平成 24 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ

平成 24 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ
論文題目
エピジェネティクス機構における
5-ヒドロキシメチル化シトシンの役割に関する研究
Studies on the role of 5-hydroxymethyl cytosine
in epigenetic mechanisms
公衆衛生学研究室 4年
09P003 阿部 若葉
(指導教員:佐藤 浩二)
1
要 旨
エピジェネティクス機構における DNA メチル化は、個体発生や分化過程に大きく
関与する。DNA メチル化の異常はゲノムの不安定化を引き起こし、発生異常、奇形、
精神疾患、腫瘍発生などを誘発することがわかっており、DNA のメチル化機構は、遺
伝子の発現の面からも、そして疾病の治療としての面からも注目を集めている。これま
で DNA をメチル化する機構の解明は詳細に行われてきたが、DNA のメチル化を消
去する機構についてはほとんど理解されていなかった。そこで DNA の脱メチル化の
解明の大きな糸口となるであろう 5-ヒドロキシメチル化シトシンについて考察した。5-ヒ
ドロキシメチル化シトシンはそれ自体が DNA のメチル化を行う酵素から逃れることの
できる“受動的な”脱メチル化機構に関わっていると考えられており、また TET タンパ
ク質による“能動的な”脱メチル化機構の中間産物とも考えられている。脱メチル化機
構および 5-ヒドロキシメチル化シトシンに対する結論はでていないのが現状だが、5-ヒ
ドロキシメチル化シトシンが DNA 脱メチル化機構に大きく関わっていることは明白で
あり、今後の更なる解明はエピジェネティックな遺伝子発現の解明、ないし、DNA メチ
ル化の関わっているとされる疾病の解明、新しい治療の確立に大きく貢献していくと考
えられる。
キーワード
1.エピジェネティクス
2.DNA メチル化
3.CpG アイランド
4.Dnmt
5.5-メチルシトシン
6. MeCP2
7. DNA 脱メチル化
8.DNA ヒドロキシメチル化
10.TET タンパク質
11.塩基除去修復
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9.5-ヒドロキシメチルシトシ
ン
12.チミジン DNA グルコシ
ラーゼ
本文
エピジェネティクス機構における 5-ヒドロキシメチル化シトシンの役割
Ⅰ.エピジェネティクス
エピジェネティクスとは「genetics(遺伝学)
」に「epi」がついた「後成遺伝学」と訳すこ
とができ、DNA 塩基配列の変化を伴わずに個体発生や細胞分化の過程において後天的な修飾
によって遺伝子の発現を制御する現象のことをいう。ゲノムに書かれた遺伝情報を変更するこ
となく後天的な修飾を行うエピジェネティクスの柱としては、ヌクレオソームを形成している
DNA のメチル化とヒストンの翻訳後修飾があげられる。これらの修飾されたゲノムをエピゲ
ノムと呼び、またこれらの修飾された状態をエピジェノタイプと呼ぶ。このエピジェノタイプ
は生物種によって異なることがわかっており生物の進化や多様性に重要な役割を担っている
のではないかと考えられている。また最近ではこのエピジェノタイプの破綻が癌、精神疾患、
生活習慣病、奇形、代謝異常などに影響している可能性が高いといわれており、疾病や個体差
のメカニズムの解明やエピジェネティクスの可塑性を利用した治療の研究の面からもエピジ
ェネティクスは注目を集めている分野といえる 1。
Ⅱ.DNA のメチル化
DNA のメチル化は、哺乳類ではゲノム DNA を構成する 4 種類の塩基のうちで唯一シトシ
ンのみが受けることがわかっており、なかでも脊椎動物では CpG 配列を有するシトシンのみ
に限られる。CpG 配列とは 5’-CG-3’の配列のことをいい、p は 5’→3’の方向性を示すため GpC
(5’-GC-3’)とは区別される。メチル化のターゲットとなるのは、あくまで CpG 配列の C(シ
トシン)のみであり、多くのゲノム DNA 領域ではこの CpG 配列が散在しているが、例外的
に遺伝子の転写開始点上流に密に CpG 配列が存在している領域があり、その領域を CpG アイ
ランドと呼ぶ。エピジェネティクスにおける DNA メチル化ではこの CpG 配列中シトシンの 5
位が DNA メチルトランスフェラーゼによってメチル化されることで転写因子の DNA への結
合を防ぐ機構が起こり、遺伝子転写の調節を行っているといわれている。ハウスキーピング遺
伝子のような活性の高い遺伝子では低メチル化状態に、逆に転写が抑制されている遺伝子では
高メチル化状態になっていることからも CpG アイランドの DNA メチル化と転写活性は相関
していることがわかる 2。
DNA のメチル化を行う酵素は DNA メチルトランスフェラーゼと呼ばれ、Dnmt1、Dnmt2、
Dnmt3a、Dnmt3b などがある。Dnmt1 は DNA 複製の際に親鎖から娘鎖にメチル化様式を複
製するために必要な維持メチルトランスフェラーゼであり、Dnmt3a および Dnmt3b は発生初
期に DNA メチル化様式を形成させる de novo メチルトランスフェラーゼであると考えられて
いる。ピリミジン環 5 位がメチル化された 5-メチルシトシン(5mC)は安定した修飾状態と
考えられ、
「第五の塩基」といわれてきた。そのため反復配列の DNA メチル化はゲノムの安定
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性と宿主の防御機構の中心とされている。また、遺伝子内領域の DNA メチル化は遺伝子内領
域からの異常な転写開始を防止する役割を、まれではあるが CpG アイランドのプロモーター
の DNA メチル化は MeCP2 などのメチル化された CpG に特異的に結合し他の遺伝子の発現を
制御するタンパク質の動員を媒介する役割を担っているとされる。このように DNA のメチル
化は遺伝子発現に大きく関与する。
各体細胞のゲノム DNA は細胞・組織特異的に異なったメチル化修飾を受けており、正常個
体の発生のためには正確なゲノムメチル化パターン形成が重要になる。癌化の初期には DNA
メチル化の異常が認められる。癌とメチル化の関わりとして、ゲノム全体の CpG メチル化の
低下が染色体不安定性を増大すること、プロモーター領域の高メチル化によって癌抑制遺伝子
の発現が抑制されることなどがわかっている。このように DNA のメチル化はエピジェネティ
クスにおいて重要な機構であり、もっともよく解析されている。しかし、これまでに DNA メ
チル化を確立する酵素である DNA メチルトランスフェラーゼの解析は詳細に行われてきたが、
DNA のメチル基を消去する DNA 脱メチル化酵素および脱メチル化の機構はあまり理解され
ていなかった。
Ⅲ.DNA 脱メチル化
最近になり DNA 脱メチル化に関与している可能性がある因子として同定され、注目されて
いるのが TET タンパク質ファミリーである。TET タンパク質ファミリーは TET1~3 から構
成されており、二価鉄イオンとα-ケトグルタル酸依存的に 5-メチルシトシン(5mC)を 5ヒドロキシメチルシトシン(5hmC)へ変換する DNA 脱メチル化酵素として作用する。5hmC
は通常のメチル化 DNA である 5mC に OH 基が付加されたものであり、このわずかな違いに
よってメチル化 DNA 結合ドメインは 5hmC を認識できなくなり、5hmC は非メチル化 DNA
と同じように作用すると考えられている。また、5hmC は維持メチルトランスフェラーゼであ
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る Dnmt1 による認識も免れるため、これによって次世代への維持メチル化が制御されている
と推測され、この機構を“受動的脱メチル化”と呼ぶ 3。受動的脱メチル化についてもいまだ
解明されていない点が多く、5hmC が非分裂組織である脳細胞やプルキンエ細胞、顆粒細胞な
どの神経細胞に多く存在していることから、非分裂組織での脱メチル化機構として働いている
という説もある 4。
DNA の“能動的脱メチル化”としては 2 つの経路が考えられていて、能動的脱メチル化は
DNA 複製には依存しない機構であり、受精直後の精子ゲノム、始原生殖細胞のゲノムや細胞
分化後の一部の遺伝子プロモーターで観測される。考えられる第一の経路は、5mC が
AID/APOBEC による脱アミノ化によりチミンに変換され、生じた G/T ミスマッチ部位がチミ
ジン DNA グルコシラーゼ(TDG)によりシトシンに塩基除去修復される経路であるが、この
経路では 5mC の修復はされにくい。例えばメチル化のされていないシトシンの脱アミノ化で
は、ウラシルが生じウラシルは DNA に含まれない塩基であるので細胞はこれを認識し修復す
ることができる。しかし 5mC の場合は、脱アミノ化によって正常な塩基であるチミンを生じ
る 5 ため、このチミンが異常なのかそれともそれと噛み合わない相補鎖の塩基が異常なのか区
別できず変異の元になりやすい。
そこでもう一方の能動的な脱メチル化の経路として、水酸化酵素である TET による 5-hmC、
5-ホルミル化シトシン(5fC)、5-カルボキシル化シトシン(5caC)への順次酸化が知られて
いる。
5hmC はこの経路の中間体として生じ、
TET によってさらに酸化された 5fC および 5caC
が TDG によってシトシンに塩基除去修復される。これはマウス胚性幹細胞(ESC)において
TDG の枯渇が 5caC の蓄積を招くことからも裏付けられる 6, 7。
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受精卵では 5mC と 5hmC とのバランスが非常に重要になる。哺乳類の受精において最終的
にゲノム全体の 5mC は消去されるが、精子に由来する雄性ゲノムと卵子に由来する雌性ゲノ
ムでは 5mC の消去のタイミングが異なる。雄性ゲノムでは DNA 複製が開始される以前に能
動的に 5mC が消去され、雌性ゲノムでは DNA 複製に伴い受動的に消去される。この 5mC の
消去のタイミングの違いにより 5mC と 5hmC の状態の不均等性が生じ、正常な個体発生には
このエピジェネティックな不均等が不可欠だとされている 8。
Ⅳ.DNA 脱メチル化タンパク質 TET
また 5mC を 5hmC に変換する TET もエピジェネティクスにおいて大きな役割を担ってい
る。TET1 は ES 細胞に特異的に発現しているのに対し、TET2 は幅広い組織で、TET3 は ES
細胞では発現せず、肺、脾臓、膵臓などで多く発現している。TET1 ノックアウトマウスによ
る実験からは、マウス生殖細胞の 5hmC の消失が確認されており、ゲノム全体における DNA
メチル化レベルには大きな変化は見られなかったが、複数の減数分裂に関連する遺伝子の周辺
領域において DNA 脱メチル化が阻害され、遺伝子の発現は顕著に低下していた。そのため
TET1 ノックアウトマウスは常に少数の子しか出産しなかった。TET1 はゲノム全体における
DNA 脱メチル化ではなく部位特異的な DNA 脱メチル化に機能していることが示唆され、こ
の部位特異的な DNA 脱メチル化によって 5mC と 5hmC の微妙な調節がなされ、減数分裂に
関連する遺伝子の転写活性化に機能している。しかし大部分のゲノムは TET1 に非依存的に
DNA 脱メチル化されており、その分子機構は DNA 複製に伴う受動的なものなのか、TET 以
外の DNA 脱メチル化酵素によるものなのかはわかっていない。また、5hmC は DNA 脱メチ
ル化プロセスの中間産物なのか、あるいは最終産物なのかについても明確な答えに至っていな
い 9, 10。
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Ⅴ.エピジェネティクスが関わる疾病
エピジェネティクスの異常が引き起こす疾患として代表的なものに癌がある。癌細胞におけ
るエピジェネティクス異常は前述したようにゲノムの全体な低メチル化による染色体の不安
定化と CpG アイランドの高メチル化による癌抑制遺伝子の発現低下と考えられている。現在、
癌細胞における CpG アイランドの DNA メチル化異常は、癌の分類や進行度の判定、癌診断
マーカーとしての応用が試みられている 11。
その他にエピジェネティクスに関わる因子が問題となる疾患も多く見つかっている。例えば、
MDS や AML などの骨髄性悪性疾患では TET2 の遺伝子変異がみられる。DNA 脱メチル化に
関与する TET2 の機能喪失型変異により脱メチル化が阻害され、
TET2 変異をもつ患者は DNA
高メチル化が認められる。同時に 5hmC の低値も確認されるため、5hmC の測定が疾病の診断、
予後の予測に有用だと考えられている 12。統合失調症では神経の層構造を決定するとされる
Reelin 遺伝子のプロモーター領域の高メチル化が認められるという報告もあり、精神疾患であ
る Rett 症候群はメチル化 DNA 結合タンパク質である MeCP2 の変異によって生じることがわ
かっている。
MeCP2 はメチル化されたシトシンに特異的に結合し TET の結合を阻害するため、
5hmC の発現量は MeCP2 の発現量と逆相関する。
このようにエピジェネティクスは多様な生命現象やその異常としての疾患のメカニズムの
観点から非常に重要であり、解明が急がれている分野である。メチル化にしか触れてこなかっ
たが、ヒストンの修飾もエピジェネティクスにおいて大事な機構であり、ヒストンテールと呼
ばれるヒストンのアミノ末端がリン酸化、アセチル化、ユビキチン化、メチル化などの多彩な
化学修飾を受けることによって転写活性やクロマチンの動態に影響を及ぼす。DNA メチル化
とヒストン修飾の両者は密接に関係していて互いに影響しあっているといわれており、双方の
機能は重複しているようにも思えるがそこには精巧な住み分けがあると考えられている。最近
になって発見された 5hmC、5fC、5caC などのシトシン修飾体は解明されていないことが多く、
これらのさらなる研究はエピジェネティクス解明の大きな糸口になると予想される。なかでも
DNA の受動的脱メチル化、能動的脱メチル化のどちらにも関わっていると考えられる 5hmC
は、新たなエピジェネティック機構として非常に重要であり、今後の更なる解析によって詳細
な制御機構や役割が解明されることを期待したい。
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引用文献
1
注目のエピジェネティクスがわかる 押村光雄 羊土社
2
エピジェネティクスはじめの一歩 http://www.takara-bio.co.jp/epi/pdfs/epi_0a.pdf
3
Guo JU, Su Y, Zhong C, Ming GL, Song H. Emerging roles of TET proteins and
5-hydroxymethylcytosines in active DNA demethylation and beyond. Cell Cycle.
2011;10:2662-8.
4
Williams K, Christensen J, Helin K. DNA methylation: TET proteins-guardians of CpG
islands? EMBO Rep. 2011;13:28-35.
5
薬の情報専門薬学 http://kusuri-jouhou.com/creature2/heni.html
6
Tan L, Shi YG. Tet family proteins and 5-hydroxymethylcytosine in development and
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7
Cimmino L, Abdel-Wahab O, Levine RL, Aifantis I. TET family proteins and their role
in stem cell differentiation and transformation. Cell Stem Cell. 2011;9:193-204.
8
Nakamura T, Liu YJ, Nakashima H, Umehara H, Inoue K, Matoba S, Tachibana M,
Ogura A, Shinkai Y, Nakano T. PGC7 binds histone H3K9me2 to protect against
conversion of 5mC to 5hmC in early embryos. Nature. 2012;486:415-9.
9
Ito S, D'Alessio AC, Taranova OV, Hong K, Sowers LC, Zhang Y. Role of Tet proteins in
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Nature. 2010;466:1129-33.
10 Yamaguchi S, Hong K, Liu R, Shen L, Inoue A, Diep D, Zhang K, Zhang Y. Tet1
controls meiosis by regulating meiotic gene expression. Nature. 2012;492:443-7.
11 特集エピジェネティクス
http://www.imeg.kumamoto-u.ac.jp/divisions/medical_cell_biology/pdf/2009_06.pdf
12 骨髄性疾患における TET2 変異
http://www.nankodo.co.jp/yosyo/xforeign/nejm/360/360may/xf360-22-2289.htm
8