Untitled - 四街道こども記者クラブ

四街道こども記者クラブ通信
東松島市取材特別号
東松島の笑顔
支え合う人々のすがた
四街道こども記者クラブ
1冊の本にまとめました。
1
松
東
島
市
取
材
に
つ
い
て
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こども記者が2日間の取材で感じたたくさんのことを、
1
2
4
松
東
島
市
取
材
マ
ッ
プ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8人のこども記者が東松島市を目指しました。
6
ど
子
も
の
笑
顔
は
大
人
の
笑
顔
東
松
島
市
長
阿
部
秀
保
さ
ん
の
話
・・・・・・・・・・・
子どもの目線で東松島の今を伝えるため、
8
の
私
見
た
こ
と
東
松
島
市
議
兼
消
防
団
熊
谷
昌
崇
さ
ん
の
話
・・・・・・・・・・・・・
「被災地で暮らす人たちは、どんな思いでいるのか」
9
ど
こ
も
記
者
シ
ャ
ツ
を
わ
た
し
ま
し
た
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「震災から3年以上経った東北のまちはどうなっているのか」
10
東
松
島
市
キ
ャ
ラ
ク
タ
ー
イ
ー
ト
く
ん
、
イ
∼
ナ
ち
ゃ
ん
/
市
役
所
取
材
で
感
じ
た
こ
と
・・・
こども記者クラブの東松島市訪問プロジェクトが動き始めました。
11
デ
ィ
ス
カ
バ
リ
ー
セ
ン
タ
ー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、四街道市と東松島市をつなぐ皆さんの協力で、
12
人
が
集
ま
る
店
あ
ご
ら
/
え
ん
ま
ん
亭
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
交流を続けてきた2つのまち。
13
松
島
基
地
/
ベ
ル
ト
コ
ン
ベ
ア
ー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四街道市内のイベントで東松島物産展を開催するなど、
14
メ
ガ
ソ
ー
ラ
ー
/
マ
ッ
プ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
震災で家族を亡くした子どもたちを招待しての東京観光、
16
人
と
人
と
を
つ
な
ぐ
お
の
く
ん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後も四街道市のバスの貸し出しや、
18
N
特
産
品
で
街
を
元
気
に
ふ
れ
愛
い
ち
ば
﹁
ま
ち
ん
ど
﹂
・・・・・・・・・・・・・・・・
四街道市と東松島市の最初の出会いでした。
20
自然の脅威、復興への希望、東松島の皆さんの温かさ。
T
あ
と
が
き
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四街道市内から集まったたくさんの救援物資を届けたのが、
四
街
道
こ
ど
も
記
者
ク
ラ
ブ
に
つ
い
て
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成23年3月28日、東日本大震災の混乱が続く中。
もくじ
東松島市取材について
陸前赤井
矢本IC
車道
三陸自動
市役所
1
矢本
あごら
東松島市
3
東矢本
4
石巻市
えんまん亭
10
ふれ愛いちば まちんど
鳴瀬奥松島IC
国道
45
ディスカバリーセンター
2
鹿妻
号線
小野駅前応急仮設住宅
松島基地
5
9
陸前小野
場所は取材当時のものです。
星 海里
陸前大塚
Nマップ
JR
8
線
石
仙
野蒜
東名
7
6
ベルトコンベアー
メガソーラー
① 市役所 市のためにたくさんの人
② ディスカバリーセンター いろん
が働いています。ここでは、公認キャラ
な状態の地球を見ることができ、沢山
クターのイートくん&イーナちゃんに
の世界のことを学べます。日本に一つ
会えます。
しかない地球儀を見に来てください。
③ あごら おいしいごはんがたくさ
④ えんまん亭 ボリュームある食事
ん!優しさたっぷりみんなの人気者の
が魅力的な定食屋。あら汁には、魚が一
店です。ここは喫茶店だけではなく、お
匹ついてきました。
いしいお弁当も売っています。
⑤ 松島基地 平成 2 8 年の訓練生が
⑥ ベルトコンベアー 安心な土地を
⑦ メガソーラー 昔野球場だったメ
戻ってくるために今は飛行機3機でが
作るためたくさんの土を運んでいま
ガソーラーは、今は巨大なソーラーパ
んばっています。
す。ベルトコンベアーは松島の風景を
ネル群になっていろんな人の安心を支
守るため、黒っぽい色になっています。
えています。
⑧ Nマップ Nマップの中にあるコン
⑨ 小野駅前応急仮設住宅 東松島の
⑩ ふれ愛いちば まちんど 人を思い
ビニは工事の人をはじめとしたたくさ
お母さんたちが一針一針めんどくしぇ
やって作ったあごらの姉妹店。いろい
んの人に役立っています。野蒜駅は移
(一生懸命)とぬったかわいいおのくん
ろな特産物があり、四街道のものもあ
転中です。
3
人形に会いにきてください。
ります。
2
僕たちは東松島市役所に行った。
いたって普通の造りをした市役所
だ。そこで僕たちは東松島市の市長
と議員二人のそうぜつな話を聞いた。
皆さんは震災当時議場にて、市民
にとって何が必要なのかを考え必死
に行動していた。
地震発生直後揺れが大きく建て物
の崩解を心配したが、崩解はなく一
時安心したという。しかしすぐに黒
い物が東松島市をおそった。そう。
津波だ。
家は流されなにもかも失った。
日は雪だった。人々は寒さにふ
しい﹂
。その恐怖
……
石渡壮馬
備えを妥協せずしっかり対策してほ
と﹄を常に意識して震災にたいする
﹃逃げること、歴史は繰り返すこ
﹁この震災を教訓として忘れずに、
そして最後に市長はこう言った。
も早い復興を目指しているそうだ。
子どもたちの笑顔のために一日で
ている。
もある﹂といった言葉が心にのこっ
笑顔だし、子どもの夢は大人の夢で
ついてだ。﹁子どもの笑顔は大人の
二つ目は子どもの笑顔の大切さに
うだ。
人ていいな。誇れるな﹂と思ったそ
ランティアにきていたときに﹁日本
の役にたちたい﹂という気持ちでボ
自腹で長い時間をかけて学生が﹁人
支援物資を配るときにも並んだり、
一つは日本人の優しさについて。
ことを感じたという。
また、市長は震災を通して二つの
魅力ある街にしたいと市長は言う。
いから、みんなが戻ってきたくなる
っとにぎやかで活気にあふれてほし
など様々な対策がとられている。も
しかし、今では防波堤が作られる
思う気持ちはとてもわかる。
怖く憎く、少しでも遠くにいたいと
たしかに多くの命をうばった海だ。
松島市の人口は減っているという。
からほかにひっこす人がでてきて東
っくろな恐怖の海へ
そして多くの人々も流された。ま
るえた。
月
3
4
5
11
た。
性を温めた。男性は命を取りとめ
らった。家の人に毛布を借りて男
かったので、その家に上げても
う。しかし、こっちも助けが欲し
﹁助けが来た﹂と思ったのだろ
らしかえしてくれた。きっと、
すると、一つの家がライトを照
た。
水をライトで照らしながら歩い
で、二人でかついだまま、流れる
しまう。でも、男性は歩けないの
ないと自分たちも流されて死んで
も流れがあって男性が歩いてくれ
かっていて歩けない。でも、水に
い﹂
る。思い込みで行動してはいけな
まった。自然は人間の想像を超え
まいポンプ車を一台ダメにしてし
﹁私は、思い込みで行動してし
は最後に力強くこう言った。
生々しい話をしてくれた熊谷さん
方不明の方がいるという。そんな
そうだ。東松島市では現在でも行
び会えただけよかった﹂と思った
からない人よりは、見つかって再
も、熊谷さんは﹁︵遺体が︶見つ
ごく大きな声で泣いていた。で
遺体が見つかった人は、ものす
する。
を見た人
と、それは
葉だった。
中川怜美
。熊谷さんにしか言えない言
……
・
翌朝から、行方不明者捜索・遺
体捜索が始まった。昨日、助けら
れなかった老人は亡くなってい
た。他にも赤ちゃんを抱きなが
ら、泥まみれになって亡くなって
いるお母さんなど、たくさんの遺
体があった。遺体を見つけると避
難所へ運び﹁何処でどのようにし
てあったか﹂を伝えて身元を確認
11
に避難をよびかけていた。
は、ポンプ車に乗り、市民の人々
会議員兼、消防団の熊谷昌崇さん
その時、宮城県東松島市の市議
怖に落とした東日本大震災。
すると、まるで川のようになっ
はポンプ車から脱出した。
た仲間に上げてもらい、熊谷さん
そして、先に車の上に無事上がっ
てくる水に恐怖を感じたそうだ。
め、熊谷さんは一人下から迫まっ
時、運転席側の窓から逃げたた
﹁津波が来ますーーーーーー避
た街が眼下に広がっていた。この
日、日本中を恐
難してくださいーーーーーー﹂
ままでは危ないと思い、近くに
月
その時、熊谷さんは﹁たいした
あった電柱によじ上った。そこか
平成 年
津波はこないだろう﹂そう思って
ら、電柱にすがって﹁お父さー
かった。
性の老人が見えたが、助けられな
ターンしてもらおうとした。とこ
ずっと柱にしがみついているの
が来るのを目撃し、すぐさま
ろが、 ターンしている間に津波
U
いた。だが、助手席に座っていた
11
ん、お父さーん﹂と泣いている女
3
熊谷さんは、まっ黒でくさい津波
23
て、ポンプ車は止まった。そし
流されてガードレールにぶつかっ
に襲われた。大きなポンプ車も、
るいた。そこに、木にすがってい
い、流れている家の屋根を渡りあ
は、さすがに身がもたないと思
代の男性を発見し、救助し
る
手動の窓から脱出した。脱出の
て、脱出するために開けておいた
U
た。だが、男性はずっと水につ
20
6
7
3
お話を伺った東松島市議兼消防団の熊谷昌崇さん
東松島市役所の部屋に入って、お話を聞い
ている最中に、なんとイートくんとイ∼ナ
ちゃんがきてくれました。
イートくんとイ∼ナちゃんは東松島市の
キャラクターです。名前の由来は、東松島の
「東(イースト)」と「心(ハート)」を組み合わせ
た名前で、耳のハートは市の花の桜の花びら
を表しています。
普段は主に、復興政策課にい
ます。そのほかに、東松島のお店やお祭などに
行って活動をしています。
イートくんとイ∼ナちゃんは、東松島を元
気にする活動を続けています。これからも東
松島を元気づける活動に期待しています。
東松島市長の阿部秀保さん(中)、東松島市議の阿部勝徳さん(左)、熊谷昌崇さん(右)に寄せ書き入りの Tシャツを渡しました。
角田愛奈
取材 2 日目に、東松島市役所に行きました。
こども記者は緊張していましたが、市役所の中
はきれいで、職員の皆さんも明るく迎えてくれ
東松島市役所で私たちこども記者は、市長さんと議
て、こども記者の緊張もやわらいだ様子でした。
員さんに寄せ書き入りのこども記者 Tシャツを渡して
部屋に到着するとそこには千羽鶴や寄せ書
きました。T シャツを渡したのは市長さんたちですが、
きがたくさんありました。お話の前に実際の津
東松島の皆さんにも思いが届いてほしいと思います。
波の映像を見せてもらいました。市長さんと議
こども記者Tシャツは私たちが手作りプリントで制
員さんから震災の当日の様子や被害について、
作したもので、市長さんに渡したTシャツは、こども記
震災後の対応などについてのお話を聞きまし
者と四街道市役所の職員が寄せ書きして渡しました。
た。私たちこども記者のために真剣に話してい
ただいたことに感謝しています。
東松島市役所の取材に行ってこども記者は
自分の身を守ることについての大切さを改め
て感じることができました。
〈寄せ書きを書いてくれた職員にインタビュー〉
T シャツに寄せ書きを書いてくれた、四街道市役所
職員の三好さん。
「ライジングサン」と書いていただき
ました。寄せ書きの意味を三好さんに聞いてみると「海
から太陽が登るイメージで東松島の皆さんが元気に
なってくれたらいいな」
と話していました。
9
四街道市役所職員の三好周さん
8
あごらとは、矢本駅から歩い
そうです。
月
日から、夜営
日からお昼だけの限
なのでしょうか?科学地球儀とは、
そもそも﹁科学地球儀﹂とは何
場所です。
に初めてできた科学地球儀の展示
ディスカバリーセンターは日本
も見せてあげたい。もう一度、笑
を見て、﹁東松島の子どもたちに
もたちの目がキラキラしているの
見ているときのデンマークの子ど
学地球儀を見学しました。それを
そうです。しかし、作るまでには、
顔が見たい﹂と作る事を決心した
られてくる大陸・海岸・気候・天
ノア︵アメリカ海洋大気局︶との
mの球体で人工衛星から送
体に関する様々なデータを映し出
契約など、大変な苦労があり、平
直径
すものです。過去の地震や台風の
日にやっとオープン
ろで、なぜ東松島市に科学地球儀
科学地球儀の事がわかったとこ
いそうです。
は学校の授業などに役立ててほし
することができました。これから
月
成
ができたのでしょうか?ディスカ
僕たちは、オープン前の
年
状況も映し出す事ができます。
バリーセンターを作った橋本さん
見学させていただきました。映像
番 大 切 な 物 を 聞 く と﹁ 総 理 大 臣
な っ て い る そ う で す 。店 内 で 一
ま た 、そ の 感 想 が 心 の は げ み に
ニケーションをとっています。
感 想 を 見 て 、お 客 さ ん と コ ミ ュ
さ ん は 、ノ ー ト に 書 か れ て い る
ノート﹂が置いてあります。店長
え ん ま ん 亭 に は﹁ ふ れ あ い
た。
は一番悲しい事だと思いまし
う二度ともどれないということ
く な っ て し ま い 、そ の 場 所 に も
は 、震 災 で 自 分 の 家 や お 店 が な
ガ ソ ー ラ ー が で き て い ま す 。僕
害 危 険 区 域 に 指 定 さ れ 、今 は メ
もう人が住むことのできない災
話 し て く れ ま し た 。そ の 場 所 は
富田結斗
と 一 緒 に と っ た 写 真 で す 。こ う
い う 機 会 は 二 度 と な い か ら ﹂と
教 え て く れ ま し た 。お 店 の 名 前
の由来を聞くと﹁自分の名字が、
日に
に話を聞いてみました。橋本さん
え ん ど う で 、お 兄 ち ゃ ん の 名 前
のバリエーションが多く、雲の動
え ん ま ん 亭 は 、矢 本 運 動 公 園
に ま ん が つ い て い る の で﹃ え ん
は、東松島市の姉妹都市でもあり、
その日にまた地震が来てしまい、
に 建 て ら れ た 仮 設 店 舗 で 、ラ ー
まん亭﹄にしました﹂と答えてく
きや温暖化のシミュレーションな
の飲食店です。
その数日後にようやく再開する
メンや定食などを出しているお
れました。
震災後にたくさんの援助をしてく
東日本大震災で被災しました。
ことができたそうです。
店です。
最 後 に 店 長 さ ん は﹁ 本 当 は 元
どを見ることができて、びっくり
津波の海水が腰のあたりまで店
僕は、震災後で自分たちも大
元 々 、野 蒜 地 区 で お 店 を 開 い
れたデンマークに行き、シンポジ
内に入ってきたそうです。その
変な時に、周りの人たちの事を
の場所にもどってお店を開きた
しました。ぜひ、皆さんも自分の
時、魚、灯油、重油のにおいが
て い ま し た が 、津 波 で お 店 は 流
月
さらに、食堂組合と協力して避
難所にいる人にお弁当も届けた
﹂と 涙 ぐ ん で
……
考えて行動した事は、なかな か
り、
人たちのためにお弁当を届けた
かをやりたいと思って、警察の
いるのにいち早く人のために何
です。店の皆さんは、被災して
水の大切さを改めて感じたそう
答えてくれました。その時は、
を確保するのが大変でした﹂と
道が止まってしまったので、水
充満していたそうです。一番大
ウムに参加したそうです。そこで
27
目で確かめてみてください。
7
古いさとうきび工場の中にある科
26
いんだけどね
業まで再開しようとしましたが、
1.7
されてしまいました。
年
8
できない事だと思いました。
てすぐの場所にある、創業
4
変だった事を聞いてみると﹁水
16
定メニューも出したそうです。
31
24
10
11
3
参考資料:三陸河北新報社(平成 26 年 7 月 27 日)
このソーラーパークは元々東松島市奥松島公園
大曲地区にある松島基地には有名なブルーイン
の一部(約47,000㎡)でした。
パルスというアクロバット飛行チームがいます。
そこは災害危険区域に指定されて、東松島市が
津波を受けたときブルーインパルスは福岡市上空
その土地をどうしようかと考えていました。
を飛行中で難をのがれましたが、松島基地は津波
そのときに、ある会社が復興のシンボルとして
の被害を受けました。
メガソーラーを作りたいという話をしてくれまし
た。そこで東松島市が土地を貸してメガソーラー
ができました。
旧野蒜駅は JR 東日本仙石線の駅でした。そし
ここでは津波の被害が大きかった野蒜地区の集
て、津波の被害を受けて使われなくなりました。
団移転先を整備しています。団地や線路をつくる
その駅舎を利用して平成 26 年 5 月 29 日にファミ
ために山をけずり、ベルトコンベアーで土をはこ
リーマートがオープンしました。
んでいます。
津波の影響でお店が少なくなってしまったた
め、近くに住む人や工事の関係者にとっても大切
そして水没した飛行機は28機。その1機が200
な所です。売場面積は120㎡で営業時間は午前7
数億円もするので被害が大きい。
時から午後8時です。平成26年2月に工事が始ま
今は飛行機をとめる場所を3m高くする工事を
り4ヶ月で完成しました。
ソーラーバネルは何枚あるかというと106,010
しています。その間訓練生は青森の三沢基地とい
枚もあります。
うところで訓練しています。
そこで作った電気は家庭に直接送るのではな
そして平成 28 年に工事が終わると松島基地に
く、電力会社に買ってもらっています。そのソー
戻ってくる予定です。
ラーパネルの発電量は、年間約210 万kw/h もあ
ります。これは一般家庭約600世帯分の年間使用
料に相当します。
さらに日本三景松島の一部ということで文化庁
と一年くらい協議し、海からみえないようにした
さらに代行バスの駅にもなっているため待合室
もできて地域のひとの交流の場にもなっていま
す。
13
牛嶋 諒
り、黒っぽい色にしたりして景観をくずさないよ
うにしたそうです。
どのくらいの量かというと1日当たり10,000㎥
です。これは一般的なダンプトラックにすると約
1,650台分の土をおろしています。
おろされた土を運ぶダンプトラックには秘密が
あります。通常の5倍の大きさで、外国で使われ
るような大きなトラックです。
ここでおろされた土は海岸の防波堤、盛り土な
どにつかわれています。
12
特 徴 的 な 鼻 に ま る い 目、体 の 左 側 に は﹁お﹂
の マ ー ク が か わ い ら し い、﹁お の く ん﹂を 作 っ
ている小野駅前応急仮設住宅の方とおのくんに
取材しました。
おのくんの魅力は、人を笑顔にできるところ
なんだと思います。私たちが取材させてもらっ
ているとき、おのくんを見に来ていた方は﹁か
わいい!﹂と言いながら、笑顔を見せていました。
おのくんは、東松島の方にとって、とっても大
切な存在なのですね。
年生の子がつ
さて、人を笑顔にできる﹁おのくん﹂ができ
るきっかけになったのは、小学
くってくれたという人形だったそうです。また、
﹁小野駅前応急仮設住宅﹂の人々の﹁ふるさと﹂
である東松島に来てほしい願いもこめられてい
るそうです。復興してほしい、そのような願い
がおのくんにはこめられているのですね。
小 野 駅 前 応 急 仮 設 住 宅 か ら と ら れ た 名 前 が
﹁おのくん﹂。しかし、おのくんの苗字は﹁めん
どくしぇ﹂と不思議な苗字。なぜ﹁めんどくしぇ﹂
なのでしょうか。一つは、手作りのおのくんを
一針一針縫うのがめんどくさいから、という理
由ですが、もう一つの理由は震災がおきて大変
になっていても、日々前向きに、新しい未来を
駅前応急仮設住宅」の人々の、住処
であった奥松島の復興を願って生ま
れたキャラクターです。支援者の方
がアメリカのソックモンキーを紹介
してくれたことから「おのくん」が
がひとつひとつ、丁寧にチクチク手
生まれました。小野のおかあさん達
縫いしています。
原美砂姫
皆 さ ん も、東 松 島 の 方 の 心 の あ た た か さ を、
てもいいことなのではないでしょうか。
もが入れる、安心できるところがあるのは、とっ
集会所は自由に出入りできます。そんな、誰
らけになっているのですね。
柄になっています。外から中から、おのくんだ
集会所にはいる前のベンチやゴミ箱はおのくん
つ く ら れ た り 販 売 さ れ た り し て い る の で す が、
小野駅前応急仮設住宅の集会所でおのくんは
た。
ながりはとても大切なものだと話してくれまし
い財産だ﹂と話してくれました。人と人とのつ
いい財産になった。人との関わりはお金よりい
小野の方は﹁おのくんがいることは、お金より
そのような感じで販売されているおのくんを、
しぇ﹂ですよね。
で手作りというのですから、本当に﹁めんどく
で一個のおのくんをつくっているのです。それ
おのくんの材料はくつ下。なんと、くつ下一本
思いがいっぱいつまっているおのくんですが、
められているのです。
築いていこう、という小野の皆さんの決心がこ
おのくんは、宮城県東松島市「小野
実感してみてください。
14
15
5
● めんどくしぇ おのくん
東松島市のキャラクター「イート&イ
∼ナ」は、何種類ものグッズになってま
はもちろん、シャーペンやボールペン、
ちんどに置かれています。キーホルダー
ては、「イート」や「イ∼ナ」のデザイン
メモふせんなどもあります。ものによっ
せなかを丸めてねているねこのようで、とてもかわいらし
ものがあり、メモふせんではブルーイン
い形をしています。おしゃねごの中にはせんたくバサミが
パルスとコラボしています。いろいろな
入れられていて、ねこの足をつまむと、手で物をはさむこ
「イート&イ∼ナ」、お気に入りを探して
とができます。これは、「トンボの会」という、被災したお
みてください。
﹁東松島ふれ愛いちばまちん
月に大曲市民
ています。
ほかにもまちんどでは、海苔う
どんやそば、牛タンカレー、﹁か
ど﹂は、平成 年
センターの敷地内にオープンした
ジ︶﹂という飲食店にある﹁あん
また、食品以外にも、東松島の
産の食品を売っています。
11
てなしょっぷまちんど﹂の 号店
お店です。﹁あごら︵
ぐやひめ﹂というお米など、地元
5
ペー
25
の特産品を売っています。あごら
で、東松島や交流があるほかの県
︵ ページ︶﹂やブルーインパル
キャラクター﹁イート&イ∼ナ
2
バスで来た観光客にも特産品を知
には駐車場がありません。なので、
す。
やストラップなども販売していま
スのグッズ、手作りのマグネット
も海苔は、たくさんの人の努力に
ろな特産品を売っています。中で
まちんどでは、東松島のいろい
したそうです。
すが、実は四街道の特産品、落花
いろな地元の特産品を売っていま
まちんどではこのように、いろ
一つ一つが手作りです。
母さんたちが集まって作っていて、
手作り品は、仮設住宅に住むお
よって作られています。海苔は東
生も置いていただいています。震
号店をオープン
松島でもともと作られていました
災で被害を受けた時、支援してく
て置いているのです。
が、震災で被害を受け、一度作れ
年ほどかけて再開し
も多くつかわれています。まちんどでは、本物を見るのと同じぐら
いブルーインパルスを楽しむことができます。
号店、こ
中嶋美来
と、人々の思いが詰まっています。
のお店には、県を超えたつながり
オープンしたまちんど
ってもらうために、4ヶ月かけて
少しでも多くの人に特産品を知
せだ、と話しています。
れたりするお客様がいることが幸
てくれたり、何度もお店に来てく
は、特産品を﹁おいしい﹂と言っ
まちんどの店員、千葉ゆきさん
るのです。
とまちがつながるきっかけにもな
などの特産品を売ることで、まち
東松島市だけでなく、四街道市
っています。
けた地域のいろいろな特産品を売
岡山県の塩ぽんずなど、支援を受
ここでは四街道市以外にも、熊
たそうです。荒波にもまれた、歯
にさりげなく使われていることもあります。実際に飛んでいる写真
本県の野菜パスタ、福岡県のゆず
種類あります。プラモデルや、ポスターのほかにも別のグッズの中
応えのある上質なのりを、まちん
漁師さんが
れたまちの特産品を、恩返しとし
駐車場を設けた
ってもらいたいという思いから、
9
なくなってしまいました。ですが
2
ルスのグッズは、種類がとても豊富です。キーホルダーだけでも数
ドレッシングやドライフルーツ、
2
という文字も、見るだけで温かい気持ちになれます。ブルーインパ
種類の味つけをして売っ
どでは
この絵はがきは、東松島の美しい写真のはがきです。ブルーイン
パルスや公園の桜や夕日、松島の風景もセットになって、5 枚組み
6
で売られています。1セットでいろいろな風景を楽しむことができ
ます。はがきの裏に小さく書かれている、「心をひとつに東松島」
16
17
2
おしゃねごは、 6 センチほどの、ねこのぬいぐるみです。
ルダーにはぬいぐるみとプラスチックの
が少し違うのもあります。また、キーホ
少しずつちがうのも魅力です。ストラップやイヤホンジャッ
母さんたちが集まる会が手作りしています。一つひとつが
クがついているものもあるので、いつでも持ち歩けます。
まちんどの店員千葉ゆきさん
あとがき
あとがき
何か月かたった今でも、小野駅前応急仮設住宅の
今回の取材の目的は、3年たった現地の様子を子ど
こども記者の活動で東松島に行きました。
今回の取材の目的は復興の様子を伝えること。い
集会所に行ったときのことをはっきりと憶えています。
もの目で見て伝える事。震災を風化させない事。の2
駅前は少しながらも人通りがあり店もやっていて
ろいろな人と出会い、いろいろな事を学びました。
私がまずおどろいたのは、くつをぬいではいるとい
つでした。
震災があったとは思えないほど整っていました。も
そして、分かったことは復興は進んでいるけれど、
うところでした。その時、なんだか家にあがるような
東松島市の方の、震災当時のお話を聞かせていた
う復興したんだなと思い、バスに揺られて海の近く
まだまだ終わっていないし、困っている人が数多く
気がしました。そのような感じで気楽に入れるところ
だいた事は、とても貴重な体験でした。特に、あご
に行きました。すると全く人通りがなく家屋や建物
いるということ。
も、この集会所ならではなのかなと思いました。
らの店長さんのお話には、感動しました。自分たち
が何一つない更地と化した光景に、津波の爪痕の大
僕たちはこの取材を終え困っている人々や、東北
また、最後、取材し終わり、バスで次の取材場所
も被災した大変な時に、人のために行動をする事は、
きさを感じました。津波の影響を受けた旧野蒜駅は、
の地を助けるために精一杯のことをしていきたいと
にうつるときです。小野駅前応急仮設住宅の方は、
なかなかできない事だと思いました。
レールが土に埋もれ、人気もなく廃墟となっていま
思いました。日本列島は多くの災害が起こるけれど
わざわざ外まででてきて、手をふって見送ってくだ
僕が、この取材を終えて一番心に残った事は、出
した。他にも私たちが昼食をとったお店では、津波
助け合って生きていきたいです。協力できることを
が来た高さでブラインドの色が変わっていて、こん
なるべくしたいです。
な高さまで来たんだと恐怖を覚えました。2日目に市
あと、復興が終わっていない事を忘れないで、伝
長さんにお話を伺った時も、市民の人で被災した
えていきたいと思いました。
さいました。その目が、とってもとてもとても温か
かったのを、わすれられません。取材させていただ
いた時、小野駅前応急仮設住宅の方は、「おのくん
がいることは、お金よりいい財産になった」と話し
てくれました。もしかしたら、そんな財産をささえ
ているおのくんが、小野駅前応急仮設住宅の方の笑
顔や温かい心を、作りだしているのかなと思います。
会った方々の笑顔です。皆さん辛かった事をくじけ
ずに乗りこえ て、前向きに今を生きていました。
僕は、東松島市の皆さんを応援したいと思いました。
まちづくりは、一歩一歩進んでいましたが、まだ
まだ復興には時間がかかると思いました。だから、
震災を風化させない事は大切だと思いました。僕は、
これからもずっと東松島市の事を忘れないで、僕に
できる事を考え続けていこうと思います。
富田結斗
(10-11ページ担当)
原美砂姫
(14-15ページ担当)
方々の大半は3年たった今でも仮設住宅にいると知り
「まだ終わっていない、始まったばかりだ」そう訴
えられた気がしました。今回の取材を通して自然の
力の大きさ、普通に生活できることの幸せを学ぶこ
とができました。
中川怜美
(6-7ページ担当)
星 海里
(2-3ページ担当)
「笑顔の復興、東松島」
僕は東松島取材でいろんなことを、学びました。
私は東松島取材に行って震災のことを思い出すこ
東松島に行って一番強く感じたのは人と人とのつ
私は、取材に行く前の夜、東松島の様子を想像し
震災から3年たった被災地での人々の生活。津波が来
とができました。震災から約3年経ち実際に行ってみ
ながりでした。
ました。街並は、全く想像がつかず、まだ少し落ち
たところに残った家の土台が見えたりとまだ震災の
ると、当時の大変さがわかりました。市長や議員さ
まだ仮設住宅に住んでいたり、現在でも東松島は
こんでいる人々の姿だけが頭の中に映りました。
爪痕がのこっており、まだ復興が完全にできていな
んは、たくさんの人が犠牲になったことや建物の被
完全に復興したとはいえない状態でした。そんなな
でも、実際に行ってみると、想像とは比べものに
いので、がんばってほしいと思いました。
害などの話をしてくださいました。また、 3 月 11 日
かでも前向きに津波への備えをして笑顔で暮らそう
ならないほど、明るい方々が私たちをむかえてくだ
メガソーラーでは、こんなに広い土地が以前は公
の実際の映像を見せていただいて自分の身を守るこ
としていました。あんなにつらく、悲しいことが
さいました。震災を思わせないほどの東松島の人々
園で震災の前は多くの人がここにいたんだなと思い、
との大切さを知ることができ、復興に向けての思い
あったのに前向きってすごいと思いました。
の笑顔は、まだ、はっきりと心の中に残っています。
N マップでは、今はかたづいていましたが、当時は
や人と人とのつながりを感じることができました。
また、復興は一人では不可能なはずです。支えあ
取材をしていくうちに、私たちの知らない震災の悲
ひどかったんだと思いました。
ディスカバリーセンターのスタッフの「東松島の
いお互いに復興へむかう。そんな人々のつながりを
惨さを知り、まだ、こわれたままのガードレールや
松島基地ではブルーインパルスは無事でしたが、
子どもたちを笑顔にしたい」という言葉が心に残り
強く感じました。そこで震災を忘れず風化させない
がれきの残る場所も見ました。
飛行機が流されて、自然の力はすごいことを改めて
ました。今回東松島に行って良かったと思います。
こともとても大事ですが、前向きに考えることもと
でも、そんな中で、力強く復興へ向かう人々の姿
実感しました。
これからも復興に向けて頑張って欲しいと思います。
ても重要なのだなと感じました。
に、私たちまで元気づけられました。
そのようなことが少しでも伝えられたらよいと思
震災は、まだ終わっていません。だからこそ、一
います。
人ひとりが震災を忘れずに、向き合っていかなけれ
ばいけないということを、今回の取材で学びました。
中嶋美来
(表紙イラスト、16-17ページ担当)
19
牛嶋 諒
(12-13ページ担当)
角田愛奈
(8-9ページ担当)
石渡壮馬
(4-5ページ担当)
18
四街道こども記者クラブについて
四街道こども記者クラブでは、子どもと大人が一緒に四街道の
まちを取材し、魅力や課題を見つめながら情報発信をしています。
1. まちのメディアとして、地域みんなで地域を見つめるきっかけに
「子どもの視点」でまちの様子を伝えることで、記事を読んだ人、
四街道こども記者クラブ通信 東松島市取材特別号
取材を受けた人など、関わるたくさんの人が四街道のまちを
東松島の笑顔 支え合う人々のすがた
見つめ直すきっかけになり、まちへの愛着が深まります。
平成27年2月28日 初版第一刷発行
取材 石渡壮馬 牛嶋 諒 角田愛奈 富田結斗
中川怜美 中嶋美来 原美砂姫 星 海里
同行おとなスタッフ
小栗也実 齋藤久光 田口龍一 友藤香織
星 美記
こども記者 石渡壮馬 板谷怜子 牛嶋 諒 内村池佳
小川瑞生 角田愛奈 栗野祐樹 古賀彩音
芝﨑 愛 染谷太陽 竹内愛美 富田結斗
中川怜美 中嶋美来 中條愛華 西川優嗣
朴 俊源 原絵理砂 原美砂姫 星 海里
松本理玖 南澤ののか 南 斗和
おとなスタッフ 小栗也実 工藤大輔 小島妃佐子 齋藤久光
佐藤裕紀 高梨優希 田口龍一 露久保光平
友藤香織 中川美奈 星 美紀 山田 咲
両見英世
協力 四街道市みんなで地域づくりセンター
四街道市役所
〈お世話になった皆さん〉
順不同、肩書は取材当時のものです。
2. 子どもたちを中心に地域の輪がひろがる
子どもたちは取材を通して、さまざまな年齢や立場の人と関わります。
東松島市
こども記者クラブを中心に、家庭や学校・行政・企業・
東松島市長 阿部秀保さん
市民団体など新たな地域のつながりができます。
東松島市復興政策部長 古山守夫さん
東松島市議会議員 阿部勝徳さん
東松島市議会議員 熊谷昌崇さん
東松島市役所の皆さん
3. 一人一人が輝ける場、成長できる場に
旨い食処あごら 渥美勝之さん
子どもたちは、取材や記事作りを通して、コミュニケーション能力、
旨い食処あごらの皆さん
課題解決力、創造力などを発揮し、伸ばしていくことができます。
小野駅前応急仮設住宅 武田文子さん
小野駅前応急仮設住宅 おのくん
小野駅前応急仮設住宅の皆さん
大人のスタッフも、自分の得意分野を生かして輝くことができる場です。
地域をつくる一人としての成長を目指します。
ディスカバリーセンター 橋本孝一さん
ディスカバリーセンターの皆さん
えんまん亭 遠藤惣之助さん
えんまん亭の皆さん
東松島ふれ愛いちばまちんど 千葉ゆきさん
東松島ふれ愛いちばまちんどの皆さん
松島町
発行所 四街道こども記者クラブ
旅籠まつしま香村の皆さん
284-0001千葉県四街道市大日396
043-304-7065
四街道市
[email protected]
四街道市福祉サービス部長 小澤芳雄さん
http://www.kodomokisha.jp
地域新聞社 石渡英輔さん
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