 11 10
65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 15 41 40 39 38 37
過去現在因 果 経
巻第四
宝雲経
巻第一
過去荘厳劫 千 仏 名 経
巻上(光明皇后発願経)
東大寺印蔵 文 書 目 録
百部法華経充紙帳(写経用紙の配給記録)
造東大寺司牒(造東大寺司が出した文書)
経師等手実 ( 写 経 生 の 報 告 書 )
周防国正税帳・長門国正税帳(決算報告書)
右京計帳( 徴 税 の 基 本 台 帳 )
白葛箱(筆 の 箱 )
椰子実
筆
白綾几褥(うわしき)
紫綾臈纈絁継分裳
夾纈羅半臂(板締め染めの胴着)
絞纈布袍(しぼり染めの上着)
香染絁袍(絹の上着)
水角把沈香鞘金銀山水絵金銀珠玉荘刀子(小刀)
青石把漆鞘金銀鈿荘刀子(小刀)
鉾
鉾
黒作大刀(黒鞘の大刀)
無荘刀
金銀鈿荘唐大刀(金銀飾りの大刀)
4
赤漆六角小 櫃 ( 冠 の 箱 )
3
冠架
2
赤漆八角小 櫃 ( 冠 の 箱 )
1
御冠残欠
(九)平成四年
出品目録
革帯
革帯
斑犀偃鼠皮御帯残欠(革帯の飾り)
組紐
刺繍羅帯
夾纈羅幡
孔雀文刺繍幡
─
1
山水夾纈屏風(板締め染めの屏風)
─
2
山水夾纈屏風(板締め染めの屏風)
─
1
樹木羊臈纈屏風(ろうけつ染めの屏風)
白葛胡禄( 矢 入 れ )
漆葛胡禄( 矢 入 れ )
槻弓
梓弓
障泥
円鏡
漆皮箱(鏡箱)
槃龍背八花鏡
色氈(フェルトのしきもの)
花氈(フェルトのしきもの)
揩布屏風袋
─
2
樹木象臈纈屏風(ろうけつ染めの屏風)
鞆
馬鞍
9
木尺(木の も の さ し )
7
通天牙笏( 象 牙 の 笏 )
8
紅牙撥鏤尺(染め象牙のものさし)
6
延暦十二年六月十一日曝凉使解(宝物の点検記録)
赤地錦几褥(うわしき)
44 43 42 41 40 39 38 38 37 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17
5
冠架
77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66
16 15 14 13 12 11 10
50
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
51
墨画仏像( 麻 布 菩 薩 )
山水図(麻 布 山 水 )
優婆塞戒経
巻第二(称徳天皇勅願経)
仏説如幻三昧経
巻第一(天平十二年御願経)
2
白石板(大理石のレリーフ)
1
鳥毛篆書屏風(鳥毛の文字屏風)
─
1
琥珀誦 数
4
銀平脱鏡箱
3
平螺鈿背円鏡(らでんの鏡)
(十)平成五年
出品目録
─
2
亀甲形 漆 箱 ( 数 珠 箱 )
銀盤
銀壺
白葛箱
木画紫檀棊局(碁盤)
9
檜和琴(やまとごと)
8
新羅琴櫃(琴の箱)
7
新羅琴
6
漆皮鏡箱
5
鳥獣花背方鏡(海獣葡萄鏡)
朽木菱形木 画 箱 ( 献 物 箱 )
漆皮箱
─
2
漆皮箱 ( 数 珠 箱 )
─
1
水精誦 数
黄銅柄香炉
75 74
錫杖
犀角如意
73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 51 50 50 49 48 47 46 45
楓蘇芳染螺 鈿 槽 琵 琶
檜方几(献 物 台 )
粉地彩絵八 角 几 ( 献 物 台 )
緑地彩絵箱 ( 献 物 箱 )
白棊子(碁石)
紺牙撥鏤棊子(染象牙の碁石)
紅牙撥鏤棊子(染象牙の碁石)
棊局龕(碁盤の箱)
─
1
銀平脱合子(碁石のいれもの)
黒棊子(碁石)
造石山寺所牒ほか(造石山寺所の文書)
随求壇所解(随求壇所の報告書)
経師等月借銭解(写経生の借金申込書)
隠岐国正税帳(隠岐国の決算報告書)
御野国加毛郡半布里戸籍(美濃国の戸籍)
式部省移ほか(中央官庁の給与請求文書)
呉竹竽
樺纒尺八
厚朴袋
厚朴(くすり)
白龍骨裹
白龍骨(くすり)
種々薬帳(薬の献納目録)
延暦六年曝凉使解(宝物の点検記録)
色麻紙
色麻紙
杜家立成(光明皇后御書)
─
2
銀平脱合子(碁石のいれもの)
摂津国家地売買公験案(家地売買の証文)
・ 七絃楽 器
紫檀金銀絵 琵 琶 撥
25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 16 15 14 13 12 11 10
大智度論
巻第三十八(隋経)
63
52
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
人参(くす り )
芫花袋
芫花(くす り )
甘草裹
冶葛壺
甘草(くす り )
冶葛(くす り )
水精玉(水晶玉)
瑪瑙坏(メノウのさかずき)
瑠璃玉原料(ガラス玉の原料)
碧瑠璃(緑ガラスのかざり玉)
未用荘玉(未使用のガラス玉)
露玉(色ガラスのかざり玉)
雑色瑠璃(色ガラスの丸玉)
磁皿(二彩の皿)
山背国愛宕郡郷里未詳計帳(徴税の基本台帳)
臈蜜袋
出雲国計会帳(公文書授受帳)
磁皿(二彩の碗)
小香袋(に お い 袋 )
造仏所作物帳(興福寺西金堂の造営記録)
密陀彩絵箱(花鳥文様の箱)
彩絵水鳥形
造東大寺司牒(造東大寺司が出した文書)ほか
─
1
丹
撥鏤飛鳥形
宇治使解ほか(石山寺造営に関する文書)
蘇芳地彩絵箱(草花文様の箱)
斑犀把漆鞘黄金葛形珠玉荘刀子(小刀)
金光明教
巻第四(唐時代の写経)
─
2
丹
黄牙彩絵把紫牙撥鏤鞘金銀荘刀子(小刀)
漆金薄絵盤(香印坐)
紫絁袍(上 着 )
如来興顕経
巻第一(光明皇后御願経)
一切智光明仙人慈心因縁不食肉経(称徳天皇御願経)
1
百索縷軸(やくよけの糸巻)
(十一)平成六年
出品目録
2
二十八足几(多足の机)
纐纈絁幔残 片 ( 絞 り 染 め の 幕 )
白瑠璃高坏 ( ガ ラ ス の 高 坏 )
4
白犀把鞘金銀荘刀子(小刀)
6
烏犀把白牙鞘金銀荘刀子(小刀)
5
斑犀把紅牙撥鏤鞘刀子(小刀)
3
御杖刀(仕込み杖)
雑色瑠璃( 色 ガ ラ ス の 丸 玉 )
雑色瑠璃(色ガラスのねじり玉・くちなし玉)
雑色瑠璃( 色 ガ ラ ス の 丸 玉 )
雑色瑠璃(色ガラスのとんぼ玉)
白綾帳(綾織りのとばり)
白綾褥(敷 物 )
黄布袍(上 着 )
紫地錦几褥 ( 敷 物 )
─
1
犀角杯
─
2
漆小几(小櫃の台)
─
1
漆小櫃
74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 61 60 59 58 57 56 55 54
─
2
犀角杯
臈蜜(くす り )
人参袋
53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 37 36 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
53
組帯
紫地錦几褥 ( 机 の う わ し き )
灌頂幡垂脚
黒柿両面厨子(両面開きの戸棚)
榻足几(台 机 )
蘇芳地六角 几 ( 献 物 用 の 台 )
黒柿蘇芳染金絵長花形几(献物用の台)
碧地彩絵几 ( 献 物 用 の 台 )
檜花鳥墨絵 櫃 ( 花 鳥 文 様 の 櫃 )
黒柿蘇芳染 小 櫃
紫檀木画箱 ( モ ザ イ ク の 箱 )
楩楠箱(ク ス ノ キ の 箱 )
黄楊木金銀 絵 箱 ( 献 物 用 の 箱 )
朴木粉絵高 杯 ( 高 脚 付 の 皿 )
金銅大合子(塔形のつまみのふたもの)
紫檀金鈿柄香炉(柄つきの香炉)
雑玉幡(玉 つ な ぎ の 編 み も の )
緑金箋(花 弁 形 の い ろ が み )
花籠(散花 の 竹 籠 )
花籠(散花 の 竹 籠 )
花籠(散花 の 竹 籠 )
刻彫蓮華仏 座 ( 蓮 華 座 )
漆仏龕扉( 厨 子 の と び ら )
仏像型
金光明最勝王経帙(お経のつつみ)
9
勅書銅板(銅板に刻まれた聖武天皇の願文)
8
東大寺山堺勅定(東大寺の寺域をしるした文書)
金銅水瓶(水さし)
箜篌(ハープ)
磁鼓(三彩のつづみ)
刻彫尺八
尺八
漆皮八角箱(鏡箱)
花背六花鏡
金銀絵漆箱(鏡箱)
漆皮箱(鏡箱)
山水人物鳥獣背円鏡
平螺鈿背八花鏡(らでんの鏡)
詩序
白布
履(くつ)
錦履(くつ)
紫綾勒肚巾(楽舞用の帯)
布衫(麻布の下着)
布袍(薄い麻布の上着)
絞纈布袍(絞り染めの麻布の上着)
緋絁鳥兜(舞楽用の絹のかぶりもの)
布虎兜(楽舞用の麻布のかぶりもの)
金薄絵馬頭(楽舞用の駒形)
布作面(楽舞用の布の面)
布作面(楽舞用の布の面)
東南院古文書
第三櫃第二巻(伊賀国玉滝杣関係文書)
正倉院古文書
続々修第一帙第三巻(一切経校生等手実)
正倉院古文書
続修後集第一巻(市原宮御願経関係文書)
正倉院古文書
塵芥文書第三十二巻(常陸国戸籍)
正倉院古文書
続修第十三巻(隼人計帳)
国正税帳)
正倉院古文 書
正集第六巻(越前国司牒、生江息嶋解ほか)
7
東大寺山堺四至図(東大寺の寺域図)
正倉院古文書
正集第四十三巻(筑後国正税帳、豊後国戸籍、薩摩
36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37
一切経音義
巻第六残巻
五分律
巻第四(称徳天皇勅願経)
称揚諸仏功 徳 経
巻中(光明皇后御願経)
紺瑠璃壺( ガ ラ ス の 壺 )
紺瑠璃坏( ガ ラ ス の さ か ず き )
銀提子(銀の手鍋形のいれもの)
金銅八曲長坏(花形のさかずき)
金銅幡(その一のみ)
粉地彩絵八角几
蘇芳地金銀絵箱
密陀絵皮箱
玳瑁竹形如意(ベッコウの如意)
密陀彩絵箱
赤銅柄香炉
9
楽毅論(光 明 皇 后 御 書 )
8
天平宝字二年六月一日献物帳(大小王真跡帳)
7
紫檀木画双 六 局 ( す ご ろ く 盤 )
布早袖(布の肩覆い)
貫頭布衫(布のしたぎ)
布衫(布のしたぎ)
布袍(布のうわぎ)
花氈
古櫃
詩序(王勃 の 文 集 )
慶長櫃
犀角把白銀葛形鞘珠玉荘刀子(小刀)
布半臂(布の胴着)
布前裳(布の前掛け)
1
鳥木石夾纈屏風(板締染めの屏風)
青斑石硯
布袴
(十二)平成七 年
出品目録
墨
白絁腕貫(絹の腕カバー)
紺地錦幡
墨
女舞接腰(錦の足覆い)
孔雀文刺繍幡残欠
筆
布襪(布のくつした)
2
鳥草夾纈屏風(板締染めの屏風)
筆
布襪(布のくつした)
錦縁飾残欠
筆
布襪(布のくつした)
3
象木臈纈屏風(ろうけつ染めの屏風)
墨画仏像( 麻 布 菩 薩 )
金銀山水八卦背八花形鏡(銀貼りの鏡)
大幡垂脚端飾錦
仏像型
銀平脱八花形鏡箱
4
羊木臈纈屏風(ろうけつ染めの屏風)
漆金銀絵仏 龕 扉 ( 厨 子 の 扉 )
大幡垂脚端飾錦
銀壺
6
紅牙撥鏤尺(染め象牙のものさし)
古櫃
51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22
5
麻布山水図
72 71 70 69 68 67 66
21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
54
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
55
漆胡樽(西 域 風 の 水 入 れ )
平螺鈿背円 鏡 ( ら で ん の 鏡 )
6
白石板
子・丑(大理石のレリーフ)
5
青斑鎮石
8
吹絵紙
絵紙
9
吹絵紙
7
吹絵紙
伎楽面
呉女
緑瑠璃十二曲長坏(色ガラスのさかずき)
伎楽面
酔胡従
白瑠璃碗( カ ッ ト グ ラ ス の 碗 )
75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52
四分律
巻第十九(唐経)
四分律
巻第二十一(光明皇后御願経)
賢劫経
巻第一(隋経)
東南院古文 書
第三櫃第十一巻(越前国使解)
続々修正倉 院 古 文 書
第四十六帙第五巻(人名雑文)
続修正倉院 古 文 書 別 集
第十巻(大安寺三綱牒ほか)
続修正倉院 古 文 書 後 集
第三十二巻(田上鎰懸山作所告朔解)
続修正倉院 古 文 書
第十六巻(皇后宮職移ほか)
続修正倉院 古 文 書
第九巻(近江国志何郡計帳手実)
続修正倉院 古 文 書
第七巻(豊前国仲津郡丁里戸籍)
正倉院古文 書 正 集
第三十五巻(備中国大税負死亡人帳ほか)
正倉院古文 書 正 集
第二十五巻(御野国山方郡三井田里戸籍)
正倉院古文 書 正 集
第八巻(具注暦)
正倉院古文 書 正 集
第三巻(大粮申請文書)
伎楽面
呉公
伎楽面
崑崙
続修正倉院古文書
第三十三巻(造仏所作物帳)
正倉院塵芥文書
第二十九巻(東大寺盧舎那仏開眼会供奉僧名帳)
正倉院古文書正集
第二十九巻(但馬国正税帳、因幡国戸籍)
正倉院古文書正集
第二十一巻(下総国戸籍)
正倉院古文書正集
第十一巻(山背国愛宕郡出雲郷雲上里計帳)
未造着軸(巻物の軸)
未造着軸(巻物の軸)
未造着軸(巻物の軸)
未造着軸(巻物の軸)
未造着軸(巻物の軸)
未造着軸(巻物の軸)
未造着軸
付:残欠一枚(巻物の軸)
紫檀螺鈿把斑犀鞘金銀荘刀子(小刀)
小三合水角鞘御刀子(三本組の小刀)
緑牙撥鏤把鞘御刀子(小刀)
絵紙
付:蠟燭文書
十三巻
正倉 院 塵 芥 文 書
雑 張 第 一 冊( 東 大 寺 盧 舎 那 仏 開 眼 会 供 奉 僧 名 帳 )
続々修正倉院古文書
第三十八帙第八巻(大神宮飾金物注文ほか)
4
銀薫爐(香 炉 )
3
繍線鞋(刺 繍 か ざ り の く つ )
2
屏風花氈等帳(屏風や花氈などの献物帳)
1
七條織成樹皮色袈裟(綴織の袈裟)
(十三)平成八 年
出品目録
密陀絵盆
刻彫梧桐金銀絵花形合子(花形のふたもの)
刻彫梧桐金銀絵花形合子(花形のふたもの)
檜八角長几(献物用の台)
檜長方几(献物用の台)
法花決釈記
巻第四
菩薩投身餓虎起塔因縁経(称徳天皇勅願経)
27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
33 32 31 30 29 28
紺夾纈絁几 褥 ( 板 締 染 の 敷 物 )
縹臈纈布袋(ろうけつ染の布の袋)
紫地菱文綴 織
浅紅地亀甲花文臈纈羅(匂い袋の残片)
花葉彩絵絁 ( 匂 い 袋 の 残 片 )
花鳥彩絵白 布 ( 匂 い 袋 の 残 片 )
花鳥文染絁 ( 文 様 染 の 平 絹 )
長斑錦御軾(錦貼りのひじかけ)
蓮華残欠( 仏 前 の 供 養 具 )
漆挾軾(ひ じ か け )
密陀絵盆
大方広仏華厳経
巻第十七(称徳天皇勅願経)
法句譬喩経
巻第一(光明皇后御願経)
大般涅槃経集解
巻第十二(唐経)
漆鼓
横笛
竽
紫檀木画槽琵琶
螺鈿紫檀阮咸
貝匙
碧地金銀絵箱(献物用の箱)
粉地彩絵箱(献物用の箱)
瑇瑁螺鈿八角箱(螺鈿かざりの箱)
御帯残欠(貝かざりの帯)
彩絵布半臂 ( 描 絵 の 胴 着 )
2
臈纈屏風
鸚鵡(ろうけつ染めの屏風)
1
七條褐色羅袈裟(羅の七条けさ)
灌頂幡身残 片 ( 幡 の 残 片 )
4
天平宝字二年十月一日献物帳(藤原公真跡屏風帳)
3
臈纈屏風
熊鷹(ろうけつ染めの屏風)
(十四)平成九年
出品目録
金銅鳳凰形裁文(鳳凰文様のかざり)
7
出蔵帳(聖武天皇御結納品等出蔵目録)
8
出入帳(宝物出入の記録)
6
色氈(フェルトのしきもの)
金銅水鳥形裁文(水鳥形のかざり)
金銅鳳凰形裁文(鳳凰形のかざり)
正倉院古文書正集
第三十二巻(出雲国大税賑給歴名帳)
9
正倉院古文書正集
第四十二巻(豊後国正税帳)
5
花氈(フェルトのしきもの)
金銅鴛鴦形裁文(オシドリ形のかざり)
金銅鎮鐸
金銅円形虎裁文(動物形のかざり)
金銅鎮鐸
金銅花形裁文 (花文様のかざり)
紫皮裁文珠玉飾刺繍羅帯残欠(かざり付きの帯状ぎれ)
斑貝
63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34
赤布幡残欠 ( 麻 布 製 の 幡 )
75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64
平螺鈿背八花鏡(螺鈿かざりの鏡)
平螺鈿背円鏡(螺鈿かざりの鏡)
金銅磬形裁文(唐草文様のかざり)
続修正倉院古文書後集
第四十二巻(民部省三月粮文ほか)
続修正倉院古文書後集
第三十三巻(造東大寺司告朔解案)
続修正倉院古文書後集
第二巻(讃岐国戸籍)
正倉院古文書正集
第二十二巻(御野国味蜂間郡春部里戸籍)
綬帯(組紐の帯)付
組紐
漆皮鏡箱
─
1
雑色
東南院古文書
第四櫃附第六巻(十市郡司売買地券文解ほか)
黒漆鏡箱
花鳥背八花 鏡 ( 花 鳥 文 様 の 鏡 )
16 15 14 13 12 11 10
56
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
57
─
2
黄瑠璃 小 尺 ( 腰 か ざ り )
─
1
碧瑠璃 小 尺 ( 腰 か ざ り )
─
3
黄楊木 把 鞘 刀 子 ( 小 刀 )
─
2
水精長 合 子 ( 腰 か ざ り )
漆皮箱(鏡箱)
花鳥背円鏡(花鳥文様の鏡)付
緋絁帯・題箋
漆皮箱(鏡箱)
平螺鈿背円鏡(らでんかざりの鏡)
漆四合香箱残欠
漫背円鏡(素文の鏡)付
緒
─
1
漆花形箱
緑地錦几褥 ( 机 の う わ し き )
沈香木画箱(献物箱)
黒柿蘇芳染金銀山水絵箱(献物箱)
四重漆箱(こだんす)
─
2
漆花形箱
十二支彩絵 布 幕
龍図(十二支の幕)
─
1
粉地彩絵几(献物机)
─
2
白橡綾几褥(机のうわしき)
彫石尺八
華鬘残欠
雑帯(組み も の の 帯 )
縹纐纈布袍 ( 絞 り 染 め の 上 着 )
錯(工匠具)
刀子(工匠具)
鉇(工匠具)
鑽(工匠具)
打鑽(工匠具)
多賀禰(工匠具)
多賀禰(工匠具)
桑木木画碁局(寄木細工の碁盤)
檜和琴
付
瑇瑁絵
庖丁
紫檀金銀絵書几残欠(書見台)
椿杖(卯日 の 儀 式 用 の 杖 )
三十足几( 卯 日 の 儀 式 用 の 机 )
─
1
赤緑継 分 綾 残 片
黄地花文臈纈羅残片(卯日の儀式の机の覆い)
─
1
全浅香(香木)
黄熟香(香木)
木香
─
2
牙牌(象牙の札)
漆柄麈尾( 仏 具 )
─
2
丁香袋
付
木牌
─
1
丁香
麝香皮
金銅花形合子(すかしぼりのふたもの)
白銅三鈷杵 ( 仏 具 )
金銅柄麈尾 ( 仏 具 )
漆錫杖箱
錫杖(仏具 )
瑇瑁八角杖 ( べ っ こ う の 杖 )
─
2
赤緑継 分 綾 残 片
─
2
緋絁模 造
─
1
緋絁
十二支彩絵 布 幕
鶏図(十二支の幕)
─
2
黒作大 刀 模 造
─
1
黒作大 刀
水精魚形( 腰 か ざ り )
66 66 65 64 63 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 51 50 49 48 47 47 46 45 44 43 42 41
呉竹鞘御杖 刀 ( し こ み 杖 )
40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 25 24 24 23 22 21 20 20 19 18 17 17 16 16
白石火舎( 大 理 石 の 香 炉 )
佐波理合子 ( 香 合 )
裛衣香
御書箱
雑集(聖武天皇の御書)
牙笏(象牙の笏)
正倉院古文書正集
第三十八巻(筑前国嶋郡川辺里戸籍)
続修正倉院古文書
第二巻(御野国加毛郡半布里戸籍ほか)
弘仁二年勘物使解(宝物点検の記録)
大乗阿毘達 磨 雑 集 論
巻第十一(唐経)
─
1
白銅柄香炉(柄つきの香炉)付
心葉形
大集月蔵分
巻第六(光明皇后御願経)
続々修正倉院古文書
第三十五帙第五巻(常疏紙充帳・紙背は下総
水精双六子 ( 水 晶 の 双 六 駒 )
9
双六頭(象 牙 の さ い こ ろ )
8
双六頭(象 牙 の さ い こ ろ )
7
双六子箱( 双 六 駒 の 箱 )
6
赤漆文欟木御厨子(ケヤキの厨子)
5
古人鳥夾纈屏風(板締め染めの屏風)
4
唐草木夾纈屏風(板締め染めの屏風)
3
塗縁籧篨双六局龕(双六盤のいれもの)
2
木画紫檀双 六 局 ( 双 六 盤 )
1
漆胡瓶(ペ ル シ ャ 風 の 水 さ し )
(十五)平成十 年
出品目録
子日手辛鋤(儀式用の鋤)
纐纈絁帯(絞り染めの帯)
薄絹覆
粉地彩絵倚几(玉かざり箒の台)
子日目利箒(儀式用の玉かざり箒)
人勝残欠雑張(新春の挨拶状)付
残片
白石鎮子
白虎・玄武(大理石のレリーフ)
白石鎮子
青龍・朱雀(大理石のレリーフ)
正倉院塵芥古文書
第七巻(尾張国正税帳)
正倉院古文書正集
第三十七巻(紀伊国正税帳ほか)
正倉院古文書正集
第四巻(安拝常麻呂解ほか)
国葛飾郡大島郷戸籍ほか)
仏本行集経
巻第二十六(称徳天皇勅願経)
正倉院古文書正集
第七巻(良弁自署文書・道鏡牒ほか)
28 27 26 25 24 23 22 21
─
2
漆柄香 炉 箱
73 72 71 70 70 69 68 67
緑牙撥鏤尺(染象牙のものさし)
紅牙撥鏤尺(染象牙のものさし)
黒碁子(碁 石 )
白碁子(碁 石 )
藍瑠璃双六子(ガラスの双六駒)
緑瑠璃双六子(ガラスの双六駒)
浅緑瑠璃双六子(ガラスの双六駒)
琥珀双六子 ( 琥 珀 の 双 六 駒 )
黄瑠璃双六子(ガラスの双六駒)
伎楽面
崑崙
伎楽面
呉女
伎楽面
迦楼羅
伎楽面
獅子児
呉女背子(袖なしの短衣)
力士脛裳(脚覆い)
持笠半臂(短袖の胴着)
安君子半臂(短袖の胴着)
粉地彩絵倚几(鋤の台)
夾纈絁褥(机の敷物)
49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29
三合鞘御刀 子 ( 三 本 組 の 小 刀 )
20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
58
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
59
組帯
伎楽面
酔胡王
伎楽面
太孤児
6
御床覆(寝台の覆)
5
御床褥残欠(寝台の敷物)
4
御床畳残欠(寝台用の畳)
呉竹笙
尺八
新羅琴
付
琴柱
紫檀木画槽琵琶(寄木細工の琵琶)
沈香木画箱 ( 献 物 箱 )
金銀平脱皮 箱 ( 献 物 箱 )
粉地金銀絵 八 角 几 ( 献 物 机 )
蘇芳地金銀絵花形方几(献物机)付
白橡綾几褥
白瑠璃瓶(ペルシャ風のガラスの水さし)
六角榲箱( 鏡 箱 ) 付
金銅鏁子・匙
十二支八卦背円鏡(十二支と八卦文の鏡)付
緋絁帯
漆皮箱(鏡 箱 )
山水花虫背 円 鏡
付
緋絁帯・題箋
臈纈絁袍( 上 着 )
褐色絹裳( 絹 の ス カ ー ト )
花氈(フェ ル ト の 敷 物 )
錦襪(靴下 )
白絃
付
木牌
銀平脱合子(琴柱や絃の容器)
斑竹横笛
呉竹笙
玉尺八
金銀平文琴
金銀平脱八花鏡(宝飾鏡)
漆皮箱(鏡箱)
平螺鈿背円鏡(宝飾鏡)付
緋絁帯
金銀絵鏡箱
鳥獣花背円鏡(海獣葡萄鏡)付
緒
八角榲匣(鏡箱)
鳥獣花背円鏡(鳥獣花文の鏡)付
緋絁帯・題箋
螺鈿箱(紺玉帯の箱)
紺玉帯残欠(玉飾りの革帯)
大魚骨笏(鯨骨の笏)
斑犀把金銀鞘刀子(腰飾りの刀子)
樺纒把鞘白銀玉虫荘刀子(腰飾りの刀子)
9
烏犀把漆鞘樺纒黄金珠玉荘刀子(腰飾りの刀子)
8
斑犀把漆鞘銀漆荘刀子(腰飾りの刀子)
十地経論
巻第一(隋経)
斑絃
付
木牌
7
白練綾大枕
顕揚聖教論
巻第十四(唐経)
刺繍羅帯
毘尼母経
巻第一(光明皇后御願経)
笛吹襪(靴 下 )
74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50
3
御床(寝台 )
2
鳥毛立女屏 風
1
九條刺納樹 皮 色 袈 裟
(十六)平成十 一 年
出品目録
正倉院古文書正集第十七巻(駿河国正税帳)
正倉院古文書正集第二十三巻(御野国本簀郡栗栖太里戸籍)
斉衡三年六月二十五日雑財物実録(宝物点検の記録)
箏絃
付
木牌
中小絃
付
木牌
33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
続修正倉院古文書後集第四十三巻(買新羅物解)
続修正倉院古文書第四十三巻(造東大寺司画師召文案ほか)
続修正倉院古文書後集第三十七巻(写経勘出注文)
続修正倉院古文書別集第四十八巻(鏡背下絵・大大論戯画ほか)
蘇芳地金銀絵箱(献物箱)
金銀絵木理箱(献物箱)
金銀箸
密陀彩絵箱(献物箱)付
金銅鏁子
金銀匙
柿厨子(収納棚)
花喰鳥刺繍 残 欠
黄布袍(麻 の 上 着 )
白橡絁袷裳 ( 絹 の ス カ ー ト )
大歌半臂( 絹 の 胴 着 )
刺繍飾天蓋残欠(刺繍飾の天蓋)
央掘魔羅経巻第二(称徳天皇勅願経)
大宝積経巻第十五(光明皇后御願経)
摩訶般若波羅密経巻第二十九(唐経)
檜金銀絵経筒(梵網経の容器)
梵網経
仮作黒柿長方几(献物用の小机)
粉地金銀絵八角長几(献物用の小机)
赤漆密陀絵雲兎形櫃(からびつ)
白橡綾几褥 ( 机 の 敷 物 )
樹下鳳凰双 羊 文 白 綾
1
螺鈿紫檀琵琶
(十七)平成十二年
出品目録
2
紅牙撥鏤撥(染め象牙の撥)
3─
2
甘竹簫模造
3─
1
甘竹簫(管楽器)付
楸木帯
天平宝物筆(大仏開眼会用の筆)
6
白牙尺(象牙のものさし)
4
鉄方響(打楽器)
5
緑牙撥鏤尺(染め象牙のものさし)
─
1
衲御礼 履 ( 儀 式 用 の く つ )
天平宝物墨(大仏開眼会用の墨)
縹縷(大仏 開 眼 絵 用 の ひ も ) 付
紙箋
8
青斑石鼈合子(すっぽん形のふたもの)
7
斑犀尺(犀角のものさし)
9
青斑鎮石(石製のおもし)
金銅鳳形裁 文 ( 法 会 用 の 飾 り )
銀盤(銀の 足 付 き 皿 )
赤漆小櫃
付
牌
佐波理水瓶 ( 水 差 し )
金銅六曲花 形 坏 ( さ か ず き )
漆彩絵花形 皿 ( 花 形 の 皿 )
金銅小盤( 足 付 き の 皿 )
金銀花盤( 花 形 の 足 付 き 皿 )
金銅雲花形裁文(法会用の飾り)
─
2
赤漆履 箱 ( く つ の 収 納 箱 )
琵琶袋残欠
緑地目交纐 纈 絁 ( 豆 絞 り の 絹 )
緑地霰花文 錦 ( 天 蓋 の 飾 り )
田野地図)
東南院古文書第三櫃第二十九巻(越中国司解)
東大寺開田 地 図 ( 越 中 国 射 水 郡
62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34
殿堂平面図
76 75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63
鳥獣花背円鏡(鳥獣と花の文様の鏡)付
緒
─
2
黄金瑠璃鈿背十二稜鏡模造
─
1
黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(七宝の鏡)
12 11 11 10
60
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
61
鞆
槻弓
梓弓
付
弦残欠
漆皮八角鏡 箱
鳥獣花背八稜鏡(鳥獣と花の文様の鏡)
漆皮鏡箱
雑帯(組みものの帯)
斑犀小尺(ものさし形の腰飾り)
金銀絵小合子
紫檀銀絵小墨斗(墨壺)付
旧糸車
水精玉(水晶製の腰飾り)付
網袋
佩飾品残欠(腰飾り)
─
2
箭
─
1
漆葛胡 禄
赤地鴛鴦唐草文錦大幡垂飾(幡の飾り)
夾纈羅幡残欠(法会のはた)
錦道場幡(法会のはた)
二彩瓶
赤地錦半臂(錦のそでなし)
二彩大皿
─
1
赤漆胡 禄
鉾
黄釉碗
紫地獅子奏楽文錦
鉾
緑釉碗
─
2
箭
鉾
─
1
白葛胡 禄
鉾
犀角銀絵如意(僧侶の道具)
赤銅柄香炉(柄つきの香炉)
狩猟文錦
楽鉾
鉄三鈷(鉄製の仏具)
黄綾几褥(机の上敷き)
楽鉾
素木三鈷箱(三鈷杵の箱)
─
2
箭
正倉院古文書正集第十四巻(和泉監正税帳・摂津国正税帳)
銀鉢
縹地唐草花鳥文夾纈絁(板締染めのきれ)
正倉院塵芥文書第三十九巻(伊予国正税出挙帳)
粉地花形方几(献物の台)
─
1
雉羽箭
正倉院古文書正集第四十一巻(豊前国上三毛郡塔里戸籍・加自久也
里戸籍)
粉地彩絵几(献物の台)付
白綾几褥(台の上敷き)
黄地雲鳥花文臈纈羅(ろうけつ染めの薄もの)
続修正倉院古文書第十巻(山背国愛宕郡計帳)
漆八角几(献物の台)
─
2
雉羽箭 模 造
続修正倉院古文書第十七巻(郡司貢人解ほか)
紫檀木画箱(モザイクの箱)
三彩鉢
続修正倉院古文書第二十二巻(造甲加寺所解ほか)
雑玉誦数(じゅず)付
題箋
続修正倉院古文書後集第二十九巻(奉写一切経所布施申請解)
─
1
雕雌雄 染 羽 玉 虫 飾 箭
66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37
─
2
雕雌雄 染 羽 玉 虫 飾 箭 模 造
32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 23 22 22 21 21 20 20 19 19 18 17 16 15 14 13
36 35 34 33
説無垢称経巻第一(称徳天皇勅願経)
十誦律巻第三十三(光明皇后御願経)
大智度論巻 第 五 十 四 ( 唐 経 )
経帙牌(お 経 の つ つ み の 名 札 )
経帙牌(お 経 の つ つ み の 名 札 )
経帙牌(お 経 の つ つ み の 名 札 )
経帙牌(お 経 の つ つ み の 名 札 )
金字牙牌( 象 牙 の つ け 札 )
斑藺帙(お 経 の つ つ み )
籠箱
竹帙
檳榔木画箱 ( モ ザ イ ク の 箱 )
赤色縷(儀式用の糸)
黄色縷(儀式用の糸)
白色縷(儀式用の糸)
緑麻紙針裹(針の包み)
鉄針(儀式用の針)
銅針(儀式用の針)
銀針(儀式用の針)
墨
漆皮箱(筆の箱)
筆
筆
白葛箱(小刀などの箱)
斑犀把白牙 撥 鏤 鞘 刀 子 ( 小 刀 )
棗把鞘四合刀子(四本組の小刀)
棚厨子(素 木 の 棚 )
花氈(花文 様 の 毛 氈 )
花氈(花文 様 の 毛 氈 )
9
金銀絵鏡箱
8
鉄漫背円鏡 ( 無 文 の 鏡 )
6
平螺鈿背八 角 鏡 ( ら で ん の 鏡 )
7
漆皮鏡箱( 皮 の 鏡 箱 )
5
紫檀小架( 架 け 具 )
4
彩絵挾軾脚 ( ひ じ つ き の 脚 )
3─
2
白綾褥 ( ひ じ つ き の 上 敷 )
3─
1
紫檀木 画 挾 軾 ( ひ じ つ き )
2
山水夾纈屏風(板締め染めの山水屏風)
1
鳥毛帖成文書屏風(鳥毛の文字屏風)第五・六扇
(十八)平成十 三 年
出品目録
浅緑地目交纐纈絁襖子(豆絞りの衣服)
黄地緑地夾纈羅袷裂(羅の袷もの)
紫地錦覆(錦の覆い)
白綾几褥(机の上敷)
緑綾帳(綾の袷裂)
続々修正倉院古文書第三十四帙第一巻(写疏所符ほか)
続修正倉院古文書別集第七巻(僧綱牒ほか)
正倉院古文書正集第十六巻(遠江国浜名郡輸租帳)
正倉院古文書正集第十巻(大倭国正税帳)
正倉院古文書正集第二十六巻(御野国戸籍・陸奥国戸口損益帳)
杉小櫃(文書の箱)
杉小櫃(文書の箱)
越中国射水郡須賀野地図
東南院古文書第三櫃第二十八巻(東大寺越中国諸郡庄園惣券第一)
沢栗木箱(東大寺封戸処分勅書の箱)
東大寺封戸処分勅書
沙金桂心請文
続修正倉院古文書第三十二巻(造仏所作物帳・七夕詩習書)
45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16
斑犀把彩絵鞘金銀荘刀子(小刀)
78 77 76 75 74 73 72 71 70 69 68 67
15 14 13 12 11 10
62
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
63
嗔面接腰残 欠 ( 舞 い の 脚 覆 い )
赤紫黒紫間 縫 羅 帯 ( 羅 の 帯 )
金光明経
巻第一
増壹阿含経
巻第九(光明皇后御願経)
2
冠架
1
御冠残欠
唐草文鈴
4
冠架
3
赤漆八角小櫃(冠の箱)
(十九)平成十四年
出品目録
子持鈴
7
漆冠笥
6
漆冠笥
瓜形鈴
8
珊瑚
5
赤漆六角小櫃(冠の箱)
蓮華形鈴
彫石横笛
9
袈裟付木蘭染羅衣(羅製の衣服)
瑠璃玉飾梔 子 形 鈴
瑠璃玉付玉
白檀八角箱 ( さ さ げ 物 の 箱 )
金銅八曲長坏(花形のさかずき)
蘇芳地金銀絵箱(ささげ物の箱)
金銅花形合子(透彫のふたもの)
密陀絵盆
密陀絵盆
笛吹袍(舞いの演奏者の上着)
破陣楽接腰(舞い用の脚覆い)
破陣楽大刀(舞い用の大刀)
木笏(舞い用の笏)
伎楽面
太孤児
伎楽面
崑崙
伎楽面
師子
桑木阮咸
緑地金銀絵長方几(ささげ物の台)
獅子児布衫(舞い用の衣服)
─
1
斑犀如意(サイの角製の如意)
─
1
彩絵長花形几(ささげ物の台)
成唯識論
巻第四(唐経)
彩絵二十八 足 几 ( 多 足 の 机 )
赤漆八角床 ( 八 角 の 台 )
沈香木画双 六 局 ( 遊 戯 の 盤 )
花氈(人物と花文様の敷物)
未造了沈香木画筆管(未完成の筆)
緑綾几帯(綾製の帯)
緋絁襪(舞い用の靴下)
革帯(舞い装束の帯)付
鉈尾一枚
鉈尾裏座二枚
─
2
白綾褥(ささげ物の台の上敷)
深緑絁阮咸袋(楽器の袋)
紫檀槽琵琶
26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
─
2
漆如意 箱
露玉
瑠璃玉付玉
杏仁形鈴
梔子形鈴
紫地亀甲殿堂文錦(建物文様の錦)
75 74
八角天蓋残欠(八角のきぬがさ)
錦襪(錦の 靴 下 )
73 72 71 70 69 69 68 67 66 65 64 63 62 61 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46
佐波理加盤 ( か さ ね 鋺 )
白銅剪子(灯明の芯切りばさみ)付
白銅半輪形二片
華厳経論帙 ( お 経 の つ つ み )
墨(新羅製 の 墨 )
色氈(紫色 の 敷 物 )
夾纈羅几褥(板締め染めの机の上敷)
朽葉色臈纈絁(ろうけち染めの帯状ぎれ)
密陀絵鳥獣文漆櫃
白綾褥(綾製の敷物)
金銅火舎
付
木牌
正倉院古文書正集第二十巻(下総国葛飾郡大嶋郷戸籍)
正倉院古文書正集第十五巻(尾張国正税帳・伊賀国正税帳・志摩国
輸庸帳)
正倉院古文書正集第四十四巻(孝謙天皇宣命・他田日奉部直神護解
ほか)
雑物出入継 文
佐波理匙
佐波理匙
菩薩地持経巻第一(称徳天皇勅願経)
如来興顕経巻第二(光明皇后御願経)
銀平脱龍船墨斗(墨壺)
白石塔残欠(大理石の小塔)
柳箱(数珠の箱)
漆麈尾箱
柿柄麈尾(僧侶の持物)
黒柿蘇芳染金銀絵如意箱(如意の箱)
小乗雑経帙(お経のつつみ)付
牙牌
続修正倉院古文書別集第三十五巻(楽具検定注文ほか)
大方広仏華厳経論巻第十七
鯨鬚金銀絵如意(鯨の鬚の如意)
続修正倉院古文書第三十六巻(造金堂所解)
東大寺開田地図(越前国足羽郡道守村地図)
1
鳥毛篆書屏風(聖武天皇遺愛の屏風)
2
繍線鞋(刺繍飾りのくつ)
(二十)平成十五年
出品目録
磁塔(三彩の小塔)
双六局(遊 戯 の 盤 )
双六筒(さ い こ ろ の 振 り 筒 )
4
平螺鈿背円鏡(らでん飾りの鏡)付
題箋
3
十合鞘御刀子(十本組みの小刀と工具)
6
漆皮箱(鏡箱)
5
鳥獣花背円鏡(海獣葡萄鏡)付
帯
投壺(投げ 矢 の 壺 )
漆弾弓
8
木尺(ものさし)
馬鞍
9
玳瑁杖(べっこう飾りの杖)
7
紅牙撥鏤尺(象牙のものさし)
漆皮鏡箱
玉器
銅薫爐(球 形 の 香 炉 )
雲鳥飛仙背 円 鏡
玉長坏(さ か ず き )
投壺矢(投 げ 矢 )
東南院古文書第五櫃第三巻(新羅江荘券ほか)
琥珀誦数(宝石の数珠)付
木牌
続々修正倉院古文書第二十六帙第五巻(間校帳ほか)
─
1
佐波理 加 盤 ( か さ ね 鋺 )
71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54
─
2
新羅文 書
36 35 34 33 32 32 31 30 29 28 27
37
53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38
10
64
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
65
斑犀合子( サ イ 角 製 の 腰 飾 り )
組帯・組紐(腰飾りを下げる帯と紐)
刺繍羅帯( 刺 繍 飾 り の 帯 )
白橡臈纈絹 褥 ( 絁 の く つ し た )
綾臈纈絁間 縫 裳 ( 女 性 用 の 裳 )
紫綾半臂( 綾 の 上 着 )
銀平脱箱懸子(箱の口にかける薄形の盤)
平脱鳳凰頭 ( 象 嵌 装 飾 の 獣 頭 )
吹絵紙
絵紙
付
軸
白墨
付
小片
柳箱(銀泥のいれもの)
佐波理皿(えのぐ皿)
胡粉袋(えのぐのふくろ)
金青袋(えのぐのふくろ)
紫鑛(くすり)
金銅塔鋺形合子(香のいれもの)
漆瓶龕(水差しのいれもの)
金銅六花形盤(供物の台)
華籠(散華のかご)
─
1
緑瑠璃魚形(ガラス製の腰飾り)
小香袋(匂 い 袋 )
佐波理水瓶(水差し)
羅道場幡( 法 要 に か け た 幡 )
─
1
漆小櫃(大仏への献物を入れた箱)付
木牌・鏁子・匙
華籠(散華のかご)
銀泥(えの ぐ )
雲母粉(く す り )
続々修正倉院古文書第十二帙第四巻(常疏写納幷櫃乗次第帳)
続々 修 正 倉 院 古 文 書 第 四 十 六 帙 第 四 巻( 絵 花 盤 所 解、 紫 微 中 台 牒、
造花様ほか )
正倉院古文書正集第一巻(大粮申請継文)
正倉院古文書正集第二十四巻(御野国加毛郡半布里戸籍)
正倉院古文書正集第二十七巻(天平二年度越前国正税帳ほか)
続修正倉院古文書別集第四十二巻(造石山寺所食物用帳)
続修正倉院古文書第十四巻(具注暦)
酒人内親王 献 入 帳
東大寺開田地図(越前国足羽郡糞置村田図)
阿毘達磨発智論巻第七(称徳天皇勅願経)
維摩詰所説経巻中(光明皇后御願経)
大方広十輪経巻第四(中国・唐時代の写経)
桑木木画棊局(碁盤)
金銀絵長花形几(仏への献物を載せた机)
粉地木理絵長方几(大仏への献物を載せた机)付
白橡綾几褥
沈香木画箱(仏への献物を入れた箱)
金銀絵漆合子
碧地金銀絵箱(仏への献物を入れた箱)
水精玉
瑪瑙坏(瑪瑙のさかずき)
瑪瑙坏(瑪瑙のさかずき)
白瑠璃高坏(ガラスの高坏)
─
2
漆小几(漆小櫃の台)
丹(えのぐ ・ ガ ラ ス の 原 料 )
黄楊木几(大仏への献物を載せた机)付
緑綾几褥
雄黄(くす り )
摺絵花鳥文黄絁(摺り染のきれ)
刺繍褥残欠 ( 刺 繍 の 敷 物 )
羅道場幡( 法 要 に か け た 幡 )
─
2
碧瑠璃魚形(ガラス製の腰飾り)
66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38
─
3
黄瑠璃魚形(ガラス製の腰飾り)
32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 19 19 18 17 16 15 14 13 12 11
37 36 35 34 33
正倉院塵芥文書第三十五巻(鑑真奉請経巻状ほか)
続々修正倉院古文書第四十四帙第四巻(経師等被充帳・越前国江沼
郡山背郷計帳)
安房国義倉帳)
3
鳥獣花背方 鏡
第十号(海獣葡萄鏡)付
白組緒
東南院古文書第三櫃第四十一巻(山背国宇治郡家地売券等)
(二十一)平成 十 六 年
出品目録
4
漆皮箱(鏡 箱 )
続修正倉院古文書後集第二十二巻(奉写一切経所食口案、一切経并
1
鳥獣背八花 鏡
第三号(鳥獣模様の鏡)付
緋綾帯・題箋
2
八角榲箱( 鏡 箱 )
5
紫地鳳形錦 御 軾 ( ひ じ つ き )
白綾帳
第四号(綾織りのとばり)
久太袴
第七号(絹の袴)
久太衫
第六号(麻の下着)
渾脱半臂
第四号(楽服)
布衫
第七 十 七 号 ( 麻 の 下 着 )
鼓打布衫
第五十八号(麻の下着)
革帯
第六 号
柳箱(革帯 の 箱 )
伎楽面・師 子 児
第一〇八号
伎楽面・師 子 児
第八十四号
伎楽面・太 孤 父
第七十六号
磁鼓(三彩 の つ づ み )
螺鈿槽箜篌(らでん飾りの竪琴)
七絃楽器
紫檀金銀泥 絵 琵 琶 撥
楓蘇芳染螺 鈿 槽 琵 琶
第一号
仮斑竹笙
第二号
樺纒尺八
9
雑物出入帳
8
漆高机(儀 式 用 の 机 )
7
赤漆欟木胡 床 ( 儀 式 用 の 椅 子 )
紫檀塔残欠(小塔の部材)
仏像型
第一号(押出仏の型)
漆仏龕扉(厨子のとびら)
佐波理承盤
第二号(佐波理の鋺の台)
佐波理承盤
第一号(佐波理の鋺の台)
佐波理蓋
第二号(佐波理の鋺の蓋)
佐波理蓋
第一号(佐波理の鋺の蓋)
金銅合子(銅のふたもの)
日光形
第五十号
其一
日光形
第五十一号
日光形
第四十九号
手鉾
第三号
手鉾
第二号
撥鏤飛鳥形
牙櫛
第一号(象牙の櫛)
組帯
白犀把烏犀鞘刀子
第四十八号(小刀)
沈香把玳瑁鞘金銀荘刀子
第十七号(小刀)
青石把漆鞘金銀鈿荘刀子
第一号(小刀)
魚骨笏
木笏
通天牙笏(象牙の笏)
山水図
其一
千手経紙充帳)
続修正倉院古文書第六巻(筑前国嶋郡川辺里戸籍)
6
花氈
第三十号(花模様の敷物)
31 30
33 32
正倉 院 古 文 書 正 集 第 十 九 巻( 伊 豆 国 正 税 帳、 相 模 国 封 戸 租 交 易 帳、
29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
66
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
67
阿闍貰王女経(称徳天皇勅願経)
悲華経巻第四(光明皇后御願経)
十地経論巻 第 八 ( 隋 経 )
赤地纐纈布
第二十五号
縹地唐花文 錦
第四号(錦のしきもの)
袷布橐(筒 状 の 袋 )
赤紫臈纈絁 几 褥
第二十六号(机のうわしき)
紫地錦几褥
第八号(机のうわしき)
鏁子
第四 十 二 号 ( 錠 と 鍵 )
鏁子
第十 六 号 ( 錠 と 鍵 )
鏁子
第十 一 号 ( 錠 と 鍵 )
鏁子
第一 号 ( 錠 と 鍵 )
檜彩絵花鳥 櫃 ( ヒ ノ キ の 唐 櫃 )
藺箱
緑地彩絵箱
第三十一号(献物箱)
朽木菱形木 画 箱
第二十一号(献物箱)
漆花形皿
第八号
漆彩絵花形 皿
第六号
雑玉幡
第二号
銅漆作大刀
第十一号
金銀鈿荘大刀
第五号(かざり大刀)
金銀鈿荘唐大刀
第三号(かざり大刀)
黒瑠璃
第四号(ガラスの玉)
碧瑠璃
第一号(ガラスの玉)
緑瑠璃
第四号(ガラスの玉)
黄瑠璃
第一号(ガラスの玉)
深黄瑠璃
第一号(ガラスの玉)
瑠璃壺(ガラスの壺)
揩布屏風袋
第三十一号(屏風の袋)
花卉及鳥形夾纈図・牛形臈纈図(屏風画面の残欠)
花氈
第五号(フェルトの敷物)
延暦十二年曝凉使解
東南院古文書
第一櫃
第七巻(太政官牒ほか)
黒棊子(碁石)
白棊子(碁石)
紺牙撥鏤棊子(染象牙の碁石)
紅牙撥鏤棊子(染象牙の碁石)
銀平脱合子
第四号(碁石入れ)
2
雑色縷
第八号
附
組紐
(二十二)平成 十 七 年
出品目録
1
百索縷軸( 厄 除 け の 糸 巻 )
続々修正倉院古文書
第一帙
第三巻(一切経校生等手実)
続々修正倉院古文書
第二帙
第四巻(後一切経雑按)
続修正倉院古文書
第二十六巻(東市庄買進珠丁軸解ほか)
続修正倉院古文書
第五巻(御野国本簀郡栗栖太里戸籍)
紅布幡
雑第三十一号(麻布の幡)
3
平螺鈿背八 角 鏡
第十三号(らでんの鏡)附
緋絁帯、題箋
縹布幡(麻布の幡)
続々修正倉院古文書 第三十五帙
第三巻(紙充帳)
7
木画紫檀棊 局 ( 碁 盤 )
浅緑地鹿唐花文錦大幡脚端飾(幡のかざり)
4
漆皮箱
第十三号鏡付属(鏡箱)
8
金銀亀甲棊 局 龕 ( 碁 盤 の 箱 )
東大寺開田地図(越中国新川郡丈部野地図)
9
銀平脱合子
第三号(碁石入れ)
6
漆皮箱
第十六号鏡付属(鏡箱)
正倉院古文書正集
第十八巻(駿河国正税帳、甲斐国司解)
正倉院古文書正集
第二巻(大粮申請継文)
39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
5
槃龍背八角 鏡
第十六号(龍文様の鏡)附
緋絁帯、題箋
75 74 73 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57
緋絁鳥兜(楽舞用の絹のかぶりもの)
蝉羽羅(模 様 染 の 薄 絹 )
錦貼交屏風
第六十号─六
犀連珠円文錦残片(犀の文様の錦の残片)
櫃覆町形帯
第九号(櫃覆いの抑え帯)
赤地錦几褥
第十六号(机のうわしき)
大歌緑綾袍
第一号(綾の上着)
6
御袈裟幞袷
第一号(袈裟のつつみ)
5
七条刺納樹皮色袈裟
第九号(袈裟)
4
続々修正倉院古文書第二十四帙第五巻(皇后宮職移案ほか)
3
金光明最勝王経帙(お経のつつみ)
1
勅書銅板(銅板に刻まれた聖武天皇の願文)
2
続修正倉院古文書第一巻(国分銘文刻版稿、孝謙天皇詔勅草)
(二十三)平成十八年
出品目録
銀提子(銀 の 手 鍋 形 の う つ わ )
銀盤
第三号(銀のあしつき皿)
布襪
第三十七号(麻布のくつした)
布作面
四号(麻布の面)
布作面
三号(麻布の面)
布作面
二号(麻布の面)
布虎兜(楽舞用の麻のかぶりもの)
布虎兜(楽舞用の麻のかぶりもの)
緑瑠璃十二曲長坏(色ガラスのさかづき)
黒瑠璃把白銅鞘金銀珠玉荘刀子
第十六号(小型の刀)
犀角把白銀葛形鞘珠玉荘刀子
第七号(小型の刀)附
木牌
東大寺献物帳
国家珍宝帳(献物品の目録)
古櫃
第五十二号(宝物の収納箱)
長斑錦御軾(錦貼りのひじかけ)
白牙尺(象牙のものさし)
紅牙撥鏤尺
甲(染め象牙のものさし)
白石鎮子(戌・亥)
(大理石のレリーフ)
9
鳥毛篆書屏風
第一・二扇(鳥毛の文字屏風)
8
御袈裟箱袋
第一号(袈裟の箱の袋)
錫杖
第一 号
献物牌
第一号~第五号(献物者の名札)
7
御袈裟箱
第一号(袈裟の箱)
犀角如意
第五号
金銅鳳葛形裁文金具(鳥兜のかざり金具)
黄楊木金銀 絵 箱
第三十号(献物箱)
金銅縁輪( 鳥 兜 の 覆 輪 )
69 68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40
献物牌(献物者の名札)
馬鞍
第五号(馬具)
大方広仏華 厳 経
巻第六十(称徳天皇勅願経)
根本薩婆多 部 律 摂
巻第三(光明皇后御願経)
大毘婆沙論
巻第百七十八(唐経)
象牙
馴鹿角(ト ナ カ イ の 角 )
犀角坏(犀 の 角 の さ か づ き )
粉地彩絵長 方 几
第十三号(献物几)
粉地銀絵花 形 几
第七号(献物几)附
褥
金銀山水八卦背八角鏡
第一号(銀貼りの鏡)附
白絁帯
漆葛胡禄
第十一号(矢入れ)附
箭、白絁帯
鞆
第五号
鞆
第一号
梓弓
第三号
尾袋
馬鞍第一号のうち(馬具)
障泥
丁(馬具)
馬鞍
第三号(馬具)
刻彫梧桐金 銀 絵 花 形 合 子
第一号(花形のふたもの)
楩楠箱(く す の き の 箱 ) 附
鏁子、床
19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
28 27 26 25 24 23 22 21 20
68
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
69
黄銅柄香炉
第一号(柄付きの香炉)
白石火舎
第二号(大理石の香炉)
白橡綾几褥
第五号(机のうわしき)
蘇芳地六角 几
第二十七号(献物几)
籠箱
第二 号 ( 献 物 箱 )
八角高麗錦 箱 ( 錦 貼 り の 鏡 箱 )
続修正倉院古文書別集第十八巻(写経司解案、泉木屋所解ほか)
正倉院古文書正集第三十六巻(周防国正税帳、長門国正税帳)
続修正倉院古文書第十一巻(山背国愛宕郡計帳)
正倉院古文書正集第四十巻(豊前国仲津郡丁里戸籍)
桐合子(桐の容器)附
皮袋
革帯
第一号
大方広仏華厳経巻第七十二(称徳天皇勅願経)
瑜伽師地論巻第四十五(光明皇后御願経)
続修正倉院古文書第三十四巻(造仏所作物帳)
赤銅柄香炉
第三号(柄付きの香炉)
大方広仏華厳経巻第七十二~八十(新羅経)
続修正倉院古文書第四十七巻(下道主状ほか)
赤銅合子
第三号(塔形のふたもの)
3
羊木臈纈屏風(ろうけつ染めの屏風)
2
黒漆鏡箱
1
花鳥背八角鏡
第十四号(花鳥文様の鏡)
漆鉢
第四 号 ( 黒 漆 の 鉢 )
(二十四)平成十九年
出品目録
銀鉢(銀製 の 鉢 )
4
熊鷹臈纈屏風(ろうけつ染めの屏風)
磁皿
甲第 九 号 ( 二 彩 の 皿 )
玳瑁如意
第三号(べっこうの如意)附
紙箋
7
臈蜜袋
第三号
6
臈蜜
第四号(ミツバチの巣から作った蠟)
花鳥文刺繍 幡 残 片
小三合水角鞘御刀子(三本組の小刀)
8
花氈
第二号(フェルトの敷物)
9
犀角坏
乙(サイの角の盃)
5
臈纈屏風残欠
第二十二号(ろうけつ染めの屏風画面の断片)
幡脚端飾
白地花葉文 夾 纈 絁
第五十号
緑金箋(花 弁 形 の い ろ が み )
茶地花葉文 夾 纈 羅
第五十一号
孔雀文刺繍 幡
磁鉢
乙第 十 一 号 ( 緑 釉 の 鉢 )
金銅水瓶( み ず さ し )
鏝形銅器( 柄 香 炉 の 附 属 品 )
─
1
黄銅合子(塔形のふたもの)
68 67 66 65 64 63 62 61 60 59 58
─
2
黄銅合 子 模 造
57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 35 34 33 32 31 30 29
錦履
履
第十号
夾纈羅半臂
第七号(板締染の胴着)
鼓皮
第一 号
漆鼓
第二十号(漆塗の鼓の胴)
牙横笛
第三号(象牙の横笛)
牙尺八
第三号(象牙の尺八)
筆
第八号
青斑石硯(斑入りの石に嵌めた陶硯)
榧双六局
第四号
墨絵弾弓
第一号
竽
第一号(管楽器)
新羅琴櫃
第一号
新羅琴
金泥絵木形
附
柱四枚
17 16 15 14 13 12 11 10
赤漆欟木小 櫃 ( ケ ヤ キ の 小 櫃 )
黒柿蘇芳染 小 櫃
附
鏁子(カキの小櫃)
黒柿蘇芳染六角台(カキの献物台)
銀合子(銀 の ふ た も の )
仮斑竹箱( 墨 の 箱 )
墨
第七号
墨
第十号
筆
第十七 号
白葛箱(筆 の 箱 )
筆
第九号
錦縁飾残欠
第六十七号
臈纈絁白絁袷裂残欠
赤地錦天蓋頂飾花形裁文残欠(天蓋の飾り)
赤地広東錦残欠(絣の織物)
赤絁垂飾残片
古裂残欠
古裂残欠
花背六花鏡
第三十七号
附
木綿緒(花文様の鏡)
古裂残欠
漫背円鏡
第二十三号
附
木綿緒(文様のない鏡)
紫檀金鈿柄 香 炉
第五号(柄付きの香炉)
錫杖
第二 号
佐波理皿
第二号
密陀絵盆
第十四号
密陀絵盆
第三号
密陀絵盆
第二号
刻彫梧桐金 銀 絵 花 形 合 子
第四号(花形のふたもの)
刻彫梧桐金 銀 絵 花 形 合 子
第二号(花形のふたもの)
紫檀木画箱
第十八号(モザイクの箱)
金銀平脱皮 箱
第四号
四分律巻第二十七(光明皇后御願経)
四分律巻第十五(唐経)
続々修正倉院古文書第四十六帙第九巻(但馬国司移・送上新令状・
僧智憬啓ほか)
続々修正倉院古文書第四十一帙第一巻(東寺律衆解案など)
続々修正倉院古文書第十八帙第三巻(造石山寺所解移牒符案)
続修正倉院古文書別集第五巻(左大臣家牒・太宰帥牒ほか)
正倉院古文書正集第三十三巻(出雲国大税賑給歴名帳)
正倉院古文書正集第二十八巻(越前国郡稲帳・佐渡国正税帳)
続修正倉院古文書第四巻(御野国味蜂間郡春部里戸籍)
造寺司牒三綱務所諸国封戸事
紫地錦几褥
第二十五号(机のうわしき)
彩絵仏像幡
白布
第二 十 七 号 ( 調 庸 の 布 )
須摩提経(称徳天皇勅願経)
緑地錦几褥
第十号(机のうわしき)
布袍
衣第 二 号 ( 麻 の 上 着 )
2
牙牌(浅香の札)
1
全浅香(香木)
3
刻彫尺八
(二十五)平成二十年
出品目録
木綿
布袴
第十 一 号
木牌(木札 )
布前裳
第四号(布の前掛け)
早袖
第一 号 ( 肩 当 て )
紅布衫
第四号(赤い布の下着)
─
1
琥碧誦 数
第一号
46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18
─
2
亀甲形 漆 箱 ( 誦 数 の 箱 )
66 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47
70 69 68 67
70
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
71
蘇芳地金銀絵箱(献物用の箱)第二十六号
金銀絵漆箱 ( 鏡 箱 )
山水人物鳥獣背円鏡(山水に人物や鳥獣を表した鏡)第四号
仮斑竹杖
第三号
漆挾軾(ひ じ か け )
黒柿両面厨子(両面開きの戸棚)附
鏁子
紫檀木画双六局(すごろく盤)第三号
金銅八曲長坏(さかずき)第二号
9
白瑠璃碗( カ ッ ト グ ラ ス の 碗 )
8
延暦六年六月二十六日曝凉使解(宝物の点検記録)
7
八角榲箱( 鏡 箱 )
6
漫背八角鏡(文様のない鏡)第四号
附
帯・紙箋
5
漆皮箱(鏡 箱 )
4
平螺鈿背八角鏡(螺鈿かざりの鏡)第七号
続々修正倉院古文書
第三十八帙第九巻(造金堂所解・造東大寺司
夾纈羅幡(板締染めの幡)第百二十九号櫃
第百十八号
金銅幡
第四号
金銅鎮鐸(風鐸)第二号
其一
金銅鎮鐸(風鐸)第一号
其八
布天蓋
天蓋花形裁文(布製天蓋の中央かざり)
方形天蓋
第十九号
黄絁幡街木袋(天蓋の部材をいれた袋)第四号
天蓋骨(布製天蓋の軸)第二号
灌頂天蓋骨(布製天蓋の軸と腕木)第九号
其二
灌頂天蓋骨(布製天蓋の軸と腕木)第一号
縹臈纈布袋(ろうけつ染めの袋)第十三号
夾纈絁袍残欠
第一号
白綾几褥(献物用の台のうわしき)
檜長几(献 物 用 の 台 ) 第 十 九 号
碧地彩絵几(献物用の台)第十五号
附
茶綾几褥
粉地彩絵長方几(献物用の台)第十二号
紫檀箱
第三十六号
白葛箱
第二号
斑藺箱蓋
漆香水盆(仏前に供えた浄水用の盆)
赤銅合子(香の容器)第二号
金銅大合子(香の容器)第二号
白銅火舎(香炉)第四号
朴木粉絵高坏(高脚付の皿)
解案)
47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34
紫皮裁文珠玉飾刺繍羅帯残欠(珠や刺繍で飾った帯)
雑色組縁飾 残 欠
附
木製金泥絵亀形
金銀絵漆皮箱(獣皮製の箱)第三号
33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
組紐(腰飾 り を 下 げ る 紐 ) 雑 色
綬帯
附属組紐
第五号
佐波理匙
佐波理鋺
琥碧玉(腰 飾 り )
水精玉(腰 飾 り ) 第 三 号
瑪瑙玉(腰 飾 り )
水精玉(腰 飾 り )
正倉院古文書正集 第三十九巻(大宝二年筑前国嶋郡川辺里戸籍)
螺殻(夜光貝の殻)
虹龍(貂のミイラ)
椰子実
庖丁
第四・五・六号
貝匙
第四号
綬帯
附属組紐
第六号
彩絵水鳥形
犀角魚形( 腰 飾 り )
組紐(腰飾 り を 下 げ る 紐 ) 雑 色
62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48
東方最勝灯王如来経(称徳天皇勅願経)
大般涅槃経集解 巻第六十二(光明皇后御願経)
大荘厳論
巻第四(隋経)
続々修正倉院古文書 第六帙第一巻(寺花厳疏本并筆墨紙請充等帳)
続修正倉院古文書 第十六巻(皇后宮職移案ほか)
続修正倉院古文書 第十九巻(経師等不参解)
正倉院古文書正集 第十三巻(天平九年度和泉監正税帳)
白銅玦(月形・馬蹄形)銅鉄雑鉸具
第六十号(白銅の飾り具)
牙玦(象牙の飾り具)
貝環(貝の飾り具)
貝玦(月形)
(貝の飾り具)
組帯
第十九号(組紐の帯)
貝玦(馬蹄形)
(貝の飾り具)
組帯
第十二号(組紐の帯)
1
花氈
第二十三号(フェルトの敷物)
伎楽面
呉女
乾漆第三十三号
伎楽面
呉女
木彫第十一号
褐色絹裳
第一号(絹のスカート)
(二十六)平成 二 十 一 年
出品目録
伎楽面
崑崙
木彫第七十九号
金薄絵馬頭(楽舞用の駒形)
御帯残欠(貝製の帯飾り)
駒形布衫
第六号(楽舞用の下着)
3
斑貝
7
漆背金銀平 脱 円 鏡
第六号(金銀飾りの鏡)
駒形従布衫
第八号(楽舞用の下着)
伎楽面
力士
木彫第二十四号
8
漆皮箱(鏡 の 箱 )
駒形帯
第七号(楽舞用の帯)
4
楽毅論(光 明 皇 后 御 書 )
9
平螺鈿背円 鏡
第二号(螺鈿飾りの鏡)
白石鎮子
青龍・朱雀(大理石のレリーフ)
力士脛裳
第十五号(楽舞用の脛覆い)
紫檀木画槽 琵 琶
第二号(琵琶)
6
漆背金銀平 脱 八 角 鏡
第十二号(金銀飾りの鏡)
琵琶袋残欠 ( 琵 琶 の 袋 の 残 欠 )
白石鎮子
白虎・玄武(大理石のレリーフ)
─
1
十二支彩絵布幕
龍図(十二支の幕)
金銀鈿荘唐 大 刀
第二号(金銀飾りの大刀)
金銀荘横刀
第四号(金銀飾りの横刀)
手鉾
第四 号 ( 鉾 )
斑犀把緑牙 撥 鏤 鞘 金 銀 荘 刀 子
第十八号(小刀)
─
3
十二支彩絵布幕
猪図(十二支の幕)
─
4
十二支彩絵布幕
残片(十二支の幕)
子日目利箒
第一号(儀式用の玉飾りの箒)
紺地浅緑目交纐纈絁間縫帯
第一号(絞り染めの帯)
緑紗几覆(玉飾りの箒の覆い袋)
粉地彩絵倚几
第一号(玉飾りの箒の台)
水精長 合 子 ( 腰 飾 り )
綬帯(組紐の帯)
子日手辛鋤
第一号(儀式用の鋤)
黄楊木 把 鞘 刀 子 ( 小 刀 )
─
2
黄楊木 把 鞘 刀 子 模 造
─
1
雑色
─
2
十二支彩絵布幕
鶏図(十二支の幕)
桑木木画棊 局
第一号(寄木細工の碁盤)
金銀絵棊子 合 子
第一・二号(碁石入れ)
5
御書箱(聖武天皇・光明皇后の書巻を納めた箱)
呉女背子
第四十三号(楽舞用の上着)
伎楽面
呉女
木彫第十七号
45 44 43 42 41 40 40 40 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19
2
緑牙撥鏤把 鞘 御 刀 子 ( 小 刀 )
69 68 67 66 65 64 63
18 17 16 15 14 13 12 11 10
18
72
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
73
2
鳥草夾纈屏風
第二・四号(板締め染めの屏風)
1
山水夾纈屏風
第一・二号(板締め染めの屏風)
─
1
白銅柄 香 炉
第四号(柄付きの香炉)
子日手辛鋤 几 褥 ( 机 の 敷 物 )
6
繍線鞋
第四号(女性用のくつ)
5
繍線鞋
第三号(女性用のくつ)
4
八角榲匣(鏡の箱)
3
鳥獣花背八角鏡
第一号(鳥獣文様の鏡)附
題箋
銀盤
第二号(花形の脚付き皿)
8
銀平脱合子(琴柱や絃の容器)
斑絃
第二号(琴の絃)附
木牌
9
白絃
第一号(琴の絃)附
木牌
7
螺鈿紫檀五絃琵琶(楽器)
漆花形箱
第一~四・九・十号(花形の箱)
漆彩絵花形 皿
第一号(花形の脚付き皿)
粉地彩絵箱
第三十三号(献物用の箱)
漆彩絵花形 皿
第九号(花形の脚付き皿)
粉地金銀絵 八 角 几
第五号(献物用の机)
金銀花盤( 花 形 の 脚 付 き 皿 )
─
2
漆柄香炉箱(柄付きの香炉の箱)
58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 47 46
正倉院古文書正集
第十二巻(山背国愛宕郡出雲郷計帳)
(徴税の基
本台帳)
東南院古文書 第三櫃 第二十巻(越前国足羽郡庁牒)
(足羽郡庁が出
した文書)
東大寺開田 地 図
越前国足羽郡糞置村地図(東大寺の荘園の地図)
沈香木画箱
第十二号(献物用の箱)
黒柿蘇芳染 金 銀 山 水 絵 箱
第三十二号(献物用の箱)
冶葛壺(くすり壺)
大黄裹
第二号(くすりの包み裂)
五色龍歯裹(くすりの包み裂)
東大寺献物帳
種々薬帳(くすりの献納目録)
箏絃
第四号(楽器の絃)附
木牌
中小絃
第三号(楽器の絃)附
木牌
大黄(くすり)
冶葛(くすり)
密陀絵皮箱
第六号(献物箱 )
蘇芳地彩絵箱
第二十九号(献物箱)
黒柿蘇芳染金絵長花形几
第四号(献物用の台)附
褥
伎楽面
酔胡王
木彫
第四十七号(伎楽の面)
密陀絵雲鳥草形漆櫃
第一号(唐櫃)
経生の報酬等に関する規則ほか)
伎楽面
迦楼羅
木彫
第七十二号(伎楽の面)
根本説一切 有 部 毘 奈 耶
巻第四十一(光明皇后御願経)
阿毘曇八揵 度 論
巻第十(称徳天皇勅願経)
(二十七)平成 二 十 二 年
出品目録
六角几甲板
古櫃
第二百六号櫃納物
其九(花形かざりの台座)
蓮花残欠
古櫃
第二百六号櫃納物
其十一(蓮池形のかざり)
─
2
伎楽面
師子
模造
─
1
伎楽面
師子
木彫
第百三十号(伎楽の面)
大薩遮尼乾 子 経
巻第二(唐経)
続々修正倉院古文書
第四十六帙
第六巻(経師等布施法ほか)
(写
五色龍歯
大(くすり)
正倉院古文書正集
第三十四巻(隠伎国郡稲帳・隠伎国正税帳)
(隠
伎国の決算 報 告 書 )
白橡綾錦几褥
第三十号(机の敷物)
29 28 27 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
続修正倉院古文書後集
第三十四巻(造石山寺所告朔解案)
(石山寺
の造営作業 報 告 書 )
続々修正倉院古文書
第一帙
第一巻(一切経経師等手実)
(写経生
の作業報告 書 )
59
60
61
62
63
66 65 64
浅縹布
錦綾絹絁布類及雑裂
第四十八号
其一(雲の絵の幕)
曝布彩絵半 臂
第九号(描き絵の上着)
女舞接腰
第一号(錦の脚覆い)
夾纈羅中幡 残 欠
第百十六号(板締め染めのはた)
58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30
─
2
色麻紙
第十四号(いろがみ)
絵紙
第一号
其四十(絵を描いた紙)
─
1
吹絵紙
第五号(吹絵を施した紙)
─
2
吹絵紙
第十一号(吹絵を施した紙)
青斑石鼈合子(スッポン形のふたもの)
正倉院古文書正集
第十七巻(駿河国正税帳)
正倉院古文書正集 第九巻(左京職正税帳・右京計帳)
─
3
吹絵紙
第十六号(吹絵を施した紙)
佐波理水瓶
第一号(水差し)
続修正倉院古文書別集
第九巻(法華寺三綱牒ほか)
解ほか)
正倉院古文書正集
第四巻(大粮申請継文・左京職符・安拝常麻呂
─
1
錫杖
第三号(僧侶の道具)
正倉院古文書正集
第七巻(東大寺牒・法師道鏡牒ほか)
橡地臈纈絁 袍
第七号(上着)
紅赤布
錦綾絹絁布類及雑裂
第四十七号
其二(納税された布)
遠江国調黄 絁
錦綾絹絁布類及雑裂
第三十六号(納税された絹)
如来示教勝軍王経(称徳天皇勅願経)
瑜伽師地論
巻第八(光明皇后御願経)
大智度論
巻第六十八
続々修正倉院古文書
第五帙第九巻(千部法華経校帳)
続々修正倉院古文書
第十五帙第九巻(間写本経返納帳)
申請解案ほか)
続々修正倉院古文書
第五帙第四巻(写書所奉写法花経一百部用度
鉇
第一・二・三・四・五号(工匠具)
角製工具
古櫃
第二百六号櫃納物
其三十一(工匠具)
斧柄
古櫃
第二百六号櫃納物
其三十(工匠具)
鑽(工匠具 )
4
大歌茶臈纈絁半臂
第三号(ろうけつ染めの胴着)
3
伎楽面
太孤父
木彫
第七十八号(伎楽の面)
1
伎楽面
酔胡王
木彫
第十五号(伎楽の面)
2
伎楽面
金剛
木彫
第四十五号(伎楽の面)
(二十八)平成二十三年
出品目録
6
纐纈布幡
幡類
残欠
第百二十九号櫃
第八号(絞り染めのはた)
5
縹纐纈布袍
第五号(絞り染めの上着)
打鑽
第一・二・三・四・五・六号(工匠具)
雑札
第一 号 ( 木 ふ だ )
8
金銅華鬘形裁文
幢幡鉸具
第一号
其一(華鬘形のかざり)
7
紅布
錦綾絹絁布類及雑裂
第五十号
其一(紅花染めの麻布)
華鬘残欠
幡類
残欠
第百二十七号櫃
雑第四十二号(華鬘の残
9
金銅花形裁文 幢幡鉸具 第二号 其二(花形のかざり)
雑札
第三 号 ( 木 ふ だ )
─
1
色麻紙
第三号(いろがみ)
雑札
第五 号 ( 木 ふ だ )
雑札
第四 号 ( 木 ふ だ )
雑札
第二 号 ( 木 ふ だ )
多賀禰
第一・二・三・四号(工匠具)
刀子
第一 ・ 二 号 ( 工 匠 具 )
錯
第一・ 二 ・ 三 号 ( 工 匠 具 )
銀平脱鏡箱
第二号(鏡の箱)
鳥獣花背円 鏡
第九号(海獣葡萄鏡)附
緒
─
2
漆錫杖 箱 ( 錫 杖 の 箱 )
玳瑁八角杖
第一号(べっこうの杖)
漆胡樽(革 袋 形 の 水 入 れ )
銀壺
甲( 銀 の 壺 )
63 62 61 60 60 60 59 58
66 65 64
71 70 69 68 67
10
74
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
75
蘇芳地金銀絵花形方几
第三号(献物用の台 ) 附
白橡綾几褥
斑犀把樹皮 塗 鞘 銀 荘 刀 子
第十五号(小刀)
沈香把鞘金 銀 荘 刀 子
第六号(小刀)
薬裹
第四号(くすりの包み裂)
漆皮箱(裛 衣 香 の 容 れ 物 )
裛衣香
第一・二・七号(防虫香)
黄熟香(香 木 )
紅臈纈絁等雑貼
錦綾絹絁布類及雑裂
古屏風装古裂
第六十三号
─一(ろうけつ染めの裂などを貼り交ぜた屏風)
錦臈纈絁等雑貼
錦綾絹絁布類及雑裂
古屏風装古裂
第六十二号
─一(ろうけつ染めの裂などを貼り交ぜた屏風)
東大寺山堺四至図(東大寺の寺域図)
続々修正倉院古文書
第四十四帙第十一巻〔西行南第二倉公文下帳
ほか〕
(物品の出し入れに関わる文書)
雑札
第一号(木ふだ)
出蔵帳(宝庫からの出蔵の記録)
斑犀把漆鞘銀漆荘刀子
第二号(小刀)
金銀鈿荘唐大刀(儀式用の大刀)
金絵木理箱
第二十二号(献物箱)
碧地金銀絵箱
第二十五号(献物箱)
檜方几
第二十一号(献物用の台)
粉地彩絵几
第十号(献物用の台)附
白橡綾几褥
沈香末塗経 筒
沈香末塗経筒(巻物の容れ物)
東大寺山堺勅定(東大寺の寺域を記した文書)
欠)
赤銅柄香炉
第二号(柄付きの香炉)
─
1
金銅大 合 子
第三号(塔形のつまみのふたもの)
─
2
金銅大 合 子
第四号(塔形のつまみのふたもの)
佐波理合子(塔形のつまみのふたもの)
金銅花形合 子
第二号(すかしぼりのふたもの)
刻彫梧桐金銀絵花形合子 第三号(花形のふたもの)
鉄三鈷(鉄 製 の 仏 具 )
素木三鈷箱 ( 三 鈷 杵 の 箱 )
─
1
七条織 成 樹 皮 色 袈 裟
第三号(綴織の袈裟)
─
2
七条織 成 樹 皮 色 袈 裟
模造
─
1
御袈裟 幞 袷
第三号(袈裟のつつみ)
─
2
御袈裟 幞 袷
模造
(造寺に関わる役所の文書)
続修 正 倉 院 古 文 書
第 二 十 二 巻〔 造 甲 可 寺 所 解、 造 南 寺 所 解 ほ か 〕
正倉
第二十一巻〔養老五年下総国戸籍〕
(下総国の戸
院古文書正集
籍)
正倉
第二十九巻〔但馬国正税帳、因幡国戸籍〕(但馬
院古文書正集
国の決算報告書、因幡国の住民名簿)
正倉
第三十巻〔出雲国計会帳〕(出雲国の公文書授受
院古文書正集
報告書)
正倉 院 古 文 書 正 集
第 四 十 五 巻〔 造 仏 所 作 物 帳、 染 臈 纈 所 解 ほ か 〕
(物品のやりとりに関する文書)
十二支八卦背円鏡
第 十 三 号( 十 二 支 及 び 八 卦 文 様 の 鏡 ) 附
緋絁
─
2
御袈裟 箱
模造
漫背円鏡
第二十八号(文様のない鏡)
漫背円鏡
第十四号(文様のない鏡)
六角榲箱(鏡の箱)附
金銅鏁子
帯
─
1
御袈裟 箱 袋
第二号(袈裟の箱の袋)
紅牙撥鏤尺
第二号(染め象牙のものさし)
─
2
御袈裟 箱 袋
模造
─
1
御袈裟 箱
第三号(袈裟の箱)
暈繝錦几褥
褥類
第二十号(錦の上敷き)
赤銅合子
第一号(塔形のつまみのふたもの)
43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33
46 45 44
47
48
49
50
51
11
12
32 31 31 30 30 29 29 28 28 27 26 25 24 23 22 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13
柿厨子(収納棚)
55 54 53 52
仏説幻士仁賢経(称徳天皇勅願経)
最無比経( 光 明 皇 后 御 願 経 )
顕楊聖教論
巻第十三(唐経)
竹帙
第一 号 ( 経 巻 の つ つ み )
密陀絵雲兎 形 赤 漆 櫃
第一号(唐櫃)
竹帙
第五 号 ( 経 巻 の つ つ み )
漆皮箱
葛箱柳箱残欠(皮製の漆塗の箱)
丹
第二十一号・第九十五号(ガラスや釉薬の原料、絵の具)
磁瓶(二彩のかめ)
瑠璃坏(ガラスのさかづき)附
受座
棚厨子
第一号(収納棚)
黒碁子(碁石)
斉衡三年雑財物実録(宝物点検の記録)
白碁子(碁石)
2
花鳥背円鏡
第十五号(花鳥文様の鏡)附
紐・帯・題箋
1
犀角坏
甲(犀の角のさかづき)
(二十九)平成 二 十 四 年
出品目録
碧瑠璃小尺・黄瑠璃小尺(ガラスの腰かざり)
雑色瑠璃
第二号(色ガラスのトンボ玉)
碧瑠璃(緑ガラスのかざり玉)
雑色瑠璃
第一号(色ガラスのねじり玉)
瑠璃玉原料(ガラス玉の原料)
紫檀螺鈿把斑犀鞘金銀荘刀子
第二十三号(小刀)
3
漆皮箱(鏡 の 箱 )
沈香把鞘金銀花鳥絵金銀珠玉荘刀子 第十二号(小刀)
斑犀小尺(犀の角の腰かざり)
7
甘竹簫
其一・其二(管楽器)附
楸木帯
水角把沈香鞘金銀山水絵金銀珠玉荘刀子
第十三号(小刀)
4
銀平脱八稜 形 鏡 箱
第一号(鏡の箱)附
鏁子
8
鉄方響(打 楽 器 )
雑帯
第八号(組みものの帯)
9
持笠半臂
第八号
其一(板締め染めの胴着)
紫地亀甲仏殿文錦
第百二十八号櫃
雑第四十三号
其二(仏殿文
漆縁籧篨双六局龕(双六盤のいれもの)
水精双六子 ( 水 晶 の 双 六 の 駒 )
赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾 第八号(幡の脚のかざり)
紫地鳥獣連珠文錦
第百二十八号櫃
雑第四十三号
其三(鳥獣文
様の錦)
木画紫檀双 六 局 ( 双 六 盤 )
琥珀双六子 ( 琥 珀 の 双 六 の 駒 )
紫地菱文綴錦
東大寺屏風二畳の内
第十七号(綴れ織りの裂の残
双六子箱( 双 六 の 駒 の 箱 )
緑瑠璃双六子(ガラスの双六の駒)
正倉院古文書正集
第十巻
〔大倭国正税帳〕
(大和国の決算報告書)
黄布袍
第二十二号(麻の上着)
黄地花文夾纈絁
東大寺屏風二畳の内
第六十二号(板締め染めの
裂の残片)
片)
双六頭(象牙の双六のさいころ)
続修正倉院古文書
第十五号
〔大粮申請継文〕
(官庁の食料等の請
44
47 46 45
浅緑瑠璃双六子(ガラスの双六の駒)
41
43 42
双六筒(さ い こ ろ の 振 り 筒 )
藍色瑠璃双六子(ガラスの双六の駒)
黄瑠璃双六子(ガラスの双六の駒)
様の錦)
錦襪
第一 号 ( 錦 の く つ し た )
6
紅牙撥鏤撥(染め象牙の琵琶の撥)
丹袋
下丹
其一(丹の袋)
40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22
5
螺鈿紫檀琵 琶 ( 弦 楽 器 ) 附
腹板
62 61 60 59 58 57 56
21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
76
國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年
『シルクロードの終着点』を訪ねた三十年
77
求書)
8
揩布屏風袋
第十二号
第百十一号櫃(屏風の袋)
7
鹿草木夾纈屏風
残欠
第八号
第七十三号櫃(板締め染めの屏風)
紫檀小架( 架 け 具 )
書几残欠
第七十一号櫃(書見台の残欠)
紫檀金銀絵 書 几
古櫃
第二百六号櫃納物
其四(書見台)
密陀彩絵箱
第十四号(献物箱)
仮作黒柿長 方 几
第十六号(献物用の台)
粉地彩絵几 第九号 (献物用の台) 附 白綾几褥
金銅小盤( 花 形 の 脚 付 き 皿 )
金銅八曲長 坏
第一号(花形のさかづき)
銅薫炉(球 形 の 香 炉 )
続修正倉院古文書別集
第四十七巻〔優婆塞貢進文、角勝麻呂定過
徴物文ほか 〕
東南院古文書
第三櫃第一巻
〔伊賀国玉滝杣券〕
(伊賀国拓殖郷の
土地売買に 関 す る 書 類 )
黒漆塗香印押型盤
古櫃 第二百六号櫃納物
其十七(香印の押型)
漆金薄絵盤
甲(香印坐)附
蓮弁
漆弾弓
第二号(遊戯用のはじき弓)
投壺矢(投げ矢)
投壺(投げ矢の壺)
伎楽面
太孤父
乾漆
第十五号(伎楽の面)
伎楽面
治道
木彫
第百十八号(伎楽の面)
伎楽面
酔胡従
木彫
第二十六号(伎楽の面)
笛吹袍
呉楽
第七十三号
其二(楽人の上着)
横笛
第二号(よこぶえ)
尺八
第一号(たてぶえ)
檜和琴(やまとごと)附
玳瑁絵
揩布屏風袋
第九号
第百十一号櫃(屏風の袋)
続々修正倉院古文書
第二十二帙第五巻〔奉写一切経経師写経手実
帳〕(写経生の報告書)
象腋経(今 更 一 部 一 切 経 )
銅蓮弁残欠
銅鉄雑鉸具
第七十四号(銅製の蓮弁)
白石火舎
第一号(大理石の香炉)
印の受け皿)
弘仁二年勘物使解(宝物点検の記録)
24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10
の屏風)
賢劫経
巻第十一(隋経)
9
菴室草木鶴夾纈屏風
残欠
第十六号
第七十三号櫃(板締め染め
諫王経(光 明 皇 后 御 願 経 )
黒漆塗平盆
古櫃 第二百六号櫃納物
其十七
黒漆塗平盆 ─一(香
正倉院古文書正集
第二十五巻〔御野国山方郡三井田里戸籍〕
(美濃
国の戸籍)
大乗悲芬陀 利 経
巻第四(称徳天皇勅願経)
48
6
鹿草木夾纈屏風(板締め染めの屏風)
5
鳥毛帖成文 書 屏 風
第一扇・第四扇(鳥毛文字の屏風)
4
漆皮箱
第十号鏡附属(鏡の箱)
3
平螺鈿背円 鏡 残 欠
第五号(螺鈿飾りの鏡の残欠)
2
平螺鈿背円 鏡
第十号(螺鈿飾りの鏡)附
緋絁帯
1
平螺鈿背円 鏡
第十一号(螺鈿飾りの鏡)附
題箋
(三十)平成二 十 五 年
出品目録
彩絵長花形几 第十八号(献物用の台)附 白綾几褥
蘇芳地金銀絵箱
第二十七号(献物箱)
白檀八角箱
第三十五号(献物箱)
黒柿蘇芳染金銀絵如意箱
鯨鬚金銀絵如意
第九号附属(如意の箱)
鯨鬚金銀絵如意
第九号(鯨の鬚の如意)
漆彩絵花形皿
第二号(花形の脚付き皿)附 旧脚
密陀絵盆
第六号(油絵を施した盆)
金銅六曲花形坏(花形の容器)
34 33 32 31 30 29 28 27 26 25
49
50
63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51
64
斑犀把紅牙 撥 鏤 鞘 刀 子
第四十号(小刀)
斑犀把金銀 鞘 刀 子
第九号(小刀)
紫檀銀絵小墨斗(小型の墨壺)附
旧糸車
雑帯
残欠
第二十号(組みものの帯)
金銀絵小合子(小型のふたもの)
夾纈羅几褥
褥類 第十三号(献物用の台の上敷き)
古櫃
第五十四号(宝物の収納容器)
古櫃
第十九号(宝物の収納容器)
飾金具
幢幡鉸具
特色金銅鉸具雑貫
第三十一号
其一・四
扉枘請金具残欠
銅鉄雑鉸具 鉄器破片 扉枘請金具
残欠
第七十
七号の内(軸を受ける金具の残欠)
鑰匙
銅鉄雑鉸具
第七十六号(無銘)
(鍵)
56 55 54
─
1 白牙把水角鞘小三合刀子 第三十四号(三本組の小刀)
慶長櫃
櫃
第九十六号(宝物の収納容器)
緑地霰花文錦
東大寺屏風二畳の内
第四十三号(天蓋の飾り)
ど)
黄地花文臈 纈 羅
第五号(卯日の儀式用の机の覆い)
樹下鳳凰双羊文白綾
東大寺屏風二畳の内
第六十五号(樹下鳥獣
─
1 椿杖
第四号(卯日の儀式用の杖)
─
2 椿杖
第五号(卯日の儀式用の杖)
正倉院古文書正集
第三十五巻〔播磨国郡稲帳、備中国大税負死亡
人帳、周防国正税帳〕(播磨国・備中国・周防国から進上された地方
財政関係の 書 類 を 収 め た 巻 )
続修正倉院古文書
第九巻〔近江国志何郡古市郷計帳手実〕
(近江国
志何郡住人の徴税基本台帳作成のための申告書を収めた巻)
続修正倉院古文書 第二十三巻〔巧清成等月借銭解ほか〕
(写経生の
借銭申請書 を 収 め た 巻 )
続修正倉院古文書別集
第十一巻〔奉写一切経所解案〕
(写経所の給
与に関する 書 類 を 収 め た 巻 )
続々修正倉院古文書
第三十八帙
第八巻〔大神宮飾金物注文ほか〕
(神宮内宮の建物の飾金物に関する書類などを収めた巻)
東南院古文書 第二櫃 第三巻〔仏像及堂宇修造文書〕
(東大寺の仏像
と堂舎の修造に関する書類を収めた巻)
正倉院塵芥文書
第十八巻〔綱封蔵見在納物勘検注文〕
(平安時代の
南倉の宝物 点 検 記 録 )
正倉院古鑰
銅鉄雑鉸具
第七十五号(正倉院正倉の錠と鍵)
花喰 鳥 刺 繍 裂 残 片
幡類
残欠
第百二十八号櫃
雑第三十一号
文様の綾)
62 61
大乗阿毘達磨雑集論
巻第十四(唐経)
(鳳凰の刺繍の残片)
63
摩訶僧祇律
巻第一(今更一部一切経)
毘邪娑問経
巻上(光明皇后御願経)
66 65 64
の机の覆い の 残 片 )
黄地花文臈纈羅残片
第三号
其一
卯日御杖机覆(卯日の儀式用
三十足几
第十七号
卯日御杖机
第百号櫃(卯日の儀式用の机)
緑地唐草襷花文錦 他
古屏風
第五十五号
其四(錦の裂の残片な
60 59 58 57
─
2 白牙把水 角 鞘 小 三 合 刀 子
模造
44 43 42 41 41 40 39 38 37 36 35
46 45 45
47
48
49
50
51
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國學院高等学校「外苑春秋」第4号 2014 年