第 14回 東日本大震災復興支援活動(南相馬)報告 『第14回震災復興

平成27年8月吉日
東京掃除に学ぶ会
代表世話人 千種敏夫
第 14回
東日本大震災復興支援活動(南相馬)報告
記
1
2
主催団体名
東京掃除に学ぶ会
(随行責任者 東京掃除に学ぶ会
波多野
勝彦)
活動目的と具体的内容、スケジュール
① 活動目的
:
東日本大震災の被災地復旧・復興支援
参加者の心磨き
佐々木様他 竹薮の伐採、整備支援活動
② 具体的内容
:
③
スケジュール
8月8日(土) 23:00
23:15
9日(日)
6:00
7:30
8:30
9:00
15:00
16:00
22:50
3、参加者
19名
(別添)
新宿西口集合受付開始(スバルビル前)
出発、車中泊、途中 2 回休憩の予定
南相馬市内到着、コンビニで朝食、
南相馬市ボランティア活動センター着・準備
受付
現場着・活動開始
活動終了・片付け作業等
現場出発
新宿駅 解散
(大阪産業大学
野球部
33 名)
『第14回震災復興支援活動の感想と反省』
南相馬は今回で12回目になりますが、初めて怪我人が出たのが痛恨の極みで、小生
が竹藪伐採とチェンソーの取扱いを甘く見たのが原因であり反省しております。
①参加者は大坂産業大学33名、東京掃除に学ぶ会19名の多人数にもかかわらず、
機械扱いの経験者などベテランの指導者が前回比少なかった。
前回8月2日は学生
9名に対し、大人14名(内女性1名)
今回8月9日は学生32名
〃、
〃19名(内
〃2名)
特に問題は、扱いが危険で難しいチェンソーの経験者が極めて少ない状況であった
ことです。
②作業現場は前回の続きと新規の竹藪2か所であったが、
前回の残りを片づけたい、の一心で新規の現場は、全て波多野さんにお任せで、現
場確認できず、全く未確認のまま終了という無様な結果でした。
③特に終了目標の時間内に片付けたく最後の追い込み時に、切り落とした枝を崖下の
堀に集めたが、その回収場所作りに集中し、作業現場の全体を把握できない所での作
業のため全体把握を怠ったこと。
④作業現場を予め確認できればベスト、出来なければどのような道具が必要か?でき
ればこちらから道具持参すれば、作業開始と終了後の道具返却手続きがカットされ
大幅な時間短縮ができる。
危険なチェンソー、電動ノコを必要とするときは、今後草加建設様等のプロに道具
と人材派遣のお願いも検討いたしたい。
⑤宮崎監督以下33名の大阪産業大学の皆様
昨年に続き石巻の遠征試合前に、南相馬でのご活躍本当に有難うございました。
同大学様とは23年7月9日、大谷先生がリーダーの大坂掃除、大阪便教会が、4
3名のメンバーでご参加いただき、石巻市雄勝町の被災された網元さんの家の家財道
具片づけをご一緒したのがご縁で、宮崎監督との出会いでもありました。
私共が5-6人がかりでやっと持ち上げた重い畳を僅か2人で軽々と運ぶのを見て
ビックリ仰天、また昼食時、炎天下をものともせず、悠々と食事する逞しさの記憶が
鮮明に残り、忘れ得ぬ思いとなりました。
また来年もよろしくお願いいたします。
⑤帰途のバスは延々2時間止まったままの大渋滞に嵌まり所要時間4時間の2倍もか
かりましたが、お陰様で車内での会話が弾み、ほとんど眠らず有意義で楽しいひと時
でした。新宿へは22:50に到着。参加の皆様は大変お疲れのことと拝察しており
ます。
また、大変お世話になりましたが、次回も是非ご参加
いただきますようお願いいたします。
本当にお疲れ様でした。有難うございました。
(事務局
阿部
豊)
『被災地に学ぶ、被災地復興支援活動、南相馬ボランティアに参加して』
また、南相馬のボランティアに参加させていただきました。参加するたびに気づき
があり、考えさせられることも多く、日常では得られない貴重な体験をさせていただ
いたことに毎回、主催者のみなさん、ご協力のみなさんに感謝しております。ありが
とうございます。
今回は初めて、帰宅された方のお宅の竹藪の伐採をお手伝いさせていただきました。
ご自宅のトイレをお借りした時にお住いの居間を一瞬見せていただきました。わずか
な身の回り品、寝具などに加え、日常過ごされている部屋にお孫さんの写真が飾って
ありました。帰宅された方々が、どのような思いで日々を過ごされているのか、ほん
の少し理解できたように思いました。
日本のお盆休みに田舎にある実家に子供が孫を連れて、おじいさん、おばあさんを
訪れるという「当たり前」の風景さえも奪ってしまっていることを改めて考えさせら
れました。
今回総勢、5,60 人で除染作業のお手伝いをさせていただきましたが、ゴールまで、
厖大で長期に亘る作業工数を考えると無力さを感じました。
これが被災地、原発被害の現状だと、顔を背けるのではなく、少しでも地域の方々
の想いに近づいていきたいと思います。そのために行動し続ける。それが日本を美し
くすることではないかと考えています。もっともっと、この輪を広げていきたいです。
現地の受け入れて下さった帰宅者のみなさまにも感謝いたします。ありがとうござ
いました。
(山川茂宏)
『南相馬復興支援活動に参加して』
8 月 8 日(土)いつものように新宿駅スバルビル前に前回より少ない人数が集合し、
いつものように大里管理さんのバスに乗り込み、復興した常磐自動車道を通り目的地
である福島県南相馬市に向け出発しました。到着までずいぶんと時間が短縮されボラ
ンティアセンターが開くまでバスの中で仮眠をとりました。作業は大阪産業大学の宮
崎先生率いる野球部の学生 33 名と竹藪の伐採でした。前の週に八潮高校から出た復興
支援バスで行った際に作業をさせていただいた佐々木さまの敷地を引き続きやらせて
いただきました。佐々木さまの手前のお宅の竹の伐採と 2 班に分かれて作業をしまし
た。お互いの連携がうまくいかずロスタイムがありましたが、作業の導線をきちんと
作ることで効率よく作業を進められました。毎回皆さんのサポートさせてもらいなが
ら自らも体を動かし心を込めて作業をする中で、不安や悲しい気持ちがわいてきます。
震災から 4 年以上の月日が経っているにもかかわらず、原発に近いエリアではゴース
トタウンのように当時の姿を今も残しています。当時以上に荒れ果てこの地で多くの
方々が生活をしていたとは想像することが難しいです。私一人が現地へ赴いたとして
も大した成果はないかもしれません。それでも自宅へ戻りたいと願う地元の方々のお
気持ちに寄り添い、できる限りのお力になれれば私の心も軽くなるように思えます。
福島に限らず沿岸部の地域では震災後多くの命が奪われいまだに見つかっていない方
も多くいる中で、復興が進んでいるかのようなメディアでの情報は信じることができ
ません。がれきの山は少なくなり片付いたように見えるだけの被災地(復興地)に本
当の復興はまだまだ先のことのように思えるからです。今回は怪我をされた方がいて、
未然に防ぐことができなかったことや 2 班に分かれてしまったことでの連絡の悪さな
ど反省点はたくさんあります。多くの学生と活動する中で教えられることもたくさん
ありました。前の週に活動した場所でもあり、つい自分の作業に没頭するあまり周囲
への配慮が欠け佐々木さまはじめ、参加された方々にご心配とご迷惑をおかけしてし
まいました。できることなら、また皆様と佐々木さまのお宅の作業をお手伝いさせて
いただきたいという思いでいっぱいです。また現地集合してくれたシオガイの社員に
は飲料や氷など調達してもらい暑い中での作業も少し軽減されました。今回の反省点
は必ず次回に活かしこれからも支援活動を続けていきます。ボランティアセンターの
松本センター長の新聞記事を送付させていただきましたので拡散いただけると幸いで
す。感謝。以上
(石井
昨年に続き、南相馬の復興支援活動に、参加させて頂きました。 定期的に意義深い活動を企画・運営してくださる「東京掃除に学ぶ会」の皆様に、 心より御礼申し上げます。 さて、活動報告です。 まず場所が移動した南相馬のボランティアセンターの近くに 降り立つと、震災直後に非難されたと思われる新築の住居があった。 比ろ美)
庭の草が茂り放題で、新築にも拘わらず、中の様子を窺い知ることすら出来ない。 3・11のあの瞬間から、何も変わっていない場所が、同じ日本に存在し、 その事実が放置されている現状に、切なくなった。 作業現場は、ボラセンからバスで20分位離れた民家、 作業内容は、除染の障害となる竹林の除去でした。 大阪産業大学野球部の皆様と合同で、竹の伐採と整理整頓をさせて頂きました。 酷暑の中の重労働、皆様と一緒に良い汗をかかせていただきました。 除染作業のお手伝いは、いつかさせて頂きたいと願っていたので、 とても良い機会を与えてくださったと感謝しております。 年々被災地ボランティアの数も、減少しているようです。 今後も、活動を継続させて頂き、被災地で起こっている現状を、様々な形でお伝えし、 風化の歯止めに少しでも、お役に立たせて頂きたいと思っています。 最後に、ボランティアセンターに貼ってあったお言葉をご紹介して、終わりとさせて頂きます。 「できる人が、できる時に、できる事を」 (大西礼二) この活動には初参加となります。復興支援に参加したいという思いは常に持っていながら、
家族から「(放射能など、まだ危険かもしれないから)参加しないで欲しい」と言われ続け、こ
れまでは参加しないままでいました。
今回は、出身地の長崎が同日(8 月 9 日)に「戦後 70 年の原爆記念日」を迎えるということ
で、ただ黙っていられないという思いで、支援活動の案内を見た瞬間にエントリーしました。
「自分にできることなんて、些細なことだろう」と考えて臨みましたが、想定以上に多くの方々
の参加と熱い思いで、荒廃した竹林の伐採活動を終えることができました。支援活動として
はほんの数時間程度でしたが、復興にはまだまだたくさんの支援、時間が必要であると分か
ったこと、被災者の方からお話を聞けたことを本当に貴重に感じています。
「できる人が、できる時に、できる事をする」というスローガンは、まさにその通りですが、周り
の方々にも「自分自身が”できる人”だ」と思える機会を提供すること、同時に私自身も継続
的に支援活動に参加することで、復興支援を継続していきます。
(草野 大蔵)
「第 14 回 東日本大震災復興支援活動を終えて」
広島・長崎の原爆投下から 70 年目を迎えました。
ふと、世界の長い歴史の中で唯一の被爆国に生まれてきた意味を考えてしまいます。
震災もまた然り・・・。
今回もご縁をいただき、三月以来となる福島県南相馬市を訪れました。
大阪産業大学の野球部のみなさんと東京から参加の総勢 50 名で、
除染作業前の「竹林伐採」のお仕事をさせていただきました。
ご依頼主の方は、今も仮設での生活を強いられています。
来年、ようやく居住が許可されるということで、息子さんの「家に戻りたい」という思いを受け、
一人ではどうにもできず、ご依頼されたとのことでした。
今も南相馬 VC には、この類の依頼が 100 件以上来ているそうですが、
震災から 4 年半、ボランティアの数は減ってしまい、対応が追いつかないのが現実。
残念ながら「3.11」はすっかり過去の出来事になってしまったようです・・・。
ひと回り以上離れた学生のみなさんに刺激をいただきながら、
一方では「大人達も負けずに頑張ってるよ」と、少しでも感じていただければと
時間の許す限り一生懸命取り組ませていただきました。
今回はご依頼主様も一緒に作業をしてくださり、
「義には義をもって応える」
実に温度のある素敵な活動になりました。
戦後、70 年。確実に体験者は減っていきます。
まだ 4 年半にもかかわらず、誰かが伝えていかないと本当に過去の出来事になってしまいそ
うで、今回も自分に戒めるべく参加させていただきました。
今回も素晴らしい志をお持ちのみなさんの中に、御一緒させていただけたこと、
機会を与えていただいた「日本を美しくする会」の関係者のみなさまに心より感謝いたしま
す。
お陰さまで、第 14 回目を迎えました東日本復興支援活動に、19 名の参加者がありま
した。
大阪からは、大阪産業大学野球部選手が 33 名参加していただき、強力なサポートとなり
ました。
福島県は原発の被害で、いまだに自宅へ戻ることが許されない地域もあります。今
回の活動場所である南相馬市小高区は、昼間の行き来だけが許されています。
しかしながら、以前の様に、自宅で暮らし、田畑で作業することができる日は未定
です。
そんな地域ではありますが、
「もう一度、自宅に帰りたい」と言う思いで荒れ果ててし
まった田畑の整備をして、その日を待っている方もいました。
家族だけで田畑を元に戻すことは、気が遠くなる作業であることは、広大な土地と
荒れ果てた田畑をみれば察することは容易いことでした。
今回は、そのような方の家の周辺に伸びてしまった竹やぶの竹を伐採する作業でし
た。
震災前はこの竹やぶはなく、畑になっていたそうです。もう一度畑で農作物を作るた
めには、竹を伐採し、除染作業をしていただき、安全な畑にする必要があります。
先週、『さいたま便教会』が行った作業を引き続き行うことになり、総勢 52 名の力
を合わせて、除染ができるようにすることができました。
また、別の方の竹やぶも同じように伐採して行われましたが、こちらは完了するこ
とはできませんでした。
依頼主の方とも一緒に作業をすることができ、
「もう一度、自宅に帰りたい」という
夢に一歩近づけることができました。依頼主の方の表情が明るくなっていたことで
その気持ちが伝わってきました。
震災から 4 年 5 ヶ月が過ぎ、ボランティア活動に参加するかたも少なくなっている
ようです。
多くの人が過ぎたものと記憶から薄れていきつつあり、これから先は、もっと薄れて
いくと思います。
戦後 70 年、計らずにもこの日は、長崎に原爆が投下された日でした。
戦争のこと、原爆のことも遠い昔の話のように、他人事のようにも感じます。
3・11のことが、そのうように風化されないためにも、微力ではありますが、被災
地へ行き、被災された方の夢を少しでもつないでいけるように活動を続けていきたい
と思います。
お忙しい中、参加していただいた皆様に、感謝いたします。
今後もご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
(随行責任者 波多野 勝彦)