エッセイ21 古里は遠きに在りて・・・・ 5月に実に何年か振りに郷里に帰る機会があった。学生時代は、長期の休 み中には必ず、就職してからも少なくとも2年に1回は帰省していた。しか し、ここで生活するようになってからは、それさえもままならない状況にな っている。 古里は、学生時代から、帰省する度にその姿を少しずつ変えていた。自動車がもうもう と砂煙をあげながら走っていた砂利道は、立派なアスファルトの舗装道路に生まれ変わり、 駆け回ったり野球などをして遊んだ野原には、新しい家が建ち並び、その時々の時代にふ さわしいように。それでも年に1~2度帰省する頃は、このように発展していく古里を頼 もしく感じていた。 しかしながら、今回十何年振りかで帰省し、車でいろいろな場所を回り ながら、『だんだん遠くなってきたな。』という感じを強くした。私はこれ まで、他の人に負けないくらい、都会だとか田舎だとかは別にして、自分 を育んでくれた郷里には誇りをもって生きてきた積もりである。それが今 回の帰省で、このような気持ちになってしまったのはどうしてだろうか。 その大きな理由の1つに、あまりにも古里が大きく変貌してしまったことが挙げられる。 四季折々にいろいろな遊びで子供たちを満足させてくれた自然が根こそぎ削り取られてし まったのである。冬になると一生懸命に足跡を辿りながらウサギを追った山(林)は、切り 開かれて工場などが建てられたり、バイパスが通 ったりの姿になってしまった。また、春先にはフ ナなどを釣り、夏には水遊びをし、冬にはスケー トを楽しませてくれた沼も埋め立てられてしまい、 その姿を失っている。さらには仲間たちと一緒に 通った小学校・中学校・高校の校舎も、い つの間 にか全く違う場所に新築され、昔の面影などひとかけらも見られない。 このように、古里が時代の要請を受けて日々発展し続けることは、それはそれでとても いいことであるし、また、そのようでなくてはならないだろうと思う。しかし、私のよう に、郷里を離れて生活せざるを得なくなってしまった者にとっては、自分の中から思い出 が1つ1つ奪い取られ、そこに帰っても自分の居場所がなくなってしまったような気がし てならない。久しぶりに生家に帰ったら、そこには別人が住んでいて、自分の部屋だった 場所も他人に取られてしまっていた、そんな感じである。 これから先、何回郷里に帰れるかは分からないが、『古里は遠きに在りて思うもの』で あり、『昔の夢よもう一度』と考えてはならないものであるということを実感している。
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