悪法は無法に勝る?

SMGレポート 2707
有事のルール-:「悪法も無法に勝る?」 [迫りくる法改正の荒波-17]
●陽の当らないコインの裏側が、例えどんなに腐食していてもそれには触れず、
表側だけに光を当て、反射が強いことを理由に対策が不可欠だとする論法-政府
が何かと多用するこの論法は、ある種の錯誤を呼び起こしかねない「脅迫行為」に
似ており、派遣法論議も、同じ脚本の様に見えるのです。●労働者派遣法改正を
巡る政府見解を検証すると、ほぼ次の3点に集約する事が出来ます。①指定26
業務に該当する人だけ期限の定めが適用されず、その外の職種の派遣就労者は
3年で期限切れ-というのでは不公平であり、違法派遣の温床ともなり易い。業務
間の差別的取り扱いの壁をなくし、一律3年の期限設定とすれば、運用上も判り
易く平等性も担保できる。②働き方が多様化している時代に、同一職種を何十年
も継続するというのはそもそも非現実的であり、ITの加速度的進化により仕事が
なくなるリスクも格段に増す。例え3年毎に職場が変ったとしても、様々な分野の
職能が身に付き、寧ろ適職にめぐりあうチャンスも増える。③派遣といっても期間
雇用(有期雇用)に限られる訳ではない。無期雇用という道も用意されており、派
遣先で必要とされれば正社員にもなれる。●①は下方収束タイプの昔から良くあ
る平等論。「水は低きに流れる」の典型で、勿論、指定業務を増やして制限を受け
ない対象者を拡大し、上方収束させよう等と云う議論は全く出て来ません。仮に税
収増が、政府にとって喫緊の課題であるなら、不安定収入の国民を更に増やして
どうしようと云うのか-という疑問が生じますが、「専門業務枠撤廃」の政策意図
が、「専門性」によって維持されていた一定の報酬相場に値崩れを惹き起こす事に
あり、それが収益増を追求してやまない財界の、その要望に応えたに過ぎなかっ
たとすれば、規制緩和の大義名分によって政策が正当化され、真相が覆い隠され
ただけの話であり、税収議論は視野の外だったとも言えます。②はエンプロイヤビ
リティ=一企業に止まらず、別の企業でも雇われ得る職業能力を指す米国生まれ
の概念=の推進論そのもの。円滑な労働移動が可能な、米国のような職務給型
社会では、比較的納得し易い考え方でしょうが、柔軟な人事異動や配属替えを重
視し、その為に職能給ベースの賃金体系を構築してきた日本企業が、この思考を
借りてそれらしく装おうとしても、社員定着化による固定費の増加を防ぎたいだけ
ではないか、と受け取られるのがオチ。実の処、派遣法改正はダミーで正社員縮
減が真の狙いだ、とする声も少なくなく、福岡特区での外資系企業向け案内にあ
る様に、解雇を有効とした裁判例などを列挙し、解雇規制のカベが企業活動に支
障を来たすのではないか、と云う外資側の懸念を払拭するのに腐心している様子
を見ると、こちらの説の方が説得力があるとも云え、「解雇の金銭解決の法制化」
等による(正社員の)解雇規制の易化が照準と考えれば、エンプロイヤビリティ推
進を図る上で派遣期間の上限規制は、うってつけのテストケースと云う事になりま
す。③これについては、95年の日経連による「新時代の日本的経営」に全て答え
=正社員(長期蓄積能力活用型-現在では、メンバーシップ型)、専門職(高度専門
能力活用型-いわゆるジョブ型の有期雇用)、雇用柔軟型(パート・派遣等)の区
分:パレートの法則をベースに、正社員2割、専門職3割、流動的雇用者5割という
構成=が書かれており、「必要とされれば正社員登用もあり得る」等と云うのは、財
界を構成する大手企業では全く通らない、限りなく詐欺に近いお伽噺であるのは
明白なのです。●つまり「悪法も┅」と言うホッブスの言葉は、支配者側にとって「無
法」が無秩序と同義であるからであり、市民目線から発せられた言説ではない、と
いう点において、派遣法改正は、正に「無法に勝る」-と言えるのです。